獅童正義は明智吾郎として生きることになった。   作:枝野トナナ

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第7話――3/25『Playing Both Sides』

 寝袋を使うのは久しぶりだったが、存外によく眠れたようだ。

 スマホのアラームを止めて這い出せば、そこはまだ備え付けのエアコンとWi-Fiしかない新居。

 最低限の身だしなみだけ整えて、明智吾郎の家まで戻る。

 奴のクロスバイクに乗れれば良かったが、左手が使えないという設定なのにハンドルを握るわけにもいかない。

 ……まあ、早朝だから車通りも少ないし、ウォーキングだと思えばちょうどいい。

 風の冷たさだけは気にかかるが、見たところ天気も晴れそうだ。

 約束の時間まで休んで――……

 

 ……いや無理だ。

 

 シャワーを浴びて服を着て洗濯機を回す。

 朝食を取ってニュースをチェックして食器類を洗って軽く掃除機をかけて洗濯物を干す。

 そしてデスクの周辺や服のポケットを調べて例の古いスマホ探しをしていたら、2時間なんてあっという間に溶ける。

 日常生活のコストは高い。

 だからこそ家事代行サービスが商売になるわけだが。

 

 そうして結局、何の成果も得られないまま、新島から連絡が来た。

 車を回して、もうすぐ駐車場に着くらしい。

 手袋をはめて鏡を見る。

 明智吾郎が笑っている。

 何がそんなに楽しいんだ?

 そう思えばこちらを睨みつける。

 

 ――いいや、当たり前だろう。

 鏡なのだから私の表情を映しているだけだ。

「私は私だ」といえば、向こう側の明智吾郎も同じように口を動かす。

 ほら。大丈夫だ。

 バカな事を考えるな。

 

 さあ、新しい方のスマホを持って出かけよう。

 どうせ新島との連絡はこれを使っている。怪しまれることもないはずだ。

 

 

 

「ごめんなさい。少し遅くなってしまって」

「いいのよ。ちょっと狭いけど、左後ろに乗ってちょうだい」

 

 運転席の窓を開けた新島に促されるまま、反対側に回り込んで後部座席を開ける。

 先客は2人。助手席に本来の私と同年代の女、後部座席に新島より少し若い男。

 

「お邪魔します。――ええと、明智吾郎と申します。今日はよろしくお願いします」

「こちらこそよろしくね、明智くん。

 俺は税理士の木場で、前に座ってらっしゃるのが弁護士の赤川先生。

 新島さんから話は聞いているから、安心して任せてくれ」

「軽子坂法律会計事務所の赤川と申しますわ。よろしくお願いしますわね」

 

 税理士は働き盛りの若手で、弁護士はいかにも上品な婦人といった印象だ。

 軽子坂はそこまで行かないから土地勘がない。

 所詮は神楽坂の裏手だぞ? 曰く付きの高校が有名なだけだろ。

 心のなかで毒づきながらも、スマイルだけは崩さずに双方の名刺をもらう。

 ――そういえば名刺入れがなかったな。

 とりあえず財布にしまうか。高校生だし、目くじらは立てられんだろう。

 

「応接室を借りますから、明智くんは座っているだけで大丈夫ですよ。

 私と木場くんがしっかり働きますからね」

「あれ? 冴さんは……」

「私は近くで待機するわ。

 下手に立ち会うと、あなたの不利益に繋がるかもしれないから。

 もちろん、赤川先生や木場くんから見て問題があったら報告してもらうけれど――」

「何かあったとしても明智くんが気に病むことじゃない。

 だいたい政治家の貸金庫開けて何もないなんてことないからね!

 絶対何か出てくるから安心して――あれ、安心できないか?」

「あ、あはは……」

 

 ……ノーコメントにならざるを得ない。

 実際、何かあるどころではないのだ。

 買収用の現金ですら本来は検察沙汰だしな。

 単発で見つかった時に捜査されにくいよう、3千万に押さえてはいたが……他の金庫も開けられるなら、言い逃れは聞かん。

 だが、獅(・)童(・)正(・)義(・)と(・)い(・)う(・)人(・)間(・)は(・)既(・)に(・)死(・)亡(・)し(・)て(・)い(・)る(・)。

 ただの相続人にすぎない明智吾郎(私)に容疑がかかることはない。

 そ(・)う(・)な(・)ら(・)な(・)い(・)よ(・)う(・)に(・)、わざわざ新島を使って茶番を演じているのだから。

 

 振り回される弁護士と税理士(この2人)には悪いが、せいぜい働いてもらうとしよう。

 

 

 

