獅童正義は明智吾郎として生きることになった。 作:枝野トナナ
井の頭線から銀坐線に乗り換えて外苑前駅へ、そこから北西方面に歩いて10分弱。
『私立
始業式はとっくに始まっているようだが私には関係のない話。
職員室に顔を出し、別室登校者用の教室に行き、パーティションで区切られた席に座る。
これで机の上に乗っているプリントを処理しつつ、チャイムが鳴るまでの50分間を素直に拘束されていれば、今日の授業は終わりということだ。
さっさと仕事を片付けて、余った時間は読書に充てる。
本当は他にやりたいことがいくらでもあるが……監督教員の目がある以上、自習として認められる範囲外の作業は無理だ。
ノートパソコンも『アタッシュケースに入れておくだけなら認めるが、取り出して使用するのは禁止』とのことだった。
こんなものを毎日持ち運んでどこで作業していたんだろうな。本物の明智吾郎は。
奴の性格や大まかな行動範囲は掴めていても、日常生活となると全くわからん。
秘書たちから聞いた話をつなぎ合わせても、クロスバイクを使って食べ歩きをしているだとか、吉祥寺によく行っていた程度の話しか出てこない。
特に気に入っていた様子だったのはビリヤードとジャズバーだったらしいが……そこまで常連の店なら、今から行ったところで逆に違和感しか抱かれないだろう。
――キーンコーンカーンコーン――
懐かしくもない音色で終わりを告げるチャイムが鳴った。
帰り支度を済ませ、教員にプリントを提出する。
「お疲れ様。このまま帰るのか?」
「ええ。知人から呼び出しを受けていまして」
「そうか……忙しいところ悪いが、帰る前に校長室に寄ってくれ。
今年度の学校行事予定の説明と、少し話があるらしい」
「校長室で、ですか? 職員室ではなく?」
「ああ。珍しいことだが……俺にも事情がわからんからな。よほど重要な内容なんだろう」
首を傾げつつ、私は促された通りにまっすぐ校長室へ向かった。
正面玄関の近くで職員室の真隣だ。迷う場所でもない。
ドアをノックすると「どうぞー」と返事があった。そのまま入室する。
「お忙しい所申し訳ありません。3年生の明智吾郎と申します。
先生から、帰る前に校長室へ寄るように指示があったのですが」
「ああ……君がそうか。急に呼んでしまって悪いね。
まずは座りたまえ。君の体調は聞いている、立ち話もなんだろう」
本来の私より一回り若いが、聖エルミン学園で長らく校長を務めた叔母の薫陶を受けて育ち、才樹学園側から校長職を持ちかけられた極めて優秀な人物だと聞いている。
柔和な笑顔にどこか気さくな所作は、ある意味で私の同類――つまり人との距離を意図的に詰めるのが大変得意な人間なのだと、暗に告げていた。
「さて、我が校の学校行事予定だけれども――3年生である君が、必ず出席すべき行事はない。
もちろん各学期における中間と期末の考査は必要だが、追試という形で日程をずらすことは可能だからね。
その上で、参加したい行事や講習、面談等があるかどうかをその都度確認させてもらい、こちらで調整するよ」
「それは……大変ありがたい申し出ですが、かなり……緩いのですね?
センター模試は受けろと言われるかと思いましたが」
「受けてほしい気持ちはあるが、拘束時間を考えると体調不良を引き起こす要因になりかねないだろう?
所詮模試は模試だ。本番で結果を出せるようサポートするのが学校の務めだろうと思ってね」
「……そう、ですか」
ありえないほどに緩い条件だ。
教育者としての純粋な善意だとは到底思えない。
おそらく、学校全体の評判を高めるためには学内に拘束するよりも、明智吾郎という才能を外部に露出させた方が有用だと判断したのだろう。
「そういうわけでこちらがプリントだが、あまり気にしなくて構わないよ。
それより、もう一つの方の話が重要でね――明智くん、秀尽学園の校長と面識があるのかい?」
「えっ?」
「実は、4月の頭に事務局に問い合わせがあってね。
あちらの小早川校長が、明智くんと連絡が取りたいとのことで、連絡先や住所を尋ねてきたんだ。
もちろんプライバシー保護の観点からお断りさせてもらったが」
……なんだよそれは。
やはり小早川も誘拐未遂に噛んでるのか? それとも正当なルートで会う方法がわからなかったからバカが暴走したのか?
