スクリューガムに連れられてきたのは、ルパート3世が眠っている場所……ヘルタが鉄墓と融合した場所だった。
『私が案内できるのはここまでです。あとはどうかお願いします』
「わかってる、俺と相棒に任せとけ!!」
「ウチらもいるし、絶対負けないよ!!」
自信満々で列車の一同は、紫の水晶の道を進んでいく。そこには水晶でできた鏡や、顔の部分に穴が空いた肖像画がたくさん浮いている。
「なんだろう、あれ……」
「……待て、なにか聞こえないか?」
「本当だ、誰の声だろう?」
ファイノンと穹が耳を澄ませると、鏡に映像が映っていることに気がついた。それに映っているのはスクリューガムと……もう一人は女性。ライコスの前に二人が立っている。
「もしかして、あれがヘルタって人なのかな?」
『先輩、アンタの負けだよ。体にハッキングをかけてもらったから、しばらくは動けないだろうね』
『流石は新時代の天才……私が勝てる相手ではありませんでしたね。しかし、鉄墓の誕生はもはや私にも止められません。カスライナ殿に限界が来たようですね』
『ヘルタさん。鉄墓の演算進捗率が上昇、このままでは完全顕現します』
スクリューガムの言葉を聞いて、ヘルタはそれがハッタリでないことを悟る。そして、ヘルタはため息をついて言った。
『じゃあしょうがないね。あのプランを使うよ、スクリューガム。準備して』
『……わかりました。すぐに始めます』
『何をするつもりですか? 鉄墓を止めようとしても、あなた達は無意味な犠牲となるだけです。安全な場所に避難することをお勧めしますよ』
ライコスはそう言ったが……ヘルタは不敵な笑みとともに、ライコスに言った。
『本気でそう思ってるなら……悪いけど、ガッカリさせることになるよ。先輩』
『……なんですって?』
『準備ができました、ヘルタさん……本当にこれでいいのですか?』
スクリューガムの声色が暗い。その様子を見て、ライコスもヘルタがなにかまずいことをしようとしている予測がついたらしい。
『もうこれ以外に方法はない。あなただって、わかってるでしょ?』
『何をするつもりなのですか……?』
『感謝してよね、先輩。銀河一の美女にして世紀の大天才が、あの首なし大君の頭になってあげようっていうんだから』
それを聞いて、ライコスにもようやく理解できた。今までにないほど、ライコスが恐怖し焦っている。
『や……やめなさい!! そんなことをすれば、あなたは!!』
『死ぬとして、それがなに? 宇宙全体の生命と比べたら、安い対価だよ。研究成果よりも何より大事なのは人命。宇宙の全生物を犠牲にした実験なんて、言語道断』
『……時間がありません。ヘルタさん、こちらへ』
ライコスは無理やりにでもヘルタを止めたかったが、ハッキングのせいでピクリとも動けない。そしてヘルタは、最後に振り向いて言った。
『じゃあね、先輩。私が死んだことによる世界の損失は大きいけど……まぁ精々、一生悔やみながら生きていってね』
『待ちなさいッ!!!』
「……映像が消えた。この後、どうなったんだ?」
まだ鏡はあった。次の鏡を見ると、そこにも映像が映し出される。ヘルタとスクリューガムが、今は亡き鉄墓の前に立っている。
『ほぼ顕現してるね。暴れ出すのも時間の問題だ』
『……ヘルタさん。あなたの宇宙に対しての行為は素晴らしいことです。しかし、やはり……』
『私の命が失われるのは、そりゃ惜しいよ。でもね、スクリューガム。命惜しさにあいつの思い通りになるなんて、死ぬより嫌。アンタだってそうでしょ?』
スクリューガムは何も言わずに俯いた。そして鉄墓の前に立って、杖を向ける。
『さぁ、早くやって。間に合わなくなる前に』
『……わかりました。戴冠プログラムのハッキングを開始します』
