ベナール領の城下町からアルマス王国の北端、バロン辺境伯領の城下町までは直線距離でだいたい1700キロある。訓練された冒険者の徒歩で四十日ほどだ。
そこそこ長い旅路だったが、途中、キャラバンの護衛依頼などを受注したりもして、ただ移動に費やしていたわけではない。とはいえ、驚異になるようなモンスターや野盗は出てこなかったし、ミスティを付け狙う輩の気配もなかった。仕事としては楽な部類だった。
冒険者ギルドのバロン支部を訪ねた俺たちは、未開拓地モンスター対策本部なるところへ行くように言われた。
城の大部屋に設置されたそこには、ガハハッと豪快に笑いそうな大男が長テーブルの中央の席、つまり上座にずんと鎮座していた。荒武者と知れたバロン辺境伯だ。その周りには騎士や冒険者がいる。
彼はレオノールの姿を認めるなり、ガハハッと笑い、テーブルを飛び越えて殴りかかってきた。
「はぁ」溜め息をついてレオノールが、その拳を片手で掴んで受け止めると、
「ガハハッ! 久方ぶりだな! 竜殺し!」バロンは満面に喜色をたたえ、バンッッ!! バンッッ!! とレオノールの肩を無駄に力強く叩いた。抗議するかのように胸部装甲がぷるん、ぷるるんと震える。「また少し成長したのではないか! ガハハッ!」
たぶん悪気はないんだろうが、良くないほうの体育会系のにおいがぷんぷんである。ミスティも俺の背中に隠れている。
「バロン卿も壮健そうで何より」レオノールは若干鬱陶しそうに答えた。
「うむ」マキシム・バロン、御年四十二歳は応じると、疑わしそうに俺たちを見た。「──して、そこな若造どもがお主の仲間か?」
「ああ、そう──」
だ、と言い切るや否や、バロンの重心だけが前方、つまりは俺の眼前に投げ出されるのが見えた。筋肉が弛緩したそのわずかな挙動からの予測が、直感的にイメージとしてまなうらに映し出されたのだ。
重心先行の移動術、いわゆる “瞬歩” と呼ばれる技だった。
ワンフレーム、その一瞬でバロンは間合いを詰め、右の中段突きを放っていた。
──パシィッ!
俺はやや前屈に構えつつ左斜め前に身をかわし、と同時にその拳を払って軌道を右側にずらした。極真空手などに見られる “
「むっ」バロンの重心が泳いだその刹那、
パキィィィ──ッ!
ミスティの “反転結界Ver.詠唱破棄” が荒武者を捕らえた。
外からの影響力を排除する通常の結界の逆、内からの影響力を抑え込む結界のことだ。主に捕縛に使われる。
観戦していた騎士たちから、「おおっ!」「やるではないか!」などと歓声が上がる。いきなりぶちかまそうとしたことを咎める声はない。
薩摩藩士だろうか。おかしいよ、この領地。
一方の冒険者たちは同情するような顔をしている。彼らもやられたのかもしれない。
「ふんぬっ!」バロンは気合いの声と共に全身から魔力を放出し、
──パリィィッ!!
反転結界を粉々にすると、俺とミスティに暑苦しい笑みを向けた。ミスティは俺の背中に隠れた。
「ガハハッ! 若い割合にはよく練られておる! うむ! 合格だ! お主たちを討伐隊員として認めよう!」
俺はほっと胸を撫で下ろした。
ネタばらしをすると、レオノールからバロンの性格を聞いていて、あらかじめ準備していたのだ。具体的にはレオノールが殴打を防いだ直後には〈さいこぱすのち〉を発動して身体能力を上げていた。いくら技術があっても、前衛職のA級冒険者相当の “武” を誇るバロンの拳を、素の俺が捌くことはできない。
権力のある武闘派貴族は、警察とヤクザの合の子のような、とても恐ろしい存在なのである。堅気の皆さんには安易に近づかないことをお勧めする。
さて、そんなこんなで作戦会議に参加することとなったわけだが、未開拓地から襲来するモンスターが増えた原因はいまだ判明していないという。
騎士の一人が言う。
「竜殺し殿が参った今こそ打って出る好機ではないか」
向こうから来るのを迎撃するという依頼だったはずだが、
「うむ」「よくぞ言ってくれた!」「攻撃は最大の攻撃なり!」「そのとおり!」「攻撃の代わりに攻撃なり!」「そうだそうだ!」「殿!」「ご決断を!」
にわかには信じがたいスピード感で騎士たちの意見がまとまってしまった。というか、最初からまとまってたっぽい。カリスマ(武)の為せる業だろうか。あと、武闘派トートロジーやめれ。
