獅童正義は明智吾郎として生きることになった。 作:枝野トナナ
不健康極まりない姿勢であることを自覚しながらもボールペンをノートの上に走らせる。
デスクもチェアもまだ届いていない。あるのは時計とデスクライトとゴミ箱と寝袋だけ。
壁に寄りかかり、床に直接体育座りをし、膝上に下敷きを挟んだノートを広げ、今日の――否、
別に気が狂ったわけではない。
いや、いわゆる正気度とやらを損なった可能性はあるかもしれないが。
サブカルには詳しくないといえども、大学時代に流行った
神話的事実を知ることで神話技能が上昇する代わりに正気を損ね発狂に近づいていく――よく出来た設定とシステムだった。
まさか30年以上も経ってからリバイバルブームが起こるとは思わなかったがな。
インターネットと動画サイトの力は恐ろしいというべきか、クトゥルフ神話TRPGというコンテンツの底力が恐ろしいというべきか。
ともあれ、よくよく考えてみれば今の私はまさしくクトゥルフ神話の世界に入り込んでいるようなものだ。
脳を入れ替えられた人物など、
――もっともTRPGの中ではあれほど楽しめた設定も、現実に我が身に降りかかればただの悪夢でしかない。
脳缶になるよりはマシだが、自分の身体でない器で生きていくというのはあまりにも面倒が多すぎる。
どうしたって元の身体の人間関係がついてまわるし――
「……
元の身体の持ち主ですら知らない人間関係も、ついてまわるのだから。
そもそも予測して然るべきだった。
ホテルニューサウスという高級ホテル内部に、余人が立ち入りできない専用ラウンジを作れるのはいったいどこの誰だというのか。
決まっている。オーナーか、その上の人間だけだ。
そして株式会社ニューサウスの主要株主は
「お初にお目にかかる。私の名前は南条圭、上杉の友人だ」
――そう名乗った男こそは、現南条グループの本体とも言われている南条商事の若き社長。
正真正銘、財界の帝王と呼ばれるべき人間の1人だった。
「……え、ええと、はじめまして。
明智吾郎と、言います」
辛うじて声を絞り出す。
わざわざ演技するまでもない。こんな状況、困惑するしかない。
偽りがあるとすれば『はじめまして』というワードチョイスだけだ。
さすがに獅童正義としては面識がある。経済界主催のパーティで、数度挨拶をした程度には。
「手術で記憶が吹っ飛んだついでに、ペルソナも無くなっちゃったってコト?」
「それが一番穏当な推測だろう。桐条の中でも月光館系は美鶴の管轄だ。
さすがに亡き御大の意思が未だに残っているとは考えられん」
……上杉の言葉の意味はともかく、南条の言わんとすることはまだわかる。
桐条グループの悪名を高めた非人道的人体実験と兵器開発は、先々代の当主である桐条鴻悦の所業だ。
そして害悪老人の尻拭いを延々続けるハメになっているのが彼の孫娘であり、桐条グループ現当主の桐条美鶴。
まだまともな技術を使って警察と足並み揃えて治安維持活動に精を出す傍ら、祖父の負の遺産の尻拭いをし続けている――というのは、民間にこそ知られていないが政財界では非常に有名な話である。
しかし平然と大人の脳を高校生の身体に移植する医者は、さすがに
灯台もと暗しの典型だろうよ。
「でも、こんな綺麗さっぱり完全に無くなるなんてことある?」
「『手術で』というのは初めてだな。
症例自体は20年前の黛や綾瀬で――というか貴様もあの時死にかけてなかったか?」
「あー……じゃあやっぱマジヤバを超えたマジヤバじゃんね」
頼むから日本語で話してくれ。
私が
「あ、ごめんね! 俺様達さっきから身内ネタばっかり話しちゃって〜。
ゴローちゃんからしたらさっぱりさっぱりだよね?」
「ええ……本当に状況がわからないのですが……
結局お二人は、どういう理由で僕をここに連れてきたんでしょうか?」
「それは――」
私の質問に、上杉は――何故か困ったように南条を見やる。
「なんじょうくん! パス! パス!」
「普通に順序立てて話せば良かろうに」
「だって俺様マジ話とか説明とかニガテだって!