『ほら鉄墓、首を差し出して。アンタの頭は機械頭じゃなくて、私だよ』
鉄墓は大量のエラーを吐いている。しかしそれでも、スクリューガムは手を止めない。ゆっくりと鉄墓が手を伸ばしてきた。
『じゃあね、スクリューガム。私の遺言は端末に送っておいたから。その通りにしておいて』
『……ヘルタさん!!』
『できる限り、早めに倒しに来てよね。私という天才を犠牲にするんだから、無駄にしたら承知しないよ?』
次の瞬間、ヘルタの体が鉄墓に吸収された。次の瞬間、鉄墓の体から禍々しい水晶が突き出る。バキバキと音を立てて、姿が変形していく。
『……神礼の観衆の名において、私は見ました。銀河の希望が……最高の天才が、永遠に喪われた瞬間を』
「そういうことだったのか……すごい人だな、ヘルタって人」
「うん、そのおかげで僕はここにいられるんだ。顔も知らなかったけど……感謝しているよ」
その場の全員が、ヘルタとスクリューガムに最大の敬意を示す。そのまま奥に進んでいくと……紫色の巨体が、そこに横たわっていた。
『辿り着いたようですね、皆さん』
「リュクルゴス……何をしに来た?」
『協力をしに来たのです。あれも元々私の造物、私が内部プログラムを書き換えて弱体化させます。それまで持ちこたえてください』
ライコスがそう言ったのを聞いて、なのかと丹恒は怪訝そうな目をしている。
「怪しい……裏切るつもりじゃないよね!?」
「信用ならない。お前が全ての元凶だからな」
「大丈夫だ、ボコボコにして言うこと聞かせてるし……スクリューガムが監視してくれてると思う」
「あぁ、それに裏切る理由もないはずだ。知恵の壊滅という目的は果たせないんだからな」
ライコスはそれに頷いて、肯定を返す。
『はい。全面的に協力しましょう……ルパートは、間もなく目覚めます。皆さん、どうか警戒を』
「お前に言われなくたってやってやるさ!! な、相棒!!」
「あぁ、この勝負……必ず勝つ!!」
ルパートの手が、動いた。地面に転がっていた杖を掴んで、それを地面に突いて老体を起こすように起き上がる。体中の水晶が輝いて、その場にいる全員を見据えた。
「もちろんだ。攻撃は俺が受け止めよう」
「ウチもフルパワーでいくよ!!」
「オォォォォォ……」
紫の水晶に声が反響して、禍々しくも美しい声となって響き渡る。凄まじい威圧感だが、その場にいる誰一人として怯まない。杖がルパートの左側に浮いて、地面の中から巨大なハンマーも出てきて、右側に浮き上がった。
「来るぞ、気をつけろ!!」
「オォォォ……!!」
「下からだ、みんな避けて!!」
ファイノンがそう言って、全員が躱す。さっきまでいた場所に魔法陣が浮かんで、爆裂する。そこに間伐入れず、追撃が来た。ハンマーから飛び出した紫色のダイヤモンドが、上空から大量に降り注いでくる。それを見て、即座にファイノンが変身。カスライナとなり、剣を構えた。
「やらせるか!! はぁぁぁっ!!」
「ファイノン、ナイス!!」
「紛争の名を刻みつけるっ!!」
剣が巨大化し、それで斬りかかるカスライナ。それをまともに受けて、ルパートの胸に巨大な裂傷が刻まれる。しかし……傷がみるみる内に水晶に覆われて、再生していく。
「えっ、治っちゃった!?」
「どうやら、力押しではダメなようだな……」
「今度は……竜巻!?」
今度はハンマーを超高速回転させて、竜巻を発生させてきた。ダイヤモンドの混ざった竜巻は、美しい破砕機に他ならない。巻き込まれればズタズタにされてしまう。
「あれは俺に任せろ、みんなは攻撃を!!」
「わかった、任せたぞ!!」
「地を守り、天を支える……!!」
丹恒が前に出た。敵に向かっていく三人を、不朽の力が守ってくれる。龍が竜巻を別方向に逸らし、全員の攻撃が当たるようにした。
