八月に入り、ウィリアムズ領も夏真っ盛り。
とはいえ、三十度を超える日はまだ訪れていない。大海原からやって来る温暖湿潤な風と山から吹き込む涼風が上手い具合に作用しているのだろう。
例によってクリフを引き連れて城下町を歩いていると、歌が聞こえてきた。ギターっぽい弦楽器を相棒に、男性の楽師が路上で弾き語りをしているようだった。
何というか、オルタナティブ・ロック調で、この世界では初めて聴くジャンルだった。前世のメロディーが耳に思い出され、胸が少し切なくなる。知らず知らず足を止めていた。表通りから離れた、往来のほとんどないほんのりと暗い道だった。
この楽師のことは町で見かけたことがあった。地元の人なのだろう。年頃は二十歳過ぎくらいで、垂れ目がち。女好きのする容貌をしている。
ギターケースを投げ銭入れにしているようだった。が、銅貨や大銅貨が数枚入っているだけだった。ほかに聴衆もいない。
これでは生活が成り立たないのではないか。
しかし楽師の風采は悪くない。ということはロックは半ば趣味なのだろう。以前大通りで見かけた時はアルマス王国で一般的な歌を歌っていた。そちらで稼ぐ合間に本当にやりたいことをやる。芸能界隈では、きっとよくあることなのだろう。
あるいは、太いパトロンがいるのかもしれないな。
歌唱が終わった。ポロロン……。ギターの余韻が夏に溶けてゆく。
ぱちぱちぱち、と拍手を送り、銀貨を二枚投げ入れた。
「ありがとう」
力強さが前面に出ていた歌声とは違い、優しげで甘やかな話し声だった。少しやんちゃそうな顔立ちなのにどこか子供っぽさのある柔和な微笑も母性本能(?)をひどくくすぐる。
──トゥンク……
……ハッ!
危ない危ない。俺の心に暮らす乙女がときめいてしまっていた。おじさんともあろう者(?)が、ちょっと顔と声がいいだけの青二才にキュンキュンしてしまうとは情けないぜ(?)。やだもー。
右手では前髪を
「どうしてこんな所で歌ってたんだ? 往来が少ないと稼げないだろうに」
男は照れ隠しでもするように後ろ頭を掻いた。
「いやぁ、楽師ギルドから怒られちゃってさ。
『変な歌を大っぴらに歌われるとギルドの沽券に関わる。どうしてもやりたいなら目立つな』
って言うんだよ。それで仕方なくここで歌ってたんだ」
楽師ギルドも商人ギルド同様、同業組合色が強い。一介の楽師では当然、逆らえない。
「もったいないな」自然と出た言葉だった。思い出補正もあるのだろうが、「いい歌なのに」
男はその美貌を綻ばせた。「ありがとよ」それから、「よかったらもう一曲聴いてかないか? こういうのが聴きたいってのがあれば歌うぜ」
予定はあるが、あと一曲くらいなら大丈夫だろう。
「そうだな、じゃあ──」
女子修道院前の広場。
「あっ、アラン様!」
見習いシスターのティナが俺に気づいて笑みを浮かべた。
ティナは現在十三歳だが、生まれつき足が悪く──右足が奇形で杖なしでは歩けない──そのせいで親に捨てられた。それが九歳のころ。見世物小屋で好奇と嘲笑を集められるほどの障害でもなく、かといって堅気のツテもない。シャバではやっていけず、程なくして修道院付属の
とはいえ、救貧院は障害さえあれば無条件で養いつづけてもらえるという施設ではない。回復したティナは追い出されそうになり、今度は修道院を頼った。シスターをさせてくださいと頼み込んだのだ。
この世界の修道院は教会の下部組織だが、清貧(私有財産なし)、貞潔(独身と博愛)、従順(神の奴隷)をモットーにしているところは前世とだいたい同じ。そのモットーを担保する意味合いで、シスター長以外は厳しい外出制限が設けられていて、修道院の金庫の鍵にも触れられない──もっとも、シスター長も必要最低限でしか認められていない。そして、もし破ったら地下にある懲罰房でお仕置き──鞭打ち、水責め、
今は修道院の活動として、生活困窮者への炊き出しをしつつ、その傍らで子供たちに文字の読み書きや一般常識を教えているところだった。
俺はその手伝いに来たわけだ。
「遅れて悪いな」
約束の時間ぎりぎりだった。
「そんな!」ティナは全身で恐縮した。「アラン様にご足労いただけるだけでも大変ありがたいことです」
このように城下町の修道院との関係は悪くない。獣人政策や活版印刷の件で修道院つまり教会から睨まれることもなく、多めに寄付してくれる信心深い公爵家、というふうにしか思われていないようだった。活版印刷により出版業務の利益が飛躍的に増加したのもその一因だろう。
ただし、神聖パイモン皇国の聖女領にある教会本部がどう思っているかはわからない。この城下町の教会には辺り一帯の教会を管理する司教がいるが、もう少ししたらその司教が集めた上納金の回収に本部から使いの者がやって来る。そのついでにいろいろと調べられるだろう。使いは年に一回で、つまり去年も見られたわけだが、その時よりも獣人への風当たりは微妙に良くなっている。その報告を受けた聖女──某一神教の教皇ポジだ──がどういう判断を下すか。不安は拭えない。
が、今それを考えていても無意味だ。俺は切り替えてティナと共に子供たちの下へ向かった。キレッキレッのパイモン弁を仕込んでやるぜ!
