生前葬の手引き   作:シュガーマン

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生前葬の手引き 1

夕日が僕を見ている。

目を合わせたくない。もう誰とも。

僕は必死に目を逸らし、左手を前に出して視線を避ける。

今まで指と鍵盤だけを見てきた人生だからか視線が辛い。

 

僕はひとり、高校の校舎の屋上に立っていた。

屋上に上がるまでの鍵は壊した。

罪悪感が僕の心臓を打つ。

でも、…死ぬなら、もうなにしてもいいよな。

 

みんなも一度は思ったことがあるだろう、死ぬ前に何をしようかって。

だってなんでも出来るんだから。

人間は不思議だ。全部を失う直前が一番全部を持ってる。

何もないから死ぬんだろうに。

 

夕日に背を向け、すっかり老朽化して錆び切った柵に手をかけた。

目前には夕日で照らされた校庭が広がっている。

もう見る事はないその景色をしっかりと見た…というより睨みつけたの方が正しいか。

だっていい思い出なんてないんだから。

 

柵を乗り切ろうとして、力を込めたけどさすがに登れそうにない。

鍵を壊す時に使ったペンチで柵を切って校舎の縁に立った。

使い終わったペンチを隅に放り投げる。

…今までは手を気にしてこんな事出来なかったな。

 

高所恐怖症の僕の手は震えなかった。

…足と左手は少し震えたけどね。

まぁ右手が震えないのは知っていたけどいざ見てみると少し驚く。 

あるはずのものがない、その違和感はここまで大きいのか。

 

左手の指を広げて、一本ずつ滑らかに滑らせるように動かす。

 

右手の肘を見つめる。それが右手の先端だから。

 

喉に絡みつくような葛藤を諦観で飲み込んで。

代わりに痰を吐き出すように乱雑に、

けれど笛を吹くように丁寧に、

無感情に呟いた。

 

「もう死のう」

 

 

僕の声が屋上から校舎裏に落ちて、跳ね返って、

僕の喉の奥の諦観に、そして右手に突き刺さった。

 

そんな気がした。

 

 

________________

 

 

僕はベッドから起き上がって左手で喉を抑えた。

僕はまだ生きていた。

カーテンを開けて朝日を浴びる。視線は感じなかった。

昨日よりかはまだ少し、晴れやかな気分だ。

昨日、僕は校舎の縁に立って目を瞑っていた。

今から落ちるんだと気持ちを固めていた。

これから死んでやるんだと決意していた。けれど僕は思ったのだ。

今までの人生はなんだったのだと。

 

ピアノのせいで手を気にして満足に日常を過ごすことすらできない。

ブランコを漕ぐ少年が、滑り台を滑る少女が、母親に連れられて公園を素通りする僕を見ていた。

…その時から僕は視線が怖かったのかもしれないな。

 

でも、母さんの目だけは怖くなかった。うまくピアノが弾ければ僕を褒めてくれた。

だから僕は他の全てを諦めて一つに全てを賭けれた。

だから嫌いなピアノを続けれた。

 

母さんは僕の事をずっと見てくれていた。

 

自室のドアを開けてリビングに出た。

まずは朝食を食べよう。

いつも朝起きるとリビングの僕の椅子の前に朝食が置かれている。

 

 

「…そうだったな」

 

机の上に朝食はない。僕の椅子もない。母さんの姿も、父さんの姿もなかった。

父さんは海外に出張中。母さんは…僕の手がなくなってから僕を見なくなった。

まるでそこにはいないかのように母さんは日常を過ごしていた。過ごせていた。

僕がいないのに日常を過ごせていた。元々母さんの日常には僕がいなかったのだろう。

母さんの目の中にいたのはピアニストの僕だった。

今の僕には何にもない、あぁ何もないんだ。

 

自室にまた戻り、ベッドの縁に腰掛けた。

 

なんの話だったかな…あぁそうだ。

 

 

僕は死ぬ。

僕の物語(人生)幸せな結末(未来)はない。

幸せな結末がないなら、せめて幸せな過程を得たい。

昨日、校舎の縁で思ったんだ。

死ぬ前ならなんだってできる。

 

