にわかには信じがたいが、ルシフは神のようだった。
たしかにスキルの名称からして神関連の効果があることを示しているし、聖書にあるその人物像と符合するところも多い。
『食い違ってるとこがあんのは、てめぇらクズどもが勝手に理想を押しつけて美化してるからだ』
ルシフはそう弁明した。説得力のある理屈だった。
ならば、この、悪態の化身みたいなチンピラも、おそらくは本職の方なのだろう。俺はひとまずはホンモノとして受け入れることにした。
ルシフとのファーストコンタクトを終えると、ベッドに潜り込んだ。父への報告は明日にしようと思っていた。
先のことを考えると頭痛が痛い痛覚が痛いくらいに目の奥で痛むけれど、やがて睡魔に意識を刈り取られ──
「えへへ☆ 来ちゃった☆」
聖女が現れた。
「ひぇっ」不意を衝かれた俺は恐れおののき、「出たな! 妖怪おっぱいババア!」思わず本音が口に出た。
「こぉら! すぐそういうこと言うんだから! “めっ!” なの!」
相変わらずきっっっつい芸風のマリアナは、第三ボタンまで外したブラウスに三回くらいは折ってそうなプリーツスカートという着崩しJK──というかイメクラ? ──な装いをしていた。とんでもなく深い谷間が惜しげもなくさらされており、緩く巻かれたプラチナブロンドヘアーも相まって平成後期の白ギャル感がすごい。よく見ると、とびきりかわいいネイルまでしているではないか。マニキュアかな。どこのブランドだろうか?
辺りを見回せば、白っぽい高架水槽、錆びたフェンス、その向こうに見える深緑の山々──ひどく懐かしい光景だった。
俺はかつて通っていた高校の屋上に立っていた。周りには誰もいない。記憶と同じ独りぼっち。
間違いない。これは夢だ。
ほっと息をつく。夢なら何も問題ない。
しかし聖女の夢を見るとは、我がことながらどういう了見だろう? ルシフのことで無意識のうちに連想してしまっていたのか?
「ねぇえ! アラン君! むすっと考え込んでないで聖女ちゃんのこと見てよ! 思春期になったアラン君に喜んでもらうためにがんばってえっちな格好してきたんだよ?!」
マリアナが何やら構ってほしそうにぷんぷん喚いているが、所詮は夢なので無視しても問題はない。早くノンレム睡眠に入らないかな。
「うーっ!」マリアナは場末のコンセプトカフェで萌え萌えキュンとか言ってそうな、嫌にこなれた甘ったるい鼻声で唸ると、「うーーっ!!」爆発したように声を高くし、抱きついてきた。
いつかのように “特大むにゅむにゅ” が押しつけられる。ぬるま湯の入った水風船のように生温かくてたぷたぷふにふにと柔らかいのに確かな弾力がある。砂糖たっぷりの苺ミルクのような香りもして、吸い込むとまなうらがちかちかと白く瞬き、頭がくらくらした。
夢にしてはやけにリアルだな、やっぱりレム睡眠だこれ。
そう確信する俺に、マリアナはいたく不満げだった。
「聖女ちゃんが逢いに来てあげたのに、どうしてそんなにしょっぱい対応なの? もっと喜んでよ!」
「だって夢だし。相手するのめんどい」個人の夢に正義もクソもない。自由に動いていいなら省エネ塩対応一択である。おじさんだもの(おじさん)。「暑苦しいから離れてくれ」
しかしマリアナはそれを無視し、
「ふふん♪」得々と、あるいは歌うように鼻息で笑った。「ここはアラン君の夢の世界だけど、聖女ちゃんは本物の聖女ちゃんなのだ!☆」
「……」
ってことは、俺の夢に干渉してきた……ってコトォオ?!
