獅童正義は明智吾郎として生きることになった。 作:枝野トナナ
第14話――4/1『Unscripted Encounters』
昨日はテレビ収録で疲れたせいか、珍しく夢を見ずに朝まで寝ていられたようだ。
背伸びをしてカーテンを開けると、柔らかな日差しが飛び込んでくる。
少し歩いて北沢川緑道まで行けば満開の桜が咲いているだろう。
せっかくの季節、全部忘れて花見酒でも引っ掛けたいところだ――と思いはするが、さすがに許されない。
未成年者の飲酒は法律で禁止されています、など言われなくてもわかっている。
しかし女を抱きたい気持ちは一向に湧いてこないのに、酒は飲みたくなるというのもな……
やはりアルコールも立派な依存性のある薬物ということか。
まあいい。食事がてら、新たに浮上した課題について考えよう。
スマホを操作して
個人で制作した動画を投稿できるサービスと言えば聞こえはいいが、実態は国境を超えた無法地帯だ。
もちろん才能のある人間が才能を無駄遣いして作った本物のエンターテイメントも混ざっていなくもない。
しかし著作権も放送権も肖像権も商標権も全部知らんとばかりに中指を立て、つまらん
極稀にシーグラスが埋もれているゴミだらけの海岸だと表現したいところだ――
――が、時にはゴミの方が役に立ってしまうこともある。
《2代目探偵王子情報発信局》
《明智くん非公認ファンクラブ》
2つとも放映済みのテレビ番組を切り抜いて、明智吾郎が出てくるシーンだけをまとめているチャンネルだ。
内容が同じなんだから片方だけで良くないか? とか、その情熱と時間を他に向けたらどうなんだ? とは思うが……
まあ、元々
熱狂的なファンが出現すること自体は想定済みではある。
――いや、してはいたのだ。本当に。
だがな。
どちらのチャンネルでも、私が出演した回に対して『体調悪いのかな?』『左手と足、かばってる?』などというコメントがついているのを見て肝が冷えた。
無論、出演中に体調についてわざわざ話してなどいない。
単純に仕草だけで見抜いたファンがいる、ということだ。
そして私も見比べ――すぐに気づいた。
本物の明智吾郎と私では、無意識の動作がほとんど左右逆なのだ。
例えば首を横に振る時、先にどちら側へ振るか。
例えば歩き出す時、どちらの足が先に出るか。
私は右利きだ。故に、無意識に利き手利き足側に動かしていた。
しかし実際に明智吾郎の真似をしてみると、そちらの方がスムーズに動ける感覚がある。
理由など考えるまでもない。
おかげで昨日の撮影は大変だった。
なにせ動画の存在に気づいたのがテレビ局に移動する直前だ。
ぶっつけ本番で足運びだけ意識して変えてみたが、これで合っているのかもわからない。
それに、今出演している『今ドキ解説』は木曜撮影で翌週月曜放送だ。
そこから切り抜きや加工をして動画形式にしてアップロードするから、チャンネル更新はどちらも水曜の夜。
私がどれぐらい正解に近づいているかは……それこそ来週の木曜日の朝にでも、コメント欄やSNSを見て判断するしかなかろう。
あとは普段の生活でも意識的に動作を真似ていくしかない。
元々左側の方が動かしやすいという認知を持てれば、左利きの人間と遜色のない動作ができる――はずだ。
少なくとも筋肉と脳では、脳の方が早く環境に適応するからな。
"どう動けば楽か"を本物の明智吾郎の動画から導き出し、実際に行動して"こう動いたほうが楽だ"ということを理解させて、無意識に叩き込んでいく。
熱量が高いファンの目にも耐えられる動きができれば、今のぎこちない動きは全て
――できなければ?
