獅童正義は明智吾郎として生きることになった。 作:枝野トナナ
ようやく念願のベッドが到着した。
ハンガーラックをサイドに立てて、デスクとチェアも近くに設置してもらった。
あとはシーツ類や枕や布団をセットすれば寝袋生活とはお別れだ。
最近は割と慣れてきていたが、やはり寝心地という点でスプリング付きのマットレスには敵わない。
まあ何かあった時に使うかもしれないから、きちんと手入れして保管しておこう――
「楽しそうですね。なんでソファとか買わなかったんです?」
まだ私が使ってもいないデスクチェアに座って見ているだけというのも少し腹立たしくはあるが、こいつに善意を期待する方が間違いだ。
――だが、床の上でせわしなく動いている
……いや、やっぱり無駄だから止めておこう。
「掃除機に金かけすぎて金欠ってなら、これを機に金銭感覚を養った方がいいですよ」
「わかってますよ。それよりこれ、預かってもらっていいです?」
「ノートパソコンですか? ……ああ、うん、まあ、了解しましたよっと」
星野は私が差し出したバッグを受け取り、そのまま外に出ていく。
私は静かになった隙に残りのベッドメイクを終わらせ、ゴミを片付ける。
やがて5分もしないうちに、奴が戻ってきた。
新品のベッドにまで座られるのも癪だ。私はさっさとシーツで包んだマットレスの上に腰掛ける。
星野はなぜか肩を竦めながら、再びデスクチェアに座り込んだ。
「とりあえず車に積んでおきましたが、盗聴器でも仕掛けられたんです?」
「多分ね。ああ、
昨日足を踏み入れた
盗まれたのはICレコーダーとメモリ類だけだが――
足のつきにくいものだけを選んで持ち出すようなプロが、
ついでに言えば、そういう入り方ができる奴自体がかなり限られる。
何せ私のマンションはオートロック式で入口にはコンシェルジュが立っている。
あからさまな不審者は通れるはずもない。
――逆説的に、
それが出来るのは誰か?
……獅童正義の死後、ドタバタしている状況下でこちらの私設秘書を抱きかかえられる人物か。
あるいは警察や公権力を装い、事件に関与する品がないかを調べに来たと言い張れる人物か。
どちらにしても可能性が高いのは認知訶学研究グループの連中だ。
実際、大江は何人かの私設秘書を引き抜いているし、裏社会の奴らは何人か汚職刑事を手懐けているからな。
「どうやら獅童先生の部屋に無断で入った奴らは情報を求めているようでしてね。
レコーダーとダミーのメモリ類が無くなっていました。
――なら、盗聴器とキーロガーはついでに仕掛けているでしょう。
そういうわけでせっかくのパソコンですけど、専門家に頼んでクリーンナップしておいてほしいんですよね」
「ボスのノーパソって初期化しても大丈夫なんですか?
後で文句言われても困りますよ、俺が」
「ソフト入れ直せばいいだけだから大丈夫ですよ」
当たり前だが、重要なデータを平文で管理するバカはおらん。
記録媒体に保存している情報は、私が使っていたものと同じ暗号化ソフトを通してパスワードを入力しなければアクセスできないようになっている。
無論、暗号化ソフトさえ起動できるのなら、あのノートパソコンを使わなくとも良いのだが……
自由に動かせる資金が1千万しかないとなると、さすがに節約したくもなろうというものだ。
「しかし面白いことになりましたねぇ。
トーシロには身柄を狙われ、プロには情報を狙われるって大人気じゃないですか」
「どいつもこいつも清き一票になってくれるなら歓迎するんですけどね?
