灰被りの蜘蛛 作:BNDに脳を焼かれたやつ
「へくちっ……」
私は食料の詰まった買い物袋を胸に抱えたまま、凍える寒さに身をぶるりと震わせた。
季節は冬、クリスマスシーズンだ。ニューヨーク中が新しい年に向けて彩られている。私には灰色にしか見えないけどね。
キラキラ輝くイルミネーションに、どこに行っても聞こえてくるクリスマスキャロル。空を見上げればしんしんと雪が降り、地面を見下ろせば真っ白な絨毯がすべてを覆い隠す。
2014年、12月23日。私がスパイダーマンとなって、一年半近くが過ぎた。
「『スパイダーマンは、愛されしみんなのヒーロー』……か」
路上の売店、そこに並べられた新聞を見れば、そこにはスーツを着た私の写真がある。
犯罪者を捕まえ、交通事故から人々を助け、火事に取り残された住民を救い、落ち込んだ人がいれば励ましてやり、みんなの希望となる。そんなヒーローの姿が。
「と、油売ってる場合じゃなかった。早くこの荷物を施設に持って帰らないとね」
明日の夜は施設でクリスマスパーティーを執り行う予定だったのだが、どうにも食材が足りないらしい。私はマザーに頼まれて、スーパーに買い出しに出かけたのだ。今はその帰りである。
「あれ、電話だ。グウェンからか……もしもしグウェン? 私に何か用事?」
交差点にて信号が青に変わるのを待っていると、ポケットの中のスマホが震えた。かけてきた相手はグウェン。私はスマホを首に挟んで、電話に出た。
『ハイ、ペトラ。今良いかしら』
「うん、大丈夫だよ。それよりどうしたの? また弟くんたちの愚痴?」
『いいえ、その話もしたいんだけど、今日は別。明日のクリスマスイヴ、良かったらうちで過ごさないかって思って』
「うーん、申し出はありがたいけど遠慮しとくよ。施設のみんなと過ごす予定だし、何よりもクリスマスは家族で過ごすべきだ。私が混ざるわけにはいかないよ」
『ああ、ペトラ。どうかそんな風に言わないで。あなたは家族みたいなものなんだから。なら、年越しはどう? 一緒にタイムズスクエアでニューイヤーを祝福するってのは』
「うん、そっちは行ける。年越しなら空いてるからね」
だって施設では年越しを祝わないもん。クリスマスで予算が尽きて大して祝えないからっていう、切実な理由で。
『なら、12月31日の夜にまた会いましょう。楽しみにしてるわ。メリークリスマス、ペトラ』
「うん、それじゃあまた。メリークリスマス、グウェン」
通話が終わると同時に、丁度信号が青になる。私は袋から荷物が落っこちないように、慎重に交差点を渡って施設へと帰るのだった。
翌日の夜、クリスマスイヴのパーティーが終わって、私は自室で休んでいた。私が作った料理はマザーからお墨付きをもらえたし、施設の子供たちも喜んでくれた。シェフ・ザ・スパイダーは手先も器用。暴漢退治も料理も何のその、ってね。
「さてさて、サンタさんがくれたプレゼントは何かなー?」
灰色のリボンでラッピングされたプレゼントボックスを開ける。良い子とはほど遠い私にもありがたいことに、サンタクロースからのプレゼントがあったらしい。
「わぁ。あったかそうな手袋。ぬくぬくもこもこで最高だね」
中身は腕まで覆う長めの手袋だった。ご丁寧にP.P.と私のイニシャルまで刺繍されている。去年に貰ったセーターと合わせて、これで今年の冬は乗り越えられそうだ。
さっそく着け心地を試してみようと、私は今着けている手袋を脱いだ。露わになったのはケロイドの目立つ、腫れが残った私の両腕。人の命を救った、誰にも誇ることのできない私の勲章である。
「……うん、思ってた通りあったかい」
手袋は想像通りの着け心地だった。材質は羊毛かな。大事に使うとしよう。