「探偵としての依頼を受けている、ということではないのだね?」
「ええ。そもそも入院前から長らく一般の方の依頼はお断りしていて……基本的に警察と検察、テレビ局を経由した依頼だけを受けていました。
秀尽学園とは接点がない……はずです。記憶障害で思い出せないだけ、という可能性があるので断言はできませんが」
「やはりそうだよね。
……ただ、どうも先方は何か困っている様子だったそうだから、君さえ良ければ私の方で一度連絡を取っておこうか?
私であれば同じ校長のよしみで事情を説明してくれるかもしれないし、私でも納得が行く内容であれば君に説明する、という形に出来るが」
――相手の目的がわかっていなければ大石校長の提案を受けただろうな。
だが、秀尽学園側が獅童正義の後釜を狙って動いているならば、他校の校長に詳細など明かすまい。
「いえ、大丈夫です。
ちょうど別口で秀尽学園に関連する調査依頼を受けましたので、許可をいただくついでにお話を伺おうと思います」
「そ、そうか……それはまたタイムリーなことだね」
「ええ。――あるいは、既に先方の校長先生のお耳に入っていたのかもしれません。
依頼を引き受けたのも同じ時期ですから、依頼主が前もって調査許可を頼んでいて……それで僕に連絡をしようと思ったのかも」
「ああ、なるほどね。そういうことなら納得だ」
まあ有り得んがな。
こうでも言っておかないと、さすがに不審すぎるだろう。
「引き止めてしまって悪かったね。
何分プライバシーに関わる話だから、他の先生方に伝言も頼めなくてね」
「いえ、こちらこそご迷惑をおかけして申し訳ありません。
ご配慮いただきありがとうございます」
プリントを回収し、一礼して、校長室を後にする。
わかっていたことだが、疑問と仕事ばかり積み重なっていく。
政治家より忙しい高校生ってなんだよ? ――という愚痴を飲み込んで、スマホのチャット画面を開く。
トーク相手は新島冴。
最後の連絡は昨日の夜。
『明日、渋谷警察署で地下鉄暴走事件の事情聴取記録を見せてもらう事になったわ。
ついでにここ1ヶ月以内に起きた事件の中で精神暴走事件の可能性があるものを調べるつもり。
体調次第だけど、できればあなたも一緒に来てほしい』
――ずいぶんと信頼を稼いだものだ、と本物の明智吾郎を褒めてやればいいのか。
それとも真犯人の分際でよくも担当検事を欺いたものだな? と、2人まとめて軽蔑してやればいいのか。
……さすがに後者だな。
生きていて使い勝手の良い道具の立場に収まっていたなら手入れの1つもしてやったが、邪魔なだけのクソガキにくれてやる慈悲はない。
12時手前に渋谷駅に着いた。
新島冴にチャットを送る。返事が来るまでどこぞで昼食でも食べようと思ったが、すぐに通知音が鳴ってしまった。
『東口のミヤノ、来れる?』
『行きます』
渋谷警察署近くのミヤノカフェは毎度おなじみルノワールの系列店舗だ。
食事に力を入れている分、やや値段が高い。
別に相手は新島冴だから奢る必要はないのだが。
……いや、
なにせ奴は、自己顕示欲丸出しで承認欲求が強い、あからさまに愛情に飢えて育ったとしか思えないガキだった。
それなら一定の関係性を築いている年上の女に対しては、甘えた態度を取っていた可能性も……
…………勝手に分析しておいてなんだが、高校生でそれは――どうなんだ?
