前世のころから人の気持ちに敏感だった。
そう聞くと自慢のように聞こえるかもしれないが、いいことばかりではない。というより、心を読まないという選択肢を採れない不器用さのせいでデメリットのほうが多い。
町を歩いていると、否応なしに声なき声が聞こえてくる。
──あ、アラン様よ。
──ゴミスキルのゴミアランね。
──くすくすっ。
──人格もゴミなら魔法もゴミ、あんなのが長男だと公爵様も大変よね。
──ノエル様が長男だったらよかったのに。
──ノエル様のほうがお顔もずっと美しいですしね!
──あーあ、何かの間違いでノエル様に見初められないかしら。
──一夜のお戯れでもいいのになぁ。
──例のゴミ、獣人の女児を
──どうして獣人なんかを助けてんのかと思ったらそういうことだったのか!
──あいつらが表通りのほうに出てくるようになったせいで道が獣くさくてたまらねぇ。
──ゴミアランはそれがいいんだろ。
──ケッ! 変態趣味のために貧乏くじ引かされなきゃなんねぇのかよ! 最悪だな。
──ジョージはまた財布を
──俺の姪っ子なんか無理やり孕まされて川に身を投げたよ。ひでぇ死に顔だった。かわいらしい子だったのに。あんなの一生忘れられねぇよ。
──どうしてそんなひどいことできるのかしらね。
──悪魔に神の言葉は理解できねぇんだろ。
──悪魔となんか共存できねぇよ。
──アランの野郎が公爵になったらほかの領地に逃げようぜ。
──それしかねぇよな。
異能の類いと違って、実際にこういう具体的な台詞が聞こえてきたりするわけではないが、概ね当たっているだろう。
前提となる評判の情報や彼らの生活実態、息遣いの温度、視線のわずかな揺れ、瞬きのニュアンス、唇の乾燥の程度、喉の動きのリズム、などなど──そういったすべての些末なサインが無意識のうちに瞬間的に統合され、その心が、サイケデリックな色をした位相学的な波の、時にはある種のメロディーを伴ったイメージでもって
はぁ。
溜め息が出る。
今は自室にいる。一人だ。本を読んでいるところだった。しかし、どうにも集中できない。目が滑る。
苛立ちにも似た無数の硝子片が胸裏に渦巻いていた。ちくちくと痛む。俺はみんなが少しでも幸せになれるように努力しているだけなのに。やるせない思いが消えない。
窓外に目をやれば、まだ日は高い。が、元気に剣を振る気分にもなれなかった。
───コンコンコン。
ノックの音があった。
「アラン様、紅茶をお持ちしました」
ヨンジャだ。頼んでいたのだ。
「入れ」
促すと、すっかり成長して二十歳ほどの見た目になったヨンジャが入ってきた。
ネコ科獣人の寿命はおよそ三十五年。人族の二倍の速さで年を取るのだ。最近では子供のころのような過剰なスキルシップはご無沙汰だった。心も大人になり、愛情を求め合う相手も見つかり、落ち着いたのだろう。
ヨンジャがソーサーごとカップを置くのをぼんやりと眺めていると、ふと、股関にひりつくような熱を覚えた。意識すれば、それが劣情だと自覚できた。自覚すると、抑えがたく膨張していく。目の前の雌に触れたい。好きなようにして嫌なことを忘れたい。この雌は俺の所有物だ。躊躇う理由などどこにもない。彼女だってかつてはそれを切望していたではないか。
ベッドに潜り込んできたヨンジャが、涙ながらに「一度でいいから。絶対アランに迷惑掛けない。初めてはアランがいいの。お願い……」と懇願してきたことを思い出していた。
気がつけば、命じていた。
「脱げ」
「あ、え?」ヨンジャは我が耳を疑うような顔をした。「え?」
「ちっ」察しの悪いボンクラに心底腹が立った。「抱いてやるから脱げと言ってるんだ! 早くしろ!」
「あ、あ」ヨンジャはようやく俺の発情を感じ取ったらしい。メイド服のスカートを押さえ、「でもヨンジャ、もうほかの人のお嫁さ──」んになってるから。
「お前は自分の立場がわからないほど馬鹿なのか?」
俺は手をかざし、奴隷の首輪に設定を追加した。俺の命令には絶対服従、と。
ヨンジャは絶望の表情を浮かべた。「どうして、どうして」と呆然と繰り返す。
「脱げ」
