呪骸の君:人傀儡の名家   作:胡らん

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ギターケース・イン・ザ・ドール

 

 

 東京都立呪術高等専門学校。東京の郊外に位置する山間にある日本の呪術師の重要拠点。緑の自然とハリボテの和風建築に囲まれた石畳の道をサングラスをかけた大柄な男と目元を包帯で覆った男が高専の正門に向かい歩いている。

 

「まさか入学まで一ヶ月も先なのにもう入寮してくるなんてね。学長もよく認めたよね? 」

 

 包帯の男が隣を歩く男に軽い調子で問いかけた。

 

「あちらさんのたっての希望だ。無下にはできん」

 

「あらら、学長もやっぱり怖いの」

 

「揶揄うな。お前が受け持つ事になる生徒でもある。まぁお前ならあの家の無茶も跳ね除けられるだろうが」

 

「そうでもないよ。五条家といえど、いや、御三家や総監部の事だって人塚家は歯牙にも掛けないよ」

 

 包帯の男は軽薄さを収め真剣な声で語った。

 

「……人塚は加茂や禪院家以上に排他的で総監部以上の秘密主義。なぜ今になって高専に一族の子を入学させるのか……悟、何か聞いてないか? 」

 

「残念だけど聞いてないよ。でも大方の予想はつくよ、人塚家は一族以外の者には冷たいけど、僕達御三家や他の名家と違って身内に甘いからね」

 

「身内に甘いか……それで『高専の環境に慣れさせる為に入学前に学生寮に入寮させたい』か」

 

 学長と呼ばれる男は思案するように顎に手をそえた。

 

「そそ。家族愛が強いんだよあそこは。それに学長だっていい機会だと思ってるんでしょ。人塚の"人傀儡"……調べられるチャンスじゃん」

 

「どうだろうな、"人傀儡の術"はあの家の秘伝だ、そう簡単に調べられる筈もない。それは御三家のお前が一番よく分かっているだろう」

 

「まあね、何にせよ良い子だといいね」

 

 新入生の入学まで一ヶ月ある中、三月の暖かな日差しと冷たい風を受けながら歩く夜蛾正道と五条悟の瞳には木造の立派な正門と、その門の下で二人を待つ一人の少女の姿。

 

「もう付いてる。早いねぇ」

 

 感心したような面白いようなそんな声色で五条は呟くと夜蛾と二人少し歩く速度を速くして少女の下に向かう。

 

「やあこんにちは。はじめまして僕は君の担任になる予定の五条悟。こっちは 」

 

「学長の夜蛾だ」

 

 上下黒の高専の制服を着た少女は正門を通り抜ける風で靡くウェーブの掛かったセミロングの黒髪を抑えながら二人を見て挨拶する。

 

「はじめまして。これからお世話になります。人塚使鈴(しりん)ですよろしくお願いします」

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 私の目の前に立つ二人はとにかく大きかった。私の身長が160センチだから、二人は180センチ以上、いや五条悟は190センチはあるかな。

 まあ、とにかく見上げなければ二人の顔が見えないくらいの身長差があった。

 夜蛾学長も五条悟も私は知っている。私が一方的に知っているだけだけど、呪骸を扱う呪術師ならその名を知らない者はいない夜蛾正道に御三家の一つ五条家の当主で現在の呪術界で最強の特級術師、五条悟。

 学長はともかく五条悟は聞きしに勝る変わり者っぷりだな。

 へらへらした表情に目元を隠す包帯。六眼を隠しているのか?

 

 ともかくちゃんと挨拶しないと。

 

「はじめまして。これからお世話になります。人塚使鈴(しりん)ですよろしくお願いします」

 

「うんうん。よろしくね! 待たせちゃったかな? 」

 

「いえ。私も今きたところですから」

 

「制服似合ってるね、スカートじゃないんだ珍しい」

 

「スカートだと動き辛いので、ショートパンツ型にしました。校則でも制服の改造は禁止されていませんよね、学長? 」

 

 私は学校に通うのも初めてだし制服を着るのも初めてだ。家族も高専に通った人はいないから勝手がわからない。制服は男子は黒の学ランにズボン、女子は黒の学ランにスカートだったけど呪霊を祓うのに動き回らないとダメだし動き難いからスカートは辞めたけど、もしかして当たり前の事すぎて校則で禁止されてないだけじゃないよね?

 

「問題無い。戦闘スタイルや術式の使用に制服が制限になるなら改造してくれて構わない。改めて、ここ呪術高専東京校の学長、夜蛾正道だ」

 

 よかった、怒られる事はなさそうだ。学長が改めて挨拶を返してきたので軽く会釈する。

 

「人塚家の御当主から君の早期入寮に関して話は聞いている。生活用品や家具も既に君の実家から寮に運び込まれているが正規の入学は来月になる君の学友になる3人はまだ入寮していない」

 

 やっぱり早いじゃん。伯父さん、私が学校に馴染めるように一足先に入寮できるようにしたって言ってたけど一ヶ月は早すぎだよ。それにしても同学年は3人、私を入れて4人だけか。人手不足極まれりだな。

 

「家の我儘に付き合わせてしまってすいません。過保護なもので」

 

「愛されてるね〜、ささ、こんな所で話すのもあれだしさ中に入ろうよ。あ、先に寮に行く? 荷物多いもんね。キャリーケース2台に背中に背負ってる"子"も重いでしょ? 」

 

