レッドラスト〜屈強な女軍人ばかりの流刑惑星に放り込まれたが無事に生き残れるだろうか〜 作:ベニサンゴ
アメリを見返してきたのは黒い瞳だった。目が覚めた自分の状況を理解し、目の前に立つ三人への困惑が浮かぶ、彼の内心がありありと映し出されている。だが次第に瞼が重たげに下がり、苦しそうな吐息が唇から漏れ出す。その表情の色艶にはっと我に返ったアメリは、即座に動き出した。
「バリ、後部座席を広げて寝台にして。ディーロは周囲の安全確保」
「は、はいっ!」
「おうよっ!」
指示を受け、部下たちも弾かれたように動き出す。二人が急いで準備をするなか、アメリは慎重にポッドの中へと腕を伸ばした。薄いパイロットスーツは彼の肌に密着し、輪郭まではっきりと浮き上がる。女のそれとは違う、角張った肉体のシルエットだ。触れると存外に硬い。筋肉質ながっしりとした感触はディーロにも似ている。とはいえ、あの筋肉ダルマほどの厚みがあるわけではない。
初めて触れる男性は華奢であった。少しでも加減を間違えれば砕けてしまう氷細工を扱うような恐怖を抱きながら、アメリは両脇に腕を差し込む。意識を失った人間を運ぶ訓練は、軍人ならば当然に習熟している。だが大理石の精巧な彫像を運ぶようなあ心得などない。
「大佐、大丈夫ですか? て、手伝いましょうか?」
「もっ、問題ないわ。それよりも、席は確保できてるでしょうね」
「はいっ」
無意識のうちにごくりと生唾を飲み込んでいた。アメリは前傾し彼に触れそうになる銀の毛先を慌てて避けながら、慎重に持ち上げる。
「軽い……。冷たい……」
「大佐、なにぼさっとしてるんですか!」
「わ、分かってるわよ!」
急かす部下に苛立ちを返しながら、慎重にローバーへと運び込む。ディーロに任せなくて良かったと己の采配に頷く。あの脳味噌まで筋肉に侵された馬鹿力に任せては、この青年も粉々に砕け散っていたことだろう。
「撤収するわよ!」
「大佐、待ってください!」
助手席に乗り込もうとするアメリにバリが叫ぶ。彼女はポッドの中を指さしていた。
「ポッドは捨てなさい。またいつスラッグが来るか――」
「ダメです。荷物があります!」
ポッド内の座席の下に、分かりにくいがきっちりと収納された小型のコンテナボックスがあった。
「ウチは男が滞在するような想定にはなってません。何か特有の必需品があるかも」
「……確かに。荷台に運びましょう」
技術者だけあって、バリは細かなところに気が回る。本来ならばメアリ自身が気付かなければならなかったことだった。彼女は自省しながらポッドの中から箱を持ち上げる。
ずっしりと重たい箱が、いくつか。内容を改めている暇はない。
「大佐、またアリ共が湧いてきたぜ!」
荷台に陣取るディーロが叫ぶ。赤い砂丘の稜線から、黒い触覚が見えていた。あのタイプのスラッグは鉄塔型の巣の地下に穴を掘る。そこに潜んでいたものが地上の異変を察知して出てきたようだった。
「それと、悪い知らせだが弾が心許ない」
「この馬鹿! 無駄撃ちするなって言ったでしょ」
「必要最低限使ってこれなんだよ。そんなに言うならもっと積んで来れば良かっただろ」
「あなたが重たいから――」
「二人とも、言い合ってる場合じゃないですよ!」
修羅場に慣れた自負のあるアメリたちは、この状況に取り乱していた。なんとかバリの一声で冷静を取り戻し、残りの荷物を荷台へと投げ込む。その中に、コンテナとは異なるずっしりと思い銀色の球体もあったが、気にする余裕などなかった。
すでにアリたちは上半身を現し、今にも斜面を降ってくる。運転席に飛び込んだバリがエンジンを叩き起こす。
「――行きましょう!」
ポッドの中を最後に一度だけ確認し、アメリは助手席へ飛び込む。時を同じくして赤黒いアリの大群が波となって迫ってきていた。
「バリ、閃光弾はどこにある!?」
「荷台の下!」
「妙なとこに隠しやがって!」
悪態を吐きながら、ディーロが動き出すローバーの六輪の隙間へと腕を差し込む。張り替えたばかりの人工皮膚が擦り切れるのは業腹だが、悠長なことを言っていられない。
ガチガチと怒りに震える顎の音が近づいてくる。
「目ぇ閉じろよ!」
剛腕が唸る。
大きな手のひらにまとめて掴まれた閃光弾がまっすぐに投げられ、アリの群れへと飲まれる。直後、爆発と爆音と衝撃が赤い砂を抉った。
「焼け石に水だな、ちくしょう!」
「基地に連絡したわ。ランナーが一機、こっちに来るって。10分耐えれば大丈夫よ」
「無茶言うなよ。パイロットは?」
「ユーリよ」
「なら5分で来るな!」
希望が見えたとディーロが歯を剥き出しにして笑う。今や黒波は禍々しく広がり、丘陵の一帯を覆い隠していた。地下にこれほどの数が潜んでいたとは考えにくい。近くに別のネストがあったか。
拠点まで戻ることは不可能だ。退路を塞がれている。このまま走り続けなければならないが、その先で別のネストに当たれば一巻の終わりだ。
「どうしましょう、バリ。じ、人工呼吸とかした方がいいかしら?」
「クソボケ大佐! どう見ても自発呼吸してるでしょうが!」
あわあわと慌てふためく指揮官を、エンジニアは罵倒する。百戦錬磨の将校も、よもやこんな事態になるなど予想できるはずもなかった。
