Kanon Trilogy   作:ミサ菓子折(LRA)

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12月12日(日曜日)

     12月12日(日曜日)

 

 

「名雪抜きで登校するのも久しぶりだな」

「そうだね」

 今日は文化祭の一般参加日。

 俺はあゆと余裕を持って家を出た。

 栞とは学校前で落ち合う予定だ。

 名雪がいないのは置いてきたからではなく、陸上部の手伝いで朝早くに出て行ったからである。

 名雪が部活を引退した今学期の半ばまでは、名雪が朝練で先に出ることはしばしばあった。

 本当は、ほぼ毎日朝練があったらしいが、部長名雪が朝に弱いため放課後の練習が主になってしまったらしい。

「しかし、あいつ昨日一日ほとんど寝てたんじゃないのか?」

「昨日は疲れていたんだよ」

 名雪は今日の朝に備えて、昨日夕飯を食べ終わったあとすぐに寝ている。

 下手をすると、起きている時間より寝ている時間が多い。

「ネコかあいつは……」

 北川に続いて、受験の心配をしてやりたくなるぞ。

「でも、名雪さんって本当によく寝るよね」

「本人曰く、『寝るのは好きだから』だそうだ」

「うぐぅ…祐一君気持ち悪いよ」

 名雪の声色を真似してみたのだが、不評だったらしい。

「名雪もすごいが、あゆはどうしてあんなに睡眠時間が短いんだ?」

「うーん、習慣だと思うよ。ボクは昔から6時間くらいの睡眠時間だよ」

 6時間というのはベストという意味だろう。実際は5時間でも平気のようだし。

「超人かお前は……。俺は8時間は寝たい」

「名雪さんは昔からあんなに寝ているの?」

「ああ、あいつは昔から……あれ?」

 

 

 ふいに脳内に昔の名雪の姿が浮かぶ。

 三つ編みの少女。

 休みには一緒に遊んだ……

 紅しょうがで脅迫してきた……

 商店街で拗ねていた少女。

 そういえば、今じゃしょっちゅう見ている名雪の寝ぼけまなこをあの頃は見た憶えがない。

 あいつに起こされたことも結構あったような…

 昔は早寝早起きだった?

 

 

「どうしたの、祐一君?」

「いや、なんでもない。昔からそうだったかもしれない」

 俺も子供の頃は10時間くらい寝ていたことがあったから、名雪と同じくらい寝ていて気付かなかったのだろう。

 寝る子は育つって言うし、子供はよく寝て当然だ。

 寝る子は育つ……?

「あゆ、お前昔から6時間くらいしか寝ていないのか?」

「うん。お母さんが『寝てくれないから困ったわ』って言ってたよ」

 一応、自分の睡眠時間が普通の人より短いという認識はあるらしい。

「だから色々と小さいんだ」

「どういうことだよっ」

 あゆが憤慨する。多分胸のことではなく、背の方を気にしているのだろう。

 小学校の頃から背の順では、先頭に並ばされていたらしい。

「いや、7年寝ててもその程度なんだから、所詮それがあゆの実力ということか」

「うぐぅ…なんだかすごい屈辱的だよ」

 返す言葉がないらしく、あゆは涙目になっていた。

「冗談だ。点滴じゃいくら寝てても、背はそんなに伸びないだろう」

「そうなの?」

 あゆがそれを聞いてすぐに立ち直る。切り替えの早い奴だ。

「多分な」

 本当のことを知ってるわけでもないので、一応ぼかしておく。

 

 

「……お母さん」

 と、そこであゆが悲しそうな顔をする。

「どうした、突然?」

「うん、ちょっとね」

 がすぐに普通の顔に戻る。

「隠さなくてもいいだろ」

「今日の夜にはわかると思うよ。だから、今は文化祭の方を楽しもうよ」

 あゆの表情から察するに、今は考えたくないことのようだ。

 それならば、そっとしておいてやろうと思ったが……俺は訊いてみた。

「……あゆ、一応聞いておくけど」

「何?」

「お前がいなくなるって話じゃないよな?」

 あゆの表情に、あの冬の別れの時のものと少し似たところがあったのでそれだけは気になったのだ。

「あはは……そんなのじゃないよ。お父さんと、ちょっとお出かけするだけだよ」

 あゆは照れ笑いを浮かべながらそう言う。そんな大げさなことじゃない、ということだろう。

「お父さんって…月宮さんが来るのか?」

「うん、今日の夜」

 昨夜、俺の勉強中に鳴っていた電話は月宮さんの電話だったのか。

「そうか。まあ、あゆがどこかに行ってしまうのじゃなければ別にいいけどな」

「ごめんね、変な心配させて。文化祭楽しもうねっ」

 あゆは笑顔でそう締めくくった。

「そうだな」

 俺がそれにそう答えた時、装飾された校門が見えてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 校門をくぐると、昨日は乱雑に並べられてた雪像がきれいに列をなしていた。

 今も中庭方面や、グラウンドの方から台車に乗せられた雪像が運ばれてきている。

 なるほど、名雪が朝から呼ばれていたのはこれのためか。

 一般客への開場前に校舎までの順路を雪像で飾ろうというわけだ。

 雪国の文化祭らしい演出と言える。

 

 

「ところで栞はどこだ?」

 校門前で待ち合わせのはずだったが……

「あゆ、本当に校門前って言ってたのか?」

「言ってたよ」

 電話で待ち合わせの約束をしたあゆがそういうのだから間違ってはいないだろう。

 こっちが早く来すぎただけのようだ。

「……名雪抜きで出れば余裕で間に合うんだなあ」

 俺はいつものハードな登校風景を思い浮かべながら、そんなことをつぶやいていた。

「なんてこと言うんだよ。名雪さんを置いていったらダメだよ」

 俺の独り言に、あゆがひどく憤慨した様子で注意してくる。

「何でお前が怒るんだ? 名雪を置いて先に出た方がのんびり二人っきりで登校できるんだぞ」

 だいたい俺たちだけ先に出て、名雪がそれに追いつくというほうが合理的だ。

 いや、因果応報だ。

 なぜわざわざ名雪に付き合って走っているのか、ということがそもそも不思議である。

 陸上部部長の名雪と俺たちじゃ体力が違いすぎるし、病み上がりのあゆにしたら、名雪と一緒に走ることは拷問にも近い。

 それに受験勉強でろくに二人っきりになれない俺たちにとって、登校時間は数少ない二人の時間のはずだ。

「それでもだよ。それにこの時間はボクが無理矢理邪魔をさせてもらっているんだから……」

「たしかにあゆがいると迷惑とは思ったことはあるが、邪魔だと思ったことはないぞ」

「うぐぅ…ひどいよ」

 涙目であゆがこっちを睨む。ちょっと言い過ぎたか?

「わけがわからない奴だな。なら俺だけ先に出るか……」

 こんなに楽に学校に来れるなら、名雪と一緒に朝からランニングと言うのも馬鹿らしい。

 前はそうでもなかったが、ここのところは寝不足で走るのが億劫になってきている。

 さっさと学校にいって、ホームルームまで寝ている方が気が楽だ。

「本気で怒るよ」

 と、思っていると、あゆがいつになく真剣な顔で怒っていた。

「お前…いったい何が言いたいんだ?」

 ここまで怒る理由がさっぱりわからないので訊いてみる。

「え、えっと……」

 するとあゆは突然うろたえ出した。ますます訳が分からない。

「と、とにかく、学校は名雪さんの時間なんだよ」

 あゆは照れ笑いを浮かべながらそう言った。

 かと思ったら、今度は下を向きながらもじもじとした様子で

「でも…ボクのこと嫌いにならないでね」

 と言う。

「心配するな。嫌いにはならない」

 何が言いたいのかわからなかったが、あゆが泣きそうになっていたので俺はあゆを抱き寄せながら耳元に囁いてやった。

「祐一君……人が見てるよ」

「駅前でキスをした奴に言われたくない」

「うぐぅ…あれは」

 しどろもどろした言葉から、あゆが顔を真っ赤にしていることは容易に想像できた。

 

 

「らぶらぶですね」

 

 

「おう、らぶらぶだぞ」

「えっ、わっ、栞ちゃん!?」

 慌てて俺から離れるあゆ。予想通り顔は真っ赤だった。

 校門の方を振り返ると、子悪魔のような笑みを浮かべた少女が立っていた。

 しかし…

「何で制服なんだ?」

「私はこの学校の生徒ですから」

「理由になってないぞ」

 休学中なんだから制服で来る必要なんかない。

「それより…あそこまで行ってて、キスはないんですか?」

 にこー。

「えっ、ええっ?」

 さらに顔を赤くするあゆ。

「早くしないとチャイムがなりますよ」

 にこにこ。

「そうだな」

「ええっ、祐一君本気なの?」

 あゆは完全に混乱していた。

「俺はいつだって本気だ。さてと、そういうわけで栞」

「あ、カメラですね。今出します」

 ……どこまで用意周到なんだ?

 しかもポケットから出してるし。

「いや、そうじゃない。たまには栞にもキスしてやろう」

「えっ?」

 栞の子悪魔のような笑顔が一瞬にして消えた。

「その年でキスの味を知らないのもかわいそうだし、俺が優し~く」

 俺は両手を広げてゆっくりと栞ににじり寄る。

 栞が青ざめた表情をしているのは言うまでもない。

「そんなことする人、嫌いです」

「もちろん冗談だ」

 と、俺はあっさり引き下がった。今のは栞が調子に乗らないようにするための牽制で、十分目的は果たしたからだ。

「どう見ても本気でしたよ」

 思いっきり不服そうな目で俺を睨む栞。

「俺は栞の扱い方に関してレクチャーを受けているんだ」

「誰からですか……って、月宮さんですね」

「わかってるじゃないか」

 俺は月宮さんから、『栞ちゃんは調子に乗らすと怖いから、先手を打った方がいい』と教えてもらっていたのだ。

「うぅ、こういう展開つまらないです」

「俺は面白かったぞ」

「そんなこと言う人、大っ嫌いです」

 栞は完全につむじを曲げてしまった。

 ふう、しばらくは口をきいてくれそうにないな。

 機嫌が直るまであゆに任せよう。

 

 

「栞ちゃんおはよう」

 落ち着いたあゆが改めて、朝の挨拶をかわす。

「おはようございます、あゆさん。ところで、その格好どうしたんですか?」

 その格好とは以前の、羽リュックにダッフルコートという格好のことである。

「髪型を戻したら、秋子さんが用意してくれていたんだよ」

「そうなんですか」

「変かな?」

「そっちの方があゆさんらしいですよ」

「栞ちゃんもその制服似合っているよ。ボクも着たいなあ」

「来年ここの高校に受かっていれば、着られますよ」

「うん、頑張るよ。約束だもんね」

「見込みはどうなんですか?」

「この前過去問題やったら、合格点より20点上だったよ」

「じゃあ、かなり安心ですね」

「うん」

 笑顔で頷きあう二人に俺は突っ込みを入れた。

「ちょっと待て! あゆ、お前もうそんなところまで行っていたのか?」

 いくら地方の私立高校とはいえ、中学3年間を飛ばして入学できるほど甘くはない。

 俺の受けた編入試験だって、簡単とは言えないものだったはずだ。

 あゆの場合ぎりぎり合格点でも凄いのに……もう20点もオーバーしているとは。

「結構大変だったよ」

 笑顔でさらりと言うあゆ。

「ひょっとして、あゆって凄く頭がいいのか?」

 うぐぅは風邪をひかないなんて言っただけに、にわかには信じがたい事実だ。

「知らなかったんですか? 祐一さん」

 機嫌を直したらしい栞が、驚いたように言う。

「いや、だってうぐぅだぞ」

「どういう意味だよっ!」

 説明になってない暴言にあゆが怒る。

「あゆさんって、事故にあう前は受験科目オール5だったそうですよ」

「……マジか?」

 『うぐぅは風邪をひかない』じゃなくて、『うぐぅと天才は紙一重』の方だったのか。

「ってことは……事故にあわなかったら」

「お姉ちゃんよりも成績優秀だったかもしれませんね」

「うぐぅが香里よりも…ねえ」

「だから、どういう意味だよっ!」

 あゆが香里以上……しかし、今の話から考えてもありえないことでもなさそうだ。

 うーむ、紙一重か……。

「しかし、だったら何で今も猛勉強しているんだ?」

 高校にいけるのなら、別に今みたいに無理をする必要もないはずだ。

「英語と社会が穴だらけなんだよ」

「とりあえず入学することの方を優先したらしいですよ」

「つまり、今のままじゃ入学してからが大変ということか」

「うん」

 あゆは本当に困ってるんだよという表情でうなだれていた。

 でも、よく考えたら、英語と社会を除く他の科目だけで合格点を20点も越したのか……

 それはそれでとんでもない話だぞ。

 下手すると、入学から最初の中間試験のころには学年トップになっているかもしれない。

「栞、お前頑張らないと恥をかくぞ」

「大丈夫ですよ」

 何が大丈夫なのかわかっているのか怪しいが、笑顔で答える栞。

 ……いや、こいつはこいつで例のポケットのごとく底の知れない奴だからな。

 この何を考えているのかわからない笑顔で、学年10位以内を常にキープしていそうだ。

 香里もいることだし……。

 

 

「そういえば、香里は来てないのか?」

「あっ、お姉ちゃんなら、さっきまで一緒に登校してたんですけど…校門前で『裏から入るって』言って、別れちゃいました」

 それって、俺たちを避けたってことじゃないのか?

