弟子の不祥事の責任を取って辞職した錬成学最高権威の教授。田舎で『普通の子』を育てていたら、大成して償いに来た「元教え子たち」が毎日『嫉妬』と『後悔』で勝手に曇っていく 作:Student
――悪名高い公爵家の娘。コネだけしか使い道のない女。
それが王立学院の陰で囁かれる、あたしの評判だった。
どいつもこいつも、あたしの肩書きしか見ていない人間ばかりで不愉快極まりない。
装飾があしらわれた学院の廊下を、あたしは空を切るように堂々と歩いていた。
鮮やかな赤髪。丁寧に整えられたツインテールを大袈裟に揺らす。
周囲の学生たちがあたしの威圧感に気圧され、蜘蛛の子を散らすように道を開ける。
その様子を鼻で笑いながらも、あたしは手のひらをきつく握りしめた。
――名門ワースハイト公爵家。
そこはあたしにとって、ただ息苦しいだけの場所だった。
両親は成果至上主義。
高潔な魔術師の素養を何よりも重んじる家系だ。
それなのに、あたしにはその魔術の才能が微塵もなかった。
本来であれば、世界最高峰の教育研究機関である「王立学院」の魔術科へ特待生として入学するはずだったのだ。
界域魔法学や重力魔法学の第一人者で、魔法学において世界最高峰の権威である、ステラ・アストリッド・ローレライ教授。
もはや化け物しかいないような、王立学院魔術科の実力ある教授陣を束ねる主任教授。
そんな彼女の研究室に所属し、研究業績を積む。
これこそが、あたしが公爵家に求められた責務であり、選択肢など最初から存在しない。
だが、そもそも魔術師自体の才能がないと分かるや否や、両親は実の娘であるあたしを視界に入れるのさえ止めた。
魔術科への入学が困難になった今、仕方なく進学させられたのは、錬金術科。
同じ理由で錬金術科を専攻するのは、あたしだけではない。
魔術師になれない者は、多くの場合、呪術科や錬金術科を志望することが多い。
才能がない者たちと同様に、錬金術科に落ちた。
その事実こそが、あたしのプライドを地に落とすには十分すぎる出来事だった。
世の中には今日の食事にありつけない子供もいる。
これでも、あたしは恵まれている側の人間なのだ。
だからこそ、言い訳ができなかった。
学院でのあたしは「自分はワースハイト家の人間よ!」と人一倍傲慢に振る舞う。
他者を威嚇し見下さなければ、自分自身を無価値な存在として認めてしまうようで怖かったからだ。
そんな最悪の毎日の中に、転機が訪れた。
当時、錬金術科でも無名だった助教授。
――ケイン・エルロッド・オーレオール。
彼が新たに打ち立てた錬成学の功績が、魔法界に激震を走らせた。
新たに編み出された『エルロッド式・仮想錬成領域』。
今までの錬金術は、錬成に必要な素材の他に、錬成釜などの設備や道具を用いた錬成手法が主流だった。
しかし、錬成釜に見立てた仮想領域を自身の周囲に半円球状に展開する「錬成陣」を考案し、実装したのが先生だ。
職位は『教授選』を経て、助教授から教授へと一気に昇任。
王立学院の全学科の中で、最も勢いのある教授となった。
それに伴い、ケイン先生の研究室を志望する学生は爆発的に増加。
魔法学の権威で、魔術科の主任教授であるアストリッド教授と並ぶ志望者数。
この功績を受け、公爵家は手のひらを返すようにあたしに命じた。
エルロッドという教授の研究室で研究業績を積み上げてこい、と。
実家はあたしを彼の研究室に何としてでも入れるために、ありとあらゆるコネを駆使して、彼に取り入ろうとした。
当然、公爵家を含め、あたしの評判はますます悪くなった。
周囲への態度も最悪だったから、学院の学生や教官からも「コネだけの女」と忌み嫌われ、完全に孤立したのだ。
いいわよ。どいつもこいつも。
そう強がって見せても、胸の奥底にある「誰も自分を見てくれない」という孤独は、毎日あたしの心に降り積もっていった。
――それから、ついにやってきた初めての顔合わせの日。