こういうのは学生時代からなんじょうくんのシゴトだろぉ!?」
「貴様もプロの司会者だろうが……!」
看板番組を複数持つ芸能人と財界の帝王の会話か? これが。
まあ高校時代の友人同士というものは話し込むうちに当時の感覚に還るものではあるが。
そういうわけで先ほどから理解を放棄して眺めているだけの私に対して、ようやく南条が向き直った。
「――すまない、少年。
説明をする前に、1つ確認しておきたい。
君は『ペルソナ』という言葉に対して何かしらの記憶が残っているか?」
ペルソナ……そういえば上杉が口走っていたが……
「ラテン語で仮面を意味する言葉ですよね。
ユング心理学における外的側面を表したり、外交用語のペルソナ・ノングラータとかで使われる」
「……うむ。一般的な用語としての理解度では及第点だな」
「学生時代のなんじょうくんと一緒じゃゲフッ!」
茶々を入れる上杉に肘鉄を入れながら、南条は言葉を続ける。
「今の君は覚えていないようだが、ペルソナにはもう一つ意味がある。
それは、自分の中にある別人格を召喚する能力。
「――は?」
唐突な宣言に、私は思わず目を瞬かせた。
意味がわからん。
確かに本物の明智吾郎は特殊な能力を持って……
……持って、いたな?
「無論、このように口頭で言われるだけでは信じ難いだろう。
百聞は一見に如かず。
「だよねー。なんじょうくん、的って用意してある?」
「向こうに廃棄予定の観葉植物を用意させてある。
ここから狙え。その方がわかりやすかろう」
南条が指し示したのは、メインサロンの隅に置かれた鉢植えの棕櫚竹。
距離としては20メートル程度離れているだろうか――と間合いを測った矢先、突然突風が吹いた。
「
――それは極めて幻想的な光景だった。
純然なる青い光が揺らめき、糸を紡ぐように戦乙女の姿を顕現させる。
血のように赤い翼と無骨な鉄の鎧に抱かれたソレは、烏を思わせる声で何かの言葉を囀った。
"
いったいどんな力が働けばそうなるというのか。
突然、棕櫚竹の上半分が弾け飛ぶ。
同時に青い光も吹き荒れる風も夢のようにかき消え、ただ、静寂だけが残る。
「――とまぁ、これがペルソナでっす!
すげーっしょ俺様!」
「…………」
何をどうコメントすればいいのだ?
そもそも私が見たものは本当に現実なのか?
思わず自分の頬を右手でつねってみたが、普通に痛い。
ならばいつの間にか認知世界に入り込んでいたのだろうか。
私は本物の明智吾郎ではないのに??
「安心したまえ、少年。
ここは間違いなく現実世界だ。異界の類ではない」
逆に安心できないが?
「まー、現実でペルソナ使える人もそんな多くないみたいだしね。
俺様達以外だと、ゆきのさんの友達と美鶴ちゃん達ぐらい?」
「うむ。能力もかなり個人差があるからな」
桐条の当主も持ってるのかよ。
……いや、あちらは元々そういう家風だったな。なら仕方ないか。桐条だし。
だが南条圭が超能力者という話は聞いたことがないが?
わざわざ広めるわけがない? それはそうかもしれないが……
「え、えっと……今のを、昔の僕が、使えたと?」
「ああ。恐らくは、という言い方になってしまうが。
……?? どういうことだ?
首を傾げる私の肩を、上杉がぽんぽんとやけに気安く叩く。
「俺様たちね、近くにいる人がペルソナ使いかどうかはわかんのよ。共鳴する感じがするから。
でもどんなペルソナを使うかまでは、教えてもらうか見るかしないとわかんないワケ。
そんで俺様もなんじょうくんも基本的に相手のプライベートは守りたいからさぁ、よっぽどのことがない限り聞かないワケよ」
「桐条家の関係者については合意の上で情報を共有しているがな。
私と上杉はあくまで、個人的活動として民間のペルソナ使いの情報を蒐集しているだけだ。
通常であればここまで深入りすることはない」
……なるほど。
「ええと、つまりペルソナを使える超能力者からすれば、
「その通り」
我が意を得たりとばかりに南条は頷くと、先ほどデモンストレーションに使われた棕櫚竹の残骸を指し示す。
「ペルソナ使いならば、アレを喰らっても上杉に殴りかかられた程度の打撲傷で済む。
しかしペルソナを失ったものがアレを喰らえば、あの植物のように受けた箇所が完全に弾け飛ぶ。
――それぐらいに耐久力に差が出る、というのが1つ」
……人間の話をしているのか?
「そしてもう1つは、ペルソナ使いやその周囲にいる人間は異界に迷い込みやすい傾向があるということ。
――こちらは見せたくても見せようがないのだが、ペルソナ使いの周囲ではごく稀に物理法則が正常に機能しない異空間が発生することがある。
大抵の場合、その異空間――異界の内部には影や悪魔の姿をした敵性存在が生息している。
そしてその敵性存在は、
「……なる、ほど?」
異界――明智吾郎が出入りできた認知世界と同種のものか?
