Street Fighter Miss Vega's Path to Domination 作:モッチー7
1. 胎動する「神託」
世界を覆う闇は、往々にして最も清潔な場所で培養される。
電子ロックの規則的な電子音と、生命維持装置が刻む無機質な脈動。外界の喧騒から完全に隔離されたその地下研究所は、国際的悪徳カルテル『神託に耳を傾ける会』が所有する最高機密セクターの一つだった。彼らの目的は、極めてシンプルでありながら、世界のあり方を根底から覆すほどに傲慢だった。――世界各国の選挙を裏から操作し、人類の意志を意図した方向へ誘導すること。そのために必要なのは、絶対的な力、そして大衆を魅了しつつも、組織の意志を完璧に遂行するための「最高傑作」だった。
部屋の中央に鎮座する巨大な円筒形の培養槽。その青白い培養液の中に、彼女は漂っていた。
名前は『ベガ』。
のちに世界の裏社会を恐怖で支配することになるその存在は、この時まだ、ただの実験体、すなわち人工人間に過ぎなかった。
培養液の中で揺れる髪は、生まれつき淡い夜空のような色を帯びた天然パーマ。それが愛らしいボブカットの輪郭を描き、未だ幼い少女の頭部を包み込んでいる。細い四肢、陶器のように白い肌、整った顔立ち。その容姿は、誰が見ても「可憐な美少女」そのものだった。衣服の代わりに淡い光の粒子を纏うようなその姿は、悪徳の巣窟に咲いた一輪の清廉な花のようでもあった。
しかし、その可憐な肉体には、人間の常識を遥かに超越した超常の力が凝縮されていた。
彼女の遺伝子は、世界のあらゆる格闘データ、そしてカルテルが秘かに蒐集した「精神エネルギー(サイコパワー)」の因子を掛け合わせて構築されたものだった。
「被検体コード:VEGA。バイタル、極めて安定。精神波形、正常。……サイコパワーの出力、予測値をさらに20%上回っています」
白衣を着た研究員が、ガラス越しにベガを見上げながらタブレットにデータを打ち込む。その瞳には、科学者としての狂気と、一人の少女を単なる兵器としてしか見ていない冷酷さが宿っていた。
「素晴らしい。これこそ『神託に耳を傾ける会』が求めた究極の調停者だ。彼女が成長し、我々の意志を体現する駒となれば、いかなる超大国の選挙も、民衆の投票行動も、すべて我々の掌の上で踊ることになる」
培養槽の底から沸き立つ泡が、ベガの頬をかすめて上がっていく。
ベガの意識は、深い昏睡の底にあった。しかし、彼女の脳細胞は、周囲の人間たちの邪悪な思考、カルテルの歪んだ野望を、電磁波のように敏感に感じ取っていた。
(……ここは、どこ……?)
暗闇の中で、ベガの心がつぶやく。
(私は……だれ……?)
彼女に与えられたのは、完璧な肉体と、理不尽なまでの超能力。しかし、人間としての温もりや、愛という概念は一切与えられていなかった。あるのは、脳に直接流し込まれる戦闘技術のシミュレーションデータと、組織への絶対服従を促すサブリミナルな刷り込みだけ。
だが、カルテルの計算違いは、彼女の魂が、彼らの想定よりも遥かに強靭で、かつ「純粋」であったことだ。純粋すぎるがゆえに、周囲に渦巻く悪意の泥水に染まることを、彼女の防衛本能が拒絶した。
ある夜、ベガが「5歳」の誕生日を迎えたとされるその日、研究所のシステムに致命的なエラーが発生した。否、それはエラーではなかった。ベガの覚醒しつつある精神波が、無意識のうちに研究所のメインコンピューターをハッキングし、過負荷を与えたのだ。
ジーッ、という不快な放電音とともに、部屋の照明が真っ赤な非常灯へと切り替わる。
「な、なんだ!? 停電か? 予備電源を回せ!」
「ダメです! 培養槽の圧力弁が勝手に開放されています! 内側からのサイコキネシスです!」
パキパキ、と強固な強化ガラスに無数の亀裂が入る。
次の瞬間、爆音とともにガラスが粉砕され、大量の培養液が床へと溢れ出た。
床に膝をつき、激しく咳き込む小さな少女。ボブカットの天然パーマの髪が濡れて顔に張り付いている。しかし、その瞳がゆっくりと開かれたとき、研究員たちは恐怖で息を呑んだ。
彼女の瞳は、底知れない紫色の光――サイコパワーの輝きを放っていた。
「捉えろ! 逃がすな! 鎮静剤を打て!」
警備兵たちが一斉に部屋になだれ込み、電撃鞭や特殊な銃を構える。
