「ただいま。飲み物を持っていくわ。二階に上がってて?」
「お、おじゃまします」
誰も居ない暗い家に明かりをつけていきながら、私は凛を二階の自分の部屋へと促した。お化け屋敷を探検するかのように身を縮めながら歩いていく凛だけど、扉の前にはネームプレートを掛けているから迷うことはないと思う。一人台所へ行き適当にジュースとグラスを盆に乗せると、そこでようやく一息付く。
「……ふぅ、やっと家に着いた 」
ほんと凛ったら、私の予想以上に人の視線を集めるんだから、横にいる私が気疲れしてしまう。あれだけ可愛い子がにゃあにゃあ言いながらはしゃいでいたら、そりゃあ人目にも付くわよね。挙げ句の果てには、最後に立ち寄ったカフェで後ろの人たちに同性カップル扱いされるし。
「カップル、か……」
カップル、彼女、ガールフレンド、アベック……って、これは古いか。私と凛がカップル……
「いやいやいや、ないないない」
邪念以外の何物でもないその考えを私は振り飛ばす。それこそ花陽のほうがお似合いじゃない、幼馴染だし。って、そういう話じゃなくて。
「真姫ちゃーん! 遅いにゃー!」
「わわわ……っ!!」
凛の声で我に帰る。あの店を出てからというもの、どうも調子がおかしい。急いで盆を持ち上げると、私は台所を出て階段を駆け上がった。
「おまたせ。適当にオレンジジュースを注いだけど、他に飲みたいものがあったら……あっ」
部屋に居た凛は、机の上に飾ってあった写真立てを手にしていた。あのファッションショーの時に撮った、ウェディングドレスに身を包んだ凛とタキシード姿の私とのツーショット写真。
「真姫ちゃん……これ……」
「わーっ!!! 違うの! いや違うくないんだけど、そそそ、そう! これは日替わりよ!」
「なるほど! つまり今日は凛の日ってことかにゃ! 凛がお泊まりする日だもんね!」
……どうにか誤魔化せた。昨日で掃除は徹底したはずなのに、写真立ては盲点だったわ。深読みはされていないみたいだし、とりあえず安心ってとこかしら。……安心? 何を?
「真姫ちゃんのベッド、ふっかふっかにゃー! おー、枕から真姫ちゃんの匂いがする!」
「こ、こら凛! 埃が立つから止めて! 枕も返しなさい!」
凛の手から枕を奪い取った私は、ベッドの上で凛と対峙する。すると怪しい手の動きをさせながら凛が私に迫ってきた。希から体得したと思われるそれからは、確かな恐怖しか湧かない。
「ちょっと、いい加減にしないと課題見せてあげないわよ!」
「にゃっ、それは困るにゃー……」
耳があったら垂れていそうなくらいしょんぼりとする凛。罪悪感に苛まれるけど、貞操を守る為ならそうも言ってられない。
「まずはお風呂に入って、そこから夕ご飯よ。その後に私のお古を幾つか試着してもらって、最後に勉強ね。いい?」
◆
思いの外、凛が課題をやっていない範囲が多くて、試着を次の日に回し先に課題に取り掛かった。そして熱心に教えていたせいか、気付いた時には時計の針はとっくに頂点を過ぎていた。凛もうつらうつらと舟を漕ぎ始めたことだし、これ以上は効率が悪いと判断した私は、渋々と凛の欲求もとい要求を飲むことにする。
一発だけデコピンをかました後に、身悶える声を聞きながら敷布団を準備するために部屋を出た。客人用の寝室もあるにはあるのだが、凛に対してはその選択をする必要がない。
両腕でなんとか抱えきれる程度の寝具一式を持って部屋に入ると、凛は既に私のベッドの中に潜り込んでいた。身動きをしていないあたり、もう寝ているのかもしれない。そんな凛をわざわざ起こさないように静かに布団を敷き始めると、しかし残念ながら彼女は起きてしまう。
「ごめん起こしちゃった? もう用事はないから寝てていいわよ。ただし試着は明日の朝にするからね」
「違うにゃ。真姫ちゃんがベッドに入ってくるのを待ってたんだよ! ほらはやくはやく!」
顔と片手だけを出した凛は、さながら招き猫のように私を呼ぶ。同じ布団で寝ることを予想していなかった私は、反応が追いつかずにきょとんとしてしまった。