そういえば明智吾郎は、認知世界内部には本人のシャドウとは別に悪魔の姿をしたシャドウがいるとも言っていたな。
「その……異界というものは、ペルソナ使いなら誰でも入れるのですか?」
「わからん。実証実験をしたくとも、安定した侵入経路すら確立されないまま消滅する例がほとんどだ。
少なくとも桐条のデータベースでは、一年以上長続きをした異界の発生例は確認されておらんな。
ただしペルソナ使いではない一般人が迷い込んで犠牲になった例は少数ながら存在する」
ふむ。
「ペルソナ使いになる方法は発見されているのですか?」
「それについては回答を差し控える。
君がペルソナ能力の復活を求める気持ちはわかるが、私の立場では口外できん」
「まーあんなの人数さえ揃えば簡単すぎガフッ!」
「
……あるんだな。
まあ頭数さえ揃えば簡単すぎる手法なのに、実際にペルソナ使いであろう人間が少ないとしたら、極端なほど再現性に欠けるということだが。
「つまり僕は再度ペルソナ使いになれる保証はないけれど、変な世界に迷い込みやすく、万が一怪物に攻撃されたら一発で死ぬと?」
「そういうことだ。
だからこそ我々は、この場を設けて君に警告を発することにしたわけだ」
なるほど。
まさかの純然たる善意というわけか。
さすが南条。貴族の責務を擬人化したような男だよ。
「防げる被害は防ぐに越したことはない。
街全体が異界化するような異常事態であれば、対処は難しいが……
外を歩いていて偶然迷い込んでいたような小規模な異界であれば、脱出方法はある」
「そんな回りくどい前置きいらんくね?
間違い探しとか脱出ゲームみたいなモンでしょ」
「簡単に言うがな、上杉。
それが出来たら苦労しない場合も多いのだぞ。
……話を聞く限り、やはり本物の明智吾郎が侵入できる認知世界と同一の仕組みだな。
しかし先ほど南条は、
つまり認知世界への能動的な干渉は明智吾郎固有の能力である……そう考えていいはずだ。
「しかし……例えばペルソナ使いが普通の人間を異界に連れ込んで殺したら、不可能犯罪が成立しませんか?」
推論を確立させるため、あえて踏み込んだ内容を尋ねる。
そもそも探偵が殺人事件のトリックに興味を持つこと自体はおかしなことでもあるまい。
「確かに君が言う手口の連続殺人事件は現実に発生している。
しかし、死体は現実世界で発見されて犯人も捕まった」
「ゴローちゃんも先代の探偵王子の話は知ってるっしょ?
稲羽市の連続殺人事件をバビュッと解決したってヤツ!」
……アレか。
電柱に逆さ吊りの死体がぶら下がるという異常性から東京のテレビ番組でも特集されていたな。
「結局のところ、殺害手段が分かれば容疑者も絞られる。
「そもそもペルソナ能力自体、めちゃんこいろいろあるしね。
俺様みたいにド派手にドッカーンが得意なヤツもいれば、なんじょうくんみたいに地味だけど色々できるとか、回復が得意とかさ。
そもそもペルソナを切り替えられるヤツと切り替えられないヤツとか、他の人がペルソナ使いかわかるわかんないとかさぁ」
「現実世界で使えない代わりに異界内部で強大な力を発揮するタイプや、戦闘ではなく探索や補助に特化したタイプなどもいるな。
自分自身が持つ別側面に神や悪魔の形を与えて召喚するという能力である以上、人間の性格同様に差があるのは当然だとも言える」
――果たして南条の理解や解釈がどこまで正確なのか。
測りかねる部分は多いが、少なくともペルソナという能力の研究に関して先達であることは間違いない。
私が持つ認知訶学の知識と照らし合わせられそうな部分も見えてきた。
「では、ペルソナ能力を用いた殺人というのは、捜査すればすぐにわかることだと?」
「すぐに、と言い切るのは語弊があるが……射程範囲ならライフルの方が上で、痕跡の残らなさなら毒物の方が上だろう。
異界を使うなら入口の近くを通らざるを得ないし、ペルソナ能力そのもので殺すなら犯人自身が被害者に接近する必要がある」
「別に万能のパワー! ってわけじゃないしね〜。
強いペルソナばっかり使いすぎればぶっ倒れるし」
「不可視の防弾防刃装備として見るならば最高級の代物だが、武器として使うには大味過ぎる。
隠して持ち込めることが最大の利点――とはいえ、我々のように能力の有無を察知できる者もいる。
何より、この国には桐条や白鐘のような超常現象に理解を持つ捜査機関が既に存在している。
