灰被りの蜘蛛 作:BNDに脳を焼かれたやつ
「やぁ、おはようスパイダーガール。知恵の実食べるか?」
「……」
病室で目を覚ましたとき、私の隣には目の下に酷い隈を浮かべたトニー・スタークがいた。彼は片手にナイフを持って、リンゴの皮を剥いている。慣れない手つきなもんだから、剥いた皮には実の部分がまだたくさん残っていた。もったいない。
「あの、大丈夫ですか。顔色が悪いですけど」
「ああ、僕の心配なんか必要ない。少なくとも君よりは健康だ。ところで、どこか痛いところは?」
「いいえ、痛くはありません。というか、何も感じません」
体に意識を落とせば、そこにはあるはずの感覚が全くなかった。血が通っていないのかと錯覚するほどに。長時間正座して足が麻痺したときのように。
「……やっぱりそうか。とにかく、君は休んでいてくれ。僕は医者を呼んで──」
そう言ってスタークさんが病室を出ようとしたとき、彼はバタリとその場に倒れた。
「……取り敢えず、ナースコールかな」
私は枕元にあったボタンを押す。それから三日三晩、つきっきりで私を看病していたというスタークさんは、ポッツさんによって強制的に退出させられた。
「あなたが目を覚ましてくれて、本当に良かったわ。もう何日も生死を彷徨っていて、私は、あなたが死んでしまうんじゃないかと……」
お医者さんによる簡単な診療が終わったあと、スタークさんに代わって病室に現れたポッツさんが、泣き腫らした目をハンカチで拭いながらそう言った。
「あれから、どうなったんですか?」
私の疑問に、彼女は詳細に答えてくれた。
戦いのあと、私はウルトロン本体との戦闘を終え、そしてソコヴィアから超特急で帰ってきたアイアンマンに保護された。そして今は、スターク社が出資する病院の特別病棟へ入院している。おかげで、私の正体についてはまだ世間にバレてはいないらしい。マスクの下の素顔を見たのはスタークさんとポッツさん、そしてお医者さんだけだ。
「あなたの性別については、バレてしまったけれどね。あの戦いの映像は、もうネット上に広まってしまっているから」
マックスが残した映像が、テレビに映っているのを私は見た。電撃を浴びせられボロボロになる少女という、何ともショッキングな映像だ。マックスは何のつもりでこの映像を残したのか。もしかしたら彼は、私がウルトロンを倒すために自らの命を賭けたという事実を世間に知らせたかったのかもね。今となっては、分からないけど。
それから、私が戦いで受けた負傷について。外見的な部分でいえば私は黒焦げになったはずなんだけど、鏡を見る限りだとほとんど前と変わらなかった。
「傷については、特殊な技術で治療したわ。人工細胞って言えば分かるかしら?」
「はい、分かります。にしても凄い技術ですね、ほとんど元通りだ」
「その分野で有名なヘレン・チョ博士が、ぜひあなたの力になりたいと言ってくれたの」
病院着の下から覗く私の綺麗な両腕。数ヶ月前に私が負った火傷も含め、傷は完治していた。
人には誇れなかった、私の両手にあった醜い傷跡。それはフリントの命を救った勲章だったはずなのに、きれいさっぱり、跡形もなく消えてしまっていた。まるで、私がフリントの命を救った事実などなかったかのように。
「けれどごめんなさい。あなたの目と、神経系の損傷までは治せなかった。皮膚はまだしも、複雑な器官となると体に適合する難易度が著しく高くて。その上あなたは、人とは違う遺伝子を持っているらしいから……ああ、トニーがいてくれればもっと詳しく説明できるのに」
「大丈夫です、ポッツさんの説明で十分分かります」
戦いで私が負った傷は火傷だけではない。あまりに膨大な量の電気を浴びたせいで、私の体には異常が起きた。私の体は、触覚を失ってしまったのだ。これからはもう、他人に触れられても分からない。痛みを感じることもない。そして、温もりや冷たさを感じることも。
焼け爛れた腕は再生したが……どうやらその代償に、視界だけでなく、触覚までも灰色になってしまったらしい。
「あの、私のことはもう分かりました。それで聞きたいんですけど、私と戦った人たちは、どうなったんですか」
「……あの後、全員亡くなったわ」
「……そう、ですか」
鼓動が早まり、私はベッドの上でギュッと拳を握りしめた。