 そんなに妹と一緒のところを見られたくなかったのだろうか?

「私もついて行きたかったんですけど、あゆさんとの待ち合わせがありましたから」

「ごめんね、お姉さんとの最初で最後の登校だったのに」

 あゆは申し訳なさそうな顔をした。

「いいですよ。それにまだ帰りも残ってますから」

 そうか、栞が制服で来た理由……

 あゆが俺との最初で最後の登校をしているように、栞も今日が最初で最後の香里との登校だったわけだ。

「香里は楽しそうだったか?」

「はい。久しぶりに二人で笑いました」

「よかったね、栞ちゃん」

 嬉しそうに笑顔をかわす二人。

 あの香里が笑った…だめだ、想像できん。

 最近の香里の様子を考えると、香里が笑えるようには思えなかった。

 それだけ、香里にとって栞の存在が大きいということか?

 俺の想像以上に、香里の妹に対する想いは深いのかもしれない。

 

 

「ところで、俺は教室に行くが、お前らはどうするんだ?」

「もちろん一緒に教室に行くよ」

「却下」

「うぐぅ、即答」

 当たり前だろ。やっぱりこいつはうぐぅだ。

「それは無理ですよ、あゆさん。私たちは一応部外者なんですから」

「そうだぞ」

「ですからここで雪だるまを作りましょう」

 と、指を口に当てて言う栞。

 月宮さんの言うとおり、栞がろくでもないことを言い出すときは決まってこのポーズだ。

「あ、それいいね」

「いいわけあるかっ!」

 まったく、こいつらは……

「うぐぅ」

「そんなこと言う人、嫌いです」

「『うぐぅ』、も『嫌い』もあるかっ! そこで正座して開場を待ってろ」

 それはそれで無茶苦茶な要求だ。

 

 

「校門前で何騒いでんだ、お前ら?」

 

 

 呆れたような声の主は北川だった。

「ほう、彼女を二人連れとは…なかなかやるな」

 意味ありげな笑みを浮かべる北川。

「誤解するな。俺の彼女はこっちだけだ」

「うぐっ」

 俺はそう言うと同時にあゆを引き寄せる。

「だとすると、そっちは?」

 北川は栞の方に目をやる。

「俺の妹だ」

「えっ、そうだったの?」

 真に受けるなよ、あゆ……。

「初耳です」

 わざとらしいぞ栞。

「妹は妹でもお前の妹じゃないだろう。それとも、そういう趣味でもあるのか?」

「どういう趣味ですか?」

 こいつら、俺に恥をかかせて楽しもうとしているな。

 いや、北川はどうだかわからないが、栞は間違いなくそうだ。

「そう思いたければそれでもいい」

 下手に相手をするとやぶへびになりそうなので、流しておくことにした。

「そうか」

 真顔で納得するな北川。なんだか必要以上にむかつくぞ。

「つまらないです」

 ……やっぱり俺の慌てる姿を期待していたな。

 

 

「えっと、おはよう、北川…さん?」

「北川君でいい。潤君でもいいぞ」

 一応お互い面識はあるのだが、直に話をするのは今日が初めてだったような気がする。

 二人ともどこかぎこちない。

「じゃあ北川君で、ボクはあゆでいいよ」

「よろしくな、あゆちゃん」

 とりあえず、お互いに軽く頭を下げあう二人。

 やっぱり『ちゃん』付けなんだな…。

 どう考えても同年齢と思われてないあたりが哀れだ。

「おはようございます、北川さん」

 に対してこちらは、交流があったらしい。

 ごく普通に挨拶をしている。

「おはよう、栞ちゃん。栞ちゃんが来ているってことは美坂も来てるのか?」

「はい。もう教室に行っていると思いますよ」

 そう言って栞が校舎を見上げる。

 3年生の教室以外には窓の外にまで看板や垂れ幕が出ていて華やかだった。

「なあ、北川。一般客ってどこで開場を待ってればいいんだ?」

「たしか講堂だったと思うぞ」

「そうか…というわけだ、あゆ、栞、講堂に行け」

 しかし、二人は動こうとしない。

「うぐぅ、場所がわからない」

「私もわかりません」

 無駄に広い学校というのも考え物だ。

「そこらに案内板が立っているだろう?」

 そう言ってあたりを見回す。

 しかし、よく見ればあっちこっちのクラスが適当に看板とか出しててわかりにくい。

 多分一番地味そうなのが装飾の必要のない案内板だとは思うが…

「オレが案内しようか?」

「いいの?」

「嬉しいです~」

 ……しまった。やられた。

 埒が開きそうにないので、二人を連れて行こうと思った矢先に…

 意外に気のきく奴め。

 まあいいか、ここは北川に任せよう。

「北川、任せるわ。俺は教室に行って寝る。ホームルームが終わったら起こしてくれ」

 名雪に頼むのは不安なので、北川に頼んでおくことにする。

 何かと気難しい香里に頼むのは論外だ。

「おう、点呼のときは起こしてやるぞ」

「助かる」

 

 

 

 そして俺は北川達と別れて、教室に向かった。

 もう付き合いが長いのでよくわかってきたが、北川は本当に気のきくいい奴だ。

 あれでもう少し緊張感とかがあればいいのだが……

 妙に軽い性格に見えるのが困ったものだ。

 

 

 

 

 

 

「おい、相沢起きろ!」

 乱暴に肩を揺すられる。

 俺は机から顔を上げた。

 げっ、文化祭のプログラムにクレーターができてる。

「起きたか…とりあえずこれを使え」

「すまん」

 俺は北川からティッシュを受け取って涎を拭った。

 周りは昨日のように誰もいなかった。

 全員出て行ったのだろう。

「相沢、お前今日文化祭回るのか?」

「そうでなかったらどうしてあゆと栞を連れてくるんだ?」

「それもそうだな」

「お前も来るか?」

「いいのか? 二股デートの邪魔をするようで悪いが……」

 

 ドスッ!

 

「ぐえっ!」

 間髪いれず俺の拳が北川の鳩尾に入った。

「喧嘩売ってるのか? さっきも言っただろう、栞と俺は何でもない」

「本気で殴ったな……まあいい、そういうことにしておいてやる」

 妙な含み笑いをする北川。

「ふう、まだ足りないようだな」

 俺はそんな北川に向かってゆっくり構える。

 次の狙いは肝臓だ。

 それで足らないなら今度は心臓を打ってやろう。

 名付けて、悶絶温泉巡り改めトロピカル人体急所攻めスペシャルX。

 最後にX(えっくす)をつけるのがネーミングセンスの光るところだ。

「ま、待て。話せばわかる」

 両手を前に出して大袈裟に後ずさる北川。

 俺の見定めている狙いに気付いたらしい。

 

「俺は一向に構わんっ! ヤらせろ!」

「オレが構うわっ! 一人でシろ!」

 

 ……二人っきりの教室で何やってんだ俺達。

 廊下から外来らしきギャラリーの視線も感じるし。

「何やってんだろうな、俺達」

「まったくだな。でも、以前の相沢に戻ったみたいで面白かったぞ」

「俺も文化祭に昂揚してるのかな」

 考えてみれば勉強ばかりで、ここまで気分が上がるイベントに参加するのも久々だ。

 そんな俺を見て、北川は二ッと笑いながら腕を差し出した。

「楽しませてやるぜ」

「別にお前が楽しませるわけじゃないだろ」

 呆れながらも俺はその手を取る。

 最後の文化祭、楽しまないとな。

 

 

 …………。

 ……。

 

 

「なあ、北川」

「どうした?」

「あゆと栞はどこで待ち合わせだ?」

 開場までは講堂で待っているということだが、開場してからはどこで待ち合わせるか約束していなかった。

「心配するな、講堂の裏を待ち合わせ場所にしておいた。講堂は例のイベントとか劇で混雑しているからな」

「気がきくな」

「オレは美坂チームの幹事だからな。それくらい当然だ」

 いつから美坂チームはそんな大層な物になったのやら……。

「で、隊長の香里はどこに行ったんだ?」

「さあ? ホームルームが終わるといなくなっていたが……」

「栞のところに行ったのかな?」

「場所も知らないのにか? いや、適当に探してるかもしれないな」

「まあいいか。行くか、北川」

「おうよ、案内は任せておけ。楽しめそうな出し物はチェック済みだ!」

 そんなことをしている暇があったら勉強をしろ。

 ……と言いたくもなるが、せっかくだしここは好意に甘えよう。

「頼むぞ」

 

 

 

 

 

 こうして、俺は北川に先導されて講堂に向かったのだった。

 あゆは北川に言われたとおり講堂の裏で待っていた。

 しかし……

「栞はどうした?」

 栞はそこにいなかった。

「うぐぅ、まだ講堂の中だよ」

 なんだかうろたえた様子のあゆが俺の問いに答える。

「何かあったのか?」

「栞ちゃんと一緒に講堂で待っていたら、変な女の子に声をかけられたんだよ」

「お前以上に変な女の子がいるのか?」

 変なあゆに『変』と言われるとは…どんな奴だ?

「どういう意味だよっ!」

 で、案の定怒るあゆ。

「まあまあ、それでどうしたんだ?」

「う、うん。その子が『ひょっとして美坂栞さんですか!?』って目を輝かせながら言ったんだよ」

「……………」

「……………」

 無言で北川と見つめ合う。

 なんだそれは!?

「なあ、相沢、これって噂の……」

「言うな! 女同士なだけまだ見苦しくない」

「……そうだな」

 これが俺と北川だったら吐き気がする……って俺は何を想像してるんだ!?

「……うげっ」

 ……こいつも想像したのか?

「?」

 何もわかってないあゆは、青ざめている俺達を見て?マークを浮かべていた。

「で、そのあとどうしたんだ?」

 邪魔するのも悪いが、とりあえず栞を放っていくわけにもいかない。

「そのあと、その子が何人かの人たちと話していて、それで栞ちゃんは壇上に連れて行かれちゃったんだよ」

 壇上!? って一体どういうことだ?

