お気づきいただけただろうか。
ともすれば横から茶々を入れてくるルシフが口をつぐみつづけていたという事実に。
嘘だけど。
おわかりいただけただろうか。
ルシフが実は普通に
つまり何が言いたいかというと、起きたことをすべて記述するわけではないということ。換言すると、俺が要らないと思った出来事はカットしていく。
だって無駄だから。
例えば、代官ちの客室で一人で眠っていたはずなのに朝起きたらミスティスペシャルがじっと見つめてきていて危うくチビるところだったとか、宿屋のおじさんの
あるいは、何らかの理由で、例えばあまりのインモラルっぷりに呆れ果てて記述すべきではないと判断しカットすることもあるかもしれないし、ルシフ目線ではどう見えるかを伝えようと急に思い立ち、閉ざした思考を除いた部分だけを記述するなんてこともやる可能性がないとは言い切れない。
その一方で、特に何も考えずにありのままを述べることもある。
悪しからずご了承いただきたい。
さて、今、俺の前には地下遺跡型ダンジョン、ザドキエールの入り口がある。石積み造りのアーチ型だ。
俺もレミも軽装──俺は剣と革鎧、レミは剣のみ──だが、イレギュラーなことが起きなければ大丈夫だ問題ない。ザドキエールとはそういうダンジョンなのである。
『お、死亡フラグか?』
──神の立場でそういうこと言うの控えてもらっていいですか? 洒落にならんて。
『ギャハハ! やなこった!』
踏み入る。
どちゃ、とも、ばしゃ、とも取れる水っぽい音と共にそのサッカーボール大の泥の体が弾けた。
マッドラビットを蹴り殺した俺は、レミを振り返りつつ、
「見つかんないな」
レミは、たどたどしい剣筋ながら一太刀でマッドラビットを撃破したところだった。わらわらと湧いてくるのだ。メリットはなくとも多少は相手にしないといけない。
レミは片手剣を振って泥を落とし、
「だね」
と浮かない顔で答えた。
ダンジョンに潜ってから一時間半ほどが経過していた。俺とレミは、地下三階の中央、ホールのような広い空間にいる。念のためにこのフロアまで調べたが、ダイヤモンドシールドは見つけられずにいた。
そろそろ休憩にしよう、ということで三階の隅にある
安置部屋とは、モンスターが入ってこられない部屋のことだ。安心して休める。
『休憩可』と刻まれたプレートを
ベンチに腰を下ろすと、俺は口を切った。
「このままじゃ
「諦めるの」
「いや、それはまだ早い」
「どうするの」
「ダイヤモンドシールドの目撃情報を今一度しっかり考察してみよう。目撃した時のことをなるべく細かく教えてくれ。具体的には……そうだな、リリスンの町を出てからザドキエールに潜り、また町に帰ってくるまでの出来事を頼む」
「別にいいけど……」
何の意味があるの? と問いたげな眼差しをくれたが、レミは語りはじめた。俯きがちに足先を見つめながら、ぽつぽつと。
◆
「またマッドラビット狩りか?」
町の門番がからかいまじりに聞いてくる。
別にいいでしょ、ほっといてよ。
レミがそういう気持ちを込めて眉間を力ませると、門番の男は、「おー、こわ」とおどけるように肩を
レミは門番の横を抜けて町を出た。
リリスンの町からザドキエールへは徒歩でおよそ三十分、危険なモンスターに遭遇することもほとんどなく、仮に遭遇しても脚力に長けたレミならば逃げ切れるだろう。今までがそうだった。だから、これからも同じだろう。恐怖はなかった。
通行人に踏み固められただけの土の街道を一人、進む。やがて水のにおいがしてくると、橋が現れた。川が街道を斜めに横切っているのだ。右のほう──北東に見える山から延びてきていて、そのまま南西へと続いている。
その橋を渡らずに右に折れ、川沿いの小道を行く。