「ガハハッ! 流石は我が騎士団! よくわかっておる! 左様! まさしく今こそ攻めに転じる時!」バロンはいやがうえにも獰猛そうに口角を上げた。「明日じゃ! 明朝に未開拓地の奥へと発つ!」
「「「おおっ!」」」
歓喜に打ち震えている武闘派騎士たちのあまりの血の気の多さに、さしもの冒険者たちもドン引きして打ち震えている。
「我らの “暴” と “力” でもって、モンスターどもを血祭りに上げようぞ!」
バロンが彼ら一流の修辞技法を駆使して声高らかに宣言すると、
「ヒャッハー!」「祭りの時間だぁー!」「ぶっ殺してやらぁ!」
騎士──一応は貴族の末席に名を連ねている男たちが、ゴロツキそのものの台詞で応じた。そこらへんの野盗より野盗してらっしゃる。
やはり武闘派貴族は恐ろしい。異世界旅行の際にはくれぐれもご注意を。
人族の暮らす大陸は北半球にあり、未開拓地は緯度から見ると、ノルウェー南端くらいだ。現在は六月中旬。朝晩はまぁまぁ冷え込むが、日中は冷暖房要らずの気温とからっとした湿度で非常に過ごしやすい。また、夏至が近いため夜になっても完全には暗くならず、行軍が捗る。
バロン辺境伯領を囲む、進撃の●人みたいな壁を出ると、500メートルほどは草原が広がっており、その先は森である。カラマツやモミっぽい針葉樹が
精霊の仕業と言われているが、俺は見たことも感じたこともない。とはいえ、精霊魔法なるものが実在しているらしいから空想上の存在ではないのだろう。
RPGなら終盤で出てくるような強モンスターたちを千切っては投げ、ぶん殴っては爆散させ、進軍すること三日、ふと森が開けた。
大河が横たわっていた。エメラルドグリーンの水流が、初夏の日差しを受けてきらきらと映えている。この世のものとは思えぬ美しさ。
だが──
「何ということだっ……!」
バロンが愕然として嘆いた。
見渡す限りの対岸の森が焼失していたのだ。焼け野原に、枝葉が燃え尽きて黒くなった幹がぽつぽつと点在しているだけ。大規模な山火事でも起きたような有りさまだった。
「五年前に来た時はああではなかった」バロンは太い眉を険しくして言う。「あれが生態系が変わった原因か」
山火事で棲みかや狩り場を追われたモンスターたちが人の生活圏に流れてきたということだ。
「渡って調べまするか」騎士の一人がバロンに尋ねた。しゅっとした鼻梁の小柄な女だ。「
風に乗せて人を運ぶことを “しゅんころ” と表現する女は、異世界広しと言えどもたぶん少ない。ちなみに、侍言葉は方言である。
「うむ、そうしよう」バロンは首肯した。「儂と竜殺しの一味、それから──」と数人見繕った。
ふわりと浮かされ、ぴゅーっと運ばれる。底のまったく見えない水面を見れば、電車ほどはありそうな巨大な影が動いていた。落ちたら食われそうだ。
対岸は山火事の跡地そのものといった様子だった。
草木の再生具合から見てごく最近の出来事と推測された。モンスター増加の時期とも整合するという。
山火事の原因は……と探っていると、
「殿! この幹をご覧くだされ!」しゅんころ女騎士が、縦に裂けた幹を指して言った。「
たしかに、落雷により樹木内部の水分が急激に熱せられると、その水分が水蒸気化して急激に膨張し、水蒸気爆発を起こして裂けることがある。
が、
「そうとは限りませんよ」ミスティがその結論に待ったを掛けた。「樹木が裂けるのは内部の水分が急激に熱せられて膨張するためです。ですから、山火事の熱でも起こりえます」
「ほう」とバロンが
「はい」
「では、お主はこの山火事をどう見る?」
「……確証はありませんが、モンスター同士の争いの余波が原因かと考えています」
先ほどウォータータイガーの骨らしきものが見つかった。水魔法を得意とするAランクモンスターだが、虎型なだけあって泳ぎも上手い。したがって、目の前にある川に入れば助かるのに逃げ遅れて燃え死んだとは考えにくい。となれば、敵に殺され、その戦闘の際に使用された魔法なりスキルなりの影響で引火したものと見るべきだろうと、そういうことらしい。
一理あるが、引っ掛かる点もあった。全面的にはうなずけない。
ふと、俺の脳裏を先ほどの巨大な魚影(?)のことがよぎった。俺も口を出す。
「川に天敵がいて逃げ込めなかった可能性は?」
「わからん!」バロンはいっそ堂々と答えた。「何せ、未開拓地だからな! ガッハッハッ!」
