「もういいですか? 俺は決闘の準備で忙しいんですよ」
「!! ほ、本当にするのか」
「もちろん。私が負ければ、平民になりますし、貴方との婚約は解消になりますが」
「チッ」
「では、アントル殿、
俺はそう言って、何か言いたそうな彼を置いて、そのまま馬車に乗り込んだ。
「ミラージュお嬢様、お帰りなさいませ」
家に戻ると、リョーサが玄関に出迎えてくれた。心なしか彼女はとても嬉しそうだ。
「リョーサ、ただいま」
「お嬢様、食事の準備はできております」
「分かった。すぐに持ってきてくれ。あと、アシェトは」
「アシェトはいつでも準備できています」
「そうか。わかった」
「今、食事をお持ち致します」
俺はリョーサが食事を取にいっている間に訓練着に着替え、ソファに座った。
「今日はなんだか苛々するな。こういう日は街に出て可愛い女の子たちとおしゃべりをして楽しみたいところだが、今は一心不乱に素振りをすべきだよな……」
俺が独り言を呟いているうちにリョーサはカートを押して戻ってきた。銀の皿に乗せられたサンドイッチ。令嬢では十分な量だが、ここ数日、動くようになってから少し足りなくなってきている。
「リョーサ、夕食は肉を中心にいつもより多めに出して欲しいんだ」
「そうですよね。あれだけ身体を動かして入れば足りなくなりますね。すぐに料理長に伝えておきます」
俺はサンドイッチを頬張り、すぐに訓練場へと向かった。訓練場では既にアシェトが様々な道具を出して準備をしてくれていたようだ。
「アシェト、遅くなってすまない」
「ミラージュお嬢様、お待ちしておりました」
俺は身体を軽く動かした後、アシェトと素振りを始めた。
「お嬢様、その剣術の型。どこかで見覚えが」
「アシェトは剣術に詳しいのか?」
「まあ、多少は」
「この剣の型はツァルダ家のものなんだ」
俺の言葉を聞いたアシェトが素振りの手を止めた。彼からは笑顔が消えていた。
「ツァルダ家……」
「君はツァルダ家のことを何か知っているのか?」
俺も手を止めアシェトを見た。
「確か、シュアラスター国が現在のアンスティールへ国名を変える前はみんなツァルダ家の剣術が主流だったはずです。なぜその流派がなくなったのかは分かりませんが」
「良く知っているんだな」
正直に驚いた。俺の剣の流派を知っている人物がいたなんて。
隣国との戦争が起こる前までは我が家は確かに王宮騎士を輩出する名家だった。俺が幼い頃、戦争に反対した父は失脚し、公爵位から伯爵位まで爵位を下げた。
戦争に賛成した家が我が家に取って代わり、剣術の主流はがらりと変わった。ツァルダ家の剣術は否定され、使われなくなった経緯がある。
俺はツァルダ家の再興を誓い、騎士団長まで上り詰めた。そしてあと一歩のところで願いは叶わず、俺は死んだ。
俺がミラージュの身体で再びこの世に戻ってきた時、戦争で国がなくなって随分経っていて驚きはしたが、納得もしている。
だが、アシェトがツァルダ家の剣術を知っているということは、父や兄、弟の誰かは生きていたということか?
敗戦国の貴族の殆どは処刑され、残っていないと思っていたからだ。
「ツァルダ家の者はその後どうなったんだ?」
「いえ、そこまでは。王家所有の書庫には記されているかもしれませんね。なんせ百年ほど前の話ですから」
「……そうか。だが、アシェトに見覚えがあるということは、ツァルダ家の剣術は未だ健在なのか」
「そのご老人は趣味でやっていると言ってました。流派などは知らず、ただ強い人だと思っていたくらいで」
「どこに住んでいたんだい?」
「王都から少し離れた村に住んでいますよ」
「今からでも行けるのかな?」
「今からでは無理ですね。それにお嬢様はもうすぐ決闘ですよね? まず、決闘を終わらせてからの方がよろしいかと」
「そう、だな……」
アシェトの言っていることは間違ってはいない。ツァルダ家がどうなっているのかは気になるところだが、目下、決闘を終わらせねば何も始まらない。
俺はまた素振りを再開することにした。俺のことはいつでもいい。騎士団長だった俺はとうの昔に死んだんだし。まずはミラージュの現状を打破することが最優先事項だ。
ここ数日間で俺の意識とミラージュの身体はしっかりと馴染み、記憶も定着した。彼女は全く身体を動かしていなかったため、少し運動しただけでも筋肉痛がある。
そして時折来る不快感に考えが散漫になる。
気を付けないとな。
こうしてこの日はアシェトと少し打ち合いをして自室に戻った。
「ミラージュお嬢様、マッサージをいたします」
「マッサージ? わかった」
湯あみの後、リョーサは他の侍女を連れ私にマッサージをしてくれるという。世の女性たちは舞踏会前や舞踏会後の疲れをマッサージで癒すのだとか。
「ミラージュ様は最近剣の練習でお疲れですから」
そう言って侍女は足の指先から香油を塗り優しくマッサージしていく。ゆっくりと円を描くように身体の中心へ不要なものを押し流しているようだ。
「力加減はいかがですか?」
「ああ、気持ちがいいな。このまま眠ってしまいそうだ」
「よかったです。ここ最近、ミラージュ様は動きっぱなしでしたから。たまには身体をいたわらねばなりません」
「……そう、だな……」
俺は疲れていたようで、心地よさを感じたまま、深い眠りについていた。
翌朝、小鳥の囀りと共に目を覚ました。
どうやら眠ってしまい夕食には間に合わなかったようだ。テーブルにはサンドイッチが置かれてある。お腹が空いて夜、目が覚めると思ったのかもしれない。
俺はサンドイッチをさっと口の中へ放り込み、訓練着に着替えて訓練場へと向かった。
今日は珍しく衛兵たちの姿があった。
「ミ、ミラージュお嬢様っ!?」
「おはよう。朝からご苦労様。少しの間、俺も訓練に混ぜてもらってもいいか?」
「も、もちろんです!」
衛兵たちの訓練に混ざり、俺は走り込みと打ち合いをした後、部屋に戻った。
学院は今日と明日は休みだ。
悔いのないようにしなければ。
「おはようございます。朝食の準備が整っております」
どうやら今日は部屋での食事になったようだ。
リョーサがカートを押して部屋へと入ってきた。
「リョーサ、昨日はありがとう。おかげで朝はすっきりと目覚めることができた」
「今日は顔色も良くなっていますし、安心しました」
「明後日は決闘の日だ。リョーサたちがしてくれたマッサージで身体が軽くなった。前日も寝る前に頼めるかな」
「はいっ! 精一杯させていただきます」
こうして今日がまた始まった。
「ミラージュお嬢様、おはようございます」
「アシェト、おはよう。今日もよろしく頼む」
「畏まりました」
そう言って互いに軽く身体を動かした後、打ち合いをする。アシェトは騎士の中でもかなりの強さだろう。
何度も打っては一歩下がり、相手を懐に潜り込ませないように動いている。
―右、左、左、右。
たまに蹴りを入れたり、フェイントを加えたりして、打ち合いをする。アシェトはその度に面白いほど引っかかっている。だが、今はそうでもしない限り力の差や体力差を埋めることができない。
「お嬢様……降参です」