ツァルダ家の騎士 作:匿名
国中の騎士たちが集まるこの場所に私はようやく立つことが出来た。私は国王陛下の前で跪く。
「ミラージュ・ナサリオにその実力と功績を称え、騎士団総団長に任命する。異論がある者はいるか? ――ふむ。いないようだ。ではミラージュ・ナサリオよ、他に何かあるか?」
「現在私はナサリオという名を持っております。ナサリオという名をツァルダの名に変更したいと願います」
「いいだろう。おぬしはこれからミラージュ・ツァルダと名乗るといい」
「ありがたきお言葉。この栄誉をありがたく拝命いたします」
……俺はそう言葉を返すと、会場は拍手と歓声に包まれた。
ようやく、ようやく俺の願いは叶えられた。
俺は立ち上がり、満面の笑みを浮かべた。
―七年前のこの日から全てが始まった。
ゴポリ。
ああ、これで嫌なことから全て解放されるのね。
暗い湖の底からいくつもの水草が私に絡みつこうとしている。
まるで死者が私を捕らえようとしているみたい。
服が重く、湖面に浮かび上がることができない。
苦しい……。
でも、もう、いいの。
これで私は楽になれる。
誰も私を必要としていないもの。
私はこの世界には要らない人間。
もう、疲れたわ。
もう、休みたい。
≪死を選ぶほど辛いのか?≫
頭の中に響いてくる声。
聞こえてくるはずがない。
だってここは湖の中だもの。
声の主は構うことなく、私に語り掛けてくる。
私はもうこの世に居たくないの。
消えてしまいたい。
≪なら俺がその身体を引き受けよう≫
何故、私の身体が欲しいの?
≪俺は叶えたい願いがあるんだ≫
そう。
私の身体が欲しいならあげる。
私はもう楽になりたい。
こうして私の意識は暗転した。
俺は力の限り、手を掻き、水面へと浮上する。薄手のワンピースで助かった。これがドレスなら浮かび上がることは困難だっただろうな。
「ミラージュお嬢様っ! 大丈夫ですかっ!?」
「リョーサ、大丈夫だ」
俺は濡れた髪をかき上げた。
水に濡れたワンピースはぴたりと身体に張り付き、ぽたぽたと水がたれている。
「重いな」
水を吸って重くなったワンピースをたくし上げ、絞っていく。
「お嬢様!? はしたないですっ」
「大丈夫だ。どうせ誰も見ていないしな」
俺はある程度水を絞った後、草の上に腰を下ろした。さすがに令嬢の体力だと立っていられない。
これはさすがに鍛える必要があるな。
「ミラージュお嬢様、すぐに馬車を呼びますから、待っていてくださいっ」
「そうだな。このままでは風邪を引いてしまうしな」
俺と話をした侍女のリョーサが心配そうな顔をして聞いてきた。
「ところでお嬢様。先ほどから言葉遣いが変わられたような気がするのですが」
俺はふっと笑みを浮かべ、リョーサの問いに答える。
「残念ながらミラージュは深く傷つき、心の奥深くで眠りについてしまった。目覚めるかどうかは分からないんだ」
「あ、貴方は誰なのですか?」
「俺の名前はロイド・ツァルダ。ミラージュは沈みゆく水の中で死を願った。代わりに俺が彼女の身体を引き継ぐことになったんだ。リョーサ、これからよろしく」
俺は彼女に笑顔を向けると、リョーサは顔を真っ赤にさせ、口をはくはくとさせ、二の句を継げないでいる。
「やっぱり、ここは死者の眠る湖という噂は本当だったんですね」
「湖にはそんな噂があるのか?」
「ええ、ここは死者の国と通じている言われているいわくつきの湖なのです」
「そうなのか。それは全く知らなかったな。まあいい、俺は運が良かった。ミラージュもこうして生きて戻って来れた」
俺が彼女と体を交代した時、ある程度ミラージュの記憶を彼女から引き継いだが、俺自身、彼女の身体に馴染むまでは詳細な記憶や感覚は時間が掛かりそうだ。
心の奥底に眠ってしまった彼女は目覚めるかも分からない。
もし、目覚めるのであれば、それまでの間、俺にできることをするまでだ。
リョーサはミラージュの置かれた環境を知っている。いつも彼女はミラージュを支えてきたのだろう。リョーサは俺の言葉にぽろぽろと大粒の涙をこぼし始めた。