 五条悟の捲し立てるような言葉の最後を聞いてゾッとしてしまう。

背中に背負ってる"子"だって? やっぱり呪力封じの呪符をケースに貼っただけじゃ六眼は欺けないか。

 

「……よくわかりましたね。普通はただのギターケースにしか見えないでしょうに」

 

 私がそう言うと五条悟は目元に巻いた包帯を少しズラし青く透き通った眼で六眼で私と背中に背負ったギターケース。いやケースの中身を見つめてきた。

 

「君も噂ぐらいは知ってるでしょ? 僕は眼がいいんだよ。ギターケースにステッカーみたいに貼ってる呪符も中の子がバレないようにでしょ。いい線いってるよ、僕以外ならバレないと思うよ」

 

「……褒め言葉として素直に受け取っておきますよ」

 

「それはなにより。じゃ行こうか! 荷物は片方僕が持つよ」

 

 そう言って五条悟、いや五条先生は私のキャリーケースの一台を引いて高専内を歩いていく。その後を付いて行くと私達二人を追うように夜蛾学長も付いてくるが、学長の視線を背中に感じる。六眼は五条家特有のモノ。夜蛾学長では呪符越しにこの"子"は見えないだろうがやはり、傀儡呪術学の第一人者としては興味は尽きないか……

 

 それにしても呪術高専か山間にあって自然豊かなのは家の屋敷と似てるけど、どうにも沢山ある建物から人気や生活感を感じないハリボテの映画のセットみたいだ。

 

 私が周りをキョロキョロと見ていると五条先生が顔だけこちらに向けて話しかけてきた。

 

「君の荷物は大方、寮に運ばれてるけどこのケースの中身はなんなの? 」

 

「普通に私の着替えと呪骸製作の道具ですよ」

 

 そう言うと五条先生は露骨に声色を変えて好奇心を隠そうともせず質問をしてくる。

 

「へー! 呪骸製作の道具、やっぱ"普通の呪骸"も使うんだ」

 

「含みのある言い方をしないでくださいよ。人塚家が他家の術師からどう思われているかは知っていますが、うちだって主力は先生の言う"普通の呪骸"ですよ」

 

 先生の言い方が少し癪に触って言葉がキツくなってしまった。

 

「怒らせちゃったかな? ごめんね。でも君ん家さ秘密主義で情報回って来ないから」

 

「呪術師にとって術式の情報は重要な武器です。そうほいほいと外に出すものではありません」

 

「一理あるね。でもちょっとやり過ぎじゃない? 御三家や総監部の術式情報開示の要請もガン無視じゃん」

 

「……御三家も呪術総監部も邪な思惑が滲み出てるんですよ。私達一族の秘術を聞き出したらどうせ圧力掛けて潰しにくるでしょう」

 

「僕はそんな事しないよ。少なくとも五条家はね……他の家と総監部の爺様連中は知らないけど。でも君の読みはいい線いってる」

 

 秘密主義か……我が家をそう呼ぶ術師は多いし秘密主義である事を否定するつもりも無い。一族以外は信用できない。私はそう教わり育てられたし、実際に呪霊や呪詛師を祓いにでて一族の教育とは別に奴等は信用出来ないと思っている。今もだ高専の学生として五条先生も夜蛾学長も一定の敬意を持って接するつもりだし、学友とも円滑に学生期間をやり過ごせるようにそれなりの仲を築きたいとも思っている。それでも一線は引かせてもらう。一族以外の名家と呼ばれる連中や御三家、奴等はクソだ、人塚家の至宝や秘術を隙あらば狙ってくる。

 

 今までも幾度も奴等から圧力を掛けられてきた。

 

『人塚の秘術を開示しなければ一族まるごと呪詛師に認定する』

 

『我が家に比べて歴史も浅い芸能上がりの家が名家面せずに素直に我等に従え』

 

『なんや、自分ら"お人形"があらへんと役に立たん雑魚が図に乗るなや黙ってうちに嫁だせや』

 

 思い出しただけではらわたが煮えくりかえる。圧力を掛けられる度に一族の家族の皆んなで助け合って凌いできた。ご先祖様が作り残してくれた"あの子達"の力も使って。

 

 

━━━━その後も五条先生は私に探りを入れるような話しをしたかと思うとどうでもいい話しをしたり、学生寮に着くまで鬱陶しくもあったが退屈はしなかった。

 

 この学校広すぎる。正門からここまでどれだけ歩いたか。

 私がこれから四年間、暮らすことになる寮は木造の古臭い瓦屋根の建物だった。高専の職員室や教室、食堂のあるメインの校舎から程近い場所にあり玄関口の脇には自販機が一台置いてある。

 割り振られた一室に入ると意外にもフローリングの床で、壁にクーラーが設置されていて備え付けのクローゼットもあった。

 

 床には実家から送られてきた私の荷物である段ボールが幾つも置かれている。

 

「ここが君の部屋だよ。トイレは共有のが廊下の突き当たりにあるから。お風呂と洗濯機もそこの近くだから行けば分かるよ。食事は食堂に行けば食べられるけど空いてる時間は朝七時から夜八時までね」

 

「他の入居者は? 」

 

「今は君だけだよ。2、3、4年生に女子はいないし、1年では君ともう一人だけ。呪術界の少子化は表の比じゃないのよ。他に聞きたい事はある?」

 

 この広い女子寮を独り占めか。一ヶ月だけだけど。

 

「ありません」

 