「~♪」
「『終わりの始まり』でしたっけ? とても個性的な歌ですよね」
終末感あふれる美貌の男のロックを口ずさむと、ティナが遠回しにディスってきた。早すぎた名曲の扱いなど、だいだいこんなものである。
「非常に申し上げにくいのですが、アラン様のパイモン弁は少し変です。無理に教会に忖度しなくてもいいですよ。普通にアルマス王国の言葉で構いません」
四歳上の年下の女の子にそう言われた俺は、「あ、はい」何も言い返せなかった。
そうしてそこらの土の地面に棒切れで文字を書いて教える青空教室が終わると、時刻は午後の一時を回ったところ、ティナはふぅと吐息を洩らした。
疲れたんだろうな、と最初は思ったが、それにしてはいささか物憂げなニュアンスが濃いように見えた。
「どうした? 何か気掛かりなことでもあるのか?」
「えっ」裏垢で暴れてたのが同僚にバレた経理課六年目の独身女みたいな顔になると、ほかのシスターに視線を走らせ、「いえ、そのようなことは何もないです」硬い口調で否定した。
ほーん、と思ったね。絶対何かある。
しかし、ティナはほかのシスターの耳目を気にしている。そこで詐病である。
「イタタタタッ!」
俺は下腹部を押さえて顔をしかめた。
ティナとクリフが心配そうにする──いや専属護衛のほうは俺の魂胆を見抜いているようだ。半ば呆れた目をしている。
「大丈夫ですか」ティナが聞いてくる。
「どうにも朝からお腹の調子が悪くてね。悪いけれど、修道院のトイレを貸してもらえないか」
「ええ、もちろんです」
修道院の敷地内には男女別のトイレがある。古代ローマのように水路が引かれていて、そこに用を足す形のものだ。だから悪臭がひどいわけではないが、ここから一番近いトイレは敷地を囲む高い塀の近くにある。公園の公衆便所のような感じだ。つまり、用を足す人以外は近づかない。また、シスターや一般職員は普通、修道院本館内のトイレを使う。さらに、個室もあったはずだ。そこなら内緒話ができる。
「ご案内しますね」善意100%の顔。
「ああ、すまないな」
果たして、トイレには誰もいなかった。
「実は秘密の相談があるんだ」俺は言う。「人に聞かれると困るからこの個室の中で話したい」
「? はぁ、相談ですか」
ティナは困惑こそしているが、俺が九歳のおじさんだからか警戒はしていないようだった。
──バタン。ガチャ。
少女を連れ込んで密室化すると、俺はすかさず本性を現した。声を落として、
「さてティナ、ここならほかのシスターに聞かれない。悩みがあるなら聞かせてほしい。もしかしたら力になれるかもしれない」
ティナは察した顔になり、そして困ったように笑った。ありがとうございます、でもいいんです、と言う。
「こればかりはアラン様でもどうにもできませんから」
「シスターたちからいじめられてるのか?」
修道院はセーフティーネットという側面もあるが、受け入れる人間を持参金の
ところが、ティナは親に捨てられた身体障害者だ。そして、ガリガリになるくらいだから持参金もなかったはずだ。本来ならば修道院からは門前払いされる身の上だった。それが、そうはなっていない。修道院側に受け入れるメリットがあったということだ。
その目的はおそらく、人がやりたがらない仕事を押しつけたり、ストレス解消用のサンドバッグにしたりすることだろう。閉鎖的で抑圧的なコミュニティーを上手く回すための生け贄として選ばれたんだ。
ほかに行き場のないティナなら逃げ出されることも誰かに相談されることもない。健常者のお荷物になっている自覚が内罰的な思考を作りもする──そういう計算があったのだろう。
「……」ややあって、観念したのかティナはこくりとうなずいた。瞳が潤みはじめていた。
ぽたっと雫が落ちた。涙が止めどなくあふれてくる。
腕を伸ばして親指で拭ってやると、その手にティナのほっそりとした手が重ねられた。遠慮がちに、しかしすがるように握ってくる。
やんわりと握り返してやり、いじめの内容について水を向けると、意を決したように一度唇を引き結んでから打ち明けてくれた。
暴言、暴力、性的虐待、食事没収、過剰労働。
ずっと一人で抱えていてつらかったのだろう。
ふと気づいたようにティナがロングワンピースみたいな修道服をたくし上げた。青白い体の至るところに赤紫色の打撲痕がある。証拠のつもりなのだろう。別に疑ってないよ、と言うと彼女は修道服を戻し、再び手を取った。