これは外れていてもいい。外れていてほしい、まである。
「すみません、冴さん。遅くなりました」
「仕方ないわ。学校行ってたんでしょ?」
「ええ、久しぶりに。色々と便宜を図ってもらえて助かりましたよ」
「別室登校してるのよね? 吉阪先輩から聞いたわ」
「へぇ……冴さん、吉阪さんと仲が良いんですか?」
「仲が良いというより、一方的にお世話になっていただけ。
あの人は話が早くて面倒見が良かったから、課題や論文のことで相談しやすかったの。
――そういう点では、政治家向きの人よね。
亡くなった獅童議員には悪いけど、あの人が基盤を継ぐのは与党にとってもプラスじゃないかしら」
うるせえよ――と言いたいが、吉阪に相応の素質があるのは事実だ。
表の仕事のみとはいえ私の秘書として培った見識があり、若くて見た目も悪くない。私ほど向上心も強くないから与党の老害達にとっても御しやすい。
それでなくても地下鉄暴走事故により、鉄道会社と関係省庁が握りつぶしていた情報が表に出る。
大江は私の派閥にいた議員を利用して与野党を煽るだろう。どう考えても国交相辞任は避けられない。
その上でなお与党がキャスティングボートを握ろうとするなら、獅童正義の正当な後継者でありながらキズのない広告塔を丁重にもてなして抱え込むしかないはずだ。
「衆議院の補欠選挙ってもうすぐですよね?
吉阪さん、無事に議員になれるんでしょうか」
「なれるわよ。
……なるほど。吉阪達の筆跡鑑定は終わっていて、新島視点では潔白が証明されたも同然、と。
それで衆院補選結果まで余裕ができたのと昨日の地下鉄暴走事件が起きたから、これを機に精神暴走事件を調べ直そうという腹か。
「それなら良かった。
ところで……本当に僕も冴さんに同行していいんですか?」
「構わないわ。担当者にも連絡済みで了承を得てる。
それに今回は調書類を見せてもらうだけだから」
「取り調べはもう済んでるんですか? 昨日の今日なのに」
「運転手が今朝方病院で意識を取り戻して、軽く事情聴取できたらしいわ。
まあこちらはまだ捜査関係者のメモ止まりね。
今回メインで見たいのは、正式な調書ができている、ここ1ヶ月で起きた事件の方よ」
「1ヶ月……ですか」
軽く首を傾げてみせた私に、新島は手書きのリストを見せる。
逆走バスの暴走死傷事故。コンビニ店内爆発物設置。トンネル内放火。ヨットハーバー燃料流出。
空港内リムジンバス突入。あねはづる接触事故。内閣府サイバー攻撃。チェーン店毒薬混入事件。
――全て、テレビニュースで大々的に報道されている『精神暴走の疑いがある事件』だ。
「警察は既にこれらを動機不明の事件としてマスメディアに公表しているわ。
そして他にも数件、小規模ながら同様に動機も裏も取れない事件が起きていたようなの」
「その全てが……精神暴走事件だと?」
「わからない。だから私一人で判断を下すより、あなたの意見も聞いた方がいいと思ったの。
そして警察側もあなただったら構わない、と同意してくれたわ」
「はは……皆さん、買ってくれてるんですね。
期待に添えるよう頑張りたいところですが――」
軽く言葉を濁し、ちらと視線を送ってみる。
新島は「はぁ」とため息をつき、事もなげに言った。
「どうせ寿司奢ってくれ、でしょ?
ここの会計は持ってあげるから、それで我慢して」
「あ、あははは……」
……やっぱり普段から奢らせてやがったな、あのクソガキ。しかも寿司かよ。
いくら東京地検特捜部だろうが、若手検事の給料なんてタカが知れてるんだぞ?