ヨンジャの首に魔法陣が現れた。襟巻き蜥蜴みたいで笑えるが、これで彼女は操り人形だ。
雌猫は自ら腰のリボンをほどき、エプロンを取り払った。
涙が落ちた。止まらない。
その日から毎日のようにヨンジャを使った。
一箇月が経つころには彼女は泣かなくなっていた。悲しみを浮かべることさえない。感情の窺えない顔で命令に従う、まさしく性処理ロボットだった。
ある日の昼下がり、自室。
「ほら、飲め」
月のものが遅れてるの。おそるおそるそう伝えてきたヨンジャの頬を鷲掴みにして液体の堕胎薬を飲ませながら、ふと思う。飽きてきたな、と。
「うぐっ、うぐっ」と涙目になりながらもヨンジャはすべてを飲み干した。まぁ無理やりそそぎ込んだんだけど。
そんなことよりも新しい女だ。俺はすっかり病みつきになっていた。
幸いなことに、俺を憎からず思っている女は少なくない。今までの善行のおかげだった。情けは人のためならずということだろう。貸しを回収する時が来たんだ。したがって、これは正当な権利である。俺は何も悪くない。
舌舐めずりをして性処理女(候補)たちの顔と体を思い浮かべ、選別していく。
「アラン様……」
手始めにシスターのティナをものにした。
例のトイレに連れ込まれた時点で彼女は察したようだった。馬鹿猫のように口答えすることもなく、命じられるがままに “指定席” に跨がった。口づけと甘言をくれてやると、彼女は感極まって涙を流し、より懸命に “使命” に従事するようになった。目論見どおりだった。
程なくして静寂が訪れた。
だが、俺は不満だった。
足が悪いせいで動きがどうにも要領を得ないのだ。それに、ティナは顔面偏差値も中途半端だ。しかも今年で十八歳のはずなのに発育がイマイチで、お世辞にもシコい体とは言えない。点数をつけるなら、百点中三十点くらいか。従順なことと俺しか男を知らないことくらいしかまともな加点要素がない。ゴミだな。ほかの女がつかまらないとき用の二軍行き決定──というより、今がまさにそうだった。
それらの事実を再認識すると、夢でも見ているかのように陶然として愛おしそうに俺を見つめてくるティナに、無性に腹が立ってきた。二軍ブスのくせに何、俺の女になったみたいな顔してんだ? うざすぎ。
「アラン様が救ってくださったあの日から、わたしの心はずっとあなた様だけのものでした。けれど、叶わぬ恋と諦めてました。アラン様はお貴族様でわたしは神に仕え──」
「あーはいはい、そういうのいいから。もう下りろブス。邪魔だ」
ティナの顔に、一転、寂しそうな、悲しそうな色が広がった。
「はい……」
──という具合に俺を慕う女どもを次々に空虚な抜け殻に変えてゆき、コンプリートすると、恋情など抱いていない平民女どものことも手籠めにしはじめた。女を抱けば抱くほど新しい女が欲しくなるのだ。抗えなかった。
やり方は簡単だ。スラムでくすぶっている獣人に端金を握らせ、ターゲットを
「悪魔と関係を持ったことをバラされたくなかったら俺の玩具になれ」
こうやって脅せば一発だ。上級貴族の俺に逆らって不興を買うのも恐ろしかったのだろう。女どもは例外なくすべてを諦め、すべてを差し出した。
もちろん避妊などしなかった。禁忌を犯す高揚は胸の痛みを忘れさせ、一匹の雌を孕ませたという事実は自尊心を回復させた。わずかな期待を持って妊娠を告げてきた女に無理やり堕胎薬を飲ませるのも最高に愉快だった。
俺だってこんなこと良くないと本当はわかっていた。
けれど、やめられなかった。
俺は自分が思っていたよりもずっと弱い人間だったと思い知らされた。
ゴミスキルの術者は人格もゴミ。
俗説だと思っていたが、なかなかどうして的を射ているではないか。
そうやって自嘲してパラドキシカルに自分を慰めては、また自嘲する。ひどくくだらない日々だった。わかっていたのに、負の螺旋階段を転がり落ちていくのに抗う気力は、ついぞ湧いてこなかった。
永遠なんてない。誰もが知っている真理だろう。
ふいと螺旋階段が途切れて、雪の積もった地面に投げ出された。
