死徒もカレーも捕食対象   作:にんら

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第10話

地下変電所の広大な吹き抜け空間に、張り詰めた沈黙が満ちていた。

天井から垂れ下がる高圧ケーブルが、紫紺の火花を散らしてショートする音だけが、等間隔にコンクリートの壁を震わせている。

「……私の雷霆を、喰らった、だと……?」

二階層上の配電ステージ。手すりに両手をかけ、見下ろす遠野四季――その肉体を侵食した死徒ロアの黄金の瞳が、侮蔑から驚愕、そして言い知れぬ警戒へと急速に変色していた。

自身が千年の転生を経て研ぎ澄ましてきた数秘紋の極み。神代の大魔術にも匹敵する雷の槍を、目の前のただの高校生が、呪文の詠唱どころか何の魔術礼装も介さずに、素手の平手一枚で呑み干してみせたのだ。

「あり得ん……! 魔力相殺などという生易しい理屈ではない。空間の魔力循環そのものが、あの小僧の掌の特異点へと不可逆的に崩落した……。貴様、教会が隠し持っていた禁忌の概念武装か? それともアトラスの錬金術師どもの造り出した人造炉心か!?」

ロアの喉から、怒気を含んだ詰問が叩きつけられる。

だが、飛鳥はブレザーの襟元を無造作に正すだけで、その問いに答える素振りすら見せなかった。

「……飛鳥くん」

背後から、息を呑むようなシエルの声が届く。

第七聖典を抱えた彼女の蒼い瞳は、目の前の後輩の背中を、信じがたい奇跡と拭いきれない畏怖が入り混じった眼差しで見つめていた。

代行者として幾多の吸血鬼を屠ってきたシエルだからこそ、ロアが放った雷撃の致死性が骨の髄まで理解できていた。直撃すれば、埋葬機関の防御結界ですら融解しかねない一撃。それを、飛鳥は傷一つ負わずに噛み砕いてみせたのだ。

「先輩。言ったでしょう、俺のことは心配いらないって」

飛鳥は振り返ることなく、肩越しにシエルへと言葉を投げかけた。その声音は、放課後の茶道部室で聞かせるものと寸分違わない、穏やかな響きを保っている。

「第七聖典の杭装填、もう終わってますよね? ……あいつの雷は俺が全部引き受けます。先輩は、奴の霊核を狙うことだけに集中してください」

「ですが……! あんな神代の術式を何度も体内に引き込めば、貴方の魂そのものが焼き切れてしまいます!」

シエルの叫びには、後輩の身を案じる痛切な悲鳴が混ざっていた。

かつて自分がロアに侵食された時、その魂がどのように壊され、どれほどの苦痛を味わったか。その地獄を知っているからこそ、飛鳥がロアの毒に触れることそのものに、シエルの心は激しい拒絶反応を起こしていた。

「大丈夫ですよ。俺の『起源』は、そういうものを噛み砕いて殺すためにあるんですから」

飛鳥が足元のアスファルトを蹴った。

質量を感じさせない、絶対的な初速。水たまりの飛沫が宙に止まったように見えるほどの超高速機動で、飛鳥の身体は配電ステージの鉄骨を一気に駆け上がった。

「小癪な人間風情がァッ!!」

ロアが激昂し、両手を天へと掲げた。

「数秘紋・雷獣群生(スクワイア・ケイオス)!」

バルコニーの空間一帯から、数十条の紫紺の電弧が蛇のようにのたうち回り、網の目となって飛鳥の全方位を包囲するように収束していく。一筋でも触れれば肉体を炭化させる死の檻。

「――無駄だって言ってるだろ」

飛鳥の左手が、虚空を薙ぎ払うように振るわれた。

『起源:捕食』。

飛鳥の全身の毛穴から、不可視の「無の顎」が全方位へと展開される。

バチバチと大気を焦がしていた数十本の雷の蛇が、飛鳥の身体に触れる寸前、強烈な重力場に捉えられたかのように軌道をねじ曲げられ、彼の掌、腕、そして胸元へと一斉になだれ込んでいく。

ゴォォォォォッ――!!

