灰被りの蜘蛛 作:BNDに脳を焼かれたやつ
「聞いてくれスパイダーマン。プロジェクトに参加できるようになったんだ!」
3日後の昼。かつて同じビルの上で暗く沈んだ表情をしていたマックスは以前とは裏腹に、明るい声で吉報を届けてくれた。
「人事部に掛け合ってみたら、やっぱり間違いがあって。僕の上司、色んな部下の仕事の成果を自分のものってことにしてたらしい。ほらこれ、今朝の新聞」
マックスから手渡された新聞の紙面には、スターク社で問題のある社員が解雇された旨が記載されていた。
「おめでとう、やったじゃないか。マックス。君が勇気を持って一歩踏み出したおかげだ」
「あぁ、だけど、勇気を出せたのは君がアドバイスをくれたおかげだよ。ありがとうスパイダーマン」
マックスが私に手を差し出す。私はその手を取って固く握手をした。これで一件落着だね、もうマックスが不遇な目に遭って悪党に落ちることはない。はず。
「僕以外の同僚も被害に遭ってたみたいでさ。前まで気にもされてなかったのに、今や会社のヒーローだ。すごく変な気分」
「変なことなんてない。君は正しいことをしたんだ。自分にできることをして誰かを助けたら、それはヒーローなんだよ。どんなに小さなことでもね。だから自信を持って」
「……ああ、そうだね」
彼は嬉しそうに頷くと、これからの展望について語り始めた。
アークリアクター。パラジウムの交換さえできれば半永久的に電力を生み出せるその機関は、たった一基で既存のどの発電機関よりも優れた発電量を誇る。具体的には、都市全体の電力を賄えるくらいにはね。
まぁ、そのエネルギーを悪用されて二年前にニューヨークが戦場になったという負の側面はあるんだけど……けど悪いのは全部ロキだから、仕方ない。
「現状、アークリアクターはスタークタワーとその周辺にしか電力を供給していないんだ。だけど、このプロジェクトが成功した暁にはニューヨーク全体のエネルギーがアークリアクターで賄える!」
興奮した様子で、スターク社の大規模発電事業について語り始めるマックス。もしかしなくても、これって重大なコンプライアンス違反じゃないだろうか。
「あー、話の腰を折って悪いけど聞いても良いかな。とっても興味深い話なんだけど、それ社外秘とかじゃない? ボクにペラペラ話して大丈夫そう?」
「……」
私が確認した途端に、彼は顔を真っ青にしてプルプル震え出した。やっぱり外部に話したらダメなことだったらしい。
「オーケー、了解。この話もボクたちだけの秘密にしておこう」
「ごめん、そうしてもらえると助かるよ」
せっかく重要な役職を貰ったのに、いきなり懲戒解雇だと可哀想だからね。大丈夫、スパイダー・セラピストは守秘義務を守るよ。
「さて、それじゃあボクはそろそろ行かないと」
「もう行くのか? いや、そうだよな。街には僕以外のトラブルなんてごまんとあるよな。僕なんかのために君の貴重な時間を使わせてごめんよ……」
うーん、マックスくん。すぐに自分を卑下するっていうか。ネガティブなところあるね。心配だよ。
「違うよ。今昼休みだからさ。これから学校に戻って、午後の授業を受けないといけないんだ」
「え……? ああ、そういうことか。待った、君って学生だったのかい?」
「そうだよ、学生とヒーローの二足草鞋。だから君も、電気技師と身近な人のヒーローとして頑張ってくれ。ボクにもできたんだから、君にもできる。プロジェクト成功を祈ってるよ!」
それから、彼が普通の人間のままでいられることもね。
「ありがとうスパイダーマン! 僕、君みたいになれるように頑張るよ!」
遠ざかるマックスの声を聞きながら、私はニューヨークの街をスイングする。さて、急いで学校に戻ろう。お昼休みが終わる前に戻らないと、また学校の先生に怒られるからね。
『スターク社、新型大規模アークリアクターの実験中に事故!』
後日、新聞にはセンセーショナルな見出しが並んだ。
「そんな……っ」
電気技師、マックスウェル・ディロン──死亡。その文面に、私は言葉を失った。
実験は、途中までは順調だったらしい。けれど、つい先日解雇されたスターク社の社員が実験場に乱入、実験装置を破壊。
マックスは勇敢にも、暴走状態になったアークリアクターを止めるべく一人実験現場に残り、そして、消息を絶ったと。現場に遺体は存在しなかったが、状況証拠から、彼の生存は絶望的らしい。
「私のせいだ」
口から出た言葉が、私の後悔を浮き彫りにする。
「私が、ヒーローになれだなんて、マックスに言ったから……」
愚かだった、軽率だった。大いなる力には、私も大いなる責任が伴う。そして大いなる責任には必ず、大いなる代償が伴うのだということを、私は十分に考慮してなかった。