「お嬢様っ……。う、うっ、うっ……」
「馬車が来たようだ。リョーサ、行こうか」
「は、はい……」
俺は立ち上がり、リョーサに手を差し出したが、そのことに彼女は驚いて涙が止まったようだ。
「さあ、行こう」
俺は全身ずぶぬれのまま馬車に乗り込んだ。
御者は嫌そうな顔をしていたけれど、人睨みすると、すぐに目を反らした。
しばらく馬車はカラカラと軽快な音を立てて走った後、我が家へと入っていく。
「ロイド様、このままロイド様とお呼びすればよいですか?」
「いや、ミラージュのままでいい」
「わかりました」
リョーサにそれだけを話し、馬車を降りて自室に向かう。全身ずぶぬれで現れた私を玄関フロアにいた使用人たちは、慌てて動き出している。
ふむ、使用人たちに嫌われてはいないらしいな。
自室に戻ると、侍女が湯あみの準備をしている。俺は濡れた衣服を脱ぎ捨て、バスタブへと向かった。
壁に掛けられた鏡に映る彼女の身体にドキリとする。
若い女性の身体。男の感覚とは違い、鏡から向けられる俺の視線に、身体は恥じらう感覚が勝つ。まだまだ元の持ち主の感覚として残っているようだ。
俺の魂が少しずつだが、体の感覚や記憶が馴染みはじめている。時間と共にミラージュとして生活できるだろう。
「リョーサ、湯あみが終わったら鋏をもってきてくれ」
「はいっ」
鏡に映ったミラージュの髪は左の前部分だけ髪を切られていた。
切られた状況を彼女の記憶の中から確認する。これをやったのはクラスメイトのスーザン・アジェレード侯爵令嬢だ。
彼女はミラージュに嫌がらせをする代表格と言っていい。
いつもおどおどとしていて自信のないミラージュを馬鹿にして他の令嬢と共に嫌がらせを繰り返してきた。嫌がらせは徐々にエスカレートし、ついには鋏でミラージュの髪を切った。
この国で髪の短い女は平民か修道女だけだ。俺が生きていた頃にも同じような文化は存在していた。
臆病な令嬢なら死を選びたくなるほどの絶望だろうな。
それはミラージュも同じだった。だから彼女も自ら死を選んだ。
男の俺からしてみれば髪を切られた程度で心を病むなど馬鹿々々しい。
戦場では髪など気にしてなどいられないんだ。
髪なんていくらでも伸びてくる。
彼女は狭い人間関係の中で絶望し、命を絶とうとしていた。なら、俺が彼女の代わりに強く強く生きればいい。
幸いなことに切られたのは左の前だけだ。両側を切りそろえ、襟足は長いまま束ねておけば問題ない。
髪を全て短く切ってしまいたいが、さすがに令嬢としての人生が終わってしまうだろう。言い訳ができるように残しておかねば。
俺は湯あみを終え、用意されてあったワンピースに着替えた。
「リョーサ、この部分を切りそろえてくれないか」
「い、いいのですか?」
「全部切るわけじゃない。襟足は長いままで頼む」
「は、はい……。うっ、うっ。どうして、お嬢様がこんなめにっ」
リョーサは涙を流しながら俺の髪に鋏を入れていく。ずっと傍に付いていた彼女も思うところはあるのだろう。
髪を切り終え、長い部分は束ねていく。
「リョーサ、ありがとう。あと、普段着のことなんだが、シャツとズボンを頼む」
「乗馬服のような格好でよろしいですか?」
「動きやすい服ならなんでもいい」
「は、はいっ。わかりました」
リョーサはすぐに準備をするように別の使用人を呼んで準備をさせている。ミラージュは乗馬を嗜み程度にはしてはいたようだ。彼女は「乗馬服一式ならすぐに用意できます」と言っていた。
他の使用人からすぐに服が届けられ、俺はさっと着替えをする。使用人たちを下がらせ、夕食までの間は部屋にはリョーサと二人だけになった。ソファでゆっくりとお茶を飲んでいると。
「ミラージュお嬢様、いえ、ロイド様。お聞きしてもよいですか」
「ん? どうした」
「貴方は一体何者なのでしょうか」
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