ケイン先生の講義を受けることはあったが、今まで一つの部屋で二人きりになることはなかった。
自分の緊張を悟られないように、研究室の扉を蹴破るようにして入ったあたしを、先生は静かに迎えてくれた。
あたしは初対面から舐められたくない思いが爆発してしまい、虚勢をはりながら高圧的にこう言い放った。
「このあたしがわざわざ配属されてあげたんだから、光栄に思いなさい! 公爵家の名に恥じない莫大な研究資金と最高の教育を期待しているわ!」
王立学院にいる並の教官なら、公爵家の権力に怯えるだろう。
けれど、ケイン先生は違った。
先生はあたしが提出した実家の推薦状や煌びやかな身なりには目もくれなかった。
代わりに、先生がじっと見つめていたのは、講義の時にあたしが提出したレポートの束。
それから、錬成のしすぎで火傷やマメだらけになった、私の不格好な両手だった。
「素晴らしいね」
ケイン先生は穏やかに微笑んだ。
それから、あたしの目の前まで歩み寄ると、こう続けた。
「君の家柄がどこかなんて、僕たちの研究室には関係ない。でも、この丁寧に論理展開されたレポートと君の手を見れば分かるよ。君がどれほど血の滲むような努力を重ねてここに辿り着いたのかを」
その言葉を聞いた途端、胸の奥で熱い杭が迫り上がってくるような高揚感を覚えた。
「君は僕を遥かに凌ぐ錬金術師になるだろう。この研究室に来てくれて、本当にありがとう。これから一緒に研鑽を積んでいこう」
先生の大きな手が差し出される。
あたしは扉を蹴破った頃の威勢を忘れ、半ば放心状態のまま先生と握手を交わした。
生まれて初めてだった。
公爵家の顔色を伺いながら社交辞令を並べ、あたしを称賛する人間は多い。
けれど、ここまで混じり気のない真っ直ぐな瞳で褒められた経験はなかった。
家名や魔術の才能の有無ではなく「泥臭く努力してきた自分自身」が誰かに初めて見つけられ、肯定されたのだ。
嬉しくないわけがない。
あまりの衝撃で頭が真っ白になる。
「な、なによそれ! 当然でしょ!? あたしは天才なんだからっ!」
ツインテールを激しく振り回して怒鳴り散らしたけれど、顔から耳まで真っ赤に染まっていくのを止められるはずもなかった。
心臓が爆音で脈打つのが分かる。
――この人のためなら、何だってやってやる。
これが、あたしがケイン先生の『教え子』になった瞬間だった。
◇
周りの教授陣が、助言のつもりで僕に声をかけてきた。
――ワースハイト公爵令嬢はやめておけ。
態度も高慢だし、使えるのはコネだけで、問題が起こってからでは遅い、と。
僕の目から見て、学生のエレナへの評価は違った。
いつもの講義では彼女の熱意が伝わってくるし、課題の論理展開も優秀。
何より「執念」がある。
人間は、他者にレッテルを貼りたがる生き物だ。
悪名高いワースハイト公爵家だから。問題が起こりそうだから。高慢な態度だから。
実に、くだらない。
研究室の存続を任された教授が、研究室の発展のために所属する学生を選抜するのは容認されているし、間違っているとは思わない。
研究室の貴重な運営資金から、所属する学生の学費免除にかかる費用から生活費までもが捻出されるからだ。
少しでも優秀な学生選んで自分の研究室へと迎え入れたいというのは、至極真っ当と言える。
僕が研究室に必要だと考えるのは、ただ優秀なだけの学生ではない。
――「執念」ある優秀な学生だ。
研究は才能の世界ではない。
地道な努力を毎日積み重ねることができるかの勝負だ。
才能がものをいうのは、所詮、その程度の段階に過ぎない。
上に行けば行くほど、積み重ねていない人間など、誰一人としていないのだから。
もし仮に、才能というものが必須だったとして、だからどうだというのか。
それは「研鑽を積まない」という理由にはならない。
研究は、毎日積み重ねる他にないのだ。
そうなった時に、この研究成果を何としてでも世に出すという「執念」がなければ、研究を続けられない。