オクタビアス博士とエディは、私がこの手で殺してしまった。フリントは、ガラス化した肉体を再生しきれずにそのまま亡くなったらしい。マックスは、ウルトロンを倒すために自らの電力を使い尽くして消滅。
そしてコナーズ博士は遺書を残し、自ら獄中で命を絶ったと。
「また、私だけが生き残っちゃったか」
彼が遺したという遺書を読む。そこには私への謝罪がこれでもかというくらい書き留められていた。彼は、私が生きているとは知らなかったらしい。
当然か。世間ではマックスの残した動画もあって、スパイダーマンは死亡したとされている。それに実際、私はこの三日間、生と死の間を彷徨っていた。あの状態からの生存は、はっきりいって絶望的だったのだ。誰も生きてるなんて思わないだろう。
そうして彼はスパイダーマンを殺してしまった罪悪感から、償いのために自分の命を捧げてしまったのだ。
「う、うぅ……なんでだよ。なんでみんな死ななきゃならないんだ。彼らはただ、世界を守りたかっただけじゃないか……! こんなの、こんなのあんまりだよ……!」
「……ごめんなさい」
涙で滲んだ遺書を丸めて投げ捨て、私は顔を枕に埋めた。そんな私の背中をポッツさんが撫でる。
「謝らないで! ポッツさんのせいじゃない! スタークさんのせいでもない! 悪いのは! 悪いのは全部……うぅ……」
ウルトロンのせいだ、とは言えなかった。それを言ってしまえば、ウルトロンを生み出したスタークさんのことを思ってポッツさんが心を痛めてしまうだろうから。
「私が、みんな守れるくらい強ければ。私が、ウルトロンに操られなかったら……!」
「ペトラさん、自分を責めるのはだめよ」
「みんなじゃなくて、私だけが死ねば良かったんですよ! 私だけがぁ!!!」
「お願い、そんなこと言わないで。悪いのはあなたじゃない。あなたは生きて良いの。大丈夫、大丈夫だからどうか落ち着いて……」
「ぐすっ……ひっぐ……」
ポッツさんの胸に抱かれながら、私は泣いた。涙の熱も、ポッツさんの温もりも感じることができないままに。
「……お腹が空きました。そこにあるリンゴ、取ってもらえますか」
「えぇ。良ければちゃんとした食事を持ってくるけど」
「良いんです。スタークさんが切ってくれたのを食べます」
泣き止んだ私は、歪に剥かれたリンゴを一口齧った。時間が経っているのか、味は少し酸っぱかった。それでも美味しいのは、きっと高級なリンゴだからだろう。
「少し、気持ちが落ち着きました。ありがとうございます」
「お礼を言うのはこちらの方よ。ありがとう、トニーの家を守ってくれて。彼の家、一度テロリストに吹き飛ばされてるから」
「嘘、ほんとに?」
「嘘じゃないわ。私もそのとき一緒に吹き飛ばされそうになったもの」
冗談だと思って笑ったら、どうやら本当だったらしい。ニューヨーク決戦のすぐ後のことだそうだ。その頃はベンおじさんが亡くなって色々忙しかったから、知らなかった。
「退院まで、しばらくかかるでしょう。それまでゆっくり、ここで休んでちょうだい」
「はい、お世話になります」
ポッツさんが病室から出ていくと、部屋は一気に静かになった。
手持ち無沙汰になった私は、スマホを開いてメッセージを確認する。マザーや、ステイシー警部、それからグウェン。連絡先に登録されている人たちみんなから、不在通知とメールが届いていた。その一件一件を確認し、返信していく。
そして。
「エドワード・ブロック……」
その名前が刻まれた、もう二度と通知が来ることのない連絡先で、私の手は止まった。
私はスパイダーマン。ニューヨークの、親愛なる隣人だ。いや、だったというべきだろうか。
その正体が少女だと知られ、その上ウルトロンに乗っ取られて人を殺している姿を見られた。そんなやつが、親愛なる隣人として相応しいだろうか。
世間では、スパイダーマンは死んだことになっている。だったらいっそのこともう、スパイダーマンは死んだままで良いのかもしれない。
「私は……どう、したら良いのかな」
「もう帰るのか? なんならずっとここにいてくれても良いんだぞ? ああ、君の将来を僕が養っても良い。名案だろ? 君は知らないかもしれないが僕は億万長者で──」
「トニー、だだをこねないで。それじゃあペトラさん。名残惜しいけれど、お別れね。とは言っても、通院が必要な間はこの病院で何度か顔を合わせることになるでしょうけど」