凍えて痛む体に鞭打って顔を上げると、父がゴミを見るような冷たい目で俺を見下ろしていた。母も弟も、妹たちさえいた。皆、軽蔑に満ちた目をしていた。
性処理女の家族や教会関係者から告発があったと父は言った。いつもの執務室だった。
奴隷のヨンジャだけならまだしも、平民やシスターとなると貴族といえども法的責任を問われる。特にシスターに手を出したのがまずかった。平民相手だけならば罰金刑ですむが、教会関係者となるとそうはいかない。
前にも述べたが、教会法の領分になる。したがって、公爵家の権力でカバーするにも限界があった。
シスターとの姦通は、いわば神の女を寝取ったようなもの。重罪だ。本来ならば斬首と財産没収となる。
しかし、ティナが自分がアラン様の優しさに付け込んで強引に迫ったと弁護していること、例のシスター長が穏便にすませようと働きかけていること、そして教会のほうも多額の寄付をしてきた公爵家との関係の悪化を懸念しているという事情があり、俺をウィリアムズ領から永久に追放することで手打ちにしてもよいという話が持ち上がってきているようだった。
父は言った。「弁明はあるか」
俺はかぶりを振った。抵抗する気力は、やはり露ほども湧いてこなかった。
こうして罰金刑と追放が決まった。
すると、それまで黙っていた母が口を開いた。いつもの無表情だった。
「
「うむ、そうだな」父はうなずいた。
その途端、母から “魔力の縄” が伸びてきて俺を大の字に拘束した。
「や、やめてくれ!」己を植え付ける、あの
「情けない」母は忌々しげに吐き捨てた。たちまちのうちに “魔力の腕” が彼女の体から伸びてきて口を塞がれた。「最後くらい貴人らしく振る舞いなさい」
母お得意の “魔力の刃” がズボンを下着ごと切り裂く。生殖機能の危機に、子孫を残そうとする本能が必死に血潮を燃やしていた。
母は小馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、
「その粗末な陽根くらいは残して差し上げようかと思っていましたが、気が変わりました」
やめてくれ、腹を痛めて産んだ我が子がかわいくないのか。そう喚き散らしたいのに、くぐもった唸り声が洩れるばかり。
「あなたのような無様な男に女を抱く資格はありません──よろしいですね、エドワード様?」
父が興味なげに許可すると、母はやはり顔色一つ変えずに “魔力の腕” をもう一本生やし、鷲掴みにした──その刺激が引き金となった。
しかし火口から迸る直前に、すべてを根元から引きちぎられた。
「──っ!!」
あまりの痛みに一瞬、視界が赤く染まった。涙で滲む目で痛みの中心を見やる。絶望だった。
母はそれを握り潰し、ノエルに俺の股ぐらを焼くように命じた。止血のつもりらしかった。
べちゃ。
屑籠に捨てられる音を聞いたのを最後に、俺は意識を失った。
気がついた時には、ダンジョンの一室に転がされていた。少し離れた所に怒り心頭に発した様子のノエルが立っている。俺の醜態に憤っているようで、ぶちのめさなければ気持ちが収まらない、ここなら思う存分いたぶれる云々。
「あなたなんかを尊敬していた自分が恥ずかしい!」
ノエルの魔法にこっぴどくやられては回復薬をぶっかけられ、失神と覚醒を何度も繰り返した。
ふと目を覚ますと、領境に向かう馬車の中だった。そして、到着するなり蹴り出された。
以上が、俺がウィリアムズ領を追放された一部始終である。
──というふうに同盟貴族や民衆が誤解するように家族ぐるみでひと芝居打った、つまり情報を操作した、これが俺の追放の真実である。
嘘をつかないルシフが俺のことを指して “童貞” と罵っていたことからも、ヨンジャと鬼畜寝取りプレイにノリノリで興じていたあたりから虚偽が交じっていたことは察せられていたと思うが、具体的には冒頭の “前世のころから人の気持ちに敏感だった。” から全部嘘──いや、アンチアラン民の中には俺のことを上述のように考えている者も多少はいるから、そこは真実か。
それはともかく、なぜそんなことをしたか。
無論、領地の、ひいてはアルマス王国の安定のためだ。
