獅童正義は明智吾郎として生きることになった。 作:枝野トナナ
いつだって恨みがましい目でこちらを見つめるガキの姿に辟易しながら、ネクタイを結ぶ。
首が締まる感覚がどうにも慣れない。
昔はきちんと着けていたはずなのに、いつからネクタイを外すようにしていたんだったか。
――思い出せないのなら、きっとどうでもいい理由だったのだろう。
制服を着込み、伊達眼鏡も外し、手袋をはめて、ガキの顕示欲丸出しのアタッシュケースを持つ。
明智吾郎が持っていたノートパソコンや資料類は全て抜いている。
今日の行き先はテレビ局。ケースは見た目だけの小道具だ。中身を見せることもない。
必要なのは外見と言動。
歩き方なども少しは練習した。完璧には程遠いだろうが、初回よりかは本物の明智吾郎に近づいているはずだ。
『そうやって僕の人生を奪うんですね』
――うるさい。自分から放棄した分際で文句を言うな。
幻聴を切り捨て、鏡から目を逸らす。
やっぱり眼鏡は掛けていこうか。
いや、ダメだ。制服姿にも眼鏡のイメージを結びつけてしまうと、私服の時に着けられなくなる。
もうすぐ学校だって始まるんだ。
授業自体はたった一コマで許されているとはいえ、極力毎日登校しないと出席日数が足りなくなる可能性が出てくる。
平日の5日間、通学時間を合わせて1日3時間は制服姿で……
『耐えられるんですか? 毎日僕の真似をして』
「――うるさい!」
鏡を殴りつけようとして、頭痛が走る。
クソ。何をやっているんだ、私は。
乱れた呼吸を落ち着かせ、目をつぶり、痛みが通り過ぎるのを待つ。
誰の声も聞こえない。
当たり前だ。最初からただの幻覚なのだから。
そもそも鏡に映る姿が自分の記憶や自意識と異なる時点で、認知的不協和を起こすに決まっている。
ただでさえ解消法のないストレスが積み重なっているというのに、バカどもに誘拐だの窃盗だのを仕掛けられれば、さすがの私も気が滅入るというものだ。
……正直、テレビ局にもタクシーで移動したい気持ちはある。
しかしさすがに無駄遣いが過ぎるだろう。
都内の電車という人混みの極みの中で、誘拐だの拉致だのを仕掛けるバカは………………いない、はずだ。
物理的に不可能だ。多分。
――そろそろ時間だ。早めに出よう。
ド素人の犯罪行為に遭遇するより、
途中で倒れる可能性もゼロではないし、余裕を持ったほうがいいはずだ。
「――やはりスマートフォンの進化にモラルが追いついていないこともかなり問題だと思いますね。
精神暴走事件という謎に満ちた事件があるから僕もついそちらばかり注目してしまいますが……実際の交通事故原因としては、わき見運転やながら運転の方がずっと身近な危険です。
しかしたとえ政府が重い腰を上げて法律で規制しようとしたところで、個人の意識はなかなか変えられません。
特に依存というものは自分自身で気づきにくいものですからね。僕たちはもっと、社会全体でスマートフォン依存やわき見運転への意識改革を行っていくべきだと考えています」
「なるほどね……確かに私たちも他人事として考えすぎているかもしれない。
実際、歩きスマホをしている人も多いからね。今日も駅で何人かとぶつかりそうになったよ」
「解説ありがとうございました。今週のゲストは二代目探偵王子・明智吾郎さんでした」
「はいカーット!」
カチン、という小気味の良い音と笑顔で頷く小林プロデューサーに、ほっと胸を撫で下ろす。
さすがに収録は多少なりとも緊張する。滑舌よりも映り、動きの面でだが。
「いやープロも顔負けだ!
明智くん、高校……いや、大学卒業したら探偵辞めてコメンテーターに転職しなよ!」
「あははは、ありがとうございます。
ですが、僕にもやりたいことがあるので……」
本音を言えば渡りに船の申し出であるが、明智吾郎としては否定すべきだろう。
探偵をやっている高校生という希少な存在だからこそ、テレビ局側もタレントとして扱うし、明智吾郎も名前と顔を売る意義が出てくる。
ただのコメンテーターならわざわざガキを使う意味がない。それこそ専門家を出すべきだ。
「ああ、でも、学校が始まっても午後なら時間を作れると思います。
何か僕が出られるような番組があれば、紹介していただけると嬉しいです。
激しく動き回るようなバラエティは無理ですが、解説とかトークとかクイズ番組なら出られますので」
「オッケーオッケー!
