何処かの世界のあり得たかもしれない少女達の日常物語 作:タク-F
──歌は、人を笑顔にするためにある。
幼い頃から、立花響はその言葉を疑ったことがなかった。
「な〜にがただの新星よ。こんな立派な
この日。首都圏郊外のドームスタジアムは、割れんばかりの歓声とペンライトの光の海に包まれていた。
期待の新星アーティストとして音楽界に登場したユニット『ツヴァイウィング』の初ライブ。超満員と呼べる観客席の最前列近くに、十四歳の立花響の姿があった。
「すごいよ、お姉ちゃん! 本物のツヴァイウィングだよ……!」
「声が大きいよ、響。ほら、ちゃんとハンカチ持った? 人は多いし熱気もすごいからな、気分が悪くなったらすぐ言うんだよ? まぁ……私達は招待枠だから場所を取られる心配は無いけどトラブルが無いとは限らないし……」
「そうだよ響……鏡香さんが招待枠のチケットを貰えなかったら入れなかったライブなんだから楽しまないと申し訳無いよ?」
「でもすごいよねぇお姉ちゃん」
隣で苦笑いを浮かべながら響の頭を撫でるのは、2歳上の姉──立花鏡香だった。私立リディアン音楽院の高等部に通う鏡香は、妹の響にとって自慢の姉だった。凛とした佇まいと、誰よりも情に厚い性格。そして何より、将来を嘱望されるほど美しい歌声を持っていた。
「大丈夫だよ! 私、今日をずっと楽しみにしてたんだもん!」
「ふふ、なら良かった。……見なよこの期待感……もうすぐ始まるよ?」
鏡香がステージを指さした頃視界の端では1人の女子が通話をしていた。その女子は残念そうに通話をしている。
「本当に残念だよね瑠璃……抽選に落ちちゃったからね」
『お姉ちゃん……人気者だからね』
「頼めばチケット融通して貰えたんじゃないの?」
『ん〜……そこまでして欲しかった訳じゃないし……やっぱ自力で手に入れたかったからさぁ〜』
「今度は2人で観に行きたいね」
『まぁ〜今回輪は楽しみなよ。絶対後悔しない体験になるのは保証するから』
ライブ開始前に親友と共に来る事が出来なかった女子が申し訳なさそうに通話を終了する。
「じゃ……私も押さえた席に向かおうかな。会場に入れなかったなんて目も当てられない結果報告はしたくないね」
◆◆◆
会場の照明が一斉に落ちた。一瞬の静寂の後、爆発するような重低音と眩いレーザーライトが空間を切り裂く。
『──みんなー! 会いたかったよーッ!』
弾けるような笑顔でステージ中央に飛び出してきたのは、天羽奏。そしてその隣で、凛とした佇まいでマイクを握りしめるのは、風鳴翼。2人の声が重なった瞬間、ドーム全体の空気が震えた。圧倒的な音圧、全身の細胞を揺さぶるような歌響。響は息をするのも忘れて、ステージの2人に見入っていた。
『それじゃあ最初は逆行のフリューゲルを聞いてくれ〜!』
「お姉ちゃんフリューゲルだよフリューゲル! ツヴァイウィングの代表歌だよ!」
奇跡のような時間だった。この時間が永遠に続けばいいと、誰もが信じて疑わずにライブは進行する。
──悲劇は、ライブが中盤に差し掛かったその時に起きた。
曲のサビに合わせて焚かれた特効の炎。その火花が、天井近くに設置されていた大型照明機材の配線へと引火した。
経年劣化と初期整備の不備が重なった偶然の悪夢。瞬く間に火の手は吊り天井の補強材を焼き切り、爆発的な黒煙がドーム全体へと広がっていく。
「火事だ──ッ!?」
「逃げろ! 火が落ちてくるぞ!」
一瞬にして、歓喜の坩堝は阿鼻叫喚の地獄へと変貌した。押し寄せる群衆。交錯する悲鳴。頭上からは焼けた鉄骨と照明機材が、炎の雨となって観客席へ降り注ぐ。
「響──ッ!」
「姉ちゃん……っ!?」
逃げ惑う人波に押され、転倒しかけた響の視界が、真っ赤な炎で埋め尽くされた。頭上から途方もない重量の燃え盛る機材が落ちてくる。死を直感し、響が目を瞑ったその時──。
ガツンッ、と鈍い衝撃音が響いた。
「がっ……あ……っ!?」
「ひび……き……?」
目を開けた鏡香の視界に飛び込んできたのは、背中に巨大な焼けた鉄骨を浴びている響の姿だった。溢れ出す血。焦げる匂い。鏡香の顔が苦痛に歪み、それでもなお、彼女は響を強く抱きしめて離さなかった。
