灰被りの蜘蛛 作:BNDに脳を焼かれたやつ
無事にパーティが終わり、私はいつもの日常へと戻った。
学校終わりの放課後、私は物陰で上着とジーンズを脱いでインナースーツ姿になる。急いでスーツを着ないと、まるで全身タイツの変態だ。逮捕されるにしても、公然わいせつ罪だけは嫌だね。
「あー、もしもしステイシー警部? スパイダーマン出動可能です。今どんな状況か教えてもらっても?」
スーツを着た私は、ワイヤレスイヤホンを改造したインカムで連絡を取った。イヤホンはお小遣いで買った。高かったんだぞ。
『スパイダーマンか。簡潔に言うと、刑務所を脱獄したサンドマンは5番街の上空を南に向かってる。ダウンタウンの金融街を襲うつもりなんだろう』
「わお、今どきの金融って現金よりもネット上の数字で行われるって知らないのかな」
『現金だってたんまりあるだろう。すまないが、追ってもらえるか?』
「うん、行くよ。ところで、どうして脱獄されたか詳しく聞いても良い?」
『新人の看守が通気孔を開けたんだと。息が苦しいって言われたそうだ。まったく、砂の怪人に呼吸なんて必要ないと、なぜ分からないんだ。そもそも、やつが刑務所に入ってからずっと密閉状態だったのに、今さら息が苦しいなんて嘘にどうして騙される!』
珍しく警部がお怒りだ。私が捕まえたやつを逃がしたんだから、そりゃ怒るだろう。私だって、ちょっと怒ってる。あの日の過ちを繰り返したくはない。
「でも善意で足元を掬われたってことでしょ。仕方ないよ。その新人さんは責めないであげてね。それに一度失敗した人材は貴重だよ、少なくとも次は同じ失敗はしない」
『……そうだな。悪いのは十分な教育をしなかった体制そのものだ。その言葉、忘れないでおこう』
その言葉を最後に、私は通信を切った。
「うわ、酷い」
金融街には砂嵐が渦巻いていた。ビジネスマンたちがビルの中から出られないでいるな。ああ、このままじゃ世界経済が滅茶苦茶になるかも。サンドマン恐慌が歴史のワードにならないようにしないと。
「サンドマン! いや、それともフリントって呼んだ方が良い? ボクのことを覚えてるかな、前に君を捕まえたスパイダーマンだよ!」
「スパイダーマン、また俺の邪魔をしに来たのか!」
砂嵐の中から返事が飛んでくる。
「邪魔って言うか、とにかく一旦話し合わない? 君に必要なお金のことで力になれるかも!」
「黙れ、お前の戯言はもうたくさんだ!」
交渉決裂、砂の拳が私に向かって飛んできた。私は蜘蛛糸を隣のビルに飛ばして回避しようとするが、どうにも糸が空中で失速してしまった。
そのまま拳に殴られた私は、ガラスを突き抜けてビルの中へと転がる。
「ごめんなさい、すぐ出ていきます!」
オフィスにいた人たちに一言声をかけて、私はまたビルの外へと飛び出した。けれどやっぱり蜘蛛糸が上手く機能せず、私は地上に大きなクレーターを作るハメになる。
「いったた。ああ、そうか。砂嵐で蜘蛛糸が失速してるのか!」
サンドマンは粘着性の蜘蛛糸に砂粒をくっつかせることで、私のスイングへ対策してるらしい。これじゃあ私の得意の機動戦が不可能だ。
「もしもし警部、ちょっと消防車が必要かも。あいつにシャワー浴びさせてくれない?」
『もう出てる。持ち堪えられそうか』
「どうかな……!」
砂の足が落ちてくる。正直ピンチだ。誰かの手を借りたい。そう思ったとき、私の耳に聞き覚えのある声が届いた。
「手を貸そうかスパイディ!」
「うわっ!」
背中に何かがくっつき、私の体が宙へと浮かび上がる。そして、ビルの屋上で待っていたのは。
「よっ、危ないところだったな」
「君は……っ」
あの日、私が燃やしたはずの。
「俺か? 俺も君と同じスパイダーマン……って言うと名前が被るよな。うーん、そうだな、名付けてブラック・スパイダーマンだ。新人なんでよろしく頼むよ、
黒いスーツの、スパイダーマンだった。
スパイダーマンとスパイダーマン、つまり、私とブラック・スパイダーマンによって、サンドマンは再び泥にされて逮捕された。
「礼は良いよ。俺は君の親愛なる隣人だからな」
「それでも助かったよ。ところでそのスーツ、えっと、凄いね。ウネウネして」
「ああ、これ? ひょんなことがあってさ、あんたと似た力を手に入れたんだ。その力の源がこのスーツってわけ」