「それで?」

「う、うん。そのままその人たちに、壇上の幕の中に連れていかれちゃった」

「……………」

「……………」

 再び無言で顔を見合わせる俺と北川。

「この学校では文化祭の裏でそういうイベントがあるのか?」

「オレが知るか! 知ってたら参加し……いや、なんでもない」

「…捕まる前にやめとけよ」

「……………」

「参加…捕まる?」

 またもあゆは話に置いていかれていた。

「とにかく、栞が拉致されたことには変わりない。助けに行くぞ」

「えっ!? 栞ちゃんさらわれたの!?」

 お互いの合意の上ならともかく、何も知らない栞を巧みに騙して連れていったということも考えられる。

 というか、合意の上でもこんなところでそんな行為に及ぶのはまずいだろう。

「何かの勘違いだったらいいけど」

「オレもそう思う」

 『参加したい』とか言いかけていた奴が何を言うのやら。

「あゆ、栞の連れて行かれたところに案内しろ」

「う、うん。こっちだよ」

 俺達はあゆの後を追って講堂内に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ? 相沢君に北川君じゃないか。君たちも文化祭かい?」

 講堂に入るなり、俺達は横から声をかけられた。

 それにしても……ひどく派手な飾り付けだな。

 絨毯にシャンデリア…いつも体育でバスケをやったりしている講堂とはとても思えない。

 劇とかもやるらしいからこれでもいいのかもしれないが……

「なんだ、元会長か。いきなり声をかけるなよ、驚いたぞ」

「それは悪かった」

 俺達に声をかけたのは、元生徒会長で現クラスの委員長の久瀬という男だった。

 ちなみに、今年から同じクラスになった。

 というか、たまたま俺や名雪が同じ石橋学級なだけで、半数ぐらいは今年のクラス替えで入れ替わっている。

 この久瀬とは特に親しい仲というわけでもないが、元会長としてクラスの委員長としてまあ当たり障りない関係を続けていた。

 会長だの委員長だの、あれこれ雑務を頼まれる面倒な立場だけに、ご苦労様って感じかもしれない。

 そんな面倒くさそうなことをやってる人間の考えていることは、俺にはよくわからない。

 とりあえず、自分がクラス委員にされるのは逃れられたので感謝してはいる。

 転校生はそういう面倒な役を押し付けられることが多いからな。

「誰?」

「ああ、俺達の元会長だ」

「祐一君たちの元会長???」

「10月まで生徒会長だったんだ。今は引退して俺たちのクラスの委員長」

「あっ、それで元会長なんだね!」

 確かに説明されないと、久瀬の立ち位置は部外者には謎かもしれなかった。

 もともと委員長と生徒会長を兼任してたため、委員長とは呼ばれず『元会長』って呼ばれてるし。

「ん、その子は? ここの生徒じゃないみたいだけど」

 あゆを目にとめた元会長が俺に聞いてくる。

「相沢の彼女のあゆちゃんだ」

「そうなのか。相沢君に恋人がいたとは初耳だな」

 あくまで真面目に返す元会長。

 こう素で返されると少し恥ずかしい。

 この男の真面目臭そうなところはどうも苦手だ。

「月宮あゆです。よろしく」

 ペコッとあゆは元会長に頭を下げた。

「こちらこそよろしく……え? 君はあの月宮あゆなのか!?」

「何の話だ?」

 元会長の突飛な発言に首をかしげる俺達。

「美坂記念総合病院で7年間眠っていた噂の少女のことだよ」

「ボク噂になっていたんだ……」

 あゆは感心したような様子をしていた。

「ということは本人か。まさか相沢君の恋人だったとは……世間は狭いな」

 そして、元会長もまた感心していた。

「いまいち話が見えないんだが」

 この真面目を絵に書いたような男が三面記事のチェックに余念がないほどのゴシップ好きとは思えない。

 久瀬は、寸分の乱れもない制服を着こなし、四角い眼鏡をかけた、いかにも会長って雰囲気を出してる男だ。

「彼女、来年うちの高校を特例で受けるってことで生徒会で有名になっていたから」

 なるほど、生徒会がらみか。

 何でもこの学校は生徒会の力が強いとかなんとかで、俺が思っている以上に生徒会の地位は高いらしい。

 まあ、ごく普通の一般生徒の俺にとってはどうでもいいことだが。

「たしか美坂さんの妹さんと友達なんだよね?」

「うん」

「待て、何でそこまで知っている?」

「…美坂栞さんも特例で来年復学することになっているから」

「普通それだけで人のプライベートな関係まで調べるのか?」

「いや、調べてないよ」

「だったらなんで?」

「たまたま本屋で彼女達の物語を見たんだ。特例がらみで気になっていたし。結構有名だよ?」

「あっ、それお父さんが書いた本だよ」

 ……つまり、あゆと栞の奇跡の話を書いた本を月宮さんが出していたというわけか。

 ここのところ勉強ばっかりで、本屋のそんなコーナーには目もくれてなかった。

 

 

「それより元会長、栞ちゃんの居場所知らないか?」

「美坂栞さんかい? さっき写真部と映画研究会の人たちに連れて行かれていたようだけど」

 北川の問いに元会長が連れて行かれたらしき方向を見ながら答える。

「なんで写真部と映画研究会が栞を?」

 俺と北川が最初に考えた物とは違うようだが、それはそれで不気味な組み合わせだ。

「多分美人コンテストに参加してもらうためじゃないかな」

「は?」

「うぐぅ?」

「なるほど、そういう事か」

 俺とあゆはさっぱり理解できなかったが、北川はわかったようだ。

 というか、さっきからあゆは完全に置いていかれている。

「どういうことだ?」

「あそこに写真が飾られているだろ」

 北川の指差す先には確かに写真が飾られていた。

「ひょっとして美人コンテストって、写真に投票するのか?」

「知らなかったのか?」

「聞いてないぞ。壇上で何かアピールでもするのかと思っていた」

「そんなのに美坂が出ると思うか?」

 それもそうだ。

 美人コンテストは俺の思っていたものに比べて、地味なもののようだ。

 これでは一部の有名な生徒くらいしか候補に上がらないのも、もっともである。

「コンテストは基本的に写真部と一部のクラブのお楽しみ企画だからね」

 久瀬はそう言って腕につけていた腕章を広げて見せた。

 『生徒会』と書いてある。

「講堂のイベントを盛り上げるために生徒会も後押ししてるけれど」

 手伝いで生徒会OBも駆り出されている…ということらしい。

「せっかくだし、栞ちゃんを探しながら投票でもしていくか?」

「それはいいが、何で栞が連れていかれたんだ?」

「さあ、それは僕にもわからないな」

 久瀬が両手を広げて、お手上げのポーズを取る。

 あゆの言う変な女生徒は栞のことを知っていたみたいだが、

 元会長と同じ理由で知っていたとは考えにくい……

「とにかく探してみよう。写真撮影はとっくに終わっているだろうから」

「そうだな。じゃあな元会長。お勤めご苦労さん」

 片手を挙げて、簡単に感謝の気持ちを伝えて元会長に背を向ける。

 その様子を見て、あゆも元会長にペコリと頭を下げた。

「えっと、さようなら」

「うん、君達も文化祭楽しんでくれよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 元会長と別れた俺達はとりあえず写真の並べられている方に行ってみることにした。

 

 

   3年A組 水瀬名雪さん (県大会にて)

 

 

「なるほど、こういう風に紹介されるのか」

 どこかのグラウンドで撮られた名雪の写真の下に、簡潔な紹介文が書かれている。

「ボク、名雪さんの体操服姿はじめて見たよ」

 そういえばそうだったな。

 というか、家で体操服着てたらおかしい。

 まあ、俺も数えるほどしか部活中の名雪とは会ってないが。

 

 隣にはどことなく無愛想な顔をした香里の写真があった。

 ……これ隠し撮りじゃないのか?

 どう見ても授業中の香里の横顔だ。

 今の香里は本当に近寄り難い雰囲気あるからなあ…写真部の奴も威圧されたのだろうか?

 そこから先には知っている顔はなかった。

 いや、名雪と一緒にいた陸上部の後輩の顔もあったような気もする。

 待てよ、そういやあの一見地味そうなショートヘアの女の子、あれ今の生徒会長だっけか?

 まあいいか、俺には関係ないし。

 

 

 

 

 

 

「……祐一君」

 俺とあゆの目は一つの写真に釘付けになっていた。

 

 

   祝! 来年復学 美坂栞さん(あのAngel Promiseの!)

 

 

 映っているのは、真新しい制服に身を包んだ少女……栞だった。

「あゆ、栞が連れて行かれたのは何時間前だ?」

「講堂に着いてから10分くらい後には連れて行かれちゃったから、2時間ぐらい」

 ということは2時間くらいでこの写真を仕上げたのか?

 しかも撮ったところは中庭らしい。

 栞の写真映りがいいのか、撮った奴の腕がいいのか、栞の写真はいい出来だった。

 栞のやつ…しっかりカメラ目線になってるし。

「というか、Angel Promiseって何だ?」

「天使の約束?」

「いや、英語の意味はわかる」

 全く聞き覚えもない単語も不可解だが、更に不可解なのが……

「なんで栞の紹介文だけ他のよりでかいんだ?」

 急だったから手書きというのはわかる。

 が、明らかに紹介文のアピール具合が違う。

 『あの』とか『!』がついているのは栞だけである。

 『あのイチゴ中毒眠り姫の!』とか『あのたい焼きイーターうぐぅの!』とかならわかるが……

 栞にそんなむやみやたらと人の耳目をひくような特徴があるとは思えない。

 

 

「あっ、いた! おーい、美坂、栞ちゃん!」

 俺達の背後で栞の姿を探していた北川が声をあげる。

 どうやら香里も一緒のようだ。

 ちなみに、北川は写真を全く見ずに投票用紙を受け取ると、即『美坂香里』に投票していた。

 こんなのでいいのか? コンテストの投票?

 地味な上に杜撰とは……まあそれなりには賑わっているようだが。

 外部投票OKというのが魅力なのかもしれない。

 あゆも投票用紙を一枚もらっている。

 

 

 北川に呼ばれて、美坂姉妹が北川のほうに向かってくる。

「すみません北川さん。待ち合わせ場所で待っていなくて」

 栞はそう言って俺達に軽く頭を下げる。

「栞が写真部の子に連れていかれるとは思わなかったわ」

「でも、何で美坂がここにいるんだ? 栞ちゃんと待ち合わせしてたなんて聞いてないぞ」

「栞のいそうなところを探していたら偶然ここで見つけただけよ」

「なるほど」

 

「……っ!」

 

 北川の後ろから現われた俺達を見て香里の表情が歪んだ。

「どうした、美坂?」

 香里の異変に気付いた北川が声をかける。

「何でもないわよ!」

 ややヒステリー気味に香里が怒鳴る。

 一体なんなんだ?

「…………」

 無言で俺達を睨みつける香里。

「お、お姉ちゃん」

 姉の異変を不安そうに見つめる栞。

「あたし、用事があるから。栞、昼に食堂でね」

「あっ、お姉ちゃん!」

 香里はそれだけ言うとさっさと去っていった。

 

 

 

「……何だったんだ? 今の?」

 さっぱりわからない。

「お前、美坂が怒るようなことをやったのか?」

「そんな覚えは全くないぞ?」

「お前を睨んでいたみたいだったけどな」

 寿命が縮まるようなことを言わないでくれ。

「いつもなんだか厳しそうなお姉さんだね」

 おどおどした様子で言うあゆ。

「さっきまでは二人で楽しく話していたんですけど…お姉ちゃんどうしちゃったんでしょう?」

 栞も香里の豹変ぶりがさっぱりわからないらしい。

「ちょっと待て、あゆ。お前香里に会ったことがあるのか?」

 今まであゆの口から香里のことを聞いたことはなかった。

「あるよ。栞ちゃんの家に行ったとき」

 そういえば2、3度ほど遊びに行ってたな。

 勉強が忙しいからそう頻繁には行けなくて寂しがっていたが……。

「いつもあんな感じなのか?」

「うん。なんだか怖くて挨拶したこともないんだよ」

 やっぱりおどおどした様子で言うあゆ。

 ひょっとして……香里が睨んでいたのは俺じゃなくて、あゆなのか?

 でもなんであゆが香里に睨まれなきゃならないんだ?

