どこかの地方には、ゲームセンターに偽装した悪の組織のアジトがある。ライブハウス「ダークパニック」の佇まいを見て、キャミィは以前マリカと動画で見たそんな話を思い出していた。窓はなく、塗装は暗く、いかにもそうした音楽グループか、でなければ悪い人間が好みそうな建物であった。
出入口のそばに大きな車が止まっていて、キャミィたちが近寄ると運転席のドアが開いた。見覚えのある人物が車を降りて、ライブハウスのドアとキャミィたちの間に立った。
「ピエート」リクロロの記憶。タクオが見せた顔写真。間違いない。一目瞭然だった。
ブルーのオールバックに黒いハーフリムグラス。白いシャツの上から銀色のコート、黒のスラックスに磨かれた革靴。ビジネスマン、研究員、理科系の男、それらすべてであるライフル団最高幹部の男は、寒々しいほど丁寧にお辞儀した。
「どうも、皆さん。初めまして。当方はライフル団幹部、ピエートと申します」
下げた頭が上がるよりも先に、冷たく鋭い目つきがキャミィたちを刺した。礼儀正しさに隠しきれない憤怒がピエートから見て取れた。
「実に残念です。モーヒ、ヘーロス、フェンツ、その他大勢の当方の手駒たち。彼らを以てしても、そちらの皆様は止まることなく、とうとうここまで来てしまいました。組織として、実に嘆かわしいことです」
ピエートは咳払いし、「しかも、どういうわけか、離反者まで出ている始末」
リクロロは眉をひそめたが、それに対して気が咎めることはなかった。
「プロとしての腕を買って、後ろ盾のないそちらにもお声がけしたのですが、しょせんは路地裏のごろつきということでしたか」
「黙れ。そっちこそ、金でよこせって言ったのに薬の話ばっかりだ。誠意がないのはそっちのほうだろ。あんなもの何がそんなにいいんだ」
それ自体が重力を持つかのようなため息がピエートの口から漏れ出た。
「わかりませんか? 常に勝負が存在する、常に敗者が存在するこの街が、どれだけ商機に溢れているのか。弱者に溢れているこの街が、どれだけ金をもたらしてくれるのか」
「あたいにはわかんないし、わかりたくもない。どうせ、テデコカとかいうやつの差し金なんだろ」
眼鏡の奥でピエートが目を見開くのが見えた。
「なるほど。調べはついているものの、少々誤解しておいでのようですね。ならば、ここまで辿り着いた皆様には特別に真実をお伝えいたしましょう」
「ふん、今更何を聞かされたって驚かないぞ」
「テデコカに薬物を売り込むきっかけを与えたのは、当方なのですよ」
今度はリクロロが目を丸くする番であった。
「当方はもともと薬物の売人でしてね。テデコカに近づいたのも当方からです。当時の彼は失意と絶望が服を着て歩いているようでした。彼は失敗からの逃避のために薬物で身を滅ぼす古典的な人物でした、少なくとも当方はそのように考えていました。しかし、薬を見た彼は、逆に当方へ計画を持ち掛けてきたのです。これでこの街を支配しないか、と」
「それが、ライフル団の始まりだったんだね」
ピエートはキャミィに笑いかけた。
「その通りです。物分かりがよくて助かります」
嫌味ではないように聞こえた。
「青天の霹靂でございました。フロンティアシティは、これほどおいしい市場であるにも関わらず、街を縄張りとする悪の組織が存在しなかった。組織化と、市場の独占。その後のライフル団の発展ぶりはご存知の通り。まさにテデコカこそ、悪の組織のボスとなる器だったのです」
「ピエートさんは、テデコカがボスになった後は、何をした人なの? ライフル団の発足当初からいる幹部だもの、いろんな計画に関わってきたんじゃない?」
「いい質問ですね」
キャミィの質問は半分好奇心によるものだったので、目が笑っていなくともピエートの声はにこやかだった。
別にピエートは機嫌がよいわけでもなく、単に話が早いことを好んでいるだけ。邪魔者に対する苛立ちや嫌悪は変わらない。キャミィはそうした印象を受けた。
「もちろん、様々なことに関わらせていただきましたよ。薬物の製造は別の幹部の領分でしたが、組織の運営は当方の仕事です。薬物の販売促進、組織の敵に対する傭兵の雇用、団員のロゴキャップの手配や、ポケモンの準備などもね」
