異世界に転生したのだと確信したのは、乳母から “高い高い” というイカした遊びがあることを聞いた母が、
「 “高い高い” というものがあるのですか? なるほど、高い所なら任せてください」
と言うや否や、乳母やメイドに制止する暇も与えずに赤子の俺を上空に連れ出し、遠くにぼやけて見える大地をひどく恋しく思う息子の切実な気持ちなどお構いなしに、太陽のほうに掲げたり下ろしたりを真顔かつ無言で繰り返した時だった。
人が飛んでやがる。こいつはやべぇや。
というのと、
この人怖いんだが。こいつはやべぇや。
というので情緒に混乱を来したのをよく覚えている。
こんな母親で大丈夫か? 大丈夫だ、問題しかない。
と不安に苛まれつつも、しかし杞憂に終わり、俺はすくすくと成長していった。そして、二歳になるころには世界や家族のことをおおよそ理解していた。
基本的には、典型的な、剣と魔法とスキルの中世ヨーロッパ風異世界と捉えてもらって差し支えないが、いくつかユニークな特徴があった。主だったものを紹介する。
一つ、言語について。
ステータス画面があることで、言語と文字の発達が早かったようなのだ。そこに表示されている言葉を参考にしたということだ。西暦に相当する紀年法である
加えて、同一言語でのステータス画面や神の語録という基準があるおかげで、どの地域又は民族でも同じような言語が醸成されていった。通訳要らずの便利な世界である。ただし、印刷技術は未熟。口語重視の文化が原因のようだった。
一つ、宗教について。
前世の中世ヨーロッパにおける某宗教がそうだったように、この世界でもサターンデュ教なる一神教が人々の心を支配し、そして拠り所となっていた。
ただし、その影響力は前世よりだいぶ強いようだった。古代より前にはフランクなノリで神──まぁルシフなんだけど──が降臨してはテキトーな感じに奇跡を起こしていて、しかもその記録がしっかりばっちり残っているのだ。何なら動画まである。人々は、こりゃあたまらん、とばかりに神──といってもルシフなんだけど──に陶酔し、信仰している。したがって、教会の権威も強いし、聖女ちゃんの “たわわ” もたぷぷぷぷぷん。
一つ、魔族について。
この世界では魔族は人類という大きな枠組みの中にある種族の一つと認識されている。つまり、人族も魔族も同じカテゴリーなのだ。交配も普通に可能だし、敵対しているわけでもない。
悪魔という概念もあるが、不都合なことの責任を押しつけるための空想上の存在にすぎす、魔族と悪魔は完全に別物である。ではなぜ魔族と呼ばれるかというと、ステータス画面の種族欄に “魔族” とあるから。ただそれだけのことである。
魔族の能力面の特徴としては、人族の一・五倍~二倍ほどの寿命があり、ステータスとその上限値が高く、魔法が得意で、羽があればデフォで飛べるが、スキルがなく、繁殖力が低いことが挙げられる。外見的には、黒い肌に角、蝙蝠のような羽、鋭利な先端の尻尾というようなテンプレ悪魔ルックが一般的だが、種族ごとに多少の違いがあるようだった。例えば、吸血鬼族なら赤目で角も羽もなく、ダークエルフ族なら普通のエルフの色違いでしかない、といった具合だ。
なお、吸血鬼族などはステータス画面に “魔族” と表示されているわけではないが、一般に、魔族と呼ばれている。魔族表示の種族(大陸では人族に相当)が魔大陸では一番多いから便宜的にそうなっているらしい。行政区画としての渋谷とみんながイメージする渋谷がズレてるのと同じような感じだ。
そんな魔族だが、俺たち人族が暮らす大陸とは別の大陸で魔界っぽい文明をせっせと築いている。似非地球的なこの惑星では、死海という海が赤道に沿うようにして北半球と南半球を分断している。魔族が繁栄する魔大陸は南半球にあるというわけだ。
そしてこの死海だが、有り体に言うと〈本編クリア後に開放される超高難度マップ〉である。あるいは、〈グランド●ラインの形をした暗黒●大陸〉。S級冒険者のみの人類最強パーティーでも外縁部から逃げ帰るので精一杯で、縦断するなど絶対に不可能と言われている。それは魔族でも同じで、つまり俺たち人族と顔を合わせることは不可能ということだ。
ただし、何事にも例外ってやつがあるもので。
突然別の場所に跳ばされる自然災害である “転移災害” がそれだ。
死海の幅はおよそ1600キロあり、通常の転移魔法やスキルではもちろん一息に越えられる距離ではなく、中継していくにも海上に出た瞬間に殺されるか、魔法やスキルを封じるスキルにより囚われ嬲り殺しにされるが、しかし転移災害では一発で可能だ。
原則として200年に一回の頻度で起こり、大陸から一人だけ魔大陸に送り、魔大陸から一人だけ大陸に送る。いわば、大陸間のポケ●ン交換である。
なお、“原則として” と述べたのは頻度が崩れたことがあるからだ。すなわち、3000年前に400年間隔の時が一回あり、今現在も前回の転移災害から380年経過している。とはいえ例外はこの二件だけであり、これら以外は、まるで誰かに仕組まれているかのようにきっちり200年間隔だ──まぁたぶんルシフってやつのせいなんだけど。
以前ルシフに尋ねたことがある。たぶん皆様も気になっていることだ。
──この世界はゲームなのか?