 さっぱりわからなかった。

「まあ神経質になる時期だしなあ」

 俺は首をかしげながらそう言った。

 名雪やあゆ・北川を見ているとあまり想像できないが、神経質な受験生の話は珍しいことでもない。

 深く追求しないほうがいいだろう。

 

 

 

 なんともいえない沈黙を破ったのはあゆだった。

「ね、栞ちゃん、Angel Promiseって何?」

 あゆがさっきから気になっていたことを訊く。

「え……」

 に対して、栞の方はまだ上の空だった。

「あ、俺も気になっていたんだ。何なんだ?」

 とりあえず、この重い空気を取り払おうと、俺も栞に訊いてみる。

 すると、栞もいつもの表情に戻って

「テレビ番組ですよ」

 と、平然とした顔で答えた。

「は?」

「テレビ?」

 間抜けな声をあげる俺とあゆ。声こそあげてないが北川もポカンと口を開けている。

「どうかしましたか?」

「いや、どうかしたも何も……テレビってどういうことだ? 栞、テレビに出たのか?」

 隣ではあゆがうんうんと頷いていた。

「はい。特別出演ということで」

「…どんな番組だったんだ?」

「よくある、奇跡の生還とかのドキュメンタリードラマですよ」

「というと、栞の生還ドラマか?」

「正確には私とあゆさんです」

 確かに、あゆと栞の話はテレビとかではウケがいいかもしれない。

「で、なんで栞だけがテレビに出ているんだ? あゆにそんな誘いは来ていない筈だぞ」

 『来てないよ』と頷くあゆ。

「テレビ局からお誘いがあったのは2学期の初めだったんです。あゆさんは勉強で忙しそうでしたし……」

「確かに、俺達はここのところろくにテレビも見てなかったくらいだしな。栞の判断は間違ってないぞ」

「オレはテレビ見てたけれど知らないぞ」

「お前な…少しは勉強しろよ。で、何を見てたんだ?」

「深夜のプロレスを」

 そんなものに栞がでてくるわけがないだろう……。

 単に話に入りたかっただけらしい。

 しかし、どんな生活しているんだ北川は…

「で、そのドラマって好評だったのか?」

「11月の始めに放送されて、再放送もされたみたいですから、多分好評だったんだと思いますよ」

 にっこりと微笑んで言う栞……少し自慢げに聞こえる。

 あゆと北川は口を開けてただ感心していた。

「…………」

 俺は微笑んでる栞をじーっと眺めた。

「…………」

 まあ、栞は笑顔ならかわいいし、言葉も綺麗だからテレビだったら文句なしの美少女だよな。

 あゆと栞の話も、決して悪くないはずだし……

 となると、そのドキュメンタリードラマが好評だったのもわかる。

「で、この学校のドラマ好きの生徒に呼び止められたということか?」

「売れっ子アイドルになったみたいで楽しかったです」

 にっこり。

「ボクも出てみたかったな」

 嬉しそうな栞を見て羨ましがるあゆ。

「お前ならとっくに銀幕デビューしてるだろ」

「えっ、いつ?」

「たい焼き食い逃げ犯、『少女A』ってことで」

 もちろん目ベタつきだ。

「ボク捕まってないよ!」

「あゆさん、食い逃げをしたことは認めるんですか?」

 栞が苦笑しながら、あゆを見つめる。

「ついに犯行を認めたな」

「う、うぐっ……」

 完全に自爆してしまったあゆは、涙目で俺達を睨んでいた。

「でも、あゆはテレビに向いてないよな」

「私もそう思います」

「どうして?」

「『うぐぅ』だし」

「そんなエッチな言葉をお茶の間に流したら、テレビ局に抗議が殺到しますね」

「二人揃ってなんてこと言うんだよ!」

 またも説明になってない暴言にあゆが憤慨する。

「まあ、冗談は置いておいて、あゆはイメージじゃないな」

「うぐぅ、意味がわからないよ」

「俺にもよくわからないけど、とにかく、なんだかイメージに合ってないんだよ」

「なんというか、あゆさんの良さって、テレビじゃ分からないと思うんですよ」

「?」

 栞の言葉に首をかしげるあゆ。

「そんな感じだな。栞の言うとおりだと思う」

「よくわからないけど、ボク褒められているの?」

「少なくともけなされてはいないぞ」

「どちらかと言うと、褒めているほうですよね」

「うーん、まあいいか。ありがと、栞ちゃん、祐一君」

 やや釈然としてないようだったが、あゆは笑顔でそう言った。

 相変わらず切り替えの早い奴だ。

 というか、これがあゆの良さなんだろうな。

 確かに、目の前で見てないと分かりにくいことだろう。

「それにな、あゆ」

「何?」

「テレビっていうのは、栞みたいに人を騙すのがうまい奴の方が向いているんだ」

「あっ、それわかりやすい」

 ぽんっと手を叩くあゆ。

 

 

「祐一さん、あゆさん……」

 

 

 最上級の笑顔で俺達に見せる栞……だが、

 声は笑っていなかった。

 やばい、角と尻尾と牙まで見える。

「じょ、冗談だ、栞」

「そ、そうだよっ」

「そうですよね。私は策略家じゃないです」

 ま、マジで怖かった。

 懐から何かを取り出そうとしていたのが、俺たちの恐怖を更に助長させたのは言うまでもない。

「栞、お前、『硫酸』とか『筋弛緩剤』とかを持ち歩いてないだろうな?」

 病院経営者の娘だし、手に入れるのは簡単そうだ。

「どうしてそんな物騒な物を持ち歩かないといけないんですか?」

 と、笑顔で答える栞。

 ……これ以上つっこむのはやめとこう。薮蛇になりそうだ。

 

 

「文化祭回らなくていいのか?」

 と、ちょうどいいところで北川が助け舟を出してくれた。

「そのとおりだ、北川。さあ行こう」

「……何張り切ってるんだ?」

 俺は北川の肩を叩き講堂から、いやこの雰囲気からの脱出を試みた。

「あっ、待って、祐一君」

 が、あゆに手を引っ張られる。

「な、何だ?」

 まだ不気味なオーラを出している栞から早く逃げたいのに、というかお前も栞にロックオンされているんだぞ!

「せっかくだし、ボク栞ちゃんに投票しておくよ」

「え?」

「あゆさん?」

「名雪さんに入れようと思っていたんだけど、栞ちゃんなんだかかわいいし」

「え、ええっ!?」

 あゆにかわいいと言われたのがよっぽど意外だったのか、栞は顔を真っ赤にしている。

 そして俺があっけにとられている間に、あゆはとてててて、と小走りに投票箱に向かっていった。

「相沢、お前も行ってこいよ」

「あ、ああ」

 北川の言葉で我にかえったのはいいものの、さて誰に入れたものか……

 順当に名雪にでも入れておくか、出場してないあゆに入れるわけにもいかないし。

「決めたか?」

「ああ、なゆ……」

 

 ゾクッ!

 

 と言いかけたところで、身を貫かれるような視線を感じた。

「…………」

 にこにこ

「うっ」

「どうかしましたか、祐一さん? 私何も言ってませんよ」

 にこー

 ……その目は十分にものを言っている。

 写真の作り笑顔もそうだが、こいつ以前より表情だけで語るのうまくなってないか?

 テレビ局が素人の栞を使ってみるのもわかる気がする。

「どうしたんだ、相沢?」

「い、いや、もう一度写真をじっくり見て決める」

 今はとりあえず栞の視線から逃げたい。

「……水瀬に入れるんじゃないのか?」

 無神経なのか、鈍感なのか、それとも豪放磊落なのか、北川は栞の視線にまったく気付いていない。

 俺はとりあえず逃げるように栞と北川から離れた。

 

 

 

 写真を見て決めるとは言ったが、結局栞に投票することになった。

 背中に刺さる栞の視線が怖かったからだ。

 名雪、すまん。自力で頑張ってくれ。

 というか、これは脅迫だろ!

 おまけに、有望な就職候補先の美坂記念病院の経営者一族の一人だ。

 売れる時に媚びを売っておかないと、医者になれたところで詰む。

 開業医なんて無理だし、かといって適当な総合病院に入るのも嫌なんだからしょうがない。

 

 

 

 

 

 

 午前中は、俺、あゆ、栞、北川に加えて、途中で合流した名雪の5人で文化祭を見て回った。

 やはりテスト終了後ということもあってか、気合の入った出し物が多い。

「大体の出し物は見たな」

「まだ、クラブ関係と模擬店はまわってないけどな」

「模擬店は、昼時のお楽しみだからいいとして、クラブの出し物って面白いのか?」

「年によるな。去年の数理研究部のは面白かったぞ」

 数理研究部とはコンピューター関係のクラブのことである。

「何があったんだ?」

「KOTのファイナルエディションだ」

「……なんだ、それ?」

「キングオブティーチャーズ、略してKOT。この学校の教師を使った格闘ゲームだ」

「そんなものがあったのか?」

「何気に石橋が強い」

「凄まじいな、それ……」

「まあ、校長の3ゲージ技『チミ退学ね』を出されたら終わりだが」

「……校長までダシにされているのか?」

 そんな教師全体をおちょくっているようなゲームを出し物にするとは、……恐るべし数理研究部。

 話のタネにはなりそうだし回ってみるか。

 

 

「あゆちゃん、もう泣きやんでよ~」

 後ろから情けない声が上がる。

「えぐっ、うぐぅ~」

 ……まだ泣いているのか、あゆの奴。

「出口の釣瓶(つるべ)落しには驚きましたね」

「うぐぅ~~~~っ!」

 ……こいつのせいか。

「おい栞、いい加減やめてやれ。名雪も栞を注意しろよ」

「どうして?」

「お前な…俺が同じことをあゆにしたら絶対に何か言うだろ」

「するよ。あゆちゃんがかわいそうだもん」

「じゃあ栞があゆをいじめるのはいいのか?」

「栞ちゃんがあゆちゃんをいついじめたの?」

「……もういい」

 俺の言いたいことはさっぱり伝わっていないらしい。

 いつものことなので、適当にはぐらかしておくことにした。

「だいたい、あゆもずっとコートかぶって俺にしがみついていて何も見ていなかっただろうが」

「怖いものは怖いよっ」

 この前の一件以来、あゆをお化け屋敷に連れて行くのはやめておこうと思っていたのだが……

 栞が『行きたいです~』と頑固に言い張ったために、お化け屋敷をやっているクラスに行くことになったのだ。

 まあ俺も、北川が『あのクラスは担任も力入れているから見ないと損だ』と言うので行きたくなってしまったのだが。

「出口付近に妖怪釣瓶落しなんていなかったぞ」

「だ、駄目だよ。お化けは、お化けの話をしていると寄ってくるんだよ」

 そんなに怖がるなら、お化け屋敷の外で待っていればいいのに、律儀について来たところがあゆらしい。

「あ、あゆさん。頭の上……」

 栞がそう言ってあゆの頭上を指差す。

 

 

「うぐぅ~~~~~!!」

 

 

 声にもならない悲鳴が校舎中に木霊した。

 言うまでもなく俺達一行は廊下の耳目を完全に集めている。

「栞、お前なあ」

「何ですか? 私は『カチューシャがずれている』って言おうとしただけですよ」

 にっこり

 濃縮400%の笑顔…絶対確信犯だ。

 こいつ、俺と同じくらいあゆをからかうのを楽しんでいるんじゃ……

 ホラー映画の最中あゆをからかったことを思い出す。

 

 

「フードをかぶってたからだね」

 名雪は一度カチューシャをのけて、あゆの髪を軽く整えてからあゆにカチューシャを綺麗にかぶせてやった。

 横に並ぶと二人の身長差10センチは目立つ。

「はい、できたよ、あゆちゃん」

 にっこりと微笑んであゆの頭から手を離す名雪。

「うんっ、ありがとう名雪さん」

 あゆは感触を確かめるようにカチューシャを2、3度ポンポンと叩きながら、名雪に笑顔でお礼を言った。

「…………」

 栞はその二人の様子を寂しそうに見つめていた。

「どうした、栞?」

「名雪さんとあゆさんって、本当の姉妹みたいですね」

「まあな、実際あの二人もお互いそういう風に思っているし」

 ちなみに、二人は2週間くらいしか年は離れていない。

 一応年の上でも名雪が姉ということになる。

「香里のことか?」

「あゆさんが羨ましいです。お姉ちゃんはまだ私の目を見てお話してくれません」

「……………」

「大丈夫だって、栞ちゃん。美坂は馬鹿じゃないし、気持ちの整理に時間がかかっているだけだって」

 俺が黙っていると、北川が代わりに栞を励ましてやった。

「北川さん」

「ま、オレも美坂が病死寸前の妹を無視していたなんて知った時にはショックだったけどな」

「その割には、いまだに美坂チームとか言ってるよな、お前」

「黙れ相沢」

 1秒とおかず突っ込みが返ってきた。

 だが、実際、美坂チームなんて名前名乗ってるのは、こいつぐらいのものである。

「とにかく、なるようになるさ。美坂は妹が好きなのは間違いないし」

「はい」

 北川の励ましに少しは安堵したのだろう。栞は笑顔で返事した。

 これは作り笑顔の方じゃない。

「…むしろ香里に必要なのは、北川みたいな単純さだろ」

「オレみたいなは余計だ」

 事実を言ったまでだ。

「そうですね、『あゆさんみたいな』ですね」

「……………」

「相沢、自分の彼女を『単純』と言われる気分はどうだ?」

 勝ち誇ったような笑顔で俺の肩を叩く北川。

 悔しいがこれも事実なので言い返しようがない。

 だが、なんだか癪だ。

「北川、残念だが、あゆは『うぐぅ』だが文字通りの単細胞じゃない」

「どういうことだ?」

「まあ、知らない方が身のためだ」

「おい、なぜそんな哀れみの目で見るんだ?」

 北川が尚もわめき続けるがここは無視しておこう。

「さーて、模擬店回りして昼飯を済ませるか」

 メンバー全員に聞こえるように俺はそう宣言した。

「あ、祐一、ちょっと待って」

「どうした名雪?」

「な、名雪さん、やっぱりそんなの悪いよっ」

 名雪の後ろであゆが『やめて、やめて』とばかりに名雪の袖を引っ張っている。

 なんなんだ?