今息をしているのは過程を得るためだ。

これからするのは〜〜

 

ピンポーン

 

チャイムが鳴った。なんだ?配達か?まぁいい。今は無視だ。

 

ピンポーン

 

ピンポーン

 

このチャイム…あいつか。

 

ピンポーン

ピンポーン

ピンポーン

 

僕はドアを思い切り開けた。

 

「うるさい」

「いたぁ?!」

 

ドアをいきなり開けた事でチャイムの主に当たってしまった。

 

「急に開けるなんて酷いわね…!」

 

そこにはドアがぶつかった鼻を押さえている涙目の少女がいた。

何にもない、あれは間違いだったな。

僕にはたった一人だけ、手がなくなった今でも変わらない関係の少女がいた。

 

「ミリー…」

 

姫宮美莉愛。名前のお嬢様感は異常だが完全に名前負けしている。

泣き虫で、優しい。強そうに見えて、脆い。ただの可憐な幼馴染。

 

僕の幼馴染はそのピアニスト顔負けの綺麗な指を赤くなっている鼻から離し、拳を握った。

 

「ねぇ。あんた死ぬ気でしょ」

「っ!」

 

一言目がそれか。全くどうして勘のいい幼馴染だ。

 

「昨日聞いたのよ。あんたの右手が無くなったって。一ヶ月前に事故って先週退院したって。最近見ないからおかしいな、って思ってたら…!」

 

ミリーは僕の事を睨みつけた。

 

「あんだけピアノに賭けてた人間が右手無くなって正気でいられるわけない。

あんたの事はあんたの親の次くらいには分かってるつもり。もう一度聞くわ。あんた死ぬ気でしょ」

 

さっきまで涙目だったとは思えない眼光だ。

嘘なんてつけないな。まぁつく気もなかったけど。

 

「僕の事、親よりも分かってるよ。…あぁ。僕はもうすぐ死ぬつもりだ。まぁピアノだけが原因ってわけでもないけど。」

 

「そっか」

 

僕が言い終わると同時に、無感情な声とセットで拳が顔に飛んできた。

 

「っ!」

 

なんとかそれを避けるともう片方の手が飛んできた。

まずい、避けれない。

 

ペチンと乾いた音が響いた。平手打ちだ。

 

「…手は大事にしろよ」

「…自分は大事にしなかったくせに。手を大事にしないどころか命まで…!」

 

「手を大事にしなかった…?そんなわけないだろ!!」

 

声を荒げた。これ以外感情のぶつけ方を知らないから。

 

「…ごめん。強く言いすぎた」

「いいわよ。私とあんたの仲だし。…私も悪かったし」

「それでも悪かった」

「…あんた、さっき"もうすぐ"死ぬって言ったよね」

「言ったよ」

「今すぐじゃないのね」

「…する事、いやしたい事がある」

「したい事?」

 

「今まで出来なかった事。最期だからなんでも出来る。僕は最期にひとつ、大きなことをしたい。これさえできれば死んでもいい。これのために生きてきた、って思えるような何かを見つけたい。それが僕がまだ生きている理由」

 

「……じゃあそれに私も付き合わせなさい」

 

「は?」

 

思わず声が出た。

 

「私があんたの一番近くであんたが最期にする事をダメ出しする。しょうもない事して死なないように見張っててあげるわ」

 

「…お前は僕に死んでほしくないんだろう?全部ダメって言うんじゃないか?」

「私にダメって言われた程度でやめるような事は最期にしちゃいけないわよ」

 

なんて暴論だ。ちゃんと考えてから話しているのか?…でも。

 

「まぁいいよ。最期を見ててくれる人がミリーなんて。最高に幸せじゃないか」

「…!あーもううるさい!行くわよ!」

「どこに?」

「いいから行くのよ!」

 

僕はミリーに手を引っ張られてドアから飛び出した。

 

さっき言いかけてたことを言い切ろうか。

これからするのは、僕が、いや僕とミリーが、僕のために、執り行う生前葬だ。

幸せな結末は、ない。

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