智絵とりおは、スーパーで買った物を手に猫宮の家へと向かっていた。
買ったのは、予定通り、チキンカツとポテトフライの材料。付け合わせに千切りキャベツ。昨日と同じく、カロリー補給用の板チョコレート。
「猫宮くん家にいるかな?」
「それは大丈夫っしょ。あれは十中八九引きこもり」
「ただ、猫ちゃんの場合寝ている可能性があるんよね」
「あはは、寝てるってこんな時間から……」
智絵は言いかけて閉口した。まだ日も落ちない午後。この時間から寝ている人間はまずいない。
しかし、相手は猫宮である。生活能力が壊滅している相手が昼夜逆転しているのは良くある事だ。昨日は同じ時間に起きていたから大丈夫だと思いたいが。しかし、そもそも猫は夜行性なのである。何故なら猫だから。
考えてみれば、学校にいた三日間も智絵が見ていた猫宮は本を読んでいるか、寝ているかだった。
「まぁ大丈夫っしょ。中で寝ていたら玄関叩きまくれば起きるっしょ!」
「通報されちゃうよ!?」
智絵が突っ込んでいる間に猫宮宅に着いてしまった。
ここからが勝負だ、智絵は深呼吸した。
「猫ちゃーん。起きてるー?」
「ちょ!」
智絵が気を整える暇も与えずに、りおはインターホンを押した。ギャルはアグレッシブであった。
「……出ない?」
「……寝てる?」
そう二人が言ったとき、インターホンへの対応を抜きに、猫宮がガチャリと直接玄関を開けて現れた。家の中で動いている気配や玄関を開けるまで音もない。猫だから仕方ない。
「あ、ともちゃんだ。こんにちは」
『ともちゃん!?』
挨拶した猫宮に二人は返礼より先に、異口同音を驚愕した。ともちゃん。人の名前も覚えぬ猫がいきなりの愛称呼びであった。
そう深い意味はあるまい。りおが智絵をともっちと読んでいた。それが耳に残っていたからそれを取ってともちゃん。その程度のノリだ。多分。
「ともちゃん……ともちゃん」
「?」
当のともちゃんこと、智絵は軽く壊れていた。薄く笑っている。初恋の相手にいきなり愛称呼びされて、脳内物質が分泌されていた。つまり、トリップしていた。
だってあんなに意気投合していたりおは一条ちゃん呼びだった。明らかに自分の方が近い呼び方だった。
「おーい、ともっち。戻ってこーい!」
「あ、りお?」
りおに揺さぶられて、智絵は漸く、現実に戻ってきた。まだボーっとしていたが。
「二人とも、どうしたの?今日はファミチキないよ?」
「いや、違う違う、たかりにきたんじゃないから」
猫宮がのんびり言うと、りおがしっかり突っ込む。猫は二人に奢った事でファミチキをたかりにくるようになってしまったと思ってるのか?猫が人を餌付けする、逆餌付けである。
「猫ちゃん、今日ご飯食べた?」
「今日は朝、カロリーメイト食べた!」
昼を抜いてる。またいい加減な。と智絵は思った。
「猫宮くん、チキンカツ好き?」
「好き」
智絵が一歩前に出ながら尋ねると、猫宮は即答だった。好き。の一言にドキッとした。密かにりおも少しだけときめいた。猫の言葉は人たらしならではの破壊力があった。
「はい、じゃあ猫ちゃん。喜べ!ともっちが作ってくれるから!」
「え?ほんと!?わーい!」
猫は喜んだ。可愛かった。何故昨日初めて話したばかりのクラスメイトーー元クラスメイトと言うべきかーーが、チキンカツを作りにくるのか?何の目的で?普通の少年なら考えるだろう。だが、猫は喜んだ。猫は考えて然るべき事を考えなかった。猫は馬鹿なのだろう。
「っかわ」
「というか、チョロ」
二人の本音が思わず漏れた。智絵はまた脳内物質に晒された。一方、りおは、この猫警戒心の欠片もないな。と思った。
「ともっち、イケるよ」
「っあ、猫宮くん。台所貸してくれるかな?」
「いいよ。どーぞ、上がって」
あっさりと猫宮に招かれて、二人はお邪魔しますと言って上がり、ダイニングキッチンに通された。
りおは、さりげなく目を走らせて家の中を精査した。昨日の猫宮の部屋はごみごみしていたが、あまり物がない。生活感が感じられない。