「そうか、てめぇが黒幕か」
ビルがキャミィの前へ進み出た。積年の恨みのごとく、その語気は怒りに燃えていた。
「したっぱにポケモン持たすために密売だか転売だかしてんだろ、ファームで逃がされてなきゃいけねぇポケモンをよ」
ビルは腕組みしてピエートを睨んだ。「ええ、まあ」ピエートはビルの態度が明らかに気に入らないようだった。
「トライアルスカウトの期限が終わったまま放置されている、戦うことも野生に戻ることもできない、死蔵されたポケモンですよ。当方であれば有効に活用でき、あちらは当方の商品を獲得できる。相互利益ですよ、これぞビジネスです」
「能書きはいいんだよ。てめぇは弱者を地獄に落とす商売だけじゃ飽き足らず、その一人を魔王にした挙句、街中の人とポケモンを食い物にしようときた。そんな世の中、誰も望んじゃいねぇ。ここでけじめつけさせてもらうぜ」
少年たちはボールを手に取った。数の利があった、見たところピエートに随伴の手下はなく、潜んでいたとしても姿は見えなかった。
「ふむ。それではポケモンだけでもお返しいたしましょうか」
ピエートはポケットからリモコンを取り出し、車に向けてボタンを押した。
運転席以外の窓は中が見えないようになっていて、キャミィたちは無人の運転席と助手席しかわからなかった。後部座席のドアが開くと、ぎっしりと詰め込まれていたボールが雪崩となって転がり落ち、無造作に大量のポケモンが放たれた。
「戦いに来たのでしょう。せいぜい相手をしてあげますよ、そのポケモンたちがね。どうせ団員用の配布物、誰のものでもないポケモンです。倒した後は好きにしてください」
ポケモンたちは指示もなく一度に密集して繰り出されたので、ほとんど狂乱していた。ピエートはほくそ笑んだ。目的は消耗と時間稼ぎ。使えないポケモンだろうと、野生ポケモンよろしく適当に暴れてくれればいい。
混乱に放り込まれた敵の反応は鈍く、戸惑い、金髪のほうの少年はポケモンを出そうともしないので、自分は存外失望するかもしれないとピエートが思った、その矢先だった。
「鎮まれぇ!」
黒髪の少年、ビルが気を吐いて一匹のポケモンを繰り出した。
その姿に覚えのあるポケモンや、それと同じタイプのポケモンたちが、直ちに身を伏せ恭順を示した。次に、明らかに相性の悪いポケモンがそれに従った。闘争を避ける機運がポケモンたちに広がり、気性の荒いポケモンや、相性がよいはずのポケモンも、最終的に戦闘の意志を示さなくなった。金髪以外の仲間たちでさえも言葉にならなかった。信じられないと顔に書いてあった。
「オヤブン……ギルガルド」
身の丈二メートルを優に超える厚く長大な大剣がビルの背面にそそり立った。オヤブンの威信、おうけんポケモンの威光、従えるトレーナーの威圧、そのどれもピエートを威迫していた。
「どうする。てめぇをぶちのめせと頼めば、きっとこいつらは従うぜ」
はったりではなかった。主人のいないポケモンの群れは一瞬にしてギルガルドの王国と化したのだ。すぐに襲い掛かってこないのは、この子供の甘さ。ピエートは一筋の冷や汗を流しながら、少しでも安全を、最低でも時間を得られる方法を模索しようとした。
「安心しろ。俺はそういう美意識に欠けた真似はごめんだ」
ビルはピエートの想像よりもずっと甘く、しかも傲慢だった。
「てめぇのような輩は、数に任せるだとか、卑怯な行いで倒しても意味がねぇ。正面から挑戦して、まっとうに成敗してやらねぇとな」
ビルは敵を見据えたまま、首だけ振り向いてキャミィに言い放った。
「キャミィ! こいつは俺がやる! 文句ねぇな!」
後ろに目がついていなくても、その笑顔を親友なら見ているはずだった。
「うん、任せた!」
キャミィの返事を聞いた瞬間だけ、ビルはにやりと笑った。ピエートが意を決して前に出てきたとき、すぐにその笑みは消えた。
「つまり、あくまで当方とはポケモンバトルで決着をつけたいということですね」
「物分かりがよくて助かるぜ」