「あのね、今からは祐一とあゆちゃんだけで回ってよ」

「は?」

「せっかくのあゆちゃんとの文化祭…なんだからね」

 そういうことか。

 ようは俺とあゆを二人っきりにしてくれるということだな。

「それはそれで嬉しいが、栞はどうするんだ?」

 栞はあゆについてきているわけだし、あゆがいなかったらつまらないだろう。

「私は構いませんよ。お姉ちゃんとの待ち合わせもありますし」

「そういえば、食堂で…だったな」

「はい」

 その会話を聞いて、名雪が小声で北川に話し掛ける。

「香里、文化祭に残ってたんだ」

「意外だろ」

「うん、びっくり」

 お前ら二人の顔は全然『意外』にも『驚いてる』ようにも見えないんだが…

 そんな二人に栞が笑顔で問いかける。

「名雪さんと北川さんも一緒に食堂に行きませんか?」

「いいの?」

「はい。お姉ちゃんも名雪さんたちがいたほうが喜ぶでしょうし」

「じゃあ、遠慮なく」

 お前は少し遠慮しろ、北川。

「そういうわけです。文化祭が終わったら校門前でまた会いましょう」

 栞はそう締めくくると、名雪と北川を連れてさっさと食堂へと去っていった。

 

 

 

 

 

「……………」

 なんというか、展開が早すぎてつっこむ暇がなかったぞ。

 いや、あえてつっこむ間を与えないように振舞われたのかもしれないが……

「祐一君、どうするの?」

「そうだな、せっかくのデートだしな」

「で、デートって……」

 ボッと顔を真っ赤にするあゆ。これだからからかうと面白いんだよなあ。

 当人はそんなことわかってないだろうが……

「たい焼き食べに行くか」

 

 べちっ!

 

 あゆが盛大にずっこけた。

「なんでいきなりたい焼きが出て来るんだよっ!」

 デートの雰囲気も何もない俗な単語が出てきたことに怒るあゆ。

「何言ってるんだ? 約束だったろ」

「え? やくそく?」

 きょとんとするあゆ。

「忘れたのか? ここは学校なんだぞ」

「あっ……うん、それじゃたい焼きだね」

 合点がいき、にっこりと微笑んで頷くあゆ。

 そう、俺達の学校では給食はたい焼きなのだ。

 

 …………

 ……

 

 一日だけの学校でよかった。

 毎日だと胸ヤケしかねん。

 ちなみに、たい焼きとはあゆの犯行現場となった屋台ではなく、ここの模擬店のことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数時間、俺とあゆは文化祭を存分に楽しんだ。

 もう少しでその文化祭も終わる。

 俺とあゆは校門前で名雪たちがやってくるのを待っていた。

 もう5時前。校舎は赤く染まっていた。

 少し、いやかなり寒いが、この町にしてはまだ暖かい方か。

「祐一君、今日はとても楽しかったよ」

「俺も楽しかったぞ」

 普段ならわざと思ってもいないことを言っているところだが、今日ばかりは本当に楽しかった。

 あゆをからかおうという悪戯心が入り込まないくらい純粋に。

「でも…今日で最後なんだよね」

 しんみりとあゆが言う。

「そうだな」

 俺達の学校生活は7年前の冬休みのようにほんの一瞬でしかないのだ。

「うぐぅ」

 ちょっと涙ぐむあゆ。

「泣くなよ、来年は栞と一緒に通えるんだし」

「うん…でも」

 本当は俺も残念だった。

 この学校に転校してきて以来、今日ほど楽しい日はなかった。

 俺・あゆ・名雪この3人で学校に通えたらどんなに楽しい学園生活が送れただろう?

 たった一日だったというのに、あゆのいないこれからの学校はなんだかつまらないもののように思える。

「にしても、栞には驚いたな」

「そうだね」

 校門前に来る前にコンテストの結果を見に行ったのだが……

 栞が1位になっていたのだ。

 ちなみに、名雪は3位、香里は5位、4位は俺の知らない1年の女子だった。

 しかし、あの生徒会長らしき2年の女の子が2位とは。

 あの地味そうな顔のどこに人を惹きつける魅力が……?

 生徒会がらみの組織票でも入ってるんだろうか? かなり謎だ。

 天野美汐……名前は他に負けてないかもしれない。

 けどなあ、香里とタメ張るくらいの仏頂面の写真で何故2位?

 まあ、気にしないでおこう。

 きっと俺が知らないだけで何か魅力のある子に違いない。

 ていうか、票自体は栞が全投票数の半数以上持っていってしまって栞の独壇場だったのだが。

「栞ちゃんってかわいいもんね」

「黙ってれば…だけどな」

 あの写真写りの良さと話題性はある意味反則だろう。

 しかも、あんな過剰な紹介文を添えられれば誰だって注目する。

 『あんな予断を抱かせる紹介文は不正だ』とかなんとか、講堂から出る前に会った元会長がブツブツ言ってたのも当然だろう。

 来年以降は写真の紹介文の規格化が進みそうである。

「栞というと、あゆ……お前そんなにお化けなんか怖がる必要はないだろ」

「怖いものは怖いよ!」

 お化けときいて一瞬で涙目になるあゆ。もはや条件反射の域だ。

「お化けはお前の仲間だろうが」

「お化けなんかに知り合いはいないもん」

「だったら今年の1月のお前はなんなんだ?」

「あ……」

 それを聞くやいなや、あゆの顔から血の気が失せていく。

 

 

「うぐぅ~~~~~~!!」

 

 

 で、次にあゆの口から出てきたのは悲鳴だった。

「祐一君怖いよ~」

 あゆは俺にしがみついてがたがた震えていた。

 その顔はかなり必死だ。

「お前なあ……今考えたらお化けのくせにお化けを怖がっていたのか?」

「ボクお化けじゃないもん」

 ……自分の存在を否定してまでもお化けを嫌うなんて。

 あゆのお化け嫌いは重度どころか、もはや重態の部類だった。

 ま、嫌いな人は本当に嫌いらしいからな。

「あー、分かったから泣くな。もう言わないから」

 栞にもお化けの話だけは止めておけと釘をさしておいたほうがよさそうだな。

「う、うぐぅ」

 

 

 

 

 

「あ、やっぱりあゆさんですね」

 小走りに栞が俺たちのほうにやってきた。

 『やっぱり』というのはさっきの珍獣たい焼きイーターうぐぅの咆哮を聞きつけてのことだろう。

「お、栞、そっちも見終わったのか?」

「はい。楽しかったです」

「名雪たちは?」

「えと、それがちょっと事故というか日常茶飯事なことというかに巻き込まれちゃいまして」

「栞、日本語おかしいぞ」

「お姉ちゃんが『いつものことよ』って言ってたんです」

「……?」

 何があったのだろう?

「とりあえず、もう少ししたら校門に来ますから」

「わかった、なら別にいい」

「栞ちゃん、コンテスト優勝おめでとう」

「薄幸の美少女としては実力相応のことですよ」

 えっへんとばかりに胸を張りながら、例のポーズをする栞。

 あゆは素直に『さすが栞ちゃんだね』という羨望の眼差しを栞に注いでいた。

「自分でそういう事言って恥ずかしくないのか?」

 それ以前にお前はもう薄幸でもないだろ、と心の中で突っ込みを入れておく。

「あゆさんや祐一さん相手だと少し恥ずかしいです」

「……だったら言うな」

「こういうのは月宮さん相手にしか通じませんね」

 通じるんかい、あの親父。

 相変わらずつかめない人だ。

 

 

「あ、栞ちゃんのお姉さんたちだ」

 あゆが昇降口から出てくる香里たちを見つけて声をあげる。

「あれ?」

「ん?」

 だが出てくるのは香里と北川だけだった。名雪はどうしたんだ?

「どうしました?」

「名雪がいない」

「あ、名雪さんですか。北川さんがおぶってますよ」

「どういうこと?」

 よく見るとたしかに北川が何かを背負っている。

 いや、何かじゃなくて名雪なんだが……

「実はですね」

「いや、言うな。香里の言葉の意味がよくわかった」

 俺は苦笑しながら事情を話そうとする栞の口を遮った。

「どうせまた、文化祭をまわっている最中に寝だしたんだろ」

「よくわかりましたね」

「ええっ、そうなの!?」

 栞はともかく、何故あゆまで驚いているんだ?

 名雪と暮らしていればそれくらい……

 いや、あゆは名雪が学校でもよく寝ていることは知らなかったか。

 

 

 

 

 

「北川、ご苦労だったな」

 とりあえずあゆと栞を校門前に残して香里と北川の下に駆け寄り、ねぎらいの声をかけてやる。

「……いくら水瀬が重くないといっても、さすがに1時間は堪えた」

「1時間も背負っていたのか?」

「模擬店の前でちょっと座っている間にこの調子よ」

 呆れ果てたような顔の香里が状況を説明してくれた。

「さすがに今回ばかりはオレも驚いたぞ。まさかあそこで寝てしまうなんて」

「名雪を侮るな、それくらい朝飯前だ」

「誇らしげに言うことじゃないわよ……相沢君、あとはお願いね」

「ああ、北川、名雪を下ろしてくれ」

「おう、ちゃんと家まで運んでくれよ」

 俺は北川の背から名雪を受け取った。

「くー」

 名雪は平和そうに寝ていて、起きる気配はまったくない。

「しかし、何で北川に背負わせていたんだ?」

 いとこの俺ならともかく、北川にはおいしすぎるシチュエーションだ。

 げんに俺の背中にはやわらかい感覚が……って何考えてるんだ俺?

 名雪相手に興奮してどうする。

「何が悲しくて名雪を背負いながら文化祭を楽しまなければならないのよ」

 呆れてため息をつく香里に納得。

 確かに一般客までいる校舎の中を、名雪を背負いながら歩き回るのは恥ずかしい。

「それに、寝ている名雪を背負っているとろくな事ないわよ」

「は?」

「相沢、頑張ってくれ」

 やたらに疲れた表情をして北川がそういう。

「どういうことだ?」

「こういうことだ」

 そう言って北川は俺に背を向けた。特に変わったところはな……

「……それ何だ?」

 北川の後頭部の髪が乱れている。

「水瀬の涎だ……帰ったら頭を洗わないと」

「そういう事よ」

 ……最悪だ。

 おまけに、身長もあるせいか少し重い。

「名雪の馬鹿野郎……」

「くー」

 背負っている者の気も知らず、水瀬家の眠り姫は呑気な寝息を立てていた。

「北川みたいになるのはごめんだ。はやく帰ろう」

「まあ、がんばってくれ……」

 もはや嫌味を言う気も起きないらしい。

「ところで、栞知らない? 何かに気付いて先に出て行ったみたいなんだけど」

 『何か』ってたい焼きイーターうぐぅの咆哮だな……。

 名雪は寝ているわけだし、意味を知っているのは栞だけか。

「ああ、栞なら校門前にいるぞ」

「そう……えっ!?」

 俺にそう言われて校門の方を見た香里がなんとも言えない声をあげる。

「…………」

「どうした?」

 香里は瞬きもせずそっちを凝視している。

「おい、美坂?」

 北川も香里のただならぬ雰囲気に気付いたようだ。

「…………」

「かお……」

 あまりの恐ろしさに『香里』とは言えなかった。

 香里は鬼のような形相をして校門を睨み、そして体をわなわなと震わせている。

 そして、その視線の先には栞とあゆ……いや、あゆの姿があった。

「…………」

 香里は何も言わず早足で二人に歩み寄っていく。

 その足音は恐ろしく冷たい感じがした。

 

 

「おい、相沢」

「あ、ああ」

 香里に気圧されて動けなかったが、北川の一言で我に返り、俺達は慌てて香里の後を追う。

 そして、校門前で何とか香里に追いついた。

 

 

 

