今回は6000字となっております。
放課後の音楽室。
アヤメはその中にいた。自分が音楽を奏でるか、数少ない友人が訪ねてくるか話しかけることでもしなければ、その空間は静寂だ。いつもであれば、ここでヴァイオリンを弾いたり歌を歌ったりするのだが、アヤメは今日は静かに待ってみる事にした。
昨日の少年。名前を聞くこともできなかったが、ネクタイの色からしておそらく同級生であろう。あの少年は『また』と言っていた。自分と話してくれる気があるのだろうか。と、アヤメは少し嬉しく思う。
何故なら、数少ない例外を除いてアヤメに話しかけてくるのはアヤメの『天才ヴァイオリニスト』としての偶像を求めているに過ぎなかったから。もしくは、富裕であるアヤメの実家との縁を期待してのもの。それを悪とは言わないが、やはり少し悲しいものだとアヤメは思ってしまう。
それに、アヤメにはもう一つ力がある。その力のせいで寄ってくるものと言えば基本的に敵だらけなので、あまり公にはしていない。何より、その力はこの世界の天秤を傾ける危険なものなのだから……
と、話が脱線してしまった。何にせよ、アヤメは昨日の同級生の、生活指導から逃げ回っていた少年を待っている。しかし、『また』とは言っていたが『今日』とは言っていない事に気付くアヤメ。しかし、まあそれならばそれで毎日待ち続ければいいか、とも思えてしまう。
アヤメはもしかしたら、『普通の友人』というものに飢えているのかもしれない。
いや、友人もいない事は無いのだが、彼女達はどちらかと言えば仕事仲間であるし。などと言ったら怒られそうではあるが。彼女は時々音楽室その他でアヤメと一緒にいて賑やかしてくれる人ではある。彼女がいれば充分という見方もできるが、そこはやはり、人数が多くても、まあ、いいだろう……幸い、彼女はアヤメに友人が増えた所で嫉妬するような人間ではないし。と、少し言い訳じみた考えを抱いていると、
「お待たせ、小夜風さん」
件の少年が来た。
まず二人は、お互いに軽く自己紹介した。少年は天野リンという名前であることが分かり、アヤメは『天野さん』と呼ぶことにした。リンの方も、アヤメの事は『小夜風さん』と呼んでいる。
「それで天野さんは、昨日何をしていたんですか?」
「ちょっとした悪戯だよ。あそこまで追い回すこと無いと思うんだけどなあ」
「鬼川先生があそこまで怒るって、余程の事だと思うのですけれど」
「学校の備品を破壊したわけでも、人に怪我させたわけでもないよ。いや、本当に」
「その二つが無かったら許される、みたいな認識なんですか?」
アヤメの声が少しだけ低くなった。リンは校則通りに着こなされたアヤメの制服を見る。ルール違反はあまり好んではいないだろう。たちの悪い悪戯も同じく好んでいないに違いない。
自分がやったのは皆が楽しめるお祭りだから問題ない。と言いたかったリンだが、墓穴を掘ることになりそうだったのでやめておいた。
「そ、そうだ。小夜風さんはどんな曲が好きなの?」
「露骨な話題転換ですが、まあいいです。そうですね。以前弾いた『タイスの瞑想曲』ですとか、『G線上のアリア』ですとか、『プニャーニの様式による前奏曲とアレグロ』なんかも好きですよ」
「クラシックが好きなんだね。じゃあ、このプレイリストは気に入るかな」
リンは自分が弾く用に纏めたプレイリストをアヤメに見せる。リンは教会に住んでいるのだが、その教会に訪ねてくる子供たち相手にピアノを披露する事がある。その曲をプレイリストに纏めたものがあるのだ。教会という関係上、宗教音楽が多めだが、アヤメはそれでも気に入ってくれた。