身の程知らずな虫どもにたかられても不愉快なだけなんですよ」
全く、面倒くさい。
身体さえ自由には動かせない上に資金も心許ないとなると、打てる手が限られすぎる。
それに今月の第4日曜日に補欠選挙があるから、
さすがに吉阪を勝たせて、私の後釜という立場にきっちり据え置かせてやらないと、真っ当な根回しすらできなくなる。
「ま、プロの方は諦めましょう。
獅童先生の家に侵入する口実を用意できて、あそこまで丁寧な仕事が出来るのは、ほぼ確実に認知訶学研究絡みだ。
連中が欲しがってるデータは奴らの手に渡ってませんし、僕を直接狙う様子もなさそうだから、盗聴だけ対策すれば何とかなる」
「……どうせ秘密にするんでしょうけど一応聞いときます。
あいつらが欲しがるもんってなんですか?」
「当然秘密です」
実際、誰が主導かで何が狙いかは変わるだろうが――私が秘匿している認知訶学の関連情報といっても複数ある。
例えば過去の『会議』の録音。
例えば過去の『依頼』の録音と実行結果のリスト。
例えば一色若葉が制作した認知世界ビューワのプロトタイプ。
例えば――まあこれは存在しないのだが、精神暴走と廃人化を起こせる【ヒットマン】に繋がる情報だって、奴らには喉から手が出るほど欲しかろうよ。
「不法侵入した方々には残念ですが、ほとんどのデータは僕の手元に残ったまま。
そして僕が正当な持ち主であると気づく頃には、優秀な検事さんが奴らの足元を存分に切り崩していることでしょう」
「俺がうっかりボスのことを喋らなければ、って条件がつきますけどね」
「そうですね。あなたから言ってくれるなら安心だ」
「むしろ怖いのは素人ですよ。
バカすぎて思考が読めません」
「だから言ったでしょうよ。
世の中の大半はあんたや俺みたいな賢い人間ばかりじゃないんだって。
笹木さんは当然、坊主や吉阪くんだってだいぶ上澄みの方ですよ?」
「アハハハ。あんなガキどもでも上等な部類だってことは頭ではわかっているんですけどね。
――まさかクソガキ以下の愚民が日曜のスカイロビーで白昼堂々誘拐を試みるってどう予測すりゃいいんだ? 教えろゴミカス」
「素が出てますよボス。
いやまあ俺としてはそっちの方が落ち着きますがね」
「チッ――冗談じゃねえんだよクソが。
ヤクザどもなら路駐の車と人気のない場所避けりゃだいたい何とかなるし、前から近づいてきてくれりゃ見分けもつくんだよ。
あんな素人じゃ逆に愚民と区別できねえ。バカの親玉が同じバカを派遣しない限りはな」
裏社会の人間が標的を誘拐する場合どうやるか――という話は星野から聞いているし実際に体験しかけたこともある。
基本形は単純だ。2人で左右を固めて口を封じ、1人が背後から押して無理やり車に押し込む。
時間を掛けることもない。だいたい仕掛けてから数秒程度、無言で事を完結させる。
もしくは2人だけで両脇を押さえ、凶器で脅して歩かせるというパターンもあるが……
どちらにしても、距離を縮めようとすれば必ず速度が変わる以上、足音のリズムが変化する。
複数の足音が同じタイミングで乱れるから拾いやすいし、かつて狙われた時もそれで気づいてギリギリ逃げられた。
しかしこれは、奴らのやり方が最適化を極めているからこそ取れる対処法なのだ。
洗練され尽くした手口だから星野がヤクザに囲われていた頃から変わらないし、同じやり方で対処できる。
故に、完全なド素人がその場のノリで考えた拉致手法――例えば突然走ってきて頭をぶん殴って連れ去るような通報上等のやり口――にはまず適用できない。
「面白いですね。大衆の扇動なら大得意なのに、トーシロ相手にするのがニガテってのも」
「愚民どもの顔見て空気読んで煽ってやるのと、バカに突っかかられた時にどう殴り返すかってのは別次元の話だろ」
「いっそ殴ってきたバカを籠絡して味方にすりゃいいんじゃないです?
たまにやってたでしょ。心が広くて理解のある彼氏ごっこやら上司ごっこやら」
「無礼を見逃してもいい程度には有能だったらな。
無能な働き者なんざ金を積まれてもいらんわ」
無能な敵も大概だが、無能な味方が一番邪魔だ。
有能な人間なら関わってやってもいいが、塵芥に割く時間などあるものか。
「じゃあどうするんです? おとり捜査でもやります?」
「誰がやるか。面倒な。
どうせ相手は裏社会にツテも持てない小物なんだ。
このタイミングで明智吾郎に接触しようとしたのも、十中八九戸籍で相続人を確かめられるようになったからだろ?」
明智吾郎との血縁については遺言書で認知しているから、遺言執行者――つまり赤川が役所に認知届けを出さないと戸籍には乗らない。
あのババアが着任したのは3月25日。1週間後に反映されたとして、4月1日。
――裏社会と繋がってる連中が動いていたなら、それこそ本物の探偵や調査会社を使ってもっと早くに相続人・明智吾郎の存在を突き止めるはずだ。
笹木、吉阪、星野以外にも、新島冴だの南条圭だのと色々な連中が動いているのだからな。