「い、意味わかんない」
「せっかくお泊まりに来たのに、一緒に寝ないなんてあり得ないにゃ! かよちんとはいつもそうしてるよ!」
「……そう、花陽とはいつもそうしてるのね」
少しだけ、本当にほんの少しだけ、心の中にもやがかかったような気がして、私は押し黙ったままベットの中に潜り込んだ。急に様子が変わった私を見て不安げな表情をする凛の頬を、両手でしっかりと抓る。
「あいだだだだだだだ!」
涙目になる凛がとてつもなく可愛いけど、跡が付くと可哀想なのでほどほどで程々で手を放してあげる。
「ごめん、つい」
「つい、でほっぺを抓られたらたまったもんじゃないにゃ! 凛怒ったよ! もう寝るにゃー!」
りすみたいに頬を膨らました凛は、そのまま私にそっぽを向いて寝てしまう。いちいち仕草が可愛くて思わず後ろから抱きしめたくなるのだけど、流石にそこは思い留まった。意思が固いのかそれとも本当に寝てしまったのか、凛は一向にこちらを向いてくれない。
ぼーっとしたまま十分程経った頃に、寝てしまって聞こえなかったならそれでいいと、私は一つの質問を彼女に投げかけた。
「――凛の昔話が聞きたいな」
それは今回、凛を誘った本当の目的。それはショッピングをして凛を飾り付けるのでもなく、家で凛の課題を手伝ってあげるのでもなく、ただこの質問をしたかっただけ。この質問の意味するところは、恐らく凛が一番知っていると思う。
「…………凛の昔話なんて、面白くないよ。……それよりも真姫ちゃんの昔話を聞きたいにゃ」
背中を向けたまま、凛がそう言った。一見するとさっきの流れからただ不機嫌を示しているだけのように見えるけど、実際は違う。
「私が話したら、凛も教えてくれる?」
「だから凛の話なんて面白くもなんともないにゃ。幼稚園からかよちんと一緒にいて、小中と今みたいにわいわい過ごしてきて、はい終わり!」
「もっと詳しく聞きたいのよ。なによ、せっかく丸一日お世話してあげたのに、少しぐらい付き合ってくれてもいいじゃない」
わざとらしくため息をついた私は、凛と同じように彼女から背を向けてみせる。話を聞き出すためとはいえ少し意地悪な仕打ちだけど、しかし背に腹は変えられない。誰に聞かれても話したがらない、凛の昔話。
「……じゃあ、真姫ちゃんから教えてくれたら、仕方ないから話してあげる」
「そう? なら話すわね。うふふ、お泊まりの醍醐味はやっぱりここからよね。まずは幼稚園から始めようかしら──」
あくまで軽い感じを出しながら、私は自分語りを始めた。小さい頃から複数の習い事に通わされて、友達が少なかったこと。それでもピアノだけは楽しくて好きになって、高校受験と同時に教室を辞めてからもずっと続けていること。父親からは音楽を止めて学業に励むよう言われたこと。もっと学力の高い高校にも行けたけど、親の意向で音ノ木坂に来たこと。
まさに私の半生を簡潔に凛に語った。途中で寝落ちするだろうなと踏んでいたものの、凛は最後まで真剣に聞いてくれて、少し嬉しくなる。
「そして未練がましく音楽室でピアノを弾き語っている時に穂乃果に見つかって、個人的にも色々あってμ'sに加入したのよ。ま、凛と花陽と仲良くなるきっかけにもなったし、結果オーライだと思っているわ」
一呼吸おいて、私はこう続けた。
「もちろん私を受け入れてくれた凛と花陽には感謝してる」
「感謝だなんてそんな、凛たちは大したことしてないにゃ」
「大したことしてるのよ。私みたいな、話しかけるなオーラを出している人間にも気さくに話しかけられる人なんて、そうそういないんだから」
面と向かって感謝され恥ずかしいからなのか、凛はうつ伏せになり私の枕に顔を埋めた。そんな私は今、部屋のクッションを枕代わりにしている。うつ伏せになったまま身動きをしなくなった凛だけど、私は敢えて何も行動を起こさなかった。凛が自発的に語り出すのを、静寂の訪れた部屋の中で静かに待つ。
