次も過去回をします。次のep.回は過去回のあとの最終話になります。
最後の1人の演奏が終わったので、観客席から少しずつ人が少なくなっていく。
私は演奏の衝撃と一目惚れの衝撃のダブルパンチの余韻でまだ席から立てずにいた。
「美莉愛、そろそろ行きましょうか」
「……うん」
完全に立場が逆転していた。早く帰りたかったはずの私はお母さんに手を引かれ市民館を出た。
…上条幸音君…か。
…ん?演奏会は中学生以下が参加条件で…
上条君は中学生ほど大人びてはいなかったし…
…もしかしたら私と同級生かも?
……私が通う中学校にいたり…
私はそんな桃色じみた思考に包まれながら、帰路に着いた。
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「今日は楽しかったわね!」
「……ん」
お母さんは午前にしきれなかった分の残りの荷解きしながら私に話しかけてくる。
私はまだ収まらない心臓を撫でながら返事をする。
…本当にドキドキが止まらない。にやけが止まらない。
にやけ顔を見られたくないので私はリビングにお母さんを残してすぐに自分の部屋にある
新しいベッドの上で布団にくるまった。
お母さんとお父さんが離婚して、世界が灰色に見えていたのに、今は桃色に滲んで見える。
ちょっとした幸福感すら感じてしまっている。
「〜〜〜〜〜…」
「……ん」
布団の中で悶え苦しんでいる私にリビングからお母さんが色々話しかけてくれていたが生返事しか返せなかった。
今になってさっきまでの私の考えが恥ずかしくなってきた。なーにが同じ学校かも、だ。同級生かすら分かっていないのに。今日の昼は舞い上がりすぎていた、と今になって自覚する。
…でも実際同級生である確率は高いし…いやいやダメだ、また変な思考になっている。
もう考えるのはやめた方がよさそうだ。
…考えないようにしても目と耳に彼がこびりついて剥がれそうにない。
胸がどくどく脈打っている。それを誤魔化すかのように寝返りを打つとベッドから落ちてしまった。
「…痛い…」
………2週間後、中学校の入学式がある。
それまで毎日神に祈ろう。
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それから1ヶ月ほどが経った日。
お母さんと私の関係は相変わらずだった。
お母さんが会話のボールを投げかけてくれるが私はボールを見ないしキャッチもしない。
キャッチしないどころか躱している。
少しずつ球速が落ちるボール。ボールを見ていない私はそれすら気づかない。
あの日できたキャッチボールはもう遠い過去。
あの日近づいた距離はまた遠くなってしまっていた。いや、遠ざけたのは私なんだからその表現には少し語弊があるか。
変化はあった。予兆はあった。それに気づけなかったのが、私が背負う、償いようのない罪だ。
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「…んん」
まだ聞き慣れないアラームに今日も起こされる。
中学校に通い出してから始めたアラームだ。無理もないか。春先のぽかぽかさは布団から逃げれなくする。入学式に寝坊しかけたのは記憶に新しい。
新しい友達によく寝坊する子、というイメージを持たれたくないので重い体を起こして立ち上がる。
立ち上がると軽い頭痛がした。
窓を見ると空は曇っていた。気圧の変化で頭痛がしたのだろう。よくある事だけどこの痛みは慣れない。
頭痛だけで休むわけにはいかないし、なんとか制服に着替えてリビングに出た。
「おはよう、美莉愛」
「…」
いつもの表情、いつもの声色だった。
暗い表情、沈んだ声色だった。
私はいつものように無視した。
中学校に入学してから他のクラスを見て回ったが、彼は見つからなかった。やはり同学年ではなかったのだろう。まだ同じ学校にいるという可能性は諦めたくないし、部活に入ったら先輩に聞いてみよう。
黙ってお母さんが焼いた食パンを口に入れ水で流し込む。なんだかんだ遅刻寸前だ。ゆっくり着替えすぎた。急いで身支度を整え私はドアを開けた。
「行ってらっしゃい…今日も頑張ってね」
「…」
今日こそ彼に会いたいものだ。演奏も聞かせてほしいし、目を合わせて、言葉を交わしたい。
……………お母さんともそうしたい、とは思っている。思ってはいる。けれど私の顔が、口がそれを拒む。どうにも素直になれない。でもこのままじゃダメな気がする。そんな漠然とした焦燥感を胸に毎日を過ごしている。……決めた。私の初恋にひと段落がついた時、今度は私がお母さんを散歩に誘ってみよう。その時までにどうにか素直に話せるようになりたいな。
