夕方に移ろいつつあるころ。
未開拓地から生還して城壁の門をくぐると、バロン辺境伯に仕える家令──県庁職員みたいな感じ──が出迎えた。その顔はひどく強張っていた。周りの衛兵も色めき立っている。
黒髪を総髪にした四十路絡みのその家令は、ちらりと俺を見ると、
「殿、非常に重要なご報告があります。城に戻り次第、詳細をお伝えしますゆえ、お急ぎください」
ウィリアムズ領に隣接する領地に放っている草の者から伝書鳩なりで情報が伝達されたのだろう。
バロンはガハハッと笑うこともなく、片方の眉を持ち上げて驚きを露わにした。「ここでは言えぬほどの大事か」
ウィリアムズ領壊滅のことは誰にも伝えていない。追放された俺が〈以信伝心〉のユーザに登録されていたと知れると偽装に綻びが生じるからだ──皆、死んでしまった今となっては、どれほどの意味があるかはわからないけれど。
家令は険しい顔のままうなずいた。
「国家存亡に関わるやもしれませぬ」
バロンたちと別れ、宿に戻って荷物を置いた俺は、ミスティとレオノールに、
「ちょっと出てくる」
「いつお戻りになりますか?」ミスティが問う。
「そう遅くならないよ。少し一人になりたいんだ」
ミスティはうっすらと怪訝の色を滲ませたけれど、「わかりました。お気をつけて」
レオノールが訳知り顔で、うんうんとうなずく。「男子には一人の時間が必要だものな」
「まぁ」今はそういうんじゃないが、「そんな感じ」
今日の仕事を終えて晴れ晴れとした顔の人が増えつつある城下町を歩き、辿り着いたのは教会前の広場だった。その一角に設えられたベンチに座ると、やたらと尖った塔がにょきにょきと
玉虫色のステンドグラスが西陽に映えているのを見るともなく見ていると、黒いケープを着てフードを深く被った、いかにも悪の組織に所属してそうな怪しい風体の人物が断りもなくどっかと隣に腰を下ろした。背凭れに腕を回して長い脚を組むと、
「よう、カス野郎、“粋な計らい的なやつ” をしに来てやったぜ」
驚愕してその顔をまじまじと見る俺に、ギャハハと唇の片方の端を吊り上げて笑うその不審者は、この世界を創造した銀髪褐色長身爆乳金眼美貌の女神、ルシフ・サターンデュその人だった。
「おまっ、こんなとこに降臨すんなよ!」俺は囁き声で叫んだ。
およそ4300年ぶりの降臨だとかそういうサプライズするタイプだったんだだとか宗教画に描かれてたまんまの爆乳だな──推定I75──だとかいいにおいして悔しいだとかそんなことよりも教会の目の前に現れるその図太すぎる神経に物申したかった。バレたら広場は蜂の巣に火炎瓶を投げたような狂騒に陥るだろう。怪我人も出るに違いない。
「フード被ってっから大丈夫だろ」ルシフは軽い調子で言う。「そうビビんなよ。わりぃことってのは堂々とやれば案外バレねぇもんなんだぜ?」
悪い遊びに誘う先輩かよ。
はぁ。溜め息をつく。
たしかに、とは思う。〈神スキル〉の効果は〈オレと会話できる。〉だし、ステータス画面越しの会話に限定するような発言はしていなかったから、こういうパターンが含まれていても不整合はない。
しかしTPOは選んでほしいものである。
俺はルシフの手首を取り、路地裏へと引っ張っていった。鼠がぎょっとしたように駆け出し、逃げてゆく。
「おいおい、こんな暗がりに連れ込んでナニするつもりだぁ?」
身長180センチオーバーの高みからニヤケ面で見下ろしてくる。
ぎりぎり170センチの低みから見返し、
「──で、粋な計らいってのは何なんだ?」
ルシフは軽く肩を竦めると、フードを上げた。白銀の髪が小暗い路地に光の粉を散らす。物理的に発光してやがる。
俺が手を伸ばしてフードを被せると、ルシフは小馬鹿にするように鼻を鳴らし、立ったまま壁に凭れて腕を組んだ。ベジー●スタイルだ。
「二つある。一つは爆美女であるオレ様が会いに来てやったこと、そしてもう一つは賃貸借契約の抜け道についてだ」
「抜け道?」
ルシフは首肯した。
「〈神スキル〉の裏効果は、善行ポイントを対価に神の贋作シリーズを賃貸借する権限の取得だが、その対価、要するに消費ポイント数はオレの胸三寸で決まる」
「まぁ契約ってそういうものだし」抜け道というほどではない。「つまり、交渉の余地があるって言いたいのか?」
ルシフは再びうなずき、
「お前、今、金欠だろ?」
善行ポイントの枯渇のことを言っているのだろう。賃貸借契約の強制終了から特に何もしていないから増えていないはずだった。
「もしも」とルシフは歯を覗かせる。その黄金の双眸が嗜虐的に笑っている。「オレの出す条件が呑めるなら大幅に負けてやる」
「……」嫌な予感しかしない。あのルシフが減額を認める? どんな無理難題をふっかけられるのか。「一応聞くだけ聞くが、その条件とは?」
「正義ぶるのをやめろ」
「なぜ」
と問うが、その答えは予想できていた。
果たして、
「気に入らねぇからだ」と言う。「てめぇの言う正義ってのは要するに、博愛主義と遵法主義の折衷案的思想のことなんだろ? 政治的に言やぁ、個人のエゴを制限して公益と相互扶助を確保する、人類規模での友愛国家的自由主義、経済的には修正資本主義って感じか」
「おかしいか?」
「おかしいかどうかなんて話はしてねぇよカス。オレの趣味じゃねぇって言ってんだ。
殺したけりゃ殺し、奪いたきゃ奪う。ヤりたくなったら赤子だろうと親だろうと犯し、都合が悪くなったらオーバードーズでもして気持ち良く自殺する──そういう無法のが見てて愉しいんだよ」
