賑やかだった宴の時間が過ぎ、魔の三角地帯
(フロリアン・トライアングル)は再び深い静寂に
包まれていた。太陽の光すら届かず昼か夜かも判別がつかない霧の海だが、漂う冷気と静けさの深まりが、
静かに時間の経過を告げている。
甲板で目を覚ましたロダストが体を起こすと、
傍らで眠っていたアピーとコモちゃんも体を揺らして目を覚ました。
船室の奥を見やると、ブルックはすでに起きており、仲間たちの遺骨を丁寧に拭いながら静かに
手を合わせている。
その姿を目にしたロダストたちは、荷物をまとめ、
旅立ちの準備を整えて甲板に出てきたブルックへと
歩み寄った。
前夜、仲間を一人一人自分の手で供養したいと
語ったブルックの背中を思い出し、彼の決意の固さは痛いほど分かっていた。…分かってはいたが、
すっかり打ち解けたからこその
名残惜しさが、ふと口をついて出た。
「……やっぱり一緒には行かないのか」
『行かないの、ブルック?』
寂しそうに首をかしげて尋ねる二人に、
ブルックは帽子に手を当て、申し訳なさそうに
深く頭を下げた。
「ええ…。ヨホホ…、申し訳なく思いますが……
私には、やらなければならないことがございます。
まずは、旅半ばで倒れた仲間たちを
弔(とむら)うこと。
そして……この船の舵を直し、いつか必ず、
あの「場所」へと戻り、待たせている大切な
仲間(ラブーン)との約束を果たさねばなりません」
「約束……か」
ロダストが静かに呟くと、ブルックは空洞の目を
前へ向け、力強く言葉を続けた。
「はい。蘇ったばかりで身体はこんな(骨)ですが…
ヨホホホ! …その固い約束を果たすまで、
私は決して立ち止まるわけにはいかないのです。」
ブルックのブレない芯の強さを感じたロダストは、
「そうか。……なら、その約束、絶対果たせよ」と
深く頷き、力強く拳を差し出した。
ブルックもまた、その骨の拳をそっと合わせる。
『ブルック! 約束、絶対に果たしてね! ワタシたちも遠くから応援してるから。』
アピーが元気いっぱいに空中で手を振ると、
宝石アンモライトの姿をしたコモちゃんも
「ポワッ!」と鳴き声を上げ、綺麗な貝殻の隙間や
口からプシューッと新鮮な水雲を吐き出した。
吐き出された水雲はふわりと周囲に漂い、輝きを放ちながら広がっていく。
「ヨホホホッ!!ありがとうございます!
みなさまの旅路にも、どうか幸多からんことを!」
ブルックは愛用のバイオリンを構え、弓を優しく
弦に乗せた。
「さあ! 別れを惜しむより、笑顔で参りましょう! 歌を歌いましょう! 今日の良き出逢いに!」
「音楽を歌いましょう!」
『うん!』
ブルックが奏でる陽気で軽やかなバイオリンの音色に合わせ、アピーとロダスト、そしてブルックの歌声が重なり合う。暗い霧の海に、晴れやかなメロディが朗々と響き渡った。
最後の音符が深々とした霧の彼方へ溶けていくと、
潮騒の音すら消えたかのような静寂が訪れる。
ブルックはバイオリンの弓をゆっくりと下ろし、
その空洞の目をロダストたちへと向けた。
笑顔で歌い切ったあとの甲板には、温かいメロディの余韻と、それを追うように広がる切ない
名残惜しさが静かに漂っている。
静けさの中で帽子に手を添えたブルックが、意を
決したように静かに口を開いた。
「……では、おふたりとも…」
「ああ。」
『うん…!』
「…ニシシッ!ブルック!楽しい時間を
ありがとうな!」
『ブルック、ありがと〜〜!』
「…ヨホホホ!ええ、こちらこそ良き出会いに
感謝いたします。」
言葉とともに深く頷き合うと、歌によって
生まれた温かい余韻が、別れの寂しさを優しく
満たしていった。
コモちゃんがふわりと姿を変え、眩しい光を纏った
金斗雲となって浮かび上がる。ロダストとアピーが
その背に乗り込むと、金斗雲のコモちゃんは
一気に上空へと舞い上がった。
「それでは、お別れです!!いつか必ず、また
お会いしましょう〜〜〜!ヨホホホホホーーッ!!」
甲板から大きく手を振り続けるブルックの叫び声に、上空へ駆け登る二人も振り返り目一杯の声を
張り上げて応える。
「おう! またなーー! 死ぬなよブルックーー!!」
『またね〜〜〜! 絶対また会おうね〜〜!!』
「ポワ〜〜ッ!」
甲板から手を振り続けるブルックの姿が、次第に
小さくなっていく。
その陽気な笑い声とバイオリンの余韻を背に
受けながら、コモちゃんは重く垂れ込める濃い霧の層を上方へと力強く突き抜け、眩しい太陽の光が煌めく雲上の広大な海原へと飛び出していくの
だった——。