五日目
「食べますねえ」
コーヒーを満載した特大タンブラーを傾けながらタクオは感嘆した。ピーナッツバターサンドをかじる前に、キャミィはボリュームサンドを食べ終えたばかりだった。
「なんか」
キャミィはしゃべろうとして、諦め、口の中のものを飲み込んでから続けた。「つい食べちゃうんだよね。ピーナッツバター」
「自分は、朝からしっかり食べようとすると、胃が受け付けなくて。たくさん食べられる人は、羨ましいです」
「タクオさん、コーヒーばっかり飲んでるから、お腹が弱ってるんだよ。フルーツサンドあたりから試してみたら?」
「はは、今度やってみますよ」
バケットの食べこぼしを狙って、どこからかココガラが集まってきた。朝の公園は野生ポケモンのほかには彼らしかおらず、日差しがタクオの眼鏡を白く光らせていた。
「自分は、探偵ではありませんが」
本も画面もなかったが、タクオは前かがみになって話した。
「この事件、ガンシャ女史の単独の犯行とはとても思えません。むしろ、本格的に組織化された犯罪の可能性が高いでしょう。おそらく、彼女は見捨てられたのではなく、自ら身代わりになったのでは」
「〝みがわり〟?」
「ええ。話を聞いたところ、ガンシャ女史は薬のモニタリング……まあ、つまり、効き目に関する情報収集を行っていた。もし、製造元や研究所が別にあるか、レシピそのものが完成しているならば、そちらを押さえられない限り、ミニエーは放たれ続けるでしょう」
悪事の芽は、すでにわたくしの手を離れて繁茂しているということ。わたくしを倒して、存在を白日の元に晒そうとも、放たれた悪意は、もう止められないわよ。
「そういう意味では、彼女は我々の注目を一手に引き受けて逃亡したと考えることもできます。そうすれば、表向きは彼女個人が団を巻き込んで行った悪事とすることができますし、すでにミニエーの生産が安定しているならば、我々はもう捕まえる意味の薄い相手を狙い続けることになります」
「……ふふっ」
「どうかしましたか?」
「ポケモンバトルにそっくりだなって。試合の途中で、出てきたポケモンから相手の選出を推理するんだ。そうすると、例えばリザードンを大事にしないと負けそうだとか、バンギラスにできることはもうあんまりなさそうとか、みたいなことがわかってくる。タクオさん、もしタクオさんがコートでバトルしてて、役目が終わったバンギラスがまだ残っていたら、どうするのがいいと思う?」
タクオは腕だけを動かしてコーヒーに口をつけた。落ち着き払った、カフェインに磨かれたような冴えた声がよく聞こえた。
「〝みがわり〟ですか」
「そう。リザードンを出す前に攻撃を受けてもらったり、できることが残ってるように思わせて相手の気をそらしたり。なんかさ、これってそっくりだと思わない?」
「ポケモンバトルが上手な人は仕事もできると言われますが、その理由が少し分かった気がしますね」
キャミィはサンドウィッチを食べ終えて、パンくずを払うために両手を叩くと、半分飲みかけのモーモーミルクを喉に流し込み、大きく息を吐いた。
「手強いね」
「はい。強敵です。計算でやったのだとしたら、あまりに強かです」
タクオは眼鏡を直して、どことなく遠慮がちに、
「こういう時、ポケモントレーナーは最悪を想定して動くものなのでは?」
「タクオさん、バトル向いてるよ。今度教えようか?」
「いやいや。自分は見るだけで結構ですよ」
キャミィは空になった瓶を弄んだ。これがバトルだったら、次の一手は。間違えると詰んでしまう選択は?
