Hello,hello! World!!! 作:債権者X
ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。
「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。
──また、だれが、まず主に与えて、その報いを受けるであろうか」。
万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである。栄光がとこしえに神にあるように、アァメン。
照りつける太陽が沈んだアビドスは、日中の険しい暑さが嘘のように冷たい風が流れ、静寂も相まって寂しい空気が支配していた。
通りに立ち並ぶ街灯に明かりはなく、蒼白い月明かりによって照らされた建物の影が暗闇の中で墓標のように見える。
かつては賑やかだったろう街の死骸が、乾いた砂漠に飲み込まれつつある土地。それがいまのアビドスだ。
(はあ、すっかり遅くなっちゃった……)
そんな静けさを破るように、ザリザリと細かい砂が靴底を擦る音が響く。
アビドス高等学校の生徒会長、梔子ユメ。
人が去って久しい旧市街地にひとり、重い足取りで歩く少女がいた。
「うぅ……今日も大変だったなぁ……もうくたくただよ」
ぽつりと漏れ出た言葉は、誰に届くこともなく砂漠の静寂へと吸い込まれる。
疲労困憊。バイトで他所の自治区まで遠征してきたユメの状態はまさにそんな具合だ。
着古した制服はヨレヨレで、今日の努力の跡が滲んでいる。肩に掛けたカバンは普段はなんてことないのに今に限ってやたら重い。
(そんなに重たいもの入れてないはずなんだけどなぁ……うぅ、ずっしりくるよ〜)
アビドスという土地がこんな有様であるように、ユメが在籍するアビドス高等学校が置かれた状況も、まさに壊滅的と言ってよかった。
原因不明の砂嵐と急速に進む砂漠化は学校の領土を奪い去り、それに伴う生徒数の激減や、長年のツケと見通しの甘さからなる莫大な借金が重くのしかかる。
危機を感じたかつての同級生たちは、ひとり、またひとりと学び舎を見捨てて去っていった。
残されたのは、誰も立候補しないからと半ば押し付けられる形で就任してしまった生徒会長のユメと、頼りない生徒会長を支えてくれている副会長の小鳥遊ホシノ、たった二人だけだ。
「ホシノちゃん、今日はちゃんと休めてるといいんだけど」
ユメは、自分が決して利口でも要領が良いわけでもないことを痛いほど自覚している。
難解な書類を見れば頭が痛くなり、復興のための計画を立てようとしてもどこか抜け落ちて、あげく脱線してしまう。
少しでも借金返済の足しになれば、と手を出したバイト先では怪しい詐欺まがいの契約に引っかかりそうになる──なんなら気づかず詐欺に引っかかることもしばしばあった。
それで、その度に頼れる後輩であり副会長であるホシノに助けられてきたわけなのだが。
さすがに情けなさすぎて、先輩としてもっと頑張らなくちゃ、などともうかれこれ何度目になるかもわからない張り切りを見せた次第。
「ホシノちゃんには、いつも苦労ばっかりかけちゃってるなぁ……」
そんなこんなで、ユメは早朝から日雇いのアルバイトをしてきたのだった。
働きすぎなホシノちゃんは今日一日休んでること! ──なんて、言っちゃったりして。
ヘトヘトになるまで働いて、手渡された封筒の薄さに一瞬だけ胸がキュッとなったけれど、それでもゼロよりは良い。ゆっくりでも、一歩ずつ進んでるんだからと自分に言い聞かせた。
(……ちょっと、休んでいこうかな)
けれど、そんな空元気もそろそろ怪しい。さすがに気力も体力も限界だ。歩き通しで膝は笑い、足首は悲鳴を上げている。
無理しちゃったかな、とひとり反省するユメの心に、仄かな寂しさと情けなさが影を落とす。
自分がもっとしっかりしていれば、もっと頭が良ければ。ホシノちゃんにこんな苦労をかけずに済むのに……。