「なら僕はもう行くよ、キャリーケースここに置いておくね。それと部屋を作ったら職員室に来てくれる? 学長が話があるってさ」

 

「わかりました。では後ほど」

 

 そう言うと先生は寮から去って行き一人だけになる。実家にいた時は誰かしら家族が常に居たから少し寂しい。でも気落ちしててもしょうがないさっさと荷物を片付けよう。学長が呼んでるみたいだし、直ぐに使う物だけ出して後は段ボールごと部屋の隅に纏めておこう。

 

 肩からギターケースを降ろして壁に立てかけて荷物の仕分けをしていく。段ボールを開けるとアレやコレやと私が用意した記憶の無い物まで入っている始末。きっと母さんや父さんが入れた物だろう。

 

「過保護すぎ……」

 

 嬉しい気持ちを隠すように呟いてしまう。

 きっと母さん父さん以外にも従兄弟や親戚のおじさんおばさんも入れてるな。はぁ……確かに人塚家で高専に入学するのは私が初めてだけど、皆んな心配しすぎだよ。たぶん母さんが入れてくれたお気に入りのクッションを胸に抱き抱える。

 

「家族の為にも頑張らないと……必ず高専に来た意味を果たす」

 

 早く片して職員室に行こう。

 

 

 

☆☆☆

 

 蝋燭の灯りに照らさ淡く障子が闇から浮かび上がる密室。薄ら寒さも感じるような暗い室内に老人達の枯れた声が響き渡る。

 

「人塚の娘が到着したようだな」

 

「ああ、夜蛾から連絡があった」

 

「ククク、漸く機会が廻ってきたな」

 

「左様。奴輩め、なにか思惑を持って高専に一族の娘を送り込んできたのだろうが高専は我等の腹の中も同じ。人塚の秘術、必ず我らがものにしてくれる」

 

「そうだ、たかだか江戸の人形浄瑠璃の一座が我らに歯向かいよって。灸を据えるにはいい機会じゃ」

 

「"人傀儡"我らのものになるのがたのしみよ。フハハハハハ」

 

 暗い老人達の笑い声が闇に吸い込まれていくのを知る者はいない。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 ガチャッ 

 

「失礼しまーす」

 

 使鈴を寮に案内し終え学長室に入ってくる五条を執務用の椅子に腰掛けた夜蛾が迎え入れる。

 

「ご苦労だったな、悟」

 

「やっぱりちょっと警戒されてるね」

 

 五条悟は応接用ソファーに深く座り夜蛾に使鈴に対する所感を話す。

 

「やはりそうか」

 

「うん。最低限、教師としては敬ってくれてる感じかな」

 

「お前が五条家当主だから警戒されている可能性は?」

 

「それも大いにあるだろうけど。高専はそもそも総監部の指揮下にある、そういう意味では五条家だからとかは関係ないかもね」

 

 そもそも今まで高専に人塚家の人間が入学した事は歴史一度も無かった。それが今になって急に一族の娘を高専に入学させると総監部に人塚家当主から通達が来た。

 当然総監部も甘くは無い。今まで規定側の要請など平然と無視して来た人塚の方針転換。総監部は高専学長の夜蛾に最大限警戒する様に指示していた。

 

「まあ警戒しているのは俺達も同じ事だ。人塚も身内に甘いとはいえ一族の娘が高専に行きたいと駄々をこねたから入学させた、などという事はあるまい」

 

「僕は別に警戒してないけど。それでもまぁ人塚家に思惑があるのはそうなんだろうね。御三家の僕が言えた事じゃないけど、散々人塚家に嫌がらせして来た側の人間だから。先代も酷かったよー」

 

「総監部や保守派筆頭の加茂、力を尊ぶ禪院なら人傀儡を狙うのも理解できるが五条家もか?」

 

 夜蛾が訝しげに言った。

 

「当然。学長も分かるはずだよ。御三家に限らず呪術界で名家と言われる家は代々、強力な生得術式を相伝として血によって子々孫々に伝えていく、でもさ血縁がある子や孫だからと言って必ずしも相伝術式が発現する訳じゃないじゃん? 強力な術式が常に家中にある訳じゃない」

 

「……それで五条家もか」

 

「そう! うちの無下限呪術も例外じゃない。むしろ術式とは別に六眼をセットで持っていないとまともに扱う事すら出来ない。五条家は術式だけで御三家の地位にある訳じゃないけど、重要なファクターである事は事実だ。でも肝心の六眼持ちは数十年、数百年単位で生まれない。その間五条家は加茂、禪院の後塵を拝するしかない。それを解消出来るかもしれないのが……」

 

「人塚の人傀儡か」

 

「そゆこと!」

 

 興が乗ってきた五条悟は楽しそうに捲し立てるように語り、夜蛾はそれを黙って聞いている。

 

「人塚の人傀儡。人の死体を材料に作る呪われた人形。その偉大にして最も忌わしい所は材料となった人間の生得術式をそのまま受け継いでいる所だ。前代未聞だよね? 人を材料にした呪具や呪物は確かにある。でも生得術式を丸ごと呪骸に継がせるなんて。そこん所、傀儡呪術学の最先端走ってる学長的にはどうなの?」

 

「人傀儡が呪術界に認知されてから200年以上経っているが、研究が進んで居るとは言えないな」

 

「パンダ作った学長でも?」

 

