と、まぁ、ごちゃごちゃと推理し合ったわけだが、答え合わせは簡単だ。次の部屋に行けばはっきりする。ただ、すべき対策が茫漠としてしまうだけで。
とはいえ、どうせ行かなければ出られないのだから尻込みするメリットはない。
俺はノブをひねって大きくドアを開け、踏み入った。まだ何も起きない。ドアを閉める。
と、
「!?」ミスティが息を呑んだ。
「何だこれは?」レオノールが険しい声を出した。「以前はこんなものはなかった。何がどうなっているんだ……?」
室内に視線を巡らす。
天井と四方の壁に絵が描かれていた。ドアを閉めた瞬間、浮かび上がってきたのだ。四肢をすべて失った人間の壁画だ。実物大よりも随分と大きく描かれている。衣服は身に着けていない。男が多いが、女もいる。ざっと見たところ五十人分くらいか。誰もが憎悪のこもった目をこちらに向けている。
例の実験の罪人たちだろうか。
しかし、罪人たちにはスキルも魔法もなかったはずだ。
ということは、怨念がダンジョンに影響を及ぼしたのか?
──そんなことあるのか?
『……ガブリアルでは起こりえない。そう設定したはずだ』
いつになくルシフの歯切れが悪い。神にとっても想定外だというのか。もはやガブリアルの攻略情報は当てにならなそうだ。
と、その時、小暗い部屋に淡い光が滲んだ。
中央の床に魔法陣が現れたのだ。赤い光を放っている。モンスターがポップしようとしているようだった。
「ミスティは隅で結界を張って俯瞰で分析」俺は口早に言う。「レオノールはさっちゃんを三体召喚。一体はモンスターに当てて情報収集、残りは俺とレオノールの盾役」
「はい!」「了解した」
──〈さけのけん〉!
しかし、ルシフからのレスポンスはない。
気づいていないのか?
俺はルシフへのアピールのつもりで右手を天に突き出し、
──ルシフ! 〈さけのけん〉!!
『……あ、ああ』
するとようやく手元に眩い光が煌めき、一瞬、部屋を明るく照らすと〈さけのけん〉が具現化した。
と同時に魔法陣から小さな影が現れた。
「人間の子供……?」
俺がそう呟いたのは、そのモンスターの顔と胴体が人間の少女──小学校中学年ほどだろうか──のものだったからだ。全裸だ。ゆえに、性別を確定的に判別できた。
「いや」とレオノールは困惑げに否定する。大剣を油断なく構えている。「あの緑色の手足はゴブリンのものに見える」
「人間とゴブリンのキメラか……随分と悪趣味だな」
──なぁ、ルシフさんよぅ?
『うるせぇな。んなことよりメスガキメラに集中したほうがいーんじゃねぇか? ええ? アランさんよぅ?』
「「「コロス……コロス……」」」
具現化したさっちゃんズが、殺意に満ち満ちた言葉を呟き、そのうちの一体が、
「コロ、ス……ッ!!」
ゴブリン少女に向かって飛び出した。
と、
「いやあああああああああああああ!!」
ゴブリン少女が耳をつんざく悲鳴を上げた。
しかしさっちゃんは止まらない。無敵時間の終了直後を狙い、「コ……ロスッ!」中段に振りかぶったクレイモアを一閃。
ゴブリン少女は、
「ああっ! ああっ! 痛いっ! 痛いよぅぅっ!!」
しかし存命。顔を歪めて涙を流している。
咄嗟にバックステップで身を引いたのだ。ガードするように上げた腕を浅く斬られただけで致命傷には程遠い。
「攻撃をやめろ!」
俺が叫ぶと、さっちゃんがぴたりとクレイモアを止め、後方に跳躍して距離を取った。
「言葉がわかるのか?!」俺はゴブリン少女に質問を飛ばした。
しかし──
「どうしてっ! どうしてっ! パパっ! パバァァアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッ!!」
ゴブリン少女には届かなかったのか、泣き叫びながら魔力を解放──全身から放出した。
──ゴウッッ!!
何つー魔力量っ!
