灰被りの蜘蛛 作:BNDに脳を焼かれたやつ
ある日の放課後、私はいつものように学校の授業を終えて帰路についていた。売店で買った新聞を歩き読みしながら。
紙面にはブラック・スパイダーマンのことが書かれていた。基本的には犯罪者を捕まえる彼を称賛する内容だが、一方でそのやり方が過激だという批判もある。
犯罪者を脅したり、怪我をさせたり、周囲の被害を気にせず戦ったり。毎回そうではないけれど、彼はそういうことをするようになってきたらしい。
「エディ、どうしちゃったんだろ……んがっ」
すると突然、路地裏から伸びた糸に絡み取られた。誘拐か、暗殺か、あるいはそれ以外の良からぬ目的か。強張る私の体。けれどその緊張は、程なくして解けた。
「ペトラ、今ちょっと良いか?」
「……ほっ、なんだエディか。脅かさないでよ」
「ごめんごめん」
何事かと思えば、そこにいたのは壁面に張り付いた黒いスパイダーマンの姿だった。噂をすれば何とやら。しかし何か用事なら、前もって連絡してくれれば良いのに。
「なぁ、調子はどうだ? 休暇は楽しめてる?」
「もちろん、絶好調。見てよこれ、これのおかげで世界がはっきり見えるんだ。今まで変なこだわりで遮光メガネを避けてた自分がバカみたい」
私は眼科で調達した遮光メガネを見せびらかすように持ち上げた。医療用遮光メガネって野暮ったいデザインが多いと思ってたけど、最近のは結構ファッションとしてアリな見た目をしてる。
おかげで日常的に着けていても奇異な目で見られないし、私も明るさに耐性ができて大変満足なのだ。
「あぁ、超イケてる。似合ってるよ」
「ありがと。それで、そっちは? 何か変わったことはない? スパイダーマンをしてて疲れちゃったり、辛い思いをしたりとか」
彼が悩みを抱えていて、それで少し暴力的になってしまったのだとしたら、私はそれを共に背負ってやりたいと思った。
「いいや、むしろ最高さ。この前はテレビにも出た。ただのカメラマンだった俺が、今や街のヒーロー。色んなところから引っ張りだこだよ。まったく、信じられるか?」
「……そっか。元気そうで良かった」
私の心配とは裏腹に、エディはスパイダーマンとして上手く行っているらしい。
私のときは下地がゼロだったから、世間の目が厳しかった。だけどドクター・オクトパスとリザードの一件以来、世間のスパイダーマンへの反応は好転している。私のおかげと言いたいわけじゃないけど、とにかくエディが私のように辛い目に遭ってなくて良かった。
けど、それならエディはどうして犯罪者を必要以上に痛めつけるようになってしまったんだろう。
今の彼に、変わった様子は見られない。まさかとは思うけれど、無意識なのだろうか。
「それで、まさか近況報告のために私に会いに来たわけじゃないんでしょ?」
ひとまず、様子見しよう。私は自分の心配をよそに、彼が会いに来た理由を問いかけた。
「そうだな、それもあるがそれだけじゃない。……な、なぁ。時間があればなんだけど、食事にでも行かないか?」
「へぇ、なるほど食事……え、私と!?」
おっと。まさかまさかの、デートのお誘いだったらしい。へぇ、ふーん、そうなんだ。まぁ、生憎特定の誰かと親しい関係になるつもりはないけど、好かれて悪い気はしないよね。
「別に、良いけど」
「良かった。なら一週間後のディナーはどうかな。良いフレンチの店を知ってるんだ」
「フレンチ……? 高そうなとこは行けないよ、そんなにお金の余裕ないし」
「おいおい、本気で言ってるのか? 俺が出すに決まってるだろ」
「ほんとに? 私、結構燃費悪くて大食いなんだけど大丈夫?」
「良いって。なんなら、二軒目でも三軒目でも案内するさ」
「よっしゃ。その言葉、覚えたからね。じゃあ一週間後に」
「ああ、一週間後に」
そう言うと、エディはスーツを纏ってビルの上へと消えた。思わぬご馳走の予感に、私はウキウキと足を弾ませ再び帰路につく。
……それから、時は流れて一週間後。