落ち込む気持ちに連動して、俯きトボトボと歩いていたユメは、胸の内のモヤモヤを吐き出すように深いため息をつく。
──そして、ふと何気なく顔を上げた。
「……わぁ! きれい……!」
思わず、疲れも忘れて感嘆の声を漏らし、足を止める。
視界いっぱいに広がっていたのは、見渡す限りの満天の星空だった。
大気汚染とも街灯りとも殆ど無縁なアビドスの夜空は、吸い込まれそうなほど深い色のキャンバスに明るい星々が散りばめられている。
そのあまりの美しさに、ユメの胸に溜まっていた重苦しい感情が少しずつ溶けていくかのように感じられた。──その時。
夜空を切り裂くように、一筋の鋭い光が走る。
「あっ……流れ星! お願いごとしなくっちゃ!」
ユメはパッと瞳を輝かせた。
“流れ星が消えてしまう前に三度願い事を言えれば、それが叶う”
さながら子供に読み聞かせる童話のような、なんの根拠もないゲン担ぎ。けれど、今のユメにとってはまさに奇跡の前触れだった。
両手を胸の前で固く握りしめ、ギュッと目を閉じる。
願いならたくさんある。アビドスの復興、借金の完済、どれも大切。
けれど、なによりも叶えたいのは──
「ホシノちゃんに後輩ができますように! ホシノちゃんに後輩ができますように! ホシノちゃんに後輩ができますように! ───やったぁ、言えた~!」
カッと目を見開き、ひと息に願いを三度唱える。
自分という不甲斐ない先輩を支えるために、いつも無理をして強がっているホシノ。
もし信頼できる新しい仲間が、可愛い後輩が増えたなら。きっと肩の荷も少しは下りるはずだ。
(そしたら、ホシノちゃんももっと笑って過ごせるようになるはず!)
自分のことよりもまず、先に大好きな後輩の幸せを願えたことにユメは満足感いっぱいの笑みを浮かべた。──もう、さっきまでのモヤモヤは消えてなくなっていた。
「えへへ、言えちゃった。これでアビドスも、ホシノちゃんも……?」
お祈りのポーズを解いて、清々しいため息をついたユメはふと、ある違和感に首を傾げる。
(……あれ? あ、あれれ……おかしいな。流れ星って、あんなにおっきくなるものだっけ?)
流れ星の願掛けが難しいワケ。
通常、流れ星というものは一瞬だけ夜空を滑り、そのまま闇の中に消えていくものだ。
だからこそ、願い事を三回も唱えるのは非常に難しい。
しかし、ユメが見つめる先にあるその光は、消えるどころか、むしろ刻一刻と輝きを増していた。
シュゥゥゥ……と、遠くで風を切り裂くような高い音が響き始める。美しかったはずの光は不気味なほどに輝きを増し、夜空を明るく塗りつぶすように視界を占領していく。
「え……? ええええ!? お、落ちてくるの!!?」
もはやそれはただの流れ星などではない。
大気圏で燃え尽きることなく、確かな質量と速度をもって地上へと突き進む、まさに“落下物”そのものだった。
しかも、その直線上の先にあるのは──間違えようがない、どう考えてもユメがいま立っているこの場所だった。
「ひやあああぁぁぁ!? に、逃げなきゃ──逃げなきゃ!!!」
いよいよ全身の毛穴が逆立つような恐怖に襲われ、ユメは慌てて背を向けて走ろうとする。
しかし、頭ではわかっていても体力の限界を迎えていた足が咄嗟の指示についてこない。
疲労と焦燥感から見事にもつれさせ、ユメは砂で覆われたアスファルトの上に転んでしまった。
「痛っ……! うぅ、立って、私の足!」
擦りむいた膝の痛みも忘れて立ち上がろうとするが、言うことを聞かない足は絡まるばかり。
半べそをかいて頭上を見やれば、月の光すら掻き消して廃墟街を照らす輝きがすぐそこまで迫っている。
死への恐怖で硬直したユメに、もはや逃げ場はなかった。
「ぅう……ホシノちゃん、ごめんね……っ!」
涙をぼろぼろとこぼしながら、きゅっと目を閉じ最悪の瞬間を覚悟する。──しかし。
ドカアァァァァンッッ!!!!