……というか南条圭も明らかに前もって探りを入れていたよな? 私の発言に対して整合性をチェックしていた口ぶりだったし。
「……もしかしてボス、目星ついてるんです?」
「わかってたらここまでキレねえよ。
現段階じゃ条件が絞り込めるってだけだ」
私は星野に向かい指を立てる。
「まず、裏にコネがない。だから認知訶学関係とも繋がりはない。奴らと繋がってるなら相談の1つもするだろうからな。
それでいて獅童正義の後釜を狙っている。じゃなきゃ獅童正義の名前を出して明智吾郎を釣ろうだなんて考えない。
しかし獅童の派閥の人間ではない。それならお前や笹木、吉阪の耳に引っかかる。
つまり、
「……なるほど? だとすると――補欠選挙で吉阪くんの対抗に出馬するヤツが怪しいってことですかね?」
「ああ。だから今月の12日になれば目星はつく。
衆院補欠選挙は4月24日で、公示日は選挙の12日前だからな。
――そういうわけで、候補者がわかって怪しい奴が見つかったらお前がシメろ。
こっちは金もねえし、こういう仕事を笹木に振るわけにもいかんからな」
「ええー……結局俺がやるんですか。めんどくさいなあ、もう」
文句を言うならバカの親玉に言えよ。
こっちだってどこの馬の骨かもわからん無能のために
「はぁーあ、仕方ありませんね。
ボスの頼みだし吉阪くんを勝たせてやりたいから、やるだけやりますよっと。
――あ、そうだ」
「なんだよ。また妙なこと思いついたのか?」
「そんな。俺をボスみたいな変人と一緒にしないでくださいよ。
――ボスの部屋、
「……ほう。どういう意図だ?」
私が目を細めると、星野は楽しそうに笑い返す。
こいつがこういう表情をしている時は、だいたい私以上の悪巧みを思いついた時だ。
「いえいえ、大したことじゃありませんよ。
せっかくどっかの誰かが頑張って仕掛けた盗聴器ですからね。
「――ハッハッハッ! なるほどなぁ!」
盗聴器というものは、
存在がわかっているのに無防備に本音を話すバカはいないからだ。
だから逆に――仕掛けた側に
「いいんじゃないですか? どうせ僕はもう獅童先生のマンションに行く理由がないですし。
星野さんが好きになさって構いませんよ」
「機嫌直ったからって、急に猫被り直すの止めてくれません?
坊主だって素はあんなもんだし、俺相手に尻尾振ってもつまらんでしょうよ」
「いやあ、ちょっと僕にしては大人気なかったかなあと。
それに気を抜きすぎると探偵王子・明智吾郎のイメージを崩してしまいますので」
「もうガッタガタに崩れてますよ。諦めてください。
――じゃ、俺はそろそろ吉阪くんのところに戻るとしますか」
星野は大きく背伸びをし、チェアから立ち上がる。
そしてふと、デスクに置いたボトルシップをつついた。
「持ってきたんですか、この船」
「好きですからね。メアリー・セレスト号。
人間を載せるために造られたのに、当の乗組員達はどこぞに逃げて船だけが残された。
しかし皮肉なことに無人の船は人々に発見され伝説として名を残した一方、愚かな乗組員の行方は誰も知らない――クククッ、面白い話じゃないですか」
「そういう見方してるのボスだけだと思いますよ。
オカルト本の鉄板ネタすぎて普通の幽霊船にしか見えませんや」
「幽霊なんていませんよ。いたら今頃、僕は祟られて死んでます」
「――ま、そりゃそうですね。
じゃあまた、パソコンの修理が終わったら持ってきますよ」
ひとしきり軽口を叩いてから、星野は片手を振って玄関を後にする。
扉が閉まり、静寂が戻ってきた部屋の中――私は立ち上がり、デスクの上に置いていたメガネケースを手に取った。
寄木柄の箱。
勘のいい奴ならすぐに思い当たるだろうが、さすがにこれは
見破れなくて当たり前。そういう風に造られている。
ケース部分を空け、底に敷かれているメガネ用のクッションを取り外す。
内側の隅にあるピースを押し込んでから箱の外側右の下部をスライド。
内側の反対側のピースを押し込み、底面全体をスライドさせる。
出てきたのは保護用のクッションケースにぴったり収まった4枚のSDカード。
当然、1枚も欠けていない。
パソコンで読み込み、暗号化ソフトと手帳に残しているパスワードを使って解読してやれば、愚民どもが求めて止まない
「……ククッ」
身の程知らずの愚者も、賢しいつもりの乞食も。
同じ過ちを犯していることに変わりはない。
――誰も彼も、私を利用できると思い込んで踊るだけの愚民だ。
利用するものは、常に私。
それを履き違えないものだけが船に乗る権利がある。
愚か者はみな、海の藻屑と消えればいい。
メアリー・セレストの乗組員のように。
Q:星野さんの前だと口が悪くなりますね?
A:「昔はあれがデフォルトでしたよ。
ボスは人に合わせて態度変えるのが好きですから、俺に合わせるとああなるんでしょうね」
「変な事言うの止めてくれません? 誹謗中傷で訴えますよ?」
「今でも酔うとああなるでしょ。みんな知ってる事ですよ」
「……」
※次話は10月8日21時15分投稿となります。