スライムみたいにへばりついてくる乳肉を──つまり上半身をひっぺがしてギャル風聖女の顔をまじまじと見た。
「マジ?」
顎下ピースでとびきりのかわいさをアピールしつつ、「マ☆ジ」
警戒レベルが一気に跳ね上がった。「何しに来た?」
何らかの手段でルシフのことを嗅ぎつけたのか? タイミング的にはそれしか考えられないが、であれば目的は何だ? 神とのパイプ役として教会陣営に取り込むつもりか──
「もうっ、そんな怖い顔しないの! 聖女ちゃん、アラン君に逢いに来たって最初から言ってる!」
「……ただ会いに来ただけだっていうのか?」
一組織のボスが、そんな、暇すぎて彼氏に無意味なスタンプLINEを送ってウザがられるJKみたいなことするか? んなアホな──
「そうだよ☆ 教会にも聖女ちゃんにも
いちいちきついし、アイドルの言葉なんか濁点一つ取っても信じられないが、嘘と立証することもできない。ボロを出さないようにしつつ適当に相手するしかないか。
「オーケー、わかった」ガチムチポリスマンに背後からビッグマグナムを突きつけられたゴキゲンなマザーファッ●ーみたいに両手を上げて言った。「そういうことなら町でも眺めながら話でもするか?」
「うん!☆ する!☆」マリアナはドルオタからしこまた金を毟り取れそうな輝く笑みを顔中に広げ、「アラン君、愛してるよ☆ 嘘じゃないよ☆ 本当に愛してる!☆」再び俺の頭を
半ば呼吸困難に陥ってふごふごしながら、「なにが?」
「アラン君は聖女ちゃんのこと愛してる?」
「まぁ」こんなえげつないパイオツしてても不老不死でも人種差別主義者でも人類ではあるし、「あいしてるよ」
「ふひっ☆」マリアナは百年の推し活も蛙化しそうなだいぶ気持ち悪い笑いを零した。「相思相愛だね☆」
俺は頭を引いてパイ圧から逃れた。
「俺もそうだけど、マリアナってたぶん特定の個人への愛は持ち合わせてないよな? そんなんを相思相愛の括りに入れていいのか?」
「いいに決まってるじゃん!☆ だから今夜はいーっぱいイチャイチャしようね☆」
「それはヤダ。話すだけだ」
「いけずぅ」
とはいえ、彼女は楽しそうに笑っていた。あるいは穢れを知らぬ少女のように、あるいは澄み渡る空のように、とても無邪気に、とても透明に。
「今夜のことはみんなには内緒だよ☆ 聖女ちゃんがアラン君とだけ特別に仲良くしてることがバレちゃったらみんなを傷つけちゃうもん。アラン君もただではすまない。もしかしたらウィリアムズ家も “落とし前” をつけさせられるかもしれない。アラン君やその家族が地獄の苦しみを味わわされて惨たらしく殺されちゃったら聖女ちゃん泣いちゃうよ? だから、ね? 二人だけの秘密にしようね☆ 約束だよ☆」
かの有名なおじさん構文にも匹敵する気持ち悪さの聖女構文で自分都合120%の要求を、ヤクザめいた脅し文句を巧みの技でさりげなく織り交ぜつつ一方的に押しつけてマリアナは、
「また来るね☆」
手を振って帰っていった。煙のように消えたのだ。やはり嵐のようなおっぱいである。もう来なくていい。
まったく休んだ気がしないまま目覚めた俺は、夢の聖女が本物の聖女だったのか、俺の脳が創作した虚構聖女だったのか、つまりただの夢だったのかしばらく考えた。
しかし答えは出なかった。おそらく確かめる術もないだろう。仮に真実だったとしても、秘密にしろと脅迫してきた聖女がリアルのほうで夢に干渉した旨の供述をするとは思えないからだ。他人のステータス画面──スキル欄を覗き見する方法もない。
そして、俺のほうにも秘密を暴露するメリットはない。
ふと思った。ルシフに聞いてみるのはどうだろうか?
いや、ヤツは教会側かもしれない。聞いたところで──
『別に教会側じゃねぇよ。アンフェアだろ』
勝手にステータス画面を開いてそう答えてきた。
──なら、聖女が夢に干渉できるか教えてよ。
『ハッ!』鼻で嗤ったのだろう。『甘えんじゃねぇよ偽善野郎。てめぇに加担すんのもアンフェアだろぇが。オレはフェアな神なんだよ。誰の味方にもなんねぇし誰の敵にもなんねぇ。そこらの毒神と一緒にすんな。わかったかボケカス』
まぁ予想はしてたよ──にしてもこの神、ほんま口んりぃなぁ。
朝食を終えた俺は、父の執務室を訪ねてスキルの発現を報告した。俺と父以外は誰もいない。
「〈神スキル〉……だと?」父は困惑げに復唱した。「そのようなスキルは聞いたことがないが、どんな能力なんだ?」
神の名を冠するからにはそれはそれは強力な能力なのだろう。そういう期待の色が、魔法陣が浮かぶ父の瞳の奥に垣間見えた。
「効果欄をそのまま読み上げるよ」
「ああ、頼む」
「『オレと会話できる。』」
