「お嬢様、もう一度湯あみをなさいますか?」
「いや、濡れたタオルをもってきてくれるだけでいい」
「わ、わかりましたっ」
首元と腕のボタンを外し、ふうと息を吐いて髪をかき上げる。
今日も疲れた。
このまま寝てしまいたいが、勉強をしておかないとな。
怠惰に過ごしたいけれど、成績を落とせばそれこそ周りに馬鹿呼ばわりされそうだからな。
俺は教科書とノートを取り出し、復習をすることにした。
ノートを見返しながら先ほどのアシェトとの打ち合いを思い出し、考える。
あの時、アシェトは剣を持ったことのない令嬢だという慢心があった。
彼が最初から本気で挑めば負けていただろう。
残念ながら今の俺では彼の力には叶わない。
男女の力の差を痛いほど感じた。そうとなれば別の方法も考えていかなければならない。
力を直接受け止めず、流す方へ。
俺はできるだろうか。
羽根ペンを揺らし、昔を懐かしむようにノートを見返していった。
「お嬢様、夕食の時間です」
「わかった」
さて、今日は夕食抜きにはならないよう気を付けねばな。
俺が食堂へ入ると、父は先に席に着いていた。兄と母はまだのようだ。
「ミラージュ、ロシュフォードから報告を受けた。本当に自分で戦うのだな?」
「はい、父上。自らの手で侮辱を撤回させます」
「後悔はないのだな」
「もちろんです」
「……お前は変わったな」
「ええ、いつまでも下を向いていては躓くばかりですから」
「そうか」
父はそれ以上言葉にはしなかった。俺からも特に話すこともない。
「遅くなりましたわ。あら、ミラージュ。貴女、またそんな格好をしているの? はしたないわね。早く着替えてきなさい」
「いえ、俺はこのままでいます」
「母上、放っておけばいい。こんな馬鹿な妹なんてすぐにこの家から居なくなるんだから」
母の後ろから兄の声が聞こえてきた。二人とも私を毛嫌いするような視線を向けながら席に着く。
「あーいやだ、いやだ。陰気臭いお前と食事するなんて、食事が不味くなる」
「……」
「おい、少しは言い返せよ。それともいつものようにシクシク泣けば?」
「……」
敢えて取り合う必要もないだろう。
ミラージュも大変だな。
家族も揃い、食事が運ばれてくる。母は今日、男爵夫人が主催するお茶会に参加していたようだ。
女の話はコロコロ変わり、話を聞くのは面倒だが、よくよく聞いてみれば重要な情報が混ざっていたりするので侮れない。
兄はその重要性を気づいていないようで生返事をしている。
今日は最近の下位貴族の流行の話で盛り上がっていたようだ。
今後上流貴族で流行りそうな代物も見つけたと笑顔で話をしている。
俺は食事をさっと終わらせ、部屋へと戻った。
「リョーサ、少し良いか」
「お嬢様、どうされましたか?」
「いや、上位貴族の侍女や使用人に伝手はあるかな」
「伝手というわけではありませんが……」
「そうか」
「何か情報が必要でしょうか?」
「ああ、上位貴族を中心に夫人たちに人気の代物が知りたい」
「なるほど。それでしたらすぐに聞くことは可能です。舞踏会やお茶会などは侍女や従者は同じ控室にいるので、情報の交換をしていますしね」
「なら女性が喜ぶもの、ドレスなどの流行を調べておいて」
「畏まりました」
俺はリョーサに頼んでからすぐにベッドへと寝っ転がった。
疲れた。
今日も色々あったな。
そして身体も怠く、眠い……。
今日はもう寝てしまおう。
―翌朝。
どうやら昨日は窓を開け放ったまま眠ってしまっていたようだ。カーテンが揺れ、窓がカタカタと鳴る音で目を開ける。
そして自分の異変に気付いた。生ぬるい感覚が臀部を伝っている。ベッドが血まみれだ。
一瞬自分が怪我をしたのかと思ったけれど、よく考えてみれば今の俺は女だ。
月の物がきたのだろう。
こういう時はどうすればいいんだ?