「それを俺にやれと? 無理な注文だな」
「無理?」ルシフは心底不思議そうに目を大きくした。「なぜ?」
「なぜって──」
「てめぇだって望んでんだろ。
どす黒い憎悪とどでけぇ殺意に任せ、法も倫理も全部シカトして気に食わねぇやつらをぶち殺してぇってな。今も、そして前世でだってそうだった」
反論しようと薄く開いた口に、親指を突っ込まれた。内と外から頬肉を鷲掴みにされる。
「てめぇはいつも誰かのため、みんなのためと言って
掴まれた頬を引っ張られ、体ごとルシフに引き寄せられる。シルエットがまじり合い、彼女の息遣いが耳元に聞こえる。
「認めろ。てめぇは悪だ。
そして誓え。これからは自分を偽らずに殺し、奪い、犯して生きると」
「……ふっ」失笑が洩れた。
ああん? と柄悪く訝しむ神の指を口から引き抜き、
「認めるも何も、俺は自分を正義だなんて思ってない。俺は悪だよ。そんなの、言われるまでもなく知ってるさ」
「言ってること矛盾してんじゃねぇか」
「いいや、矛盾してない──俺のロジックではな」
◆
「お父さんは?」
一番古い記憶は、まだ幼稚園にも入っていないころ、母に尋ねるシーンだ。
今日も暑くなりそうな目映い陽光の差し込む夏の朝のことだった。
総合レジャー施設に家族で出掛ける予定だったのに、父の姿が見えない。胸騒ぎがした。
まるで出掛ける予定など初めからなかったかのような日常的な様子でテレビを見ていた母は、俺を見て場都合の悪そうな顔をした。
「お父さんは大事なお仕事があって行っちゃったわ。遊園地はまた今度ね」
俺は絶望し、ギャン泣きした。床を転げ回って父を召喚しろと喚き散らした。
しかし母は、「朝ごはん、ワクドナルドにしてあげるから転がるのをやめなさい」などと舐めたことを抜かして取り合ってくれなかった。
そんな数百円のもので重大な裏切り行為の “ケジメ” になるわけがない。子供心にもそんなふうに思った俺は一段と気合いを入れて勢い良く転がり、遺憾の意を猛アピールした。せめてちょっとお高い回転寿司(皿制限なし、玩具付き)くらいは引き出したかった。
「タンスの角に頭ぶつけるわよ──あっ、ほら言わんこっちゃない。うわぁ、血だらだらじゃない。随分と景気良くいったわねぇ」
前世の父は、地元の警察署に勤務する警察官だった。強行犯係に所属して殺人犯などを追う、いわゆる刑事というやつだ。
休みでも構わず呼び出され、有給も取りづらく、パワハラ&セクハラ体質そして身内贔屓の隠蔽文化が根付き、おまけに命の危機さえ完備した、ヤクザとタイマン張れる最高に
ストレスのせいか、三十路前なのに前髪が後退し、頭頂部が薄くなってきていた父を、しかし俺は尊敬していた。ニチアサの戦隊ものに出てくる、暴力と爆発ですべてを解決する正義のヒーローのように思っていたのだ。ランドセルを背負うころには、自分も大人になったら警察官になりたいと思うようになっていた。
俺が生まれ、暮らしていたのは、東北の海沿いにある中途半端な町だった。ガチ田舎というほど不便ではないが、都会とはノコギリで口をぐちゃぐちゃに裂かれても言えない。そんな、田舎特有の陰湿さと都会特有の無関心が両立した穏やかで不気味な町だった。
小学二年生になって少しすると、町から日本列島にかけて衝撃が走った。
子供を狙った猟奇殺人が発生したのだ。
犠牲者は小学二年生の女子で、海沿いの廃工場で発見された。その遺体は、膣口から喉までをまっすぐに裂かれ、
視聴者の下衆なニーズに応えるべく、ローカル局もキー局もその凄惨な死に様を大々的に報じた。生前の顔写真や遺族のインタビューをしつこく流し、謎の有識者の分析や推理が盛んに披露された。
しかし、犯人の尻尾を捉えることはできなかった。地元署の強行犯係として特別捜査本部に召集されていた父も、なかなか家に帰らせてもらえない日々が続いていた。
一箇月が経ち、人々の関心も薄れたころ、関西の町で子供の遺体が発見された。今度は男児だった。小さなペニスは内から焼かれており、つまり熱した鉄の棒を尿道に挿入されたとおぼしき火傷があり、肛門はもっと悲惨で、鉄パイプほどはあろうかという鉄の棒をすっぽりと挿入され、臓腑を焼かれながら掻き回されていた。頭部にある “穴” も同様だった。洩れなく熱した鉄の棒を突き入れられていた──こちらは絶命後に為されたようだった。
当初は無関係の犯人によるものと思われていたが、三人目の被害者──今度は関東だった──が出てきて、一連の児童猟奇殺人は同一犯による連続殺人ではないかという声が強くなってゆき、九州の少女が
何となれば、未公開の共通項があったからだ。
親から虐待されている、又はその疑いの濃い子供ばかりを狙っていたのだ。そのような子は “普通” の振る舞いが難しく、それゆえコミュニティーから孤立しがちで拐いやすいからだった。もちろん、虐待を隠したい親も通報したがらない。最高に都合のいい獲物だった。
加えて、証拠を残さない手腕も高く、警察の捜査手法に精通した犯人像が浮かび上がってきていた。
解決のきっかけは仲間割れだった。
そう、犯人は共犯だったのだ。
七人目の被害者の少年と交わった犯行グループの女が、その少年のことを気に入ってしまった。
少年は幼いながらに美しく、親から “売り” を強要されており、人の愛欲を操る術に長けていた。その女が
薄々感づきながらも