「行けー、クラゲちゃん!!」
「相棒、俺に合わせて!!」
「わかった!!」
なのかのクラゲが自爆して、飛んでこようとしたダイヤの欠片を根こそぎ叩き落とす。そして、二人が槍と剣の合わせ技で攻撃を仕掛ける。
「喰らえぇぇぇぇ!!」
「はぁぁぁぁぁ!!」
「グゥ、オォォォ……!!」
二人の攻撃は、ルパートの体に大穴を開けた。しかし、それでも動きが鈍らない。
「再生は……していない? 何故だ?」
「待って、なんか変じゃない……?」
「動いてないなら……今がチャンス!! 炎の槍よ、断ち切れ!!」
「ッ、待つんだ相棒!! まずいっ!!」
しかし、カスライナが叫んだ時には遅かった。それに槍が突き刺さると……ルパートではなく、鏡が砕け散った。ルパートは動けないフリをしていたのだ。本物は……遥か上空にいた。
「えっ……」
「オォォォォ……!!」
「相棒、危ない……ッ!? 体が……!?」
カスライナが庇いに入ろうとしたが、突然体が動かなくなる。元々オンパロスの住人であったことが災いし、ルパートがハッキングをかけたのだ。ルパートは鏡に自分を映しながら、禍々しく踊り……激しく光る杖を、鏡の中の自分達と共に穹へと向けた。凄まじい紫色の光線が、穹めがけて放たれる。
「穹、危ない!!」
「丹恒……!?」
「ぐっ、うぅぅ……!!」
しかし、絶滅大君でなくなったとはいえ使令の必殺技だ。丹恒には荷が重い。なのかは攻撃して止めようとしているが、ルパートは微動だにしない。
「この、この!! 止まれー!!」
「リュクルゴスめ……まだなのか!?」
「こんなところで、終わるわけには……!!」
丹恒の張ったシールドが破られそうになった、その時。突然光線が途切れて、ルパートが地面に落ちてきた。
『ハッキング完了。皆さん、お待たせしました』
「ってことは……倒せるようになったんだな!!」
『えぇ、攻撃プログラムは大幅に弱体化。自己修復プログラムを停止させました。あとは攻撃するだけで倒せます』
地面に膝をついた状態で、なおもこちらに杖を向けるルパート3世だったが……もはや穹たちの敵ではなかった。
「決めるぞ!! 今度こそ……炎の槍よ、断ち切れ!!」
「クラゲちゃん軍団、突撃ー!!」
「不朽不滅を以って八荒を翔け、厄災を払え!!」
「往昔の余燼を以って、来世に暁を!!」
ルパートにカスライナの隕石が降り注ぎ、全弾命中する。続けてクラゲが周囲で炸裂、爆発に巻き込まれた。丹恒の不朽の龍が体を締め上げて……そこに、穹の炎の槍が突き刺さる。
「でぇやぁぁぁぁ!!」
「グオォォォォォッ!!」
「……やっ、た?」
ルパートは攻撃を受けて、前のめりに倒れ込む。そして……紫色の水晶となって、砕け散った。
『ルパート3世は完全に沈黙し、現実でも消滅していっています。お疲れ様でした』
「やったぁぁぁ!! やったな相棒、俺たちの勝ちだ!!」
「あぁ、これでみんなも浮かばれるだろう……」
穹となのかは飛び跳ねながら喜んでいる。丹恒とファイノンも、安堵のため息をついていた。
「これでオンパロスの開拓は終わりだな……」
「帰ったら祝勝会しよう!! なんたってウチら、銀河を救ったんだからね!!」
「いいね、やろうよ!! それじゃ、早速帰っ……」
穹の動きがピタッと止まる。それを他のみんなが怪訝そうに見ていた。
「どうしたの、穹? そこに誰か……えっ、誰あれ!? さっきまでいなかったよね!?」
「キュレネ……キュレネなの?」
「あれが君の言うキュレネ……ミュリオンなのか。確かにずいぶん違うね……」
丹恒には見えていないらしく、なんのことだか分からない様子だ。
「どうしたんだ、穹? これから祝勝会だと喜んでいたのに、急に様子が……」
「丹恒、僕たちは先に行って準備していよう」