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授業が始まる10分前、いつもの時間だ。私は少し見慣れてきた教室の扉に手をかけた。
「おはよー」
「おはようミリー、今日もまたあの人探すの?」
「まぁね」
「この学校にいるとは限らないのにー…」
「だから分かってるってばー」
私はできたばかりの友達との他愛ない会話に勤しみながら考える。
今日はもう一度同学年の子に聞いてみようと思う。なんでも、入学式からずっと家の用事、という理由で休んでいる生徒がいるそうだ。もしかしたらその人が上条幸音君かもしれない。過去最大の期待を隠しながら私は1限目の用意をした。
1限は数学だった。数学は既に再来週の授業の分まで予習済みだ。昨日友達に教えてもらったペン回しを練習しながら時間を潰していた。
「…ん」
ん?…私の前の席に座っている子から小さな紙片を渡された。なんだろう。
開いてみるとそこには女子らしい丸っこい字でこう書いてあった。
2年の先輩に上条って苗字の人がいるらしいよ。私の友達のお姉ちゃんの同じクラスらしい。
ふと視線を感じて斜め前を見ると友達のかほがウインクしていた。さっきの手紙はかほが書いたものだったようだ。
うん…これは嬉しいな…!同じ学年の子よりもこっちを優先するとしよう。となれば…善は急げというし昼休み探しに行ってみようか。
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結果から言うと人違いだった。
確かに上条という苗字の人はいたがそもそも女子だったのだ。少し期待してしまっていた分ショックも大きい。少し落ち込みながら私は今日も帰路に着いた。友達に少し居残りして勉強していかないか、と誘われたがそれは断った。そんな気分じゃなかった、というのももちろんあるが妙に胸騒ぎがしたからだ。ただの気のせいだと思い込みながらも小走りで家へと急ぐ。
ただの気のせいだよ。胸騒ぎがするような事なんて何も心当たりがない。
大丈夫だよ。いつもと変わらない、なんて事ない1日だったじゃないか。
そんな希望的観測は、家の前に鳴り響くサイレンの音とパトカー、救急車の全てに打ち砕かれた。
心臓が痛い。激しい運動もしていないのに呼吸が荒い。
あれ?私、今ちゃんと息できてる?
「はぁっ!はぁっ!はぁっっ!」
ドアの目の前で立っていた警察官を押しのけ中に無理やり入る。
入った瞬間に違和感に気づく。空気が重い。いつもの家の匂いじゃない。生活音が聞こえない。
お母さんが、いない。喉がカラカラになっていくのを感じる。
「ちょ、ちょっと君?!」
「どいてっ!ここは私とお母さんの家なの!」
中にもいた警察官と救急隊員を押しのけ、躱し、家の奥へ奥へと進む。
見慣れた景色なのに、見慣れない世界。奥へ進むたびに重くなる空気。まるで魔王のいるダンジョンに押しかける勇者の気分だ。いや、勇者なんて崇高なものでもないか。私はただのNPC。何の力もなく、覚悟もない。
リビングのドアを開けようとした途端、私は大人達に取り押さえられた。
「君は一体誰だ?!」
「ここの家の住人です!通してください!」
「っ…君はあの人の娘なのか……なら尚更駄目だ。ここから先は絶対に…!」
「っ!…うるっ…さい!お母さんが!待ってるから!」
私を取り押さえていた手に本気で噛みつき何とか拘束から逃げる。
でもすぐに押し倒されそうになる。っ、その前にこのドアだけは…!
ドアの向こうでいつも私を出迎えてくれるお母さんに会うため、私は押し倒されながらドアを押した。
「……え?」
押し倒されて顎を思い切り打った。ジンジン熱く痛む。
けれど、そんなのがどうでもよくなるくらい胸が痛かった。
私の目の前にあったのは死体だった。天井には見た事がないロープ。側には倒れた椅子。
それらを囲うように立っている大人達。
私の目は倒れている死体に吸い寄せられていた。
倒れていた死体は、私がこれまで何度も見て、見つめて、見惚れてきた顔をしていた。
耳障りな狂ったような甲高い声が鳴り響く。その声が自分のものだと気づくより先に、
私の視界は暗転した。
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「…ん」
目を開けてからはじめてみたのは知らない天井だった。
おそらく病院だろう。時計を見ると短い針が5を指していた。
おそらく倒れてから二時間ほどしか経っていない。
窓を見るとそこには見慣れない景色があった。階数は…高さ的に2階か。
「…おえ」
強い吐き気を感じて、私は近くにあったゴミ箱の中に吐いた。
吐いて、吐いて、また吐く。
全部覚えている。全部。リビングにあった全部。