「ミス・パーカー。まだ起きてますか?」
それから私が手袋とセーターを着込んでベッドに潜り、眠りにつこうとしたとき。コンコン、とドアがノックされた。
「マザー? はい、起きてます。私に何か」
「お前の友人から電話です、グウェン・ステイシーから」
「グウェンから?」
驚きとともに、私はマザーから受話器を受け取った。
「もしもし、どうしたの?」
『夜遅くにごめんなさい。それで、パーティーはもう終わった?』
「うん、今から寝るとこ」
『そう。ねぇ、もし良かったらなんだけど、これからロックフェラーセンターのクリスマスツリーに行ってみない? 今年は午前0時になった瞬間に花火を上げるんだって』
「えっと」
私は受話器を耳から外し、マザーの顔色を窺った。
「子供だけなら許可できません。保護者の方はいらっしゃるのですか?」
「ねぇ、グウェン。誰か大人の人は一緒?」
『大丈夫、パパがパトカーで送ってくれるって。ね、パパ!』
『なんだって? おい、だから私はシャンパンを我慢させられたのか。……まぁ構わんが』
受話器の向こうから、警部とグウェンの会話が聞こえてくる。警部、せっかくクリスマスにお休み取れたのにお酒我慢させられたんだ。かわいそう。
『パーカー、聞こえるか。まず君の意思を確認するが、行きたいか? 行きたいなら君の保護監督官に電話を代わってくれ。私が話す』
「マザー、グウェンのお父さんのステイシー警部が話したいそうです」
私は受話器をマザーに返却する。彼女はステイシー警部と少し会話したあと、私に「外出を許可します。支度をしなさい」と言って私の部屋を出ていった。
頑固なマザーがこんなにすんなり夜間外出を許可してくれるなんて、警察の社会的信用度ってやっぱりすごいなぁ。
「でね、私スターク社の内定が貰えたの! 高校を卒業したら、正式に社員として雇ってもらえるって」
「すごいじゃん、おめでとう!」
「ありがとう。見といてね、すぐにポッツ社長みたいな敏腕キャリアウーマンになってみせるから」
警部の運転するパトカーの後ろでキャッキャと騒ぐ女子二人。その様子を警部はバックミラー越しに無言で眺めていた。めっちゃ居心地悪そうだ。中年男性が10代女子の会話に混ざるのは、海を割るくらい難しいことだからね。つまり、無理ってこと。
「もうすでにグウェンは敏腕キャリアウーマンでしょ、学業とインターンを両立してたんだから。もしかして君って無敵? 弱点が思いつかないよ」
「一つある。恋愛は全然だめ。どこかに良い男はいないかしら。知的で甲斐性があって、私を守ってくれる人」
「ステイシー警部みたいな人?」
パトカーが左右に揺れ、「すまん、手元が狂った」と警部が一言告げる。
「そうだね、パパみたいな人。いや、パパは頑固すぎるからもうちょっと優しい人が良いかも」
「悪かったな。クリスマスにも拘わらず娘のためにシャンパンを我慢して運転してやるような、優しくない父親で。しかも、わざわざパトカーで」
「あーあ、グウェンのせいで警部が怒っちゃった。こりゃ帰りは歩きだよー?」
「ごめんパパ。帰りも送って?」
「当たり前だ。君たち二人をクリスマスツリーの下に置いてきたとなると、私は警察としての信用を失うからな。息子たちが独り立ちするまでは無職になるわけにはいかん」
などと車内で和気藹々と会話していると、パトカーはロックフェラーセンター前に到着した。
「さて、到着だぞお嬢様方。……とはいえ、花火までまだ時間があるな」
時刻は午後11時30分。日付が変わるまであと30分もある。
「せっかくだし、ツリーを背景に写真でも撮ろう?」
「良いアイデアねペトラ。じゃあパパ、お願いしても良い?」