『主よ、人の望みの喜びよ』をハミングするアヤメをリンは眺めていた。実は、二人の距離は初対面の相手に対しては近すぎるものなのだが、それを指摘する者はこの場にはいない。いい匂いのするアヤメの髪がスマートフォンに掛かるのをどけながら、リンは別のプレイリストに指を動かした。
「あ、ごめんなさい。私の髪が」
「大丈夫だよ。ところで、小夜風さんはゲーム音楽とかは聞くタイプ?」
「あまり聞かないですね。ゲームというものに縁が無くて……でも、ポップスや最近の音楽も聞いてはいますよ」
「どんな曲を聞いているの?」
とりあえず、クラシック以外の音楽を馬鹿にする人種ではなさそうな事に安堵するリン。仮にアヤメがそういう人間であった場合、まず仲良くはなれないだろうから。
「そうですね。喧嘩した翌日に恋人が不慮の事故で死んでしまったという歌ですとか……」
「ん?」
「魔女と騎士が愛し合いながらも殺し合う歌ですとか」
(もしかして、暗い曲が好きなのかな)
因みに、両方英語の歌詞であった。アヤメの好きな曲というのはかなり偏っているのではないかとリンは思ったが、流行りの曲を全然知らないのはリン自身も同じなので、指摘はしないでおく。
リンは自分のプレイリストをアヤメに聞かせる。ゲーム音楽が主であったが、アヤメは全ての曲を心地よさそうに聞いていた。彼女の声も、横顔も、あまりにも綺麗で、リンは思わずドキリとしてしまう。人を外見だけで判断する感性は持ち合わせていないが、美しいものを美しいと思う感性は存在する。友人らに『倫理観ゼロ』などと揶揄されようとも、そこまでひねくれてはいない。
「ありがとうございます」
そして、最後の曲を聞き終わった後に、アヤメはお礼を言った。そして、物憂げな表情でこう続ける。
「風を……待っていたんです」
唐突に登場した『風』という言葉。リンが少し首を傾げると、更に彼女は続ける。
「酷い嵐を呼んで欲しかったんです。型に嵌まれない私は、人という晴天に馴染めない。だから、空を吹き飛ばすほどの風を、空を揺らすほどの雷鳴を待ち望んでいた」
「…………」
「とても長く、無風地帯にいたんです。乾いた孤独感に苛まれて、耳が痛くなるほどの無音でした。そんな時、貴方が、風を連れてきてくれたんです」
ややあって、アヤメは少し弁解するように続けた。
「別に、友人が全くいないというわけではないのです。でも、私がこの無風地帯に飽いていたのは事実で……この言い方は少し友人に失礼でしょうか。でも、天野さんが来てくれて嬉しいのは、本当ですよ」
少しわたわたしながら言葉を紡ぐアヤメだが、アヤメが言おうとしている事は何となく、リンにも分かった。
彼女はあまりにも違い過ぎた。
どうしようもなく異端で、どうにもならないほどに異端で、どうしようとも思えないほどに異端で、異質で、異能じみた感覚を持っていて、そして周囲から弾き出された。
似ているとも思った。リン達の境遇に。違うのは、リン達は半ば自分から共同体を離れたのに対し、アヤメは周囲から拒絶されたのだという事だろう。
今では少数ながら友人と呼べる存在がいることもリンと重なる。
だとすれば、リンが言うべきことはもう分かった。
「きっと、小夜風さんにとっては、型に合った社会は窮屈すぎるんだと思う」
「…………」
「誤解しないで。決して責めてるわけじゃないんだ。僕だって殆ど同じ気持ちだし、そんな暑いだけの炎天が続く状況下で、強い雨を、この憂鬱を吹き飛ばす風をと願うのは決しておかしい事じゃない」
アヤメとしては型にはまっていたいのだが、リンの言葉は少し魅力的に思えた。人には言えないその過去から、秩序を重んじるアヤメ。しかし、少し風を望む程度は良いのではないか。そんな考えがアヤメによぎる。