「わたしもモンスター同士の争いが原因というのには否定的だ」レオノールも参加してきた。「通常、森林ではモンスターが失火リスクのある能力を使うことはない。山火事を避けるためだ。彼らにもその程度の知恵はある」
「竜の仕業というのはありえぬか?」しゅんころ女騎士だ。「逆鱗に触れられた竜は理性を失って破壊の限りを尽くすと聞き及んでおるが……」
「ううん……」レオノールは低く唸ると、「ないと思うがなぁ。この森は樹木が所狭しと繁茂している。体の大きい竜種からすれば棲みにくいだろう。当然、狩り場にもしたがらない。かといって、飛行して通過しようとしているところを地上から魔法なりで狙撃されたというのも無理がある」
「
「地上のモンスターの立場になってみればわかる」レオノールは答える。「ドラゴンを下手に刺激してもいいことなんてないからだ。ほとんどのモンスターはドラゴンには勝てない。となれば、殺されるか、こんなふうに棲みかを焼き尽くされるかの未来しかない。だから通常、ドラゴンへの攻撃は本能レベルで忌避するものなんだ。
むしろわたしは、人為的な発火のほうが可能性が高いと思う。ウォータータイガーもその人物によって狩られたんだ」
「私人が個人的動機で、ということでござるか?」
「無論だ」
「神聖パイモン皇国や近隣領主の手の者が無断で侵入してきた可能性はないのですか?」ミスティが尋ねた。政治に疎い彼女らしい疑問だ。
神聖パイモン皇国はバロン辺境伯領の西側に接しており、未開拓地はこの二国の北側に広かっている。バロン領の町を通らずともこの場所に来ることはできる。
また、未開拓地へ来るには大陸を迂回する海洋ルートもある。理屈のうえでは、海に接する領地を持つ者ならば暗々のうちの侵入が可能ということだ。
しかし、これらの線は考えにくい。
「ガハハッ! 物識りといっても娘は娘か!」
未開拓地と言うと領主の支配権の対象でないように聞こえるかもしれないが、しっかり対象になっており、領境の延長線に合わせる形で分割されている。つまり、無断侵入は違法であり、ミスティが挙げたパターンだと軍事行動すなわち宣戦布告と看做されることが多い。
事実上、大陸を支配する三大国──アルマス王国、神聖パイモン皇国、フラウロ帝国は、三年前に不可侵条約を締結している。詳細は割愛するが、サターンデュ教会が提唱したことを受けて結ばれた条約だ。
教会は、十八年前に起きた東西戦争(アルマス王国とその東側諸国の連合との侵略戦争)に勝利して国土を拡大したアルマス王国が内政により国力を増してきたことを危険視したのだ。大国同士の戦争が起きたら世界が荒廃してしまう。それを未然に防ぐためだと聖女は説明していた。封建制度の下では国家単位の条約は成立しにくいが、精神的支配者である教会が指導すれば話は変わってくる。「まぁ俺らの聖女ちゃんが仲良くしろって言うなら」「かわいいし」「おっぱいも大きいし」といった具合である。
IQ3.14かな? 暗黒時代説あると思います! ──というのは措いといて。
神聖パイモン皇国とフラウロ帝国の政情は条約締結当時から変わっていないはずだった。実際、三国は友好関係を維持している。したがって、アルマス王国と敵対しかねない行動を執るというのは考えにくい。
では、アルマス王国内の領主がバロン辺境伯に仕掛けるのはどうかと言うと、こちらも可能性は低いだろう。
そもそも、強力な軍事力を有しているバロン辺境伯とやりあえる貴族は限られる。何とか勝利したとしても、その後に待っているのは消耗した軍事力での辺境防衛任務だ。未開拓地の強力なモンスターを迎え撃つのは楽ではない。そちらに注力している間に他の領主に本拠地を攻められたらひとたまりもない。リスクが高すぎる。
俺は以上のことをミスティに説明した。〈共通対策・今からでも間に合う! 流れでわかる世界史!〉的な雑なノリで。
ミスティは、しかし正確に理解したようだった。
「聖女様のお胸は凄まじいと言いますものね……」
やっぱあんま理解してないかもしれない。
「話を戻すが」とレオノールが軌道修正する。「政治的思惑とは関係のない個人が、陸海空のどのルートかはわからないが、この地点まで来て犯行に及んだとわたしは考えている」
「ただ、そうすると動機が見えてこないんだよなぁ」俺はぼやくように言った。
なぜ、こんな所でモンスターを狩り、山火事を起こす必要があったんだ?