しかし、5歳のベガは、ただ静かに立ち上がった。彼女の足は床についていない。重力を完全に無視し、床から数十センチ上の空間に、ふわりと『空中浮遊』していた。
「……こわい」
ベガが小さく呟き、手を前に突き出す。
その瞬間、彼女の手のひらから、眩いばかりの純白の『ビーム(サイコブラスト)』が放たれた。光線は一瞬で部屋を薙ぎ払い、警備兵たちの武器を消滅させ、背後の隔壁を跡形もなく吹き飛ばした。
「ヒッ……化け物め……!」
恐怖に駆られた研究員が放った銃弾。しかし、ベガの姿はその場から掻き消えた。
『瞬間移動(サイコワープ)』。
残像すら残さず、彼女は一瞬にして研究員の背後、破壊された隔壁の向こう側へと転移していた。
少女は一度も振り返ることなく、そのまま夜の闇へと飛び去った。
これが、のちに世界を震撼させる「魔人ベガ」の、孤独な旅路の始まりだった。
2. 灰色の街、メトロシティ
それから9年の歳月が流れた。
世界は表向きの平和を保っているように見えたが、その裏では『神託に耳を傾ける会』の支配の触手が、確実に各国の民主主義を蝕んでいた。
アメリカ東海岸に位置する巨大都市、メトロシティ。
高層ビルが立ち並ぶ一方で、路地裏には犯罪と貧困が蔓延る、光と影が極端に交錯する街。近年、この街の治安は急速に悪化していた。暴力組織が跋扈し、若者たちは未来への希望を失い、退廃的な日々に身を投じていた。
そのメトロシティのダウンタウン、ネオンサインが不気味に明滅するスラムの片隅に、一人の少女の姿があった。
ベガ、14歳。
5歳で研究所を脱走して以来、彼女は己の身元を隠し、世界を放浪しながら生きてきた。
現在の彼女は、どこからどう見ても、少し目を引くほどの「可憐な美少女」だった。
ふんわりとしたボブカットの天然パーマは、風に揺れるたびに柔らかな陰影を作り出し、彼女のあどけない顔立ちを際立たせている。質素なパーカーとジーンズに身を包んでいるが、その独特の気品と、どこか浮世離れした美しさは隠しきれていない。街を行き交う若者たちが、思わず振り返るほどの存在感があった。
しかし、彼女の心は、決してその辺の14歳の少女のようには弾んでいなかった。
彼女は知っていた。自分を創り出した『神託に耳を傾ける会』が、今まさにこのメトロシティの若者たちを利用して、来るべき市長選挙を不正に操作しようとしていることを。
「おい、そこのお前。いいものがあるぜ」
路地裏のコンテナの影から、一人の男が声をかけてくる。
男の名前は『ナッシュ』。
彼はかつて軍の優秀な兵士であったが、ある事件をきっかけに闇に落ち、現在は『神託に耳を傾ける会』の手下として動くエージェントへと成り下がっていた。彼の任務は、メトロシティの貧しい若者たちに近づき、大金と引き換えに彼らの「選挙権(投票用紙や個人認証データ)」を買い取ることだった。
「選挙なんて誰がやったって同じだろ? それより、この金で今夜のドラッグや酒を買った方が利口だと思わないか?」
ナッシュは不敵な笑みを浮かべ、若者たちに現金の束を握らせていく。若者たちは疑うこともせず、自らの未来への権利を二つ返事で手放していく。こうして集められた選挙権は、カルテルが擁立した傀儡候補者の票へと横流しされ、組織による街の完全支配が達成される手筈になっていた。
ベガは、フードを深く被ったまま、その光景を冷ややかな瞳で見つめていた。
(また、あの人たちの仕業……。人間の心を、未来を、お金で弄ぶ)
ベガはカルテルを憎んでいた。自分を泥人形のように創り出し、自由を奪おうとした彼らを。そして何より、彼らが世界を自分たちの都合の良いように書き換えようとしているその行為そのものが、彼女の「純粋な不快感」を刺激していた。
ベガはゆっくりと歩みを進め、ナッシュの前に立った。
フードの隙間から、美しいボブカットの髪と、吸い込まれそうなほどに澄んだ、しかし刺すように冷たい瞳が覗く。
「おや、可愛いお嬢ちゃん。君も選挙権を売りに来たのか? 14歳くらいに見えるが……まあ、偽造のIDさえあればいくらでも融通してやるよ。いくら欲しい?」
ナッシュはベガの可憐な容姿に完全に油断し、下卑た笑みを浮かべた。
しかし、ベガは何も答えず、ただ静かに右手をポケットから出した。その指先には、微かに紫色の火花が散っていた。
「……あなたのしていることは、世界の調和を乱すわ」