それはさながら暴風のようで、俺は思わず目を細めた。一定以上の濃度の魔力は物理的な影響力を持つのだ。
ゴブリン少女は自身の周囲に五つの魔力の玉を浮かべ、かと思ったらそれをこちらに向けて発射した。
「くっ」
思わずそう洩らしつつ俺は、横に飛び退いた。
直後、魔力の弾丸──否、砲弾が壁に着弾。俺とレオノール、そしてさっちゃんズに撃ったのだろうが、全員かわしたようだ。弾速からして気を抜いたり虚を衝かれたりしたら回避は不可能に違いなかった。背筋を冷や汗が伝う。
魔力には “概念の具象化” という性質がある。
例えば、“砲弾” を正確にイメージして球体状に成形した超高密度の魔力は砲弾として使用できる。ゴブリン少女がやったのはこれだ。
ゴブリン少女は簡単そうにやっているが、魔力そのものの操作は曲芸じみた難易度の超高等技術で、その中でも魔力を自身から分離してする遠隔操作は、最も難しい魔法技術の一つとされている。実戦で扱える者は極めて少ない。もちろん俺は魔力操作なんかできないし、レオノールですら動きながらではほとんどできない。
だからスキルによる補正があると思われるが、難しいといっても理論上は可能なため純然たる実力の可能性も否定し切れない。
ちらとミスティのほうを見やる。この魔力量相手に結界がどこまで耐えられるか。
「さっちゃん三体をミスティの盾役にしろ!!」
隅のミスティの近くに魔法陣が現れ、と同時に俺たちの周りにも十個、現れる。追加のさっちゃんズが召喚される。レオノールの判断だ。彼女もゴブリン少女の評価を上方修正したのだろう。
「説得交渉はやめだ!! 討伐するぞ!!」俺が言うと、
「わかっている!!」レオノールは言下に応じた。
「タスケテタスケテテテテテテテェェェェエエエエエ……!!」
ゴブリン少女は不協和音めいた声を上げ、再び “魔力の砲弾” を作り出した。一瞬で、その数およそ百。
だが、甘い。
「コロスッ!!」
刹那の隙を衝いて背後を取っていたさっちゃんの一体が、クレイモアを上段から振り下ろした。ヒット。鮮血が迸る。
「……ヤダ、シにタくな……イ」
ゴブリン少女は最期にそう残して左右真っ二つに割れ──そしてなぜかゴブリン少女は立っていた。クレイモアの一撃などなかったかのように無傷で、自身が撒き散らした血液の上に。
何が起きた?!
しかし考える時間を与えてはくれない。
「ユルさナい」
その声に呼応するように “魔力の砲弾” が斉射された。
──〈たこぱのたて〉!
と早めに要求していたおかげか、ぎりぎり具現化が間に合った。腰を低くして〈たこぱのたて〉で凌ぐ──
「ゆるさナイ」
「!?」
空間転移だと!?
突然、俺の真横にゴブリン少女が現れたのだ。腰だめに拳を引いた態勢で。
そして器用にも、放った “魔力の砲弾” を吸収し、凝縮し、その拳の四本の指に指輪のように纏ったではないか。それも、当たり前のように一瞬のうちに。
おそらくはメリケンサック、正式にはナックルダスターの具象化。パンチ力が強化されるということだ。
要するに、
何それ瞬間移動ジャ●ャン拳ですかそうですかマジ狡いってゴ●さんだってそこまではしねぇぞ!! 手心!! 手心!!
ということである。
強……避……無理!! ……受け止める? ……無事で!? ……出来る!? 否──いや、やるしかない!!
──ゴウッッ!!
俺は鎧をイメージし、MP9999の魔力を全力で解放した。操作もクソもない雑な魔力の奔流。あまりにも不完全な具象化だった。効果は微々たるものだろう。
だが、ないよりはマシだ。
ゴブリン少女の拳が深々と突き刺さった。
“魔力の鎧” 越しにも伝わってくる、転生トラック百台分の衝撃を一点に凝縮したかのような異世界葬送級の威力に、
「ぐぅ」
俺は思わずそう呻き、そのまま弾き飛ばされた。壁に衝突し、「ぐあっ」床に落ちる。膝を突き、「がはっ」吐血した。ゲホッ、ゲホッ。
壁を振り向くと、亀裂すら入っていない。破壊できない壁のようだった。ズキッと全身が痛む。
いってぇ。粉砕骨折と内臓破裂がコラボしてんだろ、これ。
たくっ、しゃーねーなぁ!
──〈さいこぱすのち〉!!