泥みたいな色の石で造られた──といっても人が造ったわけではないけれど──四角い建造物が見えてきた。ザドキエールだ。
母さんが働けなくなってからというもの、毎日のように通っている。もはや第二の家と言っても過言ではない。レミは極めてニュートラルな心持ちでその暗がりに歩を進めた。
ザドキエールの一階から三階までは最下級モンスターしか出現しない。マッドラビットをやっつけながら宝箱──低確率で出現──を探す。
「駄目か……」
魔法でスタミナを回復しつつ六時間ほど頑張ったが、収穫なし。ドロップアイテムも宝箱もゼロ。疲れた。いったん休もう。
レミは二階の安置部屋に入った。中には誰もいなかった。大人の冒険者たちは皆もっと下層に向かう。こんな旨みの少ないフロアは眼中にないのだ。
石のベンチに座り、静寂に身を委ねると、思考はいやがおうにも悲観的なほうへと傾いていく。
いつか報われる日が来るのだろうか。
母さんは日に日に弱っていく。姉ちゃんだってつらいはずだ。体を売るということが姉ちゃんにとってどういう意味を持つのか、その深いところまではわからないけれど、彼女が人に隠れて泣いているのをレミは知っていた。
ステータス画面を開いた。
レミ(人族・男・11歳)Lv4
STA・35/74
MP・24/72
STR・76
VIT・72
AGI・235
DEX・228
INT・70
WIL・73
非戦闘職の若い男性だとレベルは5くらいでステータスの平均値がだいたい80くらいだから、年齢とレベルを考えると低くはない。けれど、冒険者としてやっていくにはあまりにも足りない。
例えば、ボリュームゾーンであるD級冒険者であればステータスの平均値は210くらいで、人類最強格とされるS級冒険者であれば平均値は人族の上限である9999を越えているという。上限突破というシステムがあるらしいのだ。どうやるかは知らないけれど。
レミが今まで死ななかったのはマッドラビット以外は相手にしてこなかったからだ。ちょっとでも強いモンスターが出てきたら一目散に逃げる。そうやって合理的に命を守ってきた。かつて、レミがただの少年でいられたころに憧れた──本当は今だって──英雄譚とは、似ても似つかない情けない姿だった。夢は、今もまだ夢物語のまま──それがレミの現実だった。
はぁ。
レミはステータス画面を閉じ、立ち上がった。鬱々としていても何にもならない。気持ちを切り替えて仕事に戻ろう。
そうして安置部屋のドアを開けた、その時だった。
「え……」
レミの目に信じられない光景が飛び込んできた。
物音一つしない、しんと静まり返った二階フロアのホール、その中央の辺りを半透明の盾、ダイヤモンドシールドが漂っていたのだ。
もちろん実物を見たことはないが、冒険者ギルドのモンスター図鑑で知っていた。特徴的な姿をしているから、見れば誰でも一目でそうと察せられるだろう。
慌ててドアを閉めた。安置部屋でいったん心を落ち着けようというのだ。
図鑑によると、ダイヤモンドシールドに攻撃能力はない。耐久、耐性、敏捷が異常に高いこととその臆病な性格が討伐難易度を押し上げているだけで、危険自体はない。……はず。
ダンジョンから出るにはホールを横断し、反対側にある階段を上らなければならない。
ドアをそろりと少しだけ開けて様子を窺う。
と、
「あれ……?」
ダイヤモンドシールドは見当たらず、ぱちゃ、ぺちゃ、という泥兎の跳ねる音だけが空気を震わせていた。
どういうことだろう?
レミの頭はダイヤモンドシールドのことでいっぱいになった。
幻だった?
そんな馬鹿な。この低難易度ダンジョンにはそんな器用な芸当のできるモンスターなんかいない。ダイヤモンドシールド自体も、もちろんそうだ。
じゃあ何らかの罠が幻を見せた?