少女の鈴を転がすような美しい声。しかし、その声に含まれた圧倒的な質量に、ナッシュの背筋に冷たい戦慄が走った。
「な、なんだと……? お前、ただのガキじゃないな……!」
ナッシュは瞬時に身構え、軍仕込みのアサルトナイフを抜いた。
「『神託に耳を傾ける会』の犬。ここでその悪行を終わらせてあげる」
ベガの身体が、重力を失ったかのように地面から数センチ浮き上がった。
スラムのゴミ混じりの風が、彼女のボブカットの天然パーマを激しく揺らす。その可憐な少女の姿と、彼女から放たれる圧倒的な「死の気配」のギャップに、ナッシュは本能的な恐怖を覚えた。
3. 暗殺、そして決別
「ナメるなッ!」
ナッシュが地を蹴った。元軍人のトップエージェントたる彼の踏み込みは鋭く、一瞬でベガの懐へと飛び込む。放たれたナイフの軌跡は、的確にベガの喉元を捉えていた。
しかし、刃が彼女の肌に触れる直前、ベガの姿が「消えた」。
「なっ!?」
ナッシュの突き出したナイフは、虚空を切り裂いた。
次の瞬間、彼の真上から、冷徹な声が響く。
「遅いわ」
ナッシュが見上げると、ベガは夜空を背に、完全に『空中浮遊』した状態で彼を見下ろしていた。彼女の全身からは、ドロドロとした、しかし同時に神々しいほどに純粋な紫色のサイコパワーが噴き出している。
「チッ、超能力者か!」
ナッシュはバックステップを刻み、懐から特殊な閃光弾を取り出して投げつけた。激しい光と爆音が路地裏を包み込む。視界を奪い、その隙に仕留める――それが彼の計算だった。
だが、ベガにとって視覚など、数ある索敵手段の一つに過ぎなかった。
爆煙の中から、再びベガの姿が掻き消える。
ナッシュが背後に気配を感じて振り向いた瞬間には、すでにベガは彼の目の前に『瞬間移動』していた。
「しまっ――」
「消え去りなさい」
ベガが右手を突き出す。その手のひらから放たれたのは、極大のサイコパワービーム(サイコブラスト)だった。
至近距離で放たれた光線は、ナッシュの身体を直撃した。
「ガハッ……! あ、あり得ん……こんな、子供に……!」
ナッシュの肉体は光線に焼かれ、背後のレンガ造りの壁を何枚も突き破って吹き飛んだ。崩落した瓦礫の中に埋もれ、彼は激しく血を吐く。彼の命の灯火が急速に消えかけているのは、誰の目にも明らかだった。
ベガは静かに着地し、瓦礫の山へと歩み寄った。彼女の衣服には埃一つついていない。ボブカットの髪を小さく手で払いながら、瀕死の男を見下ろす。
「カルテルに伝えなさい。私はあなたたちの駒にはならない。あなたたちの野望は、私がすべて握り潰す、と」
ナッシュは血に染まった顔で、驚愕の目をしてベガを見た。
「お前……まさか、あの時の……VEGA……なのか……? 組織が探している、最初の……」
そこまで言って、ナッシュは力尽きた。ガクリと首が傾ぎ、二度と動かなくなる。
ベガは息を引き取ったナッシュを冷ややかに見つめた後、彼が持っていたアタッシュケースを拾い上げた。中には、まだ若者たちから買い取られる前、あるいはすでに回収された大量の資金と、カルテルの極秘通信端末が入っていた。
(『神託に耳を傾ける会』……。あなたたちが世界を裏から操るというのなら、私はその裏のさらに奥から、あなたたちを支配してあげる)
この時、14歳のベガの心の中で、何かが決定的に変わった。
これまでは単に追っ手から逃げ、彼らの邪魔をするだけの受動的な存在だった。しかし、それでは根本的な解決にはならない。悪を滅ぼすには、それを凌駕する絶対的な「絶対悪」の組織を作り上げ、世界そのもののパワーバランスを書き換えるしかない。
彼女は可憐な美少女の容姿を保ったまま、その胸の内に、世界をも呑み込む巨大な野望の火を灯したのだった。
4. 『シャドルー』結成
それからさらに1年。ベガが15歳になった年。
東南アジア、タイの首都バンコク。
熱気と活気に満ちたこの大都市の地下深くに、新たな混沌の源が産声を上げようとしていた。
ベガは、ナッシュから奪った資金とカルテルの情報を足がかりに、独自のネットワークを急速に構築していた。彼女の圧倒的な超能力と、未来を見通すかのような冷徹な知略は、瞬く間に東南アジアの地下社会の荒くれ者たちを屈服させた。
バンコクの郊外、広大な敷地に建てられた巨大な寺院風の要塞。その最奥にある謁見の間に、ベガはいた。