彼らの目をかいくぐり、ペルソナや異界を用いて犯罪を行うというのは容易い話ではなかろう」
『南条や桐条は認知訶学がペルソナ能力及び異界に通じることにまだ気づいていない』
『明智吾郎と同等の能力を持つペルソナ使いは、少なくとも南条と桐条のネットワーク上には存在しない』
『それは何故か』
得た情報と思いついたことを全てメモとして書き留める。
デジタル全盛期の現代日本において、アナログこそ最高のセキュリティだ。
現物さえ盗まれなければ覗き見られないし奪われない。
『仮説。ペルソナ使いには2種類ある』
『己の認知を現実世界に反映させて超常現象を起こすペルソナ使いと、他者の認知世界に侵入した上で己の認知を反映させ標的の精神を改変するペルソナ使い』
『南条圭と上杉秀彦・桐条のペルソナ使いは前者の【現実改変型】で、明智吾郎は後者の【認知改変型】だ』
『両者ともに根本的原理は使用者の精神であり認知だとしても、干渉先が違う』
『故に明智吾郎と同様の能力を持つペルソナ使いでなければ、明智吾郎の犯行痕跡を見つけられない』
『ターゲットとなった人間の認知世界にしか犯行痕跡が残らないからだ』
そうして考えをまとめていけばまとめていくほど、逃した魚の大きさが浮き彫りになっていく。
明智吾郎というペルソナ使いは、私が考えていたよりも遥かに特別な人間だった。
いや、あるいは明智吾郎本人でさえも自分の特別性を正確には理解していなかったかもしれない。
『仮説。ペルソナ使い同様、異界化も2種類ある』
『認知世界が現実世界を侵食・融合して起こる大規模なケースと、現実世界に認知世界へ通じるルートが開いてしまった小規模なケース』
『明智吾郎の能力は後者に関連しており、開通していないルートを自由に通れる、もしくは強制的に開通させられる』
『無能力者が迷い込み死亡した事故は、どちらの異界でも発生している』
メモを書き続けながら、隣の床を見る。
右手に収まるサイズのポケットライトが1つと、握りやすい太めのグリップの指示棒にしか見えない伸縮ロッドが1つ。
親切極まりない財界の帝王殿が、哀れにも無能力者となった高校生に下賜した、現実で役に立つかどうかもわからない護身グッズだ。
一応
300円ショップに売っていそうなサイズ感と1000円で買えそうな質感の割に、軍用機種にダブルスコアで勝てるスペックが売りとのこと。
そんなものを
どうなってんだよ日本――いや、これは桐条がおかしいだけだ。
前々からおかしいことだけは知っていたが、関われば関わるほど噂以上に全てがイカれていることがよくわかる。
いくら財界の一翼を担い、ペルソナ能力に関して随一の研究を誇っているとはいえ、これ以上関係性を深めたくない。
――しかし、同時にこの護身グッズは、桐条が異界関係災害や犯罪のために研究開発した
もしも桐条が言うところの異界と、私の知る認知世界が、根本的に同質のものであるという仮説が正しいのならば。
認知世界に行く手段がない以上、夢の話にすぎないが――夢を見るだけなら自由だ。
夢を、見るだけなら――
……ダメだ。眠くなってきた。
時計を見る。4時。
なるほど眠いに決まっている。
私はノートを放り出し、大人しく睡魔の手招きに従って寝袋の中に潜り込むことにした。
Q:影時間は異界判定に入りますか?
A:空間ではなく時間異常判定なのでギリ入っていない設定です。
Q:20年前の症例ってなんですか?
A:女神異聞録ペルソナにはタナトスの塔という大変めんどくさいダンジョンがありまして、罠でペルソナを剥奪されて敵の攻撃魔法でミンチになる主人公一行が多発したのです。
Q:クトゥルフ神話TRPGって昔からあったの?
A:あります。1981年に初版が発売され、1986年に第2版をベースにした日本語版が発売されました。
当時の大学のボードゲーム部やSF研究会、ミステリー研究会などの文系サークルでは日本語版発売前から有志で英語版を翻訳して遊ぶ人たちがいたそうです。
政経系の学生はウォーゲームと親和性が高いため、獅童も元祖友情破壊ゲーことディプロマシーをやるためにボドゲ部に顔を出していたら、TRPG派の人達がCall of Cthulhu英語版を輸入してきたので全員で翻訳して遊んだのでしょう。
本格的に大学生の間で流行ったのは日本語版発売後です。