万が一足がついたら、事が事だけに死刑は免れないだろう。そのリスクを押してまで実行しなければならなかった理由は何だ?
「たしかにホワイダニットに不自然さはあるが……」レオノールは歯切れ悪く答えた。
ざっくりまとめると、こうだ。
〈落雷説〉
川にウォータータイガーの天敵がいた場合は整合するが、いなかった場合は不整合。
〈森のモンスター説〉
通常は火などを使わないことと不整合。
〈ドラゴン説〉
この森を狩り場にする合理性も、この森で暴れる蓋然性もなく、不整合。
〈政治的陰謀説〉
政治的・法的なリスクの高さと不整合。
〈個人的犯行説〉
動機が想定できない。
「ううむ、むつかしいの」バロンは腕組みをして言った。お得意のガハハ笑いも鳴りを潜めている。「どの仮説も絶対的な反証がないとなると、怪しい輩全員に “無差別鉄拳制裁” を下すしかなくなるが……」
「やめるでござるやめるでござる」
まさかしゅんころ女騎士は常識人枠なのか? すげー苦労してそう。帰ったら何か奢ってあげよう。
などと思いつつ俺は言う。「何か見落してるかもしれない。もう少し現場を調べてみよう」
その結果、モンスターの骨が想定よりも多く発見された。また、人の足跡は確認できなかった。
しかし、それらが何を意味するのかは判然としない。
結局、謎を抱えて城下町に帰ることとなった。
事件が起きたのは──というより、来るべき時が来たのはその道中だった。
プチザウルス──全長八メートルほどの肉食恐竜型モンスター、要するに大きめのド●ランポス──を〈さけのけん〉で斬ろうとした。すると、光が散り、〈さけのけん〉が消滅したのだ。その理由はシステムメッセージが教えてくれた。
『善行ポイントの不足により賃貸借契約が強制終了しました』
とうとう来たか、といったところ。
『ギャハハ! こっからが本番だぜ? さぁどうする? 正義の味方さんよぅ?』
ルシフは愉悦してからかってくるが、別にどうということはない。善行ポイントがあろうとなかろうと、為すべき正義を身命を賭して為すだけである。俺の心には何の波風も立たない。
『けっ、ツマンネー野郎だな』
鼻白んだ様子のステータス画面を閉じると、スキルが使えなくなったことをバロンに説明した。
「では、荷物係の護衛をしておれ」
否やはない。荷物係のほうへ行き、帰路を進む。
と、今度は、青年に移ろいつつある少年の声が聞こえた。脳内に直接響く。
『こちら、ノエル・ウィリアムズ。緊急事態につき通信可能な者全員に接続した』
「!?」
弟、ノエルの〈以信伝心〉だ。超長距離マルチテレパシー通信を可能とするこのスキルは、“精神感応系最優” とも言われている。
『現在、ウィリアムズ領が、謎の人物による攻撃を受けている』
「!?」
『その人物によるものと見られる “見渡す限りを覆い尽くす同時多発的かつ連続的な落雷” により、わたしノエル及び我が母、アリス・ウィリアムズを残し、ウィリアムズ公爵家は全員死亡。騎士団、城下町及び周辺地域にも甚大な被害。他の町の状況は不明』
嘘だろ……。
『母が上空にて応戦中だが、敗色濃厚。実力差は歴然としている』
母のスキル〈天空の貴婦人〉はマッハ1での飛行を可能とする。彼女の精密な魔力操作も相まって、〈天空の死神〉と恐れられ、東西戦争では多大なる武功を挙げたという。空中戦限定ではあるが、S級冒険者を上回ると評する者も少なくない。
その母を、彼女の独壇場であるはずの天空で圧倒する戦闘力?
「そんな馬鹿な……」
『わたしも負傷しており長くは持たないが、襲撃者が国敵となる可能性を考慮し、生ある限り皆様に情報を伝えたい。どうかお付き合いいただきたい』
ノエル……。