「……よろしい。当方としてはバトルに勝利し、群れを抑えているオヤブンギルガルドを倒す。そちらはギルガルドを守りながら当方の繰り出すポケモンを全滅させ、この群れを無力化する。結構です。シングルバトルでよろしいでしょうか?」
「ああ。もちろんギルガルド以外のポケモンも使わせてもらうぞ」
「構いませんよ。ところで、当方、そちらから妙に恨まれているようなのですが。そちらとは初対面かと思いますが、何か恨みを買うようなことでも?」
「あ? めでてぇ野郎だな」ビルはここへ集められた友人たちと野生のポケモンとを一度にぐるりと見渡した。「この状況を見ろ。説明がいるか?」
「……いえ、失礼。では、始めましょう」
ピエートが、そしてビルもボールを握った。少年少女はポケモンの群れの近くまで下がり、決闘の成り行きを見守る。
「俺はゴーストタイプの使い手、人呼んで王剣のビル! 全霊かけてかかってこい!」
「ライフル団はメガトレーナーの会、戦闘講師のピエートがお相手いたします」
ビルは大きく腕を振って、ピエートは細かに肘だけ曲げて、対照的なアンダースローでそれぞれのボールを投げた。ビルのユキメノコが涼やかな声で歌い、ピエートのスコヴィランがしゃがれた声で唸った。
「うわ! どっちも珍しいポケモン使ってんね」マリカが緊張感のない感想を述べた。
「相性ならスコヴィラン有利、だな?」リクロロも持てる知識で初動を評価した。
「そうだね、素直に考えたらだけど」チヅルはもう技構成に想像を巡らせていた。
「二匹ともメガシンカできるポケモンですね」アイネの気づきは象徴的だった。
「ということは……もしや、いきなり?」タクオでさえ予感めいてそう思った。
「うん」
キャミィはもはや親友のバトルを間近で見られる興奮でいっぱいだった。
「最初からかましてくるよ」
両者とも迷いなかった。ビルは腕輪の、ピエートは手袋の甲のキーストーンに触れた。
「魂燃やせ! 熱いソウルでクールに決めるぞ、ユキメノコ!」
「苦痛と悲鳴、相手のすべてを養分としなさい、スコヴィラン」
二つのメガシンカ現象が同時に弾け合い、髄まで凍る冷気を着こなしたメガユキメノコと、痛みを伴う香りを羽織ったメガスコヴィランが並び立った。〝ゆきふらし〟によって季節外れの雪が降り始め、肌に当たった雪は手で払えるほど確かだった。
「〝オーロラベール〟!」
「〝やどりぎのタネ〟」
名刺交換のような、お互いに相手の出方を伺う一手目。メガユキメノコが美しい結界のカーテンを張り巡らせ、メガスコヴィランは相手の体力を奪う宿り木をメガユキメノコに付着させた。
「ほう。初手は〝ふぶき〟ではないと。思いのほか慎重派ですね」
「こっちのセリフだぜ。いきなり焼いてくるかと思ったってのによ」
「……自分にはよくわからないのですが、つまり、彼らは安直な殴り合いを避けたと?」
「うん」タクオとキャミィはさながら実況と解説のようだった。「ユキメノコは弱点を晒して、スコヴィランは耐久が低い。どっちの攻撃もただじゃすまないところなのに、いや、だからこそ二人とも交代を読んだってところかな。地味かもだけど、すごく面白いね」
ジムリーダーの卵と悪の組織の幹部の対決は序盤から重い読み合いとなった。赤々と燃える溶岩がゆっくりと這いずるように。持ち時間ぎりぎり。キャミィの体内に組み上げられた時計が鳴り出す寸前に次の手が指された。
「戻れ」
メガユキメノコとメガスコヴィランがトレーナーたちのボールに戻っていく。直線的な攻略を嫌った双方がポケモンチェンジを選択し、それぞれの二匹目が繰り出される。
「シャンデラ!」
「アーマーガア」
ビルのシャンデラの紫炎が揺らめいて、ピエートのアーマーガアの黒翼が羽ばたいた。ビルがほんの小さくガッツポーズし、ピエートはかすかに顔をしかめた。
「お互いにほのおタイプとこおりタイプに強いポケモンを出してきたね」
キャミィは自分のことのように、「でも、これはシャンデラがだいぶ有利かな」
「ちっ。戻れ、アーマーガア」
ピエートは手番の損を厭わず再度ポケモンを交代した。次のポケモンの顔を見るまでもなく、こうすると決めていたのだろうビルが指示を飛ばした。
「シャンデラ、〝トリック〟だ!」