『どっちでもいい』
──どゆこと?
『ゲームと解釈しても普通の世界と解釈しても辻褄が合うようにできてるってことだ』
ということらしい。
──何だその異世界ダブルミーニング。シミュレーション仮説かよ。
ついでに転生についても尋ねた。
──俺の転生はルシフの意思なのか?
『直接的には関与してねぇな。これ以上は黙秘する』
閑話休題。
家族のことに話を移そう。
俺が生まれたウィリアムズ公爵家は、王家の遠戚に当たり、東西戦争より前の国土──旧アルマス王国の東側を広く治める大貴族である。
領主で父親のエドワード・ウィリアムズは、王の最側近であり、戦時には軍のまとめ役として知略を巡らす。〈智将〉とか何とか大層な二つ名がついているようだった。しかし、俺からすればちょっと冷徹で合理主義なだけの普通の若者である。
母親のアリスは、某公爵家出身のちょっと天然の入った貴婦人である。長男の俺を生んだのが二十二歳と遅めなのは、騎士として戦いに生きていた時期があったからだ。
そして弟のノエル。俺を生んですぐに身籠ってできた年子で、前世風に言えば同学年の弟となる。一歳のころから、母親似の中性的な美少年になりそうな雰囲気がビンビンであった。
あとは、一卵性双生児の妹ズが二年後に登場する。といっても、彼女たちは俺の過去回想においてはメインキャラクターではない。妹萌えはないのである。
誕生日を迎えて七歳になった、その昼下がりのこと。
「これからは定期的に城下町を訪れ、民草を観察するようにしなさい」
父からこのように命じられた。
「何でやねん」
と俺が聞くと、三歳の妹ズが、「「なんでやねん!」」と真似した。すかさず母に別室に連れていかれる。「なんでやねん?!」「なんでやねん?!」
父は溜め息をつくと、
「我々上級貴族は人心を掌握し、意のままに操作しなければならぬ。
そのためには、幼稚なる民の、低俗な欲望と
というわけで、早速の翌朝、護衛の騎士をぞろぞろと連れて城下町に赴いた。
目抜通りを練り歩く。
町並みについては、取り立てて述べるほどのものはない。ファンタジー系のオンラインゲームっぽい。そんだけである。人も多く、活気もある。
町民の視線がさわさわと肌に触れる。見れば、好奇心に満ちた、しかし畏れと恐れに覆われた双眸がさっと逸らされた。
この距離感は歴代の領主たちが意図的に作り上げてきたものに違いなかった。尊敬と親しみと恐怖が絶妙なバランスで混在しているのが見て取れる。職人技である。
「いい町でしょう?」年嵩の騎士、クリフが誇らしそうに言った。
「せやな」とおざなりに応じ、枝道に足先を向けた。
「どちらに向かわれるのですか?」
「暗いほうへ」
なぜ、と問いたげな沈黙に答える。
「問題というのは明るいところでは見えにくいものだろう?」
否やはなかった。
そうして端のほうへ、人目の届かないほうへと歩を進めていく。
都市を囲む城壁のすぐ内側──掘っ立て小屋が密集した、いかにもなスラム街に差し掛かったところで、極端に痩せた人族の男性が道端に座り込んでいるのが目についた。
違和感があった。
その正体はすぐに判明した。微動だにしていないのだ。呼びかけても沈黙。脈も呼吸もなく、瞳孔も開き切って動かない。案の定死亡していた。外傷はない。栄養失調か急性薬物中毒あたりが死因だろう。
放置するわけにもいかないので、騎士の一人に教会への報告を頼む。
その背中を見送ると、スラムの深部へと潜ってゆく。
すると今度は同い年くらいの子供が倒れているのを見つけた。靴の類いは履いておらず、その小さな足は血まみれだ。
また死体だろうか。
近づいて確認しようとすると、クリフに止められた。
「なりませぬ。獣人に近づいては悪魔に目をつけられるやもしれませぬぞ」
さて、勘のいい異世界経験者の皆様はもうお察しのことと思うが、念のためご説明しておく。