「ともかく、事件はまだ終わってない。ここまではいいよね?」
「はい。少なくとも、楽観はできないかと」
「ってことは、終わったと思って何もしない、が、とりあえず最悪の選択かな。そうなると……」
キャミィは指を鳴らした。なぜ最初にこれを調べなかったのだろう。
「タクオさん、ライフル団のリーダーって誰か知ってる?」
「代表ですか。公式サイトによれば、テデコカ、という人物が務めているようです」
奇妙な、鉛色の雲が頭上にのしかかったようだった。日光を遮り、雨をもたらさない、どっちつかずの湿った曇り空が。
「知っている名前ですか?」
「わかんない。どうだろう。なんか聞いたことある気がして」
思い出せないことだけはっきりとわかるのは、知らないことよりも気味が悪い。
「ぱっと出てこないってことは、女の子じゃないだろうし、タクオさんみたいに仲のいい男でもないと思うし。顔見れば思い出すかも。テデコカって人、顔写真ある?」
「いいえ、サイト上でもモンスターボールのアイコンになっていて、顔はわかりません」
「そしたら、悪いけど調べてもらってもいいかな? 僕この後予定あって」
「構いませんよ。ついでに団の役職者は全員探りますか。何かわかったら連絡しますね」
「ありがとう。頼りにしてる」
キャミィは立ち上がり、正しいごみ箱に空き瓶を入れると、リザードンをボールから出して、軽やかに背中へ飛び乗った。
「朝帰りの次は遠出ですか? お元気ですね。今日も女の子に会いに?」
「ううん」
リザードンが翼を広げた。キャミィは飛行の邪魔にならない位置に手を置いて答えた。
「男友達」
スカウト牧場は故郷のワイルドエリアみたいだ。広すぎるし、どんなポケモンもいる。ゴーストタイプのジムリーダーを目指してフィールドワークに勤しむ友人は、かつてそう話してくれたことがある。橙色の荒野の素肌に紺色のテントを発見すると、リザードンはその目印に降下を試みた。
「おーい!」
キャミィが手を振って呼びかける前に、彼は友人の到着を察知していた。リザードンを降りた直後に、二人は握手を交わした。
「キャミィ! 元気そうだな! またかわいらしくなったか?」
「久しぶり! 会えて嬉しいよ。ビルはあんまり変わらないね?」
「馬鹿野郎、こういうときは冗談でもかっこよくなったねって言うもんだろ!」
ダークデニム色をしたミディアムパーマのくせ毛が揺れ、つり眉に切れ長の黒目のビルは笑った。笑い声の大きい少年だった。黒地に黄色いラインの十分丈レギンスの上から白いスポーツショートパンツを履き、黒いコンプレッションシャツの上にハイカットスニーカーと同じくゴーストタイプカラーのジャージパーカーを羽織っていた。
「よう! お前も元気してっか?」
ビルは握った手を離すと、キャミィの影に話しかけた。ゲンガーがにゅっと頭を出し、気分のよさそうに口の端を曲げて鳴いた。この少年はキャミィとゲンガーの関係を知る数少ない人物で、ビルはゲンガーにとっても親戚の叔父のような存在だった。
「よしよし。相変わらずぴったり憑いてるな。つうことは、ゲンガーの相談じゃなさそうだな? 真面目な話だってぇから、俺はとうとうお前の女遊びが行き過ぎて、ゲンガーになんかあったのかって心配したんだぜ」
「それ、ゲンガーの心配なの? 僕じゃなくて?」
「当たり前だよなぁ! 前にも言っただろ? ポケモンがトレーナーについてくるのには理由があんだよ。人間様が考えてるより、よっぽど複雑なんだ、ポケモンは! 毎晩女と遊んでるお前より、それについてくゲンガーのほうが百倍はデリケートだっつんだよ!」
ビルとゲンガーは一緒になって笑った。「そうだろ?」
「言ってくれるよね」キャミィは楽しげなため息を零した。
「それより、昼飯まだだろ? もう昼過ぎだけど、カレー食ってくか?」
「いいの? うん、食べる。ビルのカレーだ、やったね」
「ぬかしやがる、半分くらいそれ目当てで昼間に来たんだろ?」
「へへっ、そうだよ。ごちそうさま!」
「おう! 腹いっぱい食え!」
大事な話は食事の後にする。安全で満腹な生き物と飢えた生き物の結論は違う。ビルの持論だった。ときに充足の手段が人命にかかわり、空腹が満たされないことも珍しくないゴーストポケモンに彼は強い興味を示した。
生きているだけで全身全霊、ぶつかり合えばどっちも痛くて当然。ビルのゴースト観はキャミィにも影響を与えていた。
「次に街戻れるの、いつ?」
野菜の皮をむきながらキャミィは尋ねた。ビルは米を洗う手を止めて、指を折って何かを数えていた。
「そうだな、ぼちぼち買い出しに行ってもいいくらいだな。あれだったらこのカレーに残りの食材全部ぶち込んでもいいぜ」
