弟子の不祥事の責任を取って辞職した錬成学最高権威の教授。田舎で『普通の子』を育てていたら、大成して償いに来た「元教え子たち」が毎日『嫉妬』と『後悔』で勝手に曇っていく 作:Student
すべては数年前――
エルロッド研究室の平穏が、突如として崩れ落ちたあの日。
あたしの隣でケイン先生の教えを受けていたはずの二人の学生。
リリア・クロイツ・イーグルライトと、ユフィ・ツェツィーリア・マティナイト。
あたしたち三人は立て続けに、研究室の栄誉を根底から揺るがすような大問題を引き起こしてしまったのだ。
昨日まで「若き天才教授」と称えられていたケイン先生の立場は真っ逆さまに急降下していった。
周囲の羨望の眼差しも、一瞬にして「大問題を起こした学生を育てた無能」という冷たい蔑みに変わる。
先生の研究室の優位性は完全に失われ、あたしたちは日を追うごとに肩身が狭くなっていった。
権威の失墜が決定的となった、あの爆発事故。
耳を突き刺すような爆発音。
制御を失った属性錬成の紅蓮の炎が、研究室を覆い尽くす。
恐怖に身をすくませるあたしと、自らの過ちで炎に呑まれかけたユフィを、先生は迷わずその身体で庇う。
先生は一命を取り留めたものの。その代償はあまりにも大きすぎた。
右目と、右半身。
かつて優しく微笑みかけてくれた先生の顔から右目が失われ、肌には酷い火傷の痕が残った。
先生が病床に伏している最中、あたしはワースハイト公爵家に追い詰められる。
問題ばかり起こる研究室から今すぐに出ろ。
権威の失墜した師など、我が家名に相応しくない。
成果至上主義の両親からの命令。
けれど、あたしはそれを頑なに拒否した。
あたしの師は、ケイン・エルロッド・オーレオール教授、ただ一人だけだ。
「自分の師くらい自分で決める」
ケイン先生があたしを、あの孤独から掬い上げてくれたから。
しかし、魔術師としての素養を持たないあたしへの仕打ちは、より苛烈になっていった。
「身の程を知れ、この能無しが――」
真っ暗な地下室での監禁。
寒さに震えながら、ただ耐えた。
日の当たらない場所で閉じ込められていたことで、あたしは正常な判断ができないでいた。
頭が狂いそうな焦燥の末、一つの答えに辿り着いた。
――先生の権威を、あたしの手で取り戻せばいい。
誰もが及びもつかないような、圧倒的な功績を挙げればいいのだ。
そうすれば、両親も文句は言えない。
ケイン先生の研究室に残ることを、認めざるを得ないはずだ。
それからの記憶は、ただ焦燥感に塗れている。
両親には「研究室を変える」と嘘を吐き、学院へと戻った。
先生と一緒に助けた猫の世話を信頼できる級友に任せて。
先生の権威が失墜した今、もう誰も近寄らなくなった薄暗い研究室。
同じ釜の飯を食べた弟子仲間たちは、もうここにはいなかった。
おそらくは、事件の後処理に追われているか、それか自室で塞ぎ込んでいるか、そのどちらかだろう。
雨の日も、風の日も、あたしは一人きりで研究室に篭り続けた。
それから一ヶ月。
まともな食事も睡眠も取らずに文献を読み漁り、錬成陣を書き殴る。
あたしが狙うのは、当時世界の誰も成し遂げていなかった前人未到の錬成。
――『人工臓器の錬成理論』の構築。
寝不足で視界が霞む中で、あたしはついにその糸口を掴んだ。
けれど、その理論を構築するには、あと一つだけピースが足りない。
人間の手で臓器を創り出すには、膨大で純度の高い「魔力の核」が必要だった。
コトン、と。
静まり返った研究室の入り口で、小さな足音がした。
あたしの視線がそこへと吸い寄せられる。
先生が大切にしていた精霊が、きょとんとした表情でこちらを見ていた。
おそらくは、友人であるケイン先生の帰りが遅いことに不安を覚え、居住区からこの研究室へと先生を探しに来たのだろう。
かつてある北国で『コロポックル』と呼ばれていたと、文献で読んだことがある。
手のひらサイズの大きさしかなく、知能はあるが喋ることができない最下級の精霊。
ただ最下級の精霊とはいえ、心臓部の核が持つ魔力量は、膨大で純粋。
「これを使えば……最高の生命錬成ができるわ」
暗く湿った言葉が、自分の口から漏れた。
まともな判断能力など、もう微塵も残っていなかった。
先生の研究室を守るため、自分の居場所を守るため。
あたしは今からやろうとしていることが、どれほど異常なことかさえ分からなくなっていた。
言葉にならない悲鳴をあげて震える小さな精霊。
その怯える精霊を乱暴に掴み、錬成台へと乗せた。
だが、何かを察したのか急に大人しくなって、あたしの為されるがままになった。
「大丈夫、大丈夫よ、エレナ。あたしは間違ってない。これも全部、ケイン先生とあたしのためなんだから。先生だってきっと喜んでくれる……っ!」