突如として響き渡ったのは、少し離れた場所からの爆風と破砕音だった。
奇怪なことに、衝突の直前で軌道を大きく変えたらしいその
激しい衝撃波が街中を駆け抜け、辺りの地面がグラグラと大きく揺れる。直後、砂嵐のような突風と瓦礫の破片がユメの全身を襲った。
「ひゃうんっ!!? ぐすっ、ゴホッ、ゴホッ……! な、なに〜〜!!?」
やがて衝撃の余韻が夜の砂漠へと溶け、重苦しい静寂だけが残される。
どうやら収まったらしい。そう判断して、口の中に入ってきた砂を吐き出しながら、ユメは恐る恐る顔を上げた。
「い、生きてる……っ!」
自分の体をペタペタと触り、五体満足であることを確認して胸を撫で下ろす。
落ち着──けない。命の危機が去れば当然、直後には強い困惑が襲ってきた。
「どういうこと!!? 流れ星って、ビルを壊すものなの……!?」
流れ星らしき不審な光が衝突したビル──商業施設跡は瓦礫の山となり、もはやかつての面影すら残っていない。
「……というか、お願いごとは!? こんなの頼んでないよ!!!」
誰がどう見たって大惨事なわけだが、幸いなことにここら一帯はとうの昔に使われなくなって久しい廃墟街である。
これほどの轟音と地響きがあっても、助けを呼ぶ声どころか様子を窺う人影すら出てこない。運悪く騒ぎに巻き込まれたのは、やはりユメだけだったのだろう。
「ひぃん……あちこち砂まみれだぁ……」
一頻り困惑して、ようやく落ち着いてきたユメは、涙目になりながら砂埃まみれの制服をはたいた。
髪には細かい砂粒が混じり、転んだ拍子に投げ出されたカバンも半分砂に埋もれてすっかり真っ白になっている。
(……それにしても)
さっきまで涙を浮かべて「もう駄目だ〜」と震えていた恐怖も、どこへやら。
改めて周囲の様子に意識を向けられるようになるにつれ、ユメはさっきまでの困惑とは別の感情がむくむくと湧き上がってくるのを感じていた。
好奇心と、それから言いようのない胸騒ぎである。
(なんだったんだろう……いまの……)
本来であれば、正体不明の飛来物が激突した現場など危険極まりない。二次災害の危険性だってあれば、有害な物質が漏れ出している可能性だって考えられる。
だが、ユメはそんなことお構い無しに流れ星の落下地点へと歩み寄っていった。
「ちょっと様子を見るだけ……見るだけだから……」
この恐ろしいほどの危機管理能力の欠如は、彼女のおおらかな性格に起因するものだろう。
深刻な状況を楽観視してしまうのは彼女の欠点でもあり、同時にどれほど絶望的な環境に置かれても心を折らずにいられる彼女の強さでもある。……それが物事を悪化・好転させるかは別として。
(あはは……もしホシノちゃんがここにいたら、絶対に止められてただろうなぁ……)
脳裏に、小柄な副会長の呆れた顔が浮かぶ。
『なに考えてるんですか先輩! 早く離れてください。……まったく、すぐこれなんですから』
そんな具合に銃を構えながら、自分の前襟を引っ張って引き留めてくれたはずだ。
しかし、いまここに頼れる後輩の姿はない。
ユメはひとり、好奇心とほんの少しの不安を抱えたまま、瓦礫の山へと足を踏み入れていた。
「うひゃあ……ぺっちゃんこだぁ……」
足元に転がるコンクリート片や剥き出しになった鉄筋を避けながら、ユメは落下地点の中心へと向かう。
(隕石なら、ひょっとしたらお金になるかも!)