「えー? 食べきれるかなあ。でも、ポケモンたちいれば大丈夫か」
「むしろ少し足りねぇんじゃねーの。そしたらあれだ、これとこれもむいといてくれ」
「おっと、はーい」
手を動かしながら、キャミィは鼻歌を歌い始めた。サビの部分からビルが声に出して乗ってきた。ビルは自分が音痴なのを知っていたが、感情そのままの親友の歌声をキャミィは気に入っていた。しまいには二人で熱唱しながら、カレーの鍋に具材を投入した。
「GOTCHA!」
歌い終わった少年たちはハイタッチをすると、すぐにビルと彼のシャンデラが火の番を務めた。調理器具を片付ける最中に、ポットデスがお茶をすすめてきたので、キャミィは丁寧に断った。
「あれ? ポットデスなんて手持ちにいた?」
「いや。そいつ野生だろ」
「ほんとに? すごく人慣れしてるよ?」
「俺がいると寄ってくんだよ。あいつをこの辺のボスと勘違いしてるんじゃねぇか?」
お茶を拒まれたポットデスが去っていく先にいるポケモンをキャミィは目で追った。
「ああ、確かに。あの子がいたら、そうなるか」
ギルガルドがシールドフォルムのまま野生のポケモンたちと戯れていた。ビルの愛刀、もとい相棒は、何をしているでもなくただそこに在って、それだけで見知らぬポケモンが、特にゴーストタイプの細々としたポケモンたちが集まっていた。
「本当はよくないんだぜ」
カレーをかき混ぜながらビルは苦々しく話した。
「あいつらはただ生きてるだけなんだ。人間が鍛えた、野生にしてみりゃ化け物みてぇな強さのポケモンがぽっと出てきて、うっかりそいつをボスだと認めちまうと、俺が帰ったあとであいつらが困るだろ」
「でも、おかげで野生のポケモンに襲われずに済んでるわけでしょ?」
「まぁな。あの調子だと別に操ってるわけでもなさそうだし。だから、下手に群れができる前に移動したり、ポケモンを入れ替えたりするんだ」
キャミィは感心してギルガルドを俯瞰した。周囲の人間を操ろうとしていたのをビルが説き伏せてやめさせたという昔聞いた逸話を思い出した。
ビルはゴーストポケモンと波長が合うと言っていたが、同時に自分のことを「うまい餌」だとも言っていた。自分の魂を吸わせたシャンデラが計測不能な火力を叩き出したとも豪語している。
それらを嘘だと考えたことはなかった。そういう男であってほしいとさえ思っていた。
僕の友達は、魂の質が違うんだぜ。だからみんな、あったかくて、眩しくて、ふらっと寄ってきちゃうんでしょ? こんな餌、野生じゃお目にかかれなくて。
「それってさ」
「あん?」
「同じ女の子とずっと遊んでると付き合えるかもって勘違いされる話?」
「ゲンガーに食われろ」
いよいよ香ばしいスパイスの風味が漂ってきた。
「その前に俺たちの飯だな。味見するか?」
キャミィはカレーに込めるまごころというものがよくわからなかったが、ビルのカレーは仕上げの前と後で別物の料理だった。
「うん、喜んで」
小皿に分けたカレーを受け取り、舌でこすように味わう。キャミィは親指を立てた。
「リザードン級!」
これまでビルのカレーにそれ以外の感想を述べた覚えはなかった。
「で、話ってなんだ。言ってみろよ」
食後のミルクコーヒーの入ったマグカップをキャミィは手にしていた。豆からひいて布でこして淹れたコーヒーに、砂糖を二杯とたっぷりのミルクを入れて、ポケモンの炎で温め直した甘苦い飲み物が、二人とも大好きだった。込み入った話をするとき、焚火を囲んでこの飲み物を片手に飲み頃の温度になるまでの待ち時間で議論するのが、ある種のお決まりになっていた。
「仲間を集めてる。悪いやつと戦うための仲間を」
アイネとの出会い、彼女の境遇と、ライフル団、ミニエーにつながるまでのこと、同じものを追っていたタクオを助け、協力し、アジトの一つへ潜入し、戦闘になり、マリカとともに幹部のガンシャを撃退した、これまでの経緯をキャミィはビルに伝えた。
彼が最も信頼しているフレンドは、口をきゅっと結んだまま、黙って話を聞いていた。少年たちの会話を、彼らのポケモンが見守っている。
「なぁ、キャミィ」
戦いはまだ終わっていない。組織のボスを探している。現状、それに当面の作戦を聞いたところで、ビルは口を開いた。
「この辺で終わっといたほうがいいんじゃねぇのか?」
今度はビルのターンだった。キャミィはぬるくなったミルクコーヒーをちびちびと飲みながら聞いた。ビルは表情を目まぐるしく変え、ときどきジェスチャーも交えて、説教をする教師のように同い年の少年にまくし立てた。
「どう考えても個人の手に負える事件じゃねぇだろそれ。お前だって競技トレーナーなんだし、そんな危なっかしいことに関わるもんじゃねぇよ。だいたい、表面上のとはいえ、差し当たりの脅威は終わったんだろ? もういいじゃねぇか、女と寝て忘れろよ」