〈さいこぱすのち〉とは 〈かみがみがさいこぱすしんだんてすとであそびながらかんがえたさいきょうのち〉の略称である。
〈神の血(贋作)・かみがみがさいこぱすしんだんてすとであそびながらかんがえたさいきょうのち〉
〈本体性能〉
カッコ良さG 羞恥心G 隠密性EX 自動回復EX 無味無臭 新鮮な処女を生きたままミキサーに掛けて作ったジュースに毒虫ペーストをインして腐らせた色
〈バフ効果〉
全ステータスカンスト 全耐性EX 全耐性貫通効果EX スタミナ回復速度上昇EX 魔力回復速度上昇EX 精力回復速度上昇EX
〈ルシフの正答率(丸括弧は友神たちの平均)〉
選択式・100%(50)
記述式・90%(40)
実技・100%(60)
〈賃料〉
1秒につき5善行ポイント
『ほー、ここまで追い詰められるとはな』
エリートサイコパスの愉快げな顔が目に浮かぶ。いつもの調子が戻ってきたようだ。『アランの冒険はここで終わってしまうのかぁ? ギャハハ!』
どくんっ。
契約締結を告げるシステムメッセージと共に心臓が強く脈動した。〈さいこぱすのち〉だ。〈さいこぱすのち〉が全身を駆け廻る。カッと熱くなる。滾る。
瞬く間に痛みが消えてゆく。
「よしっ」
回復完了。即座に〈さいこぱすのち〉を返却して俺は、床を蹴ってレオノールたちの加勢に向かった。
ゴブリン少女は、S級冒険者にも匹敵する身体スペックと彼らをも遥かに凌駕する規格外の魔力量、理論値を叩き出しつづけているかのような異常に精密な魔力操作、そして予備動作なしの空間転移を駆使してさっちゃんを一体、また一体と粉砕していっている。動き自体は短調なのだ。まるで突然チート能力を与えられた現代日本人が戦っているかのような拙さ。先読みもしやすい。
だが、AGIが7000程度しかないレオノールの反応速度では、突如として背後に出現したゴブリン少女には対応できない。魔弾でさっちゃんズを散らされていたのが災いしていた。背中ががら空きだったのだ。まさにチートの暴力にやられる現地人の図。
「くっ」レオノールの顔が悔しげに歪む。
彼女も俺と同じように魔力解放による不完全な “魔力の鎧” でやり過ごそうとしたようだが、一拍、間に合わない。
ゴブリン少女が拳を振るう──その瞬間、
させないっ!
〈さけのけん〉がゴブリン少女の右腕を肩口から斬り飛ばした。夥しい血が噴出し──そしてなぜかゴブリン少女は無傷で立っていた。やはり血液が床を汚してはいる。
無傷と述べたが、厳密には最初の腕の掠り傷は残っている。だがそれだけだ。戦うのには何の支障もないだろう。
おそらく幻術の類いではない。
というのも、斬られたのが幻ならば血液も幻なのだから一緒に消えていなければおかしく、斬られたのが現実で体の復元が幻ならば先ほど両断された時点で絶命していなければおかしいからだ。また、切断と出血自体は現実だが、ゴブリン少女の動きには幻によるズレがある、というのも考えにくい。血の噴き出し方に違和感がなかったからだ。斬られた幻の体と実際の体にズレがあるなら噴き出し方にも多少はズレがあるはずだが、それがなかった。
レオノールと背中合わせになり、死角を消す。
「すまん、助かった」
「気にすんな。それより──」
ゴブリン少女をどうするか、だ。
「あ、あ、あ、ウデが、パぱ、パパ?」
様子がおかしいぞ? 先ほどまでの猛攻がぴたりとやみ、虚空に向かって話しかけ出した。
「やめて! どうして?! いたイよ! やめて! いタい! やめて! ああ゛あ゛あ゛!!」
腕の切断がスイッチになってトラウマがフラッシュバックしたのだろうか。蹲り、「助けて」「出して」「パパ、パパ」と繰り返しながら咽び泣いている。
「今が好機……なのか?」レオノールが問う。
「わからない。わからないが、闇雲に攻撃して攻略できるとは思えない」
「しかし、こんな能力見たことないぞ」
ゴブリン少女が見せた能力は三つ。
体の復元(?)と魔力操作補正と空間転移。
後ろの二つだけなら前例がないことはないが……。
と、さっちゃんが俺に寄ってきた。ミスティにつけていた一体だ。
「コロ──」
ス、と二つ折りの便箋を差し出された。
ミスティからに違いなかった。何かに気づいて伝えようとしたんだろう。手紙にしたのは無力化(?)しているゴブリン少女を刺激しないためか?