ひとしきり吐き出すと、ティナは弱々しく笑った。
「ごめんなさい、こんなこと聞かされても困ってしまいますよね。忘れてください」
と言いつつ、手は握ったままだった。人のぬくもりを求める耐えがたい孤独感が、半ば無意識にそうさせているのかもしれない。
まだ子供だものな、と思う。時代が時代だから仕方ない部分も少なくないとはいえ、おじさんとしては憐憫を禁じえない。
「あ、ごめんなさい」ティナは手を放そうとするが、
「いいよ、あと少しくらいならバレないよ」
そう言って両手で優しく包み込んでやると、「あぁ……」ティナは熱っぽい吐息を洩らした。「アラン様……」潤んだ瞳で切なげに見つめてくる。
何か少女漫画の恋する乙女みたいだな、と思わないでもないが、ま、子供だから気のせいだろう。
「ところで」と話を転じる。「俺にいい考えがある」
修道院からの帰り道、猫娘ことヨンジャを見かけた。どこかに向かっているようだった。
今日は午後から休みを与えている。だから彼女が町で何をしようと自由なわけだが、人目を警戒するように視線を忙しなくさせていた。
怪しい……。
そう思った俺は瞬時に気配を殺し、建物の陰に身を潜めた。クリフも察して倣う。
足音を立てずに陰から陰へ、死角から死角へと身を転じつつ、視線を察知されないように周辺視野でヨンジャの後ろ姿を観察していると、ネコ科とおぼしき獣人の少年と落ち合った。笑顔が弾ける。二人並んで歩きはじめた。
友達と遊びに行こうというのだろう。キョロキョロしていたのは彼を捜していたのだ。
彼女たちが人混みに消え、見えなくなると、俺は隠密モードを解いた。
と、クリフがニヨニヨしていた。
「気持ちはわかりますぞ」
「え? 何が?」
「わかりますわかります、認めたくないのでしょう?」
「お前はいったい何を言っているんだ?」
──という一幕がありつつも、城に帰り着き、矢のごときスピードで夜が明けた翌朝のこと。
朝食を終え、子供部屋で Nat●re みたいな総合学術誌を読み込んでいると、コンコンコン、ノックする音がした。
「リリーっす」
「キャッチアンド?」
「リリーッス」
「よし入れ」
厳かに促すと、地味な色合いのチュニックにロングスカートという町娘コーデのリリーが入ってきた。彼女には、例の美貌の楽師を張り込むように頼んであった。
リリーは、書棚の埃をポンポンしているヨンジャを恨めしそうに一瞥すると、ゲスい顔になった。
「へへっ、
俺の口角も吊り上がる。「詳しく聞かせてくれ」
「──それで、お話というのは?」
シスター長は訝しげに言った。
黒縁眼鏡にひっつめ髪という装いをした痩せぎすの
修道院の応接室だった。俺とシスター長はソファーに座って対面していて、後ろにはクリフが立っている。
「ティナへのいじめの件だ」
シスター長は、はて? と小首をかしげた。「何のことでしょうか? 何か勘違いをなさっているのではありませんか?」
「俺の要求はティナへのいじめをやめてもらうこと。受け入れていただけないか?」
シスター長は呆れ顔になった。
「いじめなどないと申しているではありませんか。
それに、仮にそのような事実があったとしても、あなたは教会のことに口を出せる立場ではないでしょう」
教会は、世俗の法とは別体系の教会法という独自のルールにより運営されている。教会組織やサターンデュ教に関することに適用されるわけだが、聖職者を当事者とする犯罪にも適用される。教会が取り仕切る教会裁判所で裁かれるのだ。これは、統治権が分割されているということを意味する。もっと言えば、教会という独立国家があると思ってもらって概ね差し支えない。
つまり、治外法権なのだ。ティナの件は世俗を管轄する貴族が手出しできる領域ではない。教会のことは教会が決めるから俗人は引っ込んでろ、ということだ。
「それはもちろん重々承知している。だからこれは、強制力のない単なるお願いにすぎない」
「でしたら、もうお帰りください」
「ところで、シスター長はリアムという楽師のことを知っているか?」
例の美貌のロック歌手の名だ。
シスター長の眉がぴくりと痙攣した。「存じておりますよ。教会の祝祭日に音楽を披露していただいたことがあります」