この世界でも人種差別はあり、獣人がその対象になっている。
獣人──ケモノ度は個体によるが、獣っぽい人のことだ。
その生物的な特徴としては、繁殖力が高く獣腹になりやすく、しかも成長も速いが短命で、物理面のステータスにはかなり恵まれているがしかし魔法面はひどく劣り、知能も低めで感情や衝動のコントロールも苦手というのが挙げられる。
これらの特徴は、人に満たぬ劣等種、穢らわしいケダモノという印象を与える。事実、推定母数に対する犯罪者の割合も全種族でダントツだ。
しかし、現代の差別意識の根底にあるのは、これらの生物的特徴とは関係のないものだ。
そう、宗教的理由である。
およそ2000年前のこと。
ある獣人が悪魔に
悪魔の権能を承継したその獣人は、ル●ーシュみたいな悪魔的カリスマを発揮して瞬く間に獣人をまとめ上げると、人知の埒外の力でもって悪逆の限りを尽くし、わずか数日で人族の半数が死に絶えた。空は常闇に覆われ、草木の枯れた大地にはむせび泣く声が絶えなかったという。
「ちょっとちょっとーっ!? 聖女ちゃんのおゆかり様たちに何してくれてるのーっ?! ライブ会場も台無ししじゃないっ!!」
聖女はキレた(※言動には多少の脚色が含まれます。以下同じ)。それはもうぶちギレた。おっぱいも怒りにぷるぷると震えていた(※原文ママ)。
「駆逐してやる!! 獣人を!! この世から……一匹残らず!!」
聖女はファンクラブの最高幹部(国家元首)を集めた会議で乳を揺らして声高らかに宣言した。
「聖戦よ!! モフモフがなんぼのもんじゃい!! ケツにハルバードぶちこんで奥歯ガタガタ言わしたれ!! 一番多くケツガタさせた者には “聖女ちゃんのおっぱい揉み揉み権” をあげるから気張りんしゃい!!」
こうして始まった大陸規模の聖戦──通称・スーパーおっぱい大戦は熾烈を極めた。
おっぱいを求め、ケツを付け狙う狂気の沙汰はおそよ十年続き、戦いの影響で歴史書のほとんどが失われた。のちの歴史家が言うところの “失われし記憶” である。
獣人が焼き土下座で泣きを入れてきて終戦を迎えたころにも聖女は聖女をしていたわけだが、
「よく考えたらおっぱい揉み揉み権とかって公序良俗的に良くないっていうか、法的に無効っていうか、えへへ☆」
何とおっぱいは前言を撤回してきたではないか(※原文ママ)。ワンチャン反故にできねーかな、と思っていた。わざとらしく下手くそな口笛まで吹いていたという。
無論、ファンは反転しかけた。このクソ聖女輪【公序良俗に抵触ゆえ自主規制】してやろうか、といきり立った。
ひぇ。
聖女はビビり散らかし、
「じょ、冗談だよぉ……☆」
非を認めた。が、
「でもでもぉ、聖女ちゃんはみんなの聖女ちゃんだからぁ、誰か一人にだけおっぱいを揉ませてあげるわけにはいかないんだぞー☆ ──もー、そんな怖い顔しないの!☆ 聖女ちゃんもちゃんと考えてるんだから☆」
ファン一同が興味を持ったのを見て取ると、
「一番のケツガタさんにはおっぱい揉み揉み権の代わりに “称号” を差し上げます! それあげるから堪忍え☆」
その称号 “神の代行者” はルシフ様の一番の臣下である証になると聖女は語った。「ファンクラブでマウント取れちゃうぞー!☆」
聖女の悪びれない態度に若干イラッとしつつもファンはおちんち……矛を収めた。今も昔も人々はルシフ様しゅきしゅきだいしゅき♡ なのである。
こうして一番の功労者であったパイモン王に “神の代行者” の称号が与えられたわけだが、それが現在まで続く神聖パイモン皇国の始まりである。ここで注意しなければならないのは、神聖パイモ
なお、パイモン王改めパイモン皇帝が「わりぃ、やっぱ称号だけじゃつれぇわ」と意見を翻し、パイモ
──で、何の話をしてたんだっけ?
