俺は大きく息を吐くのを我慢し、静かに席に着く。
「ミラージュ、あなた、明日は何をする予定なの?」
珍しく母が嫌悪感丸出しで聞いてきた。
「明日は自室でゆっくりと身体を休めるつもりですが」
「なら、明日はマダム・ミディの所へ行って私のドレスを取ってきてちょうだい。それくらいできるでしょう?」
「母上、聞いていましたか?」
「聞こえているわよ。だから行ってちょうだいって言っているじゃない。子供じゃないんだからいきなさい」
「なぜ俺に行かせようとしているのですか? 執事や侍女に頼んでも何ら問題ありませんよ」
「煩いわね! 私が行けっていっているのよ。母親の言うことは絶対なの! 行きなさい」
胡散臭いな。そうまでして俺に行かせたい理由があるのか?
そもそもドレスを店に取りに行くのは娘の仕事ではないだろう。
娘を奴隷だとでも思っているのか?
「母上、俺は大事な日がもうすぐそこまで迫っているのです。それでも自分のことを優先させるのですか? それとも娘が取りに行かなければならないほどの何かがあるのですか」
「!!! な、ないわよっ!何にもないわっ! と、とにかくっ、明日取りに行ってきなさい!」
分かりやすい母親だな。娘に何かしようって頭がおかしいのではないだろうか。
「ケイラ、煩いぞ。お前は決闘の意味を知らないとは言わせない。我が家の沽券に関わる神聖なものだ。邪魔するのか?」
「だって、あなたっ」
「煩い」
父は母のすることを止めている。
ミラージュがここまで母に嫌われているのは本当の母親ではないからなのか……?
だとしたら納得するが。ミラージュの記憶の中には実母というものしかない。幼い頃から嫌われていたよだが。実母から嫌われ、兄も母の影響を受けているようにも思える。
が、珍しく兄は母の言動に口を出さずにいる。それはそれで違和感を覚えるな。
「ミラージュ、明後日の準備はできているのか?」
「もちろん。抜かりはありません」
「そうか……」
父の問いに答えると、兄も聞いてきた。
「お前、本当に我が家が侮辱されたことを撤回させるつもりでいるのか?」
「もちろん。この髪のお礼も兼ねて」
「……そうか。」
兄は何か考え込んでいる様子だが、母だけは一人騒いでいる。
「では、俺はお邪魔のようだし」
俺はそう言って食事を終えてすぐに自室へと戻った。
「ふう。母は何を考えているんだろうな」
ぽつりと呟いた言葉をリョーサが拾う。
「ケイラ様はミラージュ様が憎くて仕方がないのだと思います」
「リョーサは何か知っているのか? ミラージュが母から嫌われる理由を」
「侍女長から聞いた話ですが、ミラージュ様が生まれた当初、祖母のイラーレ様は、大層喜んでいたと聞いています。そして実母のケイラ様からミラージュ様を取り上げ、育てていたのだとか。ミラージュ様は何も知らず、イラーレ様が亡くなるまでの数年間はケイラ様の存在すら知らなかったようです。
それでもケイラ様は当初は母として接していたけれど、イラーレ様を探して泣きじゃくるミラージュ様を見て、次第に嫌味を言うようになったようです」
ミラージュはいつも部屋に独りきりで過ごす記憶しかない。四、五歳くらいだろうか。リョーサが来たのは十歳になる頃に父が付けた侍女だ。
それまでは特定の侍女もおらず、食事も湯あみもされていない状態だったのだろう記憶が残っている。
たまに母がミラージュの部屋に来ては手を挙げていた。母はミラージュの姿に義母を映していたのだろうか。
それにしても、だが。兄の場合、祖母から引き離されてはいなかったのかもしれない。
なぜかと言えば、俺の容姿はとても祖父や父に似ているからだ。兄は母にそっくりだ。祖母は母に似た兄を嫌っていたのかもしれない。
あくまで予想でしかないが。
「そうか」
まあ、今更だ。
母の娘嫌いはもう治らないだろう。
あの調子では娘を売り飛ばしそうな勢いだ。近づかない方がお互いのためでもある。
俺はベッドへ勢いよく座り、そのまま寝そべった。
「リョーサ、今日は疲れた。もう寝る」
「おやすみなさいませ、お嬢様」
リョーサは頭を下げ、部屋を後にした。
静まり返った部屋。開かれた窓からは心地よい風がカーテンを揺らしている。
心の奥底が小さく揺れるのを感じる。
辛かったんだろう。
彼女の忘れたい幼い頃の記憶。
気怠い気分にさせるのはきっと。
……今日は、もう、寝てしまおう。
俺は横を向き、そのまま目を閉じた。
そして翌日は身体を動かすだけにとどめ、ゆっくりと休んだ。