しかし、リスクマネジメントの観点から生かしておくなど論外と切って捨てられた。少年は、爪を剥がされ、皮を剥がされ、筋組織を剥がされ、殺害された。女に許されたのは彼の陰茎と睾丸を食することだけだった。
それで一件落着、めでたしめでたしとなればよかったのだが、女の胸裏には仲間に対する憎悪の念が芽生えていた。
やがてその怨念は真っ赤な花を咲かせた。仲間の一人を殺害したのだ。
共犯者全員で協力して為されたものと違い、その証拠隠滅には綻びがあった。
警察は発情期の雄猫のように女の家に殺到し、問答無用で私物を押収した。
女の携帯電話には連続児童猟奇殺人への関与を疑わせるメッセージ履歴が残されていた。
一年近く経っても解決できずに世間からひどく叩かれていた警察に手段を選ぶ余裕などなかった。女は、戦後の混乱期でもぎりぎりアウトになりかねない拷問紛いの取調べを受け──と囁かれていた──自白させられた。
程なくしてすべての犯人がお縄についた。
犯行の動機についてだが、子供を惨たらしく殺したかったから、というそれだけの理由だった。その手の人が集うダークウェブ上のサイトで知り合い、
「赤の他人のために自分を犠牲にして死んだように生きるくらいなら、リスクを取ってでも子供を殺し、一時だけでも満たされたかった。我々は我々の幸福のために最善を尽くした。人として正しいことをしたと自負している。後悔も反省もない」
犯行グループのリーダー格だった男は、裁判でそのように語っていたという。
というか、その男は父だった。
信じられなかった。信じたくなかった。
けれど、それが現実だった。
加害者いじめ、そして加害者家族いじめが始まった。
事件の内容が内容だけに怒りが収まらないという人が少なくなかったようで──あるいは上等な免罪符だったのだろう──私刑は苛烈を極めた。母も俺もネットにさらされ、時には暴行を加えられることさえあった。
母は見る間にやつれてゆき、ある日忽然と失踪した。
俺は母方の祖父母に引き取られ、引きこもるようになった。
人生を悲観してそうしたわけじゃない。ほとぼりが冷めるまで身を潜めなさいと祖父母に助言されたからだった。人間の感情は時が経てば薄れてゆくものだから、と。
障子を閉め切った築深の一室で退屈な日々を過ごしながら、いろいろなことを考えた。
とりわけ時間を割かれたのは、自分は父と同じような人間なのではないか、という疑念に対する反論だった。
俺には、子供を殺すことを生きる意味としていた男の──シリアルキラーの血が流れている。人を殺したいとは思わないが、そういう精神的な危うさはあるのではないか。俺もやがては父と同じ道を辿るのではないか。
遺伝がすべてを決めるわけではない。
しかし、その影響力は決して小さくない。
俺の本質は悪なのではないか。どう足掻こうとも救われない悪。
俺のケツを掘った男も言っていた。
「お前みたいな生まれながらのクズに人権なんかねぇんだよ。どうせお前も親父と一緒の最低最悪な犯罪者になる。人間ってのはそういうふうにできてんだ。俺はそんなお前を有効活用してやってんだ。ありがたく思え」
生まれながらのクズ──その言葉が耳にこびりついて離れなかった。
この穴蔵から出て自由になったら屑の本能に突き動かされて誰かを傷つけるかもしれない──どんなに理屈を拵えて否定しても、その、強迫観念めいた不安は消えてくれなかった。
だからといって、祖父母の厚意に甘えて引きこもりつづけるわけにはいかない。
俺は中学に上がるのに合わせて社会復帰を果たした。
祖父母の年の功は正しく、いじめは昔ほどではなくなっていた。父の死刑判決が確定したことも善良なる人々の溜飲を下げたのだろう。
しかし、完全に無くなったわけではなかった。
入学から三日と経たずに全校生徒からシカトされるようになったし、教師たちも必要最低限しか関わろうとしてこなかった。凶悪犯の息子へのいじめの対処など面倒事の極みだ。ただでさえ忙しいのにシカトくらいで動きたくなかったのだろう。
孤立は怖くなかった。
俺が恐れていたのは俺の中に眠っているかもしれない悪が目覚めてしまうことだけだった。いるかもわからない幽霊を恐れるように、疑心が生み出した悪鬼に怯えていた。
だから俺は、それを否定するために誰よりも正しくあろうとした。常に自分を厳しく律し、どんなに蔑まれても人を憎まなかった。自分の善性を証明しつづけて安心しようとしていたのだ。
結局、悪鬼が顔を覗かせないまま、しかし孤立も解消されないまま中学校を卒業した。
高校でも状況は変わらなかった。
やることと言えば、勉強と星を眺めることくらいだった。
星……別にロマンチストというわけじゃなく、天文部だったのだ。俺の通っていた高校は、部活強制という旧来的な校則が現役だった。部活なんかやりたくない、又はやれない生徒たちの救済措置としての幽霊部員収容所、それが天文部だ。どの部活からも歓迎されない俺は、必然的に天文部員になった。
放課後になると、図書館に行って勉強するか、天文部の部室に行って天体図鑑を眺めるのだ。……部室の隅で埃を被っていた望遠鏡ケースを開けたことはなかった。
彼女が現れるまでは。
『巨大衝突説、確定か』
ネット記事の見出しに目を留めた。
月の誕生に関してはいくつか仮説があったが、その中では巨大衝突説が最も信憑性が高かった。
この説は、原始の地球にどでかい天体がぶつかってきて、その際に飛び散った物質が集まって月になったとする。
