山百合荘殺人事件   作:山菫

1 / 19
山百合荘殺人事件

 

 

ガタンガタンと山間を一両編成の電車が進む。

 

 車窓から覗く景色は、台風が近づいているせいだろうか、どこか重苦しかった。ずっしりと重さを感じさせる鉛色の雲が空を覆い、深い木々がわずかな光さえ遮っている。

 

「ったく、やっとの休暇だってのに、台風さん空気を読んでどっか行ってくれないもんかねえ」

 

 そうボヤく男は冴山健二(さえやまけんじ)、42才の刑事をやっている男だ。刑事らしい鋭い目つきとは裏腹に、どこか人の良さそうな顔をしており、体つきも年齢の割にはがっしりとしている。長い勤務で少々くたびれたスーツ姿だが、今日は休暇ということもあり、本人はいたって上機嫌だった。

 

 やがて、山間を抜けると遠くに海が見える。周囲を山に囲まれ、ポツン、と開けた場所に少数の集落。そして、その先にあるオンボロ、もとい趣のある旅館がこの旅の目的地であった。

 

 

 無人駅を降りると、人っ子ひとりいない。タクシーも見当たらない。

 

「こういう場合は……、おっ、あったあった」

 

 駅に設置されている公衆電話を見つけると、そこに貼り付けてあるタクシー会社へ電話する。

 

「あぁ、どうも。タクシーを一台お願いしたいんですがね、えぇ、沈奴駅(しずまぬえき)です。えぇ、ではお願いします」

 

 タクシーを頼み一息ついていると、一際(ひときわ)強く風が吹き抜ける。台風特有のじっとりと湿った風が、電車で凝り固まった体を揺らす。まだ雨は降っていないが、これから行くぞと、台風が予告しているようであった。

 

「はー、やだねえ。宿につくまで持ってくれりゃあいいんだが」

 

 やがて、一台のタクシーがやってくる。

 

 

 年季の入ったタクシーを運転するのは、これまた年季の入った、いや、頼りになるベテランの風格のある白髪の運転手であった。

 

「お客さんどちらまで?」

 

「あぁ、どうも。旅館山百合(やまゆり)までお願いしたいんですが、わかりますかね」

 

「あー、大丈夫ですよ。ですがお客さん大丈夫かい、上流でだいぶ降ったみたいで今はまだ通れるけど、あそこの旅館に繋がる唯一の橋、いつ通れなくなるかわからないですよ?」

 

「あぁ、大丈夫、大丈夫、なんなら帰れないほうが休暇が伸びて得したってもんなんで、なんせ一ヶ月ぶりの休みだからね」

 

「あはは、苦労なさってるようで」

 

 そんな会話をしつつ、車は海沿いを進んでいく。今日の宿である山百合(やまゆり)は、陸の孤島のように川で切り離された土地にある。元は小さな集落があったようだが、このご時世でどうやら集落は人がいなくなり、旅館だけが残されたようだった。

 

 だが、何が功を奏するか。陸にありながら孤島のお宿などと、取り沙汰され、客にはあまり困っていない様子。

 

「やっぱり、アレかい? 話題の旅館だし、こうして運ぶ客は結構いるのかい」

 

「えぇ、有難いことに。うちが唯一すぐ行けるタクシーですしね、テレビの影響でしょううね。昨日も二組乗せましたよ」

 

「あぁ、俺もそれを見たんだ。料理が美味いって話だし楽しみだねえ」

 

 最近放送されたテレビの影響か、そこそこ訪れるものはいるようだ。

 

「自然しか無いこんな場所ですが、楽しんでくれたら嬉しいですねえ。まあ、こんな天気ですがね」

 

 そう朗らかに笑う運転手を横目に、今夜の料理を想像し、期待に胸をふくらませるのであった。

 

 

 そうこうしていると、例の橋にさしかかる。妙に低い。普通、橋というのは一段上がって渡るものだが、この橋は一段下がって渡る。すでに水かさが増した川がスレスレに見える。

 

「こりゃあ、珍しい橋ですな。一段下がってる。これじゃあ橋が沈んじまいそうだ」

 

「そうなんですよ、川幅があるからまだ大丈夫でしょうがね。ですが、その分頑丈に出来てるらしいんですわ」

 

 なるほど、これがいわゆる沈下橋というやつに近いのかもしれない。

 

 そう思い、ふと坂の上に目を向ける。

 

「あれが山百合(やまゆり)かい?」

 

「えぇ、そうです。天気が良ければあそこから海が一望できてねえ……」

 

「あはは、私は食い気のほうが強いですから、いやぁ噂の料理楽しみですわ」

 

 運転手の気遣いを受け、殊更(ことさら)明るく振る舞い、車内の空気を和ませる。 

 

 

 

 そうしていると、今日の目的地のお宿・山百合(やまゆり)へたどり着くのであった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定