「……幼稚園の時にね、凛はかよちんと出会ったの」
彼女の、本当の彼女の、物語。
「きっかけはよく覚えていないけど、気付いたらそばにいたんだ」
思い出しているのか、はたまた言い辛いのか、凛の口から一言一言がゆっくりと出てくる。
「かよちんはあまり外で遊びたがらなかったけど、凛は身体を動かすことが大好きだった。まあそれは今も変わらないんだけど、とにかく中でも外でも走り回っていた」
容易に想像できるその姿に、私の口角は自然と上がる。
「幼稚園の頃はスモックがあったけど、小学校にあがると特に指定もなかったから、自然と動きやすい格好をするようになった」
「……それが『男の子らしい格好』ってことね」
「うん。スカートだと引っ掛けちゃったりするからね。……でもね、ある日思い立ってスカートを履いて学校に行ったの」
あぁ、花陽が話していたあの話かと、私は内心で理解した。そういえば凛は、私が既に知っているということを知らなかったわね。
凛が変化を迎えた日から少し前、二年生組が修学旅行に行っていた期間の帰り道での出来事。あの日の凛は、自分に向けられた期待に耐えられなくなっていた。そして私たちの凛に対する評価を頑なに拒み、自分を下げて相手を上げることに躍起になっていた。
「登校中に会った男の子たちにさ、案の定笑われちゃったよ。指をさされて、馬鹿にするように通り過ぎて行った」
「小学校は変化に敏感だからね。凛がいつもと違う格好をしてるから、反応せずにはいられなかったのよ」
男の子とよく遊んでいた凛なら特にそう。その男の子たちには、気になる子は苛めたくなるといった気持ちも少なからずあったはず。異性を気にし始める小学生なら特段珍しいことでもない。
「今の凛でも、そうなんだろうなとは思うよ。けど、その時の凛には重い出来事だった。自分の姿が恥ずかしくなって、人の目が気になって、世界のみんなに笑われているように思えて、かよちんを置いて家に逃げ帰ったの」
逃げ帰る。
凛があえてこの表現を選んだのには理由があるように思えた。僅かにだけど、本当の凛への緒が見える。私は凛に先を促す。
「自分の部屋で鏡を見てさ、凛、驚いちゃった。真っ赤に泣き腫らした目と、くっしゃくしゃな顔をした子が、スカートを履いて立っているの」
凛は矢継ぎ早に自虐の言葉を並べていく。
「全然似合ってもないのに、全然可愛くもないのに、それこそ横にいたかよちんのほうがかわいいのに、凛はなんでこんな格好をしてるんだろうって。それからは私服でスカートを履くことはなくなった」
「……………………」
当時の凛の心境を考えると、直ぐには言葉が出てこなかった。喉から胸にかけて、かぁっと熱くなってくるのがわかる。自分の抱えていた不安と、それが顕著に表れてしまった鏡の中の自分。一人で悩み、一人で傷付いた凛は、その鏡の中に何かを閉じ込めた。いや、凛の言葉を借りるなら、鏡の中に『逃げた』のほうが正しいのかも。
「……なるほど、ね」
また部屋から声が消えた。きっと今まで花陽にも話したことがない話を、今私にしている彼女は一体何を考えているのだろう。それは凛だけが知っていて、私の推測できることではない。
……そろそろ頃合かしらね。これから凛の体に複雑に絡まってしまった糸を、一本一本解いていく。もがくうちに毛糸にくるまってしまった猫を、私が救い出してみせる。
「……凛はさ、花陽に憧れてるんじゃない?」
「…………っ!!」
凛の女の子への憧れというのは何処から来るのかと、以前考えてみたことがある。普通の女の子なら、普通の女の子である限り、普通の女の子であるはず。要領を得ない表現だけど、つまり可愛い服を着て、お洒落に興味を持ち、男の子を気にするというのが女の子としての普通になる。ところが凛は、物心が付いた頃から男の子同然に遊んでいた。一般的に小学校中学年にでもなる頃には、自分と異性との違いを実感し、異性としての道を歩む。凛を取り巻く環境は、それを許さなかった。