「は?」父は目を点にした。
「神つまりルシフと会話できるってことらしい」
こちらからの念話と神からのステータス画面越しでのメッセージでコミュニケーションを取れるスキルだと説明した。
「それは凄まじいスキルなのではないか」父はにわかに浮き足立った。「上手く使えば我がウィリアムズ家が教会を押しのけて世界の覇権を握ることも──」夢ではない。
「いやぁ」と父の大それた野望を遮る。「無理だと思うよ」
俺はルシフの悪魔的な美学を語って聞かせた。
アンフェアを
「お前のスキルは何の役にも立たないということではないか」その声には不機嫌が滲んでいた。期待した分、落胆と、その延長線上に生じる怒りも大きいのだろう。
「まぁ、実際メリットはないわな」
『ギャハハ!』
「『ギャハハ! ギャハハ!』うるさいし」
父は険しい顔で俺を見据え、数秒後、大きな溜め息をついた。「報告は以上か」
「せやな」
「では、もう下がれ」
「うい」
俺は執務室を後にした。
──かどうかは神のみぞ知る。
──かどうかは知らんけど、俺のスキルが何のメリットもない役立たずということが、発現から一週間も経たないうちに城下町で噂されるようになった。
“スキルは術者の本質を表象する”
昔から言われている定説だ。ここから、役立たずスキルの術者は同じく役立たずであるという結論が導かれる。後者は俗説どまりだが、それが真理であると信じている者は多い。民衆がわかりやすいロジックに飛びつきがちなのは異世界でも同じなのだろう。
したがって、ウィリアムズ家の評判を落としかねない〈神スキル〉の情報を父が洩らすはずがない。もちろん俺も同様だ。
かといって、俺と父、それからルシフ以外で〈神スキル〉のことを知る人物はいない。実際、〈神スキル〉という名称や具体的な効果までは知れていないようだった。
ということは、執務室での会話の一部を盗み聞きした者がそれを広めた可能性が高い。
最有力容疑者は、やはり騎士のリリーだろう。彼女の聴力──あるいは聴力強化スキル──ならば、距離次第では可能だ。ハウダニットはクリアしうる。
そして動機もある。リリーは獣人を憎んでいるはずなのだ。
彼女は田舎の男爵家の出だが、彼女が幼いころに当時世間を騒がせていた獣人盗賊団に家族を皆殺しにされている。リリーが無事だったのは──といっても
獣人を見る彼女の目はひどく冷たい。
獣人にも友好的な俺を当主にさせたくないと思っていたのだろう。保守的で、敵対的とまではいかずとも少なくとも友好的ではないノエルを跡継ぎレースで勝たせるために情報を流した──ホワイダニットはクリアしていると看做していいだろう。
そして、この程度の、推理とは呼べないような解答直結型の犯人当てが、父やノエルにできないわけがなかった。
当主の意向に従わない騎士など赦されるはずがない。情報漏洩が事実ならば楽に死なせるわけにはいかない。厳罰を下さなければならないのだ。
リリーは程なくして尋問を受けることとなった。父のスキルは彼を愛する者にしか効果がない。また、“奴隷の首輪” は対象者の内心の判定(真偽判定)はできず、“自白しろ” といった類いの命令は意味を成さない。したがって、尋問の手法は一般的なものだ。
とはいえ、状況から判決はほとんど決まっていた。自白があったほうが確実性が増して正しく記録できる、というだけで、なくても問題なく有罪にできる。つまり、否認したり黙りを決め込んだりするようなら無理やり口を割らすまで。司法も未熟なのだ。
各種拷問器具が取り揃えられた取調室、奴隷の首輪により抵抗を封じられ、専用の椅子に全裸で座らされたリリーは、すでに己の運命を受け入れているようだった。覚悟のうえだったのだろう。問わず語りに犯行──情報漏洩の一部始終を吐き捨てるように自白すると、壁に凭れて様子を見ていた俺を憎々しげに
「あたしはずっとあんたのことが嫌いだった。
獣人なんかどいつもこいもクズだ。犯罪率を見りゃあ一目瞭然だろうが。手を差し伸べて生かしてやってもいいことなんかない。あんたのやってることは犯罪を助長してるんだよ。一見、正しいことのように見える分、余計タチが悪い。何が正義だ、クソが。最低最悪の悪行じゃねぇか! 〈知恵の賢者〉なんだろう? 何でこんな簡単なことがわからない? 何で悪魔どもをあたしら人間と同じに扱おうとする? イカれてるよ、あんた」
そこでリリーは引きつったような
「あの雌猫のクサレ【自主規制】がそんなに良かったか? クソ獣姦野郎がっ。気持ちわりぃんだよっ」