ボールが開く前に、ピエートは「しまった」と表情で叫んだ。三匹目のポケモン、ドヒドイデが引きずり出され、その持ち物がシャンデラのものとすり替えられた。
「〝たべのこし〟か。悪くねぇ」
ドヒドイデはシャンデラが持っていた〝こだわりスカーフ〟を押し付けられた。それは枷だった。攻撃を得意としていないドヒドイデにとっては。
いち早く相手の襟首を捕まえようとする柔術家のように、ビルとピエートの戦いは主導権を奪い合う空中戦となった。ダメージを与え合っていないはずなのに、天秤はビルに傾きつつあった。ピエートもそれに気づいており、彼は苛立ちを隠しきれない男だった。
「そちら、素人ではありませんね?」
「だったらどうした? 上から下まで耐久ポケモン並べやがって。これくらい倒せなきゃライフル団の先生から合格はあげられません、てか?」
「そうですね。そちらは当方の生徒たちの中でも優秀なほうです。当方のポケモンたちは、そんな生徒たちのわずかなミスを見逃さず、小さなミスの積み重ねで敗北に至るよう構築がなされています。この程度の有利、活かしきれず負けていく生徒を当方は大勢見てきました。相手のミスを誘い、自分はミスをしない。それが強いトレーナーの戦いです」
ふん、とビルは鼻を鳴らした。
「言ってろ。すぐにでも地獄が迎えに来て、泣きべそかくだろうぜ」
恐らくピエートはこの手の煽りにも慣れているはず、ビルもキャミィもわかっていた。次の判断の速さも、やけっぱちではなく、サイクルへの自信と経験則。
「ドヒドイデ、〝どくどく〟」
「戻れ、シャンデラ!」
ピエートが指示を出すのとほぼ同時にビルはシャンデラを戻し、今や一つの技しか使えないドヒドイデの、その選ばれた攻撃を受けるポケモンを呼んだ。
ボールを投げることなく。
「行け! ギルガルド!」
剣士が背負った大剣を振るい攻撃をあしらうようだった。ビルの背後に佇んでいたギルガルドが飛び出し、ドヒドイデから噴出した猛毒を受け止めた。毒液は鋼の刀身を無益に滑り落ちていく。
「なるほど」
ピエートは親指と人差し指を横に広げて眼鏡を直した。
「確認となりますが、そのギルガルドが倒された時点で、そちら側は野生のポケモンを制する能力を失い、この場を埋め尽くさんとするあれらに蹂躙されることになります。それを承知で、三匹目のポケモンはギルガルドであると?」
「そうだ。てめぇは間違っちゃいねぇ。ギルガルドが倒れたら、俺の負けだ」
ピエートはドヒドイデを戻すためボールを手にした。この番は交代するしかないとわかっていても、この男は沈着だった。
「愚かな」
ピエートがギルガルドと戦うべく選んだポケモン、メガスコヴィランが、道路に薄く積もった雪を再び踏みしめた。ちょうどメガユキメノコの振らせた雪も止んで、〝オーロラベール〟も消え去るタイミングだった。
「〝つるぎのまい〟!」
ポケモンチェンジの隙に、ビルはギルガルドに攻撃力を整えるよう指示した。シールドフォルムのギルガルドの舞踊は厳かなもので、それが逆に血を渇望する呪物のようなうごめきにも見えた。
両者はそこで動きを止め、再び睨み合った。真っ暗な部屋の中に思考を伸ばし、あるかもしれない正解を探し出して、扉が閉まる前に持ち帰るのだ。
「こういう勝負になると、ビルってめちゃくちゃなんだよね」
この暗い部屋の油断ならないことを、誰よりも競技トレーナーたちが知っていた。独り言のように話すキャミィは、彼と友人だけが使い方を知っているランプを手にしているかのようだった。
「ここでこのポケモンを倒されたら負け。僕たちは普通、一発で試合が終わるミスだけはケアしようとする。そこでリスクとって裏目出たら、終わりだもん」
「ビルさんは、そうではない、と?」
タクオの質問に、いかにも愉快そうにキャミィは笑いかけた。
「ビルはいつもね、そんなの知らねぇ、だよ」
キャミィが答えたとき、ちょうど二人はポケモンに指示を出すところだった。
「〝やどりぎのタネ〟」
メガスコヴィランが飛ばした種子がギルガルドに根を張った。ピエートは、そして観戦していた少女たちも、既に驚かされていた。ギルガルドを引いていない?
