ツァルダ家の騎士 作:匿名
「貴方は一体何者なのでしょうか」
リョーサは不安そうな顔で聞いてきた。まあ、確かに中身が入れ替わったのならはっきりと聞いておきたいところだろうな。
俺は彼女へと向き直り、足を組んで答える。
「俺は、名もなき騎士、なんてな!」
俺がそう言うと、リョーサは困った顔をしている。
「ま、自己紹介はしっかりとしておかないとな。サムウェード国の第六騎士団団長だった。俺の主な任務は、戦場に赴くことだ。あの頃は仕事に明け暮れていたかな。サムウェード国とシュアラスター国との争いがあり、ちょうどあの湖で俺は死んだんだ」
「サムウェード国……? 随分と昔に亡くなったのですね」
「どれくらい経っているんだ? 残念ながらミラージュの記憶をまだ完全には取り込めていないんだ」
俺は顎に手を当てて笑顔で聞き返すと、リョーサは視線を泳がせている。
「私もあまり詳しくは分かりませんが、おおよそ百年くらい前の話ではないでしょうか。サムウェード国とシュアラスター国は長い戦争の後、シュアラスター国が勝利をおさめてサムウェード国と国が一つになり、国名も変わりました。今はエセル歴九十八年ですから」
「……そうか。それにしても百年程度ではあまり文明というものは変わらないものなんだな」
「そうかもしれませんね」
リョーサはふっと笑みを溢した。
「これからロイド様はどうするおつもりですか?」
「ミラージュは目覚めるかも分からない。だが、もし、目覚める可能性があるのなら今よりももっとよい環境を作っておきたいな。俺自身もやりたいことがあるだ。そのためにはリョーサ、お前の協力も必要なんだ」
俺がそう話をすると、リョーサはまた涙を流し始めた。
「す、すみませんっ……。お嬢様は幼い頃から一人でずっと我慢をされていて。誰にも相談できず、辛い思いばかりをされていたんです。だから、あの時も私はお嬢様が楽になるのならと。本当はだめだってわかっていたんです。でも、止められなかったっ」
リョーサは先ほどの湖にミラージュが身を投げたことを言っているんだろう。
無理もない。
ミラージュの記憶は家族からも疎まれ、クラスメイトや婚約者からも馬鹿にされる日々を送っていた。
彼女の住む世界は悪意に満ちていた。
彼女が弱いというわけじゃない。
ただ、悪意を躱す方法を誰からも学んでこなかっただけだ。
「仕方がない。ミラージュには敵が多すぎた。リョーサにはそれが最良だと思ったんだろう? これからはもっと別の方法で動いてくれればいいさ」
「!! はいっ。これからも誠心誠意、お嬢様に仕えさせていただきます」
先ほどまで後悔の涙を流していたリョーサだったが、何か吹っ切れたのだろう。今はすっきりと前を向いている。
「リョーサ、明日は学院へ出るから剣を用意できるか?」
「剣を買うには時間が必要ですが、すぐにというのであれば兄のラウリ様が学院で使っていた剣をお持ちします」
「兄の使っていたもので構わない。それを持ってきてくれ」
「わかりました。気になったのですが、ミラージュ様は淑女科ですが、帯剣されるのですか?」
「そうだな。淑女科にいても何もできないし、騎士科に転科しようと考えている。これから俺は面倒だけど王宮騎士を目指すつもりだ。今からなら間に合うんだろう。今、この身体に体力はないけど、俺は人より剣ができるからな」
「わかりました。では、騎士服も準備しておきますね!」
「リョーサ、頼んだ」
ここアイン子爵家は騎士の家系ではないが、兄のラウリは騎士科にいたようだ。ミラージュの記憶では子爵家を継ぐには不安しかないような印象を受けるが、実際に合ってみればまた違うかもしれない。
しばらくはミラージュの記憶の定着と体力づくりが必須だろう。
俺は夕食までの間、部屋でストレッチや軽い運動を始めることにした。
「ミラージュお嬢様、晩御飯の準備が整いました」
「わかった」
使用人が告げ、俺は食堂へと向かった。廊下は蝋燭の灯りで歩きやすい。
