過去回は二話くらい続ける予定です。
私が天才ピアニストの彼に出会ったのは小学校を卒業したあとの春休みの時だった。
親の離婚で引っ越す事になり、慣れ親しんだ都会の街並みに別れを告げ、都会じゃない、だからと言って田舎でもない、そんな中途半端な土地に引っ越した。
今までの大きな家とは違う、だからと言って狭いというわけでもない。お母さんと2人で住むには少し寂しさを感じる、そんな中途半端な家。
何もかもが中途半端。私はそんな中途半端さに引っ越したその日のうちから嫌気がさしていた。
お母さんと2人で荷ほどきを済ませ、一息ついた頃にはもう帰りたい、そう思ってしまっていた。
「ミリー、少し散歩にでも行きましょうか」
笑顔でそういうお母さんに少し苛立った。
なんで笑っているのだろう。離婚したばかりでしょう?
中学1年生という子供ながら、お母さんは異常だと思った。
離婚した原因を話さず、泣いてる姿も見せず、
私に負の面を触れさせない。
離婚の話をされた時、どうして?とただ一言聞いた。返事は、ただ綺麗でいてほしいの、という答えにならないただの一言。ただ綺麗でいてほしい。
なんて悍ましい願いだろうか。
「ごめん今そんな気分じゃない」
「それじゃあ行きましょうか」
……ん?
「は?なんで?私今そんな気分じゃないんだってば」
「そんな気分じゃないからこそ、散歩に行って気分転換しましょう?ほら」
そう言ってお母さんは私に手を伸ばした。
こういう時のお母さんは何を言っても聞かない。
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散歩中、私たちの間に会話らしい会話はなかった。
当時、思春期まっただ中だった私とお母さんの間の会話は離婚前でさえほとんどなかった。
離婚して父親が居なくなり、周りの環境もガラッと変わった。そんな時の私が周囲に気をかける余裕なんてなかった。
私は話しかけ続けてくれているお母さんに気づかなかった。
今にも雨が降りそうな曇天の下。
都会よりも道路が広く、車が多い。
歩いている人間がすこし少ない。
そんな道を私達は歩いて行く。
10分くらい歩いただろうか?
少し遠くにコンビニが見えた。
都会にいた時には隣接する勢いでコンビニが並んでたけどなぁ…なんて考えていた。
「美莉愛、何か食べたいものはある?」
「………」
「納豆食べる?」
「食べない」
私が納豆嫌いな事知ってるくせに。
というか自分も嫌いでしょうよ。
ちょっとにやけてしまった顔を隠す。
「ふふ、じゃあアイスを食べましょうか!」
そういうお母さんの笑顔は綺麗だった。
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結局私はアイスを食べなかった。
ただお母さんがアイスを食べている姿を見ていた。
お母さんは2人でシェアするようなあの有名なアイスを1人で食べている。幸せそうだ。
「パピコはシェアした方が美味しいんだけどねぇ…」
せっかく名前を出してなかったのにどうして出しちゃうの…
お母さんはパピコを食べ終えると、少し神妙な顔でこう言った。
「これから、どうしましょうか?」
私は、何も考えずこう返した。
「帰りたい」
お母さんは一瞬、諦めたような表情をした。
でもそれは本当に一瞬で、すぐ笑顔でこう言った。
「じゃあ帰りましょうか。さっきと違う道で!」
…どうしてそんな面倒くさい事をするの、早く帰りたい。なんて言っても変わらないだろう。だって、
こういう時のお母さんは何を言っても聞かないんだから。
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少し晴れてきた。
そして、さっきより道路が広くなった。
けれど歩いている人も多い。
さっきまでの道より活気がある。
「先にこっちを通ってくればよかったわねー」
「…」
早く帰りたい。その一心だった。
でももう帰れる、そう思っていた矢先にこの一言。
「ねぇあの看板見て?あそこでピアノの演奏会をしているそうだわ、聴いていきましょ?」
お母さんは小さな市民館の前にある看板を指さしてこう言ったのだ。
「やだ」
本当にもう帰りたい。
早く帰ったってする事は何もない。