「あ、お姉ちゃん」

 俺が向こうに行ってる間あゆとの話に花を咲かせていたらしい栞が笑顔で香里の方に振り返る。

 だが……

「おねえ…ちゃん?」

 栞も香里のただならぬ雰囲気に気付いたようだ。

 怯えたような表情で姉の様子を伺う。

 横にいるあゆも鬼気迫る香里の様子に怯えているようだった。

「栞、帰るわよ」

「え?」

「帰るのよ。帰らないの?」

 有無を言わせぬ口調。

 それは問いかけというよりは強要だった。

「え…えと、ちょっと待って下さい。あゆさんと今度商店街に行くやくそ……」

「帰るわよ!」

 おどおどしながら話す栞の言葉を遮り、香里が一喝する。

「えぅ」

 それに驚いた栞は小さく叫んでそのままうつむいてしまった。

「おい、香里!」

「何よ」

 今日体育館で感じたことはもはや確信に変わっていた。香里はあゆを……

「お前あゆの何が気に入らないんだ?」

 そう、香里はあゆを避けている。

 さっき栞が『あゆさん』と言った瞬間、香里の表情が更に険しくなったのを俺は見ていたのだ。

「…………」

 図星のようだった。いきなり核心をつかれた香里は気まずそうな顔をする。

 だが次の瞬間…

「ええ、そうよ! あたしはその子が近くにいるのが気に入らないの!」

 と逆に開き直ってきた。

 が、こうもストレートに言われると俺もカチンとくる。

 何より理由がわからない。

「何でだよ? あゆがお前に何かしたか?」

 しているわけがない。

 あゆと香里は今までほとんど会ったことがないのだから。

「…………」

 また黙る香里。それは『理由なんかない』と言っているようなものだ。

「理由もないのに気に入らないって言うのか?」

「何か悪い!? あたしはその子と馬が合わないのよ!」

 香里は拳を握りしめながら、そう言い切った。

「言いたいのはそれだけ? 栞、帰るわよ」

「あ、え……お姉ちゃん!?」

 香里はそのまま栞の手を掴み、引きずるようにして去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 香里の姿が消えてからしばらく、香里のあまりの剣幕に俺達は何も言えないでいた。

 一体なんだったんだ? あれは……

「くそっ! なんだよあれは?」

 冷静になってから俺は吐き捨てるように言った。

 『馬が合わない』だけであそこまでの態度をとるのか?

 いや、『馬が合わない』とは、そういうものかもしれない。

 だが……

「美坂ってあんな奴だったっけ?」

 茫然とした様子で独り言のように呟く北川。

 そうだ。俺達の知っている香里はそんな心の狭い人間ではない。

 それに、あの栞の怯えた様子……

 あれは栞ですら知らない姉の顔だったのだろう。

「うぐっ…ボク、何か悪いことしたの?」

 あゆは顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。

 目の前であんな風に『気に入らない』と言われたら傷つくだろう。

 ましてやあゆはまだ子供なのだ。

「北川すまん、名雪を頼む」

「え、ああ」

 俺は背負っていた名雪を北川に預けてあゆを抱きしめる。

「ゆ…ういち…くん?」

「あゆは何も悪くない。だからもう泣くな」

「う、うん」

 俺はあゆが落ち着くまで背中をさすってやった。

 その様子を見た北川が面白そうに軽く口元を緩ませる。

「なんだか、彼女というよりは父親と娘みたいな感じだな」

「まあ、こいつは子供だしな」

「うぐぅ、酷いよ祐一君」

 恨めしそうな目で俺を見上げるあゆ。

「そんな顔が出来るならもう安心だな」

 俺はそう言ってあゆの体から離れた。

 あゆの心は本当に不安定だ。

 いつもは俺達と変わらない年の女の子に思えるが、少しでも心が乱れると途端に子供のようになる。

 そう、あの冬いつまでも泣いていたように……

 それにしても、香里の奴……

 『理由がない』というのは嘘だ。絶対に何か理由がある。

 これは確信だった。

 香里のあれは『気に入らない』どころか憎悪まで感じられた。

 ただ気に入らないだけであそこまで恥も外聞もないような態度をとるとは思えない。

 いずれにしても、このままではあゆと栞の仲が引き裂かれるおそれもある。

 何とか出来るなら何とかしてやらないとな……

 

 

「おーい、用が済んだならはやくこれを持って帰ってくれ」

「くー」

 ……一気に気が抜けた。

「わかった。帰るか、あゆ。もう大丈夫か?」

「うん。じゃあね北川君」

「おう。せっかくの文化祭、最後の最後にこんなことになってごめんな」

「気にするな、お前のせいじゃない」

「そうだよ」

「じゃあな北川、また明日」

「明日は休みだぞ?」

「…………」

 

 ドスッ!(ボディ)

 

「ぐえっ!」

「一言多いぞお前は」

「やったな!」

 

 ビシッ!(ツッコミ気味の裏拳)

 

「野郎!」

 

 ポカッ!(チョップ)

 

「何でボクまで!?」

「ついでだ」

「うぐぅ、ボク女の子」

「悔しかったら『あたし』って言ってみろ」

「祐一君のいじわる!」

 

 バキッ!(右ストレート)

 

「って何でオレがぶたれるんだ!?」

「おまけだ」

「んなもんいるかあああ!」

 

 ボカッ! ボカッ!(二人同時に攻撃)

 

「北川、殺す!」

「もう怒ったよ!」

「おい、いきなり物騒なこと…ってくそ。こうなりゃヤケだ。二人まとめてやってやる!」

 

 ドスッ!

 ビシッ!

 ポカッ!

 バキッ!

 

 訳のわからないうちに俺たちははたきあいを始めていた。

 だが、今はそれがなんとなく楽しかった。

 3人とも意味なんかなくただ暴れたかったのだろう。

 そしてさっきの嫌な空気を忘れたかった。

 

 

「相沢に北川、そこで何をしている?」

 

 

 ぴたっ。

 呆れたような部外者の声で俺たちは我に返った。

「…………」

 声の主は…我らが担任石橋だった。

「先生も混ざります?」

 乾いた笑い声で軽口を叩く北川。

 少しは空気を読めっ! 石橋はどう見ても不機嫌そうだろっ。

「面白い冗談だな北川。周りを見てみろ」

 周り?

「げっ」

 北川と二人して絶句。

 他の生徒たちが俺達に非難の眼差しを送っている。

 よく見ると向こうで他の先生方もこっちを指差して渋い顔をしながら何かを話していた。

「ひょっとしなくてもオレ達悪人!?」

「外来の小学生に絡んで暴行しているだけにしか見えんな」

 ごもっともです、石橋先生。

 周りの視線の意味がよくわかった。

「うぐぅ、暴行はされてません。それにボク…」

 なんだかその先の言葉を言えないあゆが哀れだった。

 しかし、やばい状況だ。

 既に恥さらしな挙句にこのまま職員室に連行されてお説教なんて格好悪すぎる。

「どっちの妹かは知らんが、先生の肩身が狭くなるような真似は止めてくれ」

「えーと、はい。すみません」

「よし、じゃあもう帰ってよろしい。他の先生にはそう説明しておく」

 妹じゃないとか口ごたえするとややこしくなりそうなので話を合わせることにした。

 なんだかあゆが後ろから恨めしそうに見ている気がするが、ここは我慢してもらうしかない。

 …許せ、あゆ。

「ところで、何故水瀬が地面で寝ているのだ?」

 石橋が俺達から目を逸らし、その後ろの地面に視線を向ける。

 

 

 ……地面?

 

 

 あああああああああああっ!

 しまった、忘れてた。

 さっき北川から受け取る途中ではたき合いに突入したものだから……

「相沢、お前が悪い!」

「何、責任転嫁するつもりか!?」

 期せずして第二ラウンドに突入しようとする俺達。

 だがっ!

「貴様等……」

 殺気!?

「どこまで私に恥をかかせれば気が済むんだ!」

 げ、石橋がキレた!? 言葉使いが変わってる。

 やばい…せっかく事なきを得たところなのに。

「し、失礼しましたっ!」

 俺と北川は名雪を抱えると逃げるように学校から走り去った。

「うぐぅ…名雪さんなんでこんな冷たい地面で眠れるの?」

 俺達のあとを追いながらあゆがそんなことを呟いていたような気がする。

 

 

 

 

 結局俺達は通学路の途中まで逃げたところで別れた。

 しかし、名雪の眠りぶりも凄い境地に達したものだ……

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま~」

 さっきのじゃれあいで気分も晴れていたのだろう。

 あゆはいつものように元気のいい挨拶をして家に入った。

「ちっす」

「え?」

「『え?』じゃない。この家では帰った時の挨拶は『ちっす』って決まりなんだ」

「そうだったの?」

「知らなかったのか? まったく秋子さんもあゆには甘いんだから」

 もちろん大嘘である。

 なんでこいつはこう簡単に信じるのかな?

「ほれ、秋子さんが来る前にはやく言い直せ」

「う、うん。『ちっす』」

 本当に言ったよ……。ん?

 ふと脇を見ると見知らぬ靴が混ざっている。

 黒の男物の革靴だ。

 誰かお客さんでも……?

 

 カチャリ

 

 と思っていると、リビングの扉が開いた。出てきたのは……

 凶悪そうな面をしたオヤジだった。

「うわっ!?」

 

 ドサッ!

 

 俺はびっくりして尻餅をつくと同時に背負っていた名雪を落としてしまった。

 

 ゴツッ!

 

 名雪はそのまま後ろの玄関に頭をぶつけたらしい。凄い音がした。

「わっ…な、名雪さん大丈夫!?」

「うにゅ…あさ?」

「…………」

 頑丈な奴だ…今まで起こし方がいかに甘かったかいやがおうにも認識させられた。

 あゆも開いた口がふさがらないという顔をしている。

 それより目の前の凶悪犯らしきオヤジのほうが今は問題だ……って、あれ?

「どうしたんだ? 一体?」

「あ、お父さん」

 眼鏡をしてないから一瞬見分けがつかなかったが、よく見ればあゆの親父、もとい月宮さんだった。

 そういや今日来るって朝あゆが言ってたな。

「…大丈夫かい? 祐一君と名雪ちゃん」

 月宮さんは派手に頭をぶつけた名雪の方を心配そうに見やった。

「あれ? わたしのイチゴサンデー…どこ~?」

 …文化祭の時のまままだ寝ぼけてるらしい。

 この衝撃でもマイペースとは…やはり普通ではないな名雪。

「イチゴサンデー?」

「あ、気にしないで下さい。寝ぼけてるだけですから。あと数分もしたらいつもどおりです」

 俺は名雪を抱き起こしながら月宮さんにそう説明した。

 名雪の眠り癖をよく知らない月宮さんにいきなりこの展開はショッキングだろうなあ。

「それならいいけど。……さすがは秋子さんの娘さんだな」

 何か今さりげなく凄いことを言って感心していたような気がするけど。

 

 

「えっと、お父さん」

 そこであゆが月宮さんの様子を伺うように上目遣いで月宮さんを呼んだ。

「会いたかったよあゆ。1ヶ月ぶりだな」

 そして、月宮さんはそんなあゆに笑顔で向かい合う。

 …しかし、この親子本当に血つながってるのか?

 どこをどうしたらこの凶悪そうな顔をした親父からあゆが生まれるのだろうか?

 グレゴール=メンデルの遺伝法則もあてにならないものである。

 …まあ、月宮さんの話だとあゆは極端なお母さん似だということらしいが。

「えっと……」

 ん? なんだ? あゆの様子がおかしい。

 笑顔の月宮さんに対して何か言いにくいことがあるかのように伏し目がちにちらちら様子を伺っている。

「どうかしたのか? あゆ」

 月宮さんもあゆの態度に違和感を感じたらしい。

 少し狼狽気味にあゆの顔を覗き込む。

 そして、次の瞬間…

「ち…ちっす」

 あゆは顔を真っ赤にしながらそう呟いた。

 

 

 ……だあああああ!?

 

 

 まずい、まずいぞ。本当ならこれを言う相手は秋子さんだった筈なのに。

 まさか月宮さん相手にあゆがそれを言うとは!

 ていうか月宮さんがいるなんて予想だにしてなかった。

 ……どうフォローしよう?

 いつもの冗談では済まなくなってしまった。

「…………」

 月宮さんの表情が険しくなっていく。本格的にやばい。

 あゆの無作法に怒りを覚えているのだろう。

 あのただでさえ怖い顔をした月宮さんに説教をくらうなんて生きた心地がしない……が、自分の蒔いた種だ。

 俺の冗談ですとここは素直に謝って……

 

 

「ちっす」

 

 

 って、ええっ!?