しかし矛盾もあった。
アポロ計画で採取された月のサンプルの同位体比(ちょっと変わった原子の割合)を分析したところ、地球とほぼ完全に一致した。しかし、コンピュータを用いたシミュレーションでは、衝突してきた天体の欠片をメイン材料として月が形成されたと計算されていた。
つまり、同位体比から結論すると地球の欠片が月を作ったとなる一方で、シミュレーションから結論すると衝突してきた天体の欠片が月を作ったとなってしまうのだ。
スマートフォンをタップし、ネット記事を開く。昼休みの屋上だった。フェンスに凭れて座り、ぼっち飯を満喫しながら天文部らしいことをしようとしていた。
その記事によると、天体が衝突してきた時、原始地球はマグマオーシャンに覆われていたという。マグマオーシャンとは、ちっこい惑星が地球にぶつかりまくり、そのエネルギーでアチアチにされた地球のお肌がドロドロに溶けてできたマグマの海のことだ。たぶん地球はキレてたんだと思う。
この状態の地球に巨大な天体が衝突した場合、地球を覆っていたマグマが大量に宇宙空間へ飛び散り、月のメイン材料になる──マグマオーシャンを条件に入れ、最新のスーパーコンピュータで改めてシミュレーションしてみるとそのような解が得られた。
そして、先日持ち帰られた月のサンプル(側面や裏側を含む)によりその解が傍証された。
これにより従来の巨大衝突説が抱える矛盾が解消され、定説レースの勝敗はほとんど決したという。
「ふうん」
俺はタブを閉じた。すごいことなのだろうが、興味がなかった。天文部だからまぁ一応目を通しておくか、というような惰性的な義務感で読んだにすぎない。
ふと、すらりとした生足が俺の前に立った。顔を上げると、クラスメイトの
「望遠鏡」と彼女は言った。「貸して」
七瀬は変わり者だった。
頭脳は天才的に優れているが、気が向いた時にしか授業やテストを真面目に受けなかったり、イマジナリーフレンドが上京したからという理由で一週間も学校を休んだり、ゴミ拾いボランティアがあるならポイ捨てボランティアもなければおかしいなどと意味不明な供述をし町にゴミを撒き散らして補導されたりと、変人伝説に事欠かない。当然のように人目を意に介さず自分軸100%で生きていて、親しい友人も彼氏もいないようだった。選択的ぼっちである。独我論に半身浴しているのではないかと俺は密かに疑っていた。
そんな七瀬だからなのだろう。
俺のことも何とも思っていないに違いなく、同調圧力にも屈しない。必要があれば話しかけるのも厭わない。
「先生が許可したらな」
俺が言うと、
「その先生があなたに聞けと言ったのよ」
「いつ渡せばいい?」
「今夜ここで使う」
「ここ? 屋上で観測するつもりなのか?」
七瀬は屈託なくうなずいた。
「その許可は?」
「そんなものない」悪びれる様子ゼロ。
「じゃ駄目だ」
「ピッキングには自信がある。心配要らない」
「そういう問題じゃない。不法侵入は認められない」
「だったら今から許可を取ってきて」
「何で俺が」
「天文部員のほうが許可されやすいと思う」
たしかに、と納得してしまった俺は、はたと気づいた。
「それって俺も参加するってことか?」
「どっちでもいい」
「でも先生は天文部員の俺を信用して許可を出すんだよな? それで俺が参加しないのは詐欺じゃないか?」
「そう思うなら参加すればいい。わたしは構わない」
「まぁそれもそうか」
口車に乗せられたような気がしていたが、俺はあえて指摘はしなかった。
というよりも、
「七瀬って、意外と寂しがり屋なのか?」
俺を巻き込む前提の言動もそうだし、イマジナリーフレンド云々も整合する。ポイ捨てボランティアも構ってほしかっただけだった。天才ゆえに変なプライドがあり素直に言い出せなかったのだ──そういう解釈も可能だろう。
「そんなことはない」
七瀬は硬い声音でぶっきらぼうに否定したが、耳たぶがじわじわと赤くなってゆく。「論拠のない憶測はやめて」
「ああ、そう」
俺は見なかったふりをして立ち上がった。ケツをパンパンして土埃をほろう。
肩を並べて職員室に向かいながら天体観測を思い立った理由を尋ねると、巨大衝突説という単語が出てきた。例のネット記事を見て、
「宇宙に興味が湧いてきたのよ」
ということらしかった。
ミーハー属性まであるのかもしれない。七瀬のことは気難しくて取っつきにくいステレオタイプな天才キャラだと思っていたが、
「普通の女の子だったんだな」
「馬鹿にしてる?」
七瀬はその細い鼻梁に不快そうにしわを寄せたが、これは明らかにポーズだった。口元が緩みかけていたから。
結論から言うと、その夜に天体観測は敢行されなかった。曇りの予報だったことを職員室の引き戸を開けたところで思い出したからだ。
ただ、その夜から七瀬と話すようになった。
父の事件以来の、久しぶりの友達だった。俺は嬉しかったし、七瀬も内心では喜んでいたと思う。
やがて友達以上恋人未満めいたくすぐったい空気が俺たちの間に漂いはじめ、唇の皮膚がかすかに触れるだけの淡い口づけを交わしたころ、状況が変わった。
いじめが悪化したのだ。
靴箱にゴミを詰め込まれたり、黒板に誹謗中傷を書かれたりといった陳腐なものから、ネットに俺の近況をさらすという凶悪犯罪者の息子特有のものまで網羅していた。
そして、それは七瀬にも及んだ。