現在の彼女は、特注の軍服に身を包んでいる。鮮やかな赤を基調としたその衣装は、彼女の白い肌と絶妙なコントラストを描き、少女らしい可憐さを残しながらも、絶対的な支配者としての威厳を放っていた。頭には軍帽を被っているが、その下からは相変わらず、彼女のトレードマークであるボブカットの天然パーマが覗いている。
彼女の前にひざまずくのは、各地から集まった優秀な兵士、格闘家、そして闇の科学者たち。
「今日、この日を以て、我々の組織の名を定義する」
ベガは玉座から立ち上がり、ゆっくりと空中へ浮遊した。
彼女の身体から放たれる紫色のサイコパワーが、謁見の間全体を妖しく照らし出す。その場にいる全員が、彼女の圧倒的な威圧感に平伏し、息を殺して言葉を待った。
「組織の名は『シャドルー』。我々は影(シャドウ)より現れ、世界を統べる者。世界を裏から操らんとする『神託に耳を傾ける会』の傲慢な連中を、その玉座から引きずり下ろし、私たちが真の秩序となるのだ」
「シャドルー! シャドルー! シャドルー!」
部下たちの地鳴りのような歓声が響き渡る。
15歳の美少女が首領を務める犯罪組織『シャドルー』。その実態は、麻薬取引、兵器開発、そして世界中の優秀な格闘家のデータを集める、文字通りの巨大軍事複合体だった。しかしその真の目的は、カルテル『神託に耳を傾ける会』の壊滅、そしてベガによる世界の完全なる再構築にあった。
ベガは空中から部下たちを見下ろしながら、フッと妖艶な笑みを浮かべた。
その笑顔は、年相応の可憐さを含みながらも、ゾッとするほどの狂気と冷徹さを秘めていた。
(見ていなさい、私を創り出した愚か者たち。あなたたちが作ったこの最高傑作が、あなたたちの世界をすべて破壊してあげるわ)
5. 新たなる風――マイク・ハガーの当選
一方、ベガが去った後のメトロシティでも、大きな歴史の転換期が訪れていた。
『神託に耳を傾ける会』の手下であったナッシュが突如として惨殺され、若者からの選挙権買収工作が完全に破綻したことにより、メトロシティの次期市長選挙は、組織の思惑から完全に外れた形で進行することとなった。
裏からの不正操作が機能しなくなった選挙戦。そこで圧倒的な支持を集め、民衆の希望の星となった男がいた。
マイク・ハガー。
かつてプロレスリングの世界でその名を轟かせた、筋骨隆々の巨漢。
彼は、犯罪と汚職にまみれたメトロシティを「力(正義)」によって変革することを誓い、市民の前に立った。
ナッシュによる若者への脅迫や買収が消え去ったことで、街の若者たち、そして市民たちは自らの意思で、この熱き情熱を持つ男に票を投じた。
そして、選挙の結果が出た。
マイク・ハガーが、圧倒的な得票数をもって、メトロシティの新たなる市長に当選したのだ。
市長就任の演説で、ハガーは巨大な拳を突き上げ、大衆に向かって力強く宣言した。
「我が街、メトロシティの市民諸君! 犯罪者どもに怯える日々は、今日限りで終わりだ! これからは、この私が、この命に代えても、街の悪党どもを一人残らず叩き潰して見せる!」
地鳴りのような大歓声がメトロシティを包み込む。
市民たちは、ついに訪れた正義の時代に涙し、歓喜した。
しかし、新市長となったハガーも、そして世界中のあらゆる国家の指導者たちも、まだ気付いていなかった。
メトロシティの選挙の闇(ナッシュ)を葬ったのは、決して正義の力などではないということ。
それは、さらに巨大で、さらに凶悪な、世界のすべてを我が物とせんとする「紫色の絶望」の始まりに過ぎないということを。
バンコクの玉座で、ベガはモニターに映し出されるハガーの当選演説を、退屈そうに見つめていた。
「マイク・ハガー……面白い男だ。精々、その安っぽい正義で、私の世界(おもちゃ)を少しは楽しませてくれ」
少女はクスクスと、鈴の鳴るような可憐な声で笑った。
その指先から放たれた小さなサイコパワーの火花が、ハガーの顔が映るモニターをパチリと焼き切った。
世界を裏から操らんとする『神託に耳を傾ける会』。
街に正義を取り戻そうとする新市長『マイク・ハガー』。
そして、そのすべてを蹂躙し、世界の頂点へ君臨せんとする『シャドルー』の若き総帥、ボブカットの美少女『ベガ』。
三つの運命が複雑に絡み合い、世界は未曾有の混沌の時代へと突き進んでいく。
可憐なる魔王、ベガの進撃が、今、ここに幕を開けた。