過労死ライン越え(TS)転生者 キャロライン・オーバーは労働の待つ輪廻から解脱したい 作:エテンジオール
A.まだ未熟な子供などは、自身の最大出力を出せるようになるまで、慣れが必要です。めちゃくちゃ硬い蛇口を、少しずつ緩められるようになる感じ。なのでMAXまで開くと、そこで水量に限界が来ます。キャリーは水道全開にしてお水ぽたぽただったので、本物の欠陥品です。そんな欠陥品が、“この水道、開きっぱなしにしてるとちょっとずつ流量増えるぞ!”と発見しました。だからルーカス先生のモルモットになったんですね。
自身が五体満足であることに気がついて、動悸が止まらなくなる。首をやられて声が出せなくなってから、ゆっくりお腹を引きずり出される感覚は、たとえ大金を積まれたとしても味わいたいものではない。
突然固まって、心臓を抑えだした姉を心配そうに覗き込むレンジの反応と、ノートの進捗具合から考えて、戻ってきたのは大きな音が聞こえる数分前。慌ててレンジを引っ張って、少し重たい床下の収納に逃げ込む。上から蓋を閉めて隠れたら、狭い隠れ場所は真っ暗で、光源は俺のお手手だけだった。
何が聞こえても、怖がらないで、大きな声を出さないでじっとしているようにとレンジに伝える。橙色の薄い光に照らされて、幼い弟は小さく頷いた。素直な、とてもいい子だ。
隠れることを選んだ以上、俺にできることはただ待つことだけ。誰かが帰ってきて、この魔獣を退けてくれさえすれば、また生きたまま内蔵を食い荒らされることはない。一番いいのは、優れた魔法の使い手であるルーカス先生か。家に傷をつけずに倒せそう、という点では、護衛であるニコラスさんかもしれない。
他にはフリーダさんだって戦えるはずだし、お父上も剣を持っていれば大丈夫。問題はお母様と使用人たちだな。ここに関しては、どの程度戦うことができるのか、読むのが難しい。キャリー?レンジよりも役に立たないよ個人の持つ最優の武力こと魔法が使えない体だからね。
床の軋む音が聞こえた。足音を殺した、重たいものが近付いている時の音。それの主が、俺を食った魔獣だということは、狭い密室の中でもわかる。
足音が、収納の真上で止まった。野生動物に近い見た目の分、俺たちより鼻がいいのか、あるいはまた別の感覚器を有しているのか。そのどちらかはわからないが、間違いなく上にいて、重ための蓋一枚先に“餌”があることを確信している。
軽く叩くような音と、僅かに聞こえる呼吸音。バレている以上意味なんてないのに呼吸を殺して、レンジの口を塞ぐ。あっちに行ってくれと頭の中で繰り返し願って、それが叶ったのか、僅かに気配が遠のいた。
諦めたのだろうか。人が持ち上げるために作られている蓋は、俺が持てる程度ではあるが重たくて、魔獣のお世辞にも器用そうには見えなかった手足では動かせなかったのかもしれない。それであれば、ここの中にさえいれば、きっと助かるのだろう。
そう思った次の瞬間、硬質な音が頭上から聞こえた。堅い木材に、何かが食い込むような音。状況的に、蓋に何かが刺さる音。開かないはずの蓋の隙間から、僅かに光が差し込む。
ぼんやり光る手に照らされたシルエットは、狼のそれだった。生臭い臭いに頭が包まれて、すぐに意識が無くなった。
きっと、痛みを感じるまもなく死ねたことは、幸せなことだったのだろう。どうせ死ぬのであれば、苦しくない方がいい。苦しい死に方をすることは、まだ“次”が残っている俺にとっては、通常のそれ以上に酷だから。
勉強中のレンジの前に戻ってきて、次の方針を考える。何も手を打たずにいれば、待っているのは最初の死。なるべく頑丈な場所で救援を待とうとしても、蓋は開けられてしまった。なんだよあの狼。畜生なら畜生らしく、人の作った機構を前に諦めろよ。
大人しく檻に閉じ込められていた、前世の素直な動物園狼を思い出しながら、頭の中で悪態をつく。ひとつわかったことは、相手が見覚えのある色合いの狼で、かつ耳に穴を開けられた個体。お父上にお米さま抱っこされながら逃げた、あの憎き狼と一緒の外見だね。偶然かな?偶然であってくれ。6年越しの再会は望んでいないんだ。
「レンジ、今からちょっと大変だけど、お姉ちゃんが諦めることはないから、安心してね」
脱線した思考を戻す。生命の危機に瀕したことで、いつもより体感数倍回転の速い頭で考える。まず真っ先にやったのは、セーブポイントの確保。この言葉を伝えておくことで、俺が狼を前に諦めた瞬間、心停止するようになる。最初に確保するのが自殺の手段って、普通じゃ中々聞かないよな。でも死に戻り系であれば、本来最初に確保しとくべきだと思うんだ。自分の意思で、なるべく苦しくなく死ねることは、この
「多胞体様の祝福は、手を打てば間に合うタイミングにもどる」
そして次にやったのは、レンジの前で仕様を確認すること。これまでこうして確認したことはなかったため、この機会に確定させておきたかった。案の定、心臓は止まらず、レンジは突然変なことを言い出した俺のことを不思議そうに見ている。
このままだと、もしなにかの幸運で生き延びれた時に、レンジにいらない情報を残すことになる。そのため俺は自分の意思で無抵抗を決め、この回を諦めることで心停止。最初の宣言の前に戻り、同じ言葉を言うことで戻り点を再確保。