「シャンデラに〝もらいび〟されると思って、ほのお技が撃てない。そうされると厳しすぎるし、そうするに決まってる。じゃないとギルガルドが危なすぎる。この判断を間違えたらおしまいだ。最初のターンのユキメノコの丁寧さも見た。居座りだけはありえない。ここは交代読みでいい」
あらかじめ覚えた台本を読み上げるかのようにキャミィは説明した。ビルが答えた。
「甘ぇんだよ」
ギルガルドが盾から剣を抜いた。ブレードフォルムに切り替わったギルガルドの露わになった刀身が、雪に濡れた足元から反射する光に煌めいていた。
「〝ポルターガイスト〟!」
ギルガルドの霊力がメガスコヴィランの持ち物に働きかけた。相手の持ち物を操りぶつけて攻撃する技で、ビルのギルガルドはメガストーンを体に押し付けメガスコヴィランを宙吊りにした。非常な力で持ち物が吸い寄せられ、メガスコヴィランの体もギルガルドに放り投げられた。ギルガルドの体が回転し、その分厚い刀身でメガスコヴィランを切りつけた。身の毛もよだつ音が響き渡り、ギルガルドがメガスコヴィランを地面に押し付けていた。〝とびだすハバネロ〟がギルガルドにまき散らされ、それがメガスコヴィラン最後の抵抗となった。
「ひえ~」
キャミィはゆるい悲鳴を上げた。体は縮こまり、顔は楽しんでいた。うきうきしているのは彼だけで、使い手のビルの他の人間はただオヤブンの剛力におののくばかりだった。
「当方が想像していたよりも野蛮なトレーナーのようですね」
戦闘不能のメガスコヴィランをボールに戻し、ピエートは吐き捨てるように言った。額には汗が浮かんでいる。蛮人すぎる、戦い方、技の使い方、そのどちらも。
「お約束通りのお利口なバトルやってるトレーナーじゃねぇからな」
苦い表情のままピエートはアーマーガアを繰り出した。勝負の流れを取り戻すために、ともかくこのでたらめな攻撃を止めていくしかない。
「アーマーガア、〝てっぺき〟」
「よくやったギルガルド! 戻れ!」
アーマーガアが防御力を高めている最中、ギルガルドはシールドフォルムに転じてビルの背へと戻った。ギルガルドから力が吸い取られアーマーガアへと供給されていることにピエートは気が付いた。〝やどりぎのタネ〟だ。このギルガルドはボールに戻せないから取り除くことができないのだ。であればつまり、やけどのダメージも?
「おっ、気づいたな」
ビルはひょうひょうとしていた。隠しておくつもりもないようだ。
「そうだ。ギルガルドがやけどとやどりぎで力尽きるより前に……俺はお前を倒す!」
よかった、助かった。舐めるなよ。二つの情動がピエートの顔面で混ざり合った。再度ビルの場にシャンデラが躍り出て、視覚化された闘志のように紫の炎を揺らめかせた。
「やってごらんなさい」
舐めるなよ。侮辱への返礼のほうがピエートの心をより占めていた。いや、正確には、明確な勝利の気配が、燃え上がる怒りの燃料となっていた。これなら勝てる。勝ってわからせることができる。思い知らせてやる。ガキの分際で。
シャンデラがほのお技でアーマーガアを打ち取りたいのは目に見えている。勝負を急がなければいけないのはそちらのはず。そんな相手を手のひらの上で転がすことこそ得意な手持ちだ。これ見よがしなその剣ごと、生意気な態度をへし折ってやる。
「戻れ、アーマーガア!」
ドヒドイデがボールを出るより早く、つまりアーマーガアを戻すのとほぼ同じに、ビルの攻撃は定められていた。
「シャンデラ!〝サイコキネシス〟!」
手の上に乗せた獲物に、いきなり指をへし折られたのは、ピエートのほうだった。
「があっ! このガキ!」
なんでそんな技を覚えているんだ? アーマーガアが居座っていたらどうするつもりだったんだ? どうしてこんな……雑で適当な、行き当たりばったりのポケモンバトルで、追い詰められなければいけないんだ?