ビルはぐっと飲み物で喉を鳴らした。視線が再びキャミィに戻ると、さっきまでの真顔はどこかに放り捨てられていた。
「と、ここまでがつまらん男の返事だ」
キャミィもまた、深刻な表情を破り捨てて、やんちゃな笑みを返した。
「仲間が必要な。それだけか? キャミィ、俺に声をかけた、本当のわけを聞かせろよ」
「悪の組織と戦って、壊滅させる。ポケモンやる男なら、みんな一度はこの夢を見る」
キャミィは口元で笑ったまま短い沈黙を挟んだ。
「その、一生に一度あるかないかのチャンスが、目の前に突然やってきた。僕は男で、夢をかなえられる力と、夢を語れる仲間がいる。だから誘った。ビル、僕以外で一番の男と見込んでお願いだ。君と一緒に冒険がしたい。悪いやつらをやっつけよう」
「乗った!」
二人は腕相撲のように肘を曲げて、友情が始まって以来の硬い握手をした。主人の高揚が伝わり、ポケモンたちも喜びの声を上げた。
「冒険、冒険か。こんな挑戦は初めてだ。わくわくするぜ」
「ありがとう! そう言ってくれると思ってた」
しばしキャミィとビルは肩や背中を叩き合い、感情を分かち合った。そろって飲み物の残りを飲み干し、片付けも忘れて盛り上がった。
「それで、具体的にはどうするんだ? なんだかんだ言っても、今のところはそのタクオって兄さんの情報待ちなんだろ?」
「実はそう。いざってときにはアジトに突撃だろうから、いつそうなってもいいように声をかけに来ただけで……」
スマホロトムの鳴き声が二人の会話に割り込んだ。キャミィのロトムだった。確認するようにビルが促し、キャミィは送られてきたメッセージを読んだ。
「なんだ? さっき言ってたライフル団のボスがわかったか?」
「いや、そうじゃない。けど、状況が変わったかも」
キャミィはスマホロトムの画面をビルに向けた。チヅルからだった。
「久しぶり。元気してる?
うち、こういうのよくわかんなくて。キャミィなら知ってるかもだから頼るね
今日、バトルのオフ会に出たら、知らない男に薬させられそうになって
嫌だったから全力で断ってきたけど、すごく怖くて
ミニエーって言うらしいけど、聞いたことない。何か知らない?」
「どういうことだ?」ビルが目を細めた。「薬を配ってた幹部は倒したんだろ?」
キャミィの脳裏にライフル団幹部の不吉な予言が繰り返された。悪事の芽は、すでに手を離れて繁茂している。放たれた悪意は、もう止められない。
「ていうか、誰だ? さっきの話に、チヅルって名前は出てこなかっただろ」
「この事件が始まる直前に、仲良くなって。薬なんか絶対やらない性格だけど、バトルに勝てなくて迷ってて。だからいろんなところに勉強に行って、そのどこかで誘われたんだと思う。僕、今から行くよ。ビルはどうする?」
ビルは顎に手を当てて考えた。もとはキャミィの癖で、いつの間にかうつっていた。
「明日にしろ」
「なんで?」
「お前、ライフル団に顔割れてんだろ? 今からシティに帰っても夜だぜ。心配してんのはわかるがよ、そんな時間に女歩かせて会う気か?」
「まさか、ミアレシティじゃあるまいし」
「お前は悪の組織の、麻薬カルテルの計画を台無しにしたんだぞ。ライフル団のしたっぱに尾行されたり、路地裏から殴り掛かられたりしてもおかしくねぇっつってんだよ。お前はゲンガーがいるからいいけどよ、いよいよとなっちゃチヅル巻き込んで乱闘だぞ。それでも大丈夫な女か?」
即答はできなかった。マリカは自分から戦うことを望んだ。チヅルは、アイネは、彼の身勝手な冒険を拒むかも知れなかった。そもそも、そのマリカでさえ、いつもポケモンをボールから出して連れ歩いているわけではないのだ。キャミィは想像し、気にかけるべき相手が一人ではないことを悟った。
「一晩くれ。そうしたら、俺も準備できる。すぐ抱きしめてやりたい気持ちはわかるが、会うのは昼間にしろ。たぶん、俺やお前が予想するよりやばい組織だ、ライフル団。でもメッセージは送っとけ。安心させてやれ、そういうの得意だろ」
「……わかった。でも、今日は帰るよ」
「ああ。夜道は気をつけろよ」
キャミィはリザードンと影の中のゲンガーを残してポケモンを戻し、かえんポケモンの背に乗って、温かい表皮に触れた。
「ところでさ」
リザードンはキャミィが会話を終えるのを待った。フロンティアシティ方面から荒野に風が吹いていた。
「ビルはどうして、僕がそういう目に遭うと思ったの?」
ビルは口元を一文字にしたまま腕組をした。
「頭のいいオヤブンが、群れのナンバーツーだかスリーだかをやられて、それでも縄張りで宿敵がのうのうと生きているなら、手段を問わんかもわからんと思ったからだ」