扉をノックし、部屋に入ると、そこには父と執事が執務を行っていた。
「父上、お呼びでしょうか」
俺の声を聞き、父は手を止めてこちらを見た。
「ミラージュ、お前はまた何をしでかしてきたのだ」
そう言って目の前に差し出されたのは騎士科への転科届だった。
「そのままです。父上は好きにしろと仰ったでしょう?」
「問題はそこではない。決闘とはなんだ」
きっと学院からの書類を届ける時に教師が父に話をしたのだろう。父は指で机を叩き、苛立ちを見せている。
「スーザン・アジェレード侯爵令嬢から我が家の侮辱を受け、それ以上、侮辱するのであれば決闘をすると言っただけです。スーザン嬢はそれを聞いた上で私を侮辱し、決闘をすることになった。それだけですよ」
「なぜ剣を持ったことのないお前が決闘などと……」
「侮辱されたからです。父上は我が家が侮辱されても許すのですか? 黙って嫌がらせに耐えろと?」
「他にも方法はいくらでもあるだろう」
「これ以上、俺とこの家を、侮辱されるのを止めさせるにはこれしかないと思ったからです」
父は大きなため息を吐いた。
「……アシェトを呼べ」
執事は無言のまま礼をし、伝令係に指示を出すと、伝令係は「畏まりました」とすぐに部屋を出ていった。
「アシェト?」
「我が家で一番腕の立つ者だ。代理人を務めさせろ」
「父上のご厚意はありがたいですが、――」
「旦那様、お呼びでしょうか」
話の途中でアシェトが執務室へと入ってきた。
「アシェト、すまないが、決闘の代理を務めてくれ」
「はっ!? け、決闘……ですか?」
アシェトは突然降って湧いた決闘の話に理解が追い付いていない様子。
それはそうだろう。
いきなり主人から命を懸けて戦えって言われたら驚くに決まっている。
「父上、代理は頼みません。俺自身が行います」
「お前は剣すら握ったこともないだろう」
父は珍しく怒っている。
やはり我が家の沽券に関わることだからだろう。
「なら、俺とアシェトと打ち合いをし、アシェトが勝てば代理をお願いします」
「お前がそれで納得するのであれば、それでいい。全く……」
父は大きなため息を吐いてから執務をはじめた。
「では、父上。失礼します。アシェト、俺に付いてきてくれ」
「はっ」
「ミラージュ、これを」
アシェトと執務室を出ようとした時、父は書類を渡してきた。どうやら騎士科への転科届にサインをしてくれていたようだ。
「お前の好きにしろ。だが、決闘に負ければ学院を辞め、家からも追い出すことになる。わかったな」
「ありがとうございます」
俺は書類を大事に抱えて執務室を出た。
「ミラージュお嬢様、決闘って本当ですか?」
「アシェト、すまない」
俺はそう言って訓練場へと歩き出した。後ろからアシェトもついてきている。
訓練場へ着いてすぐに木剣を取り出し、アシェトに渡す。
もちろん後ろには、ずっとだまったままのリョーサと家令の姿があった。
リョーサは俺と目が合うと「お嬢様、頑張って」と小さく呟き、執事のロシュフォードは父に報告するため黙って成り行きを見守るようだ。
「お嬢様、一つ聞いてもいいですか?」
「どうした?」
「お嬢様、剣を持ったことがないのに決闘するつもりですか?」
「大丈夫、覚えてはいるから」
「覚えてはいる……?」
アシェトは眉をひそめながらも木剣を受け取り、握って感触を確かめている。
「色々と聞きたいところですが、まず、お嬢様。打ち合いをしてみましょうか」
「わかった」
そういって互いに訓練場の真ん中に進み、互いに礼をする。
集中するようにふうと息を吐いた。
―ザラッ。
途端に訓練場の空気が変わった。
糸を張り詰めたような緊張感。
足音だけがその場を支配している。
剣を構え、互いににらみ合う。
アシェトとの距離は約一メートル。
俺は軽く踏み込み、初手で探りを入れるが、手ごたえが一切ない。
彼は紙一重のタイミングでさらりと避けていたからだ。
「危なかった」
そうアシェトは呟いているが、彼の表情には笑みが浮かんでいる。
まだ余裕があるのだろう。
睨み合い、足の動きを確認し、踏み込んでは後ろへ引き、互いに牽制する動きを見せる。