そもそも私からも依頼ごとに相応の金は出してやっていただろうが。いくら騙して利用してる女だからって追加でたかってんじゃねえよ。
――そんな文句と一緒に飯を詰め込み、大変不本意ながら二周り近く年下の女に金を出させる。
これが会食で党費払いとかなら別になんとも思わないんだがな。
端金の食事、しかも酒も入らない素面となると、役得という気持ちよりも妙な屈辱感が大幅に勝ってしまう。
「それじゃ行きましょ」
「はい」
まあいい。今の私は、新島の添え物に過ぎない一探偵だ。
やれる範囲でやれることはやってやるさ。
幸い、推理の材料は頭の中に入っている。
なにせ、
そして奴の能力が、即時発動ではなく、任意のタイムラグを設けることができるということも知っている。
故に明智吾郎に依頼した仕事であれば精神暴走である可能性が高く、そうでなければ低いというだけの話。
地下鉄暴走事故以外は見分けることができる。
――問題は、その地下鉄事故だ。
「……なるほど」
昨日の夜からずっと色々な可能性を考えてはいたが――運転手の証言を記録したメモを読む限り、精神暴走の疑いが濃い。
そして私の手を離れたこの1ヶ月で、認知訶学研究グループが精神暴走を実用化できるのか? という疑問がある。
私が生きていた時にメインで研究していたのは廃人化ビジネスの方だ。
そちらの方が確実に標的を消すことができるし、死人に口はないから証拠も残りにくい。
それをいきなり精神暴走方面にシフトし、いくら大事故を起こすことが確定とはいえ生き残る可能性がある運転手に試すものか……と考えると、かなり薄い線だ。
同様に、明智吾郎と同等の能力を持つペルソナ使いがタイミングよく接触したというのもな……
何度も続くなら双方の可能性を追うべきだろうが……
――やはり、
私は明智吾郎へ依頼こそ出せていなかったが、今回の計画に繋がる会議には参加していた。
その時の録音データは消えたボイスレコーダーに保存されている。
……故に、明智吾郎が何らかの手段で私の家に侵入し、持ち出される前のボイスレコーダーを起動して勝手に行動した可能性は否定できない。
あるいは私や認知訶学研究グループのシャドウに接触して、最後の依頼を請け負ったというパターンも有り得る。
そんなことをするか? という疑問に対しても、あのクソガキなら承認欲求目当てでするだろうからな。
『僕からの最後の置き土産です。有効活用してくださいね』と恩着せがましい顔で言っている姿が容易く浮かぶ。
全く、鏡に拒絶反応を示しもするさ。
元より見たくもない女の面影しかない顔だ。そのくせ、表情と性格は致命的に似ていない。
それでいて母親同様、頼んだ覚えもないことばかり勝手にやって『あなたのためにやりました』。
反吐が出る。死んでくれ。――ああ、死んでたな。なら黙ってろ。
一通り心のなかで吐き捨ててから、思考を手元に戻す。
今は新島を満足させてやることが先決だ。
「……爆発物設置はちょっと空気が違う気がしますね。
サイバー攻撃もこの中では浮いているかなあ」
「……今日はずいぶんと感覚的ね?」
「眠いんですよ。色々ありすぎて今ひとつ気が休まらないんです」
ごまかし半分とはいえ、疲れが取れずずっと眠気がまとわりついているのは事実だ。
こんな体調で四六時中終わることのないクソガキエミュレートを続けているのだから、集中力も切れるというものだろう。
「まあ、今の僕なりに言語化しますとですね。
爆発物を製造して設置するという手間暇を考えると、精神暴走の被害者にしては知性や計画性が高すぎませんか?
精神暴走ってもっと一時の激情に突き動かされて本人にも説明不能な行動を取る、いわば突発的な症状が圧倒的多数ですよね?」
「それは……そうね」
「サイバー攻撃も同様に、準備段階に手が込みすぎてる。
そもそも正気を失っている状態で攻撃プログラムを用意することは不可能では?