 ――そうして全部の貸金庫を巡ったわけだが。

 私がやることなど本当に何もない。

 ソファの上で座っているか車に乗せてもらって移動するだけだった。

 新島は新島で運転するか待つだけだから、やはり退屈なはずだ。

 そのくせ弁護士が「全部確認し終わって、明智くんを家に帰してからお話しましょうね」と言うものだから、おあずけをくらった犬の気分にもなるだろう。

 

「あの……本当に、申し訳ありません。

 僕のせいで、皆さんにご迷惑をかけてしまって」

「仕方ないわ、未成年だもの。

 大人にしかできない手続きがある以上、大人を頼るのは当然よ」

 

 字面だけ聞けばまともだが、声音からは隠しきれない不機嫌さがにじみ出ている。

 新島からしたら、手柄の大きさどころか有無があるのかもわからん以上、時間を浪費した気分が強いのだろう。

 その一方で、木場税理士は苦笑している。

 前の席に座っている赤川弁護士の表情は確認できない――が、相変わらず上品な声が聞こえてきた。

 

「大人だって、わからないことやできないことがあれば大人を頼るものですよ。

 誰もが自分にできることをやって、助け合うからこそ、社会は回っていきますの。

 ですからね、無理に頑張ったり背伸びをすることよりも、自分にできることとできないことの境を見極めることの方が大切なのです」

 

 ――御高説だ、と言いたいが、一理ある。

 他人を使うことができなければ自分が潰れるだけだ。

 信じる信じないなどというくだらない話ではない。

 仕事を任せられるか否かを見極めて、認める必要がある。

 

「できないことはできるようにならないといけない。

 ――まことしやかに言う大人は多いけれど、それは必ずしも正解ではありません。

 もちろん可能性があるなら、できるようになった方がいいでしょうね。

 でも限界なら、できないままでいいのですよ」

「……僕が知っても対処できない以上、知らないままの方がいい、ということですか?」

「ふふっ、よくわかりましたね」

 

 私の言葉に、赤川弁護士はくすくすと笑った。

 そしてふと、思い出したように訪ねた。

 

「そういえば、明智くんは銀行の口座を持ってらっしゃるの?」

「それはもちろ――あっ」

 

 ……明智吾郎の銀行口座はある。通帳もカードもある。

 が、暗証番号がわからん。

 

「……ば、番号、思い出せません……」

「通帳は持ってきてらっしゃる?

 他に必要なものは揃っていますから、通帳さえあれば、今なら窓口で手続きできますよ。

 記憶障害を患ってしまったと聞いていて、もしかしてと思っていたのよ」

「あ、あります! 持ってきてます!」

 

 ――そんなこんなで手続きはあっけなく終わった。

 ついでに生活費も下ろせた。

 さすがにこの敏腕ババアには感謝せざるを得ない。

 

「今日は本当に色々ありがとうございました。

 あの、冴さんも……何かあったなら、その時は容赦なく法の手を下してください。

 先生が何をしていたとしても……それで僕に何も残らなかったとしても構いません。

 僕のことは気にせずに、真実を明らかにしてください」

「……明智くん」

「いやーそこまで思い詰めなくても大丈夫だよ! さすがに大学までの卒業資金ぐらいは相続できるって!

 もし借金が出てきても相続放棄すればいいからね! その時もちゃんと手続きしてあげるから大丈夫!」

「木場くん、空気を読みましょうね。

 ……明智くん、私たちは新島さんだけじゃなくて吉阪くんにもあなたのことを頼まれているのです。

 ですからお金のことは気にせず、困ったことがあったら私たちに連絡して構いませんよ」

 

 ……吉阪が?

 新島と関係があるなら、この2人とも繋がっていてもおかしくない、が……

 

「ええと……冴さんと吉阪さんが先輩後輩とは聞きましたが、お二人は……」

「私、いくつかの大学で客員教授として働いておりますの。

 木場くんは新島さんたちとは別の大学での教え子だけれど、こう見えて大変優秀なのですよ。

 税理士の人員もほしかったところですし、スカウトしてしまいましたわ」

「なるほど……」

 

 法科大で教鞭を取るほど優秀な人材か。

 秘書(身内)が弁護士資格持ちだらけだから外部委託することは少なかったが、何の裏もない弁護士の方が都合がいいこともあるかもしれない。

 吉阪がそこまで考えていたかどうかはともかく、コネを作れたのは僥倖かもしれんな。

 

 

 

 三人と別れた私は、素直に明智吾郎の部屋に戻った。

 本当は出かけたい場所があるが、日が沈んでからの方がいいだろう。

 とりあえずスマホ探しを再開するか。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 2時間かけても見つからないってどういうことだよ、オイ。

 

 あのクソガキ、わざわざ隠したのか?

 それともどこかに捨てたのか?