「へっ」リリーは下卑た笑いを洩らした。「どうした、変態? あたしの【自主規制】を見ておっ勃っちまったか? へへっ、悪魔どもに汚された穴がいいなんて、マジもんのキチガイはすげぇや! ありがとよ! あたしみたいな汚物が人間の男に抱いてもらえる日が来るなんて夢にも思ってなかったっすよ! うれしいなぁ!」
リリーは泣き笑いを浮かべて、へへっ、へへへっ、と壊れたオーディオのように繰り返す。
「言いたいことはそれだけか」俺は静かに尋ねた。
この件の量刑(宣告刑の決定)は俺に一任されている。できるだけ判断材料を引き出したかった。
リリーは、ふへっ、と力なく笑った。
「早く挿れてくださいよぅ」媚びたような声色で言う。「夢だったんすよ。男の人に求められて、愛してもらって……」そこで声を詰まらせ、鼻を啜った。
あふれてきた涙が声をふやけさせる。問いを投げかけても寝言のように曖昧な言葉しか返ってこない。奴隷の首輪を使って〈泣くな〉と命じても効果は薄い。不随意的な行動の制御まではできないのだ。
これ以上は有意な供述は得られそうになかった。
「尋問はここまでとし──」俺は言う。「引き続いて刑を言い渡す」
リリーの肩がぴくりと震えた。
「 “苦悩の梨” で口腔と膣、肛門を破壊したのち、広場にて “車裂きの刑” に処す。砕く骨は五十とする」
苦悩の梨──梨型の金属製器具で、膣などに果実部分を挿入し、枝に繋がる軸の部分にあるネジを回すとその果実部分が開いて人体を破壊する。ウィリアムズ領のものは中から刃が飛び出してくるタイプのため、その苦痛は極めて大きい。女性の重罪人へのオーソドックスな肉刑、つまり前戯である。
車裂きの刑──大きな車輪に大の字の状態で縛りつけて罪の重さに応じた数の骨を、意識を奪わないように注意しつつ鉄の棒で砕き、それが終わるとそのまま支柱の先に吊るされる。脱水症状に陥ったり烏に啄まれるなりして死亡することとなるが、地獄のような苦しみが長く続くのは言うまでもない。また、最大級の恥辱を与えるとされている。なお、やり方は領地によりさまざまである。
リリーの唇が、手足が震えはじめた。いよいよとなって恐怖を抑え切れなくなったのだろう。
と、彼女の股関から水音がした。失禁したようだった。床に零れて広がった尿が、アンモニア臭が漂わせる。
処刑人の男が “苦悩の梨” を手に取った。
一年が経った。
〈神スキル〉は相変わらずやかましいだけで役に立たないし、その噂は領内はもちろん他領にまで伝わっていた。
ウィリアムズ家の長男はゴミスキルの発現者である。
そんなふうな公然の秘密が共有されていた。
ただ、それでも兄弟の支持率は、ノエルに傾きつつはあったが、いまだ概ねがっぷり四つに拮抗していた。
考えてみればそれも道理だった。俺を支持する層は、そもそもスキルや魔法を評価していない。積み重ねてきた実績に裏打ちされた知恵と人格を信用し、推しているのだ。スキルが産廃だったからといって鞍替えする理由にはならない。ノエルの支持率が増したのは、日和見していた層が臆病で小狡い腰を上げて流れたからにすぎない。
もちろん、選挙で決まるわけではないから直接的な影響はない。父は王にも届きうる権力を有する。その決定に表立って異を唱える者もいないだろう。
しかし、どうにもギスギスしていた。
関心が高いのは、ウィリアムズ家が大貴族であるからというだけではない。
貴族に必要な資質は武力か知力か。
スキル至上主義か反スキル主義か。
左翼か右翼か。
聖書原理主義か教会主義か。
俺とノエルの跡目争いは、人々の胸懐で遥か
〈~の賢者〉とかいうキャッチーなラベルが良かったのだろう。タイミングも良かったのかもしれない。思いの丈をぶちまけたい頃合いだったのだ。俺はそう思っている。
繰り返しになるが、どちらが当主になろうと表面上は平穏を保つだろう。少なくとも、直ちに反乱なりが起こされることはない。みんなそこまで馬鹿じゃないし、喧嘩っ早くもない。
ただ、見えないところに亀裂が生じる可能性は高いだろう。ちょっとしたきっかけ──例えば小さな政策ガバ──で兄弟を旗印にした内紛が起こりかねない、そう思わせる危うさが、彼らの瞳の奥、本人たちも認識できていない深いところに潜んでいるように俺には見えた。
せっかく何とかかんとかまとまって仮初めかつ一時な薄っぺらい平和を享受できてるというのに、人はなぜ “巨乳派” と “貧乳派” で、“純愛過激派” と “NTRニチャァア派” で、あるいは “キノコ” と “タケノコ” で争うのか。似たようなものなんだから仲良く乱交できないものか。言ってくれればやらしい雰囲気にするためにひとっ走りするのも吝かではないというのに。まったく。
この世界にノルウェイなどという小洒落た国は存在しないが、