「そうか? ……わかった、ルパートを倒したんだから、危険もないだろう」
「早めに戻ってきなよー!! ご飯冷めないうちにね!!」
穹の耳に届いていたかは定かではない。穹は、信じられないという様子でキュレネに近づいていく。
「ルパートを倒してくれてありがとう、穹。おかげで宇宙は救われた。全部あなた達のおかげよ」
「やっぱりキュレネなんだ……生きてたの? なんで出てきてくれなかったんだよ?」
「ううん、あたしは生きてない。元のキュレネが残しておいた、記憶の力の残滓に過ぎないの。花が枯れてしまったあとに、一つだけ残った花びらみたいなもの」
キュレネの体にはヒビがない代わりに、透けている。どうやら記憶体だというのは本当らしい。
「じゃあ……また消えちゃうの?」
「うん。あたしは、未来からあなたを救うため……そして、ヘルタさんを失ってしまった鉄墓の再誕を防ぐために、過去を観測することで因果を固定するの。そうして初めて、宇宙は救われる」
「そんなの嫌だ!! せっかくこうしてまた会えたのに、敵はもういないのに……それなのに、なんでなの……? 救われてばっかりで、なんにもできてないよ……」
オンパロスのみんなは、本当はもういなかった。目の前のキュレネすら、残滓でしかないという。誰一人救えていない、救われてばかりで何もしてあげられなかった。そう思って、穹は自分を責めている。
「そんなことないわ。穹はね、あたしにこうして会ってくれた。ファイノンに会って、一緒に旅をしてくれた。あたし達の意思は、あなた達がいる限り消えないの」
「だからって……!! みんなが生きてないんじゃ、意味ないだろ!! もっと話したいこととかしたいことも、いっぱいあったのに……行きたいところもいっぱい……」
「あたしもよ。でもね……心残りがあるってことは生きたい心があったってこと。最後まで、それを持ち続けられたのは……あなたのおかげよ。本当にありがとう」
穹は辛そうにしている。この旅を通して知った失う恐怖は、穹の心に大きな傷を残していた。
「いやだ……お別れしたくないよ、キュレネ……行かないで……」
「もう、ダメよ? この物語は、あなたが最高のピリオドを打ってくれた。あたし達の物語はここで終わりだけど……あなたを待ってる物語は、まだまだたくさんあるわ。だから……」
「キュレネ、待って!!」
穹はキュレネに手を伸ばす。しかし、もう手が届かない。
「あなたを待ってる仲間たちの元に、戻ってあげて。開拓にはこれからも、ずっとずっと終わりはないわ。ほら、前を見つめて……」
「あ……」
「その心のままに、前に進んで♪」
キュレネはそれを最後に、完全に消滅した。オンパロスにいる生命体は、もう穹一人だ。誰も、なにも残っていない。前に進むべきだ、わかっている。
「……こんなの、嫌だ」
だが、二律背反は人の常。わかっているのに、諦められない。こんな結末、到底認められない。穹は血が出るほど強く、拳を握る。
「みんなは、再創生後の世界で再会できるって、思ってたはずだ……」
理想の世界を、みんな願っていた。モーディスも、キャストリスも、アグライアも、サフェルも、トリスビアスも、アナクサゴラスも、ヒアンシーも、セイレンスも、ケリュドラも、あそこにいたファイノンも……きっとキュレネも。みんな、夢があった。叶えられないまま、手すら伸ばせないまま終わった。誰一人、救えなかった。
「そんな、そんな結末なんて……絶対に……」
「受け入れないとして、どうするの?」
「えっ……誰!?」
そこにいたのは……自分とよく似た、女だった。それはこちらに近づいてきて、言う。
「あの子の言う通り、この物語はここで終わり。これ以上捲るページも、新しい文字を書く余地もない。それなのに、まだここに留まり続けるの?」