それでも帰りたいの。
目の前にパンをぶら下げられているような感覚。
私が近づくたびにパンは遠のいて行く。
胸の奥が熱くなる。
「…お母さんっていつも自分勝手だよね。だから離婚しちゃったんじゃないの?」
「っ…」
お母さんの表情が一気に曇る。
しまった。言いすぎた。そう思ったけどもう遅かった。思春期を言い訳にする気はない。けれどこの頃の私には謝罪ができなかった。
でも、それでもお母さんに悪い事をしたという自覚があった。
「……ちょっとだけならいいよ」
「‥じゃあ行きましょうか」
お母さんは取り繕った笑顔でそう言ってくれた。
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市民館の入り口に行くと詳細を書いた張り紙があった。どうやら中学生以下の子供が一曲ずつ演奏していく形式のようで、入場料を取らないそうだ。
「美莉愛と同じくらいの年齢の子が演奏するのね〜」
「…みたいだね」
「5分後に始まるらしいわ!早く行きましょ?」
お母さんは私の手をそっと取ると、私の前を少し早歩きで進み私を引っ張っていく。
おそらく無意識なのだろう。早く聴きたくてしょうがない、という顔だ。お母さんは綺麗な顔をしているけどこういう時の顔には可愛い、という言葉が似合う。
「ごゆっくりどうぞ〜」
市民館の中に立っている案内係の人を横目に席を確保する。なんだかんだ席も結構埋まっている。
はじめは嫌々入ってきたわけだけれど、始まる1分前になると私も少しワクワクしてくる。
思春期とは言えまだ4月までは小学6年生なのだ。仕方ない。
「開始時刻になりました。まずは1人目の〜〜」
演奏が始まった。
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パチパチパチパチ
拍手の音が鳴り響く。
私も集団圧力に屈し拍手はするが……うーん。
下手、とは思わない。上手だと思う。すごく練習した事が聞くだけでわかるような丁寧な演奏。ピアノに触れたことすら片手で数えるくらいの私とは大違い。
でも…ありふれた演奏。弾く事だけに執着して感情が伝わってこない、なんて評論家じみた上から目線の感想を思い浮かべる。
隣を見るとお母さんは少し微笑んでいる。
私と同じことを考えたりしているのだろうか。
「それでは最後の演奏です。〜〜君」
もう演奏には興味がなかった。
はじめの紹介も聞き流す。
やっぱり…綺麗な顔してるなあ…お母さん。
「…ん?どうしたの?」
しまった、見すぎていた。
ずっと笑顔でいるお母さんに、私は不快感と幸福感を同時に持ってしまっていた。
だから私は気持ち悪く感じるし……
今みたいに少し見惚れてしまうこともある。
「…なにもないけど」
「…やっぱり演奏会つまらない?」
「…うん」
正直に答えた。
「…私はみんな凄かったと思ったんだけど…でもまぁ正直感動するような演奏はなかったわ」
「……」
お母さんも同じ感想を持っていた事が少し嬉しい。
なんて考えていたからこの一言が心に残った。
高校生になった今でも…何度も思い出す。
「でもね…こういった順番とか、物語とかも…コース料理、なんかも?」
「最後に、絶対とっておきのいい
待ってるの」
ピアノの一音が響く。
「…っ」
一音目からして他の人達と全然違う。
情熱的な音が耳に伝わる。さっきまで無色透明だった音に色がつく。なに…これ…
腹に、胸に響く演奏は私が感じた衝撃に素知らぬ顔をして続いていく。
帰りたいとしか考えれなかった私の頭に帰りたくない、という綺麗な雑音が響く。
ずっと聴いていたい。
そう思わせる演奏だった。隣を見るとお母さんがしてやったり、と言った顔でこちらを見ていた。ちょっとイラッともしたけれど…私は今日はじめて笑った。
終わってほしくない、と思った演奏も永遠に続くわけない。ラスサビのメロディーを終えると同時に鍵盤の上で踊っていた10本の指は静かに止まった。
私は弾けるような拍手を送りながら演奏者の顔を見つめる。忘れないように。
彼は儚げに笑みを浮かべていた。
この時、私の胸にはさっきの演奏とは比にならないほどの衝撃が走った。
私は、一目惚れしたのだ。
彼、
これが私とあいつの出会いだ。