このままいくと俺とノエルのどちらが当主になっても冷戦下の某国みたいになりかねないと憂慮した俺は、緊急の家族会議を開催し、渾身のどや顔で「俺にいい考えがある」をした。気分は “許せノ●ル、これで最後だ” である。
俺とノエル、どちらかが見るに堪えない醜態を演じて完全去勢されたのちに永久追放されたことにすれば、追放されたほうを支持していた層は自分たちが間違っていたと認めざるを得ないだろうし、まかり間違って追放されたほうを神輿にして反乱を起こそうなどという色気も出さないだろう──そういう思惑だった。
そして、その役どころは俺が演じるべきだと主張した。“
教会が関係するシーンだが、口裏を合わせる必要はない。そもそも事実無根なのだから教会は問い質されても関与を否認するだろう。それで問題ないのだ。周りは、“法を都合良く曲げて適用したのを認められないから否認しているんだな” と勝手に誤解する。ウィリアムズ家が教会との取引を否認すれば、その思い込みはより強固なものとなる。シスターとの姦通がなかったとすると、表向きの追放理由が、“複数の平民女性をおよそ一年間にわたって強姦し、何度も強制的に堕胎させたこと” となるが、これだけでも問題ない。普通に犯罪だし、貴族の威信を損なう行為だし。
被害者女性についても基本的には協力は不要だ。彼女たちの名誉と今後のために個人名は伏せる、とでも言えば野次馬も引き下がらざるを得ないだろう。
では、俺に近しかった女性同士で真相を探り合ったらどうなるかと言うと、互いの言葉の真偽を見極める術がない限り白になることはない。仮にそんな便利なスキルなりがあったとしても、自分たちの知らない女性が被害に遭ったのかもしれないという疑念は永遠に付いて回る。やはり白にはならない。
ただ、被害に遭ったことを匂わす女性が一人もいないと信憑性に欠けるだろうから、ヨンジャをはじめ何人かの女性には “被害者役” をお願いした。快く、とはいかなかったが、引き受けてはくれた。
また、ティナにも事前に話を通してある。噂の域から出るわけではないが、
家族会議では、まず父が同意した。
情よりも理を優先する彼らしい。
それに追従するように母が首を縦に振った。
淑女たる者、
妹ズは口を出す権利がなかったからスキップ。
そしてノエルだが、
「そんなのズルいですよ!」
もう十四歳だというのに、随分と子供っぽい口調だった。
「そんなの勝ち逃げではないですか! 僕は兄上に勝ちたいのです! ちゃんと戦ってちゃんと勝ちたい! あなたはいつだって
ノエルは、キッ! と俺を睨みつけた。その瞳には決意の炎が宿って見えた。
え、何か嫌な予感が──
「兄上はずっと僕の憧れでした。そしてそれ以上に、どうしても認められない、倒さなければならない悪役です!!」
「待て落ち着──」け。
「僕、ノエル・ウィリアムズは兄、アラン・ウィリアムズに決闘を申し込む!!」
「普通に無理。勝負にならないって、お兄ちゃん死んじゃうって」
「僕も無理です!! 無理が無理です!!」
子供か!!
俺は父に目で助けを求めた。
父は、医師が末期癌の患者にするように難しい顔でかぶりを振った。しかし口元がにやけかけているのを俺は見逃さなかった。ちっ。
俺は父を見限って母を見た。
「おもしろそうですね。やってみたらどうですか?
負けたほうは出ていくのでしょう? それならば死んでもいいではないですか。我々は困りませんよ」
ちくしょう! このクソババア、ナチュラルボーンクレイジーサイコバーサーカーの気があるんだった! カタカナなげぇよ! ひらがなの心はないんか?!
妹ちゃん!!
俺は十一歳の一卵性双生児にすがった。
妹ちゃんズはお兄ちゃんの味方だよな!? 一緒にネットミームで遊んだもんな?!
「アラン兄が悪いよ、アラン兄が」「ノエル兄いつもわたしらに愚痴ってたし、残念でもないし当然」
「……」
俺は観念した。
こうして偽装追放劇のシナリオに、一族の恥さらしの兄がノエルにボコられるざまぁシーンが雑に加筆されたってわけ!
以上! クソナガ過去回想終わり!