「マドモアゼル、失礼ですがお時間が迫っております」
私はコース料理二人分を平らげて、一人寂しく座りながらエディの到着を待っていた。
「そうですね。すみません、お会計お願いします」
どうやら、彼は私との約束をすっぽかしやがったらしい。
「エディのクズめ、私が優しいなんて思ってたら大間違いだ。見つけたら縛り上げて尋問してやる……!」
食事の約束をすっぽかすとか、そういうのはスパイダーマンである私の方の役目でしょうが。いや、彼もスパイダーマンなんだけどさ。
「さぁ、犯罪者くん。もう一回ダイブしてみるか?」
良い子が寝静まった夜のこと、ビルの上で夜闇に滲むような黒いスーツを着た彼は、一人の男の足を掴んで吊り下げていた。
「や、やめてくれスパイダーマン。もうやらない。もうやらないから降ろしてくれ!」
「なんだよ、実は落下系アトラクションが好きなタイプか? まぁ、薬を子供に売っ払うよりは楽しいかもな。了解、降ろしてやるよ」
「あ、いや違う! う、うわぁぁぁ……!!!」
その黒い腕につかまれていた足がパッと手放され、スキンヘッドで顔の至る所に刺青を入れたいかにも犯罪者顔の男がビルの下へと真っ逆さまに落ちていく。しかし案ずることなかれ、落下した彼は地面と熱烈なハグを交わすことなく、黒い糸により引き上げられた。
「ほーら、捕まえた。どうだ、楽しかったか?」
「こんなのちっとも、楽しいわけないだろ!?」
「なんだよ、ならもう一回行っとくか? 俺は何回でも付き合うぜ。だって楽しいからな?」
目の錯覚か、月明かりに照らされた黒いマスクの上には、まるで怪物のように裂けた口があるように見える。ああ、これじゃあどっちが悪人か分からないや。すぐにやめさせよう。
「う、うわぁ……あ、ああ?」
再び落ちていく犯罪者くんの足を蜘蛛糸で捕まえる。
「やぁ、どうも。ボクの友達がごめんね。彼ちょっとイライラしてるみたいでさ」
「スパイダーマン!? た、助かった……」
「うーん、別に助かってはいないかな。下で警察が待ってるから、ちゃんとやったことは反省して、お縄についてよね」
それから私はゆっくりと、それはそれはゆっくりと彼を下へ降ろしてやった。
「さーて、私との約束をすっぽかして何やってるのかな? エディ」
「ペトラ、どうしてここに」
私がマスクを脱げば、彼のスーツも変形し顔の部分が顕になった。
「どうしても何も、今日はディナーの約束だったでしょ。なのにあなたは来なかった。それで心配になって探してみれば、こんなところで犯罪者で遊んでるし」
「別に遊んでたわけじゃ……まて、今日って何日だ?」
「今日は2014年、10月31日。あなたと約束したハロウィン当日ですけどー?」
私が「パンプキンタルト食べる?」と言って道中買ったおやつを差し出すと、彼は釈然としない表情のままタルトを頬張った。
「本当にごめん、てっきりまだ先かと。時間の感覚が狂ってたみたいだ」
「……大丈夫?」
「ああ、俺は大丈夫だ」
「大丈夫じゃなさそうだよ、ちゃんと私の目を見て」
目の焦点が合っていない。私は彼の顔に両手を添えて、無理やり視線を固定した。
「ねぇエディ。あなた休んでないでしょ?」
「いや、そんなことないさ。ちゃんと休んでるって」
その疲れた顔を見れば、彼の言葉は全くもって信用ならなかった。
「もしかして、ずっとスーツを着たままなの? よく聞いて、そのスーツはあなたに力を与えるのかもしれないけど、本質的に別の生き物なんだよ。長く身に着けていれば、あなたの精神に異常をきたすかもしれない。現に時間を忘れさせて、あんなつまらない遊びをさせてる。危険だよ」
「そんなことない、ヴェノムは良いやつだ!」
「……はぁ? ヴェノムは良いやつだ、だって? もしかしてあなたとは別に、シンビオートの人格があるの?」
なんだそれ、なおさら危険じゃないか。それって寄生を通り越して、精神が混在してるってことでしょ?
