星空凛は猫を被りたい   作:Kano

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後編

 花陽という、幼馴染であり親友の女の子がいた。アイドルを目指す、女の子を目指す、ませた女の子がいた。自分の全く知らない世界に憧れを持つ、大人びた女の子がいた。自分が男の子の遊びをしている間に、花陽は女の子として一つ先を行く……いや、正負真逆を向く彼女たちの差は大きかった。花陽に誘われ一緒になってアイドルの映像を見るたびに、自分と花陽の違いを朧げながらも理解していった。

 

 「そして凛は、花陽のファンでもある。いわゆるファン第一号ってとこかしら?」

 「……よく知ってるね。そうだよ。凛はかよちんの親友でもあり、ファンでもあるの」

 

 女の子がスカートを履くことは、当然であり不思議な話ではない。しかし凛にとっては特別な話だった。それは普段しない格好だからではなく、花陽への憧れとして、花陽というアイドルへの憧れとして、そして女の子への憧れとして、あくまで真似事のようにスカートを履いたのだろう。さながら年頃の女の子が、アイドルの髪型やメイクを真似するかのように。それ故に、男の子に笑われたというショックは大きかったはず。

 

 「かよちんは凄いんだよ? アイドルへの情熱っていうのかな、自分を可愛くするだけじゃなくて、それこそ研究熱心なんだ」

 

 花陽を自慢する凛の顔は、とても嬉しそうで、そして寂しそうだ。

 

 「同じDVDを何度も見たり、ショップにも凛を引っ張って行ったり。だからにこちゃんに出会えたのは本当に良かったんじゃないかな?」

 

 凛はいつでも花陽を凄いという。花陽も凛をよく褒めることから、それは一見お互い様のように見えるが、凛のそれには憧れを孕んだ応援の意味が強い。

 そう、凛にとっては花陽が中心であり、地球であり、大地であり、凛自身は周りから包み込む小さな星の一つなのだ。舞台に立つアイドルを応援する為に揺れる、黄色いサイリウムの一つ。

 そして凛はよくこう口にする。自分には似合わないから、端っこだから、みんなと一緒だから。

 自分に自信のない言葉のように聞こえるが、今となっては違うように捉えられる。

 花陽が一番似合うから──、花陽が目立つように──、花陽と一緒だから──。

 

 「でも花陽がμ'sに入るときは、凛が引っ張っていたじゃない」

 「あれは……、かよちんがアイドルになる為の折角のチャンスだったから」

 「まるで花陽のプロデューサーみたいね」

 「あはは……。凛はかよちんの親友でファンでプロデューサーなんだね」

 

 凛と真姫の視線が交差する。涙こそ流してはいないものの、伏し目がちな凛のその瞳は、たまに見せる潤んだ瞳よりも泣いているように見えた。そしてその裏にある意志を、真姫は明確に読み取ることができた。

 

 「凛は将来何になりたいの?」

 「将来? うーん、なんだろ。それこそかよちんのプロデューサーかな? マネージャーさんでもいいかも!」

 「…………違うでしょ?」

 「……えっ?」

 「違う。凛の在るべき姿はプロデューサーやマネージャーなんかじゃない……」

 

 どうして苛立ちが起こっているのか、今の真姫には理解できていないが、その語調は自然と強くなっていく。

 

 「凛は、女の子になりたいんじゃないの?」

 「突然どうしたの? 真姫ちゃん」

 

 凛の眼が猫のようにまん丸になる。その顔は驚いているようで、しかし質問の意図を理解しているようでもある。

 

 「凛は、アイドルになりたいんじゃないの?」

 「いや……そんなはずが……。凛はかよちんに引っ付いて加入しただけで」

 

 おそらくμ'sの誰一人としてまだ誰も気付いていないであろう、凛の加入理由。時折見せる凛の引っ込み思案な行動と、そして花陽の性格から導ける凛の思惑は一つだった。

 

 「凛は……自分を変えたかったのよね?」

 「……………………」

 「別に取って食おうってわけじゃないのよ。ただ凛のことが知りたいなって」

 「…………そこまでわかってるんだもん。もう真姫ちゃんは凛のことよく知ってるよ」

 「それは違うわね。全部憶測で言ってるだけ。それこそ人の気持ちを察することなんて、人と接してこなかった私にはできないことだわ。だから……凛の口から詳しく聞きたいな」