「少々変わった感性をしているが、いい楽師だ。伸びのある綺麗な声をしている。演奏技術も見事なものだ」
シスター長はこちらの真意を探るように目を細めた。「ええ、そうですね。それがどうしたのですか?」
「先日、修道院の慈善事業のお手伝いをさせていただいた時のことだ。俺はリアムの歌を口ずさんだ。普通のではなく前衛的なほうだ。
すると、それを聞いたティナがその曲名を口にした。彼女は外出できないから、外で聞いたシスター長が教えたのだろうとその時は思った。
しかし、よく考えるとこれはおかしい。
リアムは楽師ギルドから『変な歌を大っぴらに歌われるとギルドの沽券に関わる。どうしてもやりたいなら目立つな』と言われていた。実際、彼は薄暗い路地でひっそりと歌っていた。
シスター長もシスターであることに変わりはない。外出できるといっても、あくまでも必要最低限でなければならない。であれば、リアムの前衛的なほうの歌を聴く確率は相当に低いはずだ。
なぜだ? なぜティナは曲名を知っていた?」
「通りかかった時に偶然耳にしました。巡り合わせが良かったのでしょう。それだけのことです」
「あなたとリアムは何の関係もないと? つまり、男女として、ということだ」
シスター長は心外そうに眉をひそめた。
「俗人はすぐに色事に結びつけたがりますが、一緒にしないでいただきたいですね。そのようなことはあろうはずがありません。わたしは純潔の身です」
「では、質問だ。
昨夜の遅い時間にリアムの家の近辺を巡回していた衛兵が、人目を憚るようにしてリアムの家に入っていくあなたを目撃したと言っているんだが、これはどういうことだ?
色事以外で、そんな時間に独身の男の家に行かなければならない理由というのがあるのならぜひ教えてほしい」
シスター長は顔を隠すようにして眼鏡のブリッジを軽く押し、位置を整えた。
「彼が落とした白金貨を届けただけです。大金ですので、できるだけ早いほうがいいと思ったのですよ」
「その衛兵は、シスター長が
「はぁ、そうですか」それが何か、と言わんばかりだ。
「彼女は耳が良くてね。数百メートル先の会話だって正確に聞き取れる。当然、一般庶民の住宅の壁くらい何の障害にもならない」
「っ!」シスター長の顔が周章の色に染まり、「ま、まさか……」唇が震える。
んんっ、と咳払いし、あー、あー、と声帯をチューニングし、そのシーンを再現する。
「『お゛ほぉおおお♡ リアムの【チープでポップな男性器表現により自主規制】しゅっごいぃぃっ♡ お゛っ♡ お゛っ♡ あ゛っ、らめっ♡ それらめぇぇっ♡ 【自主規制】ゃう♡ エマ、シスター長なのにぃ♡ 貞潔じゃなきゃらめなのにぃ♡ 若い雄の【チ以下略】に【自主規制】ゃうぅぅぅっ♡ あ゛あ゛っ♡ リアムぅっ♡ しゅきぃっ♡ リアムの【チ以下略】だいしゅきぃぃい゛い゛っ♡ お゛お゛っ♡ 【あまりにも獣じみた汚ない声ゆえ自主規制】ぅぅぅっっ♡♡♡ あ゛あ゛あ゛っっ♡♡♡』」
「」
シスター長は池の鯉みたいに口をぱくぱくさせている。
「夕べはお楽しみでしたね?」俺はにやりとして尋ねた。
シスター長はハッとして、「ちがっ、ちがうんですっ、それはわたしではなくてっ」
「そうなのか? でもあなた、シスター長のエマさんですよね?」
「……………………はい」
「実は重要証言はもう一つある」
「え……」シスター長は絶望するように頬を歪めた。
再び声帯を調整し、
「『良かったわ、リアム──はいこれ、今月の分──え、あと一枚白金貨が欲しい? キスしてくれたら考えてあげ──んっ……♡ ──ぷはぁ♡ もうっ♡ 強引なんだから♡ ──仕方ないわね。はい、どうぞ。無駄使いしたら駄目よ』」
「」
シスター長は俯きがちに膝の上で拳を握っている。
「お堅そうな顔して、男の前だと随分とかわいらしいじゃないか?」俺はにやりとして尋ねた。
シスター長は真っ赤になった。
「二つの証言を併せると、“若い雄の【チ以下略】” が大好きなシスター長のエマは修道院の金に手をつけてリアムの太ママ──パトロンをしている、ということなるが、当然認めてくれるよな?」
「……………………認め」
「認め?」
「──ません!」
シスター長はふんっと鼻を鳴らした。「仮に、あなた方俗人の基準でわたしが “【チ以下略】狂い” の生臭シスターだったとして、それが何だというのですか?