 月宮さんはにっこり微笑んでそう言った。

 何気に右手まで上げてとてもフレンドリーだ。

「ちっす」

 と、今度はあゆも笑顔で挨拶を返してるし……

 なんというか、何か間違った世界のような気がするが、微笑ましい親子の挨拶にも見える。

 

 

「月宮さん、『ちっす』って何ですか?」

 

 

 いつの間にか後ろから遅れてやってきた秋子さんが月宮さんを白い目で見ていた。

「い、いやこれはその、家に帰ってきた娘と交わすのフレンドリーな挨拶で……」

「変な冗談をあゆちゃんに言うのはやめて下さい。あゆちゃんはすぐに信じちゃうんですから」

「…すみません」

 何で謝るんですか月宮さん!? 悪いのは俺なんですけど……

「家に帰ったときは『ただいま』だよ、あゆちゃん」

「う、うん」

 で、こっちは名雪に諭されてるし……。

 名雪は寝ていたから俺の差し金と気付いてないようだった。

 一瞬『月宮親子VS水瀬親子は水瀬親子の圧倒的勝利に終わった』なんて不謹慎な構図が頭の中に浮かぶ。

「皆揃ったことですし、そろそろ晩ご飯の用意をしますね」

 秋子さんは頬に手をやり何事もなかったかのように笑顔でそう言うとリビング、正確にはその奥のダイニングに引き返していった。

 ……なんというか、なんだか置いてけぼりにされた気がする。

 

 

 

 しばらく間をおいて秋子さん以外の時間も動き出した。

「あ、わたし着替えてこよう」

 名雪はそう言って2階へ。

「あ、秋子さん、ボクも晩ご飯手伝うよ」

 あゆはそう言ってダイニングへとそれぞれ散っていった。

 残されたのは俺と月宮さん。

「祐一君……」

「なんでしょう?」

 さっきのこともあるので、少し恐れ気味に返事する。

「あゆにあの挨拶教えたのは君だろう?」

 …ばれてるし。

「ごめんなさい」

「いや、謝らなくていいよ。悪いのは僕のほうだから」

「え?」

 どういうことだろう? どう考えても月宮さんに非はないと思うのだが

「いや、君があゆに吹き込んだのは想像ついていたんだよ。ただ、ね……」

 さっき険しい顔してたのは、怒っていたのではなく、考えていただけだったのか。

「ただ?」

「ああいう挨拶をするあゆがかわいかったものだからついアンコールをしてしまったんだよ」

 頭を掻きながら照れ笑いをする月宮さん。

「…………」

「あのコート姿もかわいかったなあ。リュックも似合ってた、うん」

 駄目だ…この親父。完全に親ばかになってるし。

 しかし、月宮さんって顔に似合わず冗談のわかる人なんだな。

 まだ数回しか会ったことがないので、これは新しい発見だった。

 ん? ちょっと待て……

「あの、月宮さん」

「何だい?」

「ひょっとして秋子さんは俺が大元って気付いてるんでしょうか?」

「気付いてるだろうね。まあ大人気ない悪ノリをした僕が悪いし祐一君は叱られたりはしないと思うよ」

 いや、そういう事ではなく、秋子さんにしてはえらく一方的だなと思っていたら…やっぱり気付いてたのか。

 つまり秋子さんは冗談に怒ったのではなく、親として止めるべき立場の月宮さんが俺の冗談に便乗したのに怒っていたわけだ。

「やっぱり秋子さんは凄いな」

「祐一君もそう思うかい。気が合うね」

 

 

 着替えた俺はこんな調子で食事の用意が出来るまで月宮さんと話をして時間を潰した。

 さっきからそうじゃないかと思ってはいたが、月宮さんは意外にひょうきんな人だった。

 今までは大学の学者でこの顔だから、親ばかであること以外は厳格そうなイメージを持っていたのだが……

 結構話上手で聞き上手な人のような気がする。

 これなら栞が月宮さんを話相手にしたのも納得がいくというものだ。

 また一つ月宮さんという人を知ることが出来て有意義な時間だったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月宮さんを迎えての食事ということもあって、今日の夕飯は色鮮やかな……

 鮭雑炊だった。

「あの、秋子さん…これが今日の夕飯ですか?」

 今まで秋子さんの夕飯を色々ご馳走になってきたが…雑炊が夕飯なんてはじめてだった。

「たくさんありますよ」

 俺の言いたいことをわかっているのか、わかっていないのか…秋子さんは微笑みながらそう言った。

「…………」

 見ると名雪も不審そうな顔をしている。

 こんな夕飯はじめて、という顔だ。

「いただきます」

「いただきまーす」

 に対して月宮親子はまったく気にしていないようだ。

 そして、二人揃って何のためらいもなく雑炊を口に運ぶ。

「こ、これは!」

「うぐっ!?」

 そして次の瞬間、親子二人揃って顔色を変える。

 なんだ、ひょっとして変な味なのか!?

「信じられない…たかが雑炊と思っていたけれど、秋子さんの雑炊はここまで違うのか?」

 月宮さんはしかめっ面から一転して、満足げな顔をしていた。

 …どこかの料理漫画のキャラクターみたいなことしないで下さい、月宮さん。紛らわしいです。

「う、うぐぅ」

 に対してこっちは涙目になってもがいている。

「あ、あゆちゃんどうしたの!?」

 慌てて席を立ってあゆの元に駆け寄る名雪。

 一体どうしたんだ? 何か変なものでも入っていたのか?

 そこに台所からコップを持った秋子さんがやってくる。

「あらあら、まだ熱かったみたいね。はい、あゆちゃんお水ですよ」

 そういやあゆは猫舌だったな。

 なるほど、雑炊の熱さにもがいていただけか。

 あゆは秋子さんからコップを受け取ると、口に水を含んでしばらく溜めた後、ゆっくりと飲み込んだ。

「ありがとう、秋子さん」

「お水を用意するのを忘れてましたね。あゆちゃん、冷めるまでの間にみんなのお水お願いしてもいいかしら?」

「うん、任せてよ」

 あゆはそう言うと台所とリビングを往復して全員分のコップを持ってきた。

 律儀に一つ一つ大事そうに両手に抱えながら。

「うふふ、あゆちゃんって見ていて本当にかわいい子ですね」

「もう少し要領よくやればいいんですけど…でも、あの不器用さがまたかわいいんですよね」

 そしてこちらは見事に親馬鹿ぶりを披露していた。

 しかし、まるで夫婦だな、この二人の会話。

「祐一、食べないの? 温かくておいしいよ」

 ホクホク顔で鮭雑炊を食べる名雪。

 いつのまに食べ始めていたのやら……

 相変わらずマイペースな奴だ。

「いただきます」

 俺はそう言って雑炊を一掬い口に運んだ。

 

「こ、これは!?」

 

 本当にこれ雑炊なのか!?

 それは病人食とは違った濃い味付けがなされていて、雑炊といえども『夕飯』にふさわしい味だった。

 和風リゾットとでも言うべきだろうか?

 やはり秋子さん…雑炊一つでもこうも違うとは……

「どうしたの?」

 驚いている俺に心配そうに名雪が声をかけてくる。

「う、美味い」

「祐一、大げさだよ~」

 呆れ果てたような表情で非難する名雪。

 本当にそれくらい驚いたんだから仕方ないだろう……

 まったく、これを食べて『温かくておいしいよ』だけで済ませるとは、名雪らしいというか……

 いや、生まれてからずっと秋子さんの手料理食べてきたのだからそれくらい舌が肥えているのかもしれないな。

「秋子さん、俺こんな美味い雑炊はじめて食べましたよ」

 感激する俺に対して秋子さんはいつものポーズで微笑みを返してくれた。

 あれ?

 ふと横を見ると、秋子さんの傍であゆが得意げに微笑んでいる。

 雑炊にはまったく手をつけていない。

「何だ? あゆ、お前食べないのか?」

 食べもしてないのに何を笑ってるんだこいつ?

「まだ熱いから待ってるんだよ」

 なんか変だ。

 いつもなら……

 

 『うぐぅ、まだ熱い~』

 

 と涙目で言うはずだが。何が嬉しいのかあゆは笑顔でそう答えた。

 まあいいか、こいつはとにかく変な奴だからな。

 俺は気にせず食事を再開することにした。

 

 

 そして俺がある程度食べたとき、秋子さんが突然口を開いた。

「月宮さん、祐一さん、名雪、お雑炊おいしいですか?」

 ……?

 さっき言ったのになんでそんなこと訊くんだろう?

「おいしいよ~」

 能天気な名雪は何も考えていないような笑顔でそう答える。

 こいつ放っておけばボケ老人の同じ問いかけにでもずっと笑顔で答えているんじゃ……

「何? 祐一?」

「何でもない」

 こういうときだけは鋭いやつめ。

 突如失礼なことを考えていた俺を追求するような目で睨んできた。

「とてもおいしいです」

 そして、俺と同じく秋子さんの真意を測りかねたのだろう。

 月宮さんがやや遅れて反応した。

「あ、俺もとてもおいしいです」

 あえて黙秘する理由もなかったので、俺もそれに続いた。

「誰も祐一なんか食べたくないよ」

 その俺の言葉に名雪がポツリと一言そう呟く。

 

 ポカッ!

 

「痛い……」

「何気にきわどいボケをかますな!」

「うー、わたしボケじゃないもん」

 二重にボケてるお前は立派な天然ボケだ。

「名雪さんはボケじゃないよっ」

 そしてあゆは立派な天然うぐぅだった。

 ……って、『天然うぐぅ』って何だ!?

 とりあえず説明は出来ないが、これ以外の形容は考えられないのは確かだった。

 そんな俺達のやりとりを見ながら秋子さんは何が嬉しいのか、とても嬉しそうに

「そうですか。よかったです」

 と言った。

 何を言いたかったんだろう?

 とりあえず、食べながら次の反応を待つか。

 そう思って俺は雑炊をまた一掬い口に入れた。

 月宮さんも同じように雑炊を口に入れる。

 ちなみに名雪はさっきから話をしながらもマイぺースに雑炊を口に運んでいた。

「今日の夕飯ですけど、実は……」

 と、秋子さんがゆっくりと口を開いた。

 なんだかすこし茶目っ気さを感じるような声で……

 

 

 ガリッ!

 

 

「う゛っ!?」

 秋子さんがそこまで言ったところで俺は奥歯で何か異物を噛み潰すのを感じた。

「っ!?」

 どうやら月宮さんも同じらしい。

 まさか……いや、『雑炊』って時点で気付くべきだった。

 嫌な予感がする……

「今日の夕飯はあゆちゃんが作ったんですよ」

 娘の自慢話をするかのように笑顔で言う秋子さん。

「わ、びっくり。おいしいよ~あゆちゃん」

「ありがとう、名雪さん」

 全然びっくりしてないような名雪にとても嬉しそうなあゆ。

 まったくどこまでも天然な姉妹だ。

「本当は他の料理も出来るけど、これがボクの得意料理だからお父さんに食べてもらいたかったんだよ」

「そ、そうか。料理上手くなったな、あゆ。偉いぞ」

「えへへ」

 引きつった笑顔であゆの頭をなでる月宮さん。

 大人だ……。何事もなかったかのように異物を噛み潰して飲み込んだらしい。

 まったく……

 いつのまにかこれだけ料理が上手くなっていたかと思えば、卵割りの不器用さはそのまま。

 相変わらずどこか抜けているというかなんというか……

「あゆちゃんは物覚えがいいので、料理の教えがいがあります」

「そ、そうですか…マダム・アキコの後継者に?」

 顔を引きつらせたまま笑う月宮さん。はっきり言って怖い。

「それもいいですね」

 対して月宮さんの気持ちがわかっているのかわかってないのか謎だが、とても満足げな秋子さん。

「ボク頑張るよ」

 そして小さくガッツポーズをするあゆ。

 かなり複雑な光景だった。

 というか、マダム・アキコって何なんだろう?

 秋子さんの仕事のことだろうか?