希少鉱石を含む隕石であれば、興味を示して買い取ってくれそうなアテはいくつかある。
そんなわけで、あわよくば『あたくしは星の欠片ってやつです』とでも主張するような、ツヤツヤした黒い石ころを拾って帰るつもりでいた。
それでなくとも、隕石なんてものは普通に生きていては手に入ることのない貴重な品だ。最悪売れなくても記念くらいにはなる。
「んっしょ……ふう……あそこかな?」
月明かりを頼りに目を凝らして探すのは、ユメの知らない遥か遠く、宇宙を旅してキヴォトスにやってきた存在。
だが、流れ星の落下地点にあったのはそんなロマンチックな物体ではなかった。
「う……?」
なにか、異物がユメの目に映る。
どうやら瓦礫の隙間から、周りと質感の違うものが飛び出しているらしい。遠目にぱっと見て、少なくとも隕石ではないように思えた。
「え、と……なんだろう、あれ……」
ユメは首を傾げ、鉄筋でも瓦礫でもないそれをよく見ようと目を細める。──そして次の瞬間、その瞳をこれ以上ないほど大きく見開くことになった。
「ひっ……!?」
──腕だ。
白く、華奢な、彫刻のように滑らかで美しい人間の腕が、積み重なった瓦礫の隙間からすっと伸びている。
「まさか……ここに誰かいたの!?」
いかにヘイローを持つキヴォトスの住人といえど、ものには限度がある。人並みに打たれ強い方と自負するユメ自身、瓦礫に埋まってしまえば無事では済まないだろう。
それにもし、あれがヘイローのない普通の人間だったとしたら?
「た、助けなくちゃ……! 助けないと……っ!」
最悪の想像が頭の中で膨れ上がり、ユメの顔から血の気が引いた。
アビドスではあまり見かけないというだけで、キヴォトスにもヘイローを持たない──ロボットや獣人以外の住人がいる。不運な一般人がビルの倒壊に巻き込まれてしまった可能性だってなくはない。
「待っててね! いま助けるからね……っ!」
半ばパニックになりながら、ユメは瓦礫の山へと駆け寄り、無我夢中でコンクリートの破片を退け始める。
幸運にもビルの壊れ方がユメの救助作業に味方した。流れ星の衝突によって倒壊した際、一部の重量のある鉄骨や大きめのコンクリートがテント状に崩れ落ち、その上から比較的小さな瓦礫が積み重なっていたのだ。
(……身体が見えた!)
間もなく、隙間は小柄な人ひとりが通り抜けるのにじゅうぶんなほどに拡げられた。
「はぁ、はぁ……っ! よし、これなら……!」
無意識のうちに呼吸が浅くなるほど集中していたらしい。荒い息を整え、そして慎重に隙間の中へと手を伸ばす。
「いち、に、さん……っ!」
奥に横たわっている柔らかい感触に触れ、ユメは力いっぱい引き寄せた。
砂まみれの身体が地面を滑り、瓦礫の山から出てくる。
「ふう、ふう、ふー……や、やったぁ……!」
緊張の糸が解けたユメは、勢い余って尻餅をついたまま、救出した人物の顔を覗き込んだ。
「あ……」
そこにいたのは、少年だった。
「……男の子……?」
思わず語尾に疑問符がついてしまったのは、その容姿があまりにも儚げで、中性的な雰囲気を纏っていたからだ。
透き通るような白い肌に、作り物のような繊細な顔立ち。ホシノと同じか、あるいは少し年下にも見えるような幼さを残している。
パッと見ただけでは少女と見紛うような可憐さがあったが、薄汚れた首元に目をやると隆起しているのが確認できた。
アダムの林檎──または喉仏。容姿の幼さから妙にギャップが感じられるものの、ユメやホシノの目立たないそれよりも大きく発達している。成長期を迎えた男子の、立派な特徴だ。
(男の子……だよね。キヴォトスで男の子なんて、すごく珍しいなぁ……ううん、それ以前に……)
ユメは息を呑んで少年を見つめた。
少年の頭上に、ヘイローはない。もっとも、そこに関しては彼の意識がない以上、どちらとも断定はできないが。
しかし、これだけのことがあって少年がヘイローを持っていないタイプの人間というのは考え難い。
事実、少年は着衣──見た事のない制服が多少汚れてこそいるものの、肌には擦り傷一つついていなかった。
よほど強い神秘に守られているのか、骨折どころか打ち身をしている様子もなく、ただ気持ちよさそうに眠っているだけのように見える。
(……ああ、そっか)
ふと、ユメは頭の中で点と点が繋がるのを感じた。
「多分──ううん、きっと君なんだね、あの流れ星の正体は」
人間が、宇宙から落ちてきたと。
常識に当て嵌めてに考えるなら、それは突拍子もない話だろう。
けれど、ユメの心に疑念はない。
ホシノちゃんに後輩ができますように、と星に願った直後、夜空を切り裂いて落ちてきた不思議な光。その中にいた、意識のない少年。
流れ星に願った望みを、流れ星自身が叶えてくれたのだ。
「そうだ、きっとそうなんだ……」
少年に目覚める兆候は見られない。
(このままにはしておけないよね……うん、絶対に放っておけないよ……!)
