三日目
「そのくらいでやめておいたら?」
その場にいた全員が振り返った。周囲を建物に囲まれた狭い空き地で、逃げ場もなく縮み上がる一人の青年を取り囲む三人の男たちは、黒い布地に螺旋のマークが刺繍された同じ帽子をかぶっていた。意味深な模様にキャミィがいぶかしんでいると、螺旋マークの男が一人、面倒そうに体の半分を向けた。
「あなた、なんですか? 関係ない人、そうですよね?」
「そうだね。でも、とても紳士的な態度には見えなかったよ。通りの影になってるところで、おっかないポケモンまで出してさ」
男のそばに立っているポケモンをキャミィは顎で指した。
まよなかのすがたのルガルガン。非常に好戦的で、自分や相手が血まみれになっても戦いをやめないポケモン。ルガルガンはこの乱入者のほうが手ごわい獲物と見るや、追い詰めていた男を無視して、血気盛んに唸った。この三人の誰かの手持ちだろうとキャミィは思った。止めるものは誰もいなかった。
「申し訳ございません。私のルガルガン、戦うと決めたら決着がつくまでおとなしくならないのです。あなた、ポケモン連れてますよね? ルガルガンを鎮めるために、協力していただけますか?」
もう二人の男が前に出てボールを放り投げた。デデンネとダストダス。敵意がむき出しだった。正々堂々戦うつもりではないようだ。
キャミィは少しもうろたえず、自分のポケモンを一匹選んだ。
「いいよ。普通のポケモンバトルってことでいいんだね?」
「ええ、もちろんです。あなたが勝ったら、我々は立ち去りましょう。我々が勝ったら」
返事を待たずにキャミィはボールを投げた。ポケモンが繰り出され、同時に叫んだ。
「〝じしん〟!」
ガブリアスが着地と同時に周囲のポケモンを吹き飛ばした。誰も素早さに追いつけず、一発の攻撃にも耐えられなかった。螺旋マークの男たちはガブリアスに近すぎたために、足元からの打撃に巻き込まれ尻もちをついた。
「我々が勝ったら、何? 賞金でもよこせって?」
キャミィはガブリアスのざらざらした背に手を添えて自分のポケモンを制した。持ち主の怒りと余裕を感じて静かに見下ろすガブリアスの隣で、少年は若々しくプレッシャーを放っていた。
「そのくらいでやめておいたら?」
笑顔を浮かべ、キャミィは続けた。「それとも、決着つくまでやる?」
男たちは顔を見合わせると、よろよろと立ち上がり、倒れたポケモンたちをボールに戻した。最初に話しかけてきた男が、並び立つ人間とポケモンをにらみつけた。
「いいでしょう。今日のところは降参です。あなたの顔、覚えましたからね」
キャミィは歯を見せて笑い、フレンドにかけるのと同じ言葉を与えた。
「いつでもリベンジ待ってるよ」
舌打ちが聞こえ、三人の男たちは足早に去っていった。キャミィがガブリアスをボールに戻すと、残された青年が遠慮がちに進み出てきた。
「ありがとうございます。助かっちゃいました」
青年の顔立ちはキャミィとそう歳の離れていないように思えた。キャミィより少し背が低く、そばかすのついた鼻にボストンサングラスが乗っかっていた。眠そうな半目と同じアッシュブラウンのカーリーボブを無造作に伸ばして、裾がよれよれのビジネススーツは夜更かしの常態化していそうな彼の顔と同じくらいにくたびれていた。
「どういたしまして。気にしないで、たまたまデートの帰りに見かけただけだから」
「で、デートですか……ああ、自分、こういうものでして。記者をやっております」
差し出された名刺をキャミィは受け取った。「月刊ママンバレル タクオ・ドウシタ」と書かれた名刺は、彼の身なりに対してそこだけ新調されたように真新しかった。
「雑誌の記者? なんか記事とか書いてる人?」
「ええ、まあ。あなたは……」
「僕はキャミィ。競技トレーナー。よろしく、タクオさん」
キャミィが手を差し出すと、タクオは最初その意図が飲み込めないようだったが、やがて合点し、握手に応じた。
「ねえ、記者ってさ、噂話とか、社会の闇とか、そういうの詳しい?」