「あ、いや。今のは言葉の綾でさ」
「エディ」
語気を強めて睨みつけると、彼は観念したように手を挙げた。
「イエスマム。最近声が聞こえるようになりました」
「……はぁ、まさかシンビオートに自我があったなんて」
頭が痛い。もっと原始的な生物かと思ってたのに、その正体は知的生命体であったらしい。
「なぁ、さっきからそのシンビオートってなんだ。ヴェノムのことか?」
「そうに決まってるでしょ。それ以外に……いや、これは私が勝手に呼んでるだけだったな。何でもない。とにかく、今はあなたを家に帰らせて休ませないと。私ばっかり休んで、あなたに負担をかけ過ぎてたみたいだから。ごめんね、エディ」
「いや、休んでくれって言ったのは俺の方だから……待った、今俺の家に行くって言ったのか?」
「うん、そう言った。案内して?」
その後、エディはすごーく渋ったが、私は無理を言って彼の住むアパートへ案内してもらったのだった。
「帰ったなエディ。今月分の家賃がまだなんだが……って、なんだ。ガールフレンドか?」
少々オンボロな……失礼、年季のあるアパートに入ると、どこか見覚えのある男性が私たちを出迎えてくれた。
「どうもディコヴィッチさん。彼女は俺の……」
「友人です。彼、疲れてたみたいなので無理やり連れて帰ってきたんですけど、部屋はどこか教えてもらっても?」
「そうかい。あんたの友人の部屋は階段を上に上がって左だよ」
大家さんとの会話はそこまでに、私はエディを連れて階段を上る。
「家賃、滞納してるの?」
「いや、違う。ちょっと忘れてただけだよ。ほら、君との約束を忘れてたみたいに」
「ふーん。でもなんか意外だ。エディはもっと良いところに住んでるかと思ってた」
「おいおい、俺のことをなんだと思ってるんだ。一人暮らしの独身男性の家なんてこんなもんだろ。身の丈を弁えてるのさ」
「身の丈って……エディの収入ならそれこそマイホームくらい持てるんじゃないの? テレビにも出てるし、正式にデイリー・ビューグルの社員にもなったんでしょ?」
前に彼が隠し撮ったアイアンマンとスパイダーマンの写真で、彼は無事に出世することができたらしい。今では社内でも一番の出世頭だそうだ。何と言っても、ブラック・スパイダーマンの自撮りができるわけだし。
「テレビには出たけど、報酬は貰ってない。あれはチャリティーなんだからな。それに、フリーで金がなかったときにディコヴィッチさんに世話になったんだよ。恩返しするまで、俺はここに住むって決めてる」
へぇ、お金にがめつそうな人に見えたけど、案外懐の広い人なんだ。あの人。
「覚えてないのか? 大家のディコヴィッチさんのこと」
「覚えてないのかって、なんで? 私とあの人、初対面だよね?」
「……あの人、前にもアパートの大家をやってたんだよ。けど、そこは火事で燃えてしまってな。ディコヴィッチさんも被害に遭って、娘さんが中に取り残されたって。そしてそれを助けたのが君なんだよ。スパイダーマン」
……思い出した。道理で見覚えがあるわけだ。あの人、私が最初にスパイダーマンを名乗った火事の現場にいた人か。
「このボロいアパート買い取ってまた大家をしてるのも、スパイダーマンを見習って親愛なる隣人をするためなんだとさ。つまり俺が飢え死にしないで済んだのは、間接的に君のおかげってわけだな」
「そうなんだ」
不思議な気分だ。私のしたことの影響を、こうして垣間見るのは。
「それはさておき、ここが俺の部屋なんだが」
「うわ、汚い」
開かれた扉の向こう側を見て、私は思わず絶句した。なんだこれ、酷すぎる。人がまともに暮らせる家じゃないよ。足の踏み場がないじゃないか。
「天井で過ごすようになったら、気づいたときには床がこんなことに」
「あー、それめっちゃ分かる。私も昔はそうだったな、懐かしい」
「これってスパイダーマンあるあるだったのか」