「ああ。全くわからん。人を材料にしていると言うが具体的にどの程度人の肉体が使われているのか、防腐処理は勿論の事生得術式を呪骸の何処に格納しているのかもな。そもそも俺達、傀儡操術を扱う術師が使っている体系の技術なのかも不明だ」

 

 夜蛾は長年の人傀儡に対する研究に思いを馳せるがそもそも研究とすら言えないとも思う。人傀儡は人塚家により徹底的に秘匿されてきた。研究したくとも実物も文献ですら碌な物がなくただの考察と憶測の域を出ない。夜蛾自身、呪骸研究者として若い時から人塚の人傀儡に惹かれていた。 

 いつか秘匿された謎を解き明かし自らの手で人傀儡を作り上げると。だがそれから数十年、研究の副産物として全く新しい既存の呪骸とも人傀儡とも違う存在を作り出してしまった。皮肉な事にソレを作り出してしまった故に人塚が人傀儡の詳細を秘匿する理由を理解してしまった。

 

「僕達御三家も似たようなものだよ。長年、優秀な傀儡操術の研究者や技術者を雇って資金援助もして、それでも何の成果も得られなかった。いや、ある意味では人傀儡が既存の傀儡呪術学の体系に当てはまらない規格外の呪骸って事は分かったかな」

 

 五条が嘲笑を交えながら御三家の成果を語るが直ぐにその表情を引き締め低い真剣な声でこれからの事を喋りだす。

 

「そんな今まで何も解らなかった人傀儡を持った術師が高専に入学する総監部や御三家、呪詛師すらもこの機会を逃さないだろう。僕も先代から使鈴に探りを入れるよう言われたし。学長だってどうせ総監部のジジイ共から何か言われてんでしょ?」

 

「……お前と同じだ。探りを入れろと。今は総監部だけだがそのうち加茂や禪院も露骨に高専に干渉してくるだろう」

 

「だろうね。特に京都校には楽巌寺のお爺ちゃんに加茂家の次期当主もいる。まあそんなの全部ガン無視だけどさ。僕も人傀儡には興味あるけど、僕の生徒になる以上は守るさ。どんな思惑が渦巻いていようと若人から青春を奪う真似はさせない」

 

「…………」

 

 五条の決意と威圧を孕んだ声を最後に室内が静寂に満たされる。

 

 トントントンと扉がノックされ扉の外から「人塚さんがいらっしゃいました」と高専の補助監督の一人が部屋の荷ほどきを終えた使鈴の到着を告げてきた。

 

「来たみたいだね。話ってどうせいつものやつでしょ」

 

「大事な事だ。総監部の思惑も人塚家の人間だろうと関係ない。彼女の回答如何によっては入学は白紙に戻す」

 

「はあ、変わらないね」

 

 やれやれと首を振る五条を無視して夜蛾は「入れ」と扉の向こうに言うと補助監督が開けた扉からギターケースを背負った使鈴が入室する。

 

 

 

☆☆☆

 

 使鈴side

 

 

 私が高専に入寮して一週間がたった。初日に呼び出され夜蛾学長と問答をした以外は至って平穏だ。

 五条先生も人塚家や人傀儡に対するジャブ的な探りをたまに入れてくる以外は担任として色々と世話を焼いてくれている。

 一週間もあれば広い高専敷地内を十分に見て回れた。郊外とは言え東京にこれだけの土地を確保しているのは流石だ。

 でも校舎や学生寮、教員寮に一部の倉庫以外の無数にある建物はやはりハリボテだった。建物自体は割とちゃんと作られていたけど、使用感は皆無だったし実際使っている所を見た事もない。何か理由があるんだろうけどもったいない。

 

 五条先生に紹介されて反転術式を他者に行使できる家入さんや補助監督の伊地知さん、新田さんなどとも挨拶した。人塚家の専属以外の補助監督と喋るのは初めてだった。

 人塚家では情報保全の為に独自にスカウトした人塚専任の補助監督を伴って任務に赴く。高専や総監部が用意した補助監督は信用できないからだ。でも高専に籍を置く以上はそうは言ってられない。専属の補助監督を用意すると言っても突っぱねられるだろうし最悪、入学拒否もあり得る。

 今までも散々、上からの圧力を跳ね返してきたとは言え、出来る事の限度はある。高専が総監部の運営下にある以上、実家はともかく私個人に対する圧力を抑えるのは難しい。

 

 だから早い所、高専所属の呪術師としての実績を積み上げたい。

 今までも人塚家に総監部から来る嫌がらせも兼ねた呪霊や呪詛師討伐の依頼は受けて来た。でも総監部はそれを実績としては認めない。人塚家には禪院などに与えられる特別等級の術師の等級は与えられない。

 だから私はまだ無等級だ。正式に入学したら組織運営上、総監部も私に等級を与えるだろうけど、まぁ4級術師だろうな……私自身は2級以上の実力はあると自負してるんだけど。

 最初の任務で実績だしたら2級からスタートしないかな……。

 

 でも五条先生「任務は正式に入学してからしか来ないと思うから。それまでは新しい生活に慣れるようにのんびりしてたらいいよ」って言ってたし手持ち無沙汰だ。

 

 寮の部屋も荷物を全て整理して今ではほぼ呪骸工房みたいになっている。生活用品はベッドの周りに集中していて他は全て呪骸作りの為の作業台や道具入れで占められている。陽当たりのいい部屋を貸してくれているが馴れないから荷ほどきしたあとの段ボールとガムテープで目張りしてある。実家の工房が窓の無い土蔵だったからこの方が落ち着く。