かつての母がそうだったように、俺のような屑に股を開く女は同じ穴の
おそらく俺が楽しそうにしているのが気に食わなかったのだろう。性被害者の人が、事件について口外しないという示談なりの契約を無視してでも加害者の名誉を毀損したり、その成功の足を引っ張ろうとしたりすることがあるが、いじめっ子たちの感覚としてはそれが近かったのだろう。悪いやつはただただ惨めに生きなければならないという、あるいは嫉妬心まじりの正義感に由来する主張だ。
ほかには、断罪による快楽物質を求めての純然たる動物的行動だった可能性もあるか。道端で見かけた美少女を衝動的にレイプするロリコンと一緒ってことだ。
ある夜のこと、俺は七瀬に電話を掛けると、別れを切り出した。付き合っていたかは微妙なところだったが、とにかく、
「もう俺と関わらないでくれ」
と頼んだ。「それがお互いのためだ」
「嫌」七瀬は認めなかった。「わたしは大丈夫」
結局、俺が折れた。スマホ越しに涙の気配を感じたからだった。七瀬のぬくもりを手放したくないという甘えもあった。
しかし、それが間違いだった。あの時、心を鬼にしてでも七瀬を突き放していればよかったと今でも後悔している。
いじめは続き、七瀬はどんどん弱っていった。話していても上の空なことが増え、
「ごめん、今日は疲れてて早く帰りたいから」
別々に下校することも、
「今度の土日は会えない。体調悪くて」
休日に顔を合わせられないことも増えていった。
俺にできることはないか尋ねても、
「ありがとう。でも大丈夫」
やんわりと拒絶されるだけ。
そんなもどかしい日々が続き、初雪が降りそうで降らない冬の日の深夜、七瀬は首を吊って自殺した。
その直前、
『ごめんね』
というメッセージが届いていたのに気づいたのは朝になってからだった。
遺書の類いはなく思春期特有の精神的な不安定さが原因の自殺と警察は処理したようだが、いじめを苦にして、ということなのは明白だった。
しかし、釈然としなかった。
七瀬が何かを隠しているようにも見えていたからだ。学校でされていること以外にも俺の知らない何かがあったのではないか。
そう思った俺は独自に調査を始めた。七瀬やいじめの主犯格つまりクラスのリーダー格のグループが行きそうな所を回り、聞き込みをした。
その結果、主犯格のグループが七瀬を連れ歩いていたという目撃情報が複数得られた。
そのうちの一つに、カラオケ屋に入っていくのを見たというものがあった。そこは、金のない不良がラブホテル代わりにしていると噂されている所らしかった。店員に聞くと、よく来店してましたよ、と興味なげな顔つきで認めた。
確信した。七瀬は輪姦されていたのだ。何度も何度も。
おそらく行為を撮影した動画をネタに脅され、逆らえなかったのだろう。俺に気を使って相談することもできず独りで抱え込み、そして決壊した。あるいは、永遠に性奴隷として生きなければならないと考え、人生に絶望したのかもしれない。
明確な殺意がふつふつと湧き上がってくるのを自覚した。主犯格のグループはもちろん、黙認してきた生徒も皆殺しにしてやりたかった。
思いつく限りの残虐な方法で徹底的に苦しめて苦しめて苦しめて生まれたことを後悔させ、惨たらしく殺してやろう──そう決意しかけ、ハッとした。
俺のやろうとしていることは父と同じではないか。
いつかのホモ野郎の言葉が耳に蘇る。
“どうせお前も親父と一緒の最低最悪な犯罪者になる。人間ってのはそういうふうにできてんだ”
危うくそのとおりになるところだったが、俺は踏みとどまった。
正攻法で法的制裁を加える。それが唯一の正しい道だと信じて決定的な証拠を捜した。
しかし、そんなものはなかった。手詰まりだった。
冬休みが明けると、主犯格のグループに呼び出された。高校の近くの廃墟だった。
「お前、俺らのこと嗅ぎ回ってるんだってな」
ボスの男子、
俺は彼を睨みつけた。
「だったら何だ」
突然、横からどつかれた。別の男子が靴の裏で蹴りつけてきたのだ。
よろけるが、転びはしなかった。
「あー、おしいー」女子のリーダー格が言うと、取り巻きの甲高い嘲笑が響く。
「調子乗んな。立場弁えろや」ヤクザキックの男子はガンを垂れて言った。
尖崎はにやついて言う。
「七瀬のことで難癖つけようとしてんだろ?」
「難癖じゃないだろ! お前らが七瀬を輪姦してたことは明らかだろうが!」
クスクス、クスクス──女どもの忍び笑いが耳につく。
「証拠はあるのか?」尖崎はいけしゃあしゃあと
言葉を詰まらせた。カラオケ屋に入っていくところの目撃証言だけでは弱い。
「ないんだろ? 難癖じゃん」
何も言い返せなかった。
「わかったんなら警察ごっこはもうやめろ。鬱陶しいんだよ」
言ってることは向こうが正しい。うなずくよりほかはなかった。
高校を卒業した俺は、警察官になった。
正義という呪縛はまだ続いていた。正しいことをしつづけなければならない。だからこの職業を選んだ。
奇しくも、父と同じように交番勤務から強行犯係へと配属され、二十代で刑事となった。
仕事自体は概ね順調だった。多少融通の利かないきらいはあるが真面目で優秀な警察官、という評価だったように思う。というか、上司や先輩にそう言われていた。
ただ、このころには何が正義なのかわからなくなってきていた。
犯罪者とされた人たちの背景や事情を知れば知るほど、適法に生きるのがどうしても難しい場合があると理解させられた。