「それでも……!!」
「もしも、方法があるとして……アンタはそのために何を差し出す?」
そう尋ねられて、穹が即答する。
「すべてを」
「簡単に言うけど、その道が想像を絶するほどの苦痛と喪失の道だとしたら? それでも進む覚悟はあるの?」
「俺はどれだけ苦痛を背負おうとも……諦めない。俺は、絶対に受け入れない!!!」
そう叫んだ穹に、それは言った。
「そう。それなら進むといいよ」
「えっ、なんだ……これ……!?」
「終わりのない、昨日に向かって」
終焉の砂時計が、反転する。穹の目の前の景色が、歪んでいく。
「ここは……どこなんだ?」
気がつくと、穹は不思議な空間にいた。そこを歩いていくと……モーディスとクレムノス人達が、そこに映し出されていた。もういない彼らに手を伸ばす。
「……受け入れない」
歳月の力を使った時のような感覚。しかしそれよりも、もっと凄まじい力の奔流を感じる。砂時計が回転し終わると……なんとなくわかった。望む因果が定まったことが。
「進もう、前に」
今度見えたのは、キャストリスとボリュシア達だった。それにもまた、手を伸ばす。砂時計が、回転していく。
「……体が重たい気がする」
当然だ、使っているこの力……終焉の力は、人が持っていい力ではない。星核を媒体に使ってはいるが、なんの代償もなしに使うなど有り得ない。星核だって、使えるのは一回きり。それでも進み続ける、何を代償にしてでも。
「でも、まだ進める」
さらに歩いていく。次はアグライアとオクヘイマの人々。同じように手を伸ばして、『観測』をする。
「……」
因果はここに定まった。穹は、腕が痛くなってきた。次はサフェルとその関係者。手を伸ばして救う。因果はここに定まった。
「……頭が痛い」
それでも進む。1000人のトリスビアスに、手を伸ばす。因果はここに定まった。
「足が、すごく重い……」
前に進む。アナクサゴラスと樹庭の学者たちに手を伸ばす。因果はここに定まった。
「腕が痛くて、上がらない……」
それでも進んで、無理やりにでも手を伸ばす。今度は、ヒアンシーと天空のみんなに。因果はここに定まった。
「……目の前が、よく見えない……」
山の民ジオクロスと、荒笛。会ったこともない人達にも、手を伸ばす。因果はここに定まった。
「ひゅ、ひゅうっ……息が……うまくできない……」
前に進む。そこにいるであろうセイレンスと、セイレーン達に手を伸ばす。因果はここに定まった。
「あれ? ここってどこだっけ……なんで俺、こんなこと……いや、助けないと……」
前に進む。そこにいた、ケリュドラとその臣下たちに手を伸ばす。何故こんなことをしているのかはわからない。でも、やらなければならない。因果はここに定まった。
「……俺は、誰なんだっけ……」
穹の記憶が消えていく。文字通り、全てを失う喪失の道を、それでも進む。前へと進んでいく。
「丹恒、なの、ファイノン……ヨウおじちゃん、姫子、パム、デーさん……あれ、誰だっけ……?」
仲間のことすら、覚えていられない。それでも前に進む。歩むと決めた道なのだから。
「……この子、誰だろう」
もう目が見えていない。もう何も聞こえない。救うべき相手の名前すら、思い出せない。それでも目の前の誰かに、手を伸ばす。砂時計が回る。ゆっくりと、望んだ因果が定まっていく。激痛に苛まれたとしても、自分が誰なのかすらわからなくなっても、もう二度と戻れないとしても。目の前の誰かを救うために。
「……」
砂時計が回りきった。穹は終点に辿り着いた。ぐらりと、穹の体が揺れる。もう痛みすら感じなくなって、何も見えなくなり……そのまま、体内のなにかが砕け散るような音と共に、二度と黎明の訪れない、暗闇に落ちていく。
因果はここに定まった。