 壁には木製の棚を置いて私が作った様々な呪骸を並べている。

 五条先生が一度、部屋の様子を見に来た時に興味深そうに眺めていたが残念、それはただの呪骸で人傀儡じゃない。もちろん呪骸製作の名家としてそんじょそこらの呪骸より出来がいい自信作ばかり。でも露骨にガッカリされると私とてヘコむぞ。

 

 夜蛾学長ともそれなりに良好な関係を築けていると思う。この前もたまたまお昼に食堂で鉢合わせた時に思わず話が弾んでしまった。

 

 

━━━━お昼を食べに来たら学長といたのだが。そりゃ学長なんだから食堂にいるのは当たり前かも知れないけど、高専の先生は術師も兼任してるから基本任務でいないし、それに同行する補助監督も同じく。

 ここに来てから食堂で調理師のおばちゃん以外の人を見かける事が無かったから少し動揺してしまった。

 私に気付いた学長に誘われて長机に向かいどうし座って日替わり定食を食べているが何を喋ればいいのか分からない……学長も無言だし。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「悟から聞いたが……」

 

「……なんでしょう?」

 

 いきなり喋りかけられたから少し吃ってしまった。学長が箸を置き、私を見ながら喋りかけてくるから私も箸を置いた。

 

「寮の部屋を呪骸工房に改造したようだな」

 

「はい。……あー、駄目でした?」

 

 まさか校則で禁止されてるとか? 今から元に戻すのも面倒だし、呪骸の整備、製作の為の設備は欲しいんだけどな……

 

「いやかまわない。君は傀儡操術を使うからな、呪骸の為の設備も必要だろう」

 

 よかった。面倒くさい事にならずに済みそうだ。でも問題ないならそんな顔で言わないで欲しいぞ。なんでこんな強面なんだ。

 

「呪骸も幾つか持ち込んでいるみたいだな……君とは初日以来あまり話せていない。いい機会だ、少し話しをしないか? 高専の学長ではなく、一傀儡呪術学の学徒として君と話したい」

 

 一学徒としてね……そうは言っても結局は人塚の呪骸の情報が欲しいだけなんじゃないのか。今日ここで会ったのも偶々?それとも狙ってかな。

 でも正直、私も話してみたい気持ちもある。夜蛾学長は呪骸造る術師なら知らない人間はいない傀儡呪術学の権威。そんな術師と一対一で話せる機会などそう無いだろう。

 人傀儡の事さえ話さなければ大丈夫かな……

 

「……はい。私も学長と呪骸の事を話してみたかったですから」

 

 そう言えば夜蛾学長は気持ち表情を緩めて話しはじめた。

 

「寮で君の造ったという呪骸を見た悟から聞いたが、呪骸にしては精密な造りをしていると言っていた。通常、呪骸はある程度、可動可能な構造をしていれば呪力さえ流し込めば自在に動かせる。なぜ態々、複雑な絡繰り仕掛けを組み込んでいるんだ?」

 

 五条先生、そんな所まで見ていたのか。油断も隙もないな、まあ通常の呪骸に関しては秘術と言う訳でも無いし話していいかな。

 

「それが人塚流と言えばそこまでですが。学長の仰るように関節、あるいは可動に制限の掛からない構造なら動かす分にはギアやネジ、バネを組み込む必要も有りません。理由は大きく二つあります」

 

「二つ?」

 

「はい。一つは物としての呪骸の力とでも言いましょうか。学長が造っておられる様なフェルト製や布製のぬいぐるみタイプの呪骸は柔軟性や操作性に優れています。呪力さえ本体に流してしまえば関節の向きを気にする事なく、子供がぬいぐるみで遊ぶような直感的な操作が可能です」

 

「そうだな」

 

 そう夜蛾学長の呪骸は完成度が高い。素材そのものに強度が無くても流し込んだ呪力の浸透率に全体のバランス、軽く柔いと甘く見ると可動域に囚われないトリッキーな動きと速度でボコられてしまう。夜蛾学長並みの完成度は期待できなくとも製作や整備も比較的容易。現代の呪骸の中でも実戦的な呪骸だ。

 それに可愛い。でも私の趣味じゃない。

 

「私達が造る呪骸は呪骸その物にも力を生み出す機構を付ける事を戦術としています。ただ仕込み武器の可動に必要と言うだけで無く、各関節に仕込まれたバネやギアの噛み合いは呪力以外の物理的な力を生み出し結果的に呪骸の強化に使う呪力量も減らせます。その分精密になり柔軟性や操作性、本体強度も下がりますが」

 

「なるほどな。呪力以外の力か……人塚家は江戸中期の人形浄瑠璃や絡繰り技師の一座の流れを汲むと聞く。ただ遠隔操作可能な人形では無く呪骸その物を兵器として造るか。流石だな、それでもう一つは?」

 

「縛りですよ」

 

「縛り?」

 

 夜蛾学長が胡乱な表情になったけど、もう一つは縛りだ呪術師なら誰もが使っている。何かを諦める事で他の何かを得る。戦いの前の術式の開示が有名だが、すぐれた術師ほどより複雑な条件の縛りを結び強力な恩恵を得る。呪骸使いも例外じゃない。

 

「戦う為の呪骸にあえて精密部品を組み込み本体強度を下げる事で術師自身の呪力量を底上げしているんです。呪骸操作の感度も強化されます。製造や整備が難しくなる分、一度に操作できる呪骸の数も増える」