「〝トーチカ〟です、ドヒドイデ!」
外皮を丸めて毒針を伸ばす、ドヒドイデ特有の防御姿勢。攻撃は必要ない。ただ守り続けているだけで、相手は燃え尽きて倒れるのだから。こうやってただ〝まもる〟だけで、
「シャンデラ! ギルガルドに〝トリック〟だ!」
ビルはその逃げ切ろうとする心理を理性の背中から容赦なく刺してくる。
「あっはっはっは!」
キャミィはとうとう腹を抱えて笑い始めた。シャンデラは奪い取った〝たべのこし〟をギルガルドに与え、その微量な回復がやけどのダメージを相殺した。一方でドヒドイデの防御は無為に消費され、またもピエートは死の影のような選択に追いつかれた。不安定な連続防御か、ほのおタイプにはがねタイプを繰り出すか。
「いやいや、怖すぎでしょ。相手の頭が透けて見えてんの?」
目を反らすことができないまま、明らかに恐れをにじませながらマリカは聞いた。
「キャミィ、あいつ、何者?」
「ジムリーダーを目指してフィールドワークしてる、一般トレーナーだよ。ただ、ちょっと、幽霊と仲良くし過ぎて、心が弱い人間じゃ相手にならないのさ!」
とても冗談ではなかった。導火線に火がついているビルは静かに向き合っていて、ただ生き延びればいいはずのピエートは呼吸が乱れ奥歯を噛んでいた。
「ドヒドイデ!」
「シャンデラ!」
「戻りなさい!」
「〝だいもんじ〟!」
ドヒドイデをボールに戻したピエートに猛火が迫った。ピエートは言葉にならない罵声を喚き散らしながら、アーマーガアを繰り出して盾とした。ひとたまりもなかった。文字通り火力の高さで、大の字に広がる業火は一撃で漆黒の鳥を焼き尽くした。
「ドヒドイデを出しな」
自信、自意識、自尊心、そういったものを短時間に失い過ぎて、輪郭さえ歪んで見えるほど頼りなくなったピエートの頭上に、意味不明なほどからりとしたビルの声が鉄の棘のように降りかかった。
「ギルガルドも見かけほど無事じゃねぇ。どっかで〝トーチカ〟を連発できたら、てめぇの勝ちだ」
ギルガルドは厳粛にビルの背で佇んでいたが、余裕であるはずは絶対になかった。だというのに、この期に及んでビルの勝負は相手のポケモンの調子に委ねられていた。
許されるはずがなかった。これだけ人を苦しめておいて、結局は運否天賦だと?