世の女性はどうしていたのだろう。
「誰か、侍女はいるか?」
残念ながら早朝のため、リョーサは部屋に居ない。立ち上がると何とも言えない感覚が下肢を伝っていく。
……仕方がないな。
俺は立ちあがり、クローゼットの引き出しからタオルを一枚とり、濡れた下肢を拭いていく。
女は……大変なんだな。
そうこうしているうちに別の侍女が部屋へとやってきた。
「ミラージュお嬢様、おはようございます」
「おはよう」
「お嬢様、大丈夫でしょうか?」
侍女は俺の様子を見てすぐに動き出した。ごそごそとクローゼットの奥の引き出しから何やら取り出してきた。
「どうぞこの布宛てをお使いください」
なるほど、こういう物を使うのか。
「ありがとう、助かった」
私は侍女から布宛てを受け取り、トイレで装着する。先ほどまでの不快は消えた。これが数日続くのかと思うと大変だな。
そしていつものように着替え、朝食までの間、軽く中庭を走り、体力づくりをする。
朝食の時間になると、家族が集まり食事が始まった。
「ミラージュ、お前、学院では黙って静かにしていろ。存在を消せ。鬱陶しいんだからな」
食堂で会う度に兄は私を罵ってくる。飽きないものだな。
「……ごちそうさまでした。では学院へいってまいります」
母は朝から機嫌が悪いのか私を見ようともしない。なぜ母はミラージュをそこまで嫌うのだろうか?
「お嬢様、いってらっしゃいませ」
「リョーサ、行ってくる」
俺はリョーサに見送られながら学院へと向かった。
「フェイン先生、おはようございます」
「ミラージュ嬢、おはよう。昨日の話を聞いた。決闘とはどういうことなんだ!?」
「先生、まず、この書類を」
「あ、ああ。確かに預かった。しっかりサインされているな」
先生は俺が渡した書類をしっかりとチェックした後、また決闘の話をはじめた。他の先生も興味があるようでこちらへとやってきた。
「で、なんで決闘などと考えたんだ」
「私を、我が家を侮辱したためです」
「だが、今までずっと黙っていたよな? なんで突然」
そうか、この先生は知っていて知らぬふりをしていたのか。
俺の中でフェイン先生の評価が一段下がった。先生の態度にも少し苛々する。知っていてこの態度か。
まあ、教師なんてものはそんなものか。
「さあ、どうしてでしょうか」
俺は言葉を濁した。馬鹿正直に言ったところで何が変わるわけでもない。先生の考える正義を振り回されても困るしな。
「先生、では手続きをお願いします」
「あ、ああ。わかった」
「では、失礼します」
俺は職員室を出て、クラスへと入った。昨日と同じようにクラスメイトは好奇の目で私を見ているが、誰も話し掛けてこようとはしない。今の俺にはちょうどいい。
スーザン嬢もチラチラとこちらを窺っているが、俺に声をかけてきていない。
二時間目が終わり、三時間目は俺にとって初めての騎士科の授業となっている。
この時間は一年生から三年生まで騎士科の生徒が訓練場へと集まってくる。
「よろしくお願いします」
授業の始まりに私が転科したことを紹介され、しっかりと挨拶をする。俺を馬鹿にするような人やあからさまに蔑む人、興味津々といった感じだな。
今までのミラージュなら考えられなかったことだし、彼女を知っている人たちの印象はかなり悪かったのだろう。
「ミラージュ嬢はあそこの二人と一緒に練習を行ってくれ」
「はい」
「マルナ嬢、ソフィア嬢、可愛い二人と一緒に授業が受けられるなんて俺は幸運だな。これからよろしく」
「「ふふっ。ミラージュ様、こちらこそよろしくお願いします」」
女性騎士を目指す人は俺を入れて三名ほどのようだ。一人はマルナ。彼女は平民で今年卒業の三年生。王宮騎士の試験を受ける予定なのだとか。
もう一人はソフィア・グレイズ男爵令嬢だ。薄いピンクの髪をした可愛い令嬢だ。彼女がいるだけで周りは華やかな雰囲気になる。
女性騎士は数が少なく、王宮騎士の試験に落ちたとしても上位貴族の護衛として人気が高い職業だ。
爵位が低い者や、平民でもなれる。もっと人気があってもいいと思うのだが、やはり騎士を目指す女性は少ないのが現状だ。
因みにスーザン嬢は騎士を輩出する家だが、彼女自身は淑女科だ。彼女にも婚約者もいて、学院卒業後には結婚も決まっているという。
俺は他の生徒たちと一緒にまずは走り込みからのようだ。