ユメの中に根付いた、生来の善性と温かな母性が次の行動を起こさせる。
彼がどこから来たのか? なぜ空から落ちてきたのか?
気にならないと言えば嘘になる。けれど、理由なんてどうでもよかった。
小難しい話は、目の前で倒れている命を救った後でゆっくりすればいい。
「ホシノちゃんもいるしね。ひとりで考えるより、その方がずっといいよ」
ユメはひざまずくと、両腕をそっと少年の背中の下へ滑り込ませた。
そのまま横抱きにするように腕の中へ収めると、予想以上に彼が軽いことに気づく。
「これなら、いまの私でもなんとか運べそう!」
ユメは少年に向けて、ふわりと柔らかい笑顔を向けた。
「いっしょに帰ろうね──りゅーせーくん」
それは、夜空からの突然の贈り物である少年に対する呼び名だ。咄嗟につけたにしてはセンスがいいと自分を鼓舞し、ユメは瓦礫で足をとられないよう、慎重にビルの跡地から離れた。
ひとまず、目指すはアビドス高等学校の敷地内にあるユメが普段から寝泊まりしている小さな自室──もとい、生徒会室隣の空き部屋。
冷たい夜風が吹く中、ユメは自分よりも小柄な少年の体をしっかりと抱きしめ歩みを進める。
「ふぅ……ふぅ……ちょおっと遠いけど、がんばるからね……」
一歩踏み出すごとに、膝にズキリとした痛みが走る。今日のアルバイトで張り切りすぎて痛めた腰も、いまさら思い出したかのように悲鳴を上げていた。それでも今度のユメは立ち止まらない。
「りゅーせーくん、いま向かってる場所はね、アビドス高等学校って言ってね、私の大切で大好きな学校なんだよ」
静まり返った夜の街道を歩きながら、ユメは腕の中の少年へ、聞こえるはずのない語りかけを始めた。言葉にすることで、自分自身の疲労を紛らわせようとしているのかもしれなかった。
「それでね、うーんと……いまはちょっと貧乏で、砂ばっかりの学校なんだけどね。えへへ、驚かせちゃったかな……」
自虐的な内容のはずなのに、ユメの声色はどこか優しく、誇らしげですらあった。
「昔はもっと賑やかで、生徒もたくさんいたらしいんだけどね。今はもう、私と……副会長のホシノちゃんっていう、二人しかいないんだぁ。あ、でもね! ホシノちゃんはすっごく強くて、頼りになって、かわいい後輩なんだよ?」
ユメはふたたび、腕の中の少年に笑いかける。
「私、さっき流れ星にお願いしたんだ。ホシノちゃんに後輩ができますように──って。そしたら、君が落ちてきたの。男の子だし、生徒として入学してくれるかは分からないけど……でも、なんだか勝手に運命感じちゃったな」
砂漠の乾いた風に吹かれるたび、少年の髪は水面に映る星空のようにキラキラと揺れた。
「本当はね、私、生徒会長なのに全然ダメダメでさ。今日もバイト先でいっぱい怒られちゃったし、書類の書き方も下手っぴだし……いつもホシノちゃんに迷惑ばっかりかけてるんだ。……情けないよね」
寂しげに目を細め、ユメは小さく息を吐いた。
「でもね、私、諦めたくないんだ。アビドスを昔みたいに綺麗な街に戻して、ホシノちゃんが毎日笑って過ごせるようにしたいの。そのためなら、私、どんなことだって頑張れるんだよ」
ホシノというただひとりの後輩に対する、ユメの小さな誓い。失敗しても、悪党に脅されて泣きそうになっても歩みを止めない理由。
不器用で、要領が悪くて、騙されやすくて。それでも彼女がアビドスの生徒会長であり続ける理由は、この無償の愛と真っ直ぐな希望があったからだ。