ぺらっと開くと、
・あくみゃしあいれかみいかれせた
・れんへいあかいかみせきみていあてれんげ
とあった。
「何だこの怪文書は」レオノールは混乱した。
「いや……」
頭のいいミスティがそんな非合理的なことをするとは思えない。おそらく暗号だろう。
法則を看破しようとじっと見つめ、二秒弱、
「!?」
理解した。わかってしまえば単純極まりない。
俺たちの名前のそれぞれの頭文字である “あ” “み” “れ” を抜いて後ろから逆さまに読めばいいだけだ。
すると、こうなる。
・多世界解釈
・限定的世界改変
そしてわざわざ暗号化したということは、そうしないとゴブリン少女に伝わる虞があると判断したということ。
すなわち、壁画の人間たちの “目” を警戒したんだ。
なぜなら、あの目たちがゴブリン少女のスキルの発動条件に関わっていて、すなわちその副次効果で視界ないし意識の共有がなされている虞があるから。
ミスティの推理は、おそらくはこうだ。
〈限定的世界改変能力(の概要)〉
・パラレルワールドの自分を参照し、自分の状態を上書きという形で書き換えることができる。
・ただし、参照できるのは壁の目によって途切れずに継続して観測されている基準世界線Aから分岐した世界線aに限られる。
・したがって、観測が途切れた以前を分岐点とする世界線は参照できない。
ゴブリン少女のスキルは、壁画の目に現在に至るまで途切れることなく映っている映像の中の任意の時点Tから可能性の数だけ枝分かれする世界のうち、任意の世界の自分に関する情報をこの世界の自分に上書きして書き換える限定的世界改変能力。
多世界解釈とは、量子力学の観測問題に対する解の一つだ。猫ちゃんなどの対象の観測によって可能性の一つだけが現実になるのではなく、異なる可能性に対応する状態がそれぞれ互いに干渉しなくなり、その結果として独立した世界として分岐して存在しつづける(ものとして扱う)、と考える。
例えば、“ゴブリン少女が腕を斬られた世界” と “斬られなかった世界” が並行して存在しているという解釈のことだ。このとき、斬られなかった世界線の自分の情報を斬られた世界線の自分に上書きすることで限定的に世界を改変できる(=初めから斬られていなかったことにできる)、量子力学的アプローチをベースにした “物理学系スキル” をゴブリン少女は所持している、とミスティは考えた。
論拠としたのは、やはり体の復元だろう。回復にも蘇生にも見えず、幻術の類いでもないとなれば、“初めから斬られていなかったことにした” と考えるほかない。ここから世界改変という概念と紐付けた。
そう考えると、空間転移は自分の三次元情報(XYZ座標)を書き換えていたと推測できるし、精密な魔力操作は魔力操作が上手くいった世界線の自分の情報をフレーム単位でコピペしつづけていたのだとわかる。結果的に理論値が続いているように見えたわけだ。
可能性のある世界線のみが改変の参照元たりえると考えたのは、現実的にありうることしか為していなかったからだろう。
ありえないことの例としては、自分の体を透過可能な霊的な存在に変えて斬擊を透かすとか、両断されてもそのまま動きつづけるとか、魔力を使わずとも “魔力の鎧” を纏ったとき以上の肉体強度を実現させるとか、そもそも俺たちの何倍ものステータスに自分を変えてしまうとかが挙げられるが、何でもありならこういったことを実行していたはずだ。そうすれば楽に勝てるからだ。
しかし、そうはしていない。ということは、可能性という制限があるに違いない。ミスティはそう考えた。
加えて、俺たちを直接改変して亡き者にしていないことから、可能性があっても自分以外のことは改変できないことを導いた。
そして最後に、壁の目による観測が発動条件になっていることを結論した根拠だが、唯一改変していない最初の傷がつけられた状況がそれだろう。
無敵時間の終わりをさっちゃんが叩く直前のことを思い出してほしい。俺は “ルシフへのアピールのつもりで右手を天に突き出し” 、その後に、“ようやく手元に眩い光が煌めき、一瞬、部屋を明るく照らすと〈さけのけん〉が具現化した” 。
元々この部屋は、壁の疎らな照明用魔石の淡い光しか光源がなかった。薄暗かったわけだ。そこへいきなり〈さけのけん〉の光が現れると、かなり眩しく感じる。ミスティとの出逢いをサポートしてくれたあの野盗擬きが “得物が眩しくてよく見えな” いと眩しがっていたことからも、その明るさの強さが窺えることと思う。医学的には