「ん……え、あれ? あたし、どうしてまだ……」
完全に消滅したはずのキュレネは、何故か生きていた。それだけではない、聞き覚えのある賑やかな声が聞こえてくる。
「天国、なのかしら……?」
「あ、キュレたん。起きたんですね!!」
「ヒアンシー、ここは……どこなの?」
キュレネがそれを尋ねると、ヒアンシーは首を傾げて笑顔で言った。
「もう、忘れちゃったんですか? 私たちは天外から来た、星穹列車の人達に救われて、ここ……永遠の1ページで、オンパロスの新生を待ってるんでしょう?」
「……そうなの? 穹が、なにかをしてくれたってこと?」
「え? 穹さん? すみません、誰でしょう……?」
その言葉を聞いて、キュレネは固まってしまう。
「えっ? 星穹列車が来たなら、覚えてるでしょ? 穹よ、あの灰色の男の子……エーグルを一緒に倒した子……」
「すみません、覚えがないです……この星に来たのはたんたんとなーたん、ファイノン様と……無名の英雄さんのはずです」
「無名の、英雄……?」
キュレネは外に飛び出していった。他のみんなにも聞かなければ、と。
「ちょ、ちょっとキュレたん、どこに……!?」
「はぁ、はぁ……みんな、無名の英雄って誰なの!? 名前、名乗ったはずでしょ!?」
「そんなに焦ってどうしたのですか、キュレネ様……? すみません、無名の英雄様に関しては……何もわからないのです」
そう言われて、キュレネは猛烈な嫌な予感を振り払うために、首をぶんぶん横に振る。
「わからないって……やってくれたでしょ、色んなこと!! ニカドリーを倒したり、キャスと抱擁をしたり、みんなでエーグルを倒したり……!!」
「あぁ、確かにしていたな。だが……奴に関しては何もわからない。顔も名前も、身分も特徴も誰も何も覚えていない。だから無名の英雄なのだ」
「な、何言ってるのよ、みんな……穹よ、穹のこと覚えてないの……? 丹恒やなのかのことはわかるのに……どうして?」
キュレネの嫌な予感は、どんどん膨れ上がる。そして、アナイクスが言った。
「私も会ったことがあるはずですが、何も記憶にありません。丹恒さんやなのかさんも、ファイノンすら何も言っていませんでしたし……星穹列車の乗員だったかも怪しいですね」
「……まさか、いや、そんな……!!」
「ちょ、ちょっと!? 今度はどこ行くの、キュレちゃん!?」
トリビーの声も聞かず、噴水広場に走るキュレネ。そして開いたのは、紡がれた物語だった。穹の項目があったはずだと、本を開く。そこにあったものは……白紙だった。無名の英雄のページには何も書かれていない。
「白、紙……?」
この本から情報が消える事は有り得ない。全員覚えていないと言うし、ファイノンや丹恒も何も言わなかったとまで言われた。そんなはずないのに。
「そんな、うそ……」
信じたくない。その気持ちを込めて、ペンを取り出す。名前を穹と書き換えて、内容を書き込もうとしたが……書き込んだ文字が書いたそばから、全て消えていく。
「あ、あ……そんな、いや……いやぁっ……!!!」
キュレネは泣いていた。これまでにないほどの悲しみに、ぼろぼろと大粒の涙を流しながらペンを握りしめて、強く書き込む。ページが破れそうなほどに強く。
「そんなの、そんなのダメ……!! 穹が犠牲になるのだけは、絶対に……!!」
書くそばから全てが消えていく。まるで世界が穹の存在を拒絶しているかのように。
「こんな結末、あるわけない……ここからきっと、報われる……だって、だって……」
強く力を込めすぎて、ペンがへし折れる。涙を流しながら、キュレネが呟いた。
「これは今までとは違う、ロマンチックな物語……そのはず、でしょう……?」
記憶の終焉が起きていない理由は、キュレネが蘇った時点で開拓者がいないからです。