傷を負わせても元に戻る、全身を包帯に覆われた異象。
捕らえられたナナリと早霧は無事に帰還したものの、それが次も同じ結果になる保証はない。
さらに、夢の中で声に出して確かめ合ったはずの資料さえ、現実へ戻れば二人の記憶は食い違っていた。
問題は、夢の中で何を見せられているのかではない。
――帰ってくる時に、何を持ち帰らされているのか。
これ以上、同じ調査を繰り返すわけにはいかない。
そこで〈エイボン〉が次に求めたのは、異象を見抜く者ではなく。
人の認識を惑わせ、幻を見せることをよく知る者だった。
薄く香の焚かれた〈エイボン〉の応接室に、乾いた金属音が響いた。
ちり、と。
椅子に腰かけた女が、手首をわずかに動かした音だった。
両手は体の前で手錠に繋がれている。
目元には幅広の黒布が巻かれ、視線どころか瞼の動きさえ窺えない。
服装も以前の艶やかな和装ではなくオレンジの薄汚れたジャンプスーツ。
つまり囚人服だった。
残虹。
かつて〈スカーレット・レター〉に属していた女は、囚人としてふさわしい姿でそこに座っていた。
もっとも。
本人に拘束されているという自覚があるのか疑わしくなるほど、その態度は悠然としている。
椅子の背へゆったりと体を預け、自由な足は組まれ、口元には薄い笑みすら浮かべていた。
ただ、そんな彼女のすぐ後ろ、一歩と離れていない場所には、タイトできっちりとした紺色のスーツに身を包んだ女性が控えていた。
名はダフォディール。
真っすぐに立ち、目の前の囚人への注意を一瞬たりとも途切れさせる様子はない。
もし残虹がほんのわずかでも妙な動きを見せれば即座に抑え込むつもりだ。
言葉にせずとも、そのためにここにいることは明白だった。
「――なるほど」
残虹が口を開いた。
「夢の中にある病院、ね」
目隠しをされたまま、くすりと笑う。
「それで? わざわざ牢から連れ出して、手錠までして。 挙げ句、目まで塞いで聞かせたかった話がそれ?」
「人聞きが悪いねぇ」
向かいのソファへ腰かけたこの骨董屋〈エイボン〉の店主である潯が頬杖をつく。
「あたしはちゃんと手続きを踏んで、あんたを借りてきたんだよ」
「手錠と目隠しをつけた囚人を連れまわすことを、普通は『借りる』とは言わないと思うけれど?」
「繊細な骨董品を運ぶときは丁寧に梱包するもんさ」
「あら。私は商品扱い?」
「商品ならもっと丁寧にするよ」
「あら、ひどい」
残虹が楽しそうに笑う。
「ただ――」
見えていないはずの顔が、わずかに後ろへ向けられた。
「監視役がお姉様だなんて。随分と贅沢な待遇じゃない。評価は星5かしらね」
ダフォディールは答えなかった。
「余計な真似はするな」
その代わりに短くそれだけを告げた。
「あら。やっと口をきいてくれた、嬉しいわ」
残虹の笑みが深くなる。
「残虹」
「分かっているわよ」
手錠の鎖を一度鳴らし、残虹は再び正面へ顔を戻した。
「今日の所は大人しくしてるわ。お姉様に会わせてもらったお礼として」
「その一言が一番信用ならないんだよねぇ……」
潯がため息をつく。
部屋の空気は軽いほうだ。
だが、誰一人として気を抜いてはいなかった。
少し離れたソファには、ナナリと早霧が目を光らせている。
二人とも今回の調査からは外されているが、これまで二度、直接廃病院へ入った経験者として同席している。
その傍らには鑑定士、と親しみを込めて呼ばれている女性が警戒した様子で座っていた。
「じゃ、始めようか」
潯の言葉を受け、隣に立っていたアドレーが手帳を開く。
本来彼は目が見えないのだが、彼以外が確認できるように文章として残していた。
「改めまして、現在我々が調査している異象についてご説明いたします」