「そっか。体調とか、大丈夫なの?」
「全然問題なし。むしろ絶好調さ。気分が良いし、力も湧いてくる。こいつは最高の相棒だよ」
そう言うと、彼は自らのスーツを見せつけるようにポーズを取った。
今のところは、危険はなさそうに感じる。少なくとも、私の第六感を信じる上ではね。
「それじゃあ俺はもう行くよ。今日が初仕事で、あんたと違って警察とはまだ信頼関係ができてないしな。昔のあんたみたいにテーザー銃で撃たれたら最悪だ」
「待って!」
「なんだよ、まだ何かあるのか?」
「君ってもしかしなくても、エディ……だよね?」
そう言うと、マスクの下から彼の顔が現れた。やっぱり、そこにいるのはエディ・ブロックだった。
「驚いたな、どうして分かったんだ?」
「声、かな。それに君とは何度も話したし、印象深かったから」
「マジか、そんなことで正体がバレるなんて。もしかして、俺のこと友達って思ってくれてるとか?」
「……だね、うん。ボクらは友人だ。だからすぐ分かったのかも」
「うわぁ、感激だよスパイダーマン!」
エディと私の関係は、カメラマンとその被写体以上に、友人として定義するのが適切な気がした。グウェンのようなペトラの友人ではなく、スパイダーマンとしての友人である。
「その力は、あの時のヴェノムだよね」
「あぁ、こいつは他の生物と共生する生き物で、俺に力を与えてくれる。あんたとアイアンマンが共闘したあの日に、いつの間にか俺の体にくっついてたんだ。そしてほら、俺はスパイダーマンになった」
エディは嬉しそうに微笑んだ。
「今日から、あんたは一人じゃないんだ。俺が手伝うよ。この街を守るのは大変だろ? イカれたマッドサイエンティストに宇宙人に市民の生活を脅かす犯罪者、それにマスコミまで!」
「あはは、だね。それはすっごく助かるかも。ありがとう」
「どういたしまして。それで、良かったら君の顔を俺にも見せてくれないか」
「それは……」
「なぁ、良いだろ。仲間だし、友達だ。対等で行こう、俺は正体を明かしたんだしさ」
私は悩んだ。彼に正体を明かすべきか、どうかを。
シンビオートは危険な存在だ。いずれ宿主の精神を暴走させ、その生活を壊してしまう。もし、エディがブラック・スパイダーではなくヴェノムになってしまったら。
「……悪い、急すぎたよな。まだ信用されてなかったか、俺」
「違う、君が信用できないんじゃないんだ。ただ、事情が複雑でさ。マスクの下は、たとえ信頼できる人であっても見せたくないんだよ。本当にごめんね」
「いやいや、こっちこそ詮索して悪かった。そうだよな、あんたは俺の正体を自力で当てたんだし、俺も自力であんたの正体を当ててみることにするよ」
そう言うと、今度こそ本当にエディは摩天楼の狭間に消えていった。
「はぁ」
これからどうなってしまうのだろうか、悩みを抱えたため息が私の口から漏れた。
「取り敢えず、砂かきでも手伝おうかな」
それから数週間が経ち、世間にはブラック・スパイダーの存在が受け入れられつつあった。
カメラマンであるエディが中身を務めてるおかげで、良い写真もいっぱい撮れるしね。それに彼は私と違ってメディアに露出したり、SNSに動画を投稿したりと活動的だ。正直、私を追い落とす勢いで人気上昇中って感じ。
あと、黒いコスチュームが格好良いってのもある。
「よぉ、シンダー・スパイダー! 今日も忙しそうだな」
「どうも、ブラック・スパイダー」
その日、私は火災現場の建物に張り付いていた。中にはまだ人が取り残されている。助けに行かないといけないのに、私はその場でただじっと張り付いている。
「どうしたよ。俺は火災現場は未経験だから、できればお手本を見せてほしいんだけど?」
「そう、だね。よし、行ってくる……!」
覚悟を決めて、私は煙の中へと飛び込んだ。聞こえてくる声を頼りに、取り残された子どもを探す。
「スパイダーマン! 助けて!」
「よしよし、もう大丈夫。ほら、ハンカチで口押さえといて。すぐに外に」
子供を抱え、私は辺りを見渡した。
「出られるはず」
何も見えなかった。
「出口は、どこだ」
ただ、一面に広がる真っ白な視界。炎が揺らめくたびに、私の視界は白飛びして何も見えなくなる。
まずい、まずいまずいまずいまずい!