それも腑に落ちない。ザドキエールにはそんな厄介な罠は出現しない。ほかの冒険者が仕掛けるというのも考えにくい。メリットがない。そして、ホールを見回してみても、それらしき物体も痕跡も確認できない。
狩りや探索に集中できそうになかった。今日は切り上げよう。レミはしきりに首をかしげながらザドキエールを後にした。
帰りの道中には何もなかった──というより、先ほどの怪現象のことで上の空だったせいでよく覚えていない。もしもこの時にモンスターなりに襲われていたら危なかった。運が良かったのだ。
これがダイヤモンドシールド目撃の一部始終である。
◆
「何かわかった?」
語りおえるなりレミは尋ねてきた。
「ああ、確証はないが、仮説は浮かんできたよ」
「本当?!」見開かれた瞳にキラキラとした喜色が浮かんでいる。「早く教えて!」
「鍵になるのは、おそらくマッドラビットだ」
レミの頬が強張る。「何で? あんな、誰も見向きしない最下級モンスターがどんな鍵になるっていうの?」
「だからだよ」
「???」
「俺が考えた仮説は、〈ザドキエールで一定時間内にマッドラビットを一定数倒すとダイヤモンドシールドのいる場所に安置部屋のドアが繋がる〉というものだ。
もしもマッドラビットが冒険者に人気のモンスターだったら、ダイヤモンドシールドはとっくに見つかってるはずだ。けど、そうはなってない。マッドラビットがあまりにも無価値でみんなスルーするからだ。
時間条件のほうは、レミがダンジョンに入ってから休憩するまでの時間から、おそらく六時間だろう。
問題は討伐数条件のほうだ。普通なら大量に狩った雑魚モンスターの数なんかいちいち覚えちゃいないが……」
「……」レミの空色の瞳が泳ぐ。
「覚えているんだな?」
「た、たぶん」レミは気後れした様子で首肯した。
なるほど、と思う。わざわざ数えて覚えているということは、数を気にしていたということ。レミのスキルは討伐数が関係しているのか。
俺は、レミがマッドラビットばかりを狩るのはスキルが理由だと踏んでいた。
レミはマッドラビット以外とは戦わないこと、換言すればマッドラビットのみと戦うことを “合理的” と考えている。これはスキルによる特殊設定を前提としないと出てこない結論だ。
というのも、経験値のシステムに反するからだ。
取得経験値はその人が負ったリスクと負担を基に算出される。弱い人が同じくらい弱いモンスターをろくな装備もなしに一人で倒した場合はそれなりの経験値が得られるが、強い人がずっと格下のモンスターを狩っても経験値は入らないし、誰かに守られながら倒しても同じ。デメリットなしのチート能力──そんなものがあれば、だが──なんか使おうものなら万のドラゴンを倒してもまったくの無意味。
レミはたしかに弱いが、最下級モンスターよりは強い。その中でも最弱のマッドラビットでは経験値はゼロだろう。これではごく低確率で得られるドロップアイテムくらいしかメリットがない。期待値は極めて低い。
だからレミのスキルは、この期待値を歪めるもののはずなんだ。
それに討伐数が関係しているとなると、一定数討伐するとそのキリ番の討伐時に限りドロップ率が上がるというような “確率変動系” か、経験値にボーナスがつく “成長補正系” か。
しかしだとすると、レミの稼ぎやレベルが低いことと
この不整合を解消する解釈は──
と、そこまで考えて俺は微苦笑した。自分に呆れたのだ。
ダイヤモンドシールドの謎を解くのにそこまで解明する必要はない。今、必要なのはマッドラビットの討伐数だけだ。レミだって自分のスキルをおいそれと明かしたくはないだろう。供述から意図的に省かれていたことからもそれは明らかだし、リスク管理の観点すなわち一般常識とも整合する。
俺は努めて柔らかい声色を出す。
「いや悪い、スキルのことは言いにくいよな。気持ちはわかる──いやマジでなぁ、おじさんのスキルもなぁ、どこに出しても恥ずかしいインモラルなやつでなぁ、苦労してきたからなぁ」
『ギャハハ!』
という下劣な品性を撒き散らす
「おっと失礼。日頃のストレスが祟ってつい脱線してしまった。なんもかんも全部ルシフってやつが悪いんだ。赦してくれ」
「う、うん? ルシフが悪い? 神様のこと? それってどういう──」
「ま、とにかく!」と声を強くして強引に話を進める。「無理に聞き出すつもりはないから、そう警戒しないでくれ」
レミの肩から力が抜けるのが見て取れた。
「ただ、討伐数だけは把握しているなら教えてほしい」
「ステータス画面に表示されるから覚えてるよ」
「スキル欄に討伐数が表示されるのか?」
「うん、1,000体までの倒した数がわかるようになってる」
「へぇ」そんな便利機能が。
──おい聞いてるか、ルシフさんよぅ? お前もそういうの、こう、粋な計らい的なやつ、何かないの?
『何を粋とするかによるな』
えっ何それあるってことじゃんめっちゃ気になるんだけどぉ?!
と半ばナウでヤングなピチピチギャルと化して問い質そうとしてたら、
「ええと……」レミが記憶を確かめるようにして言う。「昨日ダンジョンに入った時が445で、安置部屋に入った時が904だから459匹だね」
「……何て不吉な数字なんだ」
『お、死亡フラグか?』
だからやめろって。