さて、ここからが本番だ。まず真っ先に潰したいのは、狼らしい嗅覚で俺たちの場所を認識していた可能性。これはあまり可能性が高くないと考えているが、検証は可能性を一つずつ切り捨てることから始まる。あらゆる可能性を切り捨てて、最後に残ったものだけが真実なのだ。
台所まで走っていって、調味料が保管されている棚の中から香辛料の小瓶とお酢を持ち出す。酢酸に対する犬の嗅覚は、人間比較で一億倍らしい。前世で聞きかじったくらいの知識だから、どの程度あの狼に適用できるかはわからないが、闇雲に選ぶよりはいいだろう。
それらを色んなところに散布して、少なくとも人間にはほかの匂いが判別できない状況にする。そのうえで収納の中に隠れて、先程と変わることなく開けられる。そも、弱い俺たちしかいない状況を待って押しかけてきたであろう狼が、ほかの感覚器に頼っていないはずがない。わかっていた結果を前に、俺は心停止した。
次、魔法の力的なサムシングを外部から検知することで人の不在を確認し、俺たちの位置も判別している可能性。正直無才な俺には全く判別がつかないが、周囲の協力的な精霊を感じ取れる人もいるらしい。そんな感じで見つけられるとしたら、おててぼんやりをやめた方がいいだろう。そう思って真っ暗にしてみたが、変わらず見つかって心停止。
さらに次。嗅覚と精霊の二本立てで検知していることを考え、真っ暗&お酢臭い状態。食べられた。も一つ次。好きなお耳による心音検知。音楽プレイヤーなんて進んだものはないからオルゴールで代用。食べられる。これは単純な音量不足の可能性もあるな。
ここまで試して初めて答え合わせ。レンジに向かって話すことで確かめた結果、狼くんは嗅覚、聴覚、視覚、精霊の全てで俺たちを補足できるらしい。そして精霊は、魔法の行使に関わらず検知可能と。隠れて逃げ延びることは不可能だってさ。クソゲーかよ。先にルール説明しろよ。
命がかかった状態であってもまず検証を試みてしまうことに、ルーカス先生の影響を感じつつ、隠れるタイプのホラーゲーではなく逃げるタイプのものだと理解。レンジを連れて、おうちの中をぐーるぐる。地の利がある分今までよりは長かったが、所詮相手に位置のバレた鬼ごっこ。最終的には食べられる。
一人ならもう少し逃げられるのにと思ったところで、レンジに隠れてもらうことを思いつく。動かない獲物を先に狙う主義ならダメだが、これは成功。よっぽどキャリーが美味しそうなのだろう。狼さんはレンジのことを無視して、俺の方ばかり追ってくる。きっと無類の女好き、そして子供好きね。このロリコン狼っ!
レンジを隠した鬼ごっこ。おそらく生存時間が5分ほど伸びたね。だいぶ大きいけど、そも妨害用アイテムこと家具は使ったらなくなるし、後で通る時に邪魔になる。身軽さは根本的な解決に繋がらないことを理解して、諦めの心停止。
こうなったら追いかけて来れない所へ!とレンジを連れて屋根の上に登る。体のサイズに合わない跳躍力を披露され、追いつかれる。心停止。
何度手を変えても必ず追いつかれるどん詰まりに、内心荒れ狂っていた。思いっきり地団駄を踏みたくなるのを堪えつつ、また次の手を考える。レンジの前だからと我慢できたのは、きっと淑女教育の成果だろう。ありがとう、フリーダさん。
既に六方くらいが塞がっている状況で、思いついた一手は殺られる前に殺ってしまえ。やぶれかぶれの突撃、自暴自棄とも言うね。お部屋に短剣を取りに行って、ついでに厨房でナイフを確保。心配している様子のレンジが、怪我しちゃうよ!危ないよ!と止めようとするのに対して、お姉ちゃんはこんなことじゃ怪我しないから大丈夫!と言い含めて、安全な床下に弟を収納。そしてやってくる狼さん。
こんにちは!死ねっ!とナイフを投げて、子供の非力な力じゃ上手く飛ばなかったそれが浅く体毛を裂く。ほぼ無傷な狼さんは、生意気な餌の反抗に怒ってしまったらしく、冷静さをかいた様子で襲いかかってきた。
今までにない挙動の爪に、反応が間に合わずお顔をざっくり。キャリーのかわいいお顔が!と思った瞬間、心停止して直前にもどる。再びお顔をやられて、また心停止。続いてお顔を手で庇って、心停止。
三度の心停止を経て、レンジに伝えた、“こんなことじゃ怪我をしない”という発言が嘘になったためだと理解する。こんな強そうな狼相手に被弾ゼロで勝てと?なんだその無理ゲー。と思ったところで、回帰の仕様的に避け続ければいいのでは?と気がつく。コペルニクス的転回だ。頭の回転が遅いだけ、とも言う。
というわけで、やり直す度にざっくり身体を裂かれること数十回。具体的な数字は覚えていないが、多分そのくらいだろう。数を数える余裕なんてなかったからね。なんと素晴らしいことに、非力なキャリーは恐ろしい魔獣の足を一本、邪魔な飾りへ作り替えることに成功。速度、足引きずってると、速度、出ないね。ということで逃げて、小一時間ほど鬼ごっこを続けたところで、唐突な心停止。戻ったのは勉強中のレンジの前。
怪我は、していなかった。上手く逃げることができていたし、レンジも無事だったから諦めてもいなかった。にもかかわらず、こうして心臓が止まったということはつまり、ゲームちゃんの身に危険が迫っているということか。
行方のしれぬ妹の身の安全と、狼の撃退。どうやら俺は、そのふたつを同時進行しなくてはならないらしい。