もちろんあらかじめ用意していたが使わなかったものを、精神暴走によって使った可能性はありますが……
どうにもね。最初から犯罪を起こす気で準備し、実行したものを、精神暴走に見せかけるためにそれらしい供述をしているだけに思えます」
「……なるほどね。
そうやって説明してくれればあなたの意見にも一理あるわ」
「お褒めにあずかり光栄ですよ。冴さんは違う意見なんです?」
「誰かが用意したものを、精神暴走によって使わせられた可能性は否定できないわ。
少なくともこれらの被疑者達は精神鑑定や麻薬等の薬物検査にはパスしている。前歴についても存在しないか、運転中の軽微な違反ばかり」
「犯罪行為を重ねていても、今まで一度も捕まってなければ前歴はつかないですよ。
それに、冴さんの意見が正しいなら爆発物やサイバー攻撃プログラムを用意した人間が別にいるはずだ。
それなら第三者の影がいずれ浮かんでくると思いますけどね。
特に火薬は目立ちます。今の季節は花火も大して出回ってませんし……入手経路を突き止められそうなものですが」
「――確かにね」
答えを知った上での後付推理という手口こそ同じだが、本物の明智吾郎が使っていたロジックまではわからない。
わざと雑な推理から始め、新島冴の反応を見ながら修正してはいるが、果たしてどこまで騙し通せているものか。
……難しいな。
後々のことを考えて、一手打つとするか。
「……すみません。入院前の僕と比べたら、きっとお役に立てていないでしょう」
「えっ? ……どうしたの? 急に。
そんなこと思ってないし、意見を出してもらうだけでもありがたいと思っているわよ?」
「――そう、ですか。それならいいんですが……
…………いえ、多分僕自身が思い込んでいるだけなんです。
前の僕と今の僕は、繋がっていない――自認が明智吾郎というだけの、別人なんじゃないかって」
「……そんなことはないわ。記憶が欠けているから、そう思うだけよ。
それとも――まさか、そんなに多くの記憶が無くなっているの?」
「偏っているんですよ。事件や勉強、ニュースなんかは覚えているのに、趣味とか、日々の生活とか……僕を僕たらしめた記憶の方が欠けている。
探偵としてどんな仕事をして冴さんと何を解決したかは覚えているのに、冴さんといつどこでどんな会話をしたのかが思い出せない。
こんなこと、あるんですね。……多少記憶が無くなった程度で何が変わるんだって、最初は思えていたのに」
「…………」
上昇志向が強いくせに根は生真面目な善人。
クソガキですら手玉に取れるような女だ。この私に誘導できないはずがないだろう。
「ごめんなさい。突然、こんな弱音を吐いてしまって。
……多分、冴さんの前だと気が緩んじゃうんですね。
誰に対しても、前の僕らしく振る舞わなきゃって気が張っていたから……余計に疲れていたのかもしれません」
「……あまり無理しなくていいと思うわ。
あなたの能力が損なわれていないのは間違いない。それは私も保証するし、学校も認めてくれてるんでしょう?」
「そう、ですね。1コマ出席で日数に変えてくれるので、……多分、成績は確保できているんだと思います」
「……才樹なんて名門でその条件を通せるのなんて、あなたしかいないわよ」
わずかに強張っていた新島の表情が緩む。
打算と人情の狭間で揺れ動いていた天秤が、こちらの思惑通りに傾いたようだ。
あとは追加で、明智吾郎という人間の有用性に繋がる情報を入力しておくか。
「――ああ、そうだ。
冴さん、僕、しばらく秀尽学園の調査をするかもしれません。先方の校長が承諾してくれれば、ですけど」
「えっ? 秀尽に? ……誰かの依頼で?」
目を丸くする
「誘拐未遂の時に助けてくれた記者さんに、些少ながら恩返しをしたいんです。
――秀尽学園に少し良くない噂があって、それを調べているそうなので。
それに今日、大石校長から、あちらの小早川校長が僕に面会を求めているとご連絡いただいて……ちょうどいいから、まとめて済まそうかと」
「良くない噂に校長の面会、ね……?」