残虹の興味がアドレーの言葉に移るのを感じる。
「発端はある患者が繰り返し同一の廃病院の夢を見るようになったことです。 当初は本人だけでしたがその後、患者の近くで眠った家族にも同様の夢が共有されるようになりました」
「ふーん、夢が感染するということかしら?」
「便宜上そう表現することはできます。が、感染、と断定できる段階ではありません」
「相変わらず慎重ね」
「恐縮です」
残虹の相槌にアドレーは何事もなかったかのように続けた。
「夢の中では現実と同じように行動でき、本人の持つ異能も問題なく使用できます。一方で、一度病院に入った者は自らの意思では覚醒できません」
「出口は?」
「二つほど考えられます。一つは、夢の媒介となっている患者本人の覚醒。もう一つは病院内で特定の条件を満たすことです」
アドレーは机の上へ一枚の紙を置いた。
簡単なあの廃病院の見取り図。
その一室には、三台の映写機が記されている。
「病院内に存在する三種類の資料を発見すると、それぞれに対応したフィルムがこの映写室へ現れます。それを三台の映写機へセットした直後、患者本人の覚醒を待たず調査員だけが帰還しました」
アドレーの説明に残虹の指先が、拘束された手の中でわずかに動く。
「三つ……それは必ず?」
「これまで二度はそうだね」
潯が答える。
「もっとも、二回しか試してないものを絶対のルール、とは言いたくないけどね」
「賢明ね、さすが店長さん」
残虹がそう答えると、続きを促すように顎を上げた。
アドレーが頷いて説明を続ける。
一度目の病院。
内部は停電していた。
配電室には復旧手順が残されており、その指示通りに設備を操作すると、病院内の照明が復旧した。
その後に見つかったのは。
異常な症状を訴え、身体へ包帯を巻き付けていた患者。
その包帯を外そうとした際に発生した手術室での事故。
そして、その患者を担当していたらしい『V』という人物についての匿名記録。
二度目。
病院の一階は水没し、二階にも水が溢れていた。
今度は院内のポンプ室が使用可能となっており、操作方法も残されていた。
排水後に発見されたのは、Vを秘密裏に監視していた病院側の記録。
深夜、院内を移動していたV。
何らかの『実験』。
さらに、二〇三号室に入院していた全身包帯の患者が、水設備へ繰り返し近づいていたという記録。
説明を聞き終えた残虹が、小さく笑った。
「随分と親切ね」
「親切?」
残虹の言葉に早霧が眉をひそめる。
残虹は目隠しをされた顔を、その声の方へ向けた。
「だってそうでしょう? 暗ければ電気の戻し方を教えてくれる。 水が邪魔ならポンプの場所を教えてくれる。 先へ進むには鍵が必要で、探せばちゃんと鍵が見つかる」
手錠の鎖が、ちり、と鳴った。
「特に二回目の情報なんて表に出ない物でしょう? 何かを隠したいにしては、ご丁寧すぎない?」
潯が僅かに目を細める。
「確かに、そこはあたしも引っ掛かってる。うちの店員たちも違和感は感じてるところなんだ」
「あら、わかってたのね」
「そうさね、ナナリ、早霧、話してやんな」
潯に促されるようにナナリが口を開いた。
「一回目は電気を直した直後。 いかにも調べてくださいって感じでパソコンと鍵が同じ場所に置いてあったっす。資料が表示されるだけで操作は出来なかったっす」
「思い返せば都合よく資料が見つかっていった気がする。マスターキーを手に入れて病室を調べていけば普通に見つかったもん」
ナナリと早霧の言葉に残虹が笑う。
「ふふ、そういうこと」
「なに?なんか言いたいことあるなら言いなさいよ」
「いいえ、まだいいわ。 続けて執事さん」
早霧からの詰問に残虹は涼しい様子でかわし、それ以上は言わずアドレーに続きを促した。