彼女には、その素養があると僕は思っている。
研究室に所属する学生を決定する時期になった頃、今までエレナを批判していた教授陣は一斉に手のひらを返してきた。
毎日、錬金術科の教授たちから、エレナは優秀だから君の研究室が相応しいだのなんだのと。
おそらくは、ワースハイト公爵家の手回しだろう。
そんなものに屈しているようでは、王立学院の「教授」という職位が、いかに低俗であるかを示しているようなものだ。
誰も彼女の実力や本質を理解していないのが、手に取るようにわかった。
狡い手段など使わなくとも、彼女は「大物」になるだろうに。
そんな僕の愚痴を隣で聞きながら、ステラは愉快そうに笑っていた。
◆
先生の研究室に配属になってからというもの、高慢な態度はそのまま、先生の前では本音が隠しきれないというおかしな状態になっていた。
先生に褒められたい。
先生の役に立ちたい。
それだけが、あたしの生きる意味になった。
――ある日の午後、学院の裏庭に、一匹の野良猫が迷い込んできた。
学院の防壁である魔術科の自動迎撃術式に誤って触れてしまったらしく、全身に酷い火傷を負い、「みぅ」と小さく泣きながら、虫の息で横たわっている。
魔術への耐性もなく、ただ死を待つだけの無価値な生き物。
「はは。不恰好ね。魔力もないくせにこんな大層な場所に来るからよ。自業自得だわ」
どうせこの子は死ぬ。
仮に助けたとしてもあたしには何の利益もないし、時間の無駄だから放っておこうと思った。
けれど、その猫の傷ついて横たわる姿はが、実家で「魔術師の素養がないお前に価値などない」と蔑まれ、誰にも見つけてもらえずにいた自分の過去に、あまりにも痛々しいほど重なったのだ。
――見捨てたい。これ以上この子を視界に入れたくない。だって、自分を見ているようで、惨めになるから。
あたしはその傷ついた猫の中に、あたし自身を「投影」してしまっていたのだ。
すると、ケイン先生がそっと歩み寄り、汚れるのも構わずにその猫を優しく抱き上げた。
「そんなゴミを助けて、一体何の得があるのよ」
わざと気に触るように問いかけるあたしに対して、先生は静かに微笑みを返す。
「そんなのなくてもいいんじゃないかな。この子が今、生きたいよって鳴いてる。それだけで、助ける理由は十分だよ」
何一つ曇りのない、晴れやかな本心。
「……それにね、エレナ。君が必死に学んでいる錬金術は、こういう小さな命を助けるためにあるのだと、僕は思うよ」
先生はいつもと変わらない穏やかな表情でそう答えた。
「僕は生命錬成が苦手だから、エレナにも手伝ってほしい。この小さな命を助けるために」
本当は、先生一人で事足りるはずなのに。
一歩踏み出せないあたしの心境を汲み取って、先生はあたしを一人の対等な錬金術師として頼ってくれた。
「べ、別にあたしが助けたいわけじゃないんだけど……先生がそこまで言うなら、仕方なく、本当に、本当に、本当に仕方なく手を貸してあげるわ!」
そこから数日間、あたしは文句を並べながらも、先生と一緒に付きっきりで猫の治療にあたった。
この頃から、あたしの興味関心は『生命錬成学』へと向き始めた。
猫が初めて自力でウェットフードを食べた時、あたしは嬉しさのあまり、自分でも気づかないうちに研究室で飛び跳ねていた。
それを見たケイン先生は、あたしを茶化すでもなく、一緒になって喜んでくれたのが嬉しかったのを、今でも覚えている。
やがて元気に回復した猫は、ケイン先生と相談して、安全な学院居住区にある部屋で世話をすることになった。
先生の隣にいれば、あたしはゴミじゃない。
あたしは、ここに居ていいんだ。
今までの人生で一番の幸福。
――しかし。
その幸福な研究室での生活に、不穏な足音がすぐそこまで迫っていた。
全ての歯車を狂わせたのは、リリア・クロイツ・イーグルライトの『あの事件』が発端だったのだ。