 訊いてみたいが、なんとなく響きが怪しくて訊く気になれなかった。

 

 

 

 そういえば……

「名雪」

 俺はこのなんともいえない光景をまったく気にせず笑顔で雑炊を食べている名雪に声をかける。

「何、祐一」

「お前秋子さんに料理習ってないのか?」

 秋子さんが出かけている時に名雪の料理を食べることもあるが、今日のあゆほどおいしいものを食べた記憶がない。

 おいしいのは確かだが、秋子さんの料理に比べるとどこか一歩劣る気がしてならないのだ。

 あゆの鮭雑炊は秋子さんの料理と勘違いするくらいなのに……

「少しは習ったよ。どうしてそんなこと訊くの?」

 こちらの意図がわからないらしく当惑気味の名雪。

 ……スプーン片手に当惑も何もない気もするが、見なかったことにしよう。

「いや、その割には秋子さんの料理とは違うというかなんというか」

「わたしはお母さんの真似をして料理を覚えただけだよ。だからお母さんにはまだまだかなわないよ~」

 理由は簡単だよ~、とばかりに名雪は笑顔でそう言った。

 真似をして覚えた? 何で秋子さんにちゃんと教えてもらってないんだ?

「そうじゃなくて、あゆみたいに秋子さんに手取り足取り教えてもらってないのか?」

「ないよ」

「何故?」

 まともに料理が出来るようになるまで何度もあゆに台所を滅茶苦茶にされていたというのに、

 それでも笑顔であゆに料理を教えていた秋子さんが娘の名雪にちゃんと料理を教えないというのも変だ。

 もしかして……

「名雪、お前秋子さんに『教えて』って頼んだか?」

「頼んでないよ」

 やっぱり。

 秋子さんは人に物事を強要しない人だから、頼まれない限り手取り足取り教えるということはしない。

 おそらく台所で料理の真似をしている名雪にちょこっとアドバイスをするだけであとは名雪の好きなようにさせていたのだろう。

 つまり、名雪の料理は基本的に独学というわけだ。

 あゆはどうせ……

 

 

   「わあ、秋子さん、これおいしいね。ボクもこんなの作ってみたいな」

   「教えてあげましょうか?」

   「え、いいの?」

   「いいですよ」

 

 

 …わかりやすすぎる。

 間違いなくこれだ。

 しかし、名雪も少しくらいあゆの積極的なところを見習えばいいのに。

 性格というかなんというか、名雪は昔からこういうところで控えめだからなあ。

「一度秋子さんに、ちゃんと料理を教えてもらったらどうだ?」

 料理するのが嫌いならともかく、名雪は料理をするのは好きだ。

 だったら、秋子さんという立派な先生がいるわけだし、しっかりと教えてもらった方がいいと思う。

 俺も簡単な料理くらいだったら秋子さんに教えてもらうかな。

 そう思って名雪を見ると、名雪は何やら深刻な顔をしていた。

「名雪…?」

 俺は何か変なこと言っただろうか?

「えっ、うん…そう、だよね」

 一瞬慌てた表情をした名雪だったが……

「大学に入ったら教えてもらうよ」

 次の瞬間にはいつもの能天気な笑顔でそう言った。

 …三日後には絶対忘れてるな。

 

 

 しかし、さっきの深刻な、まるで何かに怯えるような名雪はなんだったんだろう?

 疑問に思いつつも食事が終わるころにはどうでもよくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は文化祭で随分疲れていたし、月宮さんが来ていることもあったので勉強は休んでリビングで雑談することにした。

 全員風呂上りなのでリビングにはいい香りが漂っている。

 あゆも俺と同じように今日は勉強を休んで早めに寝るらしい。

 名雪は…一応リビングのソファーに座ってはいるものの、目は完全に閉じていて話に参加しているのかは怪しいものだった。

「くー」

 のんきなものだ…

「まったく、さっきまであれだけ寝ててなんでまたすぐ寝るんだ?」

 ほとんど夕飯のためだけに起きてたようなものだ。

「名雪ですから」

「なるほど」

 秋子さんが言うと乱暴な意見も妙に説得力がある。

 おそらく秋子さんが……

 

 『うぐぅですから』

 

 と言ったらあゆも自分の『うぐぅ』ぶりを認めざるを認めざるを得ないだろう。

「でも、こんなに寝て…まるで猫みたいだな」

「猫?」

 あゆが身を乗り出して訊いてくる。

「ああ、猫は一生の3分の2を寝て過ごすんだ」

「ええっ!? そんなに寝てたらもったいないよ」

 あゆは深刻な顔をして驚いた。

 7年間寝てて人生無駄にしてるだけに重みのある発言だな。

「いいんじゃないか? 名雪は寝るのが好きらしいし」

「いいのかなあ?」

「にゅ…けろぴ…」

 心配そうにみつめるあゆの気も知らず、名雪は傍に置いてあるクッションを抱きしめながら寝ぼけていた。

「猫好きが高じて猫に憑かれたのかしら?」

 頬に手を当てながら微笑む秋子さん。

 たしかに、あゆが俺の前に現れたことを考えれば、化け猫がいてもおかしくなさそうだ。

 

「昔はこうじゃなかったんですけどね」

 

 え……

 呆れたように呟かれたその言葉に俺は驚いた。

「秋子さん、昔っていつくらいですか?」

「そうですね…祐一さんがここに遊びに来ていた頃かしら」

 やっぱりそうか。俺の記憶に間違いはなかったようだ。

 俺が遊びに来ていた頃はこんな驚異的な睡眠時間を誇っていなかった。

「しかし、なんでこんなに寝るようになったのやら」

 猫に憑かれたという説明もありえない話じゃないような気がする。

「直せるなら直したいものですね。最近どんどん酷くなってるみたいですし」

 確かに。

 

 

「お父さん、さっきから何をしてるの?」

 あゆが不思議そうな目で月宮さんを見ていた。

 そういえばさっきから月宮さん何も言ってなかったような……

 じっと寝ている名雪を見つめて…というか観察して何か考えているように見える。

「いや…寝巻きの名雪ちゃんを見ていたら何かに似ていると思ってね」

 なんだったかなあ? という感じで名雪を色んな角度から眺める月宮さん。

 パジャマの少女とそれを眺める中年…なんとなく犯罪臭い匂いがするのは俺だけだろうか?

 そう思っていると、月宮さんは合点がいったという感じで手を叩いた。

「そうだ、『雪ん子』だ。雪ん子に似てるんだ」

 雪ん子というと妖怪雪女の子供のことだ。

 たしかにそう言われてみると、あの半纏がそれっぽさを出している気がする。

 地域的にもここは雪ん子が出ておかしくないところだ。

「うん、この格好で雪靴をはけば誰がどう見ても雪ん子だな」

「たしかに……」

 パジャマと半纏…どことなく和洋折衷な雪ん子だが、意外に違和感がない。

 そういえば昔も名雪は雪ん子みたいだったな。

 頭に雪うさぎを乗せて無邪気に微笑んでいたっけ……

 服なら今の方が雪ん子らしいが、歳相応という意味では昔のほうが雪ん子らしいといえる。

 いや、昔のは現代風雪ん子かな?

 子供服とゴム長靴がまたそれっぽさを出している。

 そして雪うさぎを頭に掲げたあの光景…雪ん子が幼なじみだったらあんな感じだろうな。

 

 

 …雪うさぎ?

 

 

 ふと頭に浮かんだ光景……

 幼い名雪が雪うさぎを頭に掲げている光景……

 何故だろう? はっきりと頭に残っているのに、

 その光景がいつのことだったのかまったく検討がつかない。

 

 …………

 ……

 

 

 駄目だ、思い出せない。

 一体いつあんな雪ん子みたいな名雪を見たんだろう?

 微笑ましいようで、それでいて今にも溶けてしまいそうに儚げな……

 その光景だけが頭にしっかりと焼き付いているだけに、思い出せないとなると尚更もどかしい感じがした。

 でもまあいいか、どうせ冬休みのひとコマだろう。

「名雪は昔から雪ん子みたいでしたね」

 俺は気を取り直して月宮さんにそう言った。

「そうなのか。実は名雪ちゃんは秋子さんがどこかで拾ってきた雪ん子とか?」

 そして月宮さんはそんな冗談を秋子さんに振る。

 対する秋子さんは真剣な顔で

「名雪は正真正銘わたしの子供です」

 と返した。

 そりゃそうだよな…と思った瞬間

「実は名雪の父親が雪男なんです」

 と、いつものポーズで微笑みながらさらりと言った。

 また…この人は何とも反応に困る冗談を…

「秋子さんって毛深い人が好みだったんですか?」

 と思った瞬間、月宮さんは更にその上を行くボケで応戦した。しかも真顔で……

 たしかに名雪の父親が雪男と言うよりは、秋子さんが雪女という方が妥当だと思う。

 そもそも雪男はゴリラが巨大になったような生物で、人と同じ姿の雪女とはまったく似ても似つかない別物だ。

 そんなのが名雪の父親ならとてつもなく嫌だ。

 ましてや秋子さんの夫だなんて……

 それを例えととって『毛深い』人と解釈というか擬人化する月宮さんも月宮さんだが……

「逞しい人は好きですよ」

 …………

 さすが名雪の正真正銘の母親、さらに10メートルほどずれたボケで返してる。

 というか、突っ込む奴いないのか!?

 俺は助け舟を求めてさっきから黙ってるあゆの方を見た。

 

 

「…………」

 あゆは親達のボケ合戦にはまったく目もくれず名雪をじっと見つめていた。

「……何やってんだ? あゆ」

「名雪さんが…妖怪?」

 俺が呼びかけると、あゆは名雪を見たままそう呟く。

 さては……

「お前、まさかいつものようにお化けが怖いって感じで名雪に怯えてるのか?」

 ありえる。

 十分にありえる。

 お化け・妖怪の類は完全に駄目なあゆのことだ。

 名雪を見ながら今日のお化け屋敷を思い出してるに違いない。

「ううん、妖怪は怖いけど…」

「けど?」

 一瞬怯えたような表情を見せたあゆだったが、次の瞬間照れるように笑いながら

「名雪さんが妖怪でも全然怖くないんだよ」

 といった。

「たしかに、こいつが妖怪でも全然怖くないな」

 たとえ本当にそうだったとしても信じてもらえないような気がする。

 逆に『秋子さんが雪女だった』という話ならかなり真実味がある気がするが……

 そう思って秋子さんの方を見ると、月宮さんとまだボケの応酬をしているようだった。

 もはやボケがどんどんずれて行って別の話題になってしまってるようだが……

 

 

 

「そういえば…なんで月宮さん今日来たんですか?」

 話題が途切れたところで俺は今朝のあゆの様子を思い出して訊いてみた。

「…………」

「…………」

「…………」

 え?

 俺…何か悪いこと言ったか?

 一気に場の雰囲気が重くなるのを感じた。

「あ、あの、俺何か悪いこと言いました?」

 間抜けだ。

 この雰囲気でそんなこと十分わかるのに。

「祐一さん…実は」

「待って秋子さん!」

「あゆ!?」

 言いにくそうな事情を俺に説明しようとして口を開けようとした秋子さんをあゆが制す。

「ボクが…ボクが言うから。ううん、ボクが言わなきゃ」

「あゆ、無理しなくてもいいぞ。お前にはまだ1年前のことなんだから」

「そうよ、あゆちゃん。そのことはわたしが祐一さんに説明しますから」

 泣き出しそうになるあゆとそれを慰める大人達。

 だが、あゆはキッと口を閉じて俺の方を見た。

 その目からは何かの決意を感じられる。

「ううん。ここでまた逃げたら…ボクはいつまでも置いていかれるから…だから」

「……あゆ」

 月宮さんは不安そうに、だが感心したような様子で自分の娘の背中を見ていた。

「そう…じゃあ、あゆちゃんの口から言ってくださいね」

「うん……」

 この重い空気…明日一体何があるというのだろう?

 

 

 

 5分ほど…いや、俺には1時間近くに思える沈黙が続いた後

 何かに耐えるようにぐっと握り締められていた手を開くと同時に、あゆの重い口が開いた。

「明日はお母さんの命日なんだよ」

 

 

 どこかで雪の落ちる音がした……。

 

 

 …………

 ……

 

 

 

 

 




わずかに響き始める日常の崩壊音。
原作Kanonの中盤への導入っぽいところですね。
ちなみに、生徒会長はおそらく天野美汐だと思われます。
多分、何か色々とあったんでしょう。
……本当に色々。

>KOT(キングオブティーチャーズ)
これうちの高校でほんとにあったものです(笑)
必殺技が屁だったりで、ほとんど教師への嫌がらせじゃないかという感じでした。
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