呪文のように醜い言い訳を塗り重ねながら、あたしは解体用の刃物を突き立てた。
パキッと。
安物のガラスが砕けるようにあまりにも呆気なく命が消える音が、誰もいない静かな研究室に響き渡った。
返り血が頬や高級な制服を汚す。
錬成台の上には、冷たくなっていく精霊の死骸。
手のひらの上には翡翠に輝く美しい核。
その直後。
研究室の扉が突如として開いた。
「ただいま、エレナ。留守中、研究室を守ってくれて、ありが――」
そこに立っていたのは、まだ包帯も取りきれていない満身創痍のケイン先生だった。
爆破事故によって思うように動かなくなった右足を引き摺りながら、あたしを心配して真っ先にここへと戻ってきてくれたのだ。
だが。
目の前にいるのは、精霊の返り血を浴びた教え子。
錬成台の上に転がる友人の死骸。
そして、あたしの手の中にある抜き取ったばかりの核。
あたしは身構えた。
激昂されると思った。軽蔑され、罵倒されるのだと、恐怖で身体が強張った。
けれど。ぽつり、と。
「……そっか」
先生の左目から大粒の涙が溢れ、頬を伝って床へと落ちた。
先生は激しく取り乱すこともなく、ただ張り裂けそうなほどの悲しみに耐えるように静かに泣いていた。
先生は言葉を発さずに、右足を庇いながら錬成台の前へと歩いてくる。
そして動かなくなってしまった精霊を愛おしそうに、震える手で優しく抱きしめた。
「……エレナ。裏庭へ行こう。……この子を弔ってあげないと」
咎めるような響きは、微塵もなかった。
先生に促されるまま、あたしは感情を失った人形のように裏庭へと向かった。
先生はスコップを持ち、不自由な右半身でバランスを崩しながら何度も地面を掘る。
上手く力が入らない先生を見て、あたしは耐えかねて泥まみれになりながら一緒に小さな穴を掘った。
小さな、本当に小さな土の盛り上がりができた。
先生は近くに咲いていた名もなき白い花を摘み、その上にそっと添えた。
お墓の前で、先生はあたしの泥だらけの手を、温かい左手でそっと包み込む。
そして、静かに語りかけたのだ。
「エレナ、君を独りにして悪かったね」
それから、先生は優しくあたしを抱きとめて、こう続けた。
「……死んでしまった命は、錬金術を用いても生き還らない。犯してしまった過ちは消せない。だから、これから君が創り出す『命』に、一生懸けて誠実に向き合い続けることで、この子に応えよう」
その瞬間、胸に鋭利な刃物が突き刺さった。
あぁ。あたしはなんてことをしてしまったのだろう。
怒られて殴られた方が、何十倍も、何百倍もマシだった。
先生は、自分の大切な友達を殺したあたしを責めるどころか、その過ちごと、あたしを抱きしめてくれたのだ。
その底なしの優しさに触れた瞬間、あたしは自分が犯した過ちの、あまりの
頭を殴られたような衝撃と共に、言葉にならない感情が込み上げ、あたしはその場に崩れ落ちて声を上げて泣き叫んだ。
先生の友人を殺してしまったという、怒られるよりも何倍も辛い、一生消えない罪。
程なくして、度重なる事件を機にケイン先生の研究室を志望する者はいなくなり、ついには学院から強制的に退官させられることになった。
先生の信頼を裏切り、権威を失墜させるほどの大問題を起こした
それからのあたしは、今までとは決定的に変わった。
寝食を忘れるのはあの日と同じだったが、動機は焦燥感ではない。
――先生の言葉に応え続ける。
あたしが殺してしまったあの子のためにも、これからあたしが出会う『命』に、一生を懸けて誠実に向き合い続けるしかない。
もう二度と、精霊の命も、人間の命も、誰の犠牲も必要としない、本物の人工臓器の理論を確立させる。
そしていつの日か、もう一度先生に認めてもらい、もう一度あの人の隣に立つのだ。
それだけを支えに、あたしは研鑽を続け、血の滲むような努力で錬金術の高みへと這い上がっていく。
ワースハイト公爵家も、王立学院も、あたしの圧倒的な成果の前には跪くしかない。
気づけばあたしは、世界の誰もが畏敬を込めて呼ぶ『生命錬成学の母』という権威の頂点に立っていた。
――そして、数年が経った今。
ついにあたしは、先生がひっそりと暮らしている辺境のアトリエの場所を突き止めた。
最高峰の大精霊ウンディーネの召喚石を、免罪符のように胸に抱きしめる。
あの精霊の代わりにはならないかもしれないけど。
それでも、あたしは先生に償いをせずにはいられなかったのだ。
もうすぐよ。やっと、先生の隣に行ける。今度は、あたしが先生を支えるから――。
成長した自分を見てほしい想いと、決して消えない罪の意識を胸に秘め、あたしはアトリエの古びた木製の扉を、高鳴る鼓動と共にゆっくりと叩いた。