だから、とリンは続ける。この提案は自分達の為にも、彼女の為にもなると予感していた。
「小夜風さんさえ良ければ、僕の友達に会ってみない? すぐに人を煽ったり人身御供にしようとするクズばっかだけど、小夜風さんの事は受け入れてくれると思うんだ」
「友達……なんですよね?」
「うん、美しい友情みたいなのは欠片も無いけどね。でも、かなり真っ当に青春してると自負しているよ?」
おおよそ友達に向けたものとは思えない評価にアヤメは少し困惑するが、リンが本気で嫌悪している様子がないのと、色々な人と話したいという彼女の願いが断ると言う選択肢を与えなかった。
「その方々は、新たな風を連れてきてくれるでしょうか」
「きっと、全部を吹き飛ばしてくれるさ」
「ふふ、青い胡桃も、酸っぱいかりんも、ですか?」
「……そうだよ」
思わずアヤメの笑顔に見惚れそうになったリンは、理性を総動員して返事をする。
一方、アヤメはガラスのマントを着て空を飛ぶかの如く現れた、又三郎のような少年との出会いに心を躍らせていた。
・・・
「天野さんのご学友は、どのような方々なのでしょう?」
「クズばっかだよ」
「天野さんがそう思っているのは、よく分かりましたけれど」
アヤメが微笑みながら答える。一方、リンも説明になっていないのは自分で分かっていたのか、今度はしっかりとした説明をする。
「……あいつらとは罵倒や殴り合いは当然、逃げる時は生贄に捧げ合うのが常識だね」
「?」
「小夜風さんが宇宙猫になった」
ついさっきまで慈愛のほほえみを浮かべていたアヤメが、一転して背後に宇宙を創造してしまったのを見て、少し刺激が強すぎたかもしれぬと案ずるリン。
「と言っても男同士の友情なんてそんなもんだと思うけどなあ。小夜風さんの友達はどんな感じなのさ」
「週に一回定期報告するだけですね」
「職場の同僚でももう少し会話すると思う。というか定期報告って何をしてるの? 闇バイトみたいな事でもしてるの?」
「私がそんなものに手を染めるとでもお思いですか」
「いや、アヤメさん家って確か裕福だもんね。流石にないか」
アヤメからジト目で聞かれ、すぐに訂正するリン。しかし、会話するにしても週に一回だけとは、それは友人と呼ぶのだろうか。とは思う。もしかして、家の使用人との会話だけが楽しみ、とかそういうことだろうか。
「なんだか可哀想なものを見る目をされている気がしますね」
「僕も他人のこと言えないけどね……まあ、アイツ等との出会いは、アイツ等が僕に殴りかかってきたことが始まりだけど」
「通り魔か何かなんですか? 貴方のお友達は」
週に一回定期報告するだけの謎な友人関係を持つアヤメでも、あまりにも蛮族過ぎる出会いに少し驚く。なお、理由も「あまりにも暗くて死神だと思ったから」という、理不尽極まりないものだった。
「酷いよねえ……自分で言ってて中々なことだと僕も思うよ。まあ、当時暗かったのは事実だけどさ。でも、良いこともあるんだ」
「?」
「アイツ等を生贄に捧げる事に躊躇いが無い」
「そうですか……」
既にアヤメのリンの友人への評価が『蛮族』になっているが、本人が気にしてなさそうなのでアヤメは黙る事にした。他人にとやかく言えるほど、自分も良い友人関係を築いているとは言えないわけであるし。
「なんだか可哀想なものを見る目をされている気がするね」
「さあ、どうでしょう。それにしても、今から会うのが不安です」
「今は良い奴らだから大丈夫。少なくとも無益に人を傷つける連中じゃないよ」
「天野さんの一件は無益ではないのですか」
「結果として有益になってるからヨシ」