「はい、お世話になりました。二人ともお元気で」
あれから数週間後、スタークさんとポッツさんに見送られて、私は病院を退院し施設へと戻った。
「ミス・パーカー」
玄関先で、マザーが帰ってきた私を迎えてくれた。
「はい、マザー。ただいま戻り……あうっ」
「無事で良かった……!」
出会い頭に、マザーはぎゅっと私を抱きしめてくれた。だけど、私にはもう。
「……ミス・パーカー。体の方は本当に、何も感じないのですか?」
「……はい」
その温かさは、感じられない。
「部屋に来なさい。話があります」
私は彼女に促されるままに、施設長室へと向かった。
彼女の性格を表したかのような、荘厳な部屋。その真ん中にあるソファに座り、険しい表情を浮かべたマザーと対面する。
「トニー・スタークから、お前を引き取りたいとの提案がありました」
「えっ」
予想外の言葉に、私は驚きの声を上げた。病院にいた頃は、そんなこと一言も言わなかったから。
「お前が傷を負ったのは、すべて自分の責任だと彼は言っていました。そして、その責任を果たしたいと」
「スタークさんがそんなことを……?」
あの人、病室で寝てる私にずーっと絡んできて、正直うざいだけのおっさんだったからなぁ。毎日部屋にやってきてはうじうじうじうじと、下手なリンゴ剥きばっかりして。最終的には私がリンゴの剥き方を教える羽目になって、そしたら私より上達する天才で、なんかムカついたし。
何か言いたいことがあるなら直接言えば良かったのに。女々しい人だ。スーツはアイアンでも、ハートまではそうじゃないらしい。
「私は、お前が裏で隠れて何かをやっていることに、薄々気づいていました。そして、今回のことで確信を得た」
「……っ!」
「ですが、ここではあえてそのことは問いません。聞きたいのは一つだけ。お前はこの先も、そんなふうに傷を負い続けるつもりなのですか?」
「それは……」
私は答えに詰まった。それはつまり、スパイダーマンとして戦い続けるのかどうかを聞いているのだろう。今回のように傷ついたり、親しい人たちを亡くす覚悟があるのかを。
「言い淀むくらいならば、ここでおやめなさい。お前にはヒーローなど向いていません」
「でも、私は……」
「もし、お前が今後も人には言えないようなものを背負い続けると言うのならば、ここにお前を置いてはおけません」
「そんな、なぜです、私はここでの生活が好きです! 捨てたくなんかない!」
「私ではお前を守れないからですよ、ミス・パーカー。保護監督者が子どもを守れないなど言語道断です。だから、この先も誰かを助け、自分を蔑ろにするつもりなら、ここから出て行きなさい。そして、お前を守ってくれる者のところへと行きなさい」
「……そんなの、選べませんよ」
「それでも、選びなさい。私はもう、私が守るべき子供から何かが奪われるなど、耐えられないのですよ。一度目は家族を、二度目は色を、三度目はその美しい手を……それは、奇跡的に戻りましたが。そして四度目には温もりを。お前は悪魔と取引でもしたのですか? こんなにも対価を支払って、大した報酬なんて何も得ていないのに。なんてバカバカしい。それで、次に奪われるものは何ですか? お前の命? ……もう、うんざりです」
「マザー」
ようやく、ここでの生活にも慣れてきたのだ。他の子どもたちとも仲良くなって、マザーからはたくさん怒られるけど、折り合いがつけられるようになってきた。そう思っていたのに。
「ミス・パーカー。私は三年前に我が子を失いました。丁度お前くらいの年の娘を。ですからもう二度と、娘の死体を抱くなどごめんなのです」
そう言うと、マザーは卓上にある写真立てを見た。中には彼女と、10歳くらいの女の子が仲睦まじげに戯れている写真が飾られていた。
そうか。だから、マザーは私のことを気にかけてくれていたのか。
「お前が私にとっての娘となってしまう前に、ここを去りなさい。それができないなら、スパイダーマンなど辞めてしまいなさい」
その質問に、私は──。
「それでは最後に一言。ミッドタウン高校へようこそ! 皆さんのこれからの栄達に期待しています。良いスクールライフを!」