決まっている。ある日を境に明智吾郎の動きがおかしくなったと噂が広まるだろう。
そして凡人は脳手術をしたという事実にたどり着き、一部の狂人が
そうして南条か桐条が本格的に月光大病院を調べ出して真実にたどり着き、私はゲームオーバーというわけだ。
そうならないための努力。そうならないための観察。
面倒だなんだとは言っていられない。
死にたくなければやるしかない。
それはそれとして日常生活もこなさんといかんがな。
片付けと掃除、もう一つの家に移動して着替えと洗濯と掃除。
……やっぱり洗濯機は防音マンションの方に運んだ方がいいか?
完全に書斎兼ランドリールームになっているが……いや、全く使わずにいたら出ていけという話になりかねない。
片付ける余力がない以上、寝ていないだけでここで生活しているという言い訳は立てておいた方がいいだろう。
ついでに勉強の時間だ。明智吾郎が使っていた勉強用ノートなぞ持ち運ぶ気もないからな。
筆跡の手本にしつつ、数学のテキストを解く。
文系科目は記憶力や発想力、あるいは読解力でカバーできる部分も多い。
だが、理系科目は積み上げの要素が遥かに大きい。
基礎を修めなければ応用ができず、応用ができなければ次の段階に進めない。
特に数学はそれが顕著だ。簿記ならできるが、高校数学となると序盤の段階からして記憶から抜け落ちている。
センター試験向けの問題を解くよりも、一から復習してどこで躓いているかを把握する方が効率的に点数を上げられるはずだ。
「……これでいいか」
思ったより外が曇ってきたので急遽部屋干しに変更し、サーキュレーターと除湿機をセットする。
勉強もまあまあキリが良いところまで終わった。
昼も近いし、少し外に出かけるとしよう。
どこにするか……まあ渋谷で良いか。近いし。
新居で読むための本か雑誌を買うのもアリかもな。
そろそろ若者の流行も押さえた方がいいかもしれない。
明智吾郎本人が買っていた本は若者の参考どころかビジネス書と専門書ばかりだった。
大人の仲間に入りたくて仕方ないクソガキのチョイスとしては妥当なラインだろうが、果たしてどれだけ人生の役に立ったというのか。
辛うじて奴自身の趣味に結びつきそうなものといえば、机の上に置かれていたグルメガイドに本棚の隅に隠されていた古臭いヒーローものの児童書ぐらいだ。
引き出しの中に玩具の光線銃と剣も入っていたから、奴なりに正義の味方への憧れはあったのかもしれない。
しかしそれらが一般的な若者の趣味でないことぐらい、私でもわかる。
だからと言ってこの前の深夜番組のようなネット発祥文化も、SNSというエコーチェンバーの中で育った局地的な流行だろう。
知っている人間の間だけでこっそりと楽しむものであり、不特定多数の人間の前で堂々と晒すものではない……と、思う。
断言は出来んがな。
何せ私が学生だったのは三十年以上も昔の話だし、現代の学校でガキどもと直接交流してはおらんのだ。
……そう考えると、ティーンエイジャー向けの雑誌が妥当だろうか。
ファッションだけでなく、総合的な流行を押さえている雑誌を探す……いや、でもこの格好で?
眼鏡とハンチング帽以外は明智吾郎の私服そのままだぞ。
切り抜き動画を見てチェックするレベルのファンが1人も渋谷の本屋にいないと断言できるか?