 

「そうか、ただ伝統的な絡繰りだけじゃないと。敢えて精密機構を組み込む事によるデメリットとそれによる得られる恩恵。呪力量の増加にプラスしてデメリットになっている絡繰り仕掛け自体が呪力とは関係ない物理的な力を生み出す。結果として呪力量の増加と呪骸強化に必要な呪力の節約を両立している……見事だ」

 

「ありがとうございます」  

 

 よかった。一族の技が認められるのは素直に嬉しい。

 実際、絡繰り仕掛けも縛りも人塚家の弱点を補う物だ。人塚家は呪術界で名家と呼ばれてはいるが歴史自体は200年と少し。他の名家が500年や800年、御三家やそれに近しい家系は1000年以上の歴史を持つ家も少なくない。代々、婚姻による血統の強化の土台が人塚家は小さいんだ。

 もちろん血統が全てでは無い、良血と言えど呪力の少ない者、寒門や一般家系の者でもそれなりの呪力を持つ物もいる。それでも統計的に見て歴史の長い家系に生まれ付いての呪力量のアドバンテージがあるのは確かだ。

 さらに私の家の場合はそれとは別に一族の呪力が少ない傾向がある。一族の開祖様が人塚の血縁に施した縛りが原因だ。

 呪力量を仮に数値化して御三家が100、その他名家が70だとすると人塚家は40だ。歴史的な積み重ねなら私達も60はあっても不思議じゃないのに。

 

 

━━━━そんな事があったのが何日前だったか。

 

 今の私は手持ち無沙汰で部屋にこもり呪骸の整備をしている。

 私が造ったお気に入りの呪骸、鬼丸のお腹を開き内部の真鍮製の絡繰りに油を注していく。

 鬼丸はかなり大柄で学長くらいの大きさがある。それを部屋の天井から伸びるロープで吊り下げて整備している。この子は製作に半年近く掛かった。木製の外殻に各関節に仕込んだギアに腰と胴体を繋ぐ部分に内蔵した強力な二つのバネ。胴体は伽藍堂で内部に各関節に連動する絡繰り機構とゼンマイ仕掛け。頭は名前の通り鬼をモチーフに彫っており日本の角が生えている。

 服は黒の袴を履いているだけで後は裸だ。深く掘り込んだ大胸筋とシックスパッドを隠すなんて勿体無い。

 

 私はこの子を使い幾度も呪霊を祓ってきた。呪力による強化が無くても仕込んだバネが解放される事による力は凄まじい物だ。それに呪力を上乗せすれば2級程度ならパンチ一発で倒せる。

 

 大きい分持ち運びがネックだが何もそれはこの子に限った事じゃない。呪骸使いなら避けては通れない物だ。私、と言うより人塚家では呪骸は専用に改造したキャリーケースに入れて持ち運ぶ。鬼丸だって大きいけど一度関節を外して身体を折り畳めばギリギリ大型キャリーケースには納まる。凄まじく重たいが……。

 

 呪骸使いの戦術は基本的には複数の呪骸を使い多対一の状況に持ち込み数の力で戦うのが基本。でも呪骸は式神と違い物質的な実体がある、体積や質量を無視した運用は出来ない。事前に準備した戦闘には強いが突発時な戦闘には弱い。場合によっては呪骸を持ち歩いていない場合もある。

 その場合、呪骸使いは術式無しで戦う他ない。呪骸の持ち運びは呪骸使いに取っては死活問題なんだ。鬼丸はデカいし重たいがキャリーケースに納まる分マシな部類だ、中には車に乗せる事すら出来ない馬鹿でかい呪骸もある。

 

 小型の呪骸は持ち運びも便利だし使い勝手もいいけど、どうやったって力で劣る。呪骸本体を強くするなら大型化は避けられない、呪骸使いのジレンマ。

 まぁ、何事にも例外はあるんだけどね……部屋の壁に立て掛けてあるギターケースを見る。あの子が軽くてよかった。

 

 そんな事を考えながらボーっと鬼丸の整備をしていた時だ。

 

 ガチャっ‼︎‼︎

 

「やっほーー!使鈴、調子はどう? 」

 

「ッ⁈ 先生!部屋に入る時はノックして下さいってあれほど」

 

「めんごめんご! 驚かせたくてさ」

 

 またこの五条家のぼんぼんが……何度言ってもドアをノックしやがらない。日に何度も唐突に部屋に来て、その度に注意する、何度目だこれ。

 短い付き合いだけどこの男の非常識な性格はここ数日で十分過ぎるほど思い知らされた。

 

「勘弁してください先生」

 

「いやーごめんね、ちょっと伝えたい事があったんだけど……」

 

 そう話しかけた先生が包帯越しにチラッと天井から吊るしている鬼丸に視線を向けているのが分かった。

 

「……鬼丸だっけ?胴体開けてるし、整備中だった?」

 

「中の絡繰りに潤滑油注してただけですよ」

 

「そっか……うーん……」

 

 先生が腕を組みながら唸ってる。なにか悩んでる? 面倒なことはごめんなんだが。

 

「どうしたんですか?そんなに唸って」

 

「……いやね、実は総監部から君に依頼が来てるんだよ」

 

来た。ついに来た。ここ一週間、いつ総監部から嫌がらせじみた依頼が来るか身構えていたけど、やっとか。

 

「鬼丸も整備中みたいだし、僕としてもまだ正式に入学してない君を任務には出したく無いんだよね」

 