「はいはい、タクシードライバーの次はカメラマンか。今なら警察をクビになっても稼いでいけそうだな」
車から降りた警部が肩をすくめる。けれど娘に振り回される彼は、どこか楽しそうだった。
「それじゃあ、撮るぞ二人とも。好きなポーズを取れ」
「どうするグウェン?」
「背中を合わせて腕組みポーズでもする?」
「不思議なチョイスだね。乗った」
警部のスリーカウントに合わせて、私たちはクリスマスツリーを背景に写真を撮った。
「うまく撮れたかしら?」
「確認してみよ? 警部、今の写真を見せてください」
カメラを持った警部に駆け寄り、私たちは横から撮った写真を確認する。
「どうだ、よく撮れてるんじゃないか?」
「うーん、80点。ツリーがてっぺんまでちゃんと写ってたら良かったと思うんだけど。パパの腕前じゃこれが限界ね」
「グウェン、それだともっと後ろから撮らなきゃならないぞ?」
「そうね、仕方ない。それじゃあ、次は三人で撮ろう。パパは真ん中で、私とペトラがサイドに。誰か他の人に写真を撮ってもらうよう頼んで……ペトラ? どうかしたの?」
「パーカー、どうした。写真が不満か?」
二人の会話を無視し、私はカメラに映る写真にじっと目を凝らす。見落としてはならないものを見落とさないように。
「警部、みんなの気を逸らしておいて」
私は警部に耳打ちすると、すぐにその場から駆け出した。写真の暗がりの中、奥に見えるビルの屋上に人影が見えたのだ。なんだか嫌な予感がする……!
時間がない。私は急いで路地裏に駆け込むと、着ていた服を脱いでスーツ姿になった。冬の良いところはスーツの上に服を着込めるってこと。脱いで上着を羽織るだけで良いので早着替えが可能だ。そして冬の悪いところは、スーツだけだと寒いってこと。いつかハイテク技術でヒーター機能つけたいな。お金ないから無理だけど。
私は糸を飛ばし、人影が見えたビルの屋上へと向かう。
「間に合え……!」
暗がりの中、私は手を伸ばす。そしてその手は、ビルの屋上から真っ逆さまに落ちた彼を捕まえたのだった。
「えー、ニューヨーク市警のジョージ・ステイシー警部です。これから打ち上がる花火を安全に鑑賞するために、いくつかの注意喚起をさせていただきます。まず一つ、上ばかりに気を取られないこと。後ろのポケットに貴重品は入っていませんか? 残念ですが、ニューヨークでそれは盗ってくれと言っているようなものです。では次に二つ目──」
「パパ、ほんとやめて! めちゃくちゃ目立ってるから! ほんと最悪、急にどうしちゃったの!?」
ロックフェラーセンターから、警部が奮闘している声が聞こえてくる。グウェンも気を取られて、私が消えてスパイダーマンが現れたことには気づいていないようだ。
グウェンとは一度だけスパイダーマンとして会ったことがあるんだけど、最悪のコンタクトだったなぁ。執拗に採血させてくれって迫ってきて怖かったよ。彼女もどうやら、科学オタク的な側面があったらしい。彼女とは、二度とスパイダーマン姿で会いたくないね。
「やぁどうも。迫力満点のダイビングだったね、大丈夫?」
ともかく今はそんなことより、今はビルから落っこちた彼のことだ。
「ス、スパイダーマン? 本物か?」
「うん、本物だよ。ところで、君はどうしてこんなところに? こんな街中で紐無しバンジーするため? それともボクみたいに蜘蛛の力でもゲットした?」
「それは……」
理由を問えばその答えを言い淀む彼に代わり、私は続きを口にした。
「いや、みなまで言わなくても良い。分かるよ。君、自殺しようとしたんだろ」
「……ごめん」
「謝らないで。必要なのは謝罪じゃない。良かったら、どうしてそんなことをしようとしたのかボクに話してみない? 悩みっていうのは、誰かに話すことですっきりすることもあるんだよ」