…………止めておこう。
本屋に並んでいる雑誌を見てから、適当に無難なものを買うとするか。
そんなことを考えているとあっという間に渋谷についた。
確かセントラル街の入口に本屋があったはずだ。
ついでにジューススタンドに寄って行くか。喉が渇いたし。
――そんなことを考えながら地下通路へ行くと、最初に会ったときと同じ場所で同じポーズをしているガキがいる。
「あれ? 喜多川?」
「ん……ああ、明智か。会うのは明日じゃなかったか?」
「それはこっちのセリフだけど――あ、もしかして春休みだから毎日人間観察してる?」
「いや。部活がある日はそちらに顔を出すんだが、今日は休みでな。
先生もいらっしゃらないし、外に出て着想を得ようかと」
「なるほどね。僕は散歩がてら本屋に行こうと思ってさ。
やっぱり喉が渇いたから、そこのジューススタンドに寄ろうと――」
などと歓談しながら指で示した、その時だった。
「あれ? 明智くん?」
聞き覚えのない女の声。
振り向けば、そこにはやはり見覚えのない高校生らしきガキが1人。
凛とした顔立ちに肩に届かない短さの髪。黒のタートルネックとスキニーにブルーグレーのハーフコート、茶色のロングブーツ。
「やあ、こんにちは。こんなところで会うなんて奇遇だね」
誰だよ、と思いながら当たり障りのない挨拶をする。
いや考えろ。
外れても今日はエイプリルフールだ。名前を間違えてもふざけていただけで押し通せばいい。
「――僕はジューススタンドと本屋が目当てなんだけど、
当たれ。当たれ当たれ当たっとけ!
だって新島冴とその家族以外にいねえだろ、渋谷駅で遭遇しうるあのクソガキの個人的な知り合いなんざ!
上杉や南条みたいなレアケースはそうそう出てこないはずだ!
「ええ。もうすぐ新学期だし、新しいノートや小物を買おうかなって」
よし。第一関門突破。なら次は――
「さすが新島さん、真面目だね。
――ああそうだ、紹介するよ。彼、喜多川祐介っていうんだ。
洸星高校の美術科の特待生なんだって」
こちらから先に紹介を振ることで、喜多川から関係性を聞かれるのを防ぎつつ、新島から情報を引き出す。
大丈夫。さすがにこの会話の流れに怪しまれる要素はない。
「特待生……! それはすごいわね。
私は新島真。秀尽学園の3年生よ、よろしくね」
「ああ……よろしく、新島さん。
……3年生ということは2人とも先輩か」
「みんな学校が違うのに先輩ってのも変な話だよ。ねえ、新島さん」
「そうね。そんなに気にしなくていいわ」
にこりと笑顔を浮かべたのも束の間。
新島真は喜多川から視線を外すと、突然声を細めた。
「それより明智くん、最近お姉ちゃ――姉さんと会った?」
……どういう意図で聞いているのだろうか。
表情を見る限り、単純に疑問だから聞いているだけに見えるが――いや、ガキ相手に嘘をつく必要はあるまい。
喜多川に聞かれても困ることでもないし……っていつものポーズを取り始めてるな。そもそも聞く気がないということか。
「うん、何度か会ってお世話になってるよ。
事件とかじゃなくて、僕の個人的な相談に乗ってもらってる」
「明智くんの?」
「ああ。詳しいことは言えないけど、冴さんの仕事を増やしちゃったかもしれない。
……もし帰りが遅くなってるんだとしたら僕のせいだ。ごめんね」
明らかに生真面目な妹が、明らかにクソ真面目で苛烈な姉を心配する理由など、だいたい激務を見かねて――というパターンだろう。
なら、疑問の答えの一端でも提示してやれば少しは満足するはずだ。
そんな私の予測通り、新島真は「そうなの……」とつぶやきながらもわずかに態度を和らげる。
「私こそごめんなさい。急に聞いちゃって。
姉さん、すごく張り切ってるのはわかるんだけど、ここ最近は毎日遅くまで働いてるから……」
……やる気出しすぎだろ新島冴。
なんだ? まさか補欠選挙前に動く気か?
やめろバカ。
普通に筆跡鑑定でお茶濁して、補欠選挙終わってから本格的に動けよ。
政界の流れってものを考えろ。
「冴さんは検事の仕事が好き――というか、検事であることに誇りを持っているからね。
新島さんからすれば心配になるのはわかるけど、あの人はやり手だからさ。
自分の体調は管理してると思うし、一段落つけばちゃんとご飯を食べに帰ってくると思うよ」
「……そうね。確かにそうかも」
なんで私は高校生のガキ相手に、激務の旦那を抱えた奥さんを慰めるような会話をしているんだ。
まあいい。納得してもらったところで、せっかくだから私の役に立ってもらうための布石を打つか。
「――あ、そうだ。
新島さん、今年秀尽に入学予定だった新体操の特待生の子の話って聞いてる?」
「え? い、いいえ……さすがに何も聞いてないけど」
だろうな。
「テレビ局で会ったディレクターさんの娘さん達で、芳澤かすみさんとすみれさんって言うんだけど……
かすみさんの方がこの前の事故で亡くなったそうなんだ」
「えっ!? そ、それってニュースでやってた……!?