「ごめん、ごめんなさい……!」
私でさえ多くのものを失ったのだ。だから、大いなる力を持たない普通の人であるマックスは。
その代償に、耐えられなかったのだ。
「ペトラ、大丈夫?」
心ここにあらずの私。そんな私の目の前には、心配そうな表情を浮かべたグウェンの顔があった。
「ううん、なんでもない。それよりもうすぐニューイヤーだね」
「だね。思い返してみると、今年もあっという間だったな。……この言葉、毎年言ってる気がする」
「喉元過ぎればなんとやらってね。でも確かに、終わってみれば、あっという間だ」
今年は色々あった。ドクター・オクトパス、リザード、サンドマン、ヴェノム。こうも立て続けに見知った存在たちが現れるとは、運命的なものを感じる。
そして、エレクトロ──マックスウェル・ディロン。それは生まれることのなかった、ヴィランの名前であり、人知れず大惨事を防いだヒーローの名前だ。
彼は私の言った言葉を信じて、プラズマに焼かれて灰になってしまった。彼のことを思って一年を終えるのは、きっと彼を焚き付けてしまった私だけだろう。
タイムズスクエアの大型ディスプレイには、新年の始まりまでのカウントダウンが始まっている。
失敗も、喪失も、後悔も多い一年だった。来年はきっと。
「3、2、1──ゼロ!」
もっと良い年になりますように。
「ハッピーニューイヤー、グウェン。今年もよろしくね」
「ハッピーニューイヤー、ペトラ。こちらこそ」
タイムズスクエア中に舞う色とりどりだったはずの、灰色の紙吹雪。新しい年の到来を祝う人々を照らす色とりどりだったはずの、灰色の電光看板。
「ペトラ、次は私の好きなバンドが舞台に登るんだって。近くまで行って見てみようよ」
「うえー、この人混みをかき分けていくの? グウェンったらチャレンジャーだね。良いよ、付き合う。私の手を──」
人混みに紛れてはぐれないように、私がグウェンの手を掴もうとしたとき。
「おい、なんだ、どうした?」
「停電か?」
辺り一帯の明かりが消えて、私の第六感がピリッと刺激された。まるで、稲妻が走ったように。
「なんか怖いね。ペトラ、一度パパのところに戻ろう……って、ペトラ? ちょっと、どこに行ったのペトラ!」
そうして私は、グウェンの声から逃れるように人混みに紛れて姿を消した。
「止まれ、動くな! 両手を挙げて、地面に膝をつけ!」
「名前と所属を言え、目的は何だ!」
「こちらタイムズスクエア前、青白い……化け物が現れました。応援願います」
あれほど人でごった返していたタイムズスクエアも、今は数人の警察とパトカー、そして彼だけになってしまった。まったく、パーティーの終わりってのいつだっては寂しいものだね。
「違う、俺は化け物なんかじゃない。誰か話を、話を聞いてくれ……!」
警察たちが囲うように、その中心には彼がいた。体に纏う電撃が、彼の異形の姿を際立たせる。この場合不幸と言うべきか、幸運と言うべきか。
「マックス!」
どうやら、彼は死んでいなかったらしい。
「スパイダーマン、ああ、俺のことが分かるのか……?」
「声で分かるよ。警察のみんな、彼は知り合いだよ! ここはボクに任せてほしい!」
私はポリスメンたちに手を振って合図した。彼らの肩の緊張が解かれる。これでよし、少なくとも剣呑な空気はなくなった。
「それで、大丈夫? 君、だいぶイメチェンしちゃって」
「ああ、大丈夫だ。少なくとも、苦しくはない。なぁ、今の俺はどうなってる?」
「うーん、まずスキンヘッドになって、肌の色は……ちょっと分かんないかな。あと、それから稲妻が迸ってる」
「ああ、マジかよ。俺は
ショックを受けたように、マックスはその場に座り込んだ。
「教えて、君の身に何が起きたの?」
私は彼の背中を支えて、ことの詳細について質問した。
あの日、マックスは大型アークリアクターの実験に参加した。大型と言ってもトニー・スタークが小型化する以前の骨董品のことじゃない。いくつものアークリアクターを連結させて、指数関数的に出力を強化させたものなんだとか。
「けど、俺の上司、いや元上司か。そいつが実験場に乱入してきて、アークリアクターは暴走した。俺はアークリアクターを止めるために実験場に残ったんだが、その時に溢れたプラズマに飲まれて……」
「それで、気がついたらここに?」
「ああ、ずっと、何かを求めて彷徨っていた気がする」
彼の手からビリリと電気が迸る。よく見れば、彼の背後にはちぎれた配電線が転がっていた。
「もしかして、空腹を感じてる?」
「……たしかに、腹ペコだ。俺って電気を食べるんだろうか」
「周囲の様子をみた限りだと、そんな感じかも」
あたり一帯が暗闇に包まれている。マックスが電気を食べてしまったせいだ。