「大佐はとにかく、私たちを動かすことだけに集中してください。正直、こっちもギリですよ」
「――そうね。ルート取りは任せなさい」
一拍置き、アメリは自分を取り戻す。孤立無援が常の地獄のような戦場で戦い続け、培ってきた知識。それを思えば今の状況などダンスホールでの社交に等しい。
助手席にはコンソールが備えられている。ローバーに取り付けられた遠近二種類のレーダーの他、衛星により更新される地形データや周囲の既知のネストの座標など。それらを駆使して、地獄に活路を見出していく。
「どりゃあああっ!」
荷台のディーロが猛々しく吠える。弾の切れた機関砲は、取り回しの悪い鈍器と成り果てた。彼女は自慢の体躯を十全に活かし、鉄塊を振り回す。
小刻みな動きで疾走するアリの頭を叩き壊し、次々と払い落としていく。
「ぜりゃああっ! ぐ、こぉおああっ!」
だが、激しく揺れるローバーの荷台で一人戦い続けるのも過酷だった。
次から次へと絶え間なく機械生命体が襲いかかり、それの一つ一つが殺意を宿している。正確に言えば、スラッグは彼女たち人間を狙っているわけではないが、戦いの中では些事の一言で終わる。
生傷を増やしながらディーロは猛攻に抗う。ローバーは指揮官の導きを受け、砂波を乗り越えながら突き進む。地形を活かし、少しずつ群れをそぎ落としていくが、それにも限りはある。
「そこの丘を登れば、しばらくは――」
マップを睨みつけ、安全地帯を見つけたアメリが叫ぶ。だが、その声は最後まで続かない。
「ヤバいですよ、これは! いくらなんでも!」
運転席のバリの絶叫。
砂の斜面を飛び越えたローバーを迎えたのは、地表を埋め尽くすアリの大群。大型ネストの襲撃でもしなければ見ないほどの、ひしめく黒山。点々と群れの中で突出して見えるのは、無数の同族の意思疎通を仲介するネットワークハブ個体。あれら全てを無力化しなければ、全てが同一の個体となって襲いかかってくる。
「どうして、こんないきなり」
アメリの瞳が揺れる。
彼女たちも事前の偵察は行っていた。ポッドの投下予定地点に若いネストができていたのは未確認だったが、まだ予想の範疇だ。これほどまでのスラッグの群れが集まる兆候など、全くなかった。
彼らに意志や知性と呼べるようなものはなく、ただ本能的にプログラムされたことだけを遂行している。暴走した環境構築ナノマシンに支配され、鉄を集め続けているだけだ。
しかし、この状況を偶然と片付けて良いのか、アメリには判断ができなかった。周囲を包囲しつつあるスラッグたちは、あたかも戦術的に動いているようだ。まるでこの――後部座席に横たわる青年を狙っているかのように。
『――敵対機械生命体の反応を多数確認。緊急安全確保行動を取ります』
拳を握り込むアメリの耳に、聞き慣れぬ声が届く。無機質な機械音声ながら、どこか少女のようにも聞こえる。次の瞬間、等間隔で電子音が続いた。
「大佐、なんか勝手に動いてるぞ!」
荷台のディーロが叫ぶ。
今や、機械の大群がローバーを飲み込もうとしていた。この窮地のなか、銀色の球体がふわりと浮き上がっていた。ポッドから拾い上げた謎の鉄球だ。傷も繋ぎ目もない白銀の表面で光点が瞬いていた。
「全員、目を閉じて対ショック姿勢!」
そう叫んだのは直感が働いたからだ。アメリの、幾度となく死線をくぐりぬけて培った危険察知の本能が、鋭く警鐘を鳴らしていた。極限状況では思考のプロセスを飛び越えて最適化が弾き出される。
バリがハンドルを離して顔を伏せ、ディーロが荷台にうずくまる。アメリがベルトを引きちぎって後部座席の青年に覆い被さった次の瞬間、世界を焼き尽くす白光が放たれた。
音も衝撃もなく、ただ鮮烈な光。しかしそれは瞼を易々と通過し、網膜に焼き付く。
三人は一瞬にして視覚を失い、身構える。
だが、予想していたスラッグによる圧壊は訪れなかった。
『何をぼーっとしているんですか。マスターの安全を確保しなさい』
代わりに機械音声の厳しい声がする。ゆっくりと戻り始める視界のなかに、リアウィンドウをゴンゴンと叩く球体が見えた。その姿には幼さも感じられる。
アメリたちが周囲を見渡すと、間近に迫ったアリたちが動きを止めていた。まるで凍り付いたかのように微動だにしない。それがむしろ恐ろしい。
「これは、いったい……」
理解を超えた現象に、アメリは困惑する。
「ノイズ放出で処理系統を麻痺させただけだよ。時間が経てば、また動き出す」
「きゃああっ!?」
呟きに答えたのは、またしても別の声。アメリのすぐ下から聞こえた、落ち着いた声だった。驚いて飛び退く彼女の前で、ゆっくりと身体を起こす青年は、目覚めたばかりの微睡んだような表情だった。
「あ、あなたは」
「――俺はカイ。こんな状況で何だけど、よろしく」
眠っていた頃とは印象が少し変わる愛嬌のある微笑。アメリは彼から目を離せなかった。時間が止まったような車内に、突如上空から轟音が落ちてくる。
カイが車窓から見上げた先に飛び込んできたのは、八本の脚を広げて着地の姿勢を取った蜘蛛型の機械。だが、スラッグのような赤い輝きは見えない。
「ユーリ、現着! 大佐たち、生きてるぅ?」
そこから高らかに放たれた声は、今度こそアメリたちのよく知る同僚のものであった。