レギュラーは難しいけど、穴が空いた時とか、ゲストが足りない時に声を掛けるよ!」
「ありがとうございます! ……あ、でも、前の番組みたいなサブカル系は……ちょっと、その……」
「あははは! 悪い悪い、あれはちょっと君には合わなかったよねえ!」
合わなかったよねえ、じゃねえよ。
その後の流れもあってかなり精神的に削られたからな?
こういうところでまでストレス溜め込みたくないからな? わかれよ?
――そんな苛立ちを心のなかに封印しつつ、私は小林プロデューサーに別の話題を振る。
「ああそうだ、ブラウンさんって今日テレビ局にいらっしゃってますか?
この前、とんでもなく高そうなケーキを奢っていただいたので、改めてお礼を申し上げたいんですけど……」
「ブラウンさん? それならクイズミリオンダラーの収録があるから楽屋……いや、まだ早いか。
多分、今ならカフェテリアにいるんじゃないかな?」
カフェテリアか。ちょうどいい、ついでに喉も潤せるな。
「ありがとうございます。早速行ってきます!」
「ああ、お疲れ様。オファー投げる時はメールか電話で連絡するからよろしくね!」
「はい、よろしくお願いします!」
スタジオを後にし、廊下を歩く。
カフェテリアは12階だ。エレベーターに乗る必要がある。
ホールに向かうと、何人かたむろしている。どうやら収録終了タイミングがかぶっていたようだ。
――その中に、見覚えのある顔が一人いた。
「あの……春日部統志郎さんですか?」
「え?」
退院した翌日、霞が関で会った若手議員だ。
今日はあの、苛烈を超えて人間性に問題がある婚約者はいないらしい。
「すみません、僕は明智吾郎といいます。
先月、検察庁の近くで倒れかけたところに声をかけてくださって、ありがとうございました」
「――ああ、あの時の?!
大丈夫だったかい? すごく顔色が悪かったから心配していたんだ!」
あわあわと声を掛ける様子からして、演技ではなく純粋に人の良い性格らしい。
親父殿とは大違いだな。
奥村のところの娘もそうだが、父親の性格が歪んでいるほど子供は逆に真っ直ぐに育つものなのだろうか。
「おかげさまで助かりました。むしろゴミを捨てさせてしまって申し訳なかったです。
いつかちゃんとお礼を言わないといけないと思っていたんですが、さすがに国会議員の方となるとどう会えばいいのかわからなくて……
今日、ここで会えて良かったです」
「そ、そうか……いや、本当に無事で良かった。
君はなぜここに――ああ、いや、明智吾郎……もしかして探偵王子の?」
「はい。春休みの間、今ドキ解説という番組にゲスト出演させてもらっていたんです。
春日部さんも、やはり何かの番組出演で?」
「ああ。ワイドショーの対談で呼ばれてね。
若輩者だから頭が真っ白になりながら喋っていたよ。
――しかし君はすごいな。僕よりずっと若いのに、テレビで事件の解説をやるなんて」
若くないからな。お前より19か20上だよ。
「ありがとうございます。政治家の方に褒めていただけるなんて嬉しいです。
――あ、エレベーターが来ますね。春日部さんは上に?」
「いや、僕は帰る予定だ。真理恵さんを待たせるといけないしね」
「そうですか……お疲れ様です。いや本当にお疲れ様です」
「ははは……ああ、でも僕も話せて良かったよ。
もし番組で共演することがあったらよろしくね、明智くん」
「ええ、こちらこそ。それではまた」
……大変だな。野心家に囲まれると。
そもそもいくら優秀な子供であろうと、所詮は他人だ。
春日部由喜という男にいくら総理の器が備わっていないからとはいえ、他人でしかない息子に夢を叶えてもらおうなどと笑止千万。
そんな甘えた考えで努力を怠るからこそ、上に登り詰められないのだとわからないものなのか。
仏気取りを続けることに気を取られて耄碌したジジイの思考らしいがな。
ついでに言えば安藤真理恵もだ。
春日部統志郎を管理するのはいいが、精神面の負担を鑑みないようでは潰すだけだとわからんものなのか。
自分の都合で振り回すのが妻の仕事か? そんな邪魔な存在なら居ないほうがいいだろうに。
まあいい。私には関係のないことだ。
それよりもさっさと上杉秀彦を探すとしようか。
「ありゃ? ゴローちゃんじゃーん!」
秒で見つかった。むしろ向こうが勝手に先に気づいた。
なんだ? これもペルソナ能力とやらか?