 

 再び訪れた静寂。普段はさほど気にならないのに、カチリコチリと置き時計の刻む音が耳にうるさい。真姫は今、ただ凛の声だけに集中したかった。

 

 「……実は……さ。凛って、あがり症なんだ」

 「……へぇー、意外ね」

 

 予想もしていなかった単語に、真姫は素直に驚いた。内気な花陽ならともかく、あの元気な凛本人が自分をあがり症だと言うのだ。

 

 「そうなの。かよちんにも言ったことないし、たぶん気付いてないと思う」

 「でも凛って陸上部だったんでしょ? しかもそれなりに大会で結果を残してたって聞いたわ」

 「あまり覚えてないけど、何個か賞は貰ってるね。……その陸上の引退試合で、自分があがり症だって自覚したんだ──」

 

 真姫は、凛の引退試合での出来事を事細かに聞く。初めて他人の期待を背負ったことを自覚し、そして期待に添えなかった悔しさで、凛は自分でも驚くほどに泣いたという。星空凛はただ、本当に走ることが好きだから走るだけなのだろう。勝負事なんて、ましてや他人の視線なんて二の次。

 

 「そのあがり症を克服するために、μ'sに入ったの。みんなの前で歌って踊るなんて、相当な勇気がいるんだよ?」

 

 それなら真姫だってそうだった。音楽室でこそこそ弾き語りをしていたような女子が、人前で歌うなんて。その上、素人がアイドルの真似事をしてダンスをしてみせるのだから、人によっては真姫たちを見ているだけで恥ずかしい気持ちになるだろう。

 

 「……………………」

 

 真姫は凛の話のどこかに引っかかっていた。あがり症と言うわりには、ファーストライブから今まで、大きな失敗した凛を一度も見たことがない。本人が言うのだからあがり症なのは間違いないのだろうけど、しかしそのまま陸上を続けていても克服には繋がるはず。つまり……

 

 「……それで? 建前を話したところで、本当の理由を聞きたいわね。凛の本当の目的」

 「まったく……真姫ちゃんには敵わないな」

 

 真姫にそう言われることはまるでわかってたかのような口調で凛は言う。はなから全てを話すつもりでいたようだ。

 

 「本当の、凛がμ'sに加入した本当の理由は、かよちんを越えるためなの」

 

 唯一無二の親友である、花陽を越える。

 

 「……アイドルを目指す花陽を越えることで、自分がより女の子に近づけると思ったのね」

 「かよちんは逃げない子だった。自分のできないことだって知ってても、絶対に逃げなかった。例えばアイドルだって、上手く踊れないってわかった後でも、さっき言ったようにDVDとかで研究することで、できることを見つけていった」

 

 お世辞にも踊りが上手いとは言えない花陽。それはおそらく小学生の頃にでも本人が自覚していただろう。アイドルにとって踊れないことは致命的と言える。しかし花陽は別の手段を取ることで、アイドルになりたいという夢を追い続けたのだ。

 

 「そして凛も、周りの女の子と自分が違うことはわかってた。でもね、あの日以来、凛は逃げたの。女の子になるっていう夢から」

 「……私だって、たまたまピアノが自分に合ったから続けているだけで、途中で限界を感じていたならそこで辞めていたはずよ。……まあ、例え辞めたくてもやめられない立場だったけどね」

 

 慰めにもならない話しかできない自分を、真姫は悔しく思う。しかし真姫の中で、今の凛の言葉ではっきりしたことが一つあった。

 男の子たちに弄られ家に帰った時にも使った『逃げる』という表現。これは花陽と凛自身を比べた結果に出てきたもの。

 『逃げない』強さを持つ花陽に対し、『逃げる』選択肢を取った凛の抱えるコンプレックスは、もはや言うまでもない。

 

 「どこかで納得したつもりだった。もう諦めていたつもりだった。でも、音乃木坂に入学して、かよちんがμ'sに興味を持ち出して、また引っかかっちゃって」

 「それで陸上部を蹴ってまで、花陽の側で、花陽を越えることにしたのね」

 「……ははっ。なんか、気持ち悪いよね、凛って」

 