コツコツと革靴の音だけが静かに響いている。
さて、記憶の中の家族との違いはどれくらいだろうか。
―ガチャリ。
使用人によって食堂の扉が開かれた。
視線が一斉に集まる。
シンと静まり返った食堂に俺の歩く音だけが響いている。
壁際にいる使用人たちの視線を気にすることなく俺は自分の席に着くと、先ほどの静寂は嘘のようにまた使用人たちが動きはじめた。
既に家族は席に着いている。
「ミラージュ、貴女、その髪はなんなの!? それにその服装、着替えてきなさい。ただでさえ貧相な身体なのにますます貧相に見えるわ」
ミラージュの母、ケイラは毛虫でも見るような嫌悪感を出し、文句を言ってきた。
「スーザン・アジェレード侯爵令嬢に髪を切られました」
俺の言葉に父が反応している。
「なんだと? アジェレード侯爵令嬢にか。我が家の面子もある。あとで抗議を出しておく。だが、その格好はなんだ? いくら髪を切られたといってもそんな姿をするものではない。ナサリオ家から何を言われるかわからん。婚約破棄になったらどうするんだ。ケイラの言う通り、令嬢としての格好をしないか」
父は不機嫌そうに話をしている。
ミラージュがいつもオドオドしていたのもこの両親のせいだな。母は娘を自分の所有物のように扱い、父は家の体面を保つことしか娘に関心を向けない。
「ハッ。ミラージュ。ついに男の真似でも始めたのか? 男の格好をすればめそめそが治るとでも? 髪を切られてよく平気な顔をしているな。お前なんか修道女になれよ。我が家のお荷物め」
「言葉を返すようでなんだけど、実の兄が、一番下のか弱い妹に対してのその物言い、兄とは思えないな。本当に俺の兄なのか? 年下の者に対して口撃するなんて弱者のすることじゃないか。母上もそうだろう? 娘に対して貧相だって? 俺が貧相なら母上は若者気取りの若作りをした婆だろ」
「なんだとっ!?」
「ミラージュ!! あなたって娘は!」
俺が笑いながらそう口にすると、母は顔を真っ赤にし、兄のラウリは立ち上がった。
「ラウリ、ケイラ! 煩いぞ。今は食事中だ。ミラージュ、口答えするな。お前は下がれ。食事抜きだ」
「本当のことを言っただけだが。まあいいですよ」
「お前は、本当に何を考えているんだ。全く……」
父はため息を吐き、母と兄は顔を真っ赤にして睨んではいるが、それ以上言葉にするつもりはないようだ。
やはり最低な家族だな。
俺はそれ以上反論せず、そのまま自室へと戻った。
「ミラージュお嬢様、大丈夫でしょうか」
「問題ないさ。一食くらい食べずとも死にはしないさ。それより、明日の準備をして今日は早めに寝ておく。そろそろミラージュの身体が限界みたいなんだ」
「わかりました」
リョーサはてきぱきと動き始めた。俺はそのままベッドへ入ると、すぐに視界が暗転した。
―翌朝。
「リョーサ、おはよう」
「お嬢様、おはようございます」
俺はいつものように小鳥の囀る時間に起きてきた。ミラージュの朝はもっと遅かったが、これからは体力をつけることを重点に動きたい。
学院で何が起こるかわからないしな。
「お嬢様、服の準備はできております」
「リョーサ、ありがとう」
「は、はいっ」
俺はリョーサの用意してくれていた訓練着に着替え、訓練場に出た。中庭で訓練しようと思っていたが、ここ子爵家には衛兵用の訓練場が小さいながらもあるらしく、俺はそこで基礎訓練をすることにした。
「……怠いけど、まずは走り込みからはじめるかな」
訓練場は狭かったが、文句は言っていられない。俺は黙々と走り始めた。
静かな訓練場に一つの足音だけが響いている。子爵家の護衛達は午前中に訓練を行うことになっているようだ。
リョーサは訓練場の端でじっと立って様子を見ている。
走り込みを終え、息が上がった状態で木剣を取って素振りを始める。やはり運動をしてきていないからか数周走るだけですぐに息が上がり、木剣も重く感じるな。これでは打ち合いなどまだまだ先だろう。
初日は軽く身体を動かすだけにしておくか――っ!?