「今日も収録? これから? 終わった?」
「あ、今日は終わりです。あの、実はブラウンさんに少し謝らないといけないことがあって……」
「え? 俺様に? なんだろ。
ちょっと座る? ついでに水飲む? 汲んでこようか?」
早い早い早い。断る前にウォーターサーバーの方へ行ってしまった。
とりあえず手近な席に座って待っていると、一分もしないうちに戻ってきた上杉がコップを2つテーブルの上に置いた。
「どったの? 俺様、なんかやったっけ?」
「い、いえ……その、僕がやってしまった側なのですが。
その……ブラウンさんのご友人から貰った護身グッズを、本当に護身に使ってしまってですね」
「――え?」
すっと空気が冷える感覚。
上杉はまだすっとぼけた表情をしているが、さすがに目は笑っていない。
「す、すみません! 実は、日曜日にヒカリエのスカイロビーで不審者に絡まれて……
父の知人だって名乗って僕をどこかに連れて行こうとしたので、それで……その、こう、バチッと」
「やっちゃったわけね?」
「はい……それでそいつの仲間みたいな奴がいて、迫ってきたので、こう、ライトでピカッと」
「なるほどねー」
上杉は数秒、天井を仰ぎ――へらへらとした笑顔に戻って私の肩を叩いた。
「いやそりゃしゃーない! 俺様だって使うわそんなん!
そもそも護身グッズのいっちゃん正しい使い方じゃん? なんじょうくんだってケチつけないって!」
「そ、そうでしょうか……お話を聞いた限り、人間相手に使うものではなかったような……」
「大丈夫大丈夫! 俺様も言っとくからさ!
むしろゴローちゃんの方が大変じゃん? お父さん絡みで狙われるなんて絶対疲れちゃうっしょ」
それはそう。本当に疲労困憊だ。
せめて刺客を放つならまともなプロを寄越してくれ――……いや、欲しいわけではない。刺客なぞ寄越すな。
「はは……正直、参ってきています。
特に今日は収録の日ですから制服を着ないといけなかったですし……学校が始まったら、さすがに午前中は通学しないといけませんから。
……お忍び用の服は友人に見立ててもらったんですけどね。
変装できない状況を強いられて電車で移動しないといけないのが、一番辛いです」
「うーん……いや本当に大変だよな。
警察とかには相談してんの?」
「ええ……父の秘書の方を通じて、警察に連絡を入れてもらいました。
冴さん――知り合いの検察の方からもメッセージが届いたので、間違いなく伝わってはいると思います」
新島冴からは本当にチャットだけだがな。
そもそも身辺警護や巡回強化は警察の仕事だから、一検事でしかない新島から心配の言葉が出てくるだけマシだというものだ。
「そっかそっか。一応、俺様も知り合いに連絡してみるわ。
なんじょうくん以外に、東京の人じゃないけどバリバリ現場出てる刑事さん知ってっからさ。
どっちかでなんかツテがあるかもしんない」
「あ、ありがとうございます!」
よし。今日の目的達成だ。
確実性は無いに等しくとも、コネやツテは馬鹿にできんからな。
少しでも情報が広まり、警戒が強まれば、素人だろうとプロだろうと
「相談できて良かった……本当に、どうすればいいか困ってたんです。
家から出ないのが一番なんでしょうけど、学校が始まったらそうも行かないですし」
「そりゃそうだよね〜。
俺様なら留年上等でサボっちゃうけど、ゴローちゃんは絶対大学行きたいっしょ?」
「はい……」
「だよねー。ま、俺様に出来ることはタカがしれてるけど、誰かしらなんかできるかもしんないからさ!
期待してとまでは言えないけど、こういうのはどんどん大人に頼っていいと思うぜ、俺様」
「はい。本当に、本当にありがとうございます!」
――さて。用も済んだしさっさと帰るか。
……ああそうだ。ボイスレコーダーを買っておこう。
本当は私の家にあるものを使う予定だったのにな。余計な出費ばかりかさむ。
まあいい。レコーダー程度、渋谷の家電屋で見繕えるだろう。
明日はようやく新しい私服で出かけられる。
眼鏡と帽子もつければ明智吾郎らしさもだいぶ減るし、喜多川祐介という同伴者もいる以上、少しは羽を伸ばせるはずだ。
……伸ばさせてくれよ? 頼むから。
Q:ブラウンが知ってる刑事さんって誰?
A:「周防克哉って、もうすっかりグラサン刑事で有名になってる人でさー!
俺様が「刑事特集やるから出ない?」って毎年声掛けて特番に出てもらってるんだよね!
やっぱ"正義"の絆はつよつよなワケよ!」