「出したくないって、そうは言っても総監部の依頼ですよね」

 

「そうだけど僕が握り潰す事もできるけど……どうする?やる?」

 

「内容は?」

 

「埼玉との県境近くにあるホテルの廃墟でここ数日、肝試しに訪れた大学生が何人も立て続けに行方不明になってると窓から報告が来てね。おそらく3級から準2級の呪霊の仕業だと思われる」

 

 3級から準2級か。私が実家で受けてきた依頼だと準1級から1級案件もあった。高専は総監部の庭とは言え、私の担任は五条先生。余り露骨に私に圧力を掛ける事はできないか……それともただの様子見のジャブか。

 どちらにせよ舐められていると感じる。実績は立てたいけどこの感じだと碌な評価もされないな。

 でも暇だし……向こうがジャブのつもりなら私も準備運動に使うか。

 準2級程度なら呪骸使わなくても倒せるし。

 

「わかりました。受けます」

 

「わかった。呪骸はどうするの?」

 

「鬼丸は整備中ですし、準2級程度なら呪骸使わなくても祓えるので、持っていきません」

 

「……使鈴。君、舐めてるでしょ」

 

 準備を始めようとしたら先生が低い声で私にそう言った。舐めてる?どう言うこと。

 

「別に舐めてませんよ。実家にいた頃は1級呪霊も一人で祓っていました」

 

 そう言ったら先生は呆れるように溜息を吐くと、頭を軽く掻いた後諭すよに話しかけてきた。

 

「呪霊の事じゃない。総監部の連中の事だ。使鈴、実家にいた時は家族に守られてきただろうし、ここじゃ僕がいるから連中も好き勝手できないと思ってるでしょ」

 

「…………」

 

図星だから黙るしかない。

 

「余り奴らを舐めるな。いくら僕がいたって奴らは平然と君を害する策を立てる。自分達の保身や利権の為ならどんな悪どい事もする。今回の事もそうだ、君は軽い嫌がらせ程度に考えてるかも知れないけど、等級違いの1級呪霊が居たって僕は驚かないね」

 

 総監部の悪辣さは十分に認識してたつもりだけどそこまでなのか……

でもこんな真剣な先生は初めてだ。用心しておくに損はないか。

 

「もう一度聞くけど、呪骸はどうする?」

 

 私は何も言わずにギターケースを手に取った。

 先生はただ笑みを浮かべるだけ。

 高専に来てから初めての任務はこうして始まった。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 車で二時間ぐらい揺られながら到着したのは東京と埼玉の県境にある山間部。

 現在時刻は午後16時30分。夕日も半分が山に隠れて周囲は薄暗く。肌寒さを感じる風が鬱蒼と茂った木の葉を揺らす。

 廃ホテルまで続く私道が一本、国道から延びているけど倒木で車で入れそうにない。

 ここからは歩きか……やだなぁ

 

「伊地知さん、此処からは一人で行きます」

 

 運転席に向かいそう言って後部座席から降りると伊地知さんも運転席から降りてた。

 伊地知さんは不安そうな顔をしている。この人、いつも自信の無い顔してるけど今日はその比じゃないな。

 

「人塚さん、私は此処で帷を張って待機しています。危険を感じたら直ぐに逃げて下さい。くれぐれも無茶はしないように」

 

 心配してくれるのは素直に嬉しいが、それにしてもちょっと青くなりすぎじゃない?

 

「大丈夫ですよ、無理はしません。五条先生からも言われていますし」

 

「私も五条さんから貴女を頼まれています……本当に無茶だけはやめて下さい。でないと後から五条さんに何をされるか……」

 

「…………」

 

 そう言う事か……たしか伊地知さんは五条先生の後輩にあたるみたいだし、相当な苦労があったんだろう。でも心配しないで欲しいな。

 先生に言われてこの子も連れてきた。仮に1級呪霊が出ても問題ない。

 私は「じゃあ行ってきます」と言って一人ホテルに続く道を歩いている。

 

 アスファルトはひび割れて路肩は雑草が生い茂っている。

 背の高い木が両脇に並んでおり、僅かな夕陽も遮られて真っ暗だ。

 少し上り坂になっている道の向こうは開けており、ボロボロの白い外壁がオレンジ色に照らされている。

 

「コレはいそうだな。大学生数人が行方不明か……死んでるでしょ」

 

 割れたガラスが散乱している入り口からエントランスに入る。

 呪力の痕跡を辿って階段を登り3階まで進むと、左右に客室が並ぶ通路の向こうに

 

「……いた」

 

 青い体色をした脚がいくつも生えたデカいナメクジみたいな呪霊がギイギイと気持ちの悪い鳴き声を出しながら天井からぶら下がっている。

 呪霊は気持ち悪い奴が多いがこいつもその例に漏れないな、でも少し拍子抜けだ。

 

「なんだ、本当にただの雑魚じゃん。呪力も弱いし4級くらい?」

 

 寮の部屋で先生から説教されて、認識も改めて気合い入れて来たのに……力が抜ける。

 この子を持ってきた意味も無い。背負ったギターケースの重さがまた気落ち感を誘う。

 

「はぁ、気合い入れ損か……まあいいや、この子出すまでも無いしちゃちゃっと祓ってかえろ……」

 