地下空間を満たす雷鳴が、飛鳥の肉体というブラックホールに呑み込まれ、急速に減衰していく。

バキバキ、ゴクン。

飛鳥の体内深くに座す異形の炉心が、神代の術理を構成するエーテルの結合を粉々に噛み砕き、純粋な生体エネルギーへと変換していく。

「……ごちそうさま。少しピリピリして、目が覚める味だ」

「な……馬鹿な……我が魔術を、喰らい尽くすというのか……!?」

ロアの顔に、明確な恐怖の色が浮かんだ。

不死の怪異として君臨し、死の概念すら超越したと自負する死徒。その彼にとって、自らの放つ神秘が「単なる食糧」として無造作に咀嚼される光景は、存在の根本を否定される冒涜に他ならなかった。

「化け物め……貴様のような特異点、生かしておくわけにはいかん!」

ロアが懐から黒い短剣を引き抜き、遠野四季の肉体に眠る人外の膂力を限界まで引き絞って飛鳥の心臓を刺し貫こうと踏み込んだ。

だが――。

「よそ見をしている暇はありませんよ、ロアッ!」

空気を切り裂く剛風とともに、青い法衣を翻したシエルが、ステージの真下から跳躍して躍り出た。

その両腕に抱えられた第七聖典の銃身から、神聖な破邪の光が極限まで励起されている。

「第七聖典・霊子制動(カノン)――撃ち放てッ!」

ズドォォォォンッ!!

巨大な有角獣の頭骨を模した銃口から、純白の概念杭が超音速で射出された。

「ぐ……っ、シエルゥゥッ!」

ロアは咄嗟に短剣で防護障壁を展開するが、飛鳥によって雷撃の魔力を根こそぎ喰らわれた直後の防御はあまりにも脆かった。

バリン、とガラスのように障壁が砕け散り、概念杭がロアの右肩を直撃、その肉体を鉄骨の壁面へと深く縫い止めた。

「ギャアァァァッ!!」

激痛の絶叫を上げるロア。杭から吹き上がる教会の浄化の炎が、彼の肉体を激しく焼き焦がしていく。

そこへ、床に着地したアルクェイド・ブリュンスタッドが、冷え切った真紅の瞳で音もなく歩み寄ってきた。

白銀の髪を濡らした真祖の姫は、爪先を軽く鳴らし、壁に縫い止められたロアの頭上へと右手を掲げる。

「見苦しいわね、ロア。……千年間逃げ回り、他人の肉体を奪って生き延びた結末が、このザマかしら」

「アルク……ェイド……! 貴様……力を失ったくせに……!」

「ええ、志貴のせいで霊力は底をつきかけてるわ。……でもね、貴方をここで永遠に眠らせるだけの力なら、まだ残っているのよ」

アルクェイドの指先から、大気を真空へと変えるほどの強烈な衝撃波が放たれようとした、その瞬間――。

地下変電所のさらに深層、霊脈の底から、ズズズ……と大地そのものが引き裂かれるような、異様な重低音が響き渡った。

「――っ!?」

飛鳥が即座に視線を床へと落とした。

彼の鋭敏な『捕食』の触覚が、この旧地下変電所とは全く異なる、三咲町の霊脈の心臓部――遠野家の本邸の地下深くから、凄まじい密度の「反転の血」と「死の胎動」が噴出するのを感知した。

アルクェイドの表情が、凍りついたように止まる。

「……嘘でしょう? この肉体……四季の霊核は、ただの『囮』……!?」

壁に縫い止められていたロアの口端が、血に塗れながらも、狂気じみた嘲笑の形に吊り上がった。

「ヒハハ……気づくのが遅いのだ、アルクェイド……! 我が真の魂の器は……とうの昔に、あの屋敷の奥底で、もう一人の『遠野の血』と同化を完了させている……! ここにいる肉体など、貴様らの目を引きつけるための抜け殻に過ぎん!」

「なんですって……!?」

シエルが蒼白になり、息を呑んだ。

遠野志貴がアルクェイドを解体したあの日から始まった狂乱。

その裏で進行していた真の悪夢は、この地下空間ではなく――遠野の屋敷そのものを舞台に、すでに最後の幕を開けようとしていたのだ。

飛鳥は配電ステージから飛び降り、シエルの隣へと滑り込んだ。

「先輩、ここはアルクェイドに任せて、屋敷へ向かいます!」

「飛鳥くん……!?」

「あいつの本体は、遠野の屋敷にいます。……この街の夜が完全に腐り落ちる前に、元凶の根をすべて引きずり出して、俺が喰い尽くします!」

少年と代行者の視線が、火花を散らすように重なり合う。

血みどろの三咲町の夜は、いよいよ逃れようのない、運命の深淵へと突入しようとしていた。

 

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