「は? いやまあ、仕事柄耳に入ってくることは多いですが……」
「実は、まさにその辺に明るい人を探してたんだ。お礼ってわけじゃないけど、協力してくれない?」
今度こそ、タクオの思考は置き去りにされた。不思議な空間に放り込まれ飛び方を失った鳥ポケモンのように。キャミィは翼を必要としていて、目の前に現れた鳥ポケモンを逃がす気はなかった。
「チーム、ライフル」
キャミィのスマホロトムの画面に映された情報を眺めながら、タクオは眼鏡を直した。ランチタイムより少し早い時間の喫茶店はだんだんと混んできており、内緒話を隠すにはかえって好都合だった。ウソッキーを隠すなら森の中、である。
「そ。さっきタクオさんを襲ったやつらの帽子と同じマークでしょ?」
「確かにそうですね」
仕事中のタクオは、画面に体ごとのめり込み、情報に吸い込まれているようだった。
「ライフルとは、螺旋、という意味です。メガシンカ現象に似ている螺旋模様のマーク、これがチームを表しているのでしょう」
アイネはセミナーを開催している団体の公式サイトを共有してくれた。団体のロゴと思われるマークと「チームライフル メガトレーナーの会」というタイトルのサムネイル。「トレーナーもメガシンカ」「初心者でも勝てる」「推しポケでマスター級」といった啓発的な文言。ポケモンバトルのエンタメ化が盛んなフロンティアシティでは、ごくありふれた内容の講習会。
「それで、この……ガンシャ、というカウンセラーが、講習会の中で、一般トレーナーに秘密裏に不明な薬物を配布していると?」
団員紹介ページの、カウンセラーの項目をタクオは指さした。コーチをつける感覚で、メンタルケアを目的に専属カウンセラーを雇うプロトレーナーがいることはキャミィも知っていた。
これは何もかも違う。草の根運動の団体に所属し、不特定多数の、おそらくアマチュアや未熟なプロトレーナーに対し、団体の場で、団体と関係なく、正体不明の薬物の提供。
レベルのおかしい、怒涛の異次元だ。
「僕はそう聞いてる。話してくれた子を信じてる」
「その、情報提供者というのは?」
「名前は……匿名で。昨日知り合った女の子から聞いたんだ。一晩遊んで、今朝、駅まで送って、その帰りにタクオさんに会ったんだよ」
「デートの帰り、と言っていましたね。その女性に、薬物の痕跡や、使用歴は?」
「ない。賭けてもいい」
「はは、いかにもポケモントレーナーらしいお返事です」
タクオは近くを通ったウェイトレスを呼び止め、コーヒーのお代わりを注文した。キャミィはマホイップクリームでうんと甘くなったカフェラテのストローを口に含み、まだ残っているからこっちは大丈夫とウェイトレスに知らせた。ウェイトレスは「かしこまりました」とタクオに一礼し、キャミィにかわいらしく微笑んでから、厨房へ戻った。
「ところで、あなた競技トレーナーですよね? 大丈夫なんですか? こうも堂々と女の子と遊び歩いて」
「うん」
「おお……自信満々ですね。根拠は?」
「ゲンガーがいるから」
タクオは〝ねこだまし〟を受けたポケモンと同じ顔をしていた。この後どう展開するか、キャミィには決まったルートがあった。
「ポケモン図鑑のメガゲンガーのページ、読んだことある?」
「いえ、勉強不足ですね」
「メガシンカはポケモンとトレーナーの絆の力だけど、メガゲンガーは自分が命を狙っている相手としか絆を結ばないんだ」
タクオは素早く手帳を取り出し、ペンを走らせた。
「それはつまり、あなたは、試合に繰り出すポケモンから、命を狙われていると?」
「約束なんだ。僕はゲンガーを試合に出して、活躍させる。ポケモンはみんな本能的にはバトルが大好きで、ゲンガーも戦えること、勝てることが嬉しい。言っちゃなんだけど僕は強いからね。活躍できそうな相手にしか出さないし、ゲンガーも喜んで戦ってくれる」
この会話もキャミィの影の中に住んでいるゲンガーに聞かれている。積極的に話すことではないが、隠し通すことでもない。