 ――プライベート情報が入っているなら、おかしな話でもない……が。

 

 一昔前は、死んだらビデオテープの中身を見ずに全部廃棄してくれという男の鉄板ネタがあった。

 近年はそれがパソコンのデータディスクに変わった。

 なら、最近のガキが死ぬ前にスマホを処分するというのもあながち有り得ん話ではないだろう。

 それが性欲なのか恋愛なのか、はたまた黒歴史なのかはさておき。

 確実に他人に見られるとわかっている以上、手を打つのは当たり前といえば当たり前だ。

 

「くそっ……」

 

 ゴミ箱の中身はさすがに捨ててしまった。

 それでなくても入院期間まるまる放置されていた劇物だ。

 処分しないで過ごすバカはいない。

 

 ――もういい。古いスマホとやらは一旦諦めよう。

 思いつくところは十分探した。

 時間は有意義に使うべきだ。

 

 そもそもスマホを無くすなんて珍しいことでもない。

 電話帳すらバックアップし忘れて、連絡先がわからなくなった奴の話なんざ枚挙にいとまがない。

 奴の知り合いに咎められたところで、そこらの凡人が相手ならどうとでも煙に巻ける。

 会話術で私の右に出る人間なぞいるものか。

 

「……あ、そうだ」

 

 吉阪に一応電話をかけておこう。

 少し話したいこともある。

 忙しい時間かもしれないが――と番号を押してみると、1コールですぐに出た。

 

『はい、もしもし』

「吉阪さんですか? 僕です、明智です。

 赤川先生と木場先生をご紹介してくださりありがとうございました」

『あ――いえ、俺でもお役に立てればと思っただけですよ。

 それに星野さんの進言もあったので』

 

 ……星野(カス)の?

 

「あの人、お二人のこと知ってるんですか?」

「いや、そういうわけではないですよ。

 ただ僕が資金を出した上で新島さんが納得する人材といえば、法科大の客員教授から探したほうがいいんじゃないかと言われて。

 それもそうだなと思って、先生にお願いしたんです。

 木場さんとはお会いしたことはないですけど、赤川先生が太鼓判を押すなら間違いなく優秀だろうと――」

 

 吉阪は気づいていないようだが、星野が何か助言をする時は特(・)定(・)の(・)動(・)き(・)を(・)さ(・)せ(・)る(・)た(・)め(・)の(・)誘(・)導(・)だ。

 となると――

 

「……吉阪さん。冴さんから何か連絡があったら、全面協力してください」

「えっ?」

「もう僕のこととか獅童先生のこととか他の人のこととか一切考えなくていいので。

 何がなんでも彼女に協力して、あなたが完全なる潔白であることを証明してください」

「あの、ええと……先生、話が見えないのですが……」

「僕の杞憂なら連絡は来ません。

 あくまでも来(・)た(・)時(・)の(・)話(・)で(・)す(・)。

 これ以上は今は言えませんが、僕と……一応、ほんっとうに一応、星野さんのことは信じてください。

 それではまた、日を改めて」

「は、はあ……」

 

 ――電話を切り、ベッドの上に身を投げ出す。

 

 星野の奴(あのクズ)、絶対やりやがった。

 

 そもそも今回の貸金庫の件でもっとも重要なことは何か。

 現金を見つけさせることではない。

 見つかってもいい資料を見つけさせることでもない。

 本当に見つかってはいけない資料を私の手元に残すために、すり替えた資料を新島に渡すことだ。

 

 貸金庫には開扉ログというものがある。

 誰が、いつ、どの貸金庫を開けたのか――デジタルかアナログかの違いはあれど、確実に記録が取られている。

 だから単に新島より先に貸金庫を開けて中身を入れ替えただけでは、獅童正義の私設秘書が明智吾郎達よりも先に開けたという記録が絶対に残る。

 そして当たり前だが、貸金庫や応接室には監視カメラもついている。

 つまり、例え新島が気づかなくても、税務署が相続税の脱税チェックに入ってきた段階で100%バレるという寸法だ。

 

 故に、本物の資料Aを手元に残すためには偽資料Bを金庫に残すだけでは足りず、もう一段階すり替えを挟んで資料Cを掴ませる必要がある――わけだが。

 

 理想を言えば、新島がすぐに金(・)庫(・)内(・)の(・)資(・)料(・)B(・)が(・)偽(・)物(・)だ(・)と(・)気(・)づ(・)く(・)必(・)要(・)が(・)あ(・)る(・)。

 時間が経てば経つほど、資料Cが新島の手元に渡るのが遅くなるからだ。

 最悪、勘違いしたバカが勝手に資料Cを始末したり、盗んで悪用しようとする可能性まで出てくる。

 