「……分かった。実は──」
それから、彼はポツポツと自分の身の上話を語り始めた。
「僕の働いてる会社で、新規プロジェクトが立ち上がったんだ。世界を変える、新しい発電システムを構築するための。それで、僕はそのプロジェクトに参加する手はずだったんだよ。だって、電気のことは僕が一番……いや、二番目に詳しい。トニー・スタークの次にね。ニューヨーク中の配電システムの原案を考案したの、僕なんだよ? 僕がいなきゃプロジェクトは滞る。それなのに……僕は、そのプロジェクトの候補から外されたんだ」
「それで、ここから飛び降りようと」
「……そうさ。会社に勤めて10年以上、僕はずっと貢献してきた。それなのに、誰も僕の功績を認めてくれない。いつまでたっても下っ端扱いで、もう何もかも嫌になってしまったんだ」
何だか聞いたことがあるような話だが、事態は思ったより深刻らしい。
「分かった。ボクにできることはアドバイスだけだけど、よく聞いて。まず、君の話が本当なら会社から評価されないのはおかしいよ。街の配電システムを考案したのに冷遇されてるのは、うーん、こう言ったら映画とかドラマの見過ぎって言われるかもしれないけどさ、誰かに功績を奪われてるんじゃない?」
「功績を……奪われてる、だって?」
「うん。それと、人事のことについてちゃんと上司と掛け合ってみたりした? すぐ一つ上の上司じゃなくて、会社のトップとか、人事部とか」
「……してない。僕はダメだって言われて、それっきりだ」
「なら、生きることを諦める前にそれくらいはやってみようよ。もしかしたら君がプロジェクトから外されたのは、何かの間違いだったのかもしれないんだし。結果をただ受け入れるんじゃなくて、こっちから一歩踏み出してみる。そうしてみれば」
そのとき、私の後ろで花火が上がった。どうやら時間になってしまったらしい。グウェンと警部には、あとで抜け出したことを謝らないとな。
「案外、道は開けるかもよ?」
「……ああ、やってみるよ」
「オッケー、その調子だ。それじゃあマックス、良いクリスマスをね!」
そう言って私が二人のもとへ戻ろうとしたとき、驚きで固まった彼が私を呼び止めた。
「ま、待ってくれスパイダーマン。なんで僕の名前を……!?」
単純な疑問に、私は彼の胸を指差して答えた。
「だってほら、名札に書いてある。大丈夫、今日のことは二人だけの秘密だ。それと、最近スターク社は社員のメンタルケアに力を入れてるから、困ったことがあれば社員向けの相談窓口を使うと良いかも」
マックス。マックスウェル・ディロン。私の記憶では、電気を操るヴィランになるはずの男がそこにいた。
さて、この世界でもそうなるのかはまだ決まってない。できることならば、私は彼を悪党になんてさせたくなかった。
「それかもし、ボクに相談したいんだったら、聞くよ。いつでもとはいかないけど」
「い、良いのかい?」
「もちろん。君が困ってるなら助けてやりたい。そうだなぁ、それじゃあ三日後のお昼、ボクはまたここに来るとしよう! アディオス、マックス! 君の人生が好転することを心から祈ってるよ!」
嬉しそうに笑うマックスに別れを告げて、私は蜘蛛糸を飛ばしその場を去った。さてさて、グウェンに何といって謝ろうか。とりあえずオーソドックスに行こう。
「お腹壊して、今トイレにいます……っと」
チャットでグウェンにメッセージを送ると、怒りマークの絵文字が返ってきて、その次に送られてきたのは『大丈夫?』と心配するメッセージ。
私は少し悩んで、こう返事した。
「寒すぎて死ねる。凍えてる人の絵文字……っと」
今日は一段と寒い。次からはインナースーツにカイロでも貼っておくとしよう。