あれから数ヶ月が経ち、2015年、9月。14歳になった私、ペトラ・パーカーはいよいよ高校生になった。マザーから言われた選択肢についてはまだ結論が出てない。だから、回答を保留にしてある。
この数ヶ月、私はスパイダーマンとして一切日の光を浴びることがなかった。おかげで世間ではもうとっくに死んだものと思われているそうだ。
私がいなくなっても、世界はそんなに変わらなかった。せいぜい犯罪率が上がって、街のみんなの表情が暗くなったくらいである。
……あれ、思ってたより結構ヤバくね? 私の影響。せいぜい私の訃報が載った新聞が売れるくらいだと思ってたよ。
そしてこの数ヶ月で何よりも驚いたのは、あのデイリー・ビューグルがスパイダーマンへ追悼文を掲載したことだ。
『私の妻は、覆面を被った強盗に殺された。それ以来、マスクを被り正体を隠す者は決して信用せぬと心に決めていたのだ。……だが、スパイダーマンだけは違った。やつは私の息子を救い、私の氷のように冷たい心を溶かしてくれたのだ。ああ、ニューヨークの親愛なる隣人、スパイダーマン。彼女の勇敢なる最期に、私は敬意を表し哀悼の意を送ろう』
そして最後に刻まれた言葉が『J.J.J.より、愛を込めて』だとさ。うん、正直に言わせてもらうね。おっさんがデレてもキモいだけだよ。あと私が復活したらしたで絶対、ぜーったい文句言うくせに、何が愛を込めてだ。
それから、スパイダーマンじゃなくなった私のミッドタウン高校での生活はまぁまぁ順調だ。同年代の友達もできたしね。
「ね、MJ」
たとえば、今目の前で頬杖ついてご飯を食べてる女の子とか。
「ん、ごめん。今四年間の高校生活で得られるものと、高校に行かなければ得られたものを考えて比較してた。与えられた環境は幸福なのか、それとも勝ち取る環境こそ幸福なのか。私たちの幸福って何だろうね?」
「今楽しいから良いんじゃない?」
「刹那的な考えだねペトラ、嫌いじゃない」
ミッシェル・ジョーンズ。略してMJ。私の知ってるMJとは似ても似つかない子だけど、見ての通りとっても面白い子だ。
私たち2人はすぐに仲良くなった。理由は消去法。
授業のグループワーク、体育の体操、清掃、委員会、その他もろもろ。私たちはいつだって余り物で、自然と組むことが多くなった。
ほら、私は精神年齢が周りとはちょっと違うし、家庭環境も普通じゃないでしょ。それにMJも言動のクセが強くてあんまり周りと関わり合いがないし。
けど、付き合っていくうちに自然と2人でいるのが当たり前になってきて、今では何も言わなくても一緒にランチする仲だ。もはや親友といっても良い。
MJに直接確認したことないから、親友って思ってるのは私だけかもしれないけど。
「おっ、いつものミートローフ発見。それおいしいよね、私のチーズロールと交換して良い?」
MJが私のランチボックスの中からお宝を見つけ出したらしく、トレードを申し込んできた。
「良いよ。MJってばそれ好きだよね、良ければレシピ教えようか?」
「あー、やめとく。教わっても絶対自分で作ることないから。ペトラは毎日弁当持参してて偉いよね。私のはチンしただけの売店の弁当。果たしてこれを温かな食事と言って良いものか、悩むねぇ」
「あはは、私の分だけじゃなくて施設の子たちの分も一緒にまとめて作ってるからね。そうしたら弁当一つあたりの単価が安くなるし」
あのニューヨーク決戦で孤児になった子は多い。そういう子がうちの施設には何人もいる。マザー自身も、かつて我が子を失ったからこそあそこにいる。そして私は比較的年長だから、マザーと一緒に彼らの分の食事を作ることもしばしばあるのだ。
だって、あそこはもう私の家なんだから。
「なるほど、一人っ子の私には縁がない話だ」
「だねー」
笑い合いながら食事を頬張る。解凍しただけのチーズロールも、友達と食べれば悪くない。
「……」
「どうしたの、もしかして今日のやつあんまり美味しくなかった?」
どこか喉に針が刺さったような表情で、私の作ったミートローフを頬張っている。ふむ、もしかして今日のは味付けが濃すぎたかな。
「めちゃうまい。けどそうじゃなくて……えっとさ、一応言っとくと今のは嫌味じゃないから。言い方が悪かったよ、気を悪くしたならごめん」
なんだ、そんなことか。
「いや別に施設っ子いじりだなんて思ってないよ。MJはそんなこと言わないし、言うならもっとウィットに富んだ皮肉を言える。でしょ?」