それに、猫宮の生活の崩壊。摂食。誰かちゃんと面倒見ている人はいないのか?そう、りおは思った。
家族が、いない?或いは片親?そう、りおは当たりをつけた。
「猫宮くん、これあげる。お腹空いてたら食べて」
「わぁ、ありがとう!」
智絵がスーパーで買ってきた板チョコを渡すと、昨日と同じく、すぐ包装を破ってパキッと食べ出した。まるで迷いがない。まさに猫である。猫にチョコはあげては駄目だが。
「じゃあ台所借りるね」
そう言って、智絵はキッチンに入って買ってきた材料を置いて、調理器具や、調味料を確認する。意外と充実してる。不足はない。これなら調理に問題はなさそうだ。
包丁類は、一般家庭としてありふれた安物の物の中に、明らかにグレードの高いペティナイフが二本紛れているし、キンキンに研ぎ上げられていたが。おそらく、どっかの猫の趣味だろう。
猫宮はチョコをもぐもぐ食べながら、だらーっとダイニングのソファーに横たわって本を開いた。床に座ったりおが、そのソファーを背にもたれた。
「一条ちゃんは作らないの?」
「私?炊飯器でご飯炊いたらお粥になっちゃう女よー、私は?」
りおは、料理が出来ない女であるようだ。
「だから、出汁と卵を落としたら結構美味しくなったんだけどね!」
訂正。料理出来るのか出来ないのかどっちかよくわからない女であった。ノリだけのギャルらしくはある。
「でもともっちは料理上手いよー、ビビるっしょ!」
「確かに出来そう」
「猫ちゃんは料理出来るの?」
「しないよ。全然」
家庭環境へのちょっとした探りだったが、料理出来ないのか、料理出来るがやらないだけなのか?りおは判断に迷った。この猫は出来る出来ないに関わらず、飢えそうだからだ。
幾らノリで生きてるりおも、両親はどんな人?と直接は聞けなかった。普段なら普通に聞けるが、なまじ家族などに思う所の無さそうな猫宮だから返って躊躇った。
キッチンでは、二人の会話を聞き流しながら、智絵が調理に移っていた。手が早い。主婦並みの熟練度。
「で、実は提案があるんだけど?」
「何?」
りおは、家庭環境は置いといて本題に入った。
「なんと!ともっちが毎日ご飯作りにきてくれるんよ。嬉しいっしょ!」
「ご飯!嬉しい!」
なんで、そんな事をしてくれるのか?とかの疑問は、一切なく、わぁ!と無邪気に猫が喜ぶ。
あ、やっぱりかわいいわ、この猫。とりおは、思った。こうして近くにいると若草のような、かつ甘いニュアンスのいい匂いもする。
「だから材料費だけ頂戴」
「いいよ。えーと、財布財布」
猫宮はソファーから億劫そうに立ち上がり。財布を探して、適当に万札を幾つか抜いて渡した。父親から食事代として持たされている金だ。にも関わらず、猫宮は食べるのが面倒で食べずに過ごしがちだ。
「……多くない?」
「お釣りはいらないよ」
仮に毎日智絵が料理に来た所で三食の内の一食分。にしては多い。
「いや、それは返さないとだめっしょ」
「でも、作ってもらうなら手間賃とかもあるでしょ?」
「まぁ、それは、うーん」
何故かは知らないけど、ご飯作って貰える。作ってもらうなら材料費は支払う。でも料理する以上、手間暇かけてもらうのだからその対価も支払う。
この猫。律儀でもある。猫の癖に。倫理観がりおには全く分からなかった。それも猫といえば猫なのである。自分ルールがあるのも猫という動物である。
まぁ、いいか。とりおは、引き下がった。ここで押し問答をするのは不毛だ。後日、余った費用は返すなり、考えればいい。個人的には手間賃を受け取るのはあまりしたくはない。
料理はあくまで智絵の善意と受け取って欲しい。そこまで金銭のやり取りになるとビジネスライクになりすぎて猫宮と智絵の関係発展に繋がらないとりおは計算していた。
「はぁ、猫ちゃん、やっぱり難しすぎっしょ」
「?」
りおの感想に、猫は小首を傾げた。
りおは、切り替えた。これ以上は取らぬ狸の皮算用。まずは初手でともっちが猫ちゃんの胃袋を掴む事。後は親友の料理次第だ。
そう考えて、りおは猫と一緒に智絵のご飯を待ったーー