教会は教会の判断で事実を認定します。あなた方にとやかく言われる筋合いはそもそもないのです。教会上層部が厳格なシスター長と認識している以上、教会法上、何の戒律違反もありません。わたしは処女で潔白です」
何という開き直りっぷり。いっそ清々しい。
「その上層部の使いが今度来るよね? 俺も挨拶しとこうかなって思ってるんだよねー」
「脅迫ではないですか! そのような外道行為、到底赦されるものではありません!」
「嫌だなぁ、単なるお願いって言ってるじゃん。ティナへのいじめが収まらないと口が滑っちゃうかもってだけで」
「ぞ、俗人の言葉なんか信じるわけありません!」
「シスター長の後釜を狙ってる子とその派閥を引き込めばいい」
「あ、あなた……」シスター長は愕然として唇を戦慄かせた。
ここでクリフが口を開いた。
「アラン様はやると決めたらやるお方です。
たしか、教会法上、複数回の買春及び横領は火炙りでしたな。いや股裂きでしたか? いずれにせよ、このままだと確実に死罪です。
しかし態度を改めれば、これからも “若い雄の【チ以下略──このクリフ、割とノリがいい】” を堪能できる。悪いことは言わない、恭順することです」
「……ほ、本当に見逃してくれるのですか」
「ああ、いじめを無くすにはボスを抑えるのがいいからな。
あなたが言うように、俺が介入するのは、仮にその目的と手段が世間一般の正義にかなうものであったとしても、そもそもグレーゾーンでもある。法令を遵守したい身としては不当なお節介は必要最低限にしたいんだよ」
たっぷり十秒は悩み、「…………わかりました」シスター長は屈服した。「いじめを無くすと約束します」
「うん、ありがと」
「……」チ以下略シスターは恐ろしそうに俺を見て、「アラン・ウィリアムズ……恐ろしい子……!」
それからというもの、
「アラン様、お腹のお加減は大丈夫ですか?」
ティナは会うたびにそう尋ねてくるようになった。
「いや大丈夫だけど」
「そうですか? よく考えてみてください。何だか痛いような気がしてきませんか?」
「いや別に」
「無理をなさらないでください。さ、わたしが付き添いますので行きましょう」
「いやマジで平気。ポンポン、ペインペインしてないよ。ピンピンしてる」
毎回、問題ないことを正直に伝えているが、ティナは決まってひどく残念そうに肩を落とす。何なら、恨めしそうですらある。
よほど俺をトイレに行かせたいと見える。いつか下剤を盛られるのではないだろうか、と思うが、ウィリアムズの者は毒──つまり不都合な薬物──に耐性があるから心配する必要はない。母の教育方針である。うちの食事には基本的に毒が入っているのだ。彼女曰く、
「毒死の様は見苦しいことポコポコポッピンのごとしです。そのような不様は貴族に相応しくありません。わかりましたね? 慣れてください。お残しは許しませんよ。吐いたら折檻です。不味そうな顔をするのも禁止です。貴族たる者、いついかなる時も優雅に振る舞わなければなりません」
昭和の熱血教師より厳しい。令和どころか平成でも児相が黙っていないだろう。
が、おかげで下剤を恐れなくてもいいのだから、プラマイで言うとちょいマイナスくらいに収まっている。
そんな平和な日々が続き、九月に入ると、4000年バズり通しているスーパーアイドルがウィリアムズ領にやって来た。
「やほー☆ 聖女ちゃんだぞー☆」
神に愛されしおっぱい、みんなの嫁、永遠の十七歳、不老不死の化け物ババア、アンチエイジングのカリスマ、事務所が強すぎた女、約束されし勝利のアイドル、〈