いくら吐いても吐き気は治らなかった。
少し経ち、吐きたくても吐けなくなった頃、2人の大人が来た。
軽い自己紹介をされた事で私は1人がお医者さん、もう1人が刑事さんであることを知れた。
でも私が聞きたいのはそんな事じゃない。
お医者さんは自己紹介を終えた後少し黙って、そしてまた口を開いた。
「姫宮さん………落ち着いてからお話があります。急がなくてもいいので、今は食べる事と寝る事を考えましょう」
「私は落ち着いています」
落ち着いてから?私はもう落ち着いているよ。
「………ふぅ。………話ってお母さんの事でしょ?全部話して。…はやく!お母さんは今どこにいるの?!お母さんに会わなきゃ…会って話さなきゃいけないの!!」
私は医者につかみ掛かる。
その拍子に刑事にぶつかり、胸ポケットからすこし小さな手帳が落ちた。
「…………姫宮さんっ…!……あなたのお母さんは残念ながら…」
「っ………」
…本当は分かってた。信じたくなかっただけだ。
この目で見たんだから。あの姿を。
ただ寝ているだけ、そんな事を一切考えさせない濃厚な死の匂いを、私は至近距離で浴びた。
お母さんは…死んだんだ。
また心臓が強く脈打つ。心臓の鼓動で心臓が止まりそうだ。呼吸が荒くなる。
「っはぁ…っ!はぁっ…!」
「姫宮さん!落ち着いて…落ち着いて深呼吸を…」
何度も深い深呼吸を繰り返して何とか落ち着く。
私にはまだ聞かなきゃいけない事がある。
「はぁ…っ!………なんで、お母さんは…死んじゃったの?ねぇ…誰に殺されたの?!」
これは何としてでも聞く。何があっても聞く。
犯人は誰だ。もし分かってないなら私が何としてでも見つけてやる。
そんな私の覚悟を理解したのか横で傍観していた警察官が辛そうな顔で口を開いた。
「……君のお母さんは他殺ではない」
「っ!それ以上は!」
医者が止めるより先に警察官は言い切った。
「自殺だ」
え?
自殺?お母さんが…自殺?なんで?お母さんは今日も笑ってたよ?間違いない。この人明らかに何か勘違いしてる。そんなわけないじゃん。自殺なわけないじゃん。
「な、なん…で?」
「…それはまだ分かってないんだ。これから調べていく」
嘘だ。空気で何となくわかる。…さっき警察官の人が落とした手帳。そういえばあれ、家で見た事がある。確か…都会に住んでた時からお母さんが使ってた…!
私は素早く立ち上がると手帳を拾い、窓から飛び出した。ここはおそらく2階。痛いのは痛いだろうが降りれない高さではない。
「姫宮さん?!」
「いっ…!」
小学校の時習った受け身を取ろうとしたけどうまく受け身を取らず思い切り背中を打ったが我慢できないほどじゃない。刑事に追いつかれる前に早く手帳を読まなきゃ!
適当にページを開けた。すぐに気づいた。これはお母さんの日記だ。
私が開いたのは今日の日付より3日前のページ。
そこに書いてあったのは…深い絶望と不幸でできたお母さんの人生の一ページだった。
夫が生きていた頃は毎日のように話してくれたのに。
思春期がきた、という事は理解しているつもりだ。
でも…理解しているからと言って耐えられるとは限らない。
夫、おしゃべりな娘、2人が急に私の世界から消え失せた消失感は、
とてもじゃないけど耐えられるものではなかった。
あの日の散歩は奇跡だったのだろうか。
あの日は久しぶりに"ミリー"と話せた気がする。
…辛い事を言われたりはしたけれど。
それが薄れるようないい事もあった。
目を見ればわかる。あの日あの時、ミリーは恋をしたのだ。
それを私は嬉しく思った。本当に嬉しかった。
同時に妬ましくも思った。
私がミリーの心を温めほぐしてあげたかった。
私はミリーにとってなんなんだろうか。
私はミリーの母親をできているのだろうか。
不幸の上に醜い幸せの仮面を被せ、綺麗な面だけをミリーに見せる。
それを悍ましく、醜く、穢れた化け物と言わずして何というのか。
嘘をつかなくとも幸せをミリーに見せられるようになりたい。
そんな未来はきっと来ない。
もう、死んでしまいたい。全て投げ捨ててしまいたい。
愛する娘すらも。けれどそんなの許されない。
私は娘を愛している。
ねぇ、あなた。どうしてあなたが先に死んでしまうの。
私が死ねばよかったのに。
実はね、あなたが死んだ事を私はまだミリーに言えていないの。
離婚だなんて嘘をついて…ミリーを一番傷つけているのは私なんじゃないかな?
あなたがいなくなった毎日を、喋らなくなった娘と過ごす。
もう…限界かもしれない。
………え…?
お父さんが…死んでる…?
お母さんが死んだのは…私のせい…?
はっ。
一瞬気を失ってしまっていた。駄目だ。まだ駄目だ。
この手帳を最後まで読み進めなきゃ、という義務感が私の体を突き動かした。