煙の中だ、深呼吸して冷静さを取り戻すこともできない。
「スパイダーマン、手を貸して欲しい! 助けがいるんだ!」
そうして私は情けなくも、まるで火の中に取り残された子供のように、エディに助けを求めたのだった。
「どうしたんだ、あんたらしくもない」
子供は……いや、私たちは助かった。エディが助けてくれたおかげで。
「目が、悪いんだ。前にドクター・オクトパスの太陽を川に沈めて以来、眩しいのが苦手になっちゃってさ」
「あんた、まさかそれでフラッシュが……?」
「はは、笑っちゃうよね。今日のボクは足手まといだった。子供を助けに行って、一緒に死ぬところだったんだ。君が助けに来てくれたおかげで、事なきを得たけどさ」
ビルの屋上で俯く私の背中に、エディがそっと触れる。
「なぁ、今まであんたは一人で頑張ってきた。でも、今は違う。俺がいるさ、スパイダーマン。だから、少し休んだ方が良いんじゃないか? 誰も文句は言わないだろ」
「そう、かな」
「ああ、そうだ。もし文句を言うやつがいるなら言ってくれ。俺がぶん殴ってやる」
「ふふ、それじゃあ君は自分の会社のボスを殴ることになるよ。だってJ.J.J.はいつだってボクの文句しか言わないわけだし?」
「おっと、それはマズイ。今のはナシで」
「ぷっ、あっははは………!!!」
ああ、笑ったらなんだか気が晴れたみたいだ。
「うん、休むよ。しばらくは、街のみんなを君に任せる。ボクは通院してる眼科で、ちゃんと遮光メガネを作ってもらうことにするよ」
「ああ、それが良い」
「それじゃ、またね。エディ」
「あぁ、またな……」
エディの言葉が詰まった。そっか、エディにはまだ私の正体を教えてなかったんだっけ。
「はい、これ。私の連絡先。前に言ってたでしょ? 教えてほしいって」
だからマスクを脱いで、私は彼に携帯の電話番号を握らせた。
「な、な、な──!?」
魚みたいに口をパクパクさせる彼は正直面白いけど、いつまでも顔を晒したまま立ってるわけにはいかない。私はマスクを再び被ると、蜘蛛糸を飛ばしてその場を去った。
さーってと、スパイダーマンとしての初めての長期休暇だ。まずやるべきことは、医療用遮光メガネにスパイダー基金が適用されるかどうか調べること、かな。その後はスーツの目の部分を改良してっと。
エディには悪いけど、しばらくやりたくてもできなかったことを色々済ませちゃうとしよう。
「あぁ、こんな清々しい帰り道は初めて。イェーイ! ニューヨークのみんな、愛してるよー!」
私は今までのストレスを発散させるかのように声をあげながら、颯爽とビルの間をスイングしていった。
翌日、デイリー・ビューグルにはスパイダーマンの起こした騒音被害としてそのことが載っていた。誠にごめんなさい。
それから私は服屋に行って少女らしい服を一着だけ買ったり、パン屋に寄ってちょっと贅沢なチーズベーグルを買ったり、パン作りの趣味に没頭したり、メイおばさんが働いていた施設でボランティアをしたり、お墓参りに行ったりと、スパイダーマンをしていた頃には忙しくて中々できなかった日常を過ごしていた。
私が自分の人生を過ごしている間も、街は平和だった。エディが私の代わりに、みんなを助けてくれるから。
『やぁやぁどうも! みんな俺のことを知ってると思うけど、自己紹介しておこう。俺はスパイダーマン。街の平和を守る、君たちの良き隣人だ』
テレビの向こう側には、黒いスーツを着たスパイダーマンの姿があった。こんな風にタレント気取りでテレビに出るのは正直どうかと思うけど、とはいえこれが彼なりの息抜きなのかもしれない。
テレビを消して、私は自室へと戻った。もう寝る時間だ、ベッドに入って横になろう。
「……静かだ」
瞳を閉じれば、穏やかな夜を感じられる。こんな夜は、ベンおじさんが死んだ日以来かも。ずいぶんと懐かしい。
「きっとエディは、大丈夫だよね」
彼はお調子者だけど、それでも誰かを傷つけるようなことはしていない。ちゃんと立派な親愛なる隣人としてニューヨークを守っている。それこそ、私以上に。
だから大丈夫だ。記憶と違って、彼は悪人になったりなんかしない。私と敵対なんかしたりしない。
そう思いながら、私は灰色の世界に別れを告げ。まだ色のある頃の夢を見るのだった。