「だからね、りゅーせーくん。君も安心していいからね。アビドスは貧乏だけど……砂と風をしのぐ屋根と、夜に温かい毛布くらいはあるから」
語りかけているうちに、視界の先にアビドス高等学校の巨大な──これで別館だというのだから最盛期は相当なマンモス学校だったのだろう──校舎が見えてきた。
月光に照らし出さの影はどこか寂しげだが、ユメにとってはかけがえのない我が家だった。
勝手知ったる校舎の通路を抜け、ユメは自室のドアを開ける。
「ふいぃ、ついたよ〜」
室内は質素そのものだった。古びたベッドと、使い込まれたデスク。壁には手書きのポスターや、ホシノと一緒に撮った写真が飾られている。
「よいしょ……っと!」
ユメは砂で汚れるのも気にせず、そっと少年をベッドの上に寝かせた。学校の備品を使い回した安物のマットレスだが、砂の上よりは遥かにマシなはずだ。
「いろいろ準備するから、ちょっと待っててね」
少年の靴を脱がせ、ぬるま湯で湿らせたタオルを持ってくると、彼の顔や手に付着した汚れを丁寧に拭き取った。
そうしてユメの手ですっかり綺麗になった少年の顔立ちは、月明かりの下でいよいよ浮世離れして見えてくる。
「う~ん……傷はないみたい。よかったぁ……」
安堵もそこそこに、キャビネットから毛布を取り出し、少年にしっかり掛けておく。
(あっ……腰が抜けちゃった……)
ひと通りの作業を終えると、ついにユメはその場に座り込んでしまった。
もう指一本動かす力も残されていない。全身の筋肉が疲労で悲鳴を上げ、激しい眠気が波のように押し寄せてくる。
「はぁ〜……疲れたぁ……」
ユメはベッドの脇に顎を乗せ、作り物のような少年の寝顔をじっと見つめた。
(明日……ホシノちゃんに見つかったら、なんて説明しようかなぁ……)
早くも後輩の呆れた顔が目に浮かぶ。
『ユメ先輩……まさかバイト帰りに他所の自治区から男の子を誘拐してきたとか言わないでしょうね?』
『ひぃん……ち、違うよホシノちゃん! この子は空から落ちてきた流れ星で──』
『はいはい、夢を見るのは寝てからにしてくださいよまったく……犬猫じゃないんですから、人間なんて気軽に拾ってこないでください!』
そんなやり取りが容易に目に浮かび、ユメは思わずクスッと小さく微笑んだ。
怒られるかもしれない。困り果ててしまうかもしれない。けれど、明日になれば、また新しい一日が始まる。
この砂ばかりの止まった世界に、ほんの少しだけ新しい風が吹き込んできたような、そんな予感がユメの胸を小さく躍らせていた。
「おやすみなさい……りゅーせーくん。良い夢をみてね……」
少年の手にそっと自分の手を重ね、ユメはゆっくりと瞼を閉じる。
窓の外では変わらず冷たい風が砂を運んでいたが、この小さな部屋の中だけは、どこか優しく穏やかな時間が流れていた。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
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██:Hello, world!
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なお、諸々の引用は都合のいい部分を都合よく使っちゃってるだけなので、この作品に宗教要素は皆無です。
追伸:あともう1話だけユメ先輩視点が入って、それから主人公視点になります。