しかし、罪を罰しなければ社会が崩壊する。大多数のまともな人たちを守るために、責任論を緩やかに解釈し、少数のまともでない人たちを暴力で排除しなければならない。それが、俺が自分で選んだ仕事だ。
要は、多数決なのだ。
正義ないし倫理とは、マジョリティーにとって都合のいいことの最大公約数を言語化したものにすぎない。
人間は社会的動物だからそれで何も問題ない。
そう思う一方で、その最大公約数から外れたところに好きで生まれたわけではないという事実を軽視し、あるいは無視して結果責任主義的に悪と看做すのには違和感があった。本人は何の選択もしていない。ただ押しつけられただけだ。
罪を憎んで人を憎まず。それでいいではないか。その人は悪ではないが、その行為が悪なのだ。
そんなふうに考えようとしても詭弁としか思えなかった。人と行為を分離しても絞首台に送られるのは結局のところ人だ。それは大多数の見送る側の罪悪感を誤魔化すための方便にはなっても、期待可能性のない人物を貶め、殺していい論拠にはなっていない。
やはり多数決という答えに行き着く。マジョリティーの都合がすべてなのだ。それが正義の正体。それでいい。もうこんなことばかり考えるのは疲れた。
……もしも多数決が正義の論拠たりえるのだとすれば、マイノリティーが自らに正当性を付与するために、核なり化学兵器なりを使ってマジョリティーを皆殺しにするのも正義と看做さなければならなくなるのではないか。
虐殺が進んで数が逆転した時点で元マイノリティーは正義となる。その正義を実現するために必要な犠牲だったと主張されたら、多数決社会では反駁のしようがない。その元マイノリティーが正義であるという前提条件で論を展開しなければならないからだ。
多数決は虐殺を肯定し、惹起する。
机上論だ。マイノリティーがそのようなことを企てたとしても鎮圧されるのがオチだ。正義にはなりえず、虐殺も肯定されない。
あれ、と思い及ぶ。マジョリティーの鎮圧はマイノリティーの虐殺と同じなのではないか。どちらも自分たちの都合で他者に暴力を振るっている。邪魔者を無理やり排除している。であれば、やはり虐殺は正義である。
自分の幸福のための加害行為が正義ならば、父も正義で、七瀬を死に追いやったあいつらも正義。ちょっと最大公約数から遠いところにあって不都合だから便宜的に悪ということにされているだけで、紛れもなく正義……。
そんな馬鹿な。
しかし、すっきりとした反駁はできなかった。
やがて俺は二元論を諦め、正義と悪は本質的に同一であるということを認めた。あまりにも陳腐な結論だったが、それが真実だった。
俺は悪である。あの父親と何も変わらない。
だが、より多くの幸福を守るために必要な悪だ。だから赦されるのだ。
──そんなふうに理性では判断したものの、心のどこかでは未練たらしく正義を求めていた。純粋で、絶対的な正義を。
驚くべきことが起こった。
七瀬をいじめていたあのボス男子、尖崎が逮捕されたのだ。七瀬の件ではない。罪状は連続殺人だ。
取調室で再会した尖崎は、不敵を張りつけたような歪な顔つきをしていた。
とはいえ、
尖崎は地元の大学病院で医師をしていた。
彼は独自の優生思想に従い、障害者や高齢者、低所得者、前科者そしてそういう人たちの直系自然血族を殺していった。それが正しいことだと確信している、本来の意味での確信犯だった。
尖崎と個人的な話をしたのは、“引き当たり” と言われる捜査の時だった。これは、被疑者を現場に連れていき、犯行の流れなどを確認するものだ。
そこは、田舎の郊外によくある、土地を贅沢に使った飲食店が疎らに並ぶ四車線道路だった。その脇に広がる私有林が、“正義執行” の現場の一つらしかった。
繁茂するブナの間にわらわらと入り込み、尖崎に説明させ、犯行の動きを再現させる。
それがひととおり終わったところで、俺と尖崎の周りから捜査員が
すると、尖崎がぽつりと言った。
「七瀬はもったいなかったな」
はっとして視線をやると、頬を歪めて笑った。
「頭もアソコの具合もいい女だったのに、お前なんかと関わったせいで犬死にしてしまった」
心臓が爆発したかのように大きく脈動し、そのまま早鐘を打ち出す。腰縄を持つ手が震える。
やはりこの男は七瀬を強姦していたのだ。
しかしなぜ今になって。
死刑を免れない身でもできる範囲で “悪” を攻撃しようとしたのだろうか。単に、半ば自暴自棄になって八つ当たりしているのだろうか。
あるいは──
極度の怒りで視界がぐらぐらと揺れる。憎悪が灼熱の奔流となって体中の血管を駆け巡る。
「どうした、人でも殺しそうな目してるぞ」尖崎が揶揄するように言う。「らしくなってきたなぁ?」
──俺に自分を殺させて、殺人鬼の息子はやはり人殺しになるのだと世に知らしめようとしているのか。
であれば、この自白めいた言葉は嘘か?
いや、わからない。証拠が足りなくて判断できない。判断すべきではない。
それなのに、憎しみが抑えられなかった。
確証バイアスかもしれない。わかっている。それなのに、冷静になれない。尖崎たちが凌辱していたとすると辻褄が合うという事実が激情を煽っていた。もはや尖崎の犯行は確定事項になってしまっていた。
赦せない。
七瀬は俺に安らぎを与えてくれた。血に囚われ、正義に操られるだけの人形だった俺を人間にしてくれた。救ってくれた。彼女は確かに俺の世界の救世主だった。そんな彼女を……この男は!