 ギイギイ鳴いて警戒してこっちを触角みたいな目で見つめてくる呪力に向けて右手を向ける。人差し指と中指を伸ばして手を銃の形にして指先に呪力を流す。

 指先に流した呪力を更に圧縮して玉状にすると一気に開放、呪霊に向けて呪力の塊が高速で射出されて、当たった呪霊は紫の体液を撒き散らして水風船が破れたみたいに弾けて消えた。

 

「……アホくさ、かえろ」

 

 呪霊の体液が染み付いた壁に背を向けて階段に向かう。

 

「モウ帰エルノカ?」

 

「っ⁈ なにも⁈」

 

 聞こえた声に反射的に振り返ると、狙ったように顔の前に蹴り出された脚が迫り、後ろに倒れるように咄嗟に避けた。そのまま両手を床に付いてバク転して距離を取りながら立ち上がる。

 

「ホウ、今ノヲ避ケルカ」

 

 なんだ、こいつ。何処から出て来た。呪力は感じなかった、何処に隠れていた? 咄嗟の事で頭が混乱したが、構えて敵を見る。

 異人だ、肌の黒い、黒人。サングラスに派手な白い服と帽子を被っている。

 

「……呪術師って感じはしないね。呪詛師か」

 

「ゴ名答」

 

 そう言って呪詛師は余裕そうに笑みを浮かべた。たまたま此処にいた?そんな訳ない。確実に私が此処にくる事を知っていた。

 総監部のクソ共に雇われたか? それにしては違和感がある彼奴、呪詛師を雇って暗殺する位は平気でするけど、腐っても保守を名乗って伝統とか歴史に固執してる。使い捨てとは言え異人を雇ったりするものか?

 

「お前……誰に雇われた?」

 

「ソンナ質問ニナンノ意味ガアル?聞キタイナラ力デキキダセバイイ」

 

 笑みを深めて挑発するように言ってくる。随分日本が上手いじゃないか。

 全身に呪力を通す。こいつの実力はわからないが、1級くらいはあると見ておこう。武器は右手に握っている縄か? 呪具なんだろうけど、あんな物どう使うんだ。

 危なくなったら逃げるように先生や伊地知さんに言われてるけど。

 こいつの情報は持って帰った方がいいかも知れない。もし総監部が雇った呪詛師じゃらないなら少しでもこいつの情報を。

 

 距離を一気に詰めて顎を殴ろうと足に力を入れる

 

「遅イ‼︎」

 

「ゴハア!!!!」

 

 ッドン‼︎‼︎‼︎‼︎

 

「っかは……くそ……痛えな」

 

 足に力を入れたと思ったら背後の壁に背中を叩き付けられた。

 あの一瞬で距離を詰められて縄を巻いた手で鳩尾を殴られた。

 クソ、完全に油断した、壁に背中を預け支えにして足だけで立ち上がる。背負ったギターケースをチラッと見る……壊れてないな。

 

「ヨソ見シテテイイノカ‼︎」

 

 不味い‼︎、また一瞬で距離を詰めて来た。咄嗟に術式を使い身体を前に倒して殴り掛かって来た腕を潜るように避けると、今度は勢いをそのままに回し蹴りをしてくる。

 私は通路の壁を蹴り上げてそのまま天井まで飛ぶと、電球を入れる穴に足先を引っ掛けて廊下の奥まで跳んで距離を取った。

 

「Wawスゴイ身体サバキダナ。オ前ノ術式ハ傀儡操術ノハズダガ?自前ノ体重カ?」

 

 余裕そうにしやがって。こっちは心臓バクバクだよ。

 

「よく知ってるじゃないか。私の術式は傀儡操術だよ。今のは拡張術式、自分自身の身体を人形と解釈して術式で操ったんだよ、拡張術式自操ってね」

 

 少し呪力が湧いてきた。

 

「術式ノ開示カ……デモソノ程度ジャ俺ハ倒セナイゾ?ドウスル?」

 

 チッ、またどうするか、さっきは五条先生に次はこいつに。やっぱり私にこの子を使わせたいんだ。

 この異人の正体は全くわからないままだし。仮に総監部で無いとしても私の情報は渡したくない。面倒な組織は一つで十分だそれにしたって御三家もいるのに……あいつらの思惑通りにいくのは癪だが、ここでこいつを確実に祓う。その為には……

 

 私は背負ったギターケースの中に呪力を流す。

 

「ヤットソノ気ニナッタカ!」

 

 ケースが開き、白く細い手がケースのふちにかけられる。

 黒いブーツを履いた足が通路の床に降ろされる。軽くなったギターケースを背負った私の横に長年の相棒が立つ。

 

「ソレガ……人傀儡」

 

 私とは違う綺麗な黒髪を後ろで束ね、紅葉模様をあしらった着物に紺色の袴。女学生にも見える格好をした少女は死体。死体を使った人形。

 

「特級人傀儡、炎美。お前は今からこの子に焼かれて消える」

 

 炎火を操作して戦闘体勢を取らせる。

 

「オモシロイ!ナラ見セテ見ロ人傀儡の力ヲ‼︎」

 

 そう叫び私達に向かってくる。左右は壁に挟まれた狭い通路。細かく狙いをつける必要もない。私は炎美に呪力を注ぎ込む。

 

「獄炎呪術、紅蓮‼︎‼︎」

 

 炎美が奴に手を翳す。それだけで私の目の前の廊下は一瞬で紅く染る。

 

 ゴオオオオオオオオ‼︎

 

 轟音と共に高温の炎の濁流が呪詛師を飲み込んだ。

 

「Woooooow‼︎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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