あの子、うちの特待生だったの!?」
報道されてたのか。
まあ、高校入学を目前にした双子の片割れだけが死ぬという無惨な事故だから視聴率は取れるだろうしな。
「うん……それで、残されたすみれさんも心を病んでしまっていて、お父さんも参ってるそうなんだ。
秀尽の先生方は厳しいから、こんな状況でも成績のためにプレッシャーをかけるかもしれない。
だから、新島さんさえ良ければ、少しすみれさんのことを気にかけてあげてほしいんだよね」
――こう言っておけば、後々新島冴経由で会った時に、『そういえばすみれさんってどうなった?』と話題を振れるだろう?
そこから秀尽学園内の情報を引き出して、ついでに雨宮蓮に関する情報を収集するよう誘導すればいい。
「う、うん、わかったわ。
……でも明智くんがそういうことを言うなんて珍しいね?」
――それは。
それは、たしかに、そのとおり。
有り得ないと言われても仕方がない。実際、クソガキではなく私だから言っているだけだ。
「僕も他の人のことなら頼まないけど、芳澤ディレクターにはお世話になったからさ。
さすがに恩義のある人が憔悴しているのを見たら心が痛むよ」
「そっか……ごめん、失礼なこと言っちゃった。
それに友達との時間も邪魔しちゃってごめんね?」
新島真はそう言って、私のみならずすっかり蚊帳の外の喜多川に頭を下げる――が。
こいつ、話聞いてないどころかずっと構図切ってたぞ。
正直、謝らなくていいと思う。
「それじゃあ、またね」
「ああ。冴さんによろしくね」
私と新島真が手を振って別れると、ようやく喜多川が口を開く。
「なかなか良い雰囲気の女性だったな。
特に憂いを帯びた瞳が美しい。棘で身を守りつつも健気に咲く野薔薇のようだ」
第一声がそれかよ。
本人の前で言わなかっただけマシではあるが。
――それにまあ、身内の話ばかりしていたのは我々だ。
部外者のコイツが話に入りにくい雰囲気だったのは否めない。
「ごめんごめん、こっちの話だけで盛り上がっちゃって」
「いや、いい。男と女が会話をする姿というのはそれだけで絵になる。
フフ……恋人や家族もいいが友情で繋がれた男女というのもいいな……」
繋がってないが?
……いや、繋がれているように見えたなら私の演技が上等だということでいいのか。
まあいい。茶番に巻き込んだ分の礼ぐらいは支払ってやるさ。
「そう言えば喜多川はご飯食べた?
もしまだなら、牛丼でも食べに行かない?」
「えっ? で、でも今日は金曜日で約束の日は明日だぞ?」
「いいじゃないか。今日500円まで奢る代わり、明日を1500円上限にすればさ。
トータル2000円だから何の問題もないよ」
「……天才か?」
やっすい天才だなぁオイ。
「あはは……その代わり、明日は僕の買い物に付き合ってくれないか?
今の服からイメージを大きく変えたいんだけど、1人じゃ結局同じような服を買っちゃいそうでさ。
君に見立ててもらいたいんだ。そういうの、きっと絵にも通じるだろ?」
「承知した。任せておけ」
チョロい。
目ざとくてうるさい女どもに比べたら本当にチョロくて助かる。
誰も彼もこいつぐらい扱いやすければいいのにな。
どうせ世の中、何もわかっていない愚民ばかりなのだから。