「でも、良かった。君が君のままで」
「それって、どういう意味だ?」
「ヒーローだってことだよ。アークリアクターの暴走を止めて、たくさんの人を救った。でしょ?」
「……はは、そうだな。俺はヒーローだ」
「よーし、その意気だ。……うん、とりあえず病院で一度体のことを診てもらおう。それから、これからの生き方を──」
考えよう、そう言おうとしたその時。
『警告。膝を地面につけて、両手を挙げなさい』
一体のアーマーが、無機質な声とともに現れた。
『警告。膝を地面につけて、両手を挙げなさい』
「あー、ちょっと待っててロボットくん。もしもし警部、近くで見てるでしょ。これなに? パチモンアイアンマン?」
耳に手を当てて、インカムを起動する。宛先はクリスマスのときと同じく私とグウェンの監督者を務めるステイシー警部だ。
『パーカー、いや、スパイダーマン。見えてるぞ、そっちは大丈夫そうか?』
「呼び方なんてどっちでも良いよ。他人に聞かれてないならね。それで、こいつなんなの?」
コンコンとアーマーをノックすれば、中からは『警告。離れてください』と返事が返ってきた。なんだよ、つまらないやつ。
『スタークのアイアン軍団、その非殺傷モデルだ。暴徒鎮圧用のな。警察で10機ほどレンタルして、試験運用中だ』
「10機だって?」
空をつんざくジェット音。見上げれば、上空からアーマーチームが降ってきた。彼らはマックスを中心として、円状に私たちを取り囲む。
「お呼びじゃないよ。事件はもう解決した。彼は混乱してるだけで危険じゃない。警部、彼らを帰らせて」
『すまないが、彼らへの指揮命令権は私にはない。ロボットは自動操縦だ。警察の要請に従って、危険人物を取り押さえる』
「なら、マックスは危険人物じゃないって言ってよ」
『無理だ。それを決めるのは私ではなくもっと上の立場の人間だ。私からも報告するが、すぐに反映されるかは……』
ああもう、融通利かないな! ちゃんとマニュアル作ってから実戦投入してよ!
「ちょっと良いかな、アーマーくん。こちらスパイダーマン。君たちを統括してる人工知能と話がしたいんだけど。ジャービスさんいる? もしもーし」
マスクの前で手を振っても反応がない。これだから自動操縦は嫌なんだ。柔軟性がない。
『離れてください。我々が守ります。離れてください。我々が守ります』
などと思っていると、突然アーマーの腕が私を掴んでグイッと持ち上げた。
「え? え? ええっ?」
頼んでませんけど、なんて言う間もなく、私はあれよあれよと胴上げされて運ばれた。アリに持っていかれる餌みたいに。
「おい、スパイダーマンを離せ!」
『警告。膝を地面につけて、両手を挙げなさい。警告が受け入れられない場合、強制的に拘束します』
「クソ……良いか、よく聞けこのブリキ野郎。俺はマックス、マックスウェル・ディロン。お前を作ったボスのところの社員だ。危険人物なんかじゃない。それともう一度だけ言う。彼を離せ」
「マックス、ボクのことは良いから落ち着いて」
まずいぞ。せっかく私が和やかな雰囲気にしたってのに、また剣呑な空気が漂ってきた。
『マックスウェル・ディロン……検索中。データベースにアクセス。状態、死亡済み』
「なんだと!? 俺は死んでない! プラズマになって彷徨ってただけだ! ちゃんと確認しろ!」
「マックス、怒っちゃだめだ! 君はまだ能力をコントロールできてないんだから!」
怒気を纏って無人機を睨みつけるマックス。彼の怒りに呼応して、周囲の空気が揺らめき始める。
『顔認証……失敗。対象をアンノウンと認定』
無人機から光が照射されて、マックスの体をスキャンした。だが、ロボットの目には反プラズマの電気人間になってしまったマックスのことが分からなかったらしい。
「ちゃんと見ろ、この間抜け!」
そのことが癇に障ったのだろう。彼はアーマーの肩をほんの少し小突くように叩くと。
「だめだ、マックス!」
その意思に沿って、強力な電撃が放たれた。
吹き飛んでいく一機のアーマー。それを見て、周りの無人機たちは文字通り目の色を変えてマックスに手のひらを見せた。高まっていくリパルサーのチャージ音。
『抵抗を確認。強制逮捕に移ります』
「マックス、避けろ──うぐっ!」
第六感に突き動かされた私は、身を投げ出してマックスを突き飛ばす。そのままリパルサー攻撃を正面から受けると、私の体はまるでゴムボールのようにバウンドしながら地面に転がった。
「スパイダーマン! 貴様ら、よくも……!」
薄れゆく意識の中、気絶する前に私が聞いたのはそんな激昂するマックスの声と、最後に見たのはタイムズスクエア全体を切り裂く灰色の稲妻の姿だった。