何がヨシなのだろう。と、アヤメは思った。しかし、本人が納得している以上、ツッコむのも野暮である。いずれにせよ会ってみなければ何も始まらないというのも事実だ。
「あいつらのことは……めんどくさいし、それぞれ呼び慣れてるから脳筋、腹黒、スパイって呼ぶね」
「既に友人に対する呼び方ではない気がしますが」
リンは彼のクラスの教室の引き戸を開ける。そこには、品行方正そうな美男子と、一見すると特徴の薄い男子がいた。
「紹介するよ、腹黒とスパイだ。で、こちらが小夜風アヤメさん」
「これって法的に取り締まったりできないのかな? いきなりネガティブキャンペーンするんじゃないよ」
「僕も異議を唱えたいですね。戯曲の登場人物だって、もう少しマシな紹介がされるものですよ」
品行方正そうな美男子が『腹黒』、特徴の薄い男子が『スパイ』と紹介され、アヤメは首を傾げる。
「そういえば、脳筋は何処に行ったの?」
「おい、話を進めようとするな。僕達はまだ小夜風さんに本名すら紹介していないんだぞ」
「君達なんて腹黒とスパイで充分だよ」
「
「喧嘩を売ってると解釈していいのかな? スパイ」
スパイこと、影山杏が二人分の紹介をする。ようやく本名を知ることができたアヤメは少し安堵する。これから人のことを『腹黒』『スパイ』と呼ばずに済みそうだったから。いくら出会い頭にリンに殴りかかったとはいえ、今では友人である彼らをぞんざいな呼び方はしたくなかった。
「よろしくお願いします。烏丸さん、影山さん」
「君は小夜風アヤメさんで良いんだよね。話には聞いていたけど、確かに美人だ」
「白井さん、彼氏が他の女性を口説いていますよ」
「縁起でもない事を言うんじゃない! 客観的に見て美人だと思っただけだよ!」
「あ、白井さんっていうのは腹黒の彼女さんね」
リンが最後にさらりと締めくくる。白の慌てようからして、白井とは余程怖い人なのだろうかとアヤメは思う。でも、自分が好きになった人が他の女性を美人だと褒めていたら、複雑な気分になるのも事実である。
「僕は
「あーはいはい。お熱いね。それで、脳筋はどこだい?」
「名前を呼ばないのはもはや意地なんですか? 小夜風さんという見知らぬ人がいる中でそれを貫き通すのは凄いですが」
「脳筋さん?」とアヤメが首を傾げた所で、アヤメ達がいる方とは逆の引き戸から件の脳筋が現れた。
「おかえり」
「ただいま……ん? 参謀は今日は来ないっつって無かったか?」
「予定が変わったんだよ。小夜風さんにキミタチを紹介しようと思って」
「え!? お前小夜風さんと知り合いだったのか!?」
「そういえば流していましたが、これはご襲儀(誤字に非ず)案件でしょうか?」
「まだそんな仲じゃないから」
「ご襲儀?」とアヤメは首を傾げる。ここに来てからずっと首を傾げている気がする。脳筋とやらの本名も分からない。
「あーっと、俺は
とりあえず脳筋の本名は分かった。態度からして、かなり素直な人間なのであろうことも。しかし、もう一度見れば一滋はリンと杏と喧嘩をしていた。
他二人が「お前どこであんな可愛い子と知り合ったんだ!」「どんな手を使って誑し込んだんですか」とリンに言いがかりをつけ、リンが「おいスパイ! 何を想像しているのか知らないけど普通に知り合っただけだよ!」と反駁していた。
とはいえ、それほどシリアスな様子ではなさそうだが。
「彼らはあんな様子だし、代わりに僕が言わせてもらおうかな。歓迎するよ、小夜風さん」
旧作から大幅に会話を追加いたしました。そして、アヤメの友人関係も追加されています。週に一回定期連絡するだけの友人関係、そしてアヤメの仕事とは……この辺りは続きを待ってもらえればなと思います。