「おっと、私への信頼が厚いね。このこのー」
ニヤけながら肩を小突かれる。私とMJは対等だ。友達だしね。環境の違いで変な遠慮はしてほしくないんだ。
などと、MJとじゃれ合っていたとき。
「おいネッド、ちゃんと野菜食えって。だから太るんだぜ?」
「あー、食べたいのはやまやまなんだけどさ、無理だよ。ここのほうれん草不味すぎるんだって」
「言い訳してないで食えよ、ネッド。食え、ほら早く」
和やかに昼食を取る私たちの横で、男子たちが騒ぎ始めた。お騒がせ者のフラッシュと、オタクっぽい趣味が災いしてちょっとクラスで浮いてるネッドだ。
「またやってるね、あいつら。お互いのことなんて無視すりゃ良いのにさ」
「仕方ないよ、フラッシュは周りに構ってほしくてあんな風にしてるし、ネッドは優しすぎて強く言えない性格だから」
「……へー? 詳しいね、ペトラ」
「クラスメイトの性格はだいたい把握してるよ。入って最初は、みんなのことを観察してたから」
「そうなんだ。ちなみに私は?」
「ニヒリスト、享楽主義、皮肉屋、不思議ちゃん。でも芯があって、曲がったことは大嫌い。総じて言えるのは、イケてる女子高生ってこと」
「ベタ褒めじゃーん」
猫みたいな鳴き声をあげて喜ぶMJを残し、私は席を立った。
「フラッシュ、またネッドに構って欲しくて声かけてるの?」
「げっ、ペトラ」
「前にも言ったよね。自分のことを棚に上げて他人のことをとやかく言うやつはダサいって」
それから私は、彼の耳に口を近づけて言ってやった。
「君がピーマン嫌いなの、私知ってるんだけどなー?」
「う、うっさいな! お前はネッドの母ちゃんかよ!」
負け犬の遠吠えをあげながら、フラッシュは食堂を去っていった。
「ハイ、ネッド。大丈夫?」
「ペトラ。ごめんよ、フラッシュの相手させちゃって」
「良いよ。彼って獰猛な犬ってよりはよく吠える小型犬って感じだし。相手するのは楽しいから」
自分で言ってて妙に納得感がある。敵を追い払うために吠えてるんじゃなくて、構って貰いたくて吠えてる感じ。まさに子犬。もしくは赤ちゃんかな。
「ところで、そのTシャツイケてるね。どこで買ったの?」
「ああ、これ? 自分で描いて、服屋にプリントしてもらったんだ」
ネッドが着てる服、そこには横たわったスパイダーマンの姿と、
「好きなの? スパイダーマン」
「ああ、だってかっこいいだろ? 女の子なのにさ。強くて、優しくて、何より頑張ってる。他のヒーローもかっこいいけど、親愛なる隣人はやっぱり唯一無二だよ」
「そっか……それじゃあ、残念だったね」
友人のヒーローを殺してしまったと思うと、私は少し胸が痛んだ。
「ん、なにが?」
だが、ネッドはケロッとしてる。
「いや何がって。彼、じゃなくて彼女、数ヶ月前に死んだって話でしょ?」
「ああ、俺はスパイダーマン不滅論者だからさ。他のみんなと違って、スパイダーマンは死んでないと思ってるんだよ。だって、死んでたら死体が出てくるはずだろ?」
そう言うと、ネッドは体を回して背中を見せた。そこには元気に街をスイングするスパイダーマンの姿と、『
「あんなことがあったから今は休んでるだけで、スパイダーマンはいつか戻ってくるよ」
「彼女が、自分のことを殺人犯だと思って、身を隠してるのかもしれないのに?」
「スパイダーマンは殺人犯なんかじゃない。悪いのは全部スパイダーマンを洗脳したウルトロンだろ。責任能力がない状態での犯罪は責任を問われないって法律に書かれてた気がするし……とにかく、俺は信じて待ち続ける」
ネッドのそのつぶらな瞳が、私には眩しかった。
「そっか、そうだと良いね。それじゃあ私はもう行くけど……その前に」
それから私はフラッシュにしたのと同じように、彼の耳元でぼそっと呟いた。
「うちの学食のほうれん草が激マズなのはめっちゃ同感なんだけど、残さずちゃんと食べる方が私はかっこいいと思うな」
私はそう言い残すと、ネッドの肩をグーで叩いて踵を返した。
「行こ、MJ。次はお楽しみの物理だ」
「物理が好きなのはペトラくらいだと思うけど。にしてもペトラは悪女だね。ほら、ネッドを見て。苦しみながらほうれん草バクバク食べてる。あれめっちゃ酸っぱいのに」