憎い。殺したい。すべてを失ってもいい。こいつを殺せるなら正義も悪もどうでもいい。ただ殺したい。この男だけは俺がこの手で──
「──」
俺の名を呼ぶ声に気づいて我に返った。先輩の刑事だった。
「署に戻るぞ」
路肩に駐めた警察車両のほうへぞろぞろと移動する。
林側の後部ドアを開けようとした。しかし、ガチャガチャと鳴るばかりで開かない。壊れたのだろうか?
仕方ないから道路側に回り込んだ、その時だった。
「おい! 気をつけろ!」
怒声めいた警告が少し離れた所から上がった。
見れば、長距離輸送で使用される積載量15トン級の大型トラックが高速でもアウトな猛スピードで俺たちのほうへ突撃してきていた。
明らかに尋常ではない。居眠りか、飲酒か、急性薬物中毒や何らかの発作の可能性もある。
取り締まる以前にまず回避しなければ。
警官たちが一斉に散ってゆく。俺も行こうとして、手にしていた腰縄が引かれた。
逃げる警官とぶつかった尖崎が転倒したのだ。
腰縄は被疑者の臍の辺りで手錠と繋がっている。腕の可動域が制限された尖崎は、焦りもあってか上手く起き上がれないようだった。
トラックはもうそこまで来ていた。
持っている腰縄を放して逃げれば俺は確実に助かる。
尖崎は屑だ。見捨てられて当然だろう。因果応報というやつだ──そんなふうに思う気持ちは確かにあった。
しかし、体は救出へと向かっていた。
一歩踏み出した時点で、もはや頭では何も考えていなかった。ただ、助けられる命は助けたいという、胸の最奥から湧き上がってくる思いに突き動かされていた。犯罪者は正しく裁かれなければならないだとか、そんなことも考えていなかった。純粋に、ただ助けたかった。
「お前……」
困惑したような、唖然としたような尖崎の呟きを聞いたような気がしたが、定かではない。無我夢中で彼の服を掴んで立たせると、力の限り林のほうへ押しやった。
次の瞬間、衝撃が体を打った。全身がバラバラになったかと思ったし、骨に関しては実際にそうだっただろう。内臓も破裂していたに違いない。
死を悟り、受け入れた。
そして、明滅するかのような朦朧とした意識が、最期に結論を示した。
俺は正義を自分の外側に見つけようとしていた。
自分の善性が信じられなかったから。
けど、多数決だとか功利主義だとか責任論だとか、そういう
正義には心が必要だった。
誰かを救おうとする心が正義の根幹を成す。今やっと気づいた。
見つからないわけだ、と苦笑したくなる。俺はずっと自分の内側から目を逸らすために正義を探していたのだから。
ただ、それでも正義と悪は表裏一体だ。
見る立場によって変わるという相対性の点でもそうだし、心が根底にある以上エゴイズムと完全に切り離して解釈することはできないという点も悪性の根拠たりえるだろう。
だから俺は悪だ。ずっと悪いことをやって生きてきた。それが真実だ。
けれど、他者の救済という芯があり、かつ法令遵守という枷を自らに課してさえいれば、悪だとしても正義の衣を纏うことができるはずだ。
──正義とは “救済” の物語である。
それが、俺が人生を懸けて辿り着いた答えだった。
もしも来世というやつがあるのなら、やっぱりまた正義を目指すのだろう。そうありたいと心から願う。
かつて彼女がそうしてくれたように暗がりにいる誰かを救い上げ、明るい世界に連れ出して。
もしも世界が救いを求めているのなら、世界さえも救ってしまう、そんな正義に──。
◆
神の誘惑をはね除けるのは簡単だ。
路地裏とかいうおよそ正義っぽくない場所で俺の正義論を聞かされ、なぜか愉快そうに目を細めているルシフに言う。
「俺はそもそも自分を偽っていない。
たしかにルシフの言うように浅いところでムカついたりすることはある。だが、人に対する憎悪や殺意はすべて前世に置いてきた。今はもうどこにもないんだ。ウィリアムズ領をめちゃくちゃにしてみんなを殺した襲撃者だって例外じゃなく、俺にとっては博愛の対象でしかない。
その博愛は、救いたいという情動と不可分一体だ。俺はその情動に素直に従い、つまりエゴイスティックに正義を──そして同時に悪を為してきた。ルシフが条件として望む自分勝手の極みみたいな状態はもう達成されてるとも言えるんだ」
その点が〈神スキル〉を、ひいてはルシフを呼び寄せてしまった要因なのだろう。俺は正義を願い、そうあろうとしてきた。それは裏を返せば、悪を願い、そうあろうとしてきたということにほかならない。だから、俺とルシフは本質的に同じなのだ。
「もしも、自分を偽らないということに加えて、その直接の結果としての殺人、強奪、強姦といった犯罪が賃料の減額に必要だというのなら、それは論理的に不可能だ。どれだけ正直になってもそれら自体を目的とすることはありえない。救うためにやむを得ずというのならありえるが、それじゃあ駄目なんだろう?」
「当たり前だろ」
「なら、悪いが交渉決裂だ」
「本当にいいんだな? 後からやっぱり負けてくれっつっても無理だぞ」
「ああ、それでも答えは変わらない」
ルシフが口角を上げ、「オーケーわかった、この話は終いだ」
その瞬間、
『スキル〈罪には罰を〉が発現しました』
システムメッセージが告げた。
「!?」俺は驚愕し、そして察した。「ルシフお前、俺を試すために降臨したな?」