……ああ、獣人差別がどうのという話だったか。失敬失敬。
ま、とにかく以上のような歴史的背景があり、人々の間には “獣人=悪魔の手先” “歴史的大罪人” というような価値観が深く根を下ろしている。教会が獣人を冷遇しているのもそのイメージを強固なものにしており、また差別を正当たらしめてもいる。あるいは、先述の生物的特徴への嫌悪感と結びついているというのもあるかもしれない。
ただ、神の言動を記録した公式ファンブック(聖書)には、神が「獣人は悪魔の関係者である」「獣人差別を推奨する」と言ったとは書かれていない。むしろ「神か、神以外か」「等しく愚かで醜悪な玩具どもよ! ひれ伏せ! 這いつくばれ! オレ様の靴を舐めろ! ギャハハハハ!」的なことを言って神の下の平等(?)を謳っている。教会も獣人冷遇施策との整合性を拵えるのに苦労しているようだし、だから教義としての正論は反差別側にあるのだろう。獣人を城壁の外に追い出さないのはそれが理由だ。冷遇されてはいても隣人愛の対象にはなり、最低限の権利は認められなければならない、とのこと。
クリフの差別的主張への反論にはそれを利用する。
「しかし、我らが主は獣人を悪だとも劣った存在だともおっしゃっていないではないか」
クリフは痛いところを衝かれたというように困り眉になった。「……ですが、アラン様に何かあってはウィリアムズ領の存亡に関わります」
「ヘーキヘーキ、ダイジョーブダイジョーブ、文化の進歩に犠牲はツキモノデース」
そう言って俺は、うつ伏せに倒れ伏した獣人の子供に歩み寄った。わずかに背中が上下している。まだ息があるようだ。しかし頬が赤い。熱があるのかもしれない。
「大丈夫か?」
「はぁはぁはぁ」浅い呼吸を繰り返すばかりで返事はない。猫っぽい耳もぺたんと伏せられている。
俺は周囲を見回した。物陰からこちらを窺う気配はあれど、哀れな少女を助けようという者はいない。
「親は何をしているんだ……」口を衝いて出た呟きだった。
「おそらく亡くなったのでしょう。獣人は死にやすいのです」クリフが後ろから答えた。「あるいは、貧困に喘いで捨てられたか。いずれにせよ、よくあることでございます。親がいなくなれば、獣人の子供の多くはこのように生き倒れるものです。気にしていてはキリがありせぬぞ」
獣人は修道院つまり孤児院の保護の対象にならない。大金を積めば話は別だが、その多くが貧困に喘いでいる獣人たちにとっては問答無用の門前払いにほかならない。
「では、連れ帰ろう」俺が言うと、
「!?」クリフは目を剥いた。「何をおっしゃっているのですか?! これは悪魔の種族なのですぞ! そのようなことは認められませぬ!」
「でも悪魔であるソースないじゃん。俺ら、みんな “神以外” じゃん」
「しかし……」
の先に続けるべき反論を見つけられないクリフは、しかし引き下がらない。というより、引き下がれないのだろう。「とにかく駄目です。危険です」の一点張り。
すまんな、面倒なガキで。
そうは思うが、俺にだって引き下がれないものがある。少女を看病のために連れ帰ることがこの国の規範に明確に反する行為だったならば、あるいはそれが人類のためにならない行為と論理的に立証されているならば、見殺しにするのも吝かではない。
が、そうでないならば救いたい──否、救わなければならない。
「いいよじゃあ」
俺が言うと、クリフはほっと息をついたが、
「俺が背負ってお持ち帰りするから」
「なっ」クリフは蒼白になって俺を止めようとする。「なりませぬ!」
「じゃあクリフが背負ってよ。ほかの騎士でもいいけどさ」
「そんなことはできませぬ!」
ほかの騎士たちもうなずいている。
