獅童正義は明智吾郎として生きることになった。 作:枝野トナナ
今日も夜がやってくる。
寝苦しい布団にくるまって目をつぶる。
鑑別所の生活は思っていたほど酷くはない。
ただ、自由がないだけだ。
――俺はあの日、人を殺した。
そんなつもりはなかった。
絡まれている女の人がいたから助けようと思った。
それだけの話……だとは、言えない。
女性に乱暴することは罪だと思うが、死んで然るべきだなんて思ってもいない。
悪かったと認めて反省して、相手に謝って、もうやらない――それで済むこと。
でも、俺のせいで、そうはならなくなってしまった。
暴行罪ではなく傷害致死罪。
取り調べの警察官はそう言った。
最初はやたら威圧的に出ていたのに、翌日になって突然優しくなった。
留置場に行くときも、可哀想だと同情された。
父さんも母さんも。2人が呼んだ弁護士の人も。
みんながみんな、俺のことを運がなかったと言った。
――あの日から、同じ夢ばかり見る。
暗闇の中で、俺が死なせた人の怨嗟が響くだけの夢。
きっと今日も変わらないだろう。
それでも眠らなければ明日はやってこない。
いっそ目覚めなければいい――そう思う瞬間がないわけじゃないが、それでも罪を償うには生きないといけない。
逃げるのは楽だ。
俺は、自分の罪から逃げたくない。
息を吸って、吐いて、もやもやする思考を胸の奥底に沈めていく。
下へ。下へ。夢の中へ――
「――なるほど。さすがは
……?
気がつくと、妙な廊下に立っていた。
視界を横切るように青い蝶がふらふらと飛んでいく。
思わず後を追って目線を向けると、どこかで見たような男が佇んでいる。
蝶は男をすり抜けて、廊下の奥へと飛んでいく。
その先にある青い扉――を遮るように、男がこちらへと歩いてきて俺の前で足を止めた。
「すまないな。あの部屋はまだ準備中だ。
癖のついた黒い髪。モノクロのドミノマスク。その奥に輝く金色の目。
仮装大会から抜け出してきたような、
正体不明の男は皮肉めいた薄笑いを浮かべながら、演技がかった仕草で両手を広げる。
「ああ、私は敵ではないよ。
単なるゲームの『観客』だ。双方と取引をして特等席を手に入れただけの、な」
何を言っているかわからない。
俺は夢でも見ているのか――……いや、本当に夢か? ここは。
「そうとも。現実との狭間ですらない、純粋なる君の夢だ。
こちらの方が私の居場所に近いのでね」
「……誰だか知らないが、人の夢に何の用だ」
俺の言葉に、『観客』を名乗った男はしばし目をしばたいた。
そして次の瞬間、額に手を当てて腹の底から笑い出す。
「ああ、久々だ! 私にそれを言うとは、実に愉快!
図々しく愚かでふてぶてしく、堂々と前を向き己の権利を主張する!
人間はやはり
狂ったように哄笑する男の姿に、俺は思わず後ずさる。
理由はわからない。でも、こいつは、これ以上関わるべきじゃない。
心の何処かで、警報が鳴り響く。
「気に入ったよ、少年! 実に気に入った!
誰の手もついていなければ私の遊戯の駒に選びたいところだ。
しかし此度において君には
双方の約定に則って、私は私の役目を果たすのみとしよう」
男は唐突にくるりと身を翻し、俺に向かって頭を下げる。
「さて、少年よ。改めて主役たる君に問おう。
――
……名乗る、べきだろうか。
不安と恐怖が際限無く沸き起こり、心臓がだんだんと早鐘を打ち始める。
だが、眼前に立つ男の視線はまっすぐ俺を射抜いている。
まるで俺を試しているかのように。
なら――
「……
「結構。さすがは■■■■■■■、我が同類」
わざとらしい笑みを貼り付けた男の声に、突然奇妙なノイズが走る。
なんと言ったのか聞き直す機会は与えられなかった。
「――我は汝、汝は我。
我、ここに新たなる約定を結びたり。
汝が反逆の翼を広げし時。囚われの枷を破壊せんと望む時。
【愚者】たる汝が生まれし時、我、自由へ至る導きの神風を吹き鳴らさん」
何かの呪文のように口上を唱える男の手の上で青い光が揺らめく。
光はくるくると回りながら一枚のカードに姿を変え、ふわりと俺の手に収まった。
――何も描かれていない。真っ青なだけのカード。
見つめれば吸い込まれてしまいそうに青く、それでいてつややかな表面には俺の顔が映り込んでいる。
「安心したまえ、私が直接力を与えるわけではない。
私はただ、『彼女』と交わした取引を果たしているにすぎない」
「……彼女って」
視線を上げ、そして気づいた。
目の前の男が、衣装以外は俺と瓜二つの容貌をしていることに。
そんな俺の反応に気づいたのか、男は口の両端を吊り上げる。
自分と同じ顔をしているとは思えないほど邪悪な嘲笑は、しかし何故か目の前の存在にぴたりと似合っていた。
「それは『観客』に尋ねることでも、私が答えることでもないな。
君がうまく立ち回ればいずれわかる。
――立ち回れなければ、私を満足させるだけだ」
「……」
男は俺の肩を叩くと、廊下の向こうへと歩き出す。
「ではな、雨宮蓮。
闇の奥に消えていく嘲笑を背に、俺は前を向く。
青い蝶はもういない。ただ、青い扉だけがある。
俺はいざなわれるように一歩踏み出し――
――そして、目が覚めた。
窓から朝日が差し込んでいる。
いつもの悪夢とは違うのに、なぜか背中がじっとりと湿っている。
寝た気がしない。
それでも朝は朝らしく、起床の音楽が流れていた。
青いカードはどこにもない。
当たり前だ。
夢が現実になどなるものか。
……けれど何故か、あの鮮やかな青が忘れられずにいる。
カードの表面に映りこんだ俺の顔も。
いや、今日の夢全てが心に刻み込まれている。
そんな感覚がある。
――でも、俺が生きるべきは現実だ。
今日も話を聞かれ、そして色々言われるのだろう。
判決が出るのは4月に入ってからだと聞いている。
弁護士の人は、「保護観察処分になるはずだ」と言っていた。
それから「転校先が見つかった」とも。
未来が明るいとは思わない。
それだけの事を俺はしてしまった。
後悔していないと言えば嘘になる。
それでも――あの時の行動全てが間違っていたとは言いたくない。
生きよう。前を向いて。
図々しかろうが愚かだろうが、ふてぶてしかろうが構わない。
俺はただ自分の正義を信じた上で、犯した罪を償うべきなのだから。