「女の子と遊ぶのは、僕にとって最高の休憩なんだ。勝たせてくれるトレーナーが、一番好きな遊びだから、ゲンガーも認めてくれる。その代わり、何か取り返しのつかない一線を越えて引退するとかになって、ゲンガーが納得いかないタイミングでポケモンたちの遊び場が失われたら、僕の命で落とし前をつけていいことになってる」
謎の組織より恐ろし気なものと出会ったようにタクオは呆然とした。
「ゲンガーは公平だよ。例えば、束縛しようとしたりとか、飲み物に薬を混ぜたりとか、女の子のほうから僕を罠にかけようとすると、その子にお仕置きして、僕から遠ざける。見え透いた罠に僕から飛び込んだことはないから、たぶん、本当に危ない相手から守ってくれてもいるんだ。あくまで、僕が、僕の意志で、道を踏み外すことを選んだとき、その落ちた下で口を開けて待ってるんだよ」
注文されたコーヒーが届いても、タクオはまともに反応できなかった。キャミィが代わりにお礼を言ってウェイトレスを見送ると、タクオは数回瞬きをして、ようやく現実に帰ってきた。
「怖くないんですか。連れているポケモンに命を握られて。いつか殺されるかもしれないと思いながら、付き合うつもりもない女の子と遊ぶなんて、恐ろしくはないんですか」
もちろん、答えは用意してある。
「そういうの全部許せるくらい、僕のゲンガーは強いぞ」
タクオの口角がゆっくりと曲がり、乾いた笑い声が漏れ出た。タクオは額に手を当てて小さく頭を左右に振ると、首から上だけを持ち上げて、キャミィの笑顔を見た。
「あなたは」まいった、降参だ。無精ひげの生えた口元に書いてあった。「ポケモンバトルが本当に大好きなんですね」
キャミィはにっこりと笑った。影が揺れて、ゲンガーが密かに笑っているのを感じた。
「事情は分かりました。あなたは、ええと、フレンドから悪の組織が絡んでいるかもしれない犯罪を知り、それを調べるために自分に協力してほしいと。ここまではいいとして、もうひとつ確認させてください」
「いいよ、なんでも聞いて」
「動機は何ですか? 一晩の関係とはいえ気に入った女性を騙したり害そうとしたりした悪者が許せませんか? それとも、あなたの言う本当に危険な相手とうっかり関係しないための下調べですか? あるいは、もっと何か個人的な理由ですか? 記者である自分を捕まえてまで真実を見破ろうとする、その理由を聞かせてください」
顎に手を当てて、キャミィは考えた。自分の気持ちは決まっていたが、言葉に置き換えるには思考が必要だった。やがて考えがまとまり、持ち時間を十秒ほど残して答えた。
「フロンティアシティは、新しい街だ。誰でもポケモンバトルが楽しめる用意があって、誰もが楽しくポケモンバトルをする権利がある。好きな時に、好きなだけ。僕やゲンガーみたいに、バトルが好きな人とポケモンにとっては理想の遊び場だ。その、ライフル団? が、どういう組織か知らないけど、僕らの遊び場をルールの外から荒らそうとするやつらは見過ごせない。ここは生まれたばっかりの楽園なんだ。バトルは一人じゃできないのに、悪魔みたいなやつらがのさばっていたら、みんな安心して遊べないでしょ」
キャミィは、戦い続けると決めたチヅルを、再び戦うと決めたアイネを思った。
「そんなことはさせない。この街の愛と真実を守るために、僕は戦う」
「……なるほど」
タクオはペンを止めた。目つきの悪い印象を受ける半目がキャミィを見据えた。
「つまり、あなたたちにとって理想の街であるここフロンティアシティを、ひいては街に住む人々やポケモンを守り、善良な市民が尋常にポケモンバトルできるように、悪と戦いたい。そういうことですね?」
「そうだね」
タクオが眼鏡を直すとき、一瞬口元が見えなくなった。再び表情の全体がわかるとき、リラックスした笑顔が浮かんでいた。
「わかりました。自分に協力できることであれば、喜んで」
キャミィは親指を立ててはにかんだ。しゃべった分だけ喉を回復させようと飲み物を口にすると、ストローが音を立てた。メニューを取ろうとするタクオを、キャミィは身振りで遮った。ありがとう、まだ大丈夫。