「選択肢は二つしかない。俺が背負うか、俺以外が背負うか」
神に倣ってそう言うと、クリフは「ぐぅ」と呻いた。
「……わかりました。わたしが運びます」
「うん、ありがと」
「駄目に決まっているだろう」
城に戻って執務室を訪ね、「回復するまで猫耳少女を城に置かしてくれへん?」と父に頼んだら、にべもない。
「教会との関係もあるのだぞ。民の耳目だってある。
お前の言う、『獣人も神以外という名の同族であり、救うのが神の御心と人道にかなう』という理屈が机上論として正しいのだとしても、政治的判断としてそれを認めるわけにはいかない」
「まぁせやろな」
「クリフ、元の場所に返してきなさい」
「まぁ待ってよオトン」
「何だ、わたしも暇じゃないんだぞ。あと、その似非パイモン弁はやめろ」
「これからの “獣人の有効活用” の話をしよう」
「有効活用だと……?」父は訝しんだ。
掛かった!
「ああ、そうだ」
俺はぺろりと唇を舐めると、
「現状、獣人は都市の最下層として貧しい生活を余儀なくされている。差別意識からまともな職に就くことが難しいというのが主な原因だ。
これは非常にもったいない。
獣人というのは身体能力に恵まれている。肉体労働用の人的資源としてこれ以上のものはそうはないだろう。俺は獣人を労働力として活用すべきだと思う。
しかし、いくつかの障害がある。
その一つが獣人側からの不信ないし反発心だ。
そこで
その第一歩として若年層を懐柔する。大人たちは価値観がすでに出来上がっているから変えるのは時間が掛かるが──」
俺は、床でぐったりとしている
「このくらいの子供なら “教育” しやすい。我々に “都合のいい思想” を “植えつ……失礼。ええ、ごほんっ。我々と “良好な関係” を築くことも可能だろう。
特にこの子なんかは都合がいい。親がいない、すなわち良好な関係の構築を邪魔してくる不心得者がいないのだから、やりたい放題でき……はちょっと言葉が悪いな。ええと、そう、タイパ良く仲良くなれる! 友達友達! 友達だもん、コスパよく使っても赦してくれるよね?
というわけで、この少女を看病するべきである」
「たしかに、活用できるなら一定の経済効果は生まれるだろう」父は頭ごなしには否定してこないようだった。「だが、現実的ではない。先ほどわたしが挙げた、教会、そして民との関係だ。
教会は獣人を冷遇している。動機はともあれ、それが事実としてある。公爵家と言えど、明らかに相反する態度を示せば陰湿な嫌がらせを加えられないとも限らない。破門される可能性さえある。
民も黙っていないだろう。公費を投入した事業で獣人を雇うということは、人族の血税を獣人に与えるということだ。人族の職を奪うことにもなる。不満を抱かれることは避けられない。最悪、反乱の芽にもなりかねない。
これらの問題はどうするつもりなのだ?」
「教会は札束ビンタでええんやない?」
「札束?」「ビンタ?」
父とクリフは揃って困惑の声を発した。
紙幣がなかったのを忘れていた。
「要は」と言い直す。「金で解決するってこと」
そもそも教会自身が金銭での例外を認めている。実例は少ないが、なくはない。
というのも、教会の理屈では、限られた予算の中での優先順位の問題で獣人を後回しにしているにすぎない、ということになっているからだ。
「寄付金を増やせば、『公爵閣下、そちも悪よのぅ~』って感じに大目に見てくれるでしょ」
「ううむ」父は難しい顔をして唸った。「たしかに人間とはそういう習性のある動物ではあるが……」
「教会の目標ラインがわからないと何とも言えない?」