「嘘はついてねぇぜ? オレがこの世界で実際にする行為は、てめぇに取引の抜け道を教えて減額の交渉をすることだ。何をしに来たか? 粋な計らいとは何か? って聞かれてその行為を答えることは至極真っ当な事実告知だろ」
「相変わらず納得できるような、できないようなこと言いやがって」
「つーよりよ、前に、〈神スキル〉には粋な計らいめいた隠し効果があるって趣旨の発言をした時点では〈罪には罰を〉のことなんか知らなかったんだよ。今朝起きたら世界から、スキル発現試験をやれって通知が来て初めて知ったんだ。つまり、粋な計らいの語義としては発現条件のことは含まれてなかったってことだ」
嘘めいた発言をしたとよほど認めたくないらしい。まぁ、論理的に解釈すればただ目的を伏せていただけで嘘はついていないと言えるし、もういいや。めんどくせ──
「──いやちょっと待て。世界から通知が来た? この世界には意思があるのか?」
「あー」ルシフは考えるように眼球だけで上のほうを見た。「よくわかんねぇんだよな、それ。あるような気はするが、単なるシステムにすぎないと言われれば否定はできねぇ。人間がロボットでないことを証明する難しさに似てるな」
「まさかシステムメッセージさんまで “賑やかし” に参戦してきたりしないよな?」
「『わかりません』──なんつってな。ギャハハ!」
システムメッセージに声を提供している立場を利用した、あまりにもしょーもない悪ふざけである。
はぁ。俺は溜め息をついてステータス画面を開いた。
〈罪には罰を〉の効果を確認する。
〈罪には罰を〉
・このスキルの発現者は、任意の相手方(一人に限る。以下同じ)が犯した罪とその罰に応じてステータス及び貫通効果に上昇補正が掛かる。
・上昇補正はステータス上限に制限されない。
・上昇補正は任意の相手方が死亡するとただちに解除される。ただし、このスキルの発現者が殺害した場合は殺害に際して発生した危機が去るまで継続する。
・このスキルの発現者は、任意の相手方を殺害した場合に原始取得する善行ポイントを前借りすることができる。
・任意の相手方を定めた場合、その相手方を殺害しない限り新たな相手方を定めることはできない。
・このスキルの発現者は、悪行を為した際に原始取得する悪行ポイントが百倍になる。
・このスキルの発現者は、犯した罪とその罰に応じてステータス及び耐性に下降補正が掛かる。
・下降補正はステータス下限に制限されない。
・下降補正は永遠に継続する。
「これは……」
とんでもない可能性を秘めたチートスキルなのではないか。
俄然、希望が湧いてきた。これなら条件さえ整えられれば、あるいはあの電気系能力全部盛りみたいな襲撃者でも攻略できるかもしれない。
「何でオレの顔見た時より嬉しそうにしてるんだよ」
ルシフが拗ねたように──まぁ悪ふざけなんだろうが──言い、なぜかキャミソールトップの左の肩紐を下ろしてカップの縁をたわわの先端に引っかけるような変な着方に変えてから、俺のほっぺを両の手のひらで挟んだ。その拍子にカップ部分がぺろりとめくれて思いのほか綺麗な薄紅色が露わになったが、ルシフに気にした様子はなく、そのまま強制的に至近距離で見つめ合わされる。
「オレのこと好きじゃないのか?」
当たり前だろ、と即座に力強く断言しようとした、その時だった。
「ア、アラン様っ?!」
大通りのほうから悲鳴にも似た声が飛んできて、ひぃっ、と喉の奥から古い蛇口をひねったような音が出た。
ルシフの左の頬がにやりとする。
こ、こいつ、謀りやがったな……!
神の手をのけて声のほうに視線をやれば、宿にいるはずのミスティがこちらを見ていた。ぷるぷると震えている。レオノールはその横の建物の陰から頭を出して覗いており、また女か、というような呆れ顔をしている。
「じゃ、オレ帰るわ! アバヨ!」
ルシフは気さくな様子で右手を上げて乳をぷるるんとさせると、天界(?)に帰っていった。瞬きしたら消えていたのだ。
さて、問題は、よよよと泣き崩れてレオノールに支えられているミスティのほうである。
俺は彼女たちのほうへ、むしろ堂々と歩み寄ると、
「ミスティは誤解している。彼女とは性的な関係ではない」
「ふぇ?」ミスティは、本当ですか? というふうに俺を見た。
「ああ、彼女は女神なんだ」
「……」
ミスティは沈黙し、レオノールは頭痛をこらえるように蟀谷を押さえた。
「嘘じゃない。彼女がこの世界でただ一人の、唯一無二の本物の女神なんだ」
「びぇっ」ミスティは、およそ上級貴族のご令嬢には相応しくないしゃっくりみたいな変な鳴き声を発した。
「びぇ?」
「びぇえええええん!! 何ですか女神ってぇ!! ベタ惚れじゃないですかぁっ!! うう、ひっく。わたしのことは一度もそんなふうにおっしゃってくださったことないのにぃぃぃっ!!」
お、何だ何だ、痴話喧嘩か? と往来の耳目が集まる。遠巻きにひそひそしている。
「ぇぐぇぐっ、乳ですか!? やっぱりあの、ルシフ様みたいなデカパイが決め手だったんですかぁ?! うぅぅっ、もう挟んでもらったんだぁああ!! 絶対そうだああああ婚約者の乳が物足りないから浮気に走ったんだぁああああ外で気持ち良く発散してるから家庭では良き夫でいられたんだあああああうええええええええええんっ!!」
この後めちゃくちゃ弁明した。