「お姉……ちゃん……無事……だよ……ね?」
「嫌だ……嫌だ! 響! 血が……血がいっぱい出てるよ! 誰か! 誰か助けて!!」
幸か不幸か人波に呑まれて未来は客席から離れていた。逸れた事を心配する感情と事故に巻き込まれ無かった安堵が混在し鏡香の心中は半ばパニックとなる。だが叫ぶ鏡香の声は、爆風と群衆の悲鳴に掻き消される。さらに追い打ちをかけるように、ドームの天井が大きく崩落を始めた。万事休すかと思われたその時、炎を切り裂いて誰かが飛び込んできた。
「しっかりするんだ2人とも!」
掠れた声で叫んだのは、ステージから駆け降りてきた天羽奏だった。衣装は黒く焦げ、煙を吸い込んだ胸を激しく上下させながらも、奏は死力を尽くして響の背中の鉄骨を蹴り飛ばした。
「奏さん……どうして……なんで……っ」
「喋るな……! 鏡香、アンタの妹はアタシが担ぐ! 今の内に逃げるんだ!」
奏は瀕死の響を抱え上げ、もう片方の手で鏡香の腕を強く引いた。崩落するドームの中を、煙にむせび、血を吐きながらも、奏は出口を目指して走り続けた。過酷な有毒ガスの吸入が、彼女の肺と気道をズタズタに痛めつけているのも構わずに。
「お願い……二人とも……生きて……ッ!」
先に脱出出来た未来は逃げ遅れた2人の身を案じ願う。この混乱が終息した後の事を考えるしか出来なかった。
「鏡香さん! 響は!?」
パトカーと救急車のサイレンが遠くで鳴り響く中、3人は崩落するドームの外へと脱出した。
夜空の下に倒れ込む奏と響。鏡香は2人のかたわらで、ただただ泣き叫ぶことしかできなかった。
「ごめんね……未来……本当にごめん……」
──この事故で、死亡者は一人も出なかった。それは奇跡と呼ぶにふさわしい結末だったかもしれない。だが……
「そんな……まさか……っ!」
しかし、引き換えとなった犠牲はあまりにも大きかった。天羽奏は呼吸器に後遺症を負い、長期療養を余儀なくされた。そして、鏡香を庇った立花響は、背中と腕に大きな傷を負い、救急搬送されていった。
「多分命に関わる程じゃあない……でも間違いなく軽い怪我じゃないから油断しないで……って……」
だが、本当の地獄は──火災が鎮火した後に訪れることを、この時の響はまだ知る由もなかった。
「生きる事を……諦めるな……」
鏡香の胸に残ったのは、炎の熱さといつでも傍にいた筈の妹の温もり。そして、煙の中で命がけで自分たちを救い出してくれた、天羽奏の生きる希望を繋いでくれた声だけだった。
◆◆◆
観客席にいた1人……堕落ツカサは事態の理解に苦しんでいた。
「デビュー以来才能を開花させた注目の新星アイドルの1人が火災事故の煙を吸って長期療養……? そんな……そんな残酷な事実なんて……あって良いの……?」
デビューシングル【逆行のフリューゲル】を聴いてファンとなったツカサは今回のライブを楽しみにしていた。そしてそのクオリティは想像と期待を超える素晴らしいライブだった。それだけに今回の事故を受け入れられずにいた。
◆◆◆
『輪! 大丈夫!? ライブ会場で火災事故ってニュース速報で!』
「私は……私や翼さんは何とか避難出来たよ。でも……逃げ遅れた人が何人も怪我をして……そんな人を助ける為に奏さんが……」
『お姉ちゃんは……? って奏さん!? 奏さんの身に何が起こったの!?』
彼女は【出水 輪】。そして通話の相手は【風鳴 瑠璃】……今日ステージに立っていた風鳴翼の従姉妹である。
「翼さんの話だから下手な嘘は言わない筈。そしてそんな人が自分の相方が被害に遭ったと言ってた……詳細は教えて貰えないだろうけどもしかしたら事態は相当深刻かもしれないね」
『お姉ちゃん……大丈夫かな……』
「確か学園の知り合いを招待したんだっけ? その子も上手く避難出来てたら……良いね……」
彼女達はまだ知らない。その翼の知り合いこそが鏡香であり、怪我をしたのは鏡香の妹……その事実を関係者が識るのは……少し先の未来の話。
次回より主人公 立花響の物語です!
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