「うむ。この冷遇政策で何を成したいのか次第で賄賂の有効性が変わってくる。大昔の過ちを赦していないという感情的な動機なのか、獣人以外に予算を投入したいという財務上の動機なのか、獣人を共通の敵とすることで結束を強めたいという信心操作上の動機なのか、はたまたほかの動機があるのか──聖職者が金の亡者ならばよいのだが、残念ながらそうとは限らないのだよ」
「賄賂じゃなくて寄付金ね」
「ははは」父はわざとらしく笑った。「そうだったな、わたしとしたことがとんだ失言だった」
「ははは、オトンはうっかりさんだ」
「ははは」「ははは」
クリフは、はは……と乾いた笑いを洩らした。
ひとしきりみんなで和やかに(?)笑い合うと、俺は、「まぁでも」と仕切り直した。
「結局のところバランス感覚だよね。慧眼とやらで許容ラインを見極めてやりすぎなければナンクルナイサー」
身も蓋もない、と肩を脱力させた父は、話を転じた。
「仮に上手く立ち回れるとして、資金源はどうするのだ? 軌道に乗るまでは何の収益もないのだろう?」
「我に金策あり」
「ほう?」父は興味を示した。目顔で先を促してくる。
「獣人馬車馬計画の初期段階、本格的に労働力として利用する前の懐柔段階では、特許法と発明品のコンボで得た収益で賄う」
この世界ではいまだ発明品に対する独占的利用権という概念が確立しておらず、当然特許法もない。それをウィリアムズ領で制定する。
「発明家が集まるようにしてその発明品で儲けようというのか? しかしそれでは時間が掛かるうえに、発明品の質に依存してしまう」
「もちろん、長期的には発明家の保護による経済効果も狙う。だけど、今必要なのは短期的に得られる利益だ。当然そのための案もある。というか、発明品の案がある」
「なるほどな」父は悪そうに口角を吊り上げた。「特許法はその発明品を独占するための布石だったというわけか」
「そのとおり」
「──して、その発明品とは?」
「活版印刷を作る」
現在は手書きで書き写す写本が中心なわけだが、それでは効率が悪い。金属の型を使って文字を印刷する活版印刷ならばコスパが飛躍的に上昇する。何より読みやすい。需要はあるはずだ。
「素晴らしい発明だ──だが、それも教会に睨まれる虞がある」
写本の担い手は基本的に修道院の
だが、やりようはある。
「俺たちが発明したことにしなければいい」
発明の促進のために特許法を制定したら、
せや! 発明の専用実施権を教会に売ればええんや!
せやけど個人で教会と交渉したら足元見られそうやな……せや! 領主様に代理人になってもらえばええんや! わては顔出しせんと何もかんも領主様にお任せ! ひゃっほい!
わてはライセンス料で幸せ、領主様も委任料で幸せ、教会も労働効率上昇で幸せ! トリプルウィンやで! ひゃっほい!
「──という経緯があったということにしてヘイトを分散し、ライセンス料をこっそり懐に入れるんだ」
言っておくが、これは詐欺ではない。
アルマス王国及び教会の法では、詐欺罪の成立には被害者に実質的な財産的損失が発生しなければならないと解されるところ、このケースでは教会は本来支払うべき対価を支払っただけで損をしていない。それと知らずに架空の口座(人物)に振り込んでいるだけである。したがって、世俗法にも教会法にも触れない(構成要件該当性なし)し、事実としても誰も不幸になってないんだから間違いなく “正義” である。出版業界の発展にも繋がるし。
なお、日本では原則アウト。
「お、お前……」父は愕然とした様子で呟き、「目的のためなら手段を選ばないその冷徹な姿勢……流石はわたしの息子だ! 素晴らしい!」
絶賛である。
他方、クリフは引いている模様。でも逃げられない。だって忠誠を誓った騎士だから!