「それでは、自分の話を少しさせてください。自分はもともと、社会の闇とかではなくて、トレーナーを取り巻く環境にフォーカスした記事を書いているんです」
例えば、とタクオは自分の鞄から月刊誌を取り出した。本が記憶しているかのように、ひとりでにあるページが開かれた。「スター団特集 いかにして彼らは学園の星となったか」という見開き。
「自分が書いた中で、特に自信がある記事です」
「軽く読んでもいい?」
「ええ、どうぞ」
タクオはキャミィに雑誌を差し出した。パルデア地方の、スター団という組織について書かれている。彼らの境遇、活動、解散とその後を、温かい言葉で綴った記事。
「読んだ。ありがと」キャミィは丁寧に雑誌を閉じてタクオに返した。「挫折や抑圧と戦うために星になることを選んだ。ってとこ、好き」
「ありがとうございます」
嬉しさと恥ずかしさとで、タクオは人間に化けたメタモンがうっかり気を抜いたような素朴な笑みをこぼした。
「こんなふうに、ポケモントレーナーと、彼らのコミュニティについての記事を書くのが、自分の仕事なんです。今回も、まさしく新天地であるフロンティアシティへ取材に来て、トレーナーたちがどう過ごしているかを聞いて回ったのですが……」
タクオはため息をついた。「私が出向いた先でも、危険な薬物の足跡がありました」
「それって、タクオさんが取材した相手も、薬に関係してたってこと?」
「はい。インタビューした相手が、たまたまユーザーで。彼はそれを普通のサプリメントだと言っていましたが、作用がその……だいぶ怪しくて。断言できませんが、まあ、そうだろうと。少なくとも黒だとあたりをつけて、彼の関係者を訪ねることにしたんです」
タクオはコーヒーをすすり、一口でカップの半分を飲んだ。
「彼はその薬のことを、ミニエー、と呼んでいました」
「ミニエー」
破滅の遺伝子に辿り着いた学者は、こんな気分だろうか。
「はい。どこで手に入れたかは教えてくれませんでした。なので、名前を出さないことを条件に、彼のフレンドを調べていたんです。聞き込みをするうち、あの三人から詳しく話を聞きたいと。ついて行くと、チームの名誉を棄損するなと、あのような事態に」
「怪しいね」
「ええ。ライフル団が何らかの関与をしていることは、間違いなさそうです」
「だとしたら、間一髪だったね。そんな連中に呼び出されたなんて、どんな目にあったか分かったもんじゃないよ。タクオさん、自分のポケモン連れてないの?」
「自分は競技トレーナーじゃありませんから。とても戦えませんよ」
「危なっかしいなあ」
「はは、まあ今日のようなことは慣れていますから」
慣れている、けれど、大丈夫とは言わない。危険だと感じて、それでも、関係者に取材を続ける。キャミィにとって、この件でのタクオは頼れる仲間だったが、打たれ弱い起点でもあった。
ふいに気づいて、キャミィは笑った。ダブルバトルと似ていたのだ。アタッカーの隣に立つ、攻撃力は低いが優秀なサポーター。
「タクオさん、連絡先交換しようよ。もし今度危なそうなところに取材するなら、僕も連れて行って」
「それは、もちろん構いませんし、頼もしいですが、いいんですか?」
「ここまで来たら、ご迷惑なんて思わないで。協力してくれるんでしょ?」
「……ありがとうございます。自分もできる限りのことをしましょう。これまでたくさんのトレーナーを取材してきましたが、それぞれにドラマがありました。そんなトレーナーたちが、ポケモンに関係ないところで身を崩すさまを見るのは、悲しいですからね」
それがタクオの動機だった。キャミィは手を伸ばし、今度はすぐにタクオも理解して、握手してくれた。
「ところで」
タクオは意味ありげに眼鏡を直すと、含み笑いをした。
「あなたのデートの予定が、自分の取材の日程と重なったら、どちらを優先してくれるのでしょう?」
キャミィは笑い飛ばした。
「命が危ないかもしれないのに、夜遅くに知らない人と会う約束しないでくれる?」