 そう言って凛は自虐した。どこか狂気じみても見える凛の花陽に対する執着心というものは、もはや周りの人たちの尺度で測ること自体が間違っている。彼女たちが築いてきた関係というものは、ただの幼馴染で片付く話ではない。

 

 「同じ土俵で戦おうとすることに、何の気持ち悪さがあるっていうのよ。μ'sに入ることが花陽にとってアイドルになる最善手と言うなら、それは凛にとって女の子になる最善手とも言っていいんじゃない? それに……」

 

 悪戯っぽく笑って、真姫は凛の頬をつねる。

 

 「入学してから毎日のようにぼっちでピアノを弾き語ってた私に、勝る気持ち悪さがありまして?」

 「……うぇー。まひひゃん、痛いにゃー」

 

 ようやく凛の語尾がいつも通りに戻った。真姫が少し冗談を言ったことで落ち着いたのだろう。

 

 「凛に足りないものは自分の持つ魅力に対する自信だけよ。凛はそこいらの女の子よりかは格段に可愛いんだから、凛が否定し続けるなら私が肯定し続けるわ」

 「真姫ちゃん……」

 

 凛の持つ闇は深い。自分が何かを言ったところで変えられるものは何もないのだと、真姫は自覚した。せめて真姫ができることは、凛という曖昧な存在を肯定することと、もう一つ。

 

 「よーっし。凛、今すぐ服を脱ぎなさい。私の服で、凛が可愛いことを改めて自覚させてあげる!」

 

 真姫は布団を蹴り飛ばした。突然肌に触れる寒気に、凛は体を丸くする。聞き方によっては勘違いされかねない発言をした真姫は、無言でガタガタとクローゼットを漁る。しばらく黙って眺めていた凛は、何か吹っ切れたように指示通りに動いた。

 

 「──ほら、やっぱりこれとかよく似合ってるじゃない」

 

 真姫が凛に着せたのは、至ってシンプルにワンピースだった。真姫が中学生の頃に少し着ただけというそのワンピースは、凛らしい薄い黄色のシフォン生地をしている。恥ずかしそうにスカートの端を掴む凛をシャンと立たせた真姫は、凛の両肩に手を置いて鏡を覗き込んだ。

 

 「凛は難しく考えるより、これくらい単純でいるほうが似合ってる。変に着飾ろうとしないで、ありのままに生きなさい。元気にはしゃぎ回る、そんな凛が私は好きよ」

 

 真姫は凛から少し離れ、鏡には凛だけが映るようにした。

 

 「……私にできることは、凛を可愛く見せるためにお手伝いするだけ。衣装はことりに任せるとして、私服は私に任せなさいね」

 

 恐る恐る鏡の中の自分を見ていた凛は、その場でくるりと回る。

 

 「……かわいい」

 

 凛の口からその言葉が漏れた。

 

 「……っ!」

 

 華奢な脚を見せているスカートをひらつかせながら、控えめにくるくる回る凛を見て、真姫は少しときめいた。普段からは考えられない大人しさを見せる凛は、しかしいつもの凛よりも魅力的に見える。まるで、凛自身がそう望んでいたかのように。

 

 「……ふふっ」

 「にゃっ! やっぱり凛、可笑しいかにゃ?!」

 「いいえ、違うわ。凛のことをよく知れて嬉しいのよ。……そうだ、今度一曲書いてあげる。元気いっぱいの凛のイメージソング」

 

 そう言いだした真姫には、既に曲のイメージができあがっていた。あとは海未と相談して形にするだけのところまで構成は固まっている。スクールアイドルとしての、いや、アイドルとしての、はじめの一歩となるような曲。

 

 「ほんとにほんとに?! どんな曲になるの?」

 「そうね、詳しくは秘密だけど、コンセプトは『女の子初心者』よ」

 「あー! また凛のこと女の子初心者って言ったー!」

 「うふふ、馬鹿にしているわけじゃないわ。……さあ、残りの試着はもう明日にして寝ちゃいましょ」

 「よーっし! じゃあ、真姫ちゃん、寝るにゃー!」

 

 

 

 

 『星空凛は猫を被りたい』


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