その前提条件で考えると、“最初の一撃の時には目が見えていなかったから改変できなかった” という結論を導ける。加えて、ずっと最初の傷が残ったままであることから “見えていなかった時以前を基準点として枝分かれした世界線からのコピペはできない” 換言すれば “現在まで途切れることなく視認してきた世界線のある時点から枝分かれした世界線からしかコピペできない” となる。
もちろん、これは消去法により断定される推理ではない。が、限られた証拠から考えうる中で最も整合性の取れた仮説ではある。いわば、最善手狙い打ち型推理。チェスが得意なミスティらしい。
長口舌、失礼した。
つまり、どうすれば勝てるかというと──
俺は内緒話をするようにしてレオノールの耳元に口を寄せた。
「レオノールは、壁のすべての目の視界を完全に奪いつつゴブリン少女にダメージを与える攻撃を撃てたりしないか?」
レオノールは一瞬、怪訝そうな表情をしたが、それが唯一無二の勝ち筋だと察したのだろう、真面目な口調で答えた。
「……あるにはある。お前たちにも教えていなかった奥の手だ」
奥の手があるとは思っていた。
ギルドの受付嬢は、レオノールが “ドラゴンを何十頭とソロ討伐してきた” と言っていた。
この証言が事実だとすると、レオノールには遠距離での攻撃手段がないにもかかわらずドラゴンをソロ討伐してきたことになってしまうが、ドラゴンには飛行能力があるのが普通だ。そんなやつらを相手に白兵戦オンリーでは厳しい。負けずとも取り逃がしてしまうことも少なくないに違いない。
しかし、レオノールには〈ドラゴンスレイヤー〉と呼ばれるほどの実績がある。
ということは、遠距離用のスキルなり魔法なりがあるはず。それに一縷の望みを懸けての問いだったが、幸運の女神はまだ俺に愛想を尽かしていなかったみたいだ。
『浮気しちゃやぁだぁ♡』
きっっっしょいなぁ。
ルシフの悪ふざけに辟易しながら、レオノールに言う。
「その奥の手を使ってくれ。他言はしない。約束する」
「……了解した」レオノールは応えた。「アランとミスティには共にわたしに体を寄せてもらう必要がある」
というので、依然として亀のように蹲ったまま、「タスケケけテ」「ダダしシシシテ」「コワこワワわイヨ」「みみみみんなこわコワワサなキャ」「ここコかラダだしシシテテテて」「ユルルルルさナイ」「パパ、パパバばバば」などと繰り返しているゴブリン少女を警戒しつつ、ミスティの下に移動した。
レオノールの指示どおりにミスティと二人して体をくっつける。
と、その時、
「コワわわワワわ゛わ゛──」
やにわに、ゴブリン少女の声が止まり、涙と鼻水にまみれた顔を、その血走った双眸を俺たちに向けた。
声もなく、ゴブリン少女の華奢な体から魔力が噴出した。天を衝かんばかりの勢いに、局所的な台風が発生したかのような有りさま。
瞬きをした。
その次のシーンは、ゴブリン少女が目の前にいて空間が軋むほどの濃密な魔力を込めた拳を腰だめに構えているところだった。
だが、今回はこちらも準備済み。
俺たちの体はレオノールが魔力操作で作った巨大な鱗── “魔力の竜鱗” で覆われており、その外側にはミスティの多重結界が展開されている。生半可な攻撃では破られないだろう。
それはそれとして。
レオノールの詠唱はすでに始まっていた。
「豪火を振いて──」
ゴブリン少女の瞬間移動ジャ●ャン拳グーっぽいナニカがミスティの多重結界を一撃で粉砕し、あいこ●グーとばかりに再度振りかぶった。もう君がゴブさん(?)でいいよ。
「怨嗟と踊れ──」
ミスティが慌てて結界を張り直そうとするが、間に合わない。
ゴブリン少女の異世界葬送拳が “魔力の竜鱗” に炸裂する、その直前にさっちゃんが斬りかかった。
しかし世界改変でなかったことにされ、追撃を放とうと構えるさっちゃんズ諸とも、ついでのように魔弾でぶっ飛ばされた。
「出でよ──」
ゴブリン少女の拳が巨鱗をぶち破るも、こんなこともあろうかと具現化しておいた〈たこぱのたて〉で受け止めた。
「炎獄の戦乙女──」
ゴブリン少女が再び拳を引いた時、それは完成した。
──ジャンヌ・ベリアル!