「悪女だなんて酷い。私はネッドの健康に気を使ってあげただけだよ。それに」
廊下のロッカーから教科書を取り出し、私は物理の教室へと歩き出した。
「頑張るやつは、実際かっこいい。でしょ?」
するとMJは『良いこと言うじゃん』、とでも言いたげな顔で私を見てくる。ま、ネッドの言葉をそのまま借りただけだけど。
「はぁ、私が男ならあんたのこと絶対放っておかない」
「女の趣味悪いね。ほら、立ち止まってたら置いてくぞー」
「ちょっと待ってよ……ああもう、物理の教科書がロッカーの奥にあって取れない! ペトラ、先に行って私の席取っといて」
「えー、どうしよっかなぁ?」
ああ、なんか。
こういう生活も、そんなに悪くない。
「このあと学コンの練習があるってさ。ペトラは行く?」
放課後になって、私とMJは相変わらず一緒にいた。
「ごめん、今日も忙しくて」
「そっか、なら私も自主練ってことにしとこうかな」
私とMJは共に学力コンテストクラブ、略して学コンに入っている。本当は部活なんてしたくなかったんだけど、学校の方針で何かしらのチームには所属していないといけないらしくて、比較的楽な活動内容の学コンが選ばれた。
「リズ先輩にチャット送っとこ。今日は行けません、っと。MJは練習行かなくて良いの?」
「早押しクイズをチームで練習する意味がいまいち理解できないから行かない。結局上手い人が一人いれば勝てるゲームをチームでする意味ってなに?」
「まぁまぁ、早押し以外にも筆記試験だってあるし……」
「なおさら自主勉強で良いよね、それ」
「うーん、生徒にそういう哲学的な問いを投げかけること自体が目的、とか?」
「はー、なるほど。クラブの存在自体がクイズなわけね。面白いコンセプトじゃん、やっぱり行こ」
うん、本当に見てて飽きないなこの子。
「じゃあまた明日ね、ペトラ」
「うん、バイバイMJ」
MJと別れて、私は道を歩き出した。
さぁ、私の家に帰って下の子たちの面倒を見てやろう。それから掃除をして、お洗濯をして、料理を作って、また下の子たちの相手をして、自分のことを済ませたら、マザーとちょっとだけボードゲームをしたりして、眠る。そんな平凡な日常を繰り返すために。
私の名前はペトラ・パーカー。14歳で、ミッドタウン高校に通う、施設暮らしの。
今では平凡な、女の子なのです。
それからペトラ・パーカーは、平和に暮らしましたとさ。
だけど『いつまでも、いつまでも』とはいってない。
その日、マザーは銀行にお金を下ろしに行っていました。施設の運営に必要な、大事なお金です。
私は下の子たちの相手をしながら、銀行に行ったマザーの帰りを待っていました。
そしたら、警察の人たちが来て、こう言いました。マザーが、銀行強盗の巻き添えになって、死んだって。
強盗たちが使っていた武器は、改造されたチタウリのものだったそうです。
そして私は知りました。私の家族を二度も灰にした武器を作ってるやつが、警察に捕まることなくまだのうのうと暮らしているってことに。
「まぁ、分かってたけどね。私がスパイダーマンであることを止めようとしても、事件が私を放っておかないって」
葬式を終え、私は墓前で一人呟いた。
ああ、どうして、どうして私は、メイおばさんの仇を野放しになんてしていたんだろうか。そんなの、真っ先に見つけて警察に引き渡すべきだったのに。
「……くそっ。なんで私はこんなに馬鹿なんだ」
私がそれをしなかったから、また、私の家族が一人死んだ。
「……あなたの前で汚い言葉を使ってしまってごめんなさい。それからマザー、私を娘だと言ってくれてありがとう。とっても嬉しかった。天国では、本当の娘さんと仲良く暮らしてね」
そう言い残し、私は立ち上がる。そして
……その正体が元は平凡な少女で、その力が望んで手に入れたものではなかったとしても。色を失い、温もりを失い、友を失い、家族を失いながらも、私は何度でも立ち上がり続けよう。
「スパイダーマン、お、お前、生きてたのか……!?」
「やぁ、ジェフ巡査部長。今地獄から舞い戻ってきたところ。それより、あのチタウリの武器を持った強盗に手を焼いてるんだよね。手を貸すよ」
それが私。
「やぁどうも犯罪者諸君。それかっこいいおもちゃだね。どこで買ったのかボクに教えてくれない?」
親愛なる隣人、スパイダーマンなのだから。