アシェトの動きは確かに日々訓練をしている騎士の動きそのものだ。日々の訓練の結果だろう。
「こちらから行きますよ」
彼は大きく一歩踏み込み、大きく振りかぶった。
―カンッ。
乾いた音が訓練場に響く。
俺は力強く振り下ろされた剣を右下へと受け流し、衝撃を最低限に留める。
アシェトは自分の攻撃が受け流されたことに驚いたようで一瞬動きを止めたが、そのまま連撃を放った。
―カンッ、カンッ、カンッ。
力強い連撃をまともに受ければ、腕が保たない。
受け流すことに集中するしかないな。
剣と剣がぶつかり合うごとに衝撃が手のひらから伝わってくる。
この感覚。
―そうだ。
―思い出せ。
頭の中で警笛のように響いてくる。
戦場に立ったあの時、敵も味方も血しぶきを上げ倒れていく惨状。
俺は彼らを見送り、敵を散らすために無我夢中で剣を振るったじゃないか。
鉄の匂い。
風に吹かれ舞い上がる砂。
ざらつく肌。
怒声が響き渡る中、何度も剣を振り、腕に力が入っているのかも分からないほどに。
全身の血が騒ぎ出す。
―そうだ。
―思い出せ。
速くなる鼓動と息を味方に付け、アシェトの隙を窺う。
―右、左、右、右、左。
流れるように打ち出される攻撃。
この攻撃の最後は左下からの切り上げのようだ。
彼の目的は俺の手元を狙っている。
木剣を弾き飛ばそうとする動き。
「今だ!」
俺はアシェトの攻撃を躱し、大きく踏み込んで彼の喉元に自分の剣を突きつけた。
「こ、降参です……」
彼は両手を上げ、後ろに下がった。
「……ふう」
俺は落ち着きを取り戻すように息をゆっくりと吐いた。
「ミラージュお嬢様、完敗です」
アシェトは笑顔で落とした木剣を拾い上げている。
「ミラージュお嬢様、格好良かったですっ」
リョーサは目を真っ赤にしながら俺の元に駆け寄ってきた。
家令も打ち合いの様子をしっかり見届けたようだ。
「ミラージュお嬢様、このことは旦那様にも報告させていただきます。決闘、お疲れ様でした」
執事のロシュフォードはそう言って執務室へと戻っていった。
「アシェト、来週まで毎日私に付き合ってほしいんだ」
「もちろんです。驚きましたよ。お嬢様があんなに強いだなんて思ってもみなかった。剣を構えた瞬間。お嬢様の放つオーラに俺、ちびりそうになりましたよ」
「大げさだな。打ち合いをして気づいたんだが、アシェトほど強い男はそういないだろうな」
「ミラージュお嬢様、本当に格好よかったです。アシェトさんよりも何倍も男らしくて。あー、お嬢様が男だったらよかったのに。いや、でも、お嬢様はこのままのお嬢様も格好良くていいっ」
リョーサは興奮して言葉が速くなっている。どうやらリョーサのお眼鏡には叶ったようだ。
「で、ミラージュお嬢様。決闘の相手は誰なんです?」
「スーザン・アジェレード侯爵令嬢なんだ」
「えっ!? アジェレード家ってあの王宮騎士を輩出している名家のご令嬢ですか!?」
「そうなんだ」
「お、お嬢様……。また無謀なことを。いや、お嬢様は強いですよ? ですが、相手があのアジェレード家ではかなり厳しいんじゃないですか」
アシェトは腕を組み、シビアな顔をしている。
「大丈夫、問題ないさ。例え負けたとしても平民になるだけだしな」
「貴族のお嬢様が平民になっても働けないですよ」
「貴族夫人の用心棒なら引く手あまただろうし、大丈夫さ。自分の食い扶持を稼ぐくらいなんとかなる」
「大丈夫よ! ミラージュお嬢様は絶対負けないですから」
「おいおい、リョーサ。ミラージュお嬢様が強いのは分かったが、俺に食って掛からなくてもいいだろ」
「私はミラージュお嬢様の一番の侍女ですから。お嬢様を信じているんですうっ」
俺はリョーサの必死さにふっと笑みが零れる。
「リョーサ、ありがとう。決闘なんてなるようになるさ。アシェト、明日から頼んだ」
「はい。で、お嬢様はこの後どうするのですか?」
「今日の練習は全てやり終えたから、今からは身体を休めようと思っている」
「わかりました。ではまた明日、お呼びください」
アシェトはそう言って、礼をして訓練場を後にした。
俺もリョーサと共に自室へと戻った。