レオノールの呼び声に応えるように、ゴブリン少女の後ろ、その床に魔法陣が現れた。
「!?」
不穏な気配を察知したゴブリン少女が振り向いた隙に、レオノールは “魔力の竜鱗” を修復し、ミスティも多重結界を張り直す。
そして、魔法陣から現れたのは、十字架を逆さにしたような巨大な炎の剣を携えた全裸の少女だった。
「モヤス……モヤス……」
俺は息を呑んだ。またホラーかよ、と。
その体は焼け爛れており、所々内臓や骨が露出している。骨盤が横に広いから女性なんだろうが、乳房は、デロデロに溶けて崩れた黄色い脂肪の残滓と化しており、焼肉みたいな汁を滴らせている。恥丘など確認しようもなければ、髪もない。というか、頭蓋骨がまる見えである。
火刑帰りに寄ってくれたのかな? ごめんね、アイスの一つも用意してなくて──というのはさておき。
ジャンヌ・ベリアルだと長いので今後は〈ジっちゃん〉と呼称する。
『もうちょっと何とかならんかったんか』
──ならん! ジっちゃんの名に懸けて!
と念じたところで、ゴブリン少女が動いた。ジっちゃんを脅威に感じたのか、躍りかかったのだ。
が、
「「コロスッッ!!」」
さっちゃんズの二体がゴブリン少女を止めた。
ゴブリン少女は咄嗟にジっちゃんの背後に転移するも、先読みしていた別のさっちゃんに阻まれる。
他方、ジっちゃんは炎の剣を床に突き立てていた。
まさに炎の十字架。火刑に相当な思い入れがあるのかもしれない。
「モヤスッッ!!」
ジっちゃんが気合いの入った声を上げると、突如として至るところから火の手が上がり、真っ赤な炎が体育館ほどもあるこの空間を埋め尽くした。
「うっわぁ……」「ひぇぇ……」
俺とミスティはドン引きした。
“魔力の竜鱗” 越しに見える世界は、炎、炎、炎。
もはや目と鼻の先までしか見えないが、文字どおり隙間なく空間を満たしていることだろう。壁の目からも炎しか見えないに違いない。もちろん、回避可能性もゼロ。絶対不可避の処刑場だった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
ゴブリン少女の悲痛な絶叫が響き渡った。
かと思ったら、
「アああアっ!!」
多重結界にすがりついてきた。ドンッ! ドンッ! とやたらめったら拳の底を叩きつけてくる。
「アヅいっ!! タスげでッ!!」
ドンッ、ドンッと結界がたわむが、威力はさほどでもない。
「パパっ!! パパっ!! おネがいッ!! クルじいのっ!! たズけ──」
泣きじゃくるゴブリン少女の胸から、突然、手が生えた。少女は目を見開き、カハッと吐血した。結界に掛かる。
「モ・ヤ・ス♡」
ジっちゃんだ。彼女がゴブリン少女の胸を後ろから貫き手で貫いたのだ。
ぐちゅっ。
生えていた手が、恐怖に歪むゴブリン少女の胸を押さえた。爪が食い込み、血が滲む。
「あ、あ、あ、た、たすけ、ぱぱ、ぱ──」
「モヤス♡ モヤス♡」
ジっちゃんはゴブリン少女を連れ、火の海へと還っていった。
程なくして悲鳴は聞こえなくなった。
炎が鎮まっていき、やがて視界が開けた。壁の罪人たちが消えている。一人も残っていない。ゴブリン少女の姿も見えない。
この時点で勝利が確定した。
何となれば、能力概要の第二項及び第三項(観測条件及び参照条件)により、観測が完全に断たれた以上、ここから新たな分岐点を設定し、その世界線から参照することはできず、観測が途切れる前からも同様に不可能だからだ。したがって、ゴブリン少女にはもう “改変する先” が存在しない。
ジっちゃんが立っていた。「モヤス♡ モヤス♡」どこか満足げな顔をしている。
その足元には白い灰だけが散らばっていた。
『焼き殺すたぁ、いい趣味してるじゃねぇか! ギャハハ!』