 しかし、資料Bがひ(・)と(・)目(・)で(・)囮(・)だ(・)と(・)わ(・)か(・)る(・)よ(・)う(・)な(・)粗(・)雑(・)な(・)偽(・)物(・)で(・)は(・)い(・)け(・)な(・)い(・)。

 新島とてバカではない。あからさまな誘導を見抜く程度の知性は備えている。

 あくまでも信憑性自体はある。本物に見える。だが、偽物の可能性が高い資料。

 今回の策にはそれが必要だ。

 

 私は星野という男をそれなりに知っている。

 あのカスは効果的であれば手段を選ばない。

 故に、九割九分断言できる。

 

 貸金庫の中身は――すなわち資料Bは、吉(・)阪(・)に(・)疑(・)い(・)を(・)向(・)け(・)る(・)内(・)容(・)に(・)編(・)纂(・)さ(・)れ(・)て(・)い(・)る(・)。

 

 新島に偽資料の可能性を追わせるなら、これが一番確実だ。

 赤川を選ばせたのは、新島が私情を無理に捨てて疑いの目を向けるのを防ぐため。

 冷静に考えて、国家公務員である公設秘書――しかも支援者の遺児で第二秘書の座に収めている吉阪に危険な橋を渡らせるバカはいない。

 大学に客員教授として招かれる人材であれば、ほぼ不文律となっている政治家のやり方を熟知している。

 例え新島が混乱しようとも、理論で諭し、筆跡鑑定から入るよう促す――はずだ。

 

 本当に何も知らない吉阪は善意の協力者として新島と歩調を合わせる。

 そして星野がサポートし、さも私設秘書が隠したという体で資料Cを渡す。

 おそらくそちらは本当に私設秘書が関わった汚職の証拠――認知訶学研究回りの不正なカネの流れを束ねてあるはずだ。

 あとは『獅童正義が告発のために集めた資料を私設秘書が隠蔽した』とか、『獅童の告発(裏切り)に気づいた認知訶学関係者が精神暴走を仕掛けて殺した』とか、星野なり明智(私)なりがさも今思いついたかのように新島に吹き込めば良い。

 

 ……ま、私の推測がどこまで正解かは星野に聞かなければわからんがな。

 残念ながら私には他にやるべきことがある。

 

 新居の家具を買いたい。

 調理器具類は切り捨てるにしても、冷蔵庫とレンジと掃除機は必要だ。

 春夏服も欲しい。

 なんなら明智吾郎の服の趣味と私の趣味が合っていないから冬服すら買い替えたい。

 

 世の中、仕事だけしていれば生きていけるというものではない。

 日常生活を破綻させずに回してこそ健康と清潔感が保たれる。

 政治家にしろ高校生タレントにしろ、第一印象こそが全て。

 探偵だって不潔であれば依頼人が減るだろう。

 フケを飛ばして許されるなんて、それこそ映画の中の名探偵だけだ。

 

 ――しかし、家具と家電は一人で選んで買えばいいが。

 服は少し難しい。

 

 完全に私の趣味で選んでしまったら、間違いなく似合わない。

 そもそも50代の人間の趣味が17のガキと同じわけがない。

 年代ごとの流行り廃りもある。

 そういう点で明智吾郎がトラッドファッションを選ぶこと自体はわからなくもない――良くも悪くも流行りに無関係な王道ジャンルの一つだ。

 しかし逆に、パッと見でオシャレだと評される服でもない。

 探偵が目立ちすぎるのも良くないと言われればそれはそうだが……

 高校生らしいか、と聞かれると首をかしげてしまう。

 

 ……気は進まないが、どこかで『友人』を作るべきなのだろう。

 話していて気疲れしない程度の知性があり、こちらに深入りせず、服を見立てる能力があり、なおかつ明智吾郎と同年代のガキ。

 当然、女よりは男がいい。恋愛沙汰になると色々面倒だ。

 さらに言えば犯罪歴がなく、落ち着きがあり、それでいて警戒心が薄いとベストだな。

 そんな都合のいいガキがそうそう転がっているとは思わないが、渋谷や原宿なら放っておいても人が集まってくる。

 見つけられるかどうかはともかく、1人か2人はいるはずだ。

 

「……ま、明日は家具と家電探しだな」

 

 私は大きく背伸びして、外に出る。

 夕食や洗面用品を買いがてら、新居へ戻るとしよう。

 やることはいくらでもある。

 少しでも私が思い描く未来に近づくためには。




※本作は13話まで執筆済みです。8話目から13話までは毎日21時15分に予約投稿します。
13話後の月末資料のみ、21時30分に予約しています。
それ以降は不定期更新で21時15分に予約投稿する予定です。
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