「ふざけないでくださいよ」
大人として、勉学したトレーナーとして、組織の幹部として、かろうじて残された矜持がアーマーガアをボールに戻させた。
「当方は認めません! こんな! 運だけのバトルで! 負けられるものですか!」
今や最後の守衛となったドヒドイデがピエートの前に出た。ここで食い止めなければ、この化け物の侵入を防がなければ、終わってしまう。説明もつかない霊感に飲まれて。
とっくに勝負の決着すらも運任せになっていた。お互い投げるコインは決まっている。思考の余地はない。表か、裏か。
「ドヒドイデ!〝トーチカ〟を成功させ続けなさい!」
「シャンデラ!〝サイコキネシス〟を撃ちまくれ!」
〝さいせいりょく〟で回復しているドヒドイデを倒すには、二回攻撃する必要があった。ドヒドイデは毒の棘を突っ張って守りの姿勢を取り、シャンデラは効果抜群の念力を送り続けた。成功。失敗。成功。最後の一撃を通そうとする瞬間、ビルとピエートはただ叫んでいた。ここで決まる。ここで決める。勝利を強く願った。何の違いもなかった。
そして、ドヒドイデは〝トーチカ〟を連続させることができなかった。ついにいざないポケモンの通念がヒトデナシポケモンの精神を締め落とし、丈夫な脚で作られたドームが崩れ去って、冷たい道路に這いつくばらせた。
「しゃあっ!」
ビルはガッツポーズとともに短く単純な勝ち名乗りを上げた。ピエートは膝から崩れ落ちて、キャミィが友人の勝利を祝うべく駆け寄っていくのを白昼夢のように眺めていた。小気味よい音を弾けさせてハイタッチした二人は、たった今の激闘のプレッシャーなど忘れてしまったようだった。
「さっすが! 完璧だったね!」
「んなわけねぇだろ」
ビルは笑顔のままユキメノコをボールから出した。戦いの終わりを悟ったユキメノコは通常の姿に戻っていた。
「こいつの出番まるでなしだぜ」
ユキメノコは奥ゆかしく無言だった。主人が勝利したのであれば、それで。
「ふ、ふふふ」
ピエートは焦点の定まっていない目を虚空に泳がせて、壊れかけのオーディオのようにぶつぶつとつぶやいた。
「いいでしょう。この試合そちらの勝利です。しかし、ギルガルドをごらんなさい。もう立っているのもやっとですね? ほんの少し戦闘に巻き込むだけでも瀕死は必定。当方の目的は果たされました。野生ポケモンの暴動は止まらず、そちらの冒険もこれにて……」
「いいえ。試合も、勝負も、ビルさんの勝ちです」
誰がしゃべっているのか、最初ピエートにはわからなかった。タクオが少年たちのそばに出てきて、及び腰になりながらも彼自身のボールを手にしていた。
「こんなにも見事に、必死に勝利をつかみ取った彼の戦いが、またそうした苦しくも眩い戦いを繰り返して、ここまで辿り着いた自分たちの努力が報われないなど、あってはならないんです」
「何を……」
タクオは二匹のポケモンを繰り出した。彼らのような戦いには入り込めない、それでも今日までタクオと生きてきた、大切なポケモンたちを。
「タブンネ、〝いのちのしずく〟。チリーン、〝いやしのすず〟」
タブンネとチリーンはたちまちギルガルドの回復にとりかかった。ピエートが苦労して傷つけてきた王剣が、彼らの仲間によって癒されていくのを、ライフル団最高幹部は見ていることしかできなかった。
「この作戦を考えたときに決めたことだ。ゴールまで急ぐ必要はあるが、道中はまず消耗戦になる。回復は絶対に必要だが、道端でこうして休むのは危ねぇし、ポケモンセンターに立ち寄ってる暇はねぇ。タクオの兄さんの役割がばれて目の敵にされんのもよくねぇしな。大事なのは速度と、安全なタイミングだってこった」
周囲のポケモンたちは依然としてギルガルドに傅いていた。今更したっぱを集めて襲撃させても、その攻撃がこの王将に王手をかけられないことは目に見えていた。
「出迎えご苦労! てめぇが放してくれたポケモンのおかげで一息ついたぜ」
ビルとギルガルドに見下ろされ、今度こそピエートの魂魄は砕け散った。彼は気絶したようにがっくりとうなだれ、二度と顔を上げることはなかった。
アイネとチヅルもポケモンを出してタクオのポケモンに治療を受けた。リクロロはそわそわとキャミィの顔を覗き込み、彼が頷くと建物の周囲を探るために離れた。
「さぁて」
ビルは改めてライブハウスを見上げた。ここは目的地であるが、彼らはまだ玄関先に来たに過ぎない。
「キャミィ。作戦通りここまで不戦勝で連れて来たんだ。大将戦で黒星は許さねぇぞ」
人生一の不敵な顔ができているとキャミィにはわかった。焦がれていた。これまで友人たちの名勝負を間近で見続けてきたのだ。こんなにも戦いたいと思ったことはなかった。
「もちろん。僕の決勝戦、特等席でみせてあげる」