「もしかしたら小早川校長も噂の真偽を僕に依頼しようとしているのかもしれませんね」
あまり不安がらせるのは逆効果。
誘拐未遂関連の情報は伏せ、軽い口調で大した依頼ではないように印象づける。
「幸い、探偵としてやっていくための知識はしっかり覚えていますから。
ここは一度初心に帰って、民間からの依頼も少し受けてみようと思うんです。
――なので、冴さんの呼び出しを受けられるのは夕方以降になってしまうかもしれませんが……いいですか?」
「それは構わないわ。あなたは元々探偵なんだから、自分の仕事を優先するのは当然よ。
ただ――精神暴走事件が今後増加を続けるようなら、あなたに相談することも増えるかもしれない。
さすがに夜遅くに呼び出すことはないようにするけれど、7時とか8時に連絡することはあると思うわ」
「それぐらいなら大丈夫です。
僕も精神暴走事件には興味がありますから、遠慮なく声をかけてください。できるだけ協力しますよ」
――明るい声音で振る舞いながら、新島の表情を観察する。
不信の色は消えた。鋭い目に宿るのは仕事に向けた情熱と、強い責任感。
それからわずかにこちらを案じる気配――いや、妹や
難儀なものだ。頭は切れるのに騙されやすいというのは。
……いや、
真性のバカの方が手玉に取りにくい。本当に。
「さて。見るものも見たし、今日は一旦終わりにしましょうか。
あなたはこのあと予定があるの?」
「明日の準備をしたいので、秋葉原に寄って帰ろうかと。
噂の調査をする以上、ペン型のボイスレコーダーとか色々ほしいものがあるんですよね。
入院している間に新機種が出たかもしれませんし」
「……そういえばあなた、結構な新しいもの好きだったわね。
スポーツも食べ物も、巷に流行るより前にリサーチしていたし」
「あ、あはは……今は運動も無理で、クロスバイクにも乗れませんからね。
グルメ探しも当面おあずけかなって」
……本当にあのクソガキ、面倒くさい趣味持ちやがって。
百歩譲ってスポーツは健康維持に役立つからいいが、自分の金で変なメシは食いたくねえんだよ。
だいたい同じ新しいもの好きなら、吉阪を見習ってガジェット系に寄せとけ。それなら私も有効活用できたんだ。
認知世界で自作自演を仕込めるペルソナ使い様には不要だったのかもしれんが、カモフラージュ用の機材ぐらい用意しておけよ。
「そういうことなら仕方ないわ。
進展があったら連絡するから、その時はよろしくね」
「はい。冴さんも頑張ってくださいね」
――新島冴と別れたその足で、秋葉原に向かう。
乗り換えも歩きも面倒くさいから山手線だ。
電気街というイメージもだいぶ薄れてサブカルの街となりつつあるが、特殊機材を調達できる店はそれなりに残っている。
なにせこちらは超能力者ではない正真正銘の素人探偵だ。
明日以降のためにも、存分に科学の力に頼らせてもらうとするさ。
Q:吉阪さんはガジェット集めが趣味なんですか?
A:知り合いの方々に聞いてみました。
「そうね……確かに大学時代から充電コードや電卓を大量に持っていたわ。私も何度か借りたもの」
「マウスやキーボードなんかも無駄に色々買ってますよね。操作感や打鍵感が違うからどうとか」
「明智くん、よく知ってるわね?」
「い、いえ、星野さんから聞いたんですよ。ねえ?」
「あーそっすね、俺が坊主に愚痴ったんですよ。
吉阪くん、テンキーとか左手デバイスとか事務所にいくつ置く気なんだって。
ちなみに最近はスマートウォッチにも手を出してますね。リンゴ社とサムシン社の時計買ってました」
「スマートウォッチ……私も興味はあるけど、使い心地はどうなのかしら」
「さすがに新規性の高いガジェットですからね。ブラッシュアップが足りなくて使い勝手悪いと思いますよ。
僕なら当面買いません。それこそ7年後に買いますね」
「なんで7年後なの?」
「……ええっと、25歳ってキリがいいじゃないですか? がんばった自分へのご褒美、みたいな?」
「あっはっはー坊主らしいなー」(その言い訳は無理がありませんかねボス)
「あははは」(うるせえ、言っちまったもんは仕方ねえだろ!)