「だね。っと、そんなことよりも、とにかくこの部屋をどうにかしないとね」
それから私とエディはいそいそと部屋を片付け始めた。
そうしてしばらく経ち、丁度日を跨いだ頃にようやく片付けが終わったのである。
私は先ほどまで洗濯物だらけだったソファに深く腰掛けため息をついた。疲れた。
「もうこんな時間か、な、なぁペトラ。良かったら泊まって……」
「ああ、それ以上言わないで。私13歳だよ? 男の人の家に泊まったなんて言ったら施設の人に殺される。いや今帰っても怒られるのは変わらないんだけど、少なくともまだ深夜帰りで怒られた方がマシ」
「施設だって……? いや、何でもない。変なこと聞いて悪かった」
怒れるマザーを思い浮かべ、私は顔を青くして身震いしながら、施設に帰るべく玄関の扉を開いた。
「それじゃあ、おやすみエディ。ゆっくり休んで。ちゃんとスーツを脱いで寝るんだよ。それと明日からは、私も復帰するからさ」
「……もうスパイダーマンに戻るのか?」
「あなただけに任せていたら、パンクしちゃいそうだしね」
少し休み過ぎた。そのせいでエディにも負担をかけてしまった。だから戻ろう、スパイダーマンに。私はいつまでも普通の少女のままではいられないし、いたくないから。
「なぁ、ペトラ。君は、一体いつまでスパイダーマンでいるんだ」
扉を閉める直前、エディはそんなことを聞いてきた。前に、似たようなことを聞かれたことがあったな。
「いつの日かニューヨークから犯罪が消えて、スパイダーマンが必要なくなったら、私はスパイダーマンをやめるよ」
「……そんな日は来るのか?」
「来ると信じたいね、私は」
そう言って、私は扉を閉じた。
その翌日、またまたサンドマンが脱獄したというニュースが世間を賑わせた。
「ペトラ、スリーカウントで足を崩すぞ!」
「オーケー、了解! 3、2、1……チェストォ!」
消防と協力して、私とエディは協力して再びサンドマンを捕まえた。密閉タンクに入れられた彼を見送り、私たちは屋上に座って互いの傷を治療する。
「いったた」
「傷、結構酷いな。大丈夫か?」
エディにサンドマンに殴られてできた肩の傷の応急処置をしてもらう。患部を清め、消毒し、場合によっては蜘蛛糸で傷口を塞ぐ。そんな単純なものだ。
「あっはは。大丈夫大丈夫、この程度なら傷跡にもならないよ。私は人よりも頑丈で、怪我の治りも早いからさ。エディだってそうでしょ?」
「だけど、痛みが消えるわけじゃないだろ」
「まぁね。でも慣れたら平気だよ?」
「………………そう、だな」
聞こえたのはまるで臓腑の底から捻り出したような声。私には、背中を預ける彼がどんな表情を浮かべていたのか見えなかった。
そして。
サンドマンには、また逃げられた。今度は刑務所からではなく、そこへ向かう途中の護送中に。運転ミスで、サンドマンの入った密閉タンクが転倒したらしい。
「クソっ、警察は何やってるんだ」
「エディ、落ち着いて」
「『スパイダーマンはサンドマンをしっかり倒すべき』だって? ふざけるな、俺たちのせいじゃないだろ!?」
「ネットの意見を気にし過ぎたらダメだよ、エディ」
「……なぁ、ペトラ。俺たちは何回悪党と戦えば良いんだ?」
「……さぁね。分からない」
サンドマンばかりに構っていられない。改造されたチタウリの武器は相変わらずブラックマーケットに流れてるし、ニューヨーク決戦で一度破壊されて復興中の地域ではギャングたちがのさばってるし。
「とりあえず、次またサンドマンが現れるまでは放置するしかないよ。スパイダーマンにできるのは対処だけで、予防はできないんだから」
「そうか」
「うん、サンドマンとの戦いが、次で最後になることを祈ろう。それじゃあ、またね!」
「あぁ、また」
エディに別れを告げた私は蜘蛛糸を飛ばしてその場を去った。
「
掌に滲んだ私の血を、暗い表情で見つめる彼に気づくことなく。