俺は続ける。
「民草の印象操作は難しくない。獣人犯罪の対策として行政の目の届くところで働いてもらうことにした、とでも言えばいい。貧困という環境要因だけでも取り除ければ多少はマシになるからと説明すればある程度は納得してくれるだろう」
「理屈はわかる。
が、人というモンスターはそれほど利口ではない。そういうふうに言われた民は間違いなくこう思う。
『そんなの犯罪したもん勝ちじゃねぇか! 真面目に生きてる俺らが馬鹿みてぇだろ!』
合理的な幸福追求が可能なのは、上位数パーセントの高い知能を持つ者だけというのが現実だ。正しさでは愚民は納得しないんだ。厄介なことにな」
「わかってる。よくわかってるよ。父さんが思ってるよりずっとね」
父は怪訝そうにしたが、「そうか」と流した。「考えがあるんだな?」
俺はうなずくと、「住民税を減らすんだ」
「減税だと?」
「人族にはこう説明する。
『獣人の身体能力による馬車馬労働のおかげで予算が浮いたんで減税します』
人間なんて現金なもので、自分が目に見えてを得をするなら文句も引っ込めるさ」
「それはそうだが、減税までいくと本末転倒の感が否めないな。獣人の酷使で上げる利益よりも寄付金や減税の損失のほうが大きいように思える。仮にライセンス料で賄えたとしても、政策として失敗している」
「もちろん、軌道に乗ってきたら利益回収フェイズに移行する。
といっても、それは俺たちが生きてる時代の話じゃない。100年後200年後、あるいはもっとずっと先の人類が、効率的な社会の実現という形で享受するものだ」
父はポカンと口を開けた。クリフも同じ顔をしている。
正体を取り戻した父は言う。
「人類の未来のために犠牲になれというのか」
「うん、そう」
「……」
父の瞳に魔法陣が浮かび上がった。読心系スキル〈偽りの愛〉を発動させたのだ。これで俺の嘘が見破れる。
一般に、心を読むスキルの発現者は、腹に一物も二物も抱えているのが常の貴族にとって不都合な存在でしかなく、見つけ次第殺せ! というのが、無論違法だが半ば暗黙の了解と化している。ゆえに、その発現者は秘匿する。
自身を愛する者の嘘を見破れる〈偽りの愛〉を持つ父も、家族や腹心など最上級の信頼を置いている者以外には隠している。彼の場合、暗殺リスクと裏切りへの牽制──嘘をついたり愛がなくなったりしたらわかるぞ、という脅し──を天秤に掛け、条件付きで後者を選択しているが、誰にも言わずに墓場まで持っていく者がほとんどだとされている。実際、死に際に明かされるケースが一番多く、次点が、奴隷が主人の利益のためにやむを得ず明かすケースだ。
父がそうしていないのは愛に対する不信と執着ゆえだと俺は見ていた。それは彼の弱さなのだろうが、嫌いではなかった。
尋問が始まる。
「お前には何が見えている?」
「この世界と似た前提条件から導かれた未来が少しだけ」
「なぜそのようなものが見える?」
「その未来の記憶があるから。
ただし、それが真実である証拠はない。五分前にこの世界ができた時に植えつけられた偽りの記憶かもしれないし、単なる妄想かもしれない」
「……人類のために犠牲になるというのは本気なのか?」
「イエス」
「なぜそこまでして未来を良くしたい?」
「それが俺の “正義” だから。ま、自己満足だね。
でも、上級貴族としてはさしておかしな話じゃないんじゃない? 政治というのは元来そういう性質があるものだよ」
「……」沈黙。ややあって父は、疲労感たっぷりの溜め息と共にスキルを解いた。「わかった、アランの言う獣人馬車馬酷使計画というのをやってみよう」
「酷使とまでは言ってないけど」
「ただし、お前の発明で賄える範囲でだ──いや待て、まさか活版印刷もその記憶の産物なのか?」
「勘のええオトンは嫌や」
「似非パイモン弁はやめろ」
「あい」
「それで、この少女はどうする?」
執務室の床に転がされた猫耳少女は、もう死ぬんじゃないかってくらい弱々しく呼吸している。
「とりあえず回復薬飲ませて、元気になったら俺のメイドとして雇いたい」
働き口がない以上、それしかない。
「回復薬は構わないが……」父は了承しかねているようだった。
「ほかの使用人との兼ね合いが気になるなら奴隷という形にしてもいいよ」
「それで手を打とう」
そして、知らぬ間に勝手に奴隷メイドにされた猫耳少女は、回復薬を無理やり流し込